やはり平日にゲームは駄目ですね。悔しいですが、次の土日まで我慢しようと思います。
……とでも、言うと思ったかい? この程度、範囲内だよぉ!
バケモノ過ぎる。ガタガタと、竜の神とDBO屈指の精鋭たちの激戦を見下ろせる、3メートルほどしかない小さな島で震えながら、RDはその常識外の戦いに慄いていた。
竜の神はRDもかつて出会った事が無い程に規格外のボスだ。それは単純な強さではなく、彼の臆病の根源である危機察知能力がけたたましくベルを鳴らし、RDに早急な避難を要求しているからである。
パワーとタフネスが備わった、VRゲームでも最大級となるだろう巨体を誇るボス。拳が直撃すれば即死。直線ブレスに呑まれればタルカスでもない限りほぼ即死、連続火球ブレスが直撃すればスタンして連続ヒットして死亡確定。尾の一撃を受ければ少し温情で半死。こんな狂ったボス性能を持つだけではなく、何よりもRDを震えさせるのは、その執念の帯びた殺意の意思だ。
殺す。1人でも多く殺す。強いも弱いも関係ない。あのボスを動かすのは、自らの誇りを傷つけた償いをさせるという狂える怒りだ。故に、RDには簡単に想像ができた。時間が来て、終わりつつある街への道が開かれれば、竜の神は眼前の戦うプレイヤーをそっちのけにして終わりつつある街を襲撃し、殺しの限りを尽くすだろう。アレはそういう存在なのだ。
だが、そんな竜の神と拮抗するどころか、互角以上に亘り合う上位プレイヤー達の何たる強さか。これだけの激戦であるにも関わらず、1人として欠ける事無く、むしろ竜の神を確実に弱体化へと追い込んでいる。
今や竜の神のHPは5割にまで減り、右手と尾を失った事による攻撃力と機動力の低下がチャンスを作り、また結晶の再生が失われた事により、よりダメージが与えられる鱗の下の結晶の肉を攻撃する事ができている。
時間制限さえ無ければ、いずれ勝利するのはプレイヤー側だろう。だが、時間はギリギリ間に合うか否かだ。未だに残るオートヒーリング効果は、少しでもプレイヤー側が攻撃を疎かにすれば、その分だけ回復されてタイムリミットを相対的に縮めてしまう。
何よりもオートヒーリングに抗う為に手札を切り過ぎた。それが戦闘を視野に収められる位置にて隠れるRDには如実に見える。
たとえば、ミスティアやグローリーは奇跡が打ち止めだ。雷属性という弱点を突いて火力を稼いでいたが、2人ともエンチャントするだけの魔力が残されていない。
メイドはグレネードが尽き、スミスは雀の涙にもならない片手剣、シノンは片腕で短剣だ。ラジードも尾を切断するのに一躍買ったEXソードスキルの反動か、攻めが鈍い。頼みの綱のユージーンはスタミナ回復の為に一時離脱している。
一見すれば、タンクとしての防御力を捨てたタルカスは愚行に映るが、それは攻撃力の減衰が加速度的に進む味方陣営をブーストする役目を果たしている。
現在、アタッカーとして十分に機能しているのは、サンライス、タルカス、アーロン騎士装備、そしてUNKNOWN、の4人だけ……のはずである。
だが、それも長くは続かない。全員が激しく動き過ぎ、またソードスキルを休み休みとはいえ、ハイペースに使い過ぎている。RDの見立てでは、せいぜいスタミナが危険域で無いのは、ほとんどソードスキルを使っていないアーロン騎士装備くらいだろう。UNKNOWNも休んだとはいえ、スタミナの完全回復を待って戦線復帰したわけではないはずだ。
「勝てっこないッスよ……こんなの、無理に決まってるッスよぉおお」
頭を抱え、RDは今回の依頼をどうして引き受けてしまったのかと我が身を呪う。
勝ち馬に乗る。怖いヤツの陣営にいれば、負ける事も死ぬことも無い。その確率を最大限に下げられる。だからこそ、セサルから依頼を受けた時には思わずガッツポーズした。仕事は彼が命じる『その時』が来たら彼を運ぶ事。何も知ろうとせず、目と耳を塞ぎ、RDは美人のメイドが運んでくる美味しい料理を楽しむだけで済む依頼と言う名の悠々自適にダラダラと過ごす日々を満喫していた。
なのに、一瞬でひっくり返った。セサルに『頼むよ、RD君』と有無を言わさぬ追加料金を笑顔で握らされ、こんなバケモノが3つもいる戦場に送り込まれた。
当然ながら、ランク42の運び屋専門たるRDは、あの超人揃いの戦場で活躍できる道理はない、という自評の下で即座に退避を決行した。できれば外に出たいが、ボス戦の空間はともかく、外はソウルが無ければ即座にスリップダメージを受けてしまうので、1人だけ脱走する事も出来ない。彼に出来る事があるとするならば、時々こっそりと下まで降りて奇跡の中回復で細やかな手助けをする事くらいだ。それでも彼からすれば精神力の全てを振り絞った最大限の援護である。
「ひぃいいいい! そ、それに、なんか『地下』のバケモノがどんどん大きく強くなってるし、こんなのどうしろって言うんッスか!?」
竜の神が結晶再生を失った頃から、竜の神と上位プレイヤー達が戦う下のまた下、地面の下で蠢く2つのバケモノの気配。その内の1つが大きく膨れ上がっていた。
もしも、もしも竜の神を倒したとしても、疲弊しきったプレイヤー達を地下にいるバケモノが襲ったならば、全滅は必定だ。生き残れる道理などあるはずがない。
情けない。たとえランク42でも、上位プレイヤー級の実力はあるだろうRDが加われば、竜の神を倒す一助になるはずだ。だが、自分の命が最優先であるRDは、何よりも恐怖に呑まれてしまっている彼では、同じ戦場に立って勇敢に戦うなど無理だった。
嗤いたければ嗤えば良い。RDは涙目になりながら、得物である竿状武器……【ゲルムのハルバート】を握りしめる。ハルバートと言えば≪槍≫と≪戦斧≫の複合なのであるが、この武器はハルバートという名のはずなのに、刃がほぼ潰れてしまっているせいか、≪槍≫と≪戦槌≫のカテゴリーを持つ、RDが長年連れ添ったルツェルンの後継である。
(俺に……俺に皆みたいな強さがあれば……!)
思い出したのは、クリスマスの夜に召喚された時に、RDを傭兵として認めてくれた、自分よりも1つだけ上の、実質最下位なんて嘲笑を浴びる白の傭兵。
以前に1度だけ訊いた事がある。ランク41は屈辱ではないのか、と。
『オレにだってプライドくらいあるさ。だけどな、ランク41も考え方次第じゃ悪い物じゃない。1人上を減らせば40に、2人減らせば39、3人減らせば38だ。倒し続けた分だけランクが上がるからな』
仕事終わりに屋台で串焼きを奢ってくれたクゥリは、RDにそう答えた。
実際はそんな簡単な話ではないのだろう。戦死したとしても、即座に繰り上げなんてあるはずが無い。だが、お陰で彼の殺害リストの中から除外されているらしいRDは、自分の幸運を噛み締めた。
『それに、ランクが高かろうと低かろうと、本当に強いヤツは最後まで生き残る。だからRD、オマエはオレの敵になるなよ? 「機動力を削ぐ」は戦略・戦術問わずに基本中の基本だからな。真っ先にオマエを殺す。ぶち殺す。首をブチっと千切ってやるよ』
静かに笑って、そう宣言するクゥリに、RDは背筋を冷たくした。蜘蛛のように殺す事に何ら躊躇いの無い眼だった。たとえ傭兵同士でも、語らい合った知人を容赦なく殺せると宣言するなど、普通の精神ではない。だが、RDにはその強さが酷く羨ましく思えた。
その後、彼は通りすがりのプレイヤー達に『見ろよ、女装趣味の変態だ』と嗤われ、その全員を『お仕置き』した。後に『壺裸体の怪』と言われる、頭を壺の中に突っ込まれて全身を裸にされたプレイヤー達が黒鉄宮跡地で精神崩壊した状態で発見されるという謎の事件の『始まり』である。現在、『謎の襲撃』によって一時休刊していた隔週サインズが絶賛真相を追っているが、その果てには自業自得の末路しかないだろうと真実を知るRDは確信している。
「俺は……俺は……どうすれば良いんッスか……姐さん!」
瞼を閉ざし、RDはこの悪夢がさっさと終われば良いと望む。もういっそ終わりつつある街が破滅するという最悪な形でも、このバケモノ達のパーティが終わって欲しいと望む。
その時、彼の感じていた恐怖が1つが変化した。
依然として恐ろしい。いや、むしろ巨大になった地下で蠢く恐ろしいものに対抗するように、もう1つの恐ろしいものも膨れ上がった。
なのに、変な話だが、RDが思い出したのは、小さい頃に遠足で出かけた青々とした木の葉が茂る木々が並ぶ山の中、森の奥で迷子になった時の記憶だった。虐められっ子だった彼は班の人たちに置き去りにされ、挙句に道を間違えて森の中で迷っていた。
危険な野獣がいたわけでもない。熊も猪も猿も出ない。ならば、RDを怯えさせたのは山そのものだった。
これは、そんな恐怖だ。ただ存在しているだけの恐怖。染み込むのではなく、包み込まれるような恐怖だ。
「はは……こんな才能、要らなかった、のに……」
小さい頃から怯えてばかりだった。こんな卑屈な性格になったのも、この異常なまでの危機察知能力のせいだ。デスゲームと化した仮想世界で生き抜くのには重宝したが、それでも疎ましく思わない日は無い。
それでも、とRDは唇を真一文字にして、地下から溢れる恐怖に後押しされる。
森で迷子になった時、RDは泣かなかった。確かに恐ろしかったが、それ以上の何かを感じたのだ。
「俺は……俺は……」
最後の1歩を踏み出せずにいるRDは、自分を慰めるように包み込む恐怖の中で、緩やかに成熟する。
△ △ △
シャルルの全てが見える。
教えてくれる。本能が……ヤツメ様が示してくれる。
胸に突き刺さった槍を抜いて捨てた、シャルルの特大剣の突き。両手で握った炎の刃はオレに向かって突進突きとなり、このデータの体を貫き、衝撃と炎で霧散させようとする。
ヤツメ様が跳ぶ。オレはそれに続く。ふわり、と体が羽のように浮いて、シャルルの突きを躱し、爪先で特大剣の刀身……その腹にのる。接触は一瞬、熱によるダメージが僅かにHPを減らすも、今は何も考えない。そのまま右手のカタナを振るいながらシャルルを跳び越える。カタナの刃はシャルルの肩を深く裂き、着地と同時に左手で背負う両手剣を抜いて反転するシャルルの反対側へと回る様に1歩進んでその腹を薙ぐ。
特大剣で不利と見るや否や、シャルルが呼び寄せたのは2本の槍。赤紫のエンチャントが施された、ガードを許さぬ炎の槍だ。
1本目が投擲される。紙一重で躱そうとするが、ヤツメ様がオレを引っ張った。体は大きく槍から離れ、突き刺さった床から引き起こされた赤紫のライトエフェクトを帯びた爆発から逃がす。続く2本目の槍はシャルル自身の突撃からの連撃。
見えたのはNだった。ヤツメ様がNの仮面を被り、その白い指を振るう。その先に移動すれば、オレは槍に触れずに、右に、左に、右に、右に、左に、ふらりふらりと揺れて槍の連撃を避けて、歩くようにシャルルに近寄れる。
オレは左手の両手剣と右手のカタナを交差させるように、槍を潜り抜けた先で、後退しようとするシャルルの胸を薙ぐ。そして、そこから右手のカタナで連続突きを放つ。それは数発命中して逃れられるが、それを追う踏み込みの1歩、更に1歩、もう1歩が続く。
左右から挟み撃ちするように斧が飛ぶ。自在に武具を操れるシャルルは、次々と炎で構成されたそれらを飛来させる。
右肩を下げる。頭は左に傾ける。体はメトロノームのように揺らす。動かぬ左足首をカバーする為に、右足首を回転させ、ほぼ片足でターンし続け、全方位から迫る武具を躱し続ける。その中で放たれる長剣を持ったシャルルの突進斬りに対し、オレは右から左に流れる斬撃に対してスプリットターンを発動させる。
炎の刃が追い風を成しているように、オレは届かぬシャルルの剣を目にしながら彼の背後を取り、カタナを突き刺す。刺す場所は人体急所の1つである腎臓、そこから肝臓に向けてまで斬り上げる。とはいえ、DBOで人型の急所として設定されているのは、頭部・首・心臓だけなので臓器の位置はダメージに関係ないだろう。
上空から炎の矢が降り注ぐ。追尾性が備わったそれを、オレはカタナを鞘に収めてバックステップを踏みながら避け続け、回り込んだシャルルが何処の位置で、いかなるタイミングで斬られるかをヤツメ様にこっそり耳打ちしてもらう。
斬られる瞬間に高く跳ぶ。追尾する炎の矢が雨のように煌めいて、体を反らすオレを貫こうとしていた。だけど、シャルルの頭上だけはまるで傘が差されているかのように矢が降らない。
ああ、そうか。知らなかった。シャルルの炎の矢は、彼の頭上だけが絶対的な安全地帯。追尾が続かぬ場所なのだ。頭上のオレを迎撃しようとするシャルルの剣を両手剣を振るって火花を散らす。パワー負けしたオレが吹き飛ばされるも、体を1回転させて衝撃を殺して壁に着地し、そのままランスへと切り替えたシャルルへと跳ぶ。
迎え撃つシャルルはランスをオレの軌道に合わせて修正し、オレを正確に貫こうとする。完全に見切られている。
両手剣を盾にする? いや、≪剛覇剣≫を発動させているランスにガードは通じない。どうすれば良い?
そこにマシロが何かを咥えてオレの視界で尻尾を振っていた。ああ、そうか。『その手』があったか。オレはシステムウインドウを操作し、『それ』を実体化させる。
777の遺品であるマジシャン・ボール。オレのSTRでは使えないそれを『装備』するのではなく、『実体化』させる。ザクロがユージーン達の目を欺いた策だ。
攻撃力を発揮しないオブジェクトに過ぎずとも、その重量は確かにあり、何よりも装備せずともつかめる。
重みがオレの軌道を下げ、ランスの直撃距離の前に着地させる。そのタイミングでマジシャン・ボールを捨て、迎撃するつもりだったシャルルの眼前で、絶好のタイミングを与える。
抜刀。左手の両手剣の突きで、瞬間的に位置調整をしようとするシャルルのランスの先端を弾いて道を作り、痛みが脳髄を貫く中で深く踏み込んでシャルルの腹を両断できる程に深く薙ぐ。
『それが……貴様の本気か、傭兵!』
嬉しそうに、火の粉が混じった赤黒い光を口内から散らしながら、炎の噴出で勢いよく退いたシャルルが右手に長剣を、左手に大盾を握る。まるで≪神聖剣≫のヒースクリフのようだ。
『血沸き肉躍る! ああ、懐かしき、不死の呪いに抗う旅路のようだ! 友よ、どうしてだ!? 何故教えてくれなかった!? 我が友、オルウェンよ! 白竜の信徒であるお前は全てを知っていながら、何故!?』
シャルルの2本目のHPバーは残り7割だ。まだまだ程遠いかな。でも、殺しきれる。
もうすぐシャルルと踊るのも終わりだ。ヤツメ様が笑い、嗤い、笑い、嗤い、オレの周りでくるくる回っている。早く殺そう、殺そう、殺そう、あの首を落とし、血を啜り、肉を糧にして更なる力を得ようとオレに囁いている。
駄目だよ、ヤツメ様。シャルルの話を聞いてあげないと。彼の絶望をオレは知らないといけない。そうしないと、彼は安らかに眠れない。
『火継ぎの為には大いなるソウルが必要だった! 世界に再び光を、熱を、呪いを消し去る程のソウルが! 白竜がその為に準備したのが竜の神! かつて古き竜たちを統べた王! その亡骸の残骸のまた残骸! それを心臓にして結晶で血肉を作り、竜達に世界中のソウルを啜らせ、それを集積した紛い物の神! 竜の神というデーモン! 太陽と光の女王の名の下に、悪しき竜を討つ任を我に授けた火守女すらもが、我を薪にする為の詐欺師だったと言うのか!』
ドロドロとしたマグマのような炎の涙。それがシャルルの暗い穴の双眸から零れる。
『我は……友を斬れなかった。斬れなかったのだ! 我を薪にしようとした、愛する友たちを殺せなかった! 怒りのままに! 憎しみのままに! 我が故郷を焼いた竜達が、我が妻を燃やし、子を貪り、騎士として守ると誓った民たちを踏み潰した竜達が、彼らの策謀のままに数多の国を焼いたと知っても尚、斬れなかったのだ!』
「だから……自分を、心を、魂を割いたのか」
『裏切りの果てに闇の王を目指す。我には出来なかった。愛していたのだ。この世界を、国を、故郷を、友を愛していたのだ!』
溢れるのは、シャルルの怒りだ。友にぶつけられなかった殺意だ。
『故に我に出来たのは、2度と竜の神が目覚めぬように、ヤツより得て我が肉となったソウルを封じる事だった。それが……そんな些細な事が、火継ぎもせず、闇の王にもならなかった、半端者の我にできた友たちへの復讐だったのだ』
そうだ。それで良いんだ。オレは微笑み、受け止める。彼の愛する者たちに向けるはずだった憎悪の全てを咀嚼する。
「おいで、シャルル」
両腕を広げ、オレはシャルルを迎える。
「怒りも、憎しみも、悲しみも、食べてあげる」
シャルルが大盾で身を隠しながら、≪剛覇剣≫を発動させ、炎の剣以上に赤紫のライトエフェクトを拡大させる。それ自体が刃として機能しているのだろう。
でも、それは嘘。それは本当の殺意じゃない。オレはヤツメ様に誘われて真上に跳ぶ。すると、足下から生えた無数の炎の刃が危うくオレを串刺しにしようとする。シャルルに気を取られ、オレの意識は足下の赤熱を見逃していたけど、ヤツメ様はちゃんと見ていた。
次々と炎の刃が地面から伸びる。まるで森のようだ。その中をマシロが跳んで駆けていく。触れれば炎のダメージが通るけど、それらは剛覇剣を纏っていない。だったら、オレは両手剣でひたすら炎の枝と幹を叩き、その反動を利用して『飛ぶ』。炎の森を越えるまでの数秒。その間にオレは『決め手』を準備する。
炎の森を通り抜けた先で、最大限に赤紫のライトエフェクトを圧縮させたシャルルが待っていた。その全身を隠す盾を超える攻撃は不可能。回り込むのは絶望的。ならば、正面からあの攻撃を躱すしかないが、恐らく眼前の全空間を攻撃するタイプのものだろう。紙一重も許されない。
「うん、大丈夫」
完全に圧縮させた赤紫のライトエフェクトを爆発させるように、シャルルが剣を振り上げる。その瞬間だけ、彼の体が盾より露わになる。
そこに飛来するのは、オレが投げた灰被りの大剣。だが、1度オレの投擲攻撃を受けているシャルルに同じ手は通じない。だから、彼は横に、まるで最初からそこに無い蜃気楼のように横にスライドして必殺の投擲を弾く。
だけど、その1テンポ。それが欲しかった。オレはカタナを鞘に収め、炎の森を越える中で『再装備』した死神の槍と共に駆ける。
1度目はシャルルに『意識させる』為に。2度目は『躱させる』為に。3度目は『確かめる』為に。
磔刑は突き刺した場所から発動する、スタミナではなく魔力を消費する能力だ。3回使えるかどうかは不明だったが、オレのHPバーの下には魔力が危険域にある事を示すアイコンは表示されていない。
一般的にスタミナは3割を切るとアイコンが表示される。だから、魔力も3割以下になると表示されるというのがDBOにおける常識だ。
短いインターバルを挟んだとはいえ、ほぼ3回の連続使用で危険域のアイコンは表示されなかった。つまり、1回の磔刑で使用する魔力は最高でもオレの魔力総量7割の3分割、約23パーセント。
だから、絶対に使える。1回だけならば、必ず使える。
シャルルはきっと止まらない。相討ち覚悟のはずだ。槍を突き刺したとしても、彼は剣を振り抜くだろう。ならば、オレも刺し貫くだけだ。
床を蹴る。オレは剣を振り上げるシャルルへと、体を床に対して水平にして『足』から突撃する。
「【磔刑】」
そして、オレはシャルルの胸に『シャルルに突き刺した状態』で磔刑を発動させる。
『ぐごぉおおおおおおおおおおお!?』
シャルルの全身から赤黒い光の槍が突き出す。本来は1本でも大ダメージを与える磔刑。それがシャルルの全身から突き出したのだ。それは2本目どころか、最後の3本目まで一気にダメージを届かせるには十分過ぎる火力を秘めていた。そして、腹、胸、腕、脚、あらゆる場所から槍が突き出せば、シャルルが剣を振るい抜ける道理は無い。
3回目で『確かめた』。磔刑に必要なのは、発生対象を突き刺し、腕と手首の回転こそ発動モーションだ。だから、それを再現すれば、相手を突き刺した状態で発動させられる。もちろん、本来は地面に突き刺す事を前提としたモーションだ。それを仮想世界とはいえ重力のある空間で再現する為には、繊細な体幹の調整と腕と手首のコントロールが必要だった。
だけど、オレにはできるんだ。STRを大出力にする事で、強引に体を安定させられる。だから、その一瞬を作ることができた。
足から跳び込んだのだ。隙だらけだったはずだ。簡単に斬れたはずだ。でも、彼はできなかった。何故ならば、『絶対的に信じた力』がその手にあったから。後は振るい抜くだけだったから。
過ぎた力の弱点。それは頼り過ぎる事だ。シャルルに振るい飛ばされて死神の槍を手放す。魔力が危険域のアイコンは表示されている。連続使用で4回。うん、憶えた。
『最初から……これを……狙って、いた……のか!?』
「そうだよ」
微笑み、オレは両手を後ろで組んで頷く。もう右足は長くない。痛みが過ぎて、それはただの熱となって脳を蕩けさせている。
火を灯した赤黒い光を全身から流し、シャルルが笑う。楽しそうに、全ての『痛み』を戦いの中にようやく置き去りにすることができたと叫ぶように。
『見事なり! だが、傭兵……いや、聖女よ! 白き神子よ! 我が首を奪うには、まだ足りぬ! まだ足りぬぞ! 貴様が戦いの先を求めるならば、我が悪夢を終わらせてみせよ!』
もう大丈夫だね?
もう、苦しくないね?
だったら、踊り疲れたあなたを眠らせよう。
残る武器は限られている。カタナを抜き、オレは最後のHPバー、残り7割ほどを残すシャルルに切っ先を向ける。
更にシャルルに炎のオーラが集まっている。散開していた全ての武具が炎となってシャルルに集まり、彼の身を覆う。
それは鎧だ。これまでの死に装束とは違う。炎で構成されたシャルルの鎧だ。その手に持つのは、これまでにない程に苛烈な炎が圧縮された剣と暴風のように纏わりつく赤紫の≪剛覇剣≫の輝き。
熟した果実は何よりも甘いと、ヤツメ様が歓喜する。ようやく食事の時間だと鼻歌を漏らす。
「恐れよ。怖れよ。畏れよ。ヤツメ様がやって来る。愚かな烏の狩人はヤツメ様に弓を引く。
射た矢はヤツメ様を貫いた。その首落とせ。その首落とせ。落とせ落とせ落とせ。
されども、狩人はヤツメ様に恋焦がれ、猫を仲人に『めおと』になる。
ヤツメ様は人と交わり、子を孕み、鬼が生まれた。
鬼は母に背いて山を下り、母を奉じて、母に仇を成す。
我らは狩人。狩り、奪い、喰らう者。
ヤツメ様は見ているぞ。今も我らを見ているぞ。人の肝に飢えている。血を飲まねばと渇いている」
歌うのはヤツメ様の子守唄。
シャルル、あなたに捧げる子守唄だ。
その全身から、シャルルから高熱が放たれる。ジリジリと、オレの限り少ないHPが削られる。シャルルの最後の能力であるスリップダメージの発動だろう。シャドウイーターと同じだ。だけど、それ以上に息苦しさがオレとヤツメ様に死を感じさせる。
HPの減る速度から、ここからシャルルの攻撃を1つと掠らずとも100秒あるか無いかといったところか。それがオレの限界なのだろう。
「ここまで、ありがとう」
このシャルルの森で喰らった『命』を感じる。
活かしきる。彼らを無駄になどしない。
「行くよ、ヤツメ様」
3本目のHPバーに至る事。そこまでを念頭に、ここまで戦ってきた。
オレが使用したソードスキルは燃費が良い≪歩法≫のみ。シャルルという強力な存在を相手に、大ダメージを狙えるソードスキルをたとえ博打でも使わなかった理由はただ1つ。この最後のHPバーに全てを注ぎ込む為だ。
待ってろ、相棒。『いつも通り』だ。
ヤツメ様はすでに『ここ』にいる。
だから、できるはずだ。
「最後の1曲だから大事に踊ろう、シャルル」
対【黒の剣士】想定OSS……八ツ目神楽、発動。
この為だけにスタミナを温存し続けた。
シャルルが突進斬りを放つより先に、オレは彼を神楽で包み込む。
ここからは、スタミナが切れようとも『1』が回復した瞬間からスキルコネクトで繋ぎ続けるだけだ。
だが、恐ろしきはシャルル。八ツ目神楽を全てと言わずとも、急所に届くものは等しく剣で弾き続ける。剛覇剣の衝撃がオレを揺るがし、スキルコネクトの繊細な繋ぎ目が乱れそうになる。
針の穴から針の穴へ、ひたすらに糸を通し続ける神楽。
カタナから迸る真紅と炎の剣に纏う赤紫。そのどちらが潰えた時、どちらかの死が訪れる。
△ △ △
時計の針が11時を通り過ぎ、間もなく12時に到達する。
なのに、殺しきれない。倒しきれない。竜の神は……その牙を、腕を、全てを使い、抗い続ける。
何たる執念。何たる殺意。何たる矜持。
感嘆する他に無い。シノンは、竜の神が残りHPが3割を切ってもなお、右手を失い、尾を失い、全身の鱗という鱗を剥がされ、結晶と火が混じった体液を撒き散らしてもなお、揺るがぬ闘志を示す事に恐怖以上の尊敬の念を抱く。
たとえ、殺意の方向が終わりつつある街に向いているとしても、ここまで全身全霊を以って戦える存在に対して、悪感情だけを抱けというのはシノンには無理だった。
「もう数分と時間が無いわよ。どうするの?」
『……首の裏の弱点に、≪集気法≫で攻撃力強化のバフをした上で、俺が今できる≪二刀流≫最大のソードスキルを当てる。それしか方法は無い』
竜の神は明らかに弱まっている。結晶の再生が無くなり、ダメージが一気に加速した事により、その全身は抉られ続けてボロボロだ。
だが、こちらの陣営も限界だ。サンライスは既にソードスキルを使えるだけのスタミナが無く、アーロン騎士装備のカタナは無理を重ね過ぎて片方は完全に刃毀れし、片方は半ばから折れている。タルカスもペースダウンした面々を補うべくソードスキルを連発してスタミナ切れになって離脱してしまっている。援護射撃を続けていたメイドも弾切れらしく、困った顔で鈍器と化したガトリングガンを握っていた。
シノンと並び立つUNKNOWNも、分厚い重量型は刃毀れ程度で済んでいるが、もう片方の軽量寄りは亀裂が入り、いつ砕け散ってもおかしくない状態だ。むしろ、よくここまで≪二刀流≫に耐えられたものだと、この剣を鍛えた鍛冶屋を褒めたくなる。
対して、シノンは隻腕で今にも折れそうな短剣1本だ。先程からアイテムストレージの容量を喰っている『アレ』が使えれば火力を増やす足しになるのだが、装備条件の要求STRが絶対的に不足しているだろう事は目に見えている以上、宝の持ち腐れである。
「ここまで欠損を増やしてもオートヒーリングによる回復の方が上回っているか」
復帰したユージーンも決してスタミナが完全回復したわけではない。あの竜の神に特効効果をもたらしていた赤紫のエンチャントを発動していない所を見ると、どうやら連用できる類では無いようだ。
『まだだ。まだ、終わってない』
UNKNOWNが1歩前に出る。竜の神が……自分に膝をつかせた怨敵を睨み、息絶え絶えの姿で折れた牙が並ぶ口を大きく開き、舌を震わせて咆える。
両手の剣を振るい、UNKNOWNが最後の切り札を……魔力のスタミナ変換を発動させる。緑の光に溢れたUNKNOWNが、刃毀れした剣を竜の神へと向けた。
『あの街には守らないといけない人たちがいる。俺が【聖域の英雄】である限り、彼らに手出しはさせない』
……そんな宣言をされたならば、最後まで足掻くしかないではないか。シノンは仮面の傭兵の背中に眼を細め、小さく口元を綻ばせる。
そして、終わりつつある街の破滅を巡る、竜の神との最後の決戦が始まる。
次回、長かったボス戦も決着です。
それでは、182話でまた会いましょう。