旧校舎/図書室
桜の言葉通り、最初に私はサーヴァントが待っていると言う二階の左側の教室に向かってみた。
だけど、予想したとおり、サーヴァントは教室の居なかった。サーヴァントは霊体のように透明になれる力を持っているが、教室に入った瞬間に居ない事を察する事が出来た。
虚無の闇の中で出会った『漆黒の竜人』は、其処に居るだけで圧倒的な雰囲気と気配を発していた。
それを感じなかったので、教室から出て旧校舎内を探索すると共にサーヴァントを捜索し、図書室で覚えの在る気配を察している者を見つけた。
あの闇の中で出会った時と違い、黒尽くめの服装を着て『竜人』ではなく、人間の姿になっていた。だけど、発している気配だけは変わっていない。一度感じたら、あの気配を忘れる事など出来ない。
本を読む事に熱中しているのか、此方に気が付いた様子は無い。逃げ腰になりそうな自分を叱咤して、相手の背に向かって声を掛ける。
「……貴方があの『竜人』?」
「…漸く起きたか」
私の言葉に相手は反応し、手に持っていた本を本棚に戻して此方に向き直った。
整った顔立ちをしている。瞳は闇の中で見た時と同じく、金色の瞳だった。名は確か。
「改めて名前を言うが、俺の名は『ブラック』だ」
「『ブラック』? 黒?」
「言っておくが、偽名では無い。〝俺”はそう呼ばれていたからな」
どうやら此方の疑問を察したのか、『竜人』、いや、ブラックは憮然とした顔をしながら腕を組んで言って来た。
しかし、『ブラック』? 『黒』と言う意味しか無い。確かにあの『竜人』の姿も、今の人間の姿も黒尽くめではあるが、まさか、それが『ブラック』と言う名前の理由なのだろうか?
「……それよりもだ。何の用で此処にやって来た?」
ッ!? そうだ! この男の正体は気になるが、今は確かめなければならない事がある。
「貴方が私のサーヴァントなの?」
「――通常のサーヴァントにおける契約とは違うが、確かに俺と貴様との間にはサーヴァントとしての契約関係に在る。こうして向かい合って確かめるまでもなく、貴様と俺の間には目に見えない繋がりが在るからな」
どうやら疑いようもなく、彼は私のサーヴァントらしい。
サーヴァントとマスターは運命共同体だ。サーヴァントはマスターの代わりに戦闘を代行し、マスターは必要な魔力を提供する。関係的に言えば主と従者そのものだが、互いの立場は対等でしかない。
どちらが欠けても『聖杯戦争』には参加出来ず、サーヴァントが敗北した時は、マスターは即消滅してしまう訳では無いが、無防備なまま敵の刃に晒されてしまう事になる。
サーヴァントとはマスターの命綱を預ける存在であり、互いに背中を任せられる相手でなければならない。
……その点において、目の前に居る男は信頼する事は出来ない。何しろ、その正体も、サーヴァントとしてのクラスも、そして本当の名前さえも分からないのだから。信頼出来る根拠が一切無い。
「フム、どうやら俺を疑っているようだな。まぁ、無理もないか」
どうやら、此方の疑いの眼差しに気が付いたのか、ブラックは感心したかのように頷いた。
何故不審の眼差しを向けた事に感心されたのか分からないが、どうやら自分が疑われる事をしている事を理解しているらしい。
それでも、これ以上自分に関する事を言う気は無いのか、ただジッと此方を見つめている。同時に図書室の空気が重くなったように感じる。
「今の貴様の気持ちを正直に言ってみろ?」
……どうやら、知らない間に重要な選択の場面に追い込まれてしまったらしい。
此処で選択を誤れば、即座に目の前の男は私を見限る。よくよく考えてみれば、当然の事だ。
私が彼を知らないように、彼も私を知らない。
下手に出れば良いのか。それとも高圧的に接すれば良いのか。どう言う答えが正しいのか全く分からない。
なら……私の思うとおりに言おう! それで間違っていても、構わない!
行くぞ。行くぞ。行くぞ。
目の前の男が発する気配に萎えそうになる心を奮い立たせ、震える喉に力を込めて目の前に立つ男をにらみつける。
「〝正体が分からない貴方を、信頼する事は出来ません”!!!」
「………」
い、言ってしまった。
だけど、それが私の偽りない気持ちだった。膝がみっともないほど震え、相手の答えを聞くのを恐怖するが、それでも言いたい事だけは確かに伝えた。
「……ククククッ!!! ハハハハハハハハハハハハハッ!!」
な、何事!?
いきなりブラックは顔に手をやって、心の底から愉快そうに笑い出した。
「ハハハハハハハハッ!! なるほど、どうやらあの時の意志の強さは、まぐれでも、気の迷いでも、何でもなく、貴様自身のモノだったようだな!! 良いぞっ! やはり、貴様は面白い!! 此処で媚び諂うような奴だったら借りが在っても見限っていたところだが、その意志の強さがある限り、この月の裏側では貴様の望むままに力を貸してやろうッ!」
よ、よく分からないが私はブラックに認められたらしい。
だけど、同時に私は常にブラックに意志の強さを示さなければならなくなってしまった。
もしも私が意志の強さを失えば、あっさりとブラックは私を見限る。例えどんな状況で在ろうともだ。
「とは言え、俺の正体に関しては今は説明する事は出来ん。暫らくは待て。お前が更なる意志の強さを示した時、俺に関して語ろう……貴様はこれから動き出すのだろう? ならば、俺も付き合ってやる」
ブラックは言い終えると共に、私の背後に移動してまるで霧のように姿を消した。
実体化を解いて、霊体状態になって付いて来る気らしい。どうやら暫らくは私の意向に従ってくれるようだ。
しかし、結局何もブラックに関しては分からなかった。あの様子では再度尋ねても答えるとは思えない。
話してくれるまで待つしかないと思い、桜に言われていたので『生徒会室』に向かわなければ。
「あぁ、そうだ」
突然ブラックが背後で実体化した。
何事かと思い、慌てて振り返る。
「貴様の名前を聞いていなかった。名は何と言うのだ?」
……そういえば、ブラックに名前を名乗ってなかった。
「あ、うん。岸波、岸波白野。それが私の名前」
唯一自分に関して覚えている私の名前。
それを聞いたブラックは何か考え込むように、ジッと私を見つめる。
「白野か……なるほど、貴様には合っている名前だ」
? どう言う意味だろうか?
疑問に思うがブラックは答える事無く再び霊体化して姿を消した。
私は訳が分からず首を傾げるが、待ち人が居ると言う生徒会室に向かうことにした。
旧校舎/生徒会室
桜が言っていた待ち人がいるという『生徒会室』に辿り着き、扉をノックする。
「どうぞ。入って来て下さい」
了承の返答が返って来たので扉を開け、室内に足を踏み入れる。
生徒会室内は他の教室と違い、豪華な絨毯やテーブルに椅子、本棚、更に少々場違いな気がするが巨大なモニターらしき物が置かれていた。
そんな室内に居るのは、椅子に座っている黒い学生服の少年に、その背後に立って控えているコートを着込んだ青年、白い鎧を着た青年がいる。
黒い学生服を着た少年には覚えがある。あの虚無の闇に飲み込まれる前に過ごした学生生活でクラスメイトで在った筈の『レオナルド・
残りの二人は初対面の筈だが…どうにもそうでない気がする。
記憶があやふやなせいで確証は無いが、おそらくは『聖杯戦争』中に面識があったのかも知れない。
「来たみたいですね。はい、それじゃ二人とも、せーの……おはようございまーーす!!!」
「……はい?」
思わず疑問の声が出てしまった。
だけど、レオは構わず、背後に立つ気まずそうにしている二人に急かす。
「二人とも打ち合わせ通りにやって下さい。朝の挨拶は元気よく快活に。やや脳の作りを疑われるほどバカっぽいほど学生らしい、と言ったでしょう。それでは、もう一度岸波さんに向かって、おはようございまーーす! 岸波さん!」
「グ、グッドモーニング」
「お……おはよう、ございます」
レオに従って、恥ずかしそうにしながらも背後の二人も挨拶した。
そしてレオは無言で、私に向かって笑顔を向けて何かを強要して来る。つまり、私にも今の恥ずかしい挨拶をしろと言うのだろうか?
(――――)
霊体化しているブラックが、私がどう選択するか注意深く観察しているのを感じる。
レオの威圧感に負けて、挨拶をすれば不味い気がする。しかし、レオは笑顔のまま威圧感を強め、挨拶するのを強要して来る。
前門の虎。後門の竜。
何故こうなった? 私が一体何をした?
さっき、図書室で命の危機に迫る選択を回避したばかりだと言うのに、一体何故?
しかし、答えなければならない。このまま双方の威圧感に晒され続けるくらいならば、私は選択する!
「…………」
無言でいる事を。
「おや、つれないですね? ボクの記憶では白野さんはわりとおかしな人物だったんですけど……兄さん、どうやら彼女は白野さんの偽物のようです。いえ、偽物に決まっています。なのでチェンジしましょう」
「……レオ。彼女は間違いなく岸波白野だ。アレは単に、お前の態度に固まっているだけだろう。実際……オレやガウェイン卿ですら、まだ慣れないぐらいだからな」
「そうですかー? これでもテンション抑えめなんですけどね」
――――何なんだ、この展開は?
目の前で繰り広げられたコントに呆れを覚える。
と言うか、私はレオに可笑しな人物だと思われているのはどう言うことだろう?
少なくとも私の記憶ではレオに対して可笑しな事をした憶えは無い。
寧ろ、私が知っているクラスメイトだったレオは、こんなにフレンドリーな性格では無かった筈だ。
「……その様子からすると、ボクの事は憶えているようですね。では、悪ふざけは此処までに。ご安心下さい。ボクは白野さんが知っている通りの、冷静沈着なレオですから……しかし、少々残念でも在ります。白野さんが忘れていたら、これを機会にキャラ変えをしたかったのですが……」
……もう、今の発言時点で私の知るレオからかけ離れている事を指摘すべきなのだろうか?
私は、ドッと疲れを感じながらテーブルを挟んでレオと向き合うように、反対側の椅子へと座る。
「では、改めて。お待ちしていました、岸波白野さん。初めまして。ボクはレオナルド・
「……ユリウスだ。今はレオのサポートに徹している」
「『セイバー』のサーヴァント、ガウェインです。……その、我が主は現在、年相応の無邪気さを発散しています。ですので、多少の我儘は大目に見ていただけますよう。貴女の寛容さを、切実に期待します」
ユリウスと名乗った人物は、レオが兄と呼ぶ事から兄弟のようだ。
全く似ていないところを見ると、異母兄弟というやつなのだろう。
どうやらユリウスもマスターのようだが、サーヴァントの姿や気配は無い。
生徒会室内にはガウェイン以外には、私の背後で霊体化しているブラック以外にサーヴァントの気配は感じられない。
何よりもユリウスからはサーヴァントを持つマスター特有の気配が無い。となれば、ユリウスは何らかの理由でサーヴァントを失ったマスターなのだろう。
そしてもう一方のガウェインは、主と呼んだところから見てもレオのサーヴァントなのは一目瞭然だ。
何故か、今回の聖杯戦争に召喚されたサーヴァントの中でもトップクラスだと言う事が紹介されると共にハッキリと思い出せた。
やはり、ユリウスとガウェインは『聖杯戦争』中に会った事が在るのだろう。
そう私が考えていると、生徒会室の中に光が溢れ、桜が現れる。
「失礼します。校内の全スキャン、完了しました。校舎にはもう、未発見のマスターはいないようです」
「そうですか」
レオは桜の報告を聞くと此方に向き直った。
その姿は私の記憶にあるレオナルド・
最強のサーヴァントを従えるに相応しい風格が、今のレオからは感じられる。
「……状況からして
「月の裏側からの脱出作戦?」
月の裏側と言う言葉は聞き覚えが在る。
ブラックが言っていた言葉だ。だが、それがどう言う意味なのかよく分からない。
「……いきなり、言われてもよく分からない。質問させてほしい」
「おや、サクラから説明は受けていないのですね? では、ボクの口から説明しても?」
「はい、お願いします。憶測ばかりなので、AIである私には説明出来なくて」
「そうでしたね。ムーンセルのかけた制限でAIは事実として判定された情報しかマスターには伝えられない。では、白野さん。答えられる事は答えますので、どうぞ」
「まず最初に……此処は何処なの?」
これは最初に聞いておかなければならない。
今居る場所が分かれば、それだけでも今後の行動に関して方針が決められる。
『聖杯戦争』を行なっていた
「
「どうぞ、レオ」
ガウェインが何か操作を行うと、ユリウスの背後にあったモニターに映像が映った。
球状の図面、どうやら表示されたのは、月の映像らしい。
「こんな事もあろうかと、ワクテカ図面を用意しておきました!」
「……レオ。ワクテカというのは精神状態を表すスラングであって、図面の用語では……」
「ワクテカ図面です、兄さん。兄さんだってここの表記はプロポーショナル体よりゴシック体の方がクールだとか、とか盛り上がってたじゃないですか」
「……アレはわかりやすさの追求だ。ブリーフィングでは、時にスタイリッシュなものが好まれる」
「なるほど。僕が言うのもなんですが兄さんが指揮していたチームはフォーティーンばかりだったんですね……と、話を戻しましょう。この図解にあるように、現在、ボクらは月の裏側に居ます。そして『聖杯戦争』は月の表側で行なわれているものです。つまり、ボクらは――――」
私達は表から、裏に落ちて来た。
いや、正確に言えば私が虚数の闇の中に飛び込む直前に見た正体不明の黒いノイズによって裏側に落とされた。
「そう考えるのが自然でしょう。サクラ、説明を」
「は、はい。え~とですね。此処は今説明されたとおり、ムーンセルの裏側……正確に言えば、本来ならムーンセルが『使用しない』と封印した情報倉庫なんです。ムーンセルは光を記憶媒体にした、〝物質に頼らない”記憶装置ですが、ここはその光が入り乱れた高次元。悪性情報や虚数すらソースとして成立する、“
なるほど。つまり、悪しきものも是とする、生命が居る場所として相応しくない空間こそが月の裏側らしい。
しかし、それならば私のサーヴァントであるブラックは一体何者なのだろうか?
おぼろげでは在るが、初めて会った時にはブラックは月の裏側を良く知っているような言葉を発していた気がする。
だが、桜が言うには月の裏側は〝知性を持つ生命は決して入ってはいけない、絶対禁断領域”らしい。
一体どういう事なのだろうか?
「まぁ、もうボクたちが入っちゃってるんで絶対も禁断もありませんけどね。とにかく、そんな危険な領域でボク達は目を覚ましました」
「私たちNPCも同様です。本戦でマスターの皆さんと一緒に飲み込まれ、生き残った者が校舎に残されています」
……月の裏側……
そんな空間があった事は初耳だが、確かに良く考えてみれば『聖杯戦争』は月の表層から中枢に向けての旅だった筈。
月が円形である以上、中枢の奥に〝もう一つの舞台”があっても可笑しくは無い。
私達が今居る場所に関しては分かった。次の問題は、此処から出る事ができるのかどうか、だろう。
「この旧校舎は安全のようですが、それもいつまで安全なのか、保障は無い。加えて、校舎の外は黒い海に囲まれています。ボク達では触れた瞬間に消滅するでしょう。場所に関してはこんなところです。次の質問は?」
「……どうして私達の記憶は曖昧なの?」
場所に関して良く分かった。
次はどうして私の記憶を失っているかについて気になって質問した。
「……それはお前だけの話ではない。レオも、俺も、そして校舎に居る他のマスター達も同じだ」
「はい。ボクたちは全員、聖杯戦争中の記憶を失ってここに居ます。憶えているのは自分のサーヴァントと、戦いの中で知り合った人々のデータだけです。例えばボクの場合、まだ『聖杯戦争』で脱落していないと断言出来ますが、何回戦まで勝ち進んでいたのかは良く思い出せません。また、白野さんには自分でもどうかと思うぐらい強い関心が在るのですが、その関心を持った理由も経緯も忘れてしまっています」
「……お恥ずかしい話ですが、私も同様です。恐らく貴女のサーヴァントも記憶を失っているでしょう」
いや、そもそもブラックは『聖杯戦争』に参加していたサーヴァントでは無い。
当然『聖杯戦争』に関する事など知る筈が無いだろう。しかし、これで記憶喪失に関しては私だけではなく、月の裏側に来ている者達全員に起きている現象だと言う事は分かった。
しかし、どうやら私は他の皆よりも強い記憶喪失の状態に在るらしい。何せ『聖杯戦争』に参加した経緯や、魔術師としての自分の経歴を思い出せないのだから。
改めて、私は自分のおかれている現状に背中が寒くなった。
記憶を失ったのは私だけではないと知って恐怖は薄れたが、やはり〝自分が何者だったのか”を思い出せないは居心地が悪い。
「とにかく、ボクらが記憶を失った事とこの旧校舎にいる事は関係がある筈です。不自然に消えた記憶は、不自然な状況を解析すれば戻るのが道理でしょう。それで白野さん。まだ質問は在りますか?」
「……最後に一つ。私が憶えている事は、校舎が闇に呑み込まれる事だったの」
「…詳しく話して下さい」
私は自分が此処に来る事になった経緯を。
レオとシンジと自分はクラスメイトだった事。
放課後に突然アナウンスが流れると共に、校舎の中に残っていた人間が闇に呑まれて消えてしまった事を説明した。
「……学校でボクと白野さんがクラスメイトだった? ……それは予選の延長でしょうが、可笑しいですね? ボクの記憶とは違う。うろ憶えですが、ボクの場合は『聖杯戦争』の途中で黒いスライムに襲われ、気が付けばここにいました」
…確かに違う。
私とレオが月の裏側に来る事になった経緯が明らかに違う。
この違いは一体?
「サクラ。予選のシステムについて、ボクの口から白野さんに説明しても良いですか?」
「問題ないと思います。もう此処はシステムの外ですし、岸波さんは予選を突破していますから」
「では遠慮なく。『聖杯戦争』には予選と本選がありました。地上から月にアクセスしてやってきた魔術師はまず記憶を奪われ、偽りのパーソナルを与えられます。ボクらに与えられた役割は〝何の変哲もない、西暦2000年頃の学生”でした。覚えは在りませんか?」
……ッ!
そうか……校舎に居た時に唐突に感じた〝世界”に放り出された感覚は、ムーンセルのシステムから押し付けられた役割を〝今の職業”だと信じていたからなのか。
「その役割に違和感を覚え、本来の自分を取り戻した魔術師だけがマスターとしてサーヴァントを得られます。最も、役割を取り戻した後に試練として戦う事になりますけどね。其処で敗北すれば当然失格です。そして白野さんもサーヴァントを得ている事から、本選には上がって来ている筈です。ですから、ボクと同じように本選であの黒いアンノウンに襲われていなければ可笑しいのですが」
しかし、私にはその記憶が無い。
私が覚えているのは『予選』にあたる校舎での日常と、あの果てまで落ちて行く闇と、自分の意志に応えてくれたブラックだけだ。
同じ黒いアンノウンに呑み込まれて月の裏側に来る経緯が、私とレオで違いがは在り過ぎる。その事について思い悩んでいると、神妙な顔をした桜が口を開く。
「あの……いいでしょうか? レオさんは岸波さんと違って此方に落ちてからすぐに目覚めましたけど、岸波さんはずっと眠っていました。昏睡状態の時、レオさんの言う『黒いアンノウン』にずっと魂を囚われていた事になります。そのせいで長い悪夢に侵されている内に、本選での記憶を完全に消された。或いは飲まれてしまったのでは無いでしょうか?」
「なるほど。確かにその可能性は在りますね。つまり、白野さんが語る経緯は…」
「おそらく以前あった現実と夢が混ざり合った、捏造された予選の可能性が高いです」
……アレが捏造された予選……?
それじゃ、私が経験した〝日常”は全て夢だった……?
いや、正確にいえば、最後の〝校舎が飲まれる”シーンだけが夢で、それ以外がかつての記憶から再現されたものだった。
だとしても、私が経験したあの暗闇の冷たさは、決して夢では……
「もう一つ、可能性が考えられる。貴様が今回の件の首謀者を目撃したから、念入りに記憶を消す為に偽りの記憶を与えたと言う可能性がな」
ッ!?
慌てて背後を振り返ってみると、霊体化して黙って話を聞いていたブラックが腕を組みながら実体化していた。
突然現れたブラックに、生徒会室に誰もが警戒を露わにしている。ガウェインなど、何時武器を取り出しても可笑しくない気配だ。やはり、ブラックの発する気配は、他のサーヴァントにとっても異質に感じるモノのようだ。
だが、今はそれよりも。
「…私が首謀者を見たかもしれない?」
「……確かにその可能性も在りますね。ボクと白野さんとの経緯の違いは大き過ぎる。在り得る可能性の一つでしょう。ご意見ありがとうございます、白野さんのサーヴァント」
「俺はあくまで可能性を言っただけだ。だが、その代わり、一つ聞きたい事が在る」
「何でしょうか?」
「『フリート・アルード』。この名に憶えは在るか?」
? 誰の事だろう?
全く憶えが無い名前だ。少なくとも私は会った事は無い。
レオやユリウス、ガウェインに目を向けるが、三人とも憶えは無さそうである。だが、別のところから答えは返って来た。
「その名前は、確か……『聖杯戦争』本選参加者の中に在ります。ですけど、旧校舎にはその名前に該当する人物は居ません」
桜がブラックの質問に答えた。
しかし、それは可笑しい答えだ。私とブラックが契約したのはほんの少し前の筈。
虚数の闇の中に居て『聖杯戦争』に本選に参加していないブラックが、何故本選参加者の名前を知っているのだろう?
ブラックはゆっくりと桜に視線を向ける。其処に在る感情は……警戒?
「……そうか……聞きたい事はそれだけだ。邪魔をしたな」
再び霧のようにブラックは姿を消した。
どう言う訳だが分からないが、ブラックは桜を警戒している。
桜は、私達の為に色々と手助けしていてくれているのに一体何故?
「とにかく、これで状況は理解出来ましたね。さて、其処でボクからの質問です。月の裏側。失われた記憶。謎の旧校舎。出口のない世界。取り残された我々。この状況で、ボクらがするべき事はなんでしょうか?」
「…此処から脱出して、『聖杯戦争』に復帰する」
……答えなど、分かり切っている。
私の状態はどうあれ、『聖杯戦争』に復帰しなくては。
私は取り戻さなければならない。
自分が何者なのかと言う記憶も。
戦いに参加した経緯も。
『聖杯』に抱いていたであろう理想も。
今の私は空っぽのままなのだから。取り戻さなければならない!!
「……だろうな。聖杯戦争では敵同士であっても、この状況では手を組まざるを得ない。お前はそういう女だ」
「そうですね。それが一番正しい目的です」
「期待以上の返答です。これで共同戦線の開始ですね。『聖杯戦争』に復帰するまで……いえ、月の裏側から脱出するまで、ボクたちは仲間です。では改めて……レオナルド・
強い意志の籠もった宣言だった。
チーム名に関してはどうかと思うが、レオが司令官の下ならどんな困難も乗り越えられる。
そんな希望を抱かせるほどの宣言だった。
「しかし、まず第一の問題があります。これをクリアできなければ脱出プランを練ることすら不可能でしょう。まことに言いづらいのですが……人数が、足りないのです」
……………はっ?
「会長のボク、秘書の兄さん、じいやのガウェイン……そして庶務の白野さんしかいないではありませんか!! これではボクが夢見た生徒会とは呼べない。呼んで良いハズがない!! 生徒会とはもっと華やかなもので、青春のにおいが満ちているものなのです!!」
「その通りです、我が君。どのような品種であれ、花が増えるのは良い事かと」
「そう言う事ですので、白野さんは生徒会メンバーを見繕って来て下さい。少なくとも副会長と書記の二人は必須です。校舎にはボクたちと同じ境遇のマスターが何人かいますから、有能そうな人をかたっぱしからスカウトして来て下さい。どうやら、貴女のサーヴァントは校内を見回っていたようですし、誰がマスターなのかは知っているでしょうから」
……話は其処で終わってしまった。
レオからの最初の指示は脱出する為の人材集め。
生徒会を発足する為に、校舎にいるマスター達を説得して連れて来る。一応重要な任務の筈なのだが、どうにも緊張感が湧かない。
……本当に大丈夫なのだろうか、あのレオは……?
私はそう想いながら、校舎内に居るマスターを捜索する為に、霊体化しているブラックと共に生徒会室から退出した。
旧校舎/二階通路
(〝奴”が一体何を企んでいたのか、大体読めて来たぞ)
生徒会室から白野と共に退出しながら、ブラックは集まって来た情報から一つの推測が浮かんで来ていた。
自身が於かれている現状。今の体。そして復活する元凶が何をやろうとしていた。その答えがブラックには見えて来ていた。
(それにしてもあの娘……似ている。いや、瓜二つと言って良いぐらいだ)
脳裏に浮かぶのは虚数の闇の中に飛ばされる前に見た相手の姿。
ブラックが桜を警戒していたのは、ムーンセル側のAIだけと言うだけではなく、余りにも自身を吹き飛ばした相手に似過ぎていたからだった。
(あの小娘に関しては気にはなるが、今はあの小僧の指示に従うか。在る意味では情報を集めるのに助かるか)
気に入らない部分は在るが、レオの指示は現状では最良の策なのは間違いない。
白野に手を貸すと決めたのだから、白野の行動を妨げる気は今のブラックには無い。それに白野がブラックの代わりに相手と会話する事で、情報を得やすくなる。
先ほどの生徒会室でもそうだったが、無意識に発している気配のせいで、ブラックはどうやっても相手に警戒心を持たれてしまう。
これから会うマスター達と会話するなら白野の方が良い。ブラックはあくまで〝己の為”にレオの指示通りに動こうとする白野を助ける為、通路に実体化するのだった。
次回は旧校舎のマスター達と漸く迷宮侵入です。