ES〈エンドレス・ストラトス〉   作:KiLa

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第一五話【100万回生きたねこ(上)】

 

 

 

『人は死を恐れるのではない、二度と生きれない事を恐れるのだ』

 

 

 そう、どこぞの学者なり偉人なりが残した言葉がある。

 なるほど、それは疑念の余地なく納得できる台詞だろう。こうしてわざわざと議論などしなくとも、すとんと人々の心に浸透するに違いない。

 何せそれは当たり前だから。

 生きていて、生物で、人間であるならば、なんてことはない。己が『生きている』と自覚して日々の生活を営めているのなら、生きれなくなるのは怖くて当然だ。

 

 生きれない、すなわち『死』。

 

 『死』そのものではなくそれに付随するものこそを忌むべきだ、と。先の言葉を要約すればそのあたりなのだろうが、正直詭弁だと言わざる得ない。あえて遠回しの迂遠にかまけて解釈するなど、その時点で程度が知れるというものだ。真摯さが足りない。盲念が足りない。徹底していないから暗晦に沈むのだ。

 死とは何ぞや、などいう哲学的な話など知らない。そうしてあたかも理解が及ぶかのように押し嵌める()れなど知らない。死とは死で、終わりで、結果で終点で、至高。絶対偉大なる、人智超越の不可侵領域。

 生者の終わり、今世の離別──死とは得して現世との別れによる哀傷であり、親族なり知人なりが亡くなっただけで極大の悲しみを抱くというのに、それが自身に降りかかるなど、ああ言うまでもなく怖しい。恐ろしい。

 ゆえに偉大なのだ。ゆえに至高なのだ。ゆえに絶対なのだ。

 人生は一度きり。死者は蘇らない。時間は止まらず戻らないから、永遠なんて過去だけで。だからこの日この時この瞬間こそを全力で生き続け、そうした末に至り陥る終点こそ、ある種生命の本懐たる不文律だ。足掻いて喚いて抗って、それでも訪れる終わりが忌々しい、だからこそ輝かしい。生命はみな、指摘されるまでもなく本能単位で知っている。

 ああ、だから、なあ。

 

 

 

『鮮血の赤、骨の白。乾いて腐った死肉の黒。饐えた腐臭に大砲の爆音。臓腑を煮詰めた血肉の水たまり。

 

『銃声と雄叫びと宣言と悲鳴。苦痛と激痛の大灼熱。使命を帯びて奮迅し、隣りの他人の盾になる。家族を想って目蓋を閉じ、国が滅んで安楽死。血を吐き覇を吐き声を上げ、思考を止めて盲目する。勇気を抱いて犯されて、恐怖を嫌って背中を討つ。競り上がる胃液を飲み込んで、吸い込む空気に死臭を孕む。

 

『頭を犯す()()の悪い狂想曲。誰も正気じゃいられない。誰もが正しく間違って、よだれを垂らして落ちていく。痛哭許す場所などなく、哀毀骨立なんて夢物語。

 

『心が(こご)る暇なぞない。熔解する刃で精神を鎧い、血の一滴までも狂奔しろ。

 

『腕を削がれて脚をもがれ、皮膚を剥がされ眼球を打たれる。なのにそれでも心臓が動いている。

 

『心臓が動くなら戦わねば。

 

『戦って戦って殺さなければ。殺して殺して鏖殺するのだ。

 

 

 

 目蓋を閉じればそればかり。

 修羅の鉄火のガンメタル。幾百幾千、人間が解り合うために費やした幾万もの人生伝。ひたすらに終わり続ける人工光の輝き。

 いらないいらない。こんなのはもういらないんだ。こんな洒落の一つもないクソ真面目なドキュメンタリーはいらないんだ。

 私の人生は肥溜めのなか。一〇〇万回の茶番劇のなか。矛盾した物語の結末。

 ふざけるんじゃない。そんなリフレインで終点(わたし)を穢すんじゃあない。私は私で私なのだから。

 この血は私のもので、この骨は私のもので、この肉は私のもので。──この心臓は私のもので。なのに結末は幾星霜、すでに至った幾百幾千。知らない光景の見知った終わりを、矛盾の未知を繰り返して。そうして私の過程(じんせい)は汚れきった。壊れてほつれて破綻して、なのにそれでも心臓が動いている。

 

 心臓が動くなら戦わねば。

 

 なら、そうだ。いいだろう。この憤怒を抱いて希求しよう。このクソッタレの過程を淘汰し昇華する、究極の権化と(あい)(まみ)えよう。悲憤と悲願を燃料に、忌避と羨望を歯車に、終点へ行進する単一機構で完結しよう。

 その先にこそ私があるのならば。

 その終点こそ私であるのだから。

 つまり。

 

 

 終わり良ければ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ES〈エンドレス・ストラトス〉

   第一五話【100万回生きたねこ(上)】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『────終わり良ければ、全て良し』

 

 

 

 静謐という言葉がある。『(しずか)』に『(しずか)』という同種の文字を二度重ねるその意味は、いうまでもなく『しずか』である。

 静かな。静寂な。平穏でひっそりと。落ち着いている、治まっている。そんなさまを表す日本語だ。

 ゆえに聞こえてくるその言葉。女の、それこそ少女だろう齢の声色は、そこに似つかわしくないほどまさしく静謐というべき音声だった。

 深く深く、染み入るように──しかし同時に、そこからいやでも感じるのは『嵐の前の静けさ』ということわざ。なにかとてつもない大暴威が自らの爆轟を心待ちにしているぞと、そのための緩急だぞ、と。

 まるで自ずからを戒めて締めつけて、ひたすらに静動を合一させる爆弾状態。

 そんな珍妙奇天烈な、それでいて不動自己完結の(つわ)(もの)が、無人機の中身を席巻していた。

 そう。変わったのだ。すげ代わったのだ。

 一夏達が絶句するそのわずか、砂煙がもうもうとただようその間隙。二度も沈んだはずの無人ISは、三度目の正直といわんばかりの不可解さで、再度ここに起動していた。

 

「……なによ、こいつ」

「無人、ではない? ……いいえ、OSが切り替わっている?」

 

 ポツリと。そうした予想見解を口にするセシリアと鈴音の二人だが、しかしそれでも隠せていなかった。

 震えに震える自分の声を、隠せていなかった。

 正直なところ、まったく事態が飲み込めていない。侵入者来襲、交戦、撃墜、かと思えば再起動し、なぜか人間味をあふれさせて、そうして現れた一夏が倒したかと思えば、いま再び起き上がって零下の青で震えている。

 意味がわからなかった。理解が追いつかなかった。敵の目的も、無人機の真偽も、その不死身とも呼べる頑丈さも。ことごとくが判然としない。

 わからない。繰り返しになるがわかれない──ただ、しかし。

 そんな急転直下と変異する事態のなかでも、二人が確然としていることがあるのならば。

 

 

『さあ()くぞ一夏。私はおまえが羨ましい』

 

 

 いま存在するこの敵が、自らの意思をもって起動したという事実。

 その言葉が同時、とうとう件の『嵐』が発露する。

 殺気。

 ごくごく陳腐な言い回しになってしまうかもしれないが、しかし事実、それはそうとしか表現のしようがなかったはずだ。殺気。殺したい気持ち。赤くて黒くて白くて透明、けれど原色よりもはるかに濃厚鮮烈な色彩。

 目に見えないそれが、物理では説明できないそれが、滾々次々止めどなく、あふれもれ出し空間を這う。次第に殺気はさまざまに色味を変えてゆき、実は『殺したい』だけではなく種々の感情を織りなしていることに気がつくだろう。それは赫々の怒気、それは爛々の歓喜、それは召しいた狂気、それは溶解する憎悪。──束ねてしかし、やはり殺意。

 感情の嵐だった。爆発だった。おびただしいまでに横溢する感情波濤。他者を圧迫してなおと足りない激情の波は、けれどただの副産物で。

 その本心。真に自身が意識して束ね上げる感情の宝剣は、絶対威力の大刀身。天井知らずと生産供給される感情群が殺意の刃を研ぎ鍛え、さらになおと密度を高めて威力を増していく。

 息が詰まる、舌が乾く、顔表面の血液が撤退する。怖気、寒気、吐き気。笑いたくなるほどの殺意。

 馬鹿げている話だったが、しかし英国淑女も中国少女も、始めてそんな感覚に陥った。

 すなわち、感情とは視認できるのか、と。

 

「…………」

「…………」

 

 錯覚だろう。勘違いだろう。誤解だろう。誤認識に決まっているだろう。

 感情がみえるなんてありえない。非科学的だかオカルトだか、そんな分類に励む前に、詩的表現に鳥肌が立つくらい。

 けれど。だけど。

 そんな世迷いごとを圧し潰して、どうして敵は感情を振りまいている。

 圧倒された、そのさまに。驚愕した、その真摯さに。

 だってそうだろう。こんな視覚できると他人に錯覚させるほどの大感情、どれほど切に純粋に、思い続ければなし得るのだろう。

 これほどまでに純粋な願いがあるのだろうか。こんなにも神聖な祈りがあるのだろうか。

 人の内面なんて推し量れない。なんていう、殊勝な(たわむ)れ言葉さえ封殺される、極限極峰、極大の感情。怒涛の殺気、灼熱の殺意。一点特化の単一機能にまで簡略化された単純明快なる鋭意一刀は、ただただ織斑一夏を殺したいと、語るまでもなく赫灼していた。

 

 そう、そこなのだ。その一点なのだ。

 

 どうしてなぜだかこの敵は、織斑一夏に対して専心していた。

 それはセシリアにとっても鈴音にとっても疑問であったが、しかし同時に幸運でもあったこと。

 だってきっとあんな莫大な純感情、己に向けられたら耐えられる気がしないから。

 人間一度は誰しも感じる『心の重み』。親とか友達だとかから寄せられる期待というのがその最たる例。それを少なからず受けたことがあるひとは、きっとこの感覚を理解してくれるだろうと思う。

 誰かがあなたに向けている期待──それが一切あまさずすべて、殺意として切っ先をむけたならば、どうだろう? 臓腑を締めつけ筋肉をこわばらせ、それでいて忌々しくも背中を後押しする善性の気持ちとやらが、全部殺気となって寄せられればいかがだろう?

 単純。耐えられるなんてはばかること、正直妄言はなはだしい。

 胆力、精神力。ああそうだな、もしかしたら耐えられるかもしれないよ。そんな強靭な魂なら、あまさず受け止めて立てるだろうよ。

 ゆえにその道理が通ずるなら、それこそセシリア・オルコットと凰鈴音、並々ならぬ心力を有する彼女達ならば真っ向対することができるはずで。あの熾烈極まる乙女らならば、そんな殺意だかそこらに臆するはずありえなくて。

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()と言えば、ようやく理解の乏しい小僧だって、ことの異常さを認識してくれることだろう。

 

 

 そう。事実折れかけた。気圧されていた。

 自分がその標的にされたわけでもないのに、ああ奇怪な笑いが止まらない。心が震えて(しん)の芯を揺らしている。

 いくぶん過剰演出の誇大脚色。ひとに聞かせるには盛りすぎた創作話かもしれない。だけど、こうしてふたりがこの波に押されているのが事実で、膨大な殺意を抱えているのも真実で。

 どこぞのフィクションで一般人が気当たりで卒倒する描写が見受けられるが、このような状況を知ってしまえば、それがあながち嘘ではないのだと確信できてしまう。

 ならば少なくともこの殺気の坩堝のなかで意識を保っていられるふたりは、これに抗せる気概があるのだろうか? いいや、正しくはないが間違ってもいない。

 ここでもうひとつの純然たる事実。ふたりにとって幸か不幸かの現実。

 

 この感情は、間接的なものなのだ。

 

 言うなればフィルター越し。見当違いといった意味合いでの間接ではなく、異物をはさんだからこそ直接ではない、というだけの話。

 ここに至ってふたりはようやくと気づいたのだ。

 先ほどまでの機械的な機動と、続く妙な生々しさ。あれが独立起動(スタンド・アローン)であるならば。

 

((────遠隔操作(リモート・コントロール)))

 

 つまりそういうこと。

 こうして改めて動き出したこの痩躯は、ほかならぬ『誰か』がいずこかより操縦している結果なのだ。ようはこの奇妙な一連は、独立起動(スタンド・アローン)遠隔操作(リモート・コントロール)の二つを併用しているということ。

 して、そうした状況にもかかわらずこの感情の発露……面と向かってではなく機械を経由して動いているだけの無人機が、ここまで人を圧迫しているという事実。

 それに気づいているがゆえ、しまったがゆえ、いくら候補生の二人といえど、内心で爆ぜていた気炎がしぼんでいた。

 ふたりには幸運だったろう。これが生身の本人と向かい合っていたら、一夏にむけられているもののほんの支流でも心を焼かれていただろう。

 ふたりには不幸だったろう。それを理解してなお倒れない自分を知っているから。戦える程度には気後れしていない己がいるのだから。

 だから、つまり、きっと、変わらず、自分達がやらなければいけないのはこの敵を止めること。

 

「…………」

「…………」

 

 それでもふたりの心は奮い立たなかった。

 考えれば明快だ。それは二人だって候補生という立場上、他人に悪意をむけられることがままあった。嫉妬なり単純なライバル意識なり、『国の威信を背負うレベル』での緊張感にさらされることが日常的だった。なのに。

 なのに、このざま。

 実際本当の殺意害意に晒されれば、このざま。

 逃げ出してしまいたい。恥も外聞も誇りも捨て去って、脇目も振らずに背中を向けたい──なんて一瞬でも考えてしまった自分に気がついてしまい、それがなおのこと許せなくなって。なのにそれが本心だと言う自分も確かにいて。

 セシリア・オルコットを支えてきた輝かしいものが、凰鈴音を形作ってきた清々しいものが、音を立てる暇なく瓦解していく錯覚がひっきりなしで。

 だから。

 

 

 

 

 

「────こいよ(かお)(なし)。俺はお前が許せない」

 

 

 

 

 

 ああだから、どうして織斑一夏(おまえ)は微塵も臆していないのだ────?

 

 

 ◆

 

 

 セシリアと鈴が硬直している。無理もないだろう。だってこんな馬鹿げた殺気、たかだか一介の高校生が相手取るには少々どころか分を超えてあまりあるよ。

 きっと鈴もセシリアも、あまりの未知に恐縮としているのかもしれない。しかたないさ、しようがない。候補生だろうがなんだろうが、息して動けて生きている人間なんだから──そうだよ、こうして必死を予感させる本物の『殺意』なんて、本来なら逃げ出していたっておかしくない。

 それほどなのだ。候補生ですら縮こまる異常なのだ。怖いや恐ろしいを三回転くらいねじ巻いて、深々と刺さった狂乱だ。

 感情だけで人間は殺せると、ああ。今ならそう熱弁されれば納得するよ。だけどさ。

 

 

 

 だから、どうした。

 

 

 

 殺気、怒気。ああ、すごいな怖いな恐ろしいな。こんなん人間とは思えない、まさしく異常ともいうべき狂人だろう。こんな想いだけで他人を(しい)せる殺気、一五歳が対するなんて馬鹿げているにもほどがある。

 でも、この足に震えはなく。

 しかし、体温の低下はなく。

 けれど、視界に濁りはなく。

 あいにくと、織斑一夏を支配するに、この殺気は不十分だ。

 なにせそうさ、すでにもう、俺の思考は止まっている。ただ唯一、俺の絶対である『それ』に準じ続けるため、それ以外の思惟主張感覚感情、すべてが二の次だと決断している。

 ゆえにせいぜいが想うだけでひとを殺せるかもしれない程度の殺意、どうして織斑一夏が手をこまねく道理があるか。

 俺は絶対負けないから。『それ』にひたすらまっすぐだから。それ以外を切り捨てて加速する諸刃で構わないから。

 ならば臆さぬ、前に進め。しかと見開き目を据えろ。これがいったいなんだという。

 なんて、あたかも強がる男の子の心情なんて置いといてさ。

 正直、そんなのなくとも──ああいやないなんて仮定話でもないからたとえ話であえていうけど、そんなのなくったって、俺は屈してなんかいなかったよ。

 だってさ。

 

 

 

 

「千冬姉より、一〇〇万倍マシだ」

 

 

 

 

 

 あの日。二年前のあのとき。あのときにむけられた殺気を覚えている。

 握る鉄パイプの冷たさと、背にした『あなた』のその無念、牙剥く絶域の殺意を知っている。確かに覚えて記憶して、確固として決心しているのだから。

 だったら、そら。俺が折れる理由なんて、はなから()()にはありはしない。

 ならば、()こう。

 

『そうか。そうかそうか許せないか。この私が許せないか』

 

 死地へ。

 

「ああ。お前がどこの誰かは知らないけど」

 

 魂凍える鉄火場へ。

 

「お前は誰かを傷つける。俺にはそれが我慢ならない」

 

 烈火の燃ゆる絶対零度へ。

 

 

『だろうな。しかしながら──そうでもしないと、おまえは「完成」しないだろう?』

 

 

 そこが限界だった。

 なんの予備動作も掛け声もなく、俺は瞬時加速(イグニッション・ブースト)で飛び出した。

 その言葉の意味なんて知らない。羨ましいなんてわからない。そもそもどうして俺にそこまでご執心なのか、そうさなにひとつわからない。だが許せないことは言葉よりも雄弁に心が吼えて哭いているから。

 お前はここで、倒されろ!

 

二重(ダブル)──)

 

 だから《白式》の強大高速、この想いを今ここに。

 

(──瞬時加速(イグニッション)ッ!!)

 

 俺は、()()()()()()()()()()()()()

 いつかの夜更け。世界最強足る我が実姉、彼女が示唆してくれた性能(じ じ つ)の一つ、その技能。俺が信奉する強さを実践する。

 跳ね上がる速度。音速を目指して飛び出した《白式》が確かに音を超越し、握る右手に最大を。

 白の雷光、目掛ける目標は地表の黒星、無人IS!

 

「はああああああああッ!」

 

 音速突破の《雪片》を超高速で横薙いだ。

 

 

『速いな。流石だ一夏』

 

 

 なのに、その迅速のなかでも殺意は確かに俺に届いてきて。

 ギャ──ィィイイイインッ! 触れ合う刃に、《白式》が軽々といなされる。

 漂う砂埃で確認できていなかったが、敵はいつの()にか失くした両腕を再生していて、そこに握られる長銃の実剣バヨネットが《雪片》を刀身の上で滑らして、そのまま後方に受け流していた。

 理屈としては簡単な話。高速で移動する物体というのは、総じて横からの力に弱い。二重瞬時加速(ダブル・イグニッション)で音速を超える今なら、そんな対処もおかしくない。けれど。

 

(こいつ、速い!)

 

 それはつまり、こちらの速度に対応できるという単純な事実の証明。

 それだけこいつの技量がすさまじいということ。

 

「──ぁああああ!」

 

 直感する確信にわずかの驚愕。そのなかにおいても俺の左手が虚空に伸びたのは決断しているがために。

 過ぎ去りいなされるその一刹那、反射で伸ばした左腕部の指先(マニピュレータ)をPICが固定する。ともなれば、その一点を中心に身体がごく小円の鋭さで旋回する。

 ぴん、と伸びる腕。みちみちと引き絞られる引張力に身体が悲鳴に鳴くけれど、湧き上がる熱意に無視を決め込んで。

 状況一転、高速の旋回で敵機ISのうしろをとる!

 まだだ終わらない、俺は右手を届けちゃいない──!

 

「ぁぁラアアアッ!」

 

 ──いないのに。

 俺の身体は、その無理な旋回の最中にあっても進路を斜め上へと延ばし、()()()()()()()()()()

 バララララ! その直後、直前のコースを射抜く赤熱の銃火。

 それは言わずもがなの敵手発砲。奇襲ともいえるこちらの動きに反応していた。

 

『いいな。良い身体だ』

 

 しかと耳に入るその声は、あまつさえ賞讃の彩りで。こっちの動きを把握しているのだということが、かえって嫌味ったらしくわかってしまい。

 どころか、極めつけ。咄嗟の回避行動に揺れる視界のなかにおいても、ひるがえる光刃の閃きを視覚して。

 

『そら、私の手番だ』

 

 全霊をもって敵の(さつい)を振り切──れよ俺走れ《白式》駆け抜けろ心視界がブレるとか加速の負荷で骨がきしむだとかそんなものをこそ振り切ってさぁこの機体を()()()()。翼を広げ身を返し、避ける機体を()()()()()

 そう。回避こそすれど。躱しこそすれば。決して『逃げる』はあり得ない。遁走なんて片腹痛い。ゆえに今、刃を躱したこの身体に、続く俺の行動などわざわざ言うまでもないことだ。

 

『なんだ。つれないな一夏』

「──そうでもないさ」

 

 二重瞬時加速(ダブル・イグニッション)をいなされた直後に旋回してなおかつ回避行動に回避行動を重ねたその上で、その高速域のまま()()()()()()()()()()()

 都合二度目の奇襲攻撃。こちらの速度は、まだまだこんなものじゃない!

 

『嬉しい裏切りだ』

「そりゃどうもぉぉおおッ!」

 

 先と同様、身体の一部を慣性制御にて軸にする鋭角旋回。回るとはいうが、事実それは鋭角というべき無茶苦茶な切り返し具合。車線を上方に避けていたがゆえ、折り返した俺がむかうは敵の直上急転直下。上段から振り下ろす大威力。

 

 しかしかち合う刀身に、もはや驚嘆なんて一ミリもない。

 

 そんな常人ならば目を向きそうな瞠目の前で、俺に現れた光景は刃を受け止める黒星の姿。

 無人ゆえに感覚が反映されていないのか、しかし微塵の同様さえうかがえない、どころか余裕さえ見てとれる挙動で、バヨネットが《雪片》と火花を散らしている。

 ゴッ。けれどそれは俺達当人の(あいだ)だけか、敵機を支える土台たるグラウンドは、威力に耐えかねて鈍い衝撃を震わせている。少なくともそれだけの質量、それだけの速度。なのに受け止める黒星はなおのこと化物じみて。──そうかなるほど。

 こいつはなんとも、化物みたいな機体だよ。みんなを傷つける化物だ。

 

『軽いぞ一刀、終わりか一夏。おまえの身体は飾り物か?』

「お前を倒せるならそれでもいいさぁッ!」

 

 軽侮する煽り言葉に、両者同時の薙払い。鍔競る刀身をお互いが弾き、反発する勢いで距離をとった。

 今さらながらいう。正直こいつは並外れてずば抜けてる。強い。強敵ってやつ。こんなよくわからん事態を巻き起こした張本人だ、いや案外どこぞの組織なんかの刺客だったりとかチープなドラマの設定がよぎるけど、しかし敵機の技量が本物なのは事実である。とっておきだった二重瞬時加速(ダブル・イグニッション)もものともしない。数手剣を合わせただけだけど断言できる。

 まさに手練。鍛え上げられた熟練者の機動。

 闘争における駆け引きのなんたるか。それを悉知してると語らんばかりの悠々さ。正味いってはなんだけど、セシリアや鈴なんかとは比べるのもおこがましい。隔絶してる。声色だけなら女の子のそれなのに、出力されるのは老獪にもみえる絶技の花。

 一部の揺れも油断もなく、寸分(たが)わずの『敗北』をこちらに叩きつけてくるイメージ。

 だけど。やっぱりだけど。

 

「俺はお前が許せない」

 

 こいつの目的その言葉。再三繰り返すがまったく微塵の真意は知れない。理解も納得も、そもそもそこに至るために必要な段階が用意されていない。

 けれど、お前が誰かを傷つけるつもりだということは確信できる。

 『それ』に反すると、得心している。

 四の五のこねくるのは愚昧の極み。燃える恒星の一念は片時も消えずに輝いており。俺の心に走り続ける灼熱に、変な裏付けも問答も無用なんだ。

 

「だからお前を、許さない」

 

 だったら──そら。俺とお前が(まみ)えた時点で(しま)いだ。

 

『そうか。相分かった。(おまえ)は私が閉めてやろう』

 

 そうして互いの口上を皮切りに、《白式》のスラスターが嘶いた。

 

 

 ◇

 

 

「…………」

「…………」

 

 それは今日、ふたりにとって何度目の沈黙だったろうか。

 セシリアと鈴音は、自身らの目前で展開される激突に立ち尽くすばかりだった。いや、ISで空中に静止する現状でいうならその表現はあまり正しくないのかもしれない。ただ彼女らの内核はその表現に矛盾をみせず、確かに陰鬱としていたか。

 織斑一夏と謎の敵機。

 それがひたすら高速で、信じられないほど超速で、互いの技量のかぎりをぶつけていた。

 ほとばしる敵意は健在だ。現に震えるこの心がその証拠。一秒ごとに零下を目指す降下の気炎に、しかして臆しない白い機影。

 壮絶なる光景。敵に果敢に挑むその姿は、今まで見たこともないくらいの最大速度。剣を振り、突進し、躱されても超速で切り返し、あまつさえそこから瞬時加速(イグニッション・ブースト)を重ねがけて刃を届けることに専心する。

 しかしけれど一向に、その戦意はたどり着かない。

 勇猛果敢、縦横無尽と空間を疾駆する彼に対し、敵機黒星はほとんど己の立ち位置を変えてはいない。反転やスウェー、サイドステップにショートブースト。そうした最小限の技術でもって、一夏のすべてに対応していく。

 いいや、単純に一夏のほうが速いのだろう。

 高速に高速を束ねるその姿は、正直『おかしい』と断じてあまりある馬鹿げた機動だ。なにせ駆け巡る《白式》の残像が重なって、相手を取り巻く白い檻のようにさえ見えてしまうのだから。刃の檻、速度の監獄。凶刃降り注ぐその『繭』のなかにおいて、けれどなんてことか、やはり敵はそのことごとくに反応せしめる。──つまりその速度差でこそようやくと、相手の技能に抗することができることにほかならず。

 この無茶な高速起動が維持しきれなかったときこそ、この均衡が崩れるということ。

 

『お──ああああっ!』

『──ハッ』

 

 気合の爆轟。必死の表情に押されて隠れてはいるが、きっとその中身は壮絶なことになっている。いくらISの防御機構が優れて、並外れているとはいっても、果たしてここまで過剰な瞬時加速(イグニッション・ブースト)の負荷を減退させることができるのか。

 薄氷。躱し交差し鍔競って、しかし互いにほぼ無傷。まさしく千日手とも呼ぶべき膠着状態だった。

 

「…………」

 

 セシリア・オルコットは無言であった。

 心が未だ萎えているせいもあるだろうが、その果敢な一夏の勇姿を網膜に写してなお、動くことができなかった。

 『果たして自分はこの戦いについていけるのか』。

 そう疑問に思ってしまったから。

 

「…………」

 

 凰鈴音は無言であった。

 気炎がとうに燃え落ちたせいもあるだろうが、その一気呵成とする一夏を視界に入れてなお、行動することができなかった。

 『果たして自分はこの戦いについていけるのか』。

 そう疑問に思ってしまったから。──なにを馬鹿げたことを言っている!

 

 ゆえに、先に己を奮い立たせたのは鈴音だった。

 

 

 

 ──なにをしている、なにをしているんだあたしは、凰鈴音は。こんな惨めなさまを晒すためにここにいるんじゃないでしょうが!

 ああほんと。本当におかしいわよあんたは、一夏。あんたが『空に行きたい』なんて言ったこと、正直未だにおかしいと思ってる。お前は違う、そうじゃないだろ。お前の渇望(ね が い)はそんなことじゃないでしょう! あたしが知ってるあんたはさ、凰鈴音が憧れたあんたはさ、そんな大層なもんを願っているわけじゃないでしょう?

 だからそうね。ホントはこの対抗戦の優勝でも手土産にして、『アイツ』のことでも訊こうと思ってたのよ。なにがあったのか、あんたはどうして変わったのか。まぁそりゃあんた自身変わったつもりなんてこれっぽっちもないんだろうから、本人に聞いたところで徒労になっちゃんだろうけど。でも前と違っているのは真実。

 ──けれど違う。まったく違う。

 あんたの『それ』は変わっていない。あたしが知ってるあんたは、やっぱり織斑一夏だった。

 そりゃあ『空に行きたい』って言葉は笑っちゃうほどおかしいけれど、そういやそうね、『アイツ』が関わってるんだものね。そうしたらそんな面倒なことになってたってしかたないわよね。

 だからそう、それでも変わったというなにかがあるなら。

 

(それはあたし自身じゃないのよッ!)

 

 思い出せよ。あたしがどうして候補生になったのかを。どうしてそんな血反吐撒き散らさなきゃたどり着けない座を目指していたのかを。在りし日の己のその決意を。

 

 だって。あんた達は早すぎるから。

 あたしを置いて駆け抜けていくから。

 

 あんたも、『アイツ』も、弾も、数馬も、あんたらどうして早すぎるのよ。置いてくんじゃない。居場所を守ってるなんて、そんな高尚極まる名誉なんていらないから。

 並んでやりたい。見返してやりたい。もうあんた達のうしろを見ているだけのあたしじゃあないんだからと、その鬱憤ぶつけにやってきたんだろう。未だ幼いあたしだけど、あんたらだって同い年だ。だったら追いつけない道理はないし。現にこの場に立てている。

 まったく呆れた、馬鹿みたい。まぁあたしよりも度の外れた馬鹿が目の前にいるんだけど、なにを臆しているってのよ。

 高々わずか一年間。たったそれっぽっちここを離れていただけで、どうしてあたしはダレていた。熾烈かきわけ紫電を散らし、そうしてここにいるんだって言うなら、そうよここで披露しなくてなんだってのよ。ここでお見舞いしなくてなんのための一年間よ。

 一夏がどうして怯えないか? 当たり前じゃない。あいつは一夏、織斑一夏。そいつがどういう男かっていうのは、幼馴染のあたしがよく知ってんじゃないのよ。忘れてるんじゃないわよこの()()が! あいつらに置いていかれる以上のことで、恐怖する理由なんてないでしょうに。

 にっこり笑って送り出すなんて、やっぱりあたしのガラじゃないから。

 あいにくそんな大和撫子、ほかのやつにでも頼みなさいって──!

 

 

 

「鈴音、さん?」

 

 彼女の様子に気づいたのか、訥々としながらセシリアが、かたわらの鈴音へと呼びかける。

 そこで見たのは、それこそ己と刃を突き合わせていたあのときと同じ、いいやそれ以上の気炎でもって猛るライバル。

 これが本来のあたしだと、説明するべくもない気合の外装。真実中身も超高温。触れば弾ける衝撃の塊だった。

 不可解。そう断ずるべき異常だった。セシリアにはそう映った。おかしかった。

 だってそれこそさっきまで、己と同じように歯をならし、どうしたものかと手をこまねき、なんてあたかも余裕の態度をとっている暇すらないほど恐慌していたのはどこの誰か。正直それを自分であると認めるのは悔しいが、だけどそんな強がって見栄を張ったところ、とうの自分でさえ報われやしない。なのに。

 

「あたしは行くわ、オルコットさん」

 

 どうして、あなたは動けるのか。

 

「だって織斑一夏(あ い つ)が戦ってる。だったらそこに、()()()が並ばない理由はない」

 

 そうしてにっこりこちらを見たかと思えば、次の瞬間には瞬時加速(イグニッション・ブースト)で飛び出した。血風吹き荒れる、鉄火の(その)へ向かって気合を絞る。

 

 

「ただこれはあたしの意地だから──怖けりゃあんたは観てなさいよ」

 

 

 その去り際に、なかば自重にも聞こえる言葉を残して。

 

 

 

(……怖い、ですか)

 

 ──わたくしが、セシリア・オルコットが恐れている? なにを? 決まっている、敵だ。

 ああ、そうですそうですね。わたくしはこの敵を恐れている。そこには見栄も言いわけもありません。

 だって殺意だ、戦場だ。代表候補生がなんだなどと、いくら言っても拭えぬ害意だ。命の危険がそこにある。恐怖すべきものが暴れている。人間の本能だかは知りませんが、そこにいるのは殺気の塊だ。どんな殊勝な言葉で言い繕うとも、震える体にうそはありません。誇りがなんだなどと普段はばかって立つわたくしですが、『死』というものは怖いのです。

 そんななかに向かっていった凰鈴音。……正直手放しで『すごい』とは、さすがに褒め称えるなんてあり得ない。馬鹿とか阿呆とか、無謀に蛮勇、蔑む言葉のほうが(いとま)ない。それでも彼女は向かって行った。

 織斑一夏が戦っていると。あたしの意地があるのだと。

 客観的に見てしまえば、ええ。自身に酔っていると称されても、まったくぐうの音がでないでしょうね。友達のため、仲間のため。ええそうです、素敵です。賛美礼賛の対象です。

 でもそんな子供地味た気軽なものじゃないと、ほかならぬわたくし達は知っていて。──こうしていま自分がそれをこねまわしているということは、とうの凰さんだって考え至っているはずで。すなわちその果てに飛び出した、と。

 

(まったく、呆れますわ)

 

 どうして本当、わたくしの周りの方々は、こうも『男の子的な展開』が好きなのだろう。

 恐怖はある、恐れがある。畏懼して畏縮して戦慄して、それでも轟きを上げて進んでいる。ああそうだ、なによりもまず、すでにそうしている『男』がいるじゃあありませんか。

 織斑一夏。わたくしと引き分けた男。

 そのひとがいま戦っている。許せないと唸っている。己と引き分けた存在が、確かにそこで燃えているではありませんか。

 だったらなにをしているセシリア・オルコット。おまえが選ぶべきは敗走ではないでしょう。

 

 勝利がほしい。

 誰よりなにより強く在って、最速で輝く流星でありたい。

 

 ならばここで引く道理がない。傍観している暇はない。自分が倒すべきと認めた男が剣を取っているのに、それに指をくわえているだけなら、そんなの敗北となにが違う!

 勝つのだ。勝利するのだ。勝って勝利して証明するのだ。わたくしは強いのだと。オルコットはこんなにも気高いのだと。あの日の心臓その熱は、この身を上げてあまりあるのですから。

 走り続けたこの三年。これからも走り続けるいつまでも。それに背を向け泣いているなど、そんなにも己がかわいいのか!

 暴威が確かにそこにいる。傷つけようと猛ている。銃火に晒されているのは、なにもわたくしだけではない。ここには一般生徒だって多分にいる。各国の視察官だってたくさんいる。それを前に、わたくしはなにもしないというのか。

 戯けたことを。わたくしはセシリア・オルコットだ。

 戦場に勇む淑女なんて、正味野蛮もはなはだしい。しかし()()()()負けたくない。

 第一それに。

 

「戦わないと、敗走すらできませんわね」

 

 ゆえに戦意を、銃をとれ。

 なに、敵はせいぜいこちらよりもとても強いくらいです。

 

 

 

 そうして数回の深呼吸をおいて、戦場に蒼の射手が舞い降りた。




タイトルは佐野洋子作『100万回生きたねこ』より拝命。

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