SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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現実世界編後半です。
今度はクリスマスで、須和先生のターンです。


Side Episode8 混沌聖夜

「真っ赤なお鼻の~♪ トナカイさんは~♪」

 

「須和君は本当に何歳になっても変わらないわね」

 

 キミにだけは言われたくない。外見は20代半ば、多く見積もっても20代後半だろう、四捨五入すれば50歳にもなる光莉を前に、ついついクリスマスソングを口ずさんでしまった須和は、羞恥で顔を頬を染めながら、病院の中庭ではしゃぐ子供たちをベンチに腰掛けて昼食を取りながら見守る。

 その隣にいるのは病院服を着た、やや頬がこけた光莉が編んだ黒髪を肩に垂らして上品に笑っていた。

 

「いつも子供みたいで、見てて飽きないわ」

 

「そういうキミも、いつも何を考えているのか分からない程度には変わっていないよ」

 

「私の頭の中なんてシンプルでお馬鹿なものよ。私の最終学歴、中卒なんだから」

 

「キミが阿呆だったら、世の人間の9割は大阿呆だ」

 

 イカレ野郎だった頃の子ども時代と病室での出会いを脳裏に、須和はサンドイッチを齧りながら足を組み、辛そうに咳き込む光莉の背中を心配そうに摩る。

 光莉が入院したのは2週間前の話だ。DBOの囚人となった篝の病室で倒れている所を専属の看護師が発見し、九死に一生を得たが、あと1時間発見が遅れていたならば命が危うかっただろう。

 体が元々弱い光莉は、この年齢まで生きている方が不思議なくらいだ。今は亡き須和の両親は彼女が子を産むなど無謀、20歳まで生きられまいと考えていた。だが、結果を見れば両親の見立ての倍以上も生き、子を3人儲けている。それは素直に喜ばしい事であるが、いかに容姿は変わらずとも加齢による体力の衰え、そして度重なる息子の篝を奪われた事への心労は確実に彼女の命を縮めていた。

 

「ふふふ。須和くんは『良い人』ね。でも、私は高校にも大学にも行きたかったわ。小学校も中学校も数える程しか通わなかったけど、皆楽しそうだった」

 

「退屈だよ。箱の中に閉じ込められているみたいで息苦しいものさ」

 

「それは通ってた人の感想よ。私からすれば楽園に見えた。帰り道で買い食いしたり、赤点を取って友達と一緒に勉強したり、部活をしたり、そんな日々に今でも憧れているわ。大学のサークルでお酒で潰されるのも面白そうじゃない」

 

「医者として最後だけは反対だけどね。それに、光莉さんが赤点取るのは想像できない」

 

 それに、光莉さんが学校に通っていれば、無謀な男子がどれだけ告白してトラウマを負った事やら。そんなストレスある日々など須和には耐えられない。

 

「須和君は私を何だと思ってるの?」

 

 年齢不相応、外見相応に口を尖らせる光莉を横目に、須和はバスケットにもうハムサンドは残っていないかと無念に思いつつ、トマトサンドを手に取る。

 

「片手間に漢検1級、英検1級、簿記1級等々、すっかり資格マニアになってしまったハイスペック奥さまかな?」

 

「世間一般の専業主婦と同じで、空いた時間を利用していただけよ」

 

「……473×777は?」

 

「367521」

 

「世の奥様は暇潰しで3桁の計算を九九のように暗記しないよ」

 

 昔からそうであるが、光莉は努力の方向性が3回転半ほど捻じれていた。時事問題から生命倫理に至るまで、彼女の病室に足を運ぶ度に議論した少年時代を思い出す。男女関係の議論から端を発し、前触れなく彼女が古今東西2次元3次元問わずにエロ本の購入を検討し始めた時には、さすがに彼も全力で止めたものである。

 

『私は良い妻になりたいの。だったら、男の悦ばせ方を学ぶのは当然じゃないかしら? こうした本には男性の秘めた欲望が分かり易く表現されているわ。資料として目を通す価値は十分あるのよ』

 

 この発言が当時14歳の少女の口から飛び出した時には、当時17歳の須和はこの病室培養のお嬢様は性教育うんぬん以前に一般常識を仕込ませるべきではないのだろうかと本気で悩んだものである。ちなみに、彼女の場合は常識も倫理観も社会通念も人並み以上に学習した上でそうした思考に至るのだからタチが悪い、と思春期真っ盛りの須和は思い知った。

 あの時ばかりは恥も外聞もなく女性看護師を集めて彼女に徹底した(洗脳)教育を施したものである。その代償は……決して小さくなかったが。

 

「目が死んでるけど、何か失礼な過去を思い出しているのかしら?」

 

「ははは。苦労した過去を思い出しているだけだよ」

 

「白髪が増えるわよ」

 

「俺も51だ。白髪は男の勲章さ」

 

 今年で51歳になった須和は年齢相応に皴と白髪を増やしてはいるが、日頃の激務の中でも怠らない健康管理のお陰か、スマートな体形を維持し、また優れた容姿から今でも看護師などからも人気が高い。

 いい加減に身を固めなければならないと分かってはいるのだが、隣にいる光莉への未練……というよりも、彼女基準で異性を見てしまう為、どれ程に素晴らしい女性と出会っても結婚には至らないのだ。

 

「そういえば、今日はクリスマス、篝くんの誕生日か。彼も二十歳とは、年月が経つのは早いね」

 

「光陰矢の如し。人の一生とは夕暮れと同じくらいに短く、そして儚いものよ」

 

「その一生を少しでも伸ばすのが俺の仕事というわけだ」

 

「ふふふ。応援しているわ。頑張ってね、お医者さん」

 

 と、そこで光莉は再び咳き込む。気づけば、晴天の空はその青色の面積を減らし、雪雲がゆっくりと太陽を陰らせ始めていた。

 

「そろそろ病室に戻ろう。篝くんが帰って来た時、光莉さんがいなかったら悲しむよ」

 

「ええ、まだ死ねないわ。不思議よね。あなたと出会う前はいつ死ぬのか、そればかりが気になっていたのに、今ではまるで自分の死がイメージできないの」

 

 それは医者として喜ばしい事だ。病は気からとも言うように、精神とは肉体に思いの外に影響を与えるものだ。

 立ち上がった光莉を追うように、須和もまたバスケットを片付けていく。ちなみに、今日の昼食は若い看護師の差し入れである。自分よりも倍近い、父親と変わらないだろう年齢の男にアピールをかけてくるのだから、女性とは逞しいものだと須和も驚くばかりである。

 

「でもね、須和くん」

 

 雲に呑まれていく太陽を見上げた光莉が立ち止まり、雪を舞い上げる冷風の中で振り返る。その姿はまるで怪談に登場する雪女を思わすほどに美しく、また背筋が冷たくなる。

 

「私も篝も死ぬべき時には死ぬわ。だから憶えておいて。『その時』が来てもあなたのせいじゃない」

 

 およそ人間味が無い、冷たく感情の揺らぎすらも無い目が須和を射抜く。

 ぞわりと須和は心臓から生じた恐怖心で血液が液体窒素に入れ替わったのではないかと寒気を覚えた。

 母親は愛情深いものであるが、光莉は特に我が子を慈しんでいる。だが、その一方で彼女の中にある『命』に対する考えは我が子を例外にしない。

 

(光莉さん……というよりも、久藤の人たちは神経繊維が異常発達している。これによって、高い情報処理速度と反応速度を実現している。また、闘争本能と密接に関わる神経伝達物質、ノルアドレナリンの合成能力が常人の3倍から4倍。逆に、恐怖心や抵抗の意思を無くす脳内麻薬とも言うべきオピオイドの分泌能力には先天的に欠陥があると言っても良い程に不全だ)

 

 病室に光莉を送り届けた須和はオフィスに戻り、祖父の代からの久藤家の診療・研究記録をまとめたファイルを開く。

 アメリカの友人から届けてもらったベトナム戦争やイラク戦争などの米兵のメディカルレポートがクリップで付随されている。久藤家のような先天的戦闘適性の高い人間、ドミナントと呼ばれる者は世界中で確認されており、こうしたドミナント研究において、アメリカとロシアは超大国に相応しく、日本の数十年先を行っている。いや、日本にはそもそもドミナント研究をしている人間自体がいない。

 ドミナントの共通点として、神経・筋肉繊維の異常発達がある。神経伝達速度は常人の2倍にも達し、きめ細やかで密度の高い筋肉は瞬発力・筋力・持久力の3つをハイレベルで実現する。アメリカの研究者によれば、両者には因果関係があり、片方だけの発達したドミナント例は少ない。

 続いて須和は、やや擦り切れた青のカバーのファイルを手に取って開く。

 

(ケース01、【アルカディア】。アメリカで正式にドミナントと認定されたファーストケース、本名抹消。通称『エース』。高い戦闘能力を有し、動体視力と反応速度は群を抜いており、その運動能力は常人の規格を超えていた。湾岸戦争において非公式に多大な戦果を挙げる。彼は極めて直感に優れ、奇襲や狙撃を事前に察知し、多くの友軍の命を救った。また、老化速度が遅く、年齢不相応な外観をしていた。61歳で死亡。死因は火災が起きた小学校に取り残された子供7人を単身で救出した際の全身火傷。保存されていた精子は選別された女性に提供され、エースの遺伝子を継いだ子はいずれも高い能力を発揮しているが、本人の水準に至っていない。この事から、ドミナントとは一定レベルまでは遺伝すると考えられる)

 

 アルカディアのケースから、ドミナントはその戦闘能力を維持する為に高い老化耐性があるとも考えられる、か。間もなく50歳にも関わらず、まだ20代でも通じる外観をした光莉、今年で20歳にも関わらず10代半ば程にしか見えない篝を須和は思い浮かべる。

 

(ケース07、【アートマン】。インド出身の、旧ソ連が発見したドミナントで最も優れた成果を収めた1人、本名末梢。通称『サーダナ』。精神的に不安定な面が多く、数学や戦闘に性的快感を示す傾向があった。未来予知にも近しい『見切り』のセンスの持ち主であり、実験では全方位から撃たれた、本人の要望でボールではなく実弾を回避するという超人的な見切りを記録した。対ゲリラ戦に幾度となく参加したが、ソ連崩壊後の情報紛失により正確な戦果記録は残されていない。現在は78歳で……日本在住か。VR技術、仮想世界の可能性に興味を示しているみたいだな)

 

 連絡を取ってみるか? いや、早計だろう。これら資料はキサラギを通して非合法に入手したものだ。下手な真似はしたくないと須和はストップをかける。

 だが、このサーダナという男はドミナントであると同時に研究者であり、戸籍末梢された立場でありながら、かなり自由な身のようだ。日本で数学者として講演した記憶まで残っている。ロシアがどういう神経をして放置しているのか知らないが、偶然を装って接触する事自体は難しくないだろう。

 

(VR技術とAR技術が発展した現代に至っても人体、脳の神秘は解き明かされていない。だが、VR適性の拡大に伴った脳の変質に後天的戦闘適性の付与を期待するレポートもある。特に桐ヶ谷くんの脳は元の適性の高さもあり、『進化』と呼べる領域にあった)

 

 伊達にSAO事件とDBO事件を合わせて、のべ2万人を超える仮想世界の囚人という名の『研究材料』を獲得していた身ではない。こうした非公式資料を得ていながら見逃されているのは、須和が有用なデータを、わざとセキュリティホールに穴を開けるという形で『提供』しているからだ。

 今後、VR・AR技術は軍事転用されていくだろう。いや、既にそれらは始まっている。ならば、今後のドミナントの基準にVR適性は加わっていくだろう。そうした視点から最近になって須和が気づいたのは、DBO事件の被害者のVR適性だ。

 合計1万2682名にも上るDBO事件の被害者、彼らの内の実に1000名近くがVR適性Aという『天才』の領域にある者ばかりなのだ。

 VR適性は仮想世界へのフルダイブ時間が長ければ長い程に拡張するが、VR適性Aに至るには先天的に高い適性が無ければ不可能だ。

 VR適性の測定自体は日本全国で行っている。先進的な私立では、小学校の定期検診で数千万もする精密測定器で測定する程だ。どんな形であれ、VRに接触した人間はVR適性を測定されているのである。

 VR適性の拡張に伴い、『仮想脳』と呼ばれる、パソコンでいう仮想ドライヴのようなものが人間の脳で構築されるという論文がある。この仮想脳はアバターに搭載された運動アルゴリズムの支配、つまり仮想世界限定の反応速度の向上を引き起こす。まだ仮想脳については研究段階であるが、論文の発表者は優れた仮想脳の持ち主にとって、仮想世界とは『脳が支配される世界』ではなく、『脳が支配する世界』であると提唱している。

 できれば直接面会して詳細を聞きたいが、この研究者は論文発表後に心不全で亡くなっている。彼の発表した論文も脚光を浴びることなく、大多数がそうであるように埋もれてしまい、須和としては残念な限りだ。

 

(DBOは即予約分は売り切れたが、その予約は販売された1万4000本の内の1万本に当たる。予約するからには当然、個人情報の入力が求められるわけだ。つまり、『意図的にVR適性の高い者にソフトを割り振る』事も可能だ。また、親族・友人への事情聴取によれば、DBO事件の被害者は『VRゲームに興味が無い者』が多過ぎる印象もある)

 

 ベータテスターには報酬で優先的にソフトの購入権が与えられた。これも、ベータテストへの応募の時点で『選別』されていたとも考えられる。だとするならば、レクトにベータテスターの名簿をもらい、彼らのVR適性を確認する必要があるかもしれない。

 一方で、『VRゲームに興味が無い者』が多いという現象、ここには謎が残る。だが、茅場の後継者が『VR適性の拡張』が期待できる人物をピックアップする技術を持っていると仮定すれば、この現象も答えが出る。

 この発想に至ったもう1つの理由は、仮想世界から離れた生活を送っていた篝が、突如としてDBOにログインした点だ。

 事件発生後に茅場の後継者から送られたログイン者名簿に従い、被害者を収容に赴いた。

 この時、現地に赴いて篝を回収した須和は1つの違和感を拾い上げた。

 第1に、アミュスフィアⅢの状態だ。ファーストタイトルとはいえ、アミュスフィアⅢ自体はDBO発売前にリリースされ、多くのプレイヤーが『馴らし』を済ませていた。ベータテスターなどその最たるものだろう。だが、彼のアミュスフィアはキャリブレーションを済ませただけであり、総合接続時間もDBOログイン時間……つまり『馴らし』を済ませていない状態だったのだ。

 第2に、金銭的問題。篝は裕福な実家の援助を断わり、苦学生として大学に通っていた。アパートも耐久年数詐称しているだろうボロボロの、しかも『曰くつき』の部屋で家賃1万円という格安物件である。そんな彼が、10万円以上もするアミュスフィアⅢとDBOのソフトを自発的に購入するとは思えない……というよりも金銭的に不可能だ。彼の口座には3桁しか残されておらず、今時の大学生では珍しくネットショッピング用のクレジットカードも所持していない。明らかに誰かから配送された物であるとは思うが、流通業者を調べても履歴は残されていなかった。

 第3に、篝の手帳だ。彼は当日の時間を取る為にアルバイトを急遽キャンセルする電話を入れていた。この事から、篝はイレギュラーな要因で突発的にDBOへログインせざるを得なかったと見るべきだろう。

 つまり、茅場の後継者は無作為にプレイヤーを仮想世界の囚人にした訳でない。そこには明確な計画がある。

 

(茅場の後継者が篝くんをDBOに誘い込んだ? でも、彼のVR適性はD+で平均以下だ。そうなると、先程の推測からは外れる)

 

 博打に出るには早いか? 須和は携帯端末の電話帳で『鼠』という名前が与えられた電話番号を弄ぶ。このジョーカーが使えるのは1度だけだ。

 今の推測はVR犯罪対策室には伝えていない。ここまでの須和の見立ては、唯一情報のやり取りを『個人』として行っているファットマンだけが知り得ている。

 

『須和、コイツは俺の「刑事としての経験則」だが、どうにも「上」とマスコミの動きがおかしい。だから用心しろ。仲間を1番疑え。無力を装え。ここぞという時までな』

 

 VR犯罪対策室分室のトップであるファットマンからの忠告を思い出し、須和はファイルを元の場所に戻す。余りにも堂々と収められているせいか、それが逆にこのファイルの重要性を隠している。

 こうした紙媒体を利用しているのは、この高度情報化社会において、最も秘密を守るのは電子化しない事であると理解しているからだ。前時代的な物ほど存外、先進的技術からの攻撃に対抗する手段となるのである。

 オフィスを出た須和はいつの間にか太陽が落ち、窓の外が白色に染まっている事に気づく。今年は良く降るものだ、と彼は無表情で灰色の空に目を向ける。

 

(まだ手札はある。光輝くんは優秀だ。リズベットちゃんも真実を手繰り寄せる才能がある。彼らならば、必ず俺には見つけられないパズルのピースを探し出せる)

 

 今ここで情報を明かせば、捜査は劇的に進展するだろう。だが、その代償として何を失うかは想像できる。

 自然と須和の足は篝の病室に向かう。現状維持を貫けば貫く程、被害者の数が増えていくと分かっていながら、情報を隠蔽し続けるしかない自分を戒める為に。

 

「光莉さん」

 

 だが、そこには病室に戻ったはずの光莉が、すっかり髪が伸びて女の子のようにしか見えない篝の隣に腰かけていた。花瓶の花は新しいものに取り換えられ、テーブルには小さなケーキが添えられている。

 彼女の目には深い悲しみがある。当然だろう。我が子を3年以上も仮想世界に奪われ、事件が解決したかと思えば家族とは疎遠になりたいと望んで遠く離れた大学に進学し、そして再び仮想世界に囚われた。

 SAO事件以前からまるで成長していないかのような容姿。時間が凍り付いてしまったかのような我が子に何も思うなという方が無理だ。

 

「……篝くんね、実は身長が1センチ伸びてるんだ」

 

 だからこそ、須和は微笑みながら伝える。

 折り畳みのパイプ椅子を光莉の隣に持ってきた須和は腰を下ろし、やや汗ばんでいる彼の額をハンカチで拭う。アミュスフィアより格段に小型化され、半透明のバイザーに隠された彼の目元は閉ざされ、まるで夢を見続けているかのように規則正しく呼吸している。

 

「遅れてきた成長期……なのかな? ほら、篝くんは年齢不相応に幼い面が多かっただろう? そんな彼だから、きっと体の成長も止まっていたんだ。だけど、今の篝くんは少しずつ成長しているんだ」

 

 だとするならば、DBOでどのような戦いをしているのであれ、篝はSAO事件の時とは違い、必死に自分を成長させようとも足掻いているのかもしれない。それが、どんな色の、どんな形の花を咲かせるのかは分からないが、今まさに彼は子ども時代を終えようとしている。

 

「だから光莉さん、そんな悲しい顔はしないでくれ。キミが母親としてしなくちゃならない事は、少しでも成長して帰って来た彼の為に笑ってあげる事だ」

 

「……本当に、須和くんは『良い人』ね」

 

「医者だからね」

 

 やはり顔色が悪い。須和は光莉の肩に触れ、彼女を病室に連れ戻そうとする。

 その時だった。ベッドの隣に備え付けられたバイタルサインの測定機器がアラームを鳴り響かせる。

 途端に須和の頭の中のスイッチから個人から医者へと切り替わる。

 

「篝!?」

 

「光莉さん、離れて! 錫村さん、心臓内科の石倉先生を呼んでくれ! 早く!」

 

「は、はい!」

 

 気を利かせて廊下で待機していた女性看護師に鋭く指示を飛ばし、バイタルサインと違い、穏やかな表情の篝の容態をチェックする。あくまで須和は脳外科医であるが、医者として必要十分な知識は備えている。

 心拍と脈拍の上昇、気道が痙攣し、呼吸不全に陥っている。

 

(不整脈もあるな。フルダイブ・ストレスか? いや、篝くんはSAO事件を生き延びたほどだからあり得ない。それに、幾らVR適性が低くて長時間フルダイブの過大なストレスがかかったとしても、兆候が見られたはずだ)

 

 ならば、まさかDBO内でゲームオーバーになったのかと背筋を冷たくしたが、篝のログイン状態をモニターした画面は、彼が生存している事を示している。だとするならば、別の要因と考えるべきだろう。

 こうなれば須和にはお手上げだ。だが、心臓内科の石倉はこの病院でも1番のベテランである。彼が適切な処置をすれば、事態は乗り切れるはずだ。

 1秒ごとに篝の顔色は徐々に蒼白くなり、その呼吸は弱まり始めている。須和は、廊下から聞こえる足音に、思ったよりも早い到着だと神に感謝した。

 だが、次の瞬間に須和が見たのは、看護師の錫村の口を封じたスーツ姿の男、そして病院のナース服を着た女性である。前者は見覚えが無いが、後者はDBO事件後に採用された、被害者専任の看護師の1人だ。

 

「キミは誰だね? 今は一刻を争うんだ! その手を――」

 

「須和先生、動かないでください」

 

 だが、スーツの男は左手で錫村の口を封じながら、右手で黒光りする金属の塊……拳銃を向ける。

 これはどういう事だ!? 冷や汗を垂らして混乱しながら、無言で篝の傍から離れるようにと男は拳銃を動かして指示する。

 

「どういうつもりだ? 外には警察がいるんだぞ。ここで叫べば……」

 

「残念ですが、本日の常駐は『我々』という事になっています。外にいるのも私の仲間です。ご理解ください」

 

 あの拳銃は確かP2000、日本警察に配備されているオートマチックだっただろうか。須和は銃器に知識は無いが、以前見せびらかしにきた光輝から教えてもらったうろ覚えの情報を引き摺り出す。

 だとするならば、この男と看護師は警察の人間? それがどうして自分達に銃を向けている? まさか、須和が非合法な手段も使い、『真実』を探ろうとしているのを勘付かれた? ファットマンが疑っていたように、上層部と茅場の後継者は繋がっているというのか? 多くの憶測が頭の中を過ぎる中、光莉が何かに気づいたように呟く。

 

「あなたはあの時の……っ!」

 

「ええ、奥さん。このような事になって残念です」

 

 どうやら光莉は男の事を知っているようだ、とそこで須和は何で篝の病室にだけ自分が選別した看護師を配属させたのかを思い出す。

 SAO事件で200名以上を殺害した篝のアミュスフィアⅢを停止させて欲しい。我が子を殺せという要望を受けたと光莉が伝えたからだ。もしも『事故』でアミュスフィアⅢとサーバーを繋げるケーブルが外れ、彼がログオフ状態になれば、ファンタズマ・エフェクトによって死亡する。それを防ぐために、須和は信頼を置ける人物を看護師として選んだのだ。

 

「既に彼はDBO内で10名以上を殺害しています。そのペースは加速する一方で、『上』はこれ以上の犠牲者の増加を危険視しています。お分かりですね?」

 

「待ちたまえ! 彼のログを確認したが、既にDBOでも上位プレイヤーになっている! 攻略の為に必要な人材の1人のはずだ!」

 

 それに何より、それは『上』が単に犠牲者数を増やして世間から『無能』という批判を受けたくないからなのではないのか、とまではさすがに須和も言えなかった。

 

「ええ、その通りです。我々も『そのような真似』をしたくありません。ですから先生、このまま何もしないでください」

 

「……キミ達が仕組んだのか?」

 

「いいえ、我々は監視していただけです。ですが、『上』は早期解決を望んでいます。彼の延命はより多くの犠牲者を生む。彼に殺害されたプレイヤーの親族の怒りと悲しみ……私個人としても無視できません」

 

 こんな無駄な会話をしている間にも篝の心拍数は今にも破裂しそうな程に高まり、酸素供給が追い付いていない。早急に人工呼吸器が必要だ。だが、これが彼らの意図的なもの、薬物投与などで引き起こされた物でないならば、救う手立てはある。

 須和の位置からでは遠いが、光莉ならば数歩先にナースコールがある。あれさえ押せば、この狂った事態は突破できるはずだ。

 だが、そのアイコンタクトが仇となったのか、控えていた女性看護師が素早い身のこなし、武道を積んだプロの動きで光莉の背後に回り込むとその細い体を拘束する。

 

「動かないでください。同じ女性として、子どもを失う悲しみは理解できるつもりです。ですが、彼の危険性は母親であるあなたにも分かるはずです。ご理解ください」

 

「随分と残酷な事を言うじゃないか」

 

 落ち着け。須和は『最悪の展開』を思い浮かべ、迅速に事態解決せねばならないと判断する。

 まずは説得だ。彼らの目には少なからずの戸惑いがある。それも当然だ。あくまで篝がやっているのは仮想世界での殺人だ。当事者ではない、現実世界の人間に実感を持てという方が無理だろう。だとするならば、彼らに『人』の心があるならば、必ず説得できるはずだ。

 

「良いかい? 彼は極めてストレスがかかった環境にいるんだ。戦場と同じだ。撃たなければ撃たれる。そんな世界にいる人間を、我々のような安全地帯にいる人間が、法の判断も無いの裁くのか?」

 

「…………」

 

「ご遺族の気持ちは分かる。だが、ここは法治国家だ。そして、キミは警察の人間……法の下で悪を捕らえるのが職務のはずだ。誰に命令されたのか知らないが、キミは『監視』で踏み止まり、『実行』を避け続けた。だから選びたまえ。今ならば引き返せる。私も光莉さんも、キミ達を追及する気はない。だから……私に医者としての職務を果たさせてくれ」

 

「須和先生の仰りたい事は分かります。私も、こんな真似はしたくない。罪なき人に銃を向けて、こんな子どもを見殺しにするなど、したくはない」

 

 ああ、この流れは危険だ。須和は必死に視線で『耐えてくれ』と訴える。

 だが、男は銃弾を放つトリガーではなく、獣を閉じ込める檻の鍵を壊す。

 

 

 

 

 

 

「ですが、その子は……バケモノだ」

 

 

 

 

 

 

 終わった。須和は脱力する。

 その言葉だけは口にすべきではなかった。

 救えたはずの『命』が、長年微睡んでいた獣によって喰われてしまう。

 

「……そうやって、いつも篝の事を、バケモノバケモノバケモノバケモノって……」

 

「ひ、光莉さん……」

 

「本当のバケモノは、そうやって他人の心を踏み躙るあなた達よ。言霊という概念をご存知ないのかしら?」

 

 瞬間、光莉の姿が歪む。否、拘束を振り払うために反転した速度が余りにも早過ぎて、靡いた黒髪だけが意識を集中させる。

 ふわりと光莉が手に取ったのは、ショートケーキに添えられていた小さなフォーク。それを一切の躊躇いなく、女性の左目に突き刺し、そのまま掌で最奥まで押し込む。

 

「ぎ……っ!?」

 

 そんな虫が潰れたような悲鳴。それを最期の言葉に、あっさりと脳までフォークを貫通させられた女性が倒れる。

 

「良いわ。そんなにお望みならば『バケモノ』とは何たるかを教えてあげるわ」

 

 呆然とする男に、光莉がその口元を『美しい』という表現以外に思い浮かばない程に歪めた。

 

「私達は狩り、奪い、喰らう者。あなたたち『餌』風情が調子に乗らないでくれるかしら? こっちは、いつもいつもいつもいつもいつも我慢するのが大変なのよ」

 

 そこにいるのは人の形をした別の何か。

 現代社会という文明に囲まれた世界で忘れていた、人間が脆弱な肉の塊に過ぎないと教える、絶対的な捕食者の微笑。

 

「ひっ!」

 

 だから、それは当然の帰結。男は須和に向けていた銃口を光莉へと向け、威嚇射撃でもなく、ただ本能が訴える『死にたくない』という願望に踊らされてトリガーを引く。サイレンサー付きのそれは銃弾を吐き出すも、まるでダンスでも踊る様にステップを踏んだ光莉の真横を通り抜け、花瓶を砕く。

 そして、それすらも彼女からすれば台本通りだ。飛び散った花瓶の破片を手に取り、人外染みた脚力の代償として筋肉が引き千切れていく音を響かせて男との間合いを詰め、その喉を鋭い破片で切り裂く。

 頸動脈が切断され、血飛沫が舞う。男が銃と錫村を手放し、喉を押さえて止血しようともがくが、余りにも深く切られたそれは絶命以外の結末を与えない。

 そして、今の彼女は緩やかな死を許さない。

 

「怖い? 恐ろしい? 死にたくない? 大丈夫よ、あなたは私の『糧』となる。その死は1つとして無駄ではないわ」

 

 男の耳元で優しく囁きながら、更に声帯を断って悲鳴を奪い取り、肋骨と肋骨の間、心臓へと破片を光莉は押し込んでいく。

 絶叫を轟かせる前に、錫村が意識を失ってくれたのは幸いだろう。恐怖の中で溺れながら死んだように白目を剥き、血の泡を吹いた男の亡骸を目にしながら、須和は溜息をつく。

 

「やり過ぎだよ、キミは」

 

「教えてあげただけよ、どちらが食べられる側なのかをね」

 

 手に付着した血を舐める光莉の目に、普段の優しさも穏やかさも無く、人間味の無い蜘蛛のような冷たい意思以外に何もない。

 

「死体を誤魔化すのは後だ。今は篝君を病室から連れ出そう。こんな血の海に石倉先生は呼べない」

 

 確かアミュスフィアⅢには無線LANモードに切り替えができるはずだ。須和がアミュスフィアⅢの接続状態を切り替えしようとした時、またも扉が開かれる。

 そういえば、まだ仲間がいると言ってなかったか? 須和がそんな意識を持ちながら振り返れば、またしても彼の予想を覆す光景が待っていた。

 今度は立っていたのが司祭服に紫のコートを着た、長身で黒髪の男だ。年齢は30代半ばから30代後半といったところだろう。その左手で、顔面が陥没した、どう判断しても死亡しているスーツ姿の男を引きずっていた。

 

「失礼、P10042の御母上と主治医の方でお間違いないかな?」

 

 床一面を染める赤を気にする様子も無く、まるでゴミでも片付けるかのように黒髪の男は手に持つ死体を放り投げる。それはべちゃりと血を跳ねさせて光莉が殺害した男の上に重なる。

 

「あなたは……『何』!?」

 

 一方の光莉は破片を手に構えながら、まるで本物の怪物を見たかのように、目を見開いている。

 これに対して黒髪の男は嬉しそうに数度頷いた。

 

「なるほど。さすがは我が好敵手の御母上だ。良い勘をしている。こんな時でも無ければ語らいたいのだが、今の優先事項は我が好敵手の価値を見極める事だ」

 

 男が乱入している間に篝の心臓は停止する。須和は慌てて心臓マッサージを施そうとするが、それを男は人外染みた腕の力で制止する。

 

「手を貸さないでもらいたい」

 

「馬鹿な事を言うな! 早く心臓マッサージを――」

 

「理解していないようだな、人間。これは彼の戦いだ。無用な助太刀など無粋そのものだ」

 

 光莉は破片を構えたまま男に飛びかかるタイミングを窺っているようだが、まるで男の言葉に納得したかのように足を止める。

 一体全体何が起こっているんだ!? もはや混乱の極みである須和は叫び出したい衝動を堪えながら、無理矢理男に抑え付けられながら、徐々にチアノーゼ反応を示し始める篝を至近距離で見せつけられる。

 だが、突如として篝の体が跳ねた。

 1度、2度、3度と激しく揺さぶられたかと思えば、小さく、小さく、小さく、まるで心臓マッサージが施されているかのように心拍が戻り始める。

 医者として奇跡を何度か目にした事があるが、今まさに篝の心臓が再起を果たしているという事実に、須和は目を見開いた。

 だが、それ以上に彼を貫いたのは、男の……まるで最高の獲物に巡り合ったかのような、光莉の『美しさ』にも似た『苛烈さ』を宿した笑みだった。

 

「素晴らしい! それでこそ我が好敵手! 戦いこそが我々の宿命! それこそが我々の行くべき道!」

 

 満足したように頷いた彼は後ろで手を組みながら、わざとらしく足音と血を跳ねさせながら去っていく。

 

「ああ、この屑たちの処分は気にする必要はない。全て私に罪をなすりつけたまえ。こちらの看護師は預からせてもらおう。いずれ『処置』を施してお返しする。それでは我が好敵手の御母上と主治医の両名、共に健康をお祈りしよう。Merry Christmas」

 

 何が何だか分からない。

 だが、今まさに『真実』の塊と出会ったような気がする。

 須和は代々『こうした』処分を担ってきた須和家の宿命だな、と思いながら3人分の無残な死体を眺めた。

 そして、愛おしそうに生存を果たした篝を撫でる光莉を見て、こんな人生も悪くないと思っている自分も相応に狂っているようだと改めて自覚するのだった。




これが本当のブラッディ☆クリスマス。

次回からまた仮想世界編に戻ります。
次のエピソードは、クリスマスがハード過ぎたので、初のオールコメディでいきたいと思います。

それでは、131話でまた会いましょう。

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