SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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今回は現実世界編です。
ジリジリと謎を追う推理パートとなっています。


Side Episode11 情報交差

 最新テクノロジーほど古き手法に弱い。

 光輝の自宅に移り住んで以降、リズベットはネットへの接続には細心の注意を払っていた。

 まず、光輝の自宅のネットインフラを全て物理的に切断し、また携帯端末に至るまで情報を入力・保管しないように心掛け、紙媒体での管理を心掛けていた。また、印刷や検索が必要な場合は、限りなく身元がバレないように注意を払っている。

 まるで犯罪者だ。いや、実際に犯罪行為を働いたので逮捕されても文句は言えない。レクトのサーバーへの接続コードが保管されたUSBを手に、すっかり書類の山で埋まってしまったリビングにて、リズベットはだらしなくソファで寝転がっていた。

 

「ここまで八方塞がりだと、何処から手をつけたら良いか分からないわね」

 

「仕方ないさ。相手はそれだけ大物なんだ」

 

 キッチンでフライパンを振るい、皿にナポリタンを盛っている光輝は苦笑する。たまには自分が料理をすると言って聞かず、任せてみたリズベットであるが、さすがは器用と言うべきか、しないだけで出来ないわけではないらしい光輝は、自分が作るよりも食欲がそそられる香ばしいケチャップとベーコンのニオイを鼻孔までお送り届ける。

 脳内アスナが『女子力が足りない!』とわめいているが、この男と同居していたら女としての自信が粉砕される気分になる。あくまで光輝は家事をしないだけで、やれば人並み以上なのだ。料理をすればリズベットより美味しく、掃除をすれば素早く、洗濯をすれば染み抜きまで完璧。

 こんな超人スペックを相手にしていれば、必然とだらける時間が増えるのもしょうがないものだ。短パンでユニオンフラッグが印刷されたTシャツ1枚という姿で、ソファで寝転がる姿は色気がまるで無いが、独身男性の自宅でするには無防備過ぎる格好である。

 だが、同棲を始めてから時間も経ち、当初こそ夜中に布団の中に潜り込んでくるのではないかと心配していた光輝は彼女が思う以上に紳士だったらしく、特にそのような真似をする事もなければ、性的な眼差しを向ける事も無い。

 

「やっぱり、レクトのサーバーに接続して情報を抜くしかないのかしらね」

 

「それは最後の詰めにすべきだね。僕もリズベットちゃんも保有している情報が少なすぎるんだ。いざサーバーに接続したとしても、どんな情報に、どんな価値があって、何を調べてれば良いのかさえ見当がついていない現状では、大事な切り札を無駄に消費するだけだよ」

 

 正論だ。それは分かっている。フォークでナポリタンを絡め取り、口に運びながらリズベットは、何とかこの停滞を打破する術は無いものかと悩む。

 リズベットの推理と光輝の直感。その2つを併せても、疑わしいところまでは追えても、それ以上を手繰り寄せることが出来ない。つまり、リズベットが光輝の嗅覚で追う為の地図を作り上げられていないのだ。

 故に焦るのはリズベットだ。このままではSAO事件の二の舞だ。全てが終わった後に犯人を検挙しても意味が無い。いや、それ以上に今回は犯人が名乗り出ておらず、なおかつ警察内部まで深く根を張っている事も鑑みれば、逮捕など夢のまた夢であり、目星をつける事すらも難しいかもしれない。

 

「情報を整理しよう。まず僕らに調べられる要素は4つだ」

 

「紺野木綿季、エギル、レクト、そして警察内部ね」

 

「最後は警察どころか、各省庁や大手民間企業にも敵のネットワークがあると見て間違いないだろうね。ネットインフラ関係は全て敵の手の内と考えた方が良いかもしれない。それに、VR技術の導入を目指している東京都では建築業界にも急速なAR技術の導入が進んでいるし、自動車業界も……ああ、もう全てが敵だね。笑い声も出ないよ」

 

 全くだ。そして、この真実にたどり着いた者が、今現在で日本に、世界に、どれだけいるのかも定かではない。

 今にして思えば、マスコミ関係も既に掌握されていると見るべきだろう。アミュスフィアⅢの表向きな開発責任者の自殺、報道規制、独自調査していた記者の退職・蒸発・不審死などのオンパレードだ。ネット掲示板すらもコントロール下にあるところを見ると、大衆心理すらも敵は熟知し、煽動し、思うがままに操る事ができる人心を見抜く怪物だ。

 茅場晶彦が天才的な技術と頭脳に物を言わせた単独犯であったならば、今回の犯人は驚異的な行動力と悪意に財力と裏表問わぬ社会ネットワークを駆使する組織だ。後継者が複数人の呼称であれ、個人を示す称号であれ、これだけの真似は人間1人の限界を超えている。必ず組織で動いているはずだ。

 

「まず紺野木綿季からね。病院関係者を当たってみたけど、やっぱり『書面・戸籍上』は死亡しているわ。死亡に関するカルテも見つかったし、葬儀会社も含めて間違いないでしょうね」

 

「その件だけどね、ヒットしたよ」

 

 リズベットの頬についたケチャップをティッシュで拭いながら、光輝は言い辛そうな表情をする。こうした顔をする時は、勝手に単独行動をしてリズベットを置き去りにしたからだ。危険に巻き込まない為に、敢えて黙っていたからだ。

 嘘は吐かないが、沈黙で隠す事はある。それが光輝だ。リズベットは呆れながらも、わざわざ怒るのも馬鹿らしいと、頬を拭う光輝の手を顔を赤らめて払い除けながら、頬杖をついて尋ねる。

 

「ヒットしたって事は、何か情報があったの?」

 

「ああ。実はね、紺野木綿季の墓を暴いたんだ」

 

「…………は?」

 

「DNA検査も行ってある。100パーセント紺野木綿季本人だったんだ。DNA上はね」

 

 色々と言いたいことはあるが、今は問い質すのは無しとしよう。神すらも恐れぬ冒涜的な行為であるが故にリズベットを置き去りにしたのだろうが、今回ばかりは感謝するしか出来ない。リズベットが事前に知られていれば倫理的に止めたであろうし、渋々実行しても罪悪感に苛まれたはずだ。

 その点で光輝は躊躇いが無い。彼は死者への敬意を持つが故に、死者を恐れない。彼の死生観はリズベットが相棒となってからも理解しきれない部分の1つだった。

 

「だったら、やっぱり手詰まりね」

 

「ところが、そうでもないんだ。プロには分かるらしいんだけどね、経年劣化って言うのかな? とにかく、今の科学捜査の『目』は伊達じゃないんだ。紺野木綿季の死亡時期と骨の劣化具合、それに食い違いがあったらしいんだ。本当に微細だし、保管状態も良かったから確証は無かったらしいけど。そこで、お隣にあった藍子ちゃんの墓も調べたんだよ」

 

 この男は本当に神の領域すらも貶める事にすら躊躇いが無いらしい。スパゲティの赤が血の色に見えてきて、食欲が失せてきたリズベットは無言で新しいビールの蓋を開けて喉を鳴らして飲む。これ以降の話を聞くにはアルコールの力に頼るのが最善のようだ。一方の光輝は雑談でもするように、スパゲティを絶えず食べ続けている。

 

「遺体を調べたけど、DNAが不一致したよ。形状も、成分も、何もかも『人間の骨』と一致したけど、DNAだけは異なっていたんだ」

 

「どういう事? 紺野木綿季じゃなくて紺野藍子に問題があるなんて、おかしいじゃない」

 

「そこは『専門家』に協力してもらったよ。あの糞いもう……ああ、身内に手助けしてもらってね。こういう『嘘』を暴くのが専門みたいなものだから、あっさりと回答を教えてくれたよ」

 

 一瞬だが、忌々しそうな眼光が光輝の目に潜む。それが彼にとって歓迎できない手段だったのは間違いないのだろう。

 

「まず、紺野木綿季の遺骨だけど、これは紺野藍子のものだったんだ」

 

「いきなり、ぶっ飛んでるわね」

 

「だよね。トリックは簡単だよ。まず、紺野木綿季の偽装した遺体で葬儀を行う。そして、その後に隣り合った彼女達の『墓標』を入れ替える。たったこれだけなんだ。彼女達は一卵性双生児だからDNAは一致する。双子トリックなんて21世紀の今では指紋や静脈検査、筆圧、声紋、それに身体的特徴の差異も含めれば簡単に看破できる。だけど、犯人はそれを『遺体』にする事で見事に欺いたんだ」

 

 最新テクノロジー程に古き手法に弱い。どうやら、相手もまた古典的トリックの使い手だったようだ。

 仮に紺野木綿季に疑いの目が向いたとしても、彼女の墓を掘り返したとしても、確実に『死』が実証される。何故ならば、たとえ遺体を掘り返してもDNAは本人なのだから。誰が、よもや墓標自体が入れ替えられていたなどと思うだろうか? 管理者が保管するデータを改竄してしまえば、光輝のようなぶっ飛んだ思考と行動力の持ち主でもない限りは見破れなかったはずだ。

 

「紺野藍子のカルテを確認したけど、彼女の方が身長は高かったらしい。骨から身長を計算したけど、紺野藍子とほぼ一致したよ。逆に紺野木綿季とは不一致だった」

 

「つまり、紺野木綿季は生きている。その確率が高い。そういうわけね?」

 

 だからなんだ、という話である。それは既に想定していた展開の1つであり、その裏打ちがされたに過ぎない。そこから発展させる為の材料が無いのだから。道がそこで途切れてしまっているのだから。

 故に、これは敵が思いもよらぬトリックでこちらが捜査しようとした時に撹乱する対抗策を準備していた、という事以外の何ものでもない情報なのである。

 

「いいえ、違うわね。病院関係者も含めて紺野木綿季の『死亡』を確認しているわ。彼らの脳にもインプラントでも仕込まれていない限り、死を偽装するなんて……」

 

 と、そこでリズベットは病院関係者の履歴を引っ張り出す。

 光輝が掘り返してくれた、この情報を無駄にするわけにはいかない。ビールを腹に流し込み、ファイルで閉ざされた彼女が入院していた病院の、看護師を含めた医療スタッフの履歴を捲る。

 

「……やっぱり、彼女の医療スタッフは1年かけて入れ替えが行われているわ。主治医も含めてね」

 

 一斉に、ではなく、1人ずつ、様々な理由づけで怪しまれないように入れ替えが行われていたのだ。これならば記憶操作する必要はない。恐らく、リズベットたちが聞き込みをしたこのスタッフは全員がグルなのだ。

 だとするならば、自分たちの動きが敵にバレた? いや、そもそも紺野木綿季の叔母を確保した時点でこちらが疑いの目を向けている事は気づかれている。ならば問題は無いだろう。

 現在も同病院で就労する彼らの身柄を確保する? 危険だ。警察内にも敵の手の者が潜んでいる状況で、公的権限で強行するのは全ての詰めが揃ってからが望ましい。

 

「歯がゆいわね。ここまで来て、やっぱり手出しが出来ないなんて」

 

「そうでもないよ。こうしてカードを増やしていけば、何処かで使える機会があるかもしれないからね。次にギルバートさんだけど、ダイシーカフェの襲撃時の目撃情報は無し。かなり抵抗したみたいだけど、ほぼ一方的だったみたいだね。しかも現場検証の結果、相手は単独犯。しかも、かなり常人離れしたパワーとスピードの持ち主だね。1歩で数メートルは跳んだと思われる痕跡が見つかったよ。しかも拳で壁に亀裂を入れたみたいだね。他にも天井を蹴った痕跡も……」

 

「相手は超人なんて、まるで漫画の世界じゃない」

 

 いや、SAO事件に端を発した世界の急速な加速を考えれば、かつて空想だと思っていた物が現実として具現化しているだけなのかもしれない。

 それに『人間離れ』という意味では目の前にも実物がいる。数多の死線を潜り抜けた相棒は、銃弾の雨を生身で通り抜けたり、狙撃を直感で躱したり、ガソリン大炎上の爆発を機転で凌いでみせたり、高速鉄道の屋根の上でテロリストと最後の決闘をしたり、と世界吃驚人間ショーに登場しても問題の無い、まるで仮想世界のスペックをそのまま現実世界に引っ張り出してきたのではないかと思うようなイカレた身体能力の持ち主だ。

 

「現在は容態も安定しているし、命に別状はないけど、埋め込まれたインプラントのせいか、目覚めていない。彼は被害者だから犯人を目撃していると思うし、リズベットちゃんが言っていた神父服姿の男がもしも犯人として確証が出来れば、殺人未遂で似顔絵捜査もできる。もちろん、こちらも警察に敵がいる以上は成功率も低いだろうけど、殺人未遂ならば大義名分である程度は表立って行動できるはずだよ。特にDBO被害者を収容している病院を襲撃した犯人も同じ格好をしていたからね。警察にも被害者が出てるし、警察組織の体質として身内の犠牲を出して舐められるのを良しとしないよ」

 

「全てはエギルが目覚めるのを待つ、というわけね。じゃあ、次にレクトね。あれからALOに何度かログインしてみたけど……」

 

「ちなみに種族は?」

 

「……ドワーフにしようと思ったけど、なんだか『それっぽい』って光輝さんに言わせそうだったから、敢えてケットシーにしてやったわ」

 

「猫耳&尻尾のリズベットちゃん……ごくり!」

 

 そうやって擬音を自分の口で言っている限りは、本当にエロい事を考えているのではなく、コミュニケーションの為のフリだと言う事を同棲生活の間でようやくリズベットも学習したところである。

 

「情報収集してみたけど、どうやらDBO事件以前に奇妙なイベント……というよりも、変なNPCが出現していたらしいわ。とんでもなく強力なネームドが神出鬼没してたみたい。強いプレイヤーの前に現れて、勝負を挑んで、勝手に消える。生き残ればレアアイテムも貰えたらしいから運営のサプライズじゃないかって思われていたらしいわ」

 

「うーん、それは本当にサプライズじゃないかな? さすがの僕の『嗅覚』も実物が無いとね」

 

「だったらログインしてみる? 光輝さんも嵌るわよ。あたしもALOは初めてだったけど、飛行は病みつきになるわ。海外ファンタジー系とは違う、日本最大手らしい明るいジャパニーズ・ファンタジー調だし、今度は欧米向けサービスも開始するらしいから、VR犯罪対策室としても1度見ておいた方が良いかもね」

 

 光輝さんだったら、やっぱりサラマンダーだろうか? ALOにログインした光輝がどんなアバターを使うのか楽しみでリズベットは小さく笑い、話を戻す。

 

「でも、どうやらそのネームドと遭遇したらしい有名プレイヤーの半数以上がDBO被害者なの。しかも全員がベータテスター。残りの人たちにも確認を取ったけど、運営側からメールでDBOのベータテスターへの応募広告が届いていたらしいわ」

 

「それは……珍しい事でも無いんじゃないかな? DBOはレクトが運営するはずだったんだし、人気があるプレイヤーにテスターを依頼するのは、不平等かもしれないけど、販売戦略として普通だろう? 彼らが名前と評判を広げてくれれば、それだけ予約数は増えるだろうし」

 

「ええ、そうね。でも、ベータテスターが厳選で平等な抽選をしたものではなく、ある程度の操作が利いた……犯人による選別も込められていたとしたら、どうする? テスターの依頼があって、受託して、それで確定なら、平等性なんて最初から無いわ。つまり、運営側……犯人がDBOに捕らえたいプレイヤーを選定できるのよ」

 

 それはつまり、今回のDBO事件の目的は、SAO事件のそれとは全く性質が異なる、というリズベットの推理から成り立った結論だ。

 茅場晶彦がSAO事件を引き起こしたのは、仮想世界に真なる完成を……プレイヤーと言う『命』を注ぎ込む事だった。それこそがあの鉄の城を本物の世界として世に生み出す為の最後のピースだったのだ。

 だが、DBO事件は今もって目的が不明だ。警察も民衆もSAO事件の模倣犯で、何らかの思想に基づいたものではないという見解が主流だが、リズベットにはそんな風には思えない。

 アミュスフィアⅢは、間違いなくナーヴギアの後継として何者かが設計したものだ。そこまでの情熱を込めた人物が、自分の尊敬する茅場晶彦の真似をすると言うのは何となくあり得る話に聞こえるが、やるにしても規模が違い過ぎるし、紺野木綿季やエギルの件も絡んでいるならば、余りにも背景が複雑怪奇過ぎる。

 

「他の大手VRMMOタイトルで調査してみないと分からないけど、DBO事件は余りにも各タイトルの有名プレイヤーが多過ぎるの。それに、須和先生から提供された被害者の検査資料にもあったけど、VR適性の高いプレイヤーも多いわ。そうなると、店頭販売を除けば、予約関連……卸業者にも犯人が手を加えていた確率も出てくるの」

 

 もちろん、全員ではなく、あくまで選別されての事だろう。多数は巻き込まれた被害者かも知れないが、何人か、何十人か、何百人かは狙い撃ちにされたと見た方がしっくり来るのだ。

 リズベットの推理は悪魔的だ。これが事実であるならば、SAO事件とは性質が抜本的に異なる。犯人は茅場の後継者と名乗る真意が『別の形』にあるからだ。

 これまでリズベットたちは茅場の『後継者』と名乗るが、彼の仮想世界の構築という世界創造へのリスペクト、あるいは本人からの技術的供与があったものと無意識に判断していたが、仮にこの『後継者』というのが『SAO事件から続く茅場晶彦が目指す真の計画、その次なる段階の実行者』という意味ならば、意味がまるで異なる。

 SAO事件すらも実験場であり、DBO事件すらも何らかの計画を成す為の土台であり、本当の目的は彼女達の想像を超えるものだとしたら? VR技術から端を発した技術促進が蔓延したこの世界が、全て茅場晶彦と後継者の狙い通りだとしたら?

 ぞわり、とリズベットは自分が導き出した推測に恐怖して背筋が冷たくなり、震える。4月の初めでも肌寒い夜に、暖房が利いてるはずの室内で、まるで真冬の夜風を浴びたかのように、震える。

 

「警察内部は……言うまでもないね。VR技術を導入した監視体制は、僕らのような真実を追う者たちを排除する為のもの。そして、犯人が殺害という手段を用いてでも邪魔者を排除する際の隠蔽工作をより安易にするもの」

 

 ビールの缶がリズベットの手から消える。気づけば、光輝がリズベットの肩に毛布をかけていた。

 

「今日はもう寝よう。ベッドも資料の山で横になれそうな場所もないし、ソファになるけど、リズベットちゃんはもう休んだ方が良い」

 

「……食べた後に横になると牛になるわよ」

 

「はは、それは良いね。僕の実家は牛飼いだから、リズベットちゃんが牛になったら大歓迎さ」

 

 本当にこの男は……とリズベットは額を撫で、伸び放題の前髪を掻き分ける光輝に、顔を真っ赤にして頷く。

 

「やっぱりレクトに踏み込むしかない、のよね」

 

 ソファに横になったリズベットの問いに、光輝は無言を貫く。この状況を打破するには、希望をかけてレクトのサーバーにアクセスし、情報を抜き取る以外に無い。

 ピースは集まっている。だが、肝心の繋ぎ合わせる為の鍵が無いのだ。ぼんやりとだが、相手の輪郭は見えてきている。後は追いかける為の、道と道を繋げる為の橋を築くだけなのだ。

 

「……いざとなったら僕の家は、レクト……結城家には顔が利くから、そこのルートから攻める手もあるよ」

 

「でも、光輝さんは……家族を頼りたくないんでしょう?」

 

「叔父さんには協力してもらったし、糞い……ああ、他にも手伝ってもらった人もいるから、今更なところもあるさ。だけど……結城家に接触するとなれば、あの糞ジジイに頭を下げないといけなくなる。それは、少し嫌かな? でも、リズベットちゃんの悪夢を終わらせる為にも、DBO事件の真実を暴かないといけない。そうしないと、SAO事件は……リズベットちゃんの中で終わらない」

 

 リズベットの手首を隠すリストバンドの下の傷痕を光輝は親指でそっと撫でる。ビクリと震えたリズベットは、手で目元を隠し、少しでも彼に表情が見られないように覆う。

 SAO事件はまだ終わっていない。エギルの件により、リズベットの中でその想いが膨らみ続けている。悪夢が……あの鉄の城で味わった恐怖がどんどん大きく、確かな現実味を帯びて精神を侵蝕し始めている。

 必死になって振り払おうとしても、リズベットから篠崎里香に戻ろうとするのを、まるで鎖が首に絡みついて鉄の城に引きずるかのように、悪夢が許してくれない。

 

「今でもね、考えるの。アタシはここにいるべきじゃない。たくさんの人たちがアインクラッドと同じように戦っている、仮想世界こそ相応しい場所なんだ、って。アタシはもう1度仮想世界の囚人になって、デスゲームの先にあった真実を見ないといけないんだ、って」

 

「……リズベットちゃんは逃げた訳じゃない。自分の過去から目を背けた訳じゃないんだ」

 

「分かってる。それでも、考えずにはいられないの。きっと『アイツ』が消えたのは、DBO事件が起こると知ったから。だったら、アスナを助けられなかったアタシは、彼女の代わりに『アイツ』の傍にいて、少しでも支えてあげるべきだったんじゃないか、って」

 

 最低だ。自分を惚れてくれている男の前で、自分も愛したいと望んでいる男の前で、今も尾を引く仮想世界で出会った想い人の事を口にする自が忌々しい。リズベットは罵られたいと望むも、光輝は眠りにつくのを手助けするように頭を撫でるだけだ。

 

「子守唄でも歌ってあげようか?」

 

「嫌よ。光輝さん、無駄に歌も上手なんだもん」

 

「歌が上手いのを無駄とは言わないと思うんだけどね」

 

「……お願いするわ。今日もきっと、悪夢にうなされるだろうから。また、光輝さんに助けてもらうと思うから」

 

 目覚める度に発作的に暴れるリズベットを力で強引に押し込める光輝に、彼女は甘えるように、目元を隠す指の隙間から彼の穏やかな眼差しを見つめる。

 時々とても恐ろしい目をする。まるで蜘蛛のように、命などなんとも思わないような、機械的に殺すかのような、冷たい目をする。だが、それ以上に光輝がリズベットを見る目は常に温かく、名前の通りに光り輝いているかのような、太陽のような熱を感じる。

 

「じゃあ、何の子守唄が良いかな?」

 

「光輝さんはどんな子守唄を歌ってもらってたの?」

 

「……あー、アレは子守唄というか、あんなもので寝つけるのは僕の弟くらいって言うか」

 

 ゴホン、と光輝は席を挟み込み、ゆっくりと口を開く。

 

 

「恐れよ。怖れよ。畏れよ。ヤツメ様がやって来る。愚かな烏の狩人はヤツメ様に弓を引く。

 射た矢はヤツメ様を貫いた。その首落とせ。その首落とせ。落とせ落とせ落とせ。

 されども、狩人はヤツメ様に恋焦がれ、猫を仲人に『めおと』になる。

 ヤツメ様は人と交わり、子を孕み、鬼が生まれた。

 鬼は母に背いて山を下り、母を奉じて、母に仇を成す。

 我らは狩人。狩り、奪い、喰らう者。

 ヤツメ様は見ているぞ。今も我らを見ているぞ。人の肝に飢えている。血を飲まねばと渇いている」

 

 

 これの何処に子守唄としての成分が入っているのだろうか? リズベットは苦笑しながらも、その口ずさまれたメロディに込められた、深い愛情のようなものを……この子守唄に刻まれた想いを感じ取れたような気がした。

 明日は非番だ。光輝には悪いが、彼に踏み込む為にもヤツメ様について調べさせてもらうとしよう。そうしなければ、彼のデリケートな内面に踏み込む事ができないのだから。

 

 

△    △     △ 

 

 

 翌朝、VR犯罪対策室へと赴いた光輝を見送ったリズベットは、いつもの黒のミニスカートとジャケット姿というパンクな姿で、更にブーツに金属探知機から逃れる為の強化プラスチック製ナイフを仕込み、鞄にはスタンガン、簡易警報機、そしてスプレー缶に偽装したスモークグレネードを入れる。銃に関しては、リズベットの細腕でも撃てるように訓練は(ほぼ実戦で)積んであるが、命中率が悪い上に、日本で持ち歩いていれば社会的に終わりである。

 安全に妥協はしたくないが、これが限界だ。伸び放題の前髪を揺らし、肩甲骨まで伸びた髪を指先で弄って枝毛が無いのを入念にチェックする。中途半端であるが、これでも美容院にいって最低限の鋏は入れて貰っているのである。

 準備が完了し、光輝のマンションから出たリズベットはポストに溜まっていた郵便物を手に取り、駅までの道のりで鞄に仕舞いながら確認する。大半が公共料金に関するものであるが、1つだけ見慣れぬ白封筒があった。

 

「差出人は……久藤 光之助?」

 

 達筆だ。それがリズベットが最初に受けた印象である。文字の感じからして老齢の男性が書いたものだろう、とリズベットは当たりをつけ、あの光輝が『糞ジジイ』と言って憚らない彼の祖父の事だろうと見当をつける。

 ならば本人に渡すべきなのだろうが、光輝の性格を考えれば、読みもしないでゴミ箱に入れるか、最悪リズベットにとやかく言われる前に焼却処分するかもしれない。ならば、先にリズベットが確認しておくのが差出人の為だろう。

 駅のホームでの待ち時間の間、ベンチにこしかけたリズベットは缶珈琲を口にしながら封筒の封を開き、中身の手紙を拝見する。

 

 

 

 

 

『嫁を取れ。次の8月の祭りまでに嫁を見つけて帰って来なかったら、候補に夜這いさせて、孕ませさせる。以上』

 

 

 

 

 ……絶対にこの事は伝えないといけない。ダラダラと汗を流し、リズベットは光輝が再三に亘った通告を読みもせずに無視し続けた結果、彼曰く『糞ジジイ』が酷くご立腹であり、彼の母が危惧していた最終手段に訴えさせる直前まで事態が進行していると察知する。

 DBO事件だけでも手一杯だというのに、まさかの愛する人が見合いを通り越して平安時代を彷彿させる婚姻(男女の位置は逆だが)が迫っている事に、リズベットは頭を抱え、周囲の奇異の目も無視して、ぐわんぐわんと首を振る。

 だが、これは大きなヒントだ。8月に、光輝の実家で祭りがある。そこから攻めれば、ヤツメ様という神について何か分かるかもしれない。

 今回はVR犯罪対策室として仲良くなったVRゲーム雑誌の記者から、『そう言えば、以前に務めていたオカルト系雑誌のところで、そんな名前聞いた事があったような無かったよな』と零した事、そして光輝の故郷の住所から重点的に調べて分かった事を纏め、民俗学研究の教授から話を伺う予定だ。

 電車に揺られる中で、リズベットはネットニュースを確認する。光輝の自宅ではネットインフラを全て断っているので、こうしてネットニュースを確認するにしても、2代目の純私用端末を使わねばならないのだ。こちらでは仕事関係の話は一切せず、また家族と光輝以外の登録はされていない。

 

「中東で新型兵器が投入され物議……か。相変わらず世界は加速してるわね」

 

 今回、中東で実戦導入されたのは、MTと呼ばれる新兵器らしい。都市部の防衛を目的とした、『歩く戦車』というコンセプトらしく、掲示板サイトなどでは『ついにロボット兵器が実戦投入きたぁああああああ!』とか『おいおい、何だよ、この既存の兵器体系と理論を総無視したみたいな馬鹿兵器は。開発者出てこい』とか、炎上を超えた大騒動に突入しているようである。

 なお、実戦投入したと発表し、既に世界各国に売却契約を結んでいるのはINCグループだ。世界的なグループ企業であり、VR技術とAR技術のいち早い軍事利用を正式に表明し、またUNACを始めとした実用型AIを広め、世界的にも有名なVRフルダイブ機器CWシリーズの販売元である。

 INCか、とリズベットは以前VR・AR技術展覧会で出会った男と少女を思い出す。

 あの件について、どうしてもリズベットは光輝に話をする事ができなかった。まるで怪物としか思えない、あの穏和そうな、どうしてもその姿をハッキリと思い出すことができない男。あの男について、どう言葉にすべきか分からず、黙り通していた。

 いずれ恩返しをする。あの男の言葉に嘘は無いだろうが、リズベットとしては2度と出会いたくないというのが本音だった。

 

「ふむ、ヤツメ様ねぇ。その名前は久しぶりに聞いたな」

 

 そして、リズベットが単位を免除されている身分とはいえ、大学生だった事を思い出しながら、民俗学研究を長年続けているが、成果はまるで挙がらず、本を自費出版してばかりで在庫の山で悩まされているという、笹倉明吾教授の元を訪ねる。

 研究室は彼の人気の無さっぷりを示すかのように、ゼミの女学生がやる気なく携帯端末で友達と連絡を取っている。もう1人の男学生は椅子にもたれて涎を垂らして寝ており、リズベットが入室してもピクリと反応しなかった。

 笹倉の自書が段ボール箱に押し込められて大半のスペースを占拠する中で、すっかり灰色になるまで髪の色素が抜けた、やや気弱そうな老人はリズベットを大歓迎するようにホイップクリームたっぷりの苺のショートケーキを振る舞う。どうやら来客、それも自分に知恵を借りにくる人物が現れる事を感激しているようだった。

 

「久しぶり、という事は以前にも尋ねられたかたがいたんですか?」

 

「ああ、10年くらい前、かな? あるいはもっと前だったかもしれないが、若い女性記者さんが尋ねに来たよ。方々を訪ね回っても情報が得られないから、私にそれとなく希望をかけて来たらしいんだ」

 

 10年以上前……例のオカルト雑誌の記者だろうか? 確か、月刊ライト&ダークだったはずだ。リズベットは読まないが、ファットマンが愛読していたはずである。

 

「何でも先輩さんの命日が近いらしくてね、その先輩さんが追っていたのがヤツメ様……だったかな? いやぁ、さすがに随分と前の話だから不確かだし、お嬢さんに電話で尋ねられて思い出したくらいだから曖昧だけどね」

 

 リズベットが彼に連絡を取ったのは、『民俗学研究・土着信仰』という検索ワードから、上からヒットした人物にアポイントを取ってみたが弾かれ続け、大歓迎してくれたのが笹倉だった、というオチである。

 期待はしていなかったが、まさか意外なところで繋がりがあった。リズベットは拳をテーブルの下で握り、笹倉に質問をぶつける。

 

「それで、教授はヤツメ様について何かご存じなのですか?」

 

「いやー、それが当時も記者さんに話したけどね、これまで多くの文献や伝承を取り扱ってきたが、ヤツメ様なんて初耳だったんだよ。そもそも日本は八百万の神の国、なんて言われてる通り、とにかく神様がいっぱいいるんだ。怨霊だって神様になってしまう。だから、その中の神様の1柱なんて言われてもねぇ」

 

 全く以ってその通りだ。そもそも、日本神話だけでもどれだけの神が登場するか分からない。現代日本人からすれば、日本神話の神よりもギリシャ神話の神の方が名前を言える数が多いのではないだろうか、と思う程に、身近ではあってもわざわざ知ろうとしない。それがマイナーな、何処で信仰されているかも分からない神ならば尚更である。

 

「ただ、ヤツメ様というのがどうにも気になってね。ヤツメとは『八つの目』と書くと思うから、多分だけど蜘蛛の神だと思ったんだよね。ほら、蜘蛛って目が8個あるだろう?」

 

「へぇ、そうなんですね」

 

 それは初耳だった。一般常識かもしれないが、そうした知識は機会が無ければ得られないものである。故にリズベットは恥じる事無く、むしろご機嫌取りも含めて、自分の無知を示す。

 狙い通り上機嫌になった笹倉は、昔書いたらしい手紙のメモをファイリングしたものを取り出す。

 

「蜘蛛の信仰で日本と言えば、やはり土蜘蛛だね。これは伝承もたくさんあるし、キミも知ってるだろうから割愛するけど、土蜘蛛とはそもそも大和朝廷の敵部族につけられた物だった、とされている。他にも諸説あるから、一概にそうと言えないのが私個人の見解だし、本当に蜘蛛のバケモノがいたのかもしれない。いや、むしろいて欲しい!」

 

 そういえば、SAOでも巨大な蜘蛛のボスがいたらしい。脳内アスナが泣き叫びながら、当時のようにリズベットに泣きつくが、彼女は笑顔でそれを引き離す。

 

「さて、蜘蛛の信仰となると、考え得るのは女神だろう。蜘蛛は女郎蜘蛛なんて妖怪が登場するように、極めて女性的な存在として描かれている。これは外国でもそうだね。蜘蛛で男性的な怪物はほとんど登場しない。これは、やはり古来から蜘蛛とは女性の譬えの1つであり、その本質を示していたのだろう」

 

「女性は蜘蛛……ですか」

 

 女性であるリズベット自身はあまりピンと来ない話であるが、確かにじわじわと嬲るような一面を持つ女子に何人か心当たりがあり、また男を巧みに愛の糸で絡め取って食い物にしていく姿は、怪物的で、妖艶で、蜘蛛らしいのかもしれない。特に蜘蛛は出産の前にオスを栄養分として喰らう事も多い。それも含めて、男性が畏怖を込めて女性を蜘蛛として譬える事も多いのだろう。

 

 

「そこで、記者さんが示したのは西日本の山岳部で、えーと場所は……そうそう、ココだよ。キミが言っていた場所と同じだ。この辺りの伝承について調べてみたが、確かに蜘蛛に関するものが異常に多い。だが、やはりヤツメ様については何も分からなかった。以前に何処で聞きつけたのかヤツメ様を調べたいという学生がいて、ついでだからと雇ったのだが、金を貰うだけ貰って逃げられてしまったね。そのまま大学も『退学』してしまったよ。それっきりさ。お金を使い込むような子じゃないと思ったんだけど、やっぱり学生に万で渡しちゃ駄目だね」

 

 どうやらかなりの額を支払ったらしく、笹倉は大きな溜め息を吐く。人気も無く、出版物も売れない教授ともなれば、大学でも末席の扱いであり、お情けで置かれているようなものだろう。そんな人が搾り出した金を持ち逃げして退学とは、何とも酷い話だ。リズベットは教授を哀れみながら、ヤツメ様とは蜘蛛の神だという事が分かったのは収穫であり、同時に光輝が時々するあの恐ろしく冷たい眼を重ねる。

 あの子守唄に登場した、ヤツメ様という神と結ばれた狩人。そして、産まれた子どもという『鬼』。リズベットはピースを組み込んでいき、尋ねる。

 

「……蜘蛛の神の子孫、とかってあり得ると思いますか?」

 

「生物学的には蜘蛛が人を生むなんて無理だろうけど、伝説・伝承としては人以外が人の子を産む、あるいは『人の形をした子』を産むのは割とポピュラーな話だね。これは国内外で言える共通点だけど、神の子孫というのは1種のステータスだったんだよ。それだけで箔が付くんだ。ほら、王権神授説と似たようなものだよ」

 

 腕を組んで唸る笹倉は結論を出さない。いや、出せないのだろう。所詮は、ここまではリズベットの推論……いや、妄想だ。真実など欠片として無い。

 

「神と崇められるならば相応の伝承が残っているはずだ。それが全く出ないというのも解せないものだがね。そもそもヤツメ様とは信仰として実在しているかどうかも分からん。良し、私ももう少し調べてみよう。久々に学問の血が沸くぞぉ!」

 

「よろしくお願いします」

 

 その日、リズベットは教授に新しい情報があり次第に連絡してほしいと告げて別れた。

 ヤツメ様とは何なのか、少しだけ分かった気がする。だが、それは霞が『ある』と認識できただけの話だ。

 やはり、直接現地に赴くしかないのだろうか。リズベットは『嫁を連れてこい』という脅しが書かれた手紙を思い出し、頬を朱に染めた。




悲報、リズベットさん、絶対に踏み入ってはいけない領域に踏み込んだ模様(ただし、お嫁さん候補だから補正入るよ! やったね、獣の血に迎えられます!)

次回からまた仮想世界編に戻ってグリセルダ編となります。

それでは、187話でまた会いましょう。

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