ES_020_接続過程、落月屋梁
だから、誰も知らないんだ。
鈴も箒も『アイツ』も桜の騎士も──そして『君』だって知らないこと。
無論のこと伝えたことはないし、言おうとも思わないし……わかってくれとも、もちろん言わない。
繋がるための言葉だろう。わかり合うための言葉だろう。そういう理解が素晴らしいことを、俺はきちんと知っている。だけれどそれを求めないということは、つまり織斑一夏にとって『それ』とはそういう類いのものであるということで。
正直器用でも、ましてや頭がいいわけでもないから、君達はそこに賭けるこの熱意を知ってはいるだろう。そういう駆動を続けてきた。そういう鼓動を続けている。だから俺の心臓を干上がらせる恒星の一心を、そうとも不当な誤解を一切と取り払って、納得してしまっているのだろう。むしろ察せられないほうが無理だというものかもしれないさ。でも。
でも、だからこそ。
俺が『それ』を願っていることを知っていても──。
俺が『それ』に飢えていることを解っていても──。
俺がどれだけ『それ』を求めているかを、知らないんだ。
◆◆◆◆◆
『砕けろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!』
聴覚が拾う颶風の号砲。
痛烈極まる滂沱の熱情を代弁して、号砲に轟音が重なり弾ける。
破砕音──数十メートルとの距離を画した中空でさえ、腹の底をアッパーカットする重低音。威力多大、大膨大。今しがた切り落とした八連なんぞが小手先にしか感じられないほどの衝撃は、はたして単純に破壊力に由来するものじゃないだろう。清濁混在の、輝かしい一撃。
俺には。
織斑一夏には、よくわからないが。
(鈴か──)
顔無が打ち出す必至八連、最後が砲弾。
歯車軌道の《零落白夜》のちょうど八撃目が熱量を削いだまさにそのとき、裂帛と叫ぶ声は間違えようもなく我が幼馴染み。
聞くが早く聞こえるが速く、なにがしかの攻撃が炸裂した。
途端たちまち、爆煙と土砂の混合積乱。急速に体積を増殖させて、煙の幕が昇り上がった。
のも、直後。スイカの種でも飛ばす程度の呆気なさで、煙から爪弾かれる鈴の体。大重量のISですら木っ端ほどに吹き飛ばすその威力、どれくらいだなんて俺の杓子定規じゃわからない。
それでも、爆炎に焼かれながらも釣り上がった口角は、まさにあいつらしい表情で。
傷だらけの煤まみれの攻撃的な笑顔を……あいつにさせてしまったことが、許せなかった。
──
砂の混じったような感覚。
けれども大きな馬力の前にはさまった砂粒はみるみると破砕され、通常通りに稼働する。
腕は動く。足もある。血は足りないがさしたる問題ではまったくない。思考はいらず。熱もいらず。肺と肝臓は顕在している。さすればせいぜい気にするべきは、枯渇するシールドエネルギーとひび割れた装甲程度。──総評、無傷。
だとかいう現状なんてどうでもいい。
いま必要なのは。
「大丈夫か?」
ただこの身が、守ったはずの誰かの安否。
鈴でもセシリアでも、そして箒でもない誰か。
正直この身体は不器用で、まったく聡明な
誰であろうと。
織斑一夏が身体を張らない理由はない。
だから、改めてその背後。
せめて怖がらせてすまなかったと思いながら、不自然ながら顔を笑顔にして、振り返る。
俺にできることなんざ、きっとそれのみだろうか
「ありがとう、織斑君」
ら、
「ぁ き み ……は ────、」
その。
瞬間の。
衝撃を。
どう、表現すれば、よいのだろう。
女の子。ISを着ている。知らない型。眼鏡から覗くその双眸は、きっと本来なら理知的に冴えていたはずだったろう。今は怯えか、震えている。頬まで赤く染めながら。
その顔は。
忘れるはずがない。忘れることはない。
心は回帰する。感覚は復元する。よみがえる空気。浸透する飢餓。狂わしい心臓の熱と、擦り切れる拳の感覚。視界を占める純白の世界で緑の黒髪。白昼の窓辺に君は一人。立ち込めるあの日の残像。焦げついた渇望を抱きしめる
あの日。
あの日にきっと。
織斑一夏は。
『ありが、とう……!』
だからこんなにも不完全。いらない思考を巡らせて、残ったものを誇ることだってできやしない。いいやそんな誉れなんて、そもそも必要ないのだから。
ああ、でも。
どうして、なんで、君が、ここにいる──?
すべてが止まる。静寂が走る。
思考は赤熱と零下の多重螺旋。
そんなあからさまな硬直に、君も鈴もセシリアも、どころか箒さえも驚いてしまっているようで。たとえ鈴が一撃入れたとはいえ依然予断を許さない現状に、この学園で最大級の空白を明け渡してしまった。
『悲しいかな、一夏。
私とおまえの聖戦なのに、よもや私から視線を外しておいて……無事に済むとは、思うまいな?』
────だからこそ。
だからこそ、この瞬間に確信した。
この期に至って、こんなところで。
君が更識さんだったのかとか、鈴は大丈夫だとか、セシリアは案外友達想いだとか、箒の驚く顔は久しぶりだとか、やっぱり敵はやられてなかったとか。ほかにもするべき・考えるべきが数多ほどもあるこの戦場で、阿呆のように思い至る。
いいや、なにも不自然なことではない。
理由もある。理屈もある。
実にわかりやすい理論的な根拠さえある。
それらすべてがついに合致して。
閃光が瞬くように全部の条件を満たしたこの瞬間。
理解する。
織斑一夏、生涯の怨敵とは。
この、顔も判らぬ顔無なのだと。
この織斑一夏の世界を高らかと毀損させる、鉄仮面の向こう側の女こそが、敵なんだ。
そして熱線が解放される。
時間が束縛を引きちぎる……ああ、そうなのだ。
確信、だからどうした。理解、それがなんだ。
そんなどうでもいい怨敵の確信なんぞじゃ、この場ではなにも役に立たないから。
最大極大のレーザーが放たれた直後に更識さんすら置き去りにして、俺は鈴へと飛んでいた。
遠い。
(あ、)
血を回す。
血流循環すらも加速させる赤熱の最速を身体中の必要不可欠なもの達を削ぎ落としながら更新する。
そういうだけのそれだけの
間に合わない。
(あ、ああ)
戻っていく戻っていく。
いいやゼロ以外のなにがしかまで平らげて、織斑一夏を無に返す。
きっと。ああきっと。
もしものもしかしたらでイフの仮定。
この身体が鉄で出来ていて、丈夫な
きっと。
誰も。
なに一つ。
毀損されることなんて、なかったんだ。
世界はかぎりなく低速のスローモーション。結末を容易に描き出した脳漿が子どものように否定して、行き場のなくなった電気信号が現実逃避を促している。停滞した視界が色味を失っていき、灰色モノクロに侵食する。
なのにいくら思考が加速しても、機体が速くなることはない。
(その子は、)
──凰鈴音という、その子だけは。
快活な声が鮮明によみがえる。一緒に過ごした放課後を覚えている。夕焼けに二人で臨む安らぎもある。みんなと過ごす休日には必ずそこにいて、笑ってくれて、口やかましくも支えてくれる君がいて。
その子だけは、ダメだ。
『────ありがとう、一夏』
その子はきっと、俺が唯一。
確かに。
確かに。
確かに失わなかった俺の。
俺の大切なひとだから。
なのに、足りない。
間に合わない。間に合えない。
酷く脆くて矮小短躯の靉靆に軽い芯のない、卑賤で下賤で粗陋の白痴。糞しか詰まっていない生ゴミの肉袋みたいなこの
もっと、ほんの一欠けらでも価値のある部品で存在が構成されていたのなら。
俺以外の、なにかしらの誰かしらであったのなら。
外見も中身も全部捨てて、別の存在になれたなら、もしかしたら──。
でも、ここには。
ここには、織斑一夏しかいないから。
弾も数馬も『君』も『アイツ』も桜の騎士もいないから。
どんなにちっぽけでくだらなくて馬鹿野郎のド阿呆でも、ここにいて動けるのは俺だけだから。
『掛かって来いよ、■■■?』
聞こえるいつかの幻聴。
嘲るような代名詞。
モノクロの時間でもなお確然。嘲笑とも賛美とも凄惨とも憮然とも──あらゆる『害意』を含んだ、あらゆるものを煽り小馬鹿にするような挑発的な顔。忘れようもなく間違えようもないその顔が、こんな鉄火の修羅場で笑っている。
俺をそういう風に呼ぶやつ、お前以外にいないけど。だけれどそうでなかったとして、俺がその顔を見誤るなんて悔しいことにありえない。どころかそんな役職呼ばわりされること、心底本当にお断りだ。いったいなにを思ってそんな呼び方されるのか。でも、だけど。
もしもお前の言う通り、俺がそういう奴隷だとするならば。
織斑一夏は喜んで、『それ』を竜蟠虎踞と体現しよう。
ああ、ならば。
「往くぞ、■■」
この俺が、織斑一夏がこの瞬間、間に合わないはずなんてないだろう!
追いつかない? 間に合わない? ふざけるんじゃない認められるか解るものか。恒常的に機能する、単細胞なんだよわかるだろ? 単一機能しかないのだから、できるできない以前にあり得ないんだ。
視界が色味をとり戻す。わだかまった世界が生気に満ちて、再び時間を刻み出す。頬を撫で行く向かい風がヤケに新鮮。血風修羅の灼熱鉄火、鮮明清爽なのは瑞風のようで。
動く。動ける。だから速く。
力のかぎり全力で。なりふり構わず最大で。
祈れば降りてくる無価値な奇跡に、
──ねえ一夏。きみがやりたいことって?
そんなこと、語るまでもない。
俺は。
織斑一夏は。
▼
【──
▼
そして、俺の視界は閃光に包まれて。
「《雪崩》──」
速度を上げるは大銀翼。
一対の大翼は《白式》の推進器六機すべてを足しても並べないほどに大々的で、過剰に生産される雷光を打ち振るさせながら物理現象を嘲笑う。鶴や白鳥、果ては天馬。誰しもが知る空飛ぶ清純の羽根を想像して、それを歯牙にもかけない程度に白々に白。風も音も熱も馬鹿にするその速さは、第一宇宙速度すらも容易と嬲る。ああなるほど、この翼は正道を行くために創造されたに違いない。
「《華雪》──」
熱線に触れるは
左に握る大盾はISをまとっていながらもそれを隠すほどに長大で、すべてが純白の拵えは、清純可憐な
二つの神器、原初の純白。
超常する頂上は、織斑一夏が恒星の一心をあるがままに出力する。
ゾッ、と。
最大火力の一撃は、なんとも呆気なく大銀盾に触れて、消滅した。
そうとも、間に合った。
俺は、ここに。
「大丈夫か、鈴?」
お前の前に、間に合えた。
「──うん。ありがと」
帰ってくる声色はいつも以上に優しくて、柔らかく耳朶をくすぐる。
だけれど瞳は潤んでいて、なんともしおらしい温かみがあって。
まるで望んでいてものを見たような、ある意味で慈愛ような、感動を秘めて流している。
なんというか、こいつにしては珍しい顔だった。
「なんだよ、泣いてるのか?」
「うっさい馬鹿。さっさと行けっ」
「はいはい」
会話はそれで終わり。
疑問はない。感動の言葉とやらもない。
短い感謝と、送り出す悪態のみ。いつもの俺達。
きっと、知りたいことがあるだろう。聞きたいこともあるだろう。
俺が携える神器が二つ、いったいそれはどうしたのだと──その他もろもろ、口やかましくしたいことだってあるのだろう。だけど彼女は、ただ笑って。そこにいて。いつも通りの、あるがままで。
振り向けばそこにいる。お前はそこで待っている。
たったそれだけ。お前からしたら置いてけぼりだなんだのかもしれないけど。
それだけの当然が、どれだけ俺を救ってくれたことか。
なんて、こっ
だからせめて、俺は飛ぼう。
お前が送り出してくれるのだから、そうされるだけの存在で在れるように。
さぁ。
織斑一夏よ、飛翔しろ。
『……なんだ、それは』
などいう決意に釘を刺すあたり、やはりどうしようもないほどこいつとは相容れない。
顔無。黒星。
鈴の一撃を受けたはずなのに、予定調和と言わんばかりに無傷で強健。
耳障りなメタルエコーは健在で、鉄面皮は冷たくひたすらのっぺらぼう。いいや相容れないとかいう以前に、こいつと理解などとは間違ってもあり得ない。諦めとかじゃなく、こいつは俺にとってそういうものだから。
撃滅すべき、最大の害悪。
その敵が、まるで肩でも震わせるように静かな金打声を響かせる。
心底、度し難いといった風に。
「往くぞ顔無。俺はお前が許せない」
『なんだよ、それは』
語調が強まった。
静謐が剥がれる。
それは明確なる、憤怒の表れ。一度だけ見せたあの驚愕とは打って変わって、そして更識さんに向けたものとも一層違って、ふつふつと急速に温度を上げる液体のように怒りの液温を上昇させる。
それは失望でもあり。嘲笑でもあり。
呆れているようにも聞こえる、混合の声色。
『なんなんだ、それは』
繰り返すほどに三度。
仏の顔のたとえを蹴って、炸裂した三色混声。
顔無には珍しく、荒げるような語彙。
「なんなんだって、なにがだよ」
『今おまえが呼び出した、それだよ』
「ああ、これか」
新たに《白式》に装備された二つの装備。
大銀盾・《
大銀翼・《
全身がボロボロの機体のなかで、不釣合いなほどに無欠の白。
見間違えようもなく、忘れない。どころかISに関わるものにおいて、いいやそれだけじゃなく現代に生きる者ならば、誰だって知らないとは言えないほどに決定的な原初の純白。
《白騎士》と呼ばれる世界最初のISの、装備。
どうした理由かは知らないが、その内の二つが展開されていた。
本当にまさしく、いつの間にかとしか表現できない呆気なさで、そこにあった。意識してどうすることもなく、ただ。始めからそうであったとしかいえないような気軽さで、二つの強大がこの手の内にあった。都合がいい。奇跡が沸いた。なぜだかどうして、意味が知れない。
俺にはどうでもいいことだが。
どうでもいいことだが、敵にはそうでもないらしく。
「かっこいいだろ? さすがにこれを持ち出しといて、お前になんか負けないさ」
『失望だ、一夏』
すっぱりと。
茶目っ気交じりの言葉を、言外にふざけるなと切り落とす。
『失望だ一夏。おまえは、その程度の愚劣ではないと思っていたのだが』
落胆。
散々俺がどうのだと礼賛していた言の葉が、手のひら返したように反転する。
『それはおまえの力ではない。おまえだけに起因する、己の
だというのに、なにを甘んじて手を伸ばしているんだ。我が物顔で掲げているんだ。どころか第一、
赫怒を強引に押さえ込むようでいて、失望に萎える気炎を無理に燃え上がらせるような奇妙な連動。
それは、他人のものだということに対する瞋恚。
『私はなあ、一夏。おまえと戦いたいんだよ。
借り物で飾り立てて自尊心を満たすような、容易な輩を殺しに来たわけじゃあない。我ら二人の決戦に、どうして他の要素が入り混じる? 情けないぞ、気色悪い。おまえはいったいどこにあるのか。懇意にしている女の一人くらい、自分で守ってみたらどうだ?』
自分のあり方を問う、憤慨。
『そんな
私は、ここにいるぞ。
ここに、生きながらえてしまっているぞ?
ならばおまえは? おまえはどこだ? おまえは──』
人が人なら心に突き刺さる、当たり前の憤懣。
『「己は己だ」と、胸を張って言えるのか?』
自分のもの・自分だけの、というのは、実はすごく曖昧だ。
なにをもって自分のものだと言えるのか。自分だと言えるのか。
自分のお金で買ったから? 人にプレゼントされたから? 練習で身につけた。生まれながらの才能。人から盗んだ。継承した。託された。のし上がった。人がものを手に入れるプロセスは多々あるけれど、果たして自分のものだと誇れるものはどれだけあるか。
働いたお金で買った。確かにそうだ。けれど細分化すれば働く環境、購入した品物は君が作ったものではない。
練習して身につけた。なるほど、自分のなかの輝きを見出すのは、己のものだと言えそうだ。だけれどけれど、そもそもそんな君を産んでくれたのは、君の親ではなかったか。
揚げ足とり。屁理屈。なんでなんでと繰り返す幼年期の質問のような拙さ。
しかしふと、これは本当に自分のものなのかと、不安に駆られることがないとは言えないだろう? 特に『自分だけのもの』を創出しようとするときなど、何度だって自問自答で悶々とするはずだ。『自分は自分だ』と存在に対する命題だって、どうしようもなく雲霞のように軽く思えてもしまうだろう? ただここにいて、存在するだけ……そんな至極単純なことにさえ、疑問が止まらないのが人間なんだ。
結局は主観と納得をもって、それなりの折り合いをつけることだろう。悪いことじゃない。否定されることでも馬鹿にされる謂れだってない。
でも、『己のものか』と一瞬でも考えたことがあるのなら、少なくともそれはそれだけの自分以外で構成されているということだ。自信があろうとなかろうと、確信しようがしてまいが。疑念を入り込ませるなにがしかがあるということ。
そんなやつが自分がどうのと主張したところで、誰が聞く耳持つのだろう。
自分は自分だと。自分はここにいると。真に自分であるのならば、それ以外の外付け部品なんて不純を担うだけのお荷物だと。そうやってちゃんと断じて強く、純粋な己でありたいのだと。……人が共存と正逆の孤独を狂わしくも求めてしまうのは、『自分』という一を少なからず求めているから。
だから。
『まさに藁の盾だ。
織斑一夏という一個人に対して専心している敵にとって、それはどれほど度し難いことなのか。
そもそも、この《白式》だってもとを正せば俺のものなんかじゃない。どこかの企業さんだかが、お国に言われて提供してくれているに過ぎない。そんななかで呼び出した二つの神器は、ああ。まさしくほかの誰かの借り物だ。『藁の盾』とは言い得て妙な、実に軟弱に相応しいレッテルだ。
どうでもいいことだが。
『己に無頓着な人間なぞ、自分で立脚しない愚物なぞ、見るに耐えんなつまらんよ。そんな無価値を屠り去ったところで、私のほしいものは降りてこない。
……ああ、だからかあの女。わざわざこんなまだるっこしい手順なんぞ踏みおって。悔しいが納得だよ。しかしまったく、このジレンマでは、理に適っている』
言葉は収まらない。
どころか勝手に納得するしまつ。
『もう一度答えてくれよ。おまえはなんだ?
コンビニエンスの奇跡に甘んじる、おまえはいったいなんなんだ』
「織斑一夏は装置である」
間髪、入れない。
それは、とても当たり前のことだから。
その最速の返答に、さしもの顔無すら虚を突かれたようで、言葉をつまらせるとはまさに今を指していうものなんだろう。しかしながら、そういうことか。どうにも伝わってなかったらしい。もともと口が上手いわけじゃあないから、なるたけ簡潔に伝えてみたはずだったんだが。
俺のものじゃない? 俺の意思が介在しない? そんな俺は無価値だって? 藁の盾とはおもしろい。
なるほどなんだ、そうなのか。
お前は、そんな浅瀬で遊んでる蒙昧だったのか。
だったらそうだ、もう一度。しかたがないから教えてやる。
「俺は『織斑一夏』じゃなくてもいい」
──でも、名前がその程度なだけであってほしくない。
「この身体はただ『それ』を実行するためのみにあるから」
──空に、行ってみたい。
「『俺は俺だ』なんて存在証明、それこそ俺以外のみんながやっていればいい」
──俺は俺を証明したい。
それは誰かからしたら矛盾している言葉。
紫電を散らして疾走してきた過去を踏みにじる、侮蔑の言葉。
今まで己が口にしてきた数々を、真っ向から切り落として立脚する、愚劣愚鈍の愚昧愚蒙。道理に暗い愚か者を指して邪念というのなら、ほかの誰もが並び立てない暗晦邪悪の自信がある。
だが、矛盾していないのだ。
織斑一夏のなかにおいて、それは一切不都合ないのだ。
『私はここだ、ここにいる』『僕は生きてる、人間だ』『俺は俺だ、俺なんだ』──わかるわかるよ、素晴らしさ。誰もが抱く輝かしいその信念、たとえ俺みたいな馬鹿野郎だって、理解できないはずないじゃないか。共感しないわけないじゃないか。掛け替えのない宝石達の主張、美々しく麗しく……憧れてしまうんだ。
でも、俺はそうでなくてもいい。
そういう素晴らしいものがなくてもいい。
だって、なにせ、俺は。
俺は。
「俺は装置だ、歯車だ。
『それ』のためだけに
ゆえに────。
「織斑一夏は、装置である」
『それ』が出力できるなら、俺に起因しない力で問題ない。
『それ』が輝いているのなら、俺は俺でなくて構わない。
『それ』が体現されているのなら、そもそも俺が成せなくてもいいのだから。
ただ、今は俺しかいなかったってだけで。
「……なるほど。合点がいった。
私がおまえをどうしなければならないのか、実に簡単なことだった。己の痴愚さに腹が立つ」
だから確信はともに一つ。
「零落しろ」
『凋落しろ』
眼前に立ち塞がる怨敵を、己の世界から滅絶させるという一心のみ。
【──対■■■■決戦兵器陸番《雪崩》、
【──
【──
【──永久機関《絢爛舞踏》の限定解除を承認、一極限定モードで運用開始──】
ならば俺は厚顔無恥に情けなく、借り物の力でお前を打倒する!
「
それは《白騎士》の放電現象がなせた技。
騎士の神器が常時生成している大熱量。あまりにも過剰に生産されるエネルギーが機体そのものでは消費しきれず、各種武装の放電装置から電気・電撃として機体周囲に
電荷に作用し、電流を
空間から弾かれる磁性。吸い寄せる引力。荷電粒子のローレンツ力。大気を抹消して限定する真空の電磁ポテンシャル。電磁加速・粒子加速・電気推進──総じて合切、電磁気学的推進瞬時加速。あらゆる電気・電磁の現象を推進力に転化する加速マニューバ。
《白騎士》の出力によって弾き出すその速度。その答えは。
『展開装甲、
聡明なお前の体とやらで、思い知れ!
視界の中央、我が焦点。生涯の怨敵がまとう黒の合間、全身から生成されるカンジダの、なんと不釣合いな清純か。けれどもタマスダレを意匠するその鋼鉄は、実にこいつに似合っていて。
微塵のブレさえ起こさず不動の構えで迎撃するさまの、なんと卓越した技量だろう。
正直俺なんかの実力では、どうしようもなかったはずだ。だがそれは。
挑み行かない理由にはならず。
立ち止まる道理にならず。
立ちはだからない、わけにはいかない。
しからば潰えろ、我が怨敵。
俺は儚く
止まっている。
「《零落白夜》」
消え去れ顔無。藁の盾に、倒されろ。
そして距離は零。
《白式》などでは到達できないような、音速を一〇回以上飛び越えて、最速の刃が花を散らす。迎えるはカンジダ、挑むは雷光。紫電を斬撃に昇華して、霊光の刃が斬滅に至る。
迎え撃つ満開の花弁がすべての切っ先で迎合している。
対して右の下段で空気を破断する。
渾身。撃滅。雷光。零に落ちろ。
我が身はそれだけの単細胞。しがなく脆い単純歯車。
すべての輝かしさに無心して、この意の機能を全うする!
「……行きなさい、一夏」
純白に甘んじる一夏の背中に、投げかける感情は鈴音自身でもわからない。
悔しさ、ある。苛立たしさ、ある。激怒、ある。でもなによりも、歓喜。
それはきっと、自分の知ってる彼に戻った瞬間だったからか。己のすべてを擲って、『それ』だけに腐心する姿に戻ったからか。情けないとか不甲斐ないとか、結局また傷つけさせてしまったとか、そんな痛みさえも殺してしまう、最大の感動に出会えたからか。
頬を伝うこの涙こそ、きっと真実の誠実なのだから。
『空に、行ってみたい』──だけどそれより濃密に、深奥で抱いているはずの彼の想い。それを実践する織斑一夏に、また会えたから。そうよ、そうなのよ!
『仲間を守りたい』。
世が世なら空虚に響く嘲りの代名詞を、見っともなくも全うするそのあり方こそ!
「あたしが、凰鈴音がずっと追い続けていたのは────!」
──あんただ、織斑一夏。
「それじゃあ駄目だよ、一夏」
篠ノ之箒のその落胆は、きっと同じ幼馴染みでも気づけない。
「ぉぉおおおおああああああああああああああああッ!!」
『おおおおおおおおおおおおおおおおォォォォ──ッ!!』
裂帛の咆哮は
タマスダレが彼岸を導き、原初の雷光は世界を洗う。
音を消し。義を消し。光を消し。けれども恒星に超新星。
零落しろ、敬虔なる悪党め。
凋落しろ、厳粛なる
この意の奔る一刀は、ただただお前の首への贈り物──!
たった一合、ついに決する。
ゾンッ、と。
拒む花弁のことごとくを消滅させて、《雪片弐型》の一刀が、敵の右半身を消し去った。
とても呆気ない、つまらない音。
事切れるように、黒の機体が仰向けに倒れた。
下段から切り上げた刀身をそのまま翻し直上の大上段。かつ加速した機体を急停止させて、段どるは相手を真上から見下ろす極低空の滞空姿勢。音速の数十倍もの速度を捻出したにかかわらずソニックブームも副作用もなくて──どうでもいいなそんなこと。俺はまだまだ動けるから。
見下す、抉れた断面は見事に真っ直ぐで、もとからそうだったかのようにすっぱりと半身が消失していた。断面から漏れるのは液体金属のように光沢のある機械液。生者が持つ鮮明な赤色なんて程遠くて、ブラックメタルの体液が、言外にこいつが人でないのだと教えてくれた。とはいえ、もとからわかっていたことだったけど。
しかし機械であることには変わらない。
だったらそうだ。こんな人体には致命としか思えない重症だったとしても、生身よりは存命するだろう。
『届かないなあ、それでは』
口が開く。
再び静謐の静やかなそれは、しかし負け犬の遠吠えじみた、負け惜しみ。
だが、そうだと一笑に臥せられないのは、やはりこいつの、死んだような雰囲気がゆえか。半身砕かれ勝敗が決した今でさえ、なおも不気味と映るからか。
「好きなだけ言っていればいい。俺は負けな」
『心臓が疎ましいんだろう?』
────それは。
多分。
いや。
確かに、俺の核心で。
『始めからこの体が機械だって、わかっていたんだろう?』
「────、だったら、どうした」
『生物として終わっている、おまえは。
【──
「────《雪羅》」
途端に、耐え切れなくなって、どうしようもなく否定されてしまったような気がして。
右に担ぐは、新たなる神器。
名を、《
全長一〇メートルを悠々と超える、長大の『砲』。
清純純白誠実純粋。人が知っている聖なるものを含有させる装甲群はそもの機体本体よりも膨大で、やはり余剰のなにがしかを電撃に変えて大気に吐き出し轟かせる。十字の砲口と砲身を囲むように展開された九つの『大剣』が、これがどうしようもなくどうにもできない兵器なのだと痛感させて、俺の思いを代弁してしまったかのように。
端的に、巨大。
どうしようもなく、膨大。
それを。
ゴンッ、と。
無理矢理に下向けて、敵の顔面と砲口を密着させる。
【──対■■■■決戦兵器参番《雪羅》、
【──
【──
【──
【──永久機関《絢爛舞踏》の限定解除を承認、一極限定モードで運用開始──】
ガコンと、
砲身を囲む九剣が一つ。巨剣とすら表現できる大質量の一本は、十字に切れた砲口、砲身の下部から進入する。釣られて回転する残りが八つは、なるほど。まるで九連発のリボルバーに似て、ゴウンと無機質な大暴力を稼働させる。
暴力。
数十メートルクラスの砲身にがちりと収まる程度とはいえ、返せばそれだけ長大な『弾丸』だという証左。
数トンにもおよぶ白の巨剣……もしもそんなものがこんな馬鹿げたド阿呆の騎士兵器から射出されたとなれば。それも零距離で密着した、接射の構えで撃ち出されたとしたならば──。
『おまえは容易だ。今日は
「……お前、名前は?」
その最大級の暴力に晒される前であっても。
いかに遠隔操作で痛みすら感じない現状であったとしても。
まるで茶番だとでも、欠伸でも噛み殺しているように、顔無の声色は嘲りの色を隠さない。
だから、名前を聞いた。
確信がある。これが最後ではない。走った天啓は未だにあり、こいつが俺の人生にとってそういう存在であり続けてしまうのだと、どうしようもなくわかってしまうから。
怨敵、刻んでやる。
お前の忌み名、必ず零落させて、亡くしてみせる。
『名乗りか、そうだな。今のおまえにくれてやる真名はないのだが、別のものくらいは教えてやろう。ヘラ、タナトス、計都、北斗星君、ペイルライダー、一三番、エーレクトラー……茶化す言葉は
機械の面が、笑ったような錯覚。
『
それはいったい、どんな意味があってのことなのか。
『深く考えるな。その場の勢いのようなものだ。別段真面目に考えたところで、あながち間違っていない程度にしか感じないさ。センスがないのだ、許してくれよ』
「……それはどうも。さようなら」
『ああそうだな』
そして大剣が打ち出され。
顔無のすべてを破壊して。
『
俺の意識は、白く消えた。