SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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お、おかしいですね。
さすがにクリスマスエピソード程に話数はかからないだろうと思っていた本エピソード。蓋を開けてみれば、あっさり更新しそうです。

……筆者の話数管理の甘い推測は今に始まったことではないので、スッパリと諦めることにしましょう。


Episode15-20 誇りにかけて

「た、すかった……のね」

 

 目の前で靡く赤いふんどしから目を背けながら、シノンは長い吐息を漏らして脱力する。

 フレイディアの巣を出たところから、執拗に襲い掛かって来た3体の見た事のないモンスター……ヤツメ曰くレギオン・シュヴァリエの猛攻によって、シノンは絶体絶命の危機に陥っていた。それでも生存できたのは、UNKNOWNが類稀なるバトルセンスの持ち主であり、シノンを出口まで守り切ってくれたからだ。だが、2人の予想が甘かったのは、結晶街を出た後もレギオン・シュヴァリエが追跡を止めなかった事だろう。

 大抵のモンスターは追跡範囲が厳格に定められており、ダンジョンに生息するモンスターは基本的にダンジョン外に出てこない。だが、レギオン・シュヴァリエはそんなルールに縛られない、あるいは最初から存在していないかのように彼女達を追い続けた。

 ジャングルという遮蔽物が多い空間だったからこそ、結晶弾の命中率は悪かったが、それでも3体のいずれもネームドではない事が信じられない程の強さを誇っていた。シノンが万全でも、UNKNOWNの両腕が健在でも、決して楽には斃せない相手だ。

 シノンは鈍足呪い、UNKNOWNはスタミナの自動回復が止まっているので、時々足を止めて無理にでもレギオン・シュヴァリエの攻撃に対してリカバリーブロッキングを決めねばならない状態だった。あのまま逃走が継続できるはずも無く、あと数十秒もあればレギオン・シュヴァリエは2人を屠殺していただろう。

 運命の分岐点となったのは、ジャングルに響いた大声だった。シノン達は耳敏くそれを捉え、最後の希望をかけて声の方向へと駆けたのだ。それがまさか、スミスとグローリーとは思いもしなかった。

 

『すまない。俺の力が足りないばかりに……』

 

「謝らないで。こうなったのは私の責任でもあるわ」

 

 左目と右脛に止血包帯が巻かれ、シノンはすっかり重傷者にしか見えない姿になって自嘲する。ただでさせ鈍足呪いがかかっているのに足を負傷し、なおかつ左目を潰された事によって視界まで制限されてしまった。

 これではまともに戦えない。完全にお荷物だ。そこまで考えて、シノンはふとクゥリの事を思い出す。すでに数カ月間も片目の状態で傭兵業を続ける彼は、こんなにも不足した視界でよくぞ戦い続けられるものだ、と恐ろしくなる。

 有効視界距離が縮んで、今まで鮮明に見えていた遠方が霞んでいる。それだけではない。単純に左目が確保している視界を失った事によって近距離戦でも死角が大幅に増えているのだ。これでは、とてもではないが戦闘などできるとは思えない。

 

「あなたもボロボロね。お互い手酷くやられて、でも、しっかり生き延びられた。それを喜びましょう」

 

『そう言ってもらえると楽になる。大層な事を言ってたけど、俺も限界だよ』

 

 くたびれた様子でUNKNOWNはその場に座り込む。思えば、シノンもUNKNOWNもまともに食事を取っておらず、水分補給すらもままならない状態なのだ。精神面はすっかり疲弊している。よくぞこんな状態で2回変化のフレイディアと謎のネームド、そしてレギオン・シュヴァリエ3体と続けて戦って命が残っているものだ、とシノンは我ながら大した生存力だと感心する。

 

「どうして、生きてるのかしらね」

 

 本当ならば、シノンはあの場で死ぬはずだった。

 ヤツメと名乗る少女。ネームドによって、想像する限りでも惨たらしく殺されていたはずだ。UNKNOWNも窮地に追いやられていた。なのに、2人とも見逃された。それはきっとUNKNOWNとシノンがヤツメへと突き付けた言葉が理由だと何となくは分かっているのだが、余りにも常軌を逸した存在から生を許された事自体に不安を感じずにはいられない。

 それでも、素直に生きられて嬉しいと思ってしまう。不思議な事に、そこに情けなさなどは感じない。絶対的な捕食者から逃れられた餌とは……鷹の爪から逃れたウサギとはこんな気持ちなのだろう、とシノンは漠然と受け入れる。

 もちろん、この感情をこのまま胸に据え置くべきではない。いずれは戦意として転じさせるべく消化せねばならないだろう。だが、それは今すべき事ではない。それができるだけの余裕が、今のシノンには残されていない。

 

『……分からない。でも、シノンが言った通り、彼女の願いがオレに殺される事だったなら――』

 

 仮面の向こうで滲む後悔にシノンは露骨に舌打ちする。それはもちろんUNKNOWNに聞かせる為に鳴らしたものだ。

 

「自分が残って戦っていればこんな危険な橋を渡らずに済んだ、とでも言いたいの?」

 

『…………』

 

「ごめんなさい。言い過ぎたわ。足手纏いでお荷物なのは私の方なのに」

 

 今はこれ以上の言葉を重ねても何の益も無い。だからこそ、シノンもUNKNOWNも黙り、少しでも精神を回復させる事へと専念する。

 

「それで、グローリーくん。これはどういう事かな?」

 

 そして、シノン達が一休みしている間に、スミス側には一悶着……と言うべきかは分からないが、すこぶる平和的なトラブルが生じているようだった。

 

「決まっているでしょう? アーマー☆テイクオフですよ!」

 

 自信満々に、訪れた夜の闇の中でも目立つ赤いふんどしを印象付けるグローリーは、白い歯を輝かせながらグーサインをする。

 

「ふむ。続けろ。ただし言葉は選びたまえ」

 

 淡々としたいつもと同じ調子の声音とは裏腹に、弾詰めを恐ろしいスピードで進めるスミスに、シノンは薄ら寒いものを覚える。

 

「私はね、ずっと前から考えていたんですよ。騎士とは鎧を身に纏った戦士。ですが、真の騎士、真のヒーローに必要なのは……そう、フォルム・チェンジです!」

 

「続けろ」

 

 弾詰めスピードが1.2倍速になる。視覚的に言えば2倍速になったようなものである。

 

「やはり、フォルム・チェンジにスピードモードは必要不可欠! それを実現する為に、専属鍛冶屋と調整に調整を重ねた結果、鎧に分解機構を組み込む事に成功したのです!」

 

「良いだろう。100歩譲ってその言い分を認めよう。それで、奴らを殲滅できる実力がありながら、何故それを隠した?」

 

 弾詰めが終了する。スミスはライフルのグリップを握りしめ、小さく、だが濃く呼吸をする。

 

「決まっているでしょう! ピンチにしてこそフォルム・チェンジには価値があるんですよ!」

 

「……もう良い。さっさと鎧を戻したまえ。ふんどし1枚など見るに堪えん」

 

 全てを諦めきった表情をしたスミスに、キョトンとグローリーは『この人は何を馬鹿な事を言ってるんだろう?』と呟くように首を傾げる。

 

「無理ですよ。分解機構ですからね。結合機能はありません」

 

「は?」

 

 今度こそ、スミスの顔から1度表情と感情が完全に抜け落ちる。それは色物の洗濯に誤って洗剤ではなく漂白剤を使ってしまったかのような、全てが真っ白になっていく様そのものだった。

 

「やれやれ、スミスは『馬鹿』ですねぇ。切り札というのはリスクが伴ってこそ価値があるんですよ。アーマー☆テイクオフは全ての防御力を捨てて機動力を得るフォルム・チェンジです! 簡単に戻せたら意味が無いでしょう」

 

 堂々と胸を張って宣言するグローリーを前にして、何かが千切れる音がした。それは仮想世界の過剰表現ではなく、幻聴の類だとは思うが、この場にいるグローリー以外の全員が耳にしただろう事をシノンは確信する。

 無言で、だがスミスは何ら迷うことなく銃口をついにグローリーの眉間へと向ける。

 

「おじさん、堪えて! 堪えてぇえええええええ! 冷静になって!」

 

「私は努めて冷静だ。冷静に、理性的に、この男には1発くらいならば撃ち込んでも良いと判断している」

 

「それは冷静って言わないよ!」

 

 黒紫の少女が縋りついて必死に待ったをかけているお陰か、それとも傭兵として依頼主に危害を加えられないという最後の一線のお陰か、後はトリガーを引くだけなのだが、プルプルと指が震えてスミスは我慢を達成し、深呼吸と共に銃口を下ろす。それをグローリーは『ああ、きっと疲れておかしくなってしまったのだろう。可哀想に』と内心で哀れんでいるのが分かる顔をし、にっこりと笑って労うようにスミスの肩を叩いた。

 

「心配してくれてありがとう! ですが、私は見て通り無傷です! スミスが心配することなど何1つありませんよ!」

 

 ……今後何があろうともグローリーとだけは協働依頼をしないようにしよう。シノンは固く決心する。彼の強さは本物であると聞いてはいたし、実際に見たのは初めてだったがレギオン・シュヴァリエを圧倒し、他の召喚されたレギオン系列だろうモンスターも一方的に撃破した実力は間違いなく傭兵最強格だ。だが、それを抜きにしても、彼と組んでトリガーを引かないだけの忍耐力が自分に備わっているようには思えなかった。

 

「さて、それでは目下の問題の処理に移ろう」

 

 そう言って、スミスは苛立ちを込めて、先程までにグローリーへと向けていた銃口を今度はシノンへと定める。

 その行為をすんなりと受け止めた様子だったのは、黒紫の少女のみ。シノンも、グローリーも、UNKNOWNも一瞬何故にスミスが彼女へと武器を向けたのか理解できなかった。

 だが、シノンは1秒ほどでスミスの思考が何処に至ったのかを把握する。

 自分たちは傭兵であり、現状でも互いの勢力を削り合う敵同士なのだ。見たところ、グローリーとスミスは組んでいると見て間違いないだろう。少女は傭兵ではないようだが、共闘していたところを見るに同じ陣営……恐らくは聖剣騎士団から派遣された戦力の1人だろうとシノンは予想する。

 そして、グローリーがわざわざ彼女達を守った為に錯覚してしまったが、スミスにはシノン達を無条件で生かすメリットなど何処にも無いのだ。あえて、即座にシノン達へと敵意を見せなかったのは、すっかり疲弊した彼女達などいつでも始末できると判断したからだろう。事実として、シノンもUNKNOWNも完全に気が抜けていた

 

「スミス!? 何をしているんですか!?」

 

 そして、グローリーが展開に誰よりも追いついていないのは、もはや当然と割り切る他ない。氷のように冷たい眼をしたスミスが、煙草が恋しそうな口の向こうでシノンとUNKNOWNの命を値踏みしている事が伝わる。

 情報と対価。それ次第では見逃しても良い。そんな傭兵らしい打算的な目だ。アイテムならば殺害しても奪えるが、情報は口からしか聞きだせない。

 瞬間、UNKNOWNが残された右手を、その神速の反応速度で物を言わせた抜剣で背負った片手剣に手をかけ、スミスのライフルを払い除ける。火花が散り、あわや切断されかねない金属衝突音が響く。

 だが、次の瞬間にはUNKNOWNの喉元にマチェットが突き付けられていた。皮膚1枚が裂け、赤黒い光が漏れる。それは血のようにマチェットの刃を伝うように宙で散っていく。

 

「確かに速い。だが、『それだけ』だ」

 

 スミスはマチェットをUNKNOWNの喉元から外し、弾かれたライフルへと視線を落とす。破損が無い事を確認した彼は、煙草が吸えなくて侘しい口元を慰めるように小枝を咥えた。

 UNKNOWNが神速ならば、スミスは絶技。あの一瞬、ライフルが弾かれる瞬間にはマチェットを抜いていたのだ。その一連の動作をシノンには辛うじて捉えることができたが、人間業とは思えない。システムアシストがあったと言われたら納得できる程だ。

 

「傭兵最強候補と名高いランク9の底がこの程度とは思いたくない。随分とボロボロのようだし、疲弊を理由に評価は次回まで取っておくとしよう。さて、大人しく『話し合い』をしてもらえる気になったかな?」

 

『……噂以上だな』

 

 悔しそうに、ぼそりとUNKNOWNはシノンにだけ聞こえる声で零す。

 確かにUNKNOWN自身の疲労困憊もあるだろう。だが、それを抜きにしてもスミスはDBOでも最強談義に名前が必ず登場する程のトッププレイヤーだ。そして、シノンが考える上で、クゥリとは別の意味で極めて冷徹な人物でもある。撃つべき時にはシノンだろうとクゥリだろうと撃つ。それができる男だ。

 

「さて、キミ達に要求する事は4つだ。良いかね? 4つだ。全てを満たせない限り、ここで死んでもらおう。反論は認可しない」

 

「……まずは要求を聞かせて」

 

「1つ目は封じられたソウルを全てこちらに提供したまえ。2つ目は情報の全開示だ。3つ目は即時依頼から下りる事。そして4つ目は武装の全解除だ。全てをここに置いていきたまえ」

 

 本当に容赦がない! ようやく窮地を脱したというのに、またもピンチが舞い込んできてシノンは歯を食いしばる。

 最初の3つは構わない。元よりシノンは自分が鈍足呪いの状態から依頼続行は不可能と判断している。ならば封じられたソウルも無用の長物であり、依頼を下りる事を呑んでも問題ない。情報も話せと言われれば話す。

 だが、4つ目の武装解除は、遠回しの死刑宣告だ。何ら武器を持たない状態でジャングルに放り出され、脱出するなど不可能に等しい。格闘攻撃だけで耐え抜くなど、それを主体にしてステータスやスキルを組んでるわけではない2人では限界がある。

 どう答える? どう答えれば、スミスを納得させて最低限の武装を残してもらえる? シノンは考えこそするも、闇が訪れたジャングルの不気味な風の音ばかりが耳を鳴らして集中力を掻き乱す。

 

『ごめん、シノン』

 

 そんなシノンに謝罪を述べ、UNKNOWNは彼女を庇うように立つと、ゆらりと右手の片手剣を構える。

 ああ、そうだ。それ以外に無い。実力で抗う以外に道は無いのだ。分かり切っていたことだ。だが、既にシノン達が歯牙にもかけられていない状態で、しかも2対3という不利な状況で、どう打開するというのだ?

 それでも抗うしかないならば、とシノンもまたナイフを構える。それを、つまらない選択をしたと言わんばかりにスミスは目を細めた。

 

「ねぇ、おじさん。ちょっと良いかな?」

 

 と、そこで口を挟んできたのは黒紫の少女だ。この場にいるのが場違いと思う程に、幼さを残した可愛らしさと純真さが滲ませる顔をしており、思わずシノンは惹き込まれる。

 もしかしたら、傭兵ではないだろう彼女が何かしらの状況を打破する一言を述べてくれるかもしれない。そんな淡い期待をシノンは抱く。

 

 

 

「そっちのお姉さんはおじさんにあげるから、UNKNOWNはボクが殺して良い?」

 

 

 

 獰猛に牙を剥く野獣を想わせる笑顔で、少女は嬉しそうに片手剣を抜く。軽量型だろう、青い光を帯びた黒の剣は明確な殺意を撒き散らしながらUNKNOWNへと向けられる。

 どうやらサイコロを握る運命の女神とは、シノン達に対して苦難の目を出す事にご執心のようだ。少女のまるで命を奪う事に躊躇が無い言動に、自分の方が実はイカレている側なのではないかとシノンは頭痛を覚える。

 

「できればベストな状態で戦いたかったけど、クーも認める程の絶対的強者である【黒の剣士】なら腕1本使えないくらい何ともないだろうし、この機会を逃すわけにもいかないからね」

 

 敵意と殺意を凝縮させ、少女は騎士の礼に則る様に片手剣を構える。それを見て、やれやれと言った感じながらも、スミスはシノンへと狙いをつける。

 レギオン・シュヴァリエとの戦いを見ていたから分かる。この少女もまた、UNKNOWNやクゥリ、スミスと同じ規格外側の人間だ。その2人を満身創痍の状態で相手取るなど、敗北以外の未来は無い。

 

「ボクはキミを殺す。その為だけに生き永らえてきたんだから。本物かどうかは分からないけど、それは死体になった後に仮面を剥いで確認すれば良い事だしね」

 

「可愛い顔して、随分と物騒な物言いね。それにしてもモテモテじゃない、UNKNOWNさん? 何処であんな可愛い子に因縁を結んできたのよ」

 

 ナイフ1本でスミス相手に何処までしのげるだろうか? 想像する限りでも、スミスは中距離戦で機動力を失ったシノンをライフルで削り殺すだろう。彼はわざわざシノンに勝機がある接近戦に甘んじる真似はしない。

 

『初対面だよ。見覚えも無い。それよりも彼女、クーって言わなかったか?』

 

 そういえば、とシノンは親しげそうに少女がクゥリの愛称を呼んだ事を思いだす。クゥリは基本的に自分のことを愛称で呼ばせる事は滅多にない。というよりも、そもそも彼をプレイヤーネームで呼ぶ人間の方が絶対的に少ないのだ。

 そうなると、黒紫の少女はクゥリの関係者という事になる。ならば、そこから突破口を見出せないかとシノンは思考を巡らす。

 

「少し良いかしら? あなたはクーと知り合いなの?」

 

 慎重に、ジェンガを崩さないようにピースを抜き取る様に、シノンは戦闘開始の合図となる刺激を与えないように細心の注意を払いながら、口を開く。

 すると少女は驚いたような顔をして、嬉しそうに微笑んだ。

 

「お姉さんもクーの知り合い?」

 

「ええ。デスゲーム初期に、一緒のパーティだったわ」

 

「へぇ! それで、その頃のクーってどんな感じだったの?」

 

 食いついた。話術など自分の苦手とする部類であるが、今ここで無い才能を掻き集めてでも、この僅かな希望の糸を手繰り寄せる他ない。シノンは敢えてナイフを下ろし、腰に手をやって、世間話でもするような体勢を取る。

 

「話しても良いけど、少し長くなるわね。それに、こっちのUNKNOWNさんも、クーに関しては色々知ってるわよ。本当に色々ね」

 

『シノン!? ちょっと待ってくれ! 急に何を言い出すんだ!?』

 

 暗に、彼こそがあなたの目当ての人物よ、とシノンは判子を押す。まさかの敵側への援護射撃に、UNKNOWNも動揺する。

 黙れ。シノンは今の自分の目がどれ程までに血走っているか、大よそ自覚しながらUNKNOWNを睨む。ここが生死の境界線なのだ。元より武力で生存確保が無理ならば、人間の最大の武器である口を使って生き延びる以外に手段は無い。そして、喋れないUNKNOWNにそれは無理だ。

 

「そもそも、あなたが【黒の剣士】に固執する理由は分からないけど、少なくともここにいるUNKNOWNはズタズタのボロボロ。そこら辺にいる有象無象のプレイヤーとどっこいどっこいの状態よ。こんな彼を斃せてあなたは満足? 剣を振るうのもやっとな片手の彼を討てて、それで良いのかしら?」

 

 少女の言葉から感じた強い意思。それは【黒の剣士】打倒に向けた純粋な想いだ。それを感じ取ったシノンは、ここでUNKNOWNと戦っても、彼女の目的が達成されるとは思えないと水を差したのだ。

 大事なのは、わざわざ言葉にして指摘した事だ。これが楔となる。事実、少女は顔を曇らせ、思案するように視線を泳がせる。

 

「話してあげても良いわ。昔のクーをね。先に言っておくけど、スミスさんは知らないわよ? 私とディアベルの2人だけ」

 

 そして、女の直感が告げている。この少女がクーの名前を聞いた時に見せた嬉しそうな表情。ほのかな頬の赤み。目の輝き。間違いなく、クーに対して好意を抱いているという、天文学的数字の奇跡そのものだ。

 あの粗野で、オープンスケベのくせに純情の塊で、オンリーロンリーで、傭兵紹介文に太字で『彼女募集中』と記載しているクゥリに、よもや異性としての好意を示すなんて歴史改変ものでもない限りあり得ないと思っていたシノンだが、この奇跡の産物を何とかして我が物にしなければ未来は続かない。

 

「詭弁だな。彼女はともかく、私がそのような手に乗るとでも思っていたのかい? だとするならば甘い。甘過ぎるぞ、シノンくん」

 

 少女が揺らぐも、スミスは動じない。つまらない茶番に付き合う気はないと言わんばかりに、トリガーへとかける指に力を籠める。

 その気になれば、スミス1人でも手負いのシノンとUNKNOWNなど容易く討てる。この男の底知れない強さに関してはクゥリと良い勝負だ。

 

(そうね。確かに、スミスさんは強いわ。私が知る中でも5本指に入るくらいに、実力も、精神も、経験も、何もかもが備わっている。だから、こんな言葉遊びは通じない)

 

 他人の恋路など興味は無い。ここで撃てば、今後の傭兵ライフで邪魔になるだろうUNKNOWNも始末でき、なおかつ彼を撃った事で名声と特別報酬を得られるかもしれない、くらいの計算をスミスは立てているはずだ。

 だが、彼の誤算は……ここにいるのが自分『1人』ではないという事である。

 

 

 

 

「ストップですよ、スミス!」

 

 

 

 

 今にもトリガーを引きそうなスミスに待ったをかけたのは、他でもないふんどし1枚のグローリーだ。

 そう、全ては茶番。時間稼ぎ以上はない詭弁だ。少女を少しでも迷わせれば、それで良い。そうすれば、自然とスミスは時間稼ぎを潰すと言う『時間稼ぎ』を行ってくれるだろう。何故ならば、彼はシノンが知る中で頭がキレる大人の筆頭だからだ。彼は冷静に、理性的に、こちらを殺す為に詰めてくるはずだ。決して問答無用でいきなり殺しにかかるという真似はしない。必ず打算と計算を挟み込む。

 何故ならば、彼は『おじさん』と言われる程度には年齢を重ねている大人だからだ。そして、理性で人を殺せる人間とは、感情と本能のままに『あ、なんか本能が危険って言ってるからコイツはさっさと殺しておこう』と過程無視で即断・即実行する何処かの白髪傭兵とは違い、必ず思考のプロセスを踏んでから物事を決定する。そこのタイムラグにシノンは命というチップをベットした。

 

「グローリーくん」

 

 しまったという顔をしたスミスに、シノンは闇が濃くなるジャングルで、残された右目だけを強気に尖らせてニッと笑う。

 グローリーとスミスの関係は雇用主と被雇用者、つまりグローリーがスミスを協働として雇っている立場だというのは、2人のやり取りを見ていれば大よそ見当がついていた。そもそも、そうでもなければスミスは問答無用でグローリーの鼻に弾丸をぶち込んでいただろう。そうしないのは、スミスとグローリーは同格の立場ではなく、あくまで雇用関係に基づいた協働であるからだ。

 雇用主の命令は絶対だ。スミスが高い信頼を勝ち取り、最高ランクの独立傭兵として君臨しているのは、彼自身の高い実力のみならず、依頼主の要望を限りなくパーフェクトに達成するからだ。逆に言えば、それまで築いた傭兵としての価値を自壊させかねない程の馬鹿っぷりを披露するグローリーもまた、ある意味で傑物と言えるだろう。

 

「彼らは元より投降の意思があったように見受けられました。騎士として、私は彼らを捕虜として扱う義務があります!」

 

「だからキミは傭兵だろうに」

 

 グローリーは馬鹿だ。だが、人格者でもあり、非道を嫌い、善意を信じ、悪を罰する、まさしくナイト・オブ・ナイトである。本当に傭兵である事が間違いみたいな男なのだ。シノンは、勝手に話を進めるスミスと少女の背後で腕を組み、ポーズを取り、いかに格好良くこの諍いを止めようかと悩んでいる姿をバッチリ視界に入れていた。

 最初の1発が響けば、グローリーの介入は無意味だ。そうなれば、どう足掻いても決戦以外はない亀裂が入る。だからこそ、シノンが選んだのは時間稼ぎだ。グローリーに介入の余地を与えるまでの、彼がいかに騎士っぽくシノン達の『保護』に乗り出すかに賭けたのだ。

 

「ランク3とランク9、キミ達の身の安全は騎士たる私が保証しよう! ただし、捕虜としてキミ達には私に協力してもらう! つまり、私に協力するという事は、スミスや彼女とも仲間として行動して、彼らの為にも戦ってもらうという事だ! そして、リーダーはもちろん私だ! 良いね?」

 

「もちろんよ」

 

『もちろんだ。アンタがリーダー! 俺たち子分!』

 

 清々しいまでの保身っぷりを発揮するUNKNOWNに、シノンは最高に良い笑顔で中指を立てる。この男のノリノリっぷりを知れば、きっと世のUNKNOWNファンが抱いている彼へのミステリアスな魅力をぶち壊されるだろう。残念なのは、この声はシノンにしか聞こえない事だろうか。

 完全に毒気が抜かれたらしいスミスは、天を仰いで吐息を散らす。少女は片手剣を鞘に戻し、足下の小石を蹴った。

 

「ボクはそれで良いよ。疲労はともかく、片腕だけのUNKNOWNを斃しても、ボクの目的は遂げられない。うん、確かにそうかもしれないからね。ありがとう、お姉さん。危うく人生最大の失敗をするところだったよ」

 

 蕩ける程に愛らしい笑みを浮かべる少女に、シノンは本当にこの少女の何処にあんな殺意が潜んでいるのやら、とぞっと背中を冷たくする。

 

「良いだろう。キミの命令は絶対だ。私はそれに従う。ただし、裏切るような真似をすれば、私は自身の安全を守るために彼らを殺す。構わないね?」

 

 スミスはグローリーから了承を貰うと、溜め息を数連発した後にライフルを下ろす。そして、厭味ったらしい笑みで改めてグローリーの『愉快な仲間達』として受け入れられたシノンを迎える。

 

「何処でそんな交渉術を身に着けたのかな?」

 

「傭兵業をやってれば嫌でも」

 

「そうか。これだから若人の成長というのは恐ろしい。本当に『おじさん』になってしまったものだよ」

 

 まだまだスミスさんも若いわよ、とはシノンも言えなかった。見た目こそ年齢は20代後半だが、スミスの言動から察するに、もはや20代など通り過ぎて久しい身なのだろう。

 

「では、話してもらおうか。キミ達の身に何があったのかをね。だが、その前にまずはキャンプの場所を確保するとしよう」

 

 もはや夜営をしなければならない時間だ。スミスは鈍足状態のシノンと片腕だけのUNKNOWNを気遣いながら、安全にキャンプできそうな場所を探す。だが、それまでの間に3回もモンスターの襲撃を受け、少女とグローリーが応戦する事になった。さすがに5人ともなれば索敵に引っ掛かり易くなっているのだろう。エンカウント率が倍などでは足りない程に引き上げられている。

 単独行動か2人組、最悪でも3人組が限界であるようにシャルルの森のモンスターの索敵能力は設定されているのだろう。

 丁度良い川辺を見つけ、スミスはスコップで穴を掘り、アイテムストレージにストックしているらしい杭を突き立てて簡易的な即席落とし穴を作っていく。その慣れた手際を感心するようにUNKNOWNは眺めていた。

 2人は久方ぶりにしっかりした食事と十分な水を補給し、ようやく人間として生きた心地についた所である。ジャングルを舐めていたツケと言うべきか、まさか食料と水の2つで精神を擦り減らされるとは思っていなかった。

 

『彼って自衛官じゃないかな? 知り合いに防衛省の人がいるんだけど、動きっていうか、立ち振る舞いが少し似ている気がする』

 

「そう言えば、リアルじゃ公務員とか言ってたわね」

 

 ぶらぶらと垂らし続けるのも邪魔だろう、という理由でスミスが簡素に仕立てた添え木のギブスで左腕を固定してもらったUNKNOWNは、椅子代わりに丁度良い石に腰かけている。一方のシノンはと言えば、岩にもたれかかり、ぐったりとした様子でスナイパーライフルに弾詰めを行っていた。

 これも、グローリーがレベル1までの解呪ができる奇跡の清めの息吹を持っていたお陰である。

 

『……理由は聞きたくないが、訊いておこう。どうして貴重な魔法枠の1つを、ジャングルでは実用性皆無そうな奇跡で埋めているのかな?』

 

『呪われた仲間を救うのは騎士の役目ですからね! なので、私はいつも清めの息吹をセットしています! それにこの奇跡、自分の周りに光を放出するんです。登場演出に最適な奇跡なんですよ! やっぱり騎士たる者、登場シーンは大事ですからね!』

 

『おじさん、堪えて! お願いだから堪えて! マチェットを抜かないでぇえええええええええ! お兄さんもとにかく謝って! というか、ボクが何で仲裁役みたいなのをしないといけないんだよ!?』

 

 そして、このようなやり取りが流れたのは、もはやお約束に近しいだろう。

 左目にはバランドマ侯爵のトカゲ試薬を打ち込んだ。今は試薬特有の熱を帯びた感覚が広がり、頭が鐘の内部にあるかのように意識が揺らいでいる。だが、それも再生の前触れと思えば安心感を覚えるというものだ。薬の反動よりも片目が無い方がずっと恐ろしい。

 

「しかし、『ヤツメ』ですか。その謎のネームドがあの……えーと、レ、レレレ、レギオンでしたっけ? その、モンスターを召喚してあなた達を襲わせたわけですね」

 

 グローリーが必死に無い頭で情報を叩き込み、唸りを散らす。どうやら、さすがの彼もこの状況の危険は分かっているのだろう。いや、それはシノンの願望であり、どうか少しでもこの男に危機感というものがあって欲しかった。

 

「確かに奇妙なモンスターとは思っていたが、信じられる点は多々あるな。噂の死神部隊、無名の闇霊、そして今回のレギオン。明らかにプレイヤーを狙い撃ちにしている茅場の後継者側からの刺客があると見るべきだろう」

 

 システム外トラップを仕込み終えたスミスが戻って話に加わる。UNKNOWNは『システム外トラップか。これは考えた事が無かったなぁ』と悔しさと関心を滲ませる、ゲーマー魂全開らしき呟きを漏らす。シノンはどうやったら、この仮面野郎の音声を全員に伝えてやれるものだろうかと悩むも、いっそ仮面を剥ぎ取るのが最も効率的だという結論に落ち着き、全てを諦める事にした。

 

「そのヤツメだが、シノンくんとUNKNOWNの2人がかりでも手傷を負わせられない程の強敵とは。今の我々では遭遇すれば、まず死者は免れないな」

 

 冷静に分析するスミスの評価は尤もだ。シノンもスミスも銃器を主体とするが故に、残弾は決して余裕が無い。なおかつ、ジャングル仕様の為に、スミスは本来の銃器2丁を運用する戦闘スタイルを封じており、シノンも狙撃戦に撤することができない。UNKNOWNも欠損したわけではないので遅くとも朝までには修復されるだろうが片腕の状態。グローリーに至っては自ら防御力を切り捨ててしまっている(とはいえ、これまでに挙げた4人の中では1番万全という不条理である)。

 そうなると、仮にヤツメが再び『気まぐれ』で襲ってきたときに、最高のパフォーマンスを期待できるのは黒紫の髪の少女だけだ。その件の彼女は、1人で浅い川に足を入れて空を見上げている。

 不用心にも見える程に自然体であるが故に溶け込んでいる。絵になっているとも言い換えられる。せいぜい踝程度の深さしかない川なので水中からの襲撃は無いだろうが、そんな心配など元より無用といういうかのように、少女は仮想世界と同化していた。

 

「……気持ち良いわね」

 

 シノンは少女に近づくべく川に踏み入り、冷たい水の洗礼を受ける。生温い空気に満ちたジャングルだからこそ、水の澄んだ冷たさが身に染みる。それが生きた心地を与えてくれた。

 声をかけて反応した少女は、空からシノンへと視線を移す。そこにあるのは、先程までの純真さを顰めた、マグマのように滾ったある種の怒りだ。

 

「名前、訊いて良いかしら?」

 

「ボクはユウキ」

 

「そう。名乗らずとも知ってると思うけど、私はシノンよ。少しの間だけど、よろしく頼むわ」

 

 握手は交わさず、シノンは自己紹介を終える。背後から水を鳴らし、UNKNOWNが迫る。鈍足状態から回復したとはいえ、片目が無いシノンを川の中で1人にはさせておけないのだろう。

 

「ねぇ、お姉さん。ヤツメってどんな人だった?」

 

「どんなって……一言じゃ言い表せられないわね。でも『狂ってる』って表現が1番適切だと思うわ。悲しい位に……」

 

「……そっか。UNKNOWNはどう思った? ボクに聞かせて」

 

 少女の目がシノンからUNKNOWNへと、仮面の向こうに隠された彼の双眸へと向けられる。アメジストのような瞳は、まるで重要な問答でもするかのように、濃い闇が広がっているかのようだった。

 

『俺もシノンと同意見だよ。だけど、あれは狂っているというよりも「狂わされている」って表現した方が正しいかもしれない。少なくとも、俺には彼女が自分の意思だけで動いているようには思えなかった』

 

 シノンはUNKNOWNの言動そのまま伝える。インスタントメッセージでも構わないのだが、やはり文字を打つというのにはタイムラグがある。結論として、不本意ながらもシノンが傍から見れば無言を貫く彼の伝達ツールとしての役割を果たすしかないのだ。こっそりと、シノンは生きて帰ったら、この仕事分だけUNKNOWNの報酬から引こうと決断する。

 

「それ以外は……それ以外は何も感じなかったの? あのレギオンからは!? ボクは……ボクは感じたよ! ハッキリと分からなかったけど、お姉さんの話を聞いて、確信したよ! だから、もちろん分かったよね? だって、だってキミは……キミが本当に【黒の剣士】なら……そうじゃないと……そうじゃないと……」

 

 声を荒げたかと思えば、ユウキはまるでこの場にいない誰かを哀れむように、悲しむように、慰めるように、顔を俯ける。その拳を握り、叫び散らすのを堪えている。

 ヤツメ。その単語の意味をユウキは知っているのかもしれない。そして、それ以前にレギオン・シュヴァリエから何かを感じ取っている。シノン達には分からないものが、少女には見えている。

 

「……ごめん。こんなの理不尽だよね。でも、もしも、キミが【黒の剣士】なら……『分からない』はきっと許されない。でも、それ以上に……ボクも許されない。だからこそ、だからこそボクは……」

 

 シノン達の脇を抜けていくユウキにどう声をかけるべきかシノンには分からなかった。

 ただ、彼女の耳は小さく、消え入りそうな少女の呟きを拾い上げた。

 

「ボクはレギオンを殺す。1匹残らず殺す。スリーピング・ナイツの誇りにかけて」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 オレと新種レギオンの間には、無数の屍が転がっている。

 それはこれまた新しいレギオンであり、緑甲殻のレギオンだ。

 いずれもクリスマスでオレが戦ったレギオンに比べれば大きく劣化しているが、どうやらある程度は本能を普遍的に搭載する事を糞後継者は成功したようだ。どんだけ暇人なんだよ、デスゲームのGM様は。

 既に太陽は落ち、燭台の火だけがオレとレギオンを照らす。虚ろの衛兵たちの亡骸すらも覆うほどにレギオンの死体が積み重ねられていくが、それらはオレ1人で殺したわけではない。

 むしろ撃破数でいえば、目前の赤甲殻を備えた、他のレギオン達に比べれて大柄で凶暴性を誇るこのレギオンが最大の原因だ。

 光を纏うこのレギオンは、加速を超越したテレポートとしか言いようがない位置移動が最大の特徴だ。しかも、光の鎧を纏っている間はあらゆる攻撃で怯まず、またスタンもしない。ハレルヤの特徴を引き継いだスペシャル仕様だ。

 こちらの攻撃は全て光の鎧によって吸収され、ダメージは与えられない。ハレルヤとの最大の違いは、スタン蓄積ではなく総合ダメージ蓄積によって光の鎧を剥げる点だ。そうなれば瞬間移動も出来なくなるが、代わりに赤甲殻が激しく発光して真っ赤に輝き、発狂して周囲の全てを攻撃し始める。敵味方も区別も無く、まさしくバーサーカーそのものだ。

 光の鎧を纏っている間は、どちらかと言えば冷静であり、光属性らしきレーザーや光弾、それに爪攻撃や触手による連撃で攻めてくるのだが、鎧が剥げれば発狂モードとは、随分とイカレた性能である。

 攻撃力もかなり高く設定されており、爪の一撃は緑甲殻レギオンのHPを半分削り取り、マウントを取ったかと思えば、4本の触手を突き刺して内部から蹂躙して破壊する。

 茅場の後継者の事だから、こういう手合いには【レギオン・バーサーカー】とか安直に名付けてるのではないだろうか? そんなどうでも良いことを考えながら、ようやくHPが5割ほどまで削れたレギオンに、オレは苛立ちを募らせる。

 ただでさえレギオンが眼前にいるだけで腹立たしいというのに、コイツはタフだ。光の鎧が剥げている間に重い一撃を喰らわせねばならないタイプである。発狂モードでは光弾を背中から放出してばら撒き、口内から光属性のレーザーを放つ。更に触手2本の連撃付きだ。クリスマス・レギオン程ではないが、なかなかに厄介である。

 

「……チッ」

 

 だが、それ以上に問題なのはオレ自身のコンディションだ。

 右手の感覚が死んでいる。触覚が失われている事から、カタナを握っている感触が無い。つまり、クリティカル補正を叩き出す為のカタナを操る為の指先と手首の微細な修正が上手く利かないのだ。お陰でここぞという時にカタナで斬れても通常ダメージしか与えられず、カタナの旨みを上手く引き出せない。

 ようやく『触った感覚が無い武器を振るう』という行為に慣れ始めているのだが、やはり触覚が無いというのは片目が見えていないのと同じくらいに致命的なデメリットだな。何か対策を立てる必要があるか。

 

「簡単じゃねーか」

 

 レギオンの爪の連撃を躱し、オレはカタナを鞘に逆手で収めながら、コートの裏地から羽鉄のナイフを抜く。それも刃の方を手で握りしめながら。

 ぐちゃり、とナイフの刃を潰す勢いで拳を閉め、オレの右手の掌……その皮膚と肉が抉れ、組織を破壊していく。赤黒い光が飛び散り、ダメージが入っていくが、気にせずにオレは欠損状態になる程に、更に投げナイフの柄頭を床に叩きつけて、右手に『穴』を作る。

 

「おお、さすがに結構来るな」

 

 もちろん、『欠損状態』の不快感のことだ。掌の肉を抉り取り、ナイフを無理矢理ねじ込んで大穴を開けたのだが、どうやら上手くシステム側が欠損認定してくれたようだ。即座に投げナイフを捨てて止血包帯を巻いてスリップダメージを止め、改めてカタナを抜く。

 相変わらず『握った感触』は無い。だが、物体を握った事による痛覚代わりの神経を蝕まれるような『不快感』が柄の形を教えてくれる。これならば、指先の感覚までは無理でも、最低限のカタナを振るうだけの土台はできたな。後は触覚が無い状態を仕上げていくだけか。

 

「……ったく、オレはマゾじゃねーんだよ。さっさとくたばれ、糞が」

 

 だが、レギオンはまだまだ前哨戦と言わんばかりに咆えている。このタフネス野郎が。

 

「ファイトよー、【渡り鳥】くぅん♪」

 

 そして、牢獄の中から応援エールを送るエイミーに、オレは心底ストレスを蓄積する。さっさと牢屋から出して参戦させたいが、レギオンを他人にぶち殺されるのも、どうにも腹立たしい。やっぱりヤツメ様の血を劣化のまた劣化とはいえ再現しているコイツらはオレが皆殺しにしないとな。でも、なんか量産されてるっぽいし、他のプレイヤーに殺されるのも慣れておかないといけないなとも思っている自分がいる。

 つーか、元はオレ……というか、久藤の血を再現しようとしているのがレギオン・プログラムなわけだから、それを殺したプレイヤーもまた、ヤツメ様の血に名目上は歯向かった敵になるのか? おじいちゃんなら、どんな判断を下すだろうか。

 

「どうでも良い。敵なら殺せば済む」

 

 ああ、そうさ。シンプルに考えよう。レギオンは敵だ。レギオンを殺したヤツは等しくオレの敵だ。だからどちらも殺す。

 

「いやいや、さすがにそれは理不尽過ぎだろ」

 

 レギオンの光弾をサイドステップの連続で左右に揺れながら回避し、光の鎧を纏って瞬間移動を連発して背後を取ろうとするレギオンに振り向き様に一閃を加える。瞬間加速と違い、瞬間移動中は攻撃できないのがこのレギオンの特徴だ。また、瞬間移動距離も意外と短く、近距離戦仕立てになっている。

 まったく、自分にツッコミを入れないといけないとは、随分とオレも疲れが溜まっているな。さっさとこんな糞みたいな依頼は終わらせないといけない。

 とりあえず方針は1つ決定した。レギオンは誰が殺そうと構わない。そこは妥協しよう。所詮は紛い物だ。こんなゴミクズを殺されたからと言って、ヤツメ様の血が愚弄されるわけでもない。だが、優先的にオレが殺させてもらう。

 だから、ここで宣言しておくとしよう。眼前のレギオンが叫び散らすように、オレもまた、自分でも驚くほどに冷え切った声音を喉から放つ。

 

「レギオンは殺す。1匹残らず殺す。久藤の血族の誇りにかけて」




ようやく主人公(狂)のターンが回ってきました。
次回からまたクゥリの視点で物語が進みます。

それでは、164話でまた会いましょう。

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