こうして雪ノ下と向き合って会話をするなんて随分と久しぶりだ。
相変わらずの綺麗な顔立ちに、俺は思わず綺麗だと呟いてしまったらしい。
咄嗟に出た言い訳を、雪ノ下は赤面しながらも信じたようで、どうにも居た堪れない気持ちと気恥ずかしい気持ちがぶつかり合ってしまう。
「ーーーどうして、貴方は三浦さんを選んだの?」
おいおい…。
途端に俺の心を慌てさせるなよ。
洋楽に詳しくない俺は店内の英詞のBGMを聞き流していたものの、それがアニソンを洋楽風にアレンジしたものだと気がつき我に帰る。
一口、コーヒーを口に含みながら、俺は雪ノ下の瞳を見つめた。
「…あんまり格好の良い話じゃないぞ?」
「ええ、貴方はいつも格好悪いもの」
ふと、BGMに流れる洋楽のアニソン歌詞を思い出す。
…曖昧3センチ…、そりゃプニってことかい?
変な歌詞…。
そういえば、こなたが言ってたな。
貧乳はステータスだと。
はは…、良かったな雪ノ下。
おまえのソレもステータスなんだとよ。
「うるせ、貧乳」
………………
………
……
…
.
.
.
泣きそうになった。
いや、実際には泣いていたと思う。
総武高校の卒業式が閉会し、寄書きやら記念品やらと盛り上がるクラスの雑踏に囲まれる彼女と目が合った。
やんわりと、クラスメイト達を掻き分けこちらへと走り寄ってくる彼女の腕には、これでもかと言うくらいに黒くなった寄書きが抱かれ、クラスでの人気度合いが伺える。
「えへへ、ヒッキー見つけた」
「…ん。卒業おめでとさん」
「ヒッキーもおめでと」
そんな彼女の純粋な笑みに、俺は幼くも視線を逸らす。
「…大切な事、ヒッキーに言わなくちゃ…」
「…保証人になれとかは無理だからな?」
「へへ、違うよ。…今日は、逃げないから。ヒッキーも逃げないでね」
そう言った彼女の瞳に、いつものアホな由比ヶ浜は居ない。
どこか大人びたその表情に、心臓の鼓動が早くなった。
由比ヶ浜が人混みを避けるように歩き出す後ろ姿を追う。
「……。由比ヶ浜、昨日も言ったが、俺は誰とも…」
「わかってるよ。…でも、この気持ちは嘘じゃないから。…ヒッキーが言ったんじゃん。本物がほしいって」
思わず頬が熱くなる。
止めてくれません?そのクサイセリフを思い出させるのは。
なんでおまえらって、いつも的確に俺の恥ずかしい所をまさぐるの?
そんな風に身を悶えさせていると、由比ヶ浜は人気の少ない校舎裏で足を止める。
振り向いた彼女の瞳は既に潤んでいた。
答えは決まっているから。
それを由比ヶ浜も知っている。
「ヒッキー、言うね…」
「…ん。噛まないようにな」
ふわりと流れる風が、由比ヶ浜の前髪を優しく揺らした。
潤んだ瞳がキラキラと光り、まるで夢の中で彼女を見つめているような感覚。
「へへ、ありがと。…私はヒッキーが好き。ずっとずっと好き。これまでも、これからも、ずっと好き。……付き合ってください」
ペコっと下げられ頭。
いつものまん丸なお下げが転がり落ちそうだ。
「…ありがと、由比ヶ浜。…でもごめん。俺は誰とも付き合えないから」
「…うん、知ってる」
「…。でも、まぁ、アレだわ。良かったよ…」
「…っ、えへへ、なに?それ」
「…良かった。おまえと出会えて。おまえのおかげで楽しかった。アホすぎて偶に本気で呆れ掛けてたけど、そういう由比ヶ浜を…、俺は嫌いじゃない…」
「…ぷっ!あはははー!…もう、最後までヒッキーはヒッキーだね」
「…そうだよ、俺は俺だから。これからも、俺のまま。…だから、卒業してもアホな事を言いに来てくれ」
「うん。…いっぱい会いに行くよ。…だから、これからもよろしくね!」
そう言って彼女は涙を流しながら笑っていた。
その笑顔に見惚れる暇も与えてもらえずに、彼女はその場から立ち去っていく。
残された俺は、ただただ寒さの残る青空の下で彼女の涙を思い出すことしか出来ない。
「…はぁ、緊張した」
俺の独り言は誰にも届かない。
どこかドラマのワンシーンみたいな一言に恥ずかしさを覚えた俺は、ようやくにその場から歩き出した。
どんな顔して戻ればいいんだよ…。
ふと、戻ることに躊躇う俺の足は、卒業の悲しみを分かち合う場所とは逆へと向かう。
誰も居ない部室棟。
静かな廊下を静かに歩き。
いつものドアの前に辿り着く。
もう感覚で分かるんだよな…。
このドアを開ければ
「……よう」
「あら、そのヘドロのように腐った瞳…、もしかして比企谷くんかしら」
ーーー毒舌を吐くのだ。
俺は部室に入ると開けたドアを閉める。
何度も聞いた。
いくつものバリエーションに飾られた彼女の毒舌を。
ふわりと懐かしむ間も無く、彼女による罵詈雑言が傷心気味な俺の心を優しく覆い尽くすのだ。
「…うっせ。貧乳」
「おまえ今なんつったのかしら」
「はは。最後くらい言い返させろよ」
「言って良い事と悪い事があるわね」
ぷるぷると震えて怒りを抑える雪ノ下に笑いかけながら、俺はいつもの席に腰を下ろす。
「こんな日でも、おまえはここで本を読んでるんだな」
「どんな日でも、私はここに居るの。…奉仕部なのだから」
「それも今日で終わりだろ」
「……。意地悪な事を言うのね」
絶対に見せることの無い、雪ノ下の悲しそうな表情が俺の胸を痛める。
誰よりも明晰で冷静だと思っていた彼女も、実はほんのちょっぴり大人振ろうとする我儘な女の子なのだ。
1人で出来ると言い張る姿も、姉に負けじと頑張る姿も、実はただの我儘な女の子。
……。
「終わるんだよ。終わりたくなくても、どれだけ楽しくてもな」
「…っ。…そう、ね。…今日で卒業だものね」
我儘な女の子は本を閉じてそっと俯く。
泣きそうな顔を見せたくないのか、それとも既に泣いているのか。
俺は意地悪にも、そんな彼女に近づき頭を数度撫でてみる。
さらさらとした黒く美しい髪。
撫で心地は悪くない。
「…ぅぅ。…そうやって、優しくしないでちょうだい」
「…別に、優しくしてるつもりなんてないけどな」
「そ、それなら…、今日くらい…優しくすることを許可するわ」
「……止めた」
「!?」
なんだろう。
今日の雪ノ下は本当に可愛い…。
なんか悪い部分が抜けて、素直で純粋な女の子のような…。
撫でるのを止めると、雪ノ下は寂しそうに俺を睨む。
これ以上は、俺もなんかヤバいから。
「ぁ、あの…、比企谷くん。部長の最後のお願いを聞いて…」
「…あ?」
「…あ、貴方の、…っ。貴方の体温を確認させなさい!」
「は?た、体温?」
「そうなのだけれど!?」
「え、別にいいけど。…おまえ、体温計とか持ってんの?」
「うぅーー!!」
ジタバタと足を何度も床に叩きつけると、椅子からガタンと立ち上がり、ドタドタと雪ノ下らしからぬ大股でこちらへと近寄ってくる。
な、何事?
と、思った時には、俺の胸元に彼女の小さな頭がそっと当たった。
ふわりと、雪ノ下から漂う香りが普段よりも数倍近くから感じる。
まるで小さな女の子のように我儘に、自分勝手に行動を起こす彼女に翻弄されながら、俺は訳も分からずそんな雪ノ下を腕で包み込んでみる。
「…っ。あ、暖かいわね。…37℃くらいかしら」
「そ、そうか…。ちょ、ちょっと熱があるのかもな。はは」
ぴっとりとくっつく雪ノ下から漏れる吐息が胸に当たった。
「…貴方をずっと感じていたいわ。私は、貴方が居ないと…」
「…っ。雪ノ下、俺は誰とも…」
「ええ、知っているわ。知っているのよ。…それでも、私は…」
「……」
「貴方を好きだと言う気持ちを隠せないの。…隠す事は得意だったのに。この気持ちだけは…、隠せないの…」
ぽつりぽつりと囁く言葉の節々から気持ちが漏れる。
泣いているのか、彼女の足元には小さな雫が何個も出来ていた。
「…どうして、卒業なんかしなくちゃいけないの。貴方と、由比ヶ浜さんと、ずっとずっと此処で…」
「…あぁ、ずっと、一緒にいれたら良いのにな。…でも、そんなことはあり得ない」
「…っ!」
「あり得ないけど。…由比ヶ浜も、俺も…、雪ノ下と同じ気持ちなんだよ」
「…そ、それって」
「俺もずっと一緒にいたいと願ってる。きっと、この気持ちは変わらないと思うからさ」
「…うん」
そっと優しく、小さく涙でふにゃけた雪ノ下を見つめる。
真っ赤にさせた目元を袖で拭いてやりながら、彼女にも本物の気持ちを伝えた。
「その気持ちが変わってないか、互いに確認し合おうぜ。…偶に会ってさ、この部室で過ごした日みたいに」
我儘な女の子はふわりと笑いながら。
握りしめていた俺の制服をゆっくりと離す。
今更ながら、真っ赤に腫れた目を隠すように、ぷいっと俺に背中を向けると、いつものような毅然な言葉でしっかりとそれに答えた。
「…ええ、そうね。偶に会って…、確かめましょう。貴方も、由比ヶ浜さんも…、ば、馬鹿だから忘れてしまうかもしれないし…」
「はは。そっか。それなら忘れないようにしなくちゃな」
「な、何を笑っているの!?言っておくけど、私は泣いてなんかないし、貴方を好きでもなんでもないのだから」
「デレのんがツンのんに戻った」
彼女は顔を真っ赤に染めながら細めた目で俺を睨むと、読んでいた文庫本を鞄にしまった。
名残おしい部室に別れを告げるように。
帰る身支度を整えた雪ノ下と部室を出ると、カチャっと回されたドアの鍵をそっと胸に抱いて、雪ノ下と俺は並んで廊下を歩き出す。
いつもより、幾分か距離の近付いた肩を並べて、俺たちは歩き出した。
「…私みたいな完璧な女性、二度と現れないんだから」
「はいはい。そうかもな」
「そ、そもそも!貴方はどんな人となら付き合うと言うの?」
「…んー。そうだなぁーーーー
それはそっと、頬を撫でる風のように暖かく。
冷たいと思っていた彼女の照れた顔を見つめながら。
ーーー俺がだらし無いからな。
.
.
.
…
……
………
……………
ーー。
「…それが三浦さん、だったのね」
「そうなのかもな」
darlin' darlin' A M U S E 〜!
と、口ずさみながら、俺は思い出を語り終える。
懐かしむように、雪ノ下はあの頃と同じように目を細めた。
飲み終えたコーヒーグラスを持て余しながら、俺は寝静まった三浦の頭を撫でてやる。
「…強引過ぎるときもあるけどな」
「ふふ。そうね。三浦さんは強引過ぎるわ」
ふわりと笑い、雪ノ下は優しく俺と視線を交えた。
そういえば、卒業後に何度も会っているにも関わらず、確認だとかなんだとかをした覚えがないな。
そう思っていると、雪ノ下は意地悪な笑みを浮かべて口を開いた。
「それじゃあ、確認をしましょうか」
いつものように、済ました顔に我儘な彼女を隠して。
「…貴方の気持ちは変わっていないのかしら?もちろん、私達とずっと一緒に居たいと思っているわよね」
ーーーend
ゆきのんも偶には良きかな。
これで終わりかもなー。
もうネタないし。
三浦が小さくなった理由は不明。
小さくなった三浦を書きたかっただけです。