休日の駅前。
行き交う人達の喧騒に辟易としながら、俺は約束の時間の5分前を目安に目的地へと向かった。
駅前ロータリーに立つ大きな時計台の下には、昨日の夜にLINEにてやりとりをしていた相手が既に待機して居る。
俺はそれを見つけるや、少し小走りで近づいて
「よ。早いな」
「あんたが遅いの!どんだけ待たせる気!?」
「はいはい」
「女を待たせるなんて最低だし!」
彼女は相変わらず、ぷんぷんと膨らませた頬でまくし立てるように怒った。
待たせるも何も、俺は約束の5分前にはちゃんと来たんだけどね。
でももう、こんなやりとりも慣れっこだわ。
「おまえが来た時が集合時間だもんな」
「は?急になんだし…」
お前が言っていた事じゃないか。と笑い飛ばしつつ、俺は三浦に呼び出した理由を問い掛ける。
「で?なんだって貴重な休日に俺は呼び出されたの?買い物か?それともピクニック?ハイキングとかは行かないからな?」
「遅れて来たくせに生意気!今日はあんたにご奉仕するために呼び出したんだし!!」
「む!?お、おまえ、変なことを大声で言うなよ…。なんだよ、ご奉仕って…」
沢山の人を面前に、このバカはご奉仕だのなんだのと大声を上げた。
周囲の人達に恐ろしい程の疑惑な視線を向けられて、俺は思わず三浦の頭を叩く。
「痛っ!ちょ、なんであーし叩かれたの!?」
「おまえがバカだからだ」
「ぐぬぬ」
「はぁ。まぁいいわ。ご奉仕ってのは、つまり追試の勉強を教えてやったお礼がしたいってことだろ?」
「そうです」
別世界とはいえ長い付き合いだ。
言葉足らずでチョイスをいちいち間違える彼女の意思を読み解くのだって慣れたものだ。
俺は小さくため息を吐きながら、そんな彼女のお礼とやらを素直に受け取る。
「別に礼なんて要らんがな。何?飯を奢ってくれるとか?」
「は?普通奢るのは男の役目っしょ」
「…。じゃあ何か買ってくれるとかか?」
「バカなの?プレゼントは男が女にするものだし」
「………。え、じゃあお礼って何をしてくれるの?」
疑問。
完全なる疑問である。
三浦はふふん♩と鼻息を鳴らし、その大きな胸を張って俺をほんのりと見下した。
なんだコイツ…。
「寂しいヒキオのデート相手になってやるし!」
「…」
「泣いて喜べ!あんたみたいな根暗な男にデートのイロハを教えてやるんだから!!」
「チェンジ…」
「!?」
.
…
……
………
で。
お礼と言う名のデートが始まった。
俺はわがまま金髪お嬢様を喜ばすべく、なぜだかエスコートをしなくてはならなくなったのだが、どうにもお嬢様のご機嫌がよろしくない。
なんだ?
昼飯は三浦が好きなチーズフォンデュを食べられる店を選んだし、高い所からの景色に興奮することを知っていたから高層ビルから街を望める展望台へも連れて行った。
そろそろ疲れてぷんぷん言い出す頃だろうと思い、今は喫茶店へ行き、ショートケーキのクリーム多めを頼んでやったというのに…。
なぜだか頬を膨らませてジト目で俺を睨みながら、三浦はグラスに刺さるストローを噛みちぎらんばかりに咥えているのだ。
「わかったわかった。ヒールが痛いんだろ?靴買いに行くか?」
「む!違っ…、違くないけど何か違うし!!ヒキオはもっとデートに不慣れなハズでしょ!!」
「…は?」
「なんで的確にあーしの行きたいところに連れてってくれるわけ!?ありがと!!」
そう言って、三浦は怒りながら唾を飛ばして怒鳴り散らす。
なんだよコイツ…。
行く先々で喜んでたじゃん…。
「…それじゃあ俺はどうすりゃいいんだ?」
「もっと狼狽えろ!」
…狼狽えろって…。
お嬢様のご機嫌を取るのはやはり難しい。
俺はそんな三浦の口元に着いたクリームをハンカチで拭いてやりながら、頬杖を着いてスマホを眺める。
「金髪、我儘、うざい…。あれ、グーグル先生も答えを提示してくれないぞ?」
「あんた何をググってんだし!」
怒りながらもケーキをお口にいっぱい放り込む彼女は、やはりどこか幼くて我儘だ。
出会った頃の三浦はこんな感じだったかも…、なんて思いつつ、俺はガムシロップで甘くしたアイスコーヒーを傾ける。
…そうだ、こんな甘いコーヒーを飲んでいると、三浦は決まって
「それ身体に悪くないの?半分にしておきな?」
と、心配してくれるのだ。
本質は変わらない。
オカンな彼女に、思わず俺は笑ってしまう。
「なに笑ってんだし!」
「え…、あ、あぁ、悪い。どうにもおかしくてな…」
「あーしの顔のどこがおかしいんだボケ!」
「おかしくない。…うん、おまえの顔は全然おかしくないよ。むしろ可愛いくらい」
「ほぇ!?」
「あ、その顔は面白い」
「むきぃぃー!!」
ほんわかとした雰囲気に、俺の口も知らず内に軽くなっていた。
彼女と過ごした時間は確かに俺の中で深く充満していて、そっと懐かしい香りを漂わせつつ、誰よりも明るく気持ちの良い灯りを灯している。
それでも。
彼女の小指に光るピンキーリングは俺の目尻を滲ませるから。
そっと、この空気に便乗して、俺は三浦に問い掛けたーーーー
「なぁ、おまえのそのピンキーリ……」
「あれ!?優美子じゃね!?こんな所で会うなんてガチで奇遇じゃね?」
ーーー問い掛けようとした時に、そいつは肩まで掛かる茶色い髪を小汚くカチューシャで束ね上げ、どうにも生理的に受け付けない顔と声と共に現れた。
「戸部?あんたこそこんな所で何やってんの?」
「俺は荷物持ちってやつ!ほんとこき使われてヤバイわ…。ん?あり?ヒキタニくんじゃん」
「うんそうだよヒキタニくんだよよろしくねはいさようなら」
「ちょっ!ひ、ヒキタニくん冷たすぎねっ!?」
おまえよー、今はよー、重要な事をよー、聞こうと思ってんだよー。
まじで空気読めよ戸部って感じですわ。
はぁ、と、ため息を一つ。
そのため息は戸部だけに吐かれたものじゃない。
こいつを荷物持ちにする人物を、俺は確認もせずとも分かってしまうから。
この場でもっとも現れて欲しくない人物。
空気を壊すためだけに生まれたアホの顕現。
「ちょっと戸部せんぱーい。この荷物も持ってくださいよー。…ってあれ?三浦先輩。それと……」
「さあ三浦。場所を移そうか。じゃあな戸部。この店のモンブランとチーズケーキは絶品だからオススメだぞ」
と。
場を荒らされる前に退散しようとしたものの、ふにゃりと柔らかい感触が俺の腕をしっかりと掴み、俺が席から立ち上がる事を揺らさない。
そいつは満面に偽物の笑顔を貼り付けて、いつもの撫で声を発する。
「あれー?あなたはいつぞやのセクハラ先輩じゃないですかぁ。そうだ、これも何かの縁ですしぃ、一緒にお茶でもしましょうよぉ」
「…離せ、悲しきピエロ」
「かっ、悲しきっ…!そ、それって私のことですか!?」
俺の皮肉に怒ったのか、一色の掴む手の力が強くなる。
気のせいだろうか、その手はわなわなと震え、もはや俺の腕を握り潰さんばかりだ。
あ、痛いっ!
痛いよ!
「ぐっ!おまえのどこにそんな力が…っ!」
「さぁさぁさぁ!降参するなら今の内ですよ!?言っておきますが、私はまだ30%の力しか出していません!」
「な、なん…、だと…?」
こ、これでまだ30%だと!?
ぐっ、こいつ…、やりやがる!
ギリギリと俺の骨が悲鳴を上げるも、俺とてただヤられるわけにはいかない。
「っ、てめぇこらぁぁ!雌ガキがぁ!」
「ぬぁっ!うにゅにゅっ!」
「はっはっは!抓ってやる!おまえのもちもちのほっぺを抓ってやる!」
「にゅーーーっ!!」
わーわーーー
やーやーーー。
.
…
……
「あの、すみませんでした」
「あ、いや俺の方こそ大人気なかったよ」
茶番劇を終え、俺は結局、出ようとした喫茶店に留まることになった。
さすがにあのまま喧嘩をしてたら周りの目も痛かったし、止めてくれた三浦には感謝しないと。
ちなみに、戸部はそろそろ部活に戻らないとヤバイと言って帰っていった。
サッカー部は休日にも活動するんだね。
奉仕部とは大違い。
ふと、俺は赤くなったほっぺを摩る一色と目があった。
「おまえのほっぺ柔らかいな。ほら、抓ったお詫びにチーズケーキを一口やるよ」
「え、いいんですか。それじゃあ遠慮なく…、あーん」
「あーん」
「ん。んー!おいひーでふー!」
うんうん。
一色はチーズケーキが大好きだもんな。
その笑顔も何度見たことか。
自然と笑みを零していた俺は、素直に美味しいと一色が喜ぶ事に気を良くし、もう一口チーズケーキをカットしてあーんをしてやる。
そんな俺の行為に自然と口を開ける一色と、ギロリと俺を睨みつける三浦。
この目は嫉妬か…?
いや、そんなはずが…。
「ほら、あーん」
「あーん。んぐ、…そういえば、三浦先輩と先輩は2人で何をしていたんですか?デートですか?」
そんな一色の疑問に、俺はとりあえず「うん」と答えようとしたのだが、それを遮るように、三浦のピリピリとした声音が場を凍らせた。
「違うし。あーし帰るから」
「え、おい。三浦?」
俺の制止を聞くこともなく、彼女はその金糸をふわりとなびかせ席を立つ。
表情が良く見えない。
ただ、こんなにも冷たく、あまりにも突然な否定を聞いたのは初めてだ。
彼女はほんの少しの怒りと、曖昧な感情だけを残してその場を後にしていった。
「あらら。帰っちゃいました」
「…」
「そもそも、お二人ってどんな関係なんですか?美女と野獣…、いや、美女と根暗って感じでしたけど」
おい。
言っていいことと悪いことがあるんだぞ。
さすがの俺でも心が傷付くんだからな。
そんな無垢な表情で酷いことを言うなよ。
「…まぁ、釣り合っちゃいねえよな」
「ですです」
「ちょっとは言葉を濁そうね?」
なんだか変な感じ。
確かに三浦と俺は釣り合っていないと自覚していたが、それを高校生にまで遡り、改めて言われるとは…。
三浦はまぁ…、誰が見ても美人な類いで性格も悪くない。
だからこそ、彼女は自身のステータスに見合った好きな相手を…、葉山を好きになったんだ。
その事実に裏付けられるあのピンキーリング。
似合いもしない、あのピンク色のピンキーリングを、彼女は肌身離さず身に着けている。
三浦の小指に嵌められたあのピンキーリングを見るたびに、俺の心がどれだけ締め付けられた事か…。
「…俺も悲しきピエロの仲間入りかな」
「ちょっと。私をピエロ呼ばわりするのはやめてください」
「はぁ。俺も帰るわ。金は置いておくから」
「ええ!どこか連れて行ってくださいよ!」
「なんでだよ…。そもそも…」
「…?」
そもそも、
ましてや2人で出掛けるなんて関係でもない。
下手したら、俺と一緒にいる姿を同級生に見られて変な噂を流されちゃうぞ。
と、呆れ気味なため息を大きく吐き出し、俺は財布から1000円札を取り出し、テーブルに置いた。
「連れて行くのはまた今度だ。それじゃあな」
「待ってください」
「何だよ」
「…全然足りませんよ?」
…は?
チーズケーキにアイスコーヒー、それとアイスティーだけの注文だぞ?
むしろお釣りが来るくらいだろ…。
「足りてんだろ。ぼったくる気か?出るとこ出るぞ?」
「いいえ、全然足りていません…」
「だから…」
まさか後輩にぼったくられようとは…。
俺は立ち上がり、ほんの幾ばくかの怒りを込めて一色を見下す。
ただ、一色は謗らなぬ顔してアイスティーを傾けながら、あの頃と変わらない柔らかい笑みを溢すだけ。
「変な感じです。こうやってまた、
「…は?」
「何もかもが足りてません…。
「…おまえ、何を…っ」
そっと、一色が大人びいた表情で俺を見つめる。
その表情に一瞬ドキっとしながらも、おれは一色から目を逸らさない。
いや、逸らせなかった。
あの日とはーーーー
「先輩。また、あの日みたいに、素敵な夜景を私に見せてくださいよ」