「ゆきのんいないと寂しいなー」
クリスマス会も終わり日が経ったある日。春の訪れも近い奉仕部室内。今日は雪ノ下は実家のほうに用事があるらしく珍しく席を外していた。部活の方はどうするのか尋ねたところ由比ヶ浜と二人に任せるとのことで、だから今日は放課後由比ヶ浜と二人きりである。部長不在ということで奉仕部は休みだと思ったが違うらしい。あくまで俺と由比ヶ浜に任せるとのこと。クリスマス会の一件以来彼女は俺たちに甘くなった。かすかな雪解けを感じつつ、部の案件もなく各々、俺は読書、由比ヶ浜はケータイをイジりぽちぽちという自由な時間を過ごしていた。だが唐突に由比ヶ浜が口を開く。
「……壁ドンかぁー」
「それ雪ノ下の前で言うなよ」
「なんで!?……あっ」
あっ(察し)という顔をする由比ヶ浜。頭の回転がお世辞にもはやいとな言えない由比ヶ浜にしては流石だ。良い意味ではない。今日雪ノ下いなくてよかったわ。こんなこといったら倍返しされる。なんなら倍返ししすぎて相手を再起不能にさせるまである。俺の言葉の意図に気付いたのか由比ヶ浜はぷんすかと怒る。
「それゆきのんに超失礼だし!」
「いいだろ別に。俺はいつもアイツに毒舌食らってんだよ。これぐらい許される」
言葉の引き出しどんだけあるんだよって話だよな。ユキペディアさんのポキャブラリー恐るべし。……俺ほんとに登校拒否しちゃうよ?
ダンガンロンパという言葉があんなに似合う女もいないだろう。なんとなく霧切さんに似てる節あるしな。クールなところとか不器用なところとか感情表現が苦手なところとか。
「そんなことより壁ドンってなんだよ」
「あっ、今ね。姫菜とメールしてたんだけど壁ドンっていいよね、っていう話になったの」
うん、海老名さんの考えてる壁ドンと由比ヶ浜が考えてる壁ドンは違うと思う。その壁腐ってる。でも戸塚となら壁ドンしたい。恥じらう戸塚に迫るのを想像するだけでご飯がおいしいです。そういうホモホモしい壁ドンを想像する俺に気にせず由比ヶ浜は続ける。
「憧れるなあ、壁ドン」
誰かに向けるかのようにいう由比ヶ浜。その視線が俺の方に向いていた気がしたが無視する。意味ありげな視線を送るな……なんというか意識しちゃうだろ、おい。
「ねぇヒッキー」
「すまん、それは無理だ」
「まだ何も言ってないし!」
いつぞやの雪ノ下と俺を想起させるやり取りをしつつ、口をへの時に曲げるガハマさん。若干の罪悪感を覚えるが俺は読書を再開する。そもそも壁ドンってのは少女漫画や恋愛映画とかじゃないと様にならないんだよ。そんないつものごとく捻くれた思考をしているといつの間にか背後に回り込んでいた由比ヶ浜に本を取られてしまった。
「なにすんだよおい返せ」
「へへー、壁ドンしてくれるまでかえさないー」
小悪党のような笑い声をあげ、ニヤニヤと笑みを浮かべる由比ヶ浜。いつも思ってたんだが空気読むタイプなのに俺には割とグイグイくるよな。まあ最近は獄炎(笑)の女王の三浦に対してもわりといくようになったけど。雪ノ下に若干の雪解けを感じるように、コイツもだいぶ変わったと思う。
別にいつも由比ヶ浜を見ているというわけではないけれど。
「わかったよ、やればいいんだろ」
「うん!」
由比ヶ浜を壁際に移動させ、彼女と相対する。そしてしばらく見つめ合う。そしてフラッシュバックする黒歴史。中学生の頃、授業中にクラスの女子と目があっただけで好意があると勘違いされて放課後呼び出されふられた過去を。
なんとも言えない空気が室内を支配する。難しく考えるな比企谷八幡。ただ壁ドンをしてそれで終わりじゃないか。そこにラブコメが介在する余地はない。
「てか、俺でいいの? 他に葉山とか戸部とかやってくれるやついるだろーよ」
「うん。でも……ヒッキー、がいいの」
名前のところを強調すんなよ。勘違いは、もうしてないけど。無駄に意識しちゃうから。無意識的に男心をくすぐる真似するなんて由比ヶ浜は純情ビッチの才能があるな(矛盾)改めて向きなおり体勢を整える。
ドン!
そんな某海賊漫画の見開きのような擬音を室内に響かせる。力をいれすぎたのかびくっと肩を震わせる由比ヶ浜。はいはい終わり終わりと居直ろうとしたのだが、由比ヶ浜が俺のことをじっと見ていることに気づく。それに耐えられずに目を逸らしてしまう。まるで俺の真意、全てを見透かされてそうな気がしたから。
「なんで目を逸らしたし」
「……お前が見つめてくるからだろ」
女神のごとく包み込むかのように俺をみる由比ヶ浜。そんな目されたら俺の腐った目浄化されちゃうから。ブラピみたいな目になるから。時間が流れるのが遅い。まるでこの二人の空間だけ時間という概念から切り取られたような幻想的な錯覚を覚える。
「照れてるんだ?」
「別に照れてねーよ」
そういい微笑む由比ヶ浜。完全に主導権を握られている。そりゃあ女の子特有のいい匂いに気を取られていたからでも、あらためてみると顔立ちがが整ってるなあとか思っていたわけではない。ほんとだよ?八幡嘘つかない。ここから逃げ出したくなるような感情に襲われる。だがしかし彼女の視線は俺を逃がしてくれない。花火大会の帰路の会話ん思い出す。
そしておもむろに彼女は目をつむる。
全てを受け入れるかのように頬を薄桃色に染めて。その姿を見て俺も心穏やかではない。いくら理性の化け物と化け物に称される俺であってもこのシチュエーションはまずい。差し込む夕日に彼女が照らされ、グラウンドからは野球部の応援の声が聞こえる。
運命の律動が終わりを数えている。
彼女と先へ先へ進みたいというように心臓が早鐘を告げる。そして俺はーー。
突如、この空気を裂くようにドアを開ける音が空気を裂いた。
「雪ノ下がいないからって、ちゃんとやってるか。おぉ……これは」
このときばかりはノックを指摘する雪ノ下がいないことを恨んだ。先生は妖しげに顎元に手を当てる。
「青春の一ページを邪魔したな」
全てを察したかのように微笑み去っていく。再び場を沈黙が支配する。由比ヶ浜は頬を茹で蛸みたく真っ赤にする。……多分俺も。
「ど、どどうしよう、ヒッキー」
「バカがバカな真似するからだよこのバカ」
「バカバカいうなし!」
さっきまでのシリアスな雰囲気はどこへいったのか、ぎゃあぎゃあと声を荒げる由比ヶ浜。まあ、うん。お前にはそっちの方があってるよ。
てか、どうすんだよ……割と進学校の総武高で不純異性交遊が問題になって停学になったら。忘れてたけど平塚先生、生活指導担当だしな。先生のことだから口外はしないと思うが雪ノ下にばれたらと思うと背筋に冷や汗が流れる。壁ドンしたらもう一年遊べるドンってか。笑えねえよ。
もしかしたら先生はタイミングを見計らって入ってきたのかもしれないという妙な勘ぐりがはたらく。それはたぶん気のせいだろう。
花火大会の帰りにかわした会話といい、俺と彼女はどっちつかずの関係を続けている。きっとこの関係にもいずれ決着をつけるときがくるのだろう。あるいは彼女とも。ただもう少しはこの騒がしい日常に身を任せてもいいかもしれない。
やはり俺の壁ドンはまちがっている。
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