ヒキオと出会い、付き合い、すれ違い、惹かれ合った。
義務的な恋愛を繰り返していた私にとって、アイツの存在は何よりも重たい。
甘い甘いコーヒーのように、優しく頭を撫でてくれるヒキオの手が好きだ。
私の手を握るときに見せる困った顔も好き。
座った時に膝を抱く座り方も、テレビから聞こえる大ボリュームに驚く姿も、料理をするときだけ伸びる背筋も。
みんなみんな大好き。
大好きって気持ちが痛い程に分かるから。
「……」
かおりの気持ちを無下にすることは出来ない。
無下にしちゃいけない。
好きって言葉に魔法を掛けて、伝えるために勇気を振り絞る。
拒絶される怖さにビビるな。
思いは吐き出してこそ、初めて想いになるんだから。
「……優美子ちゃん。どうしたの?」
屋上の風に髪を押さえる。
放課後になり、グラウンドから轟く野球部の声や、教室から聞こえる吹奏楽部の音合わせ。
きっと、その中にはヒキオが本を捲る音も混ざっているのだろう。
「…急に呼び出してごめん。忙しかった?」
「んーん。この後、図書室に行こうと思ってただけ」
「あーしと一緒だ」
「ふふ。読書部の仲間だもんね」
「あーしとあんたと……、ヒキオ」
「……うん」
空と屋上を遮る緑のフェンスにもたれかかる私の隣に、かおりはゆっくりと歩み寄ってフェンスを握る。
そのとき、まるで時間の流れが止まったように世界から音が無くなった。
「…ここで優美子ちゃん、比企谷に嘘の告白をしたんだよね」
「……」
「比企谷に告白ドッキリしようって……。あれ、最初に言ったの誰か覚えてる?」
覚えてるはずがない。
私の記憶が始まったのはこの屋上でヒキオの前に立っていたときからだからだ。
すると、かおりはフェンスを強く握り直し、私に向かって淡い笑顔を浮かべながら呟いた。
「私、なんだ…。私が比企谷に告白しなよって…、言ったんだ」
「…ワケを言いな。あんたは理由も無く人を…、ヒキオを悲しませるような奴じゃないし」
「…っ。…優美子ちゃんが居ない時に、比企谷に告白すれば面白いんじゃない?って、あのコ達に伝えた」
あのコ達とはあの時に陰で隠れていた3人、告白ドッキリの首謀者だろう。
「そうすれば、告白役はきっと優美子ちゃんになるって予想ができたから」
「…あーしは…」
「…。優美子ちゃんが、比企谷に嫌われればいいのにって思ったの」
ざわつく風が吹き荒れる。
かおりの容赦のない敵意がこもった言葉に、私は一瞬背筋を凍らせた。
「…比企谷は、優美子ちゃんが好きだよ」
「そ、そんなわけ…、ヒキオが好きなのは…」
「優美子ちゃんだよ!!….わかるもん。比企谷のことをいっぱい見てたから」
「…っ」
「比企谷のことが好きだから…」
かおりはスカートの裾を強く握りしめ、下を向きながら大きな声を振り絞った。
口から漏れた本音は、次第に涙となって頬を滴る。
彼女は純粋な女の子なんだ。
「それなのに、急に優美子ちゃんが読書部に入ったり、比企谷に絡んだり、周りの目を気にもしないで比企谷と仲良くなった。…ほんとに、わけがわからないよ」
「…ワケなら分かるでしょ。だからあんたは手紙を出したんだから」
「っ!!……なんで優美子ちゃんが気づいちゃうのよ…。比企谷にしか分からないメッセージだったはずなのに…」
「あいつ、あの本読んでないよ」
「…もぉ〜っ!何も上手くいかない!!」
フェンスを握っていた手で髪をかきあげなから、項垂れるように地面に腰を落とし膝を抱く。
しばらく、鼻を啜る音や引きつる呼吸が聞こえると、かおりは震えた声でぶつぶつを話し出した。
「…ぅ。比企谷のことを分かってるのは私だけだったのに…。諦めたはずだったのに…。読書部なんか入らなければよかった……」
「……」
「比企谷も楽しそうだったし。優美子ちゃんにデレデレでさ。…ほんと、バカみたい」
「…かおり」
「慰めないでよ。ミジメになるじゃん」
「甘ったれんな」
「え?」
私は俯くかおりを見下ろすように仁王立つ。
相手が男なら拳を振り下ろしていたところだ。
情けない声で呟かれた言葉に辟易としながら、私は”彼女”の顔を思い出していた。
冷徹で毒舌な美しい雪の姫。
雪ノ下雪乃は弱った私に遠慮無く叱咤した。
想いを伝えなさい。
好きと言う気持ちを大切にしてあげなさい。
それで私達は対等よ。
「…あーしはヒキオが好き。何度でも抱き締めてもらいたいし、何時までも隣に居て欲しい」
「…っ」
「手紙に込めた想いだけで、あんたはヒキオを諦められるの?」
「…わ、私は…っ。私は…」
手紙に込められた想いはヒキオに届かない。
あいつは鈍感を装おっているつもりで本当に鈍感だから。
大きな本を一生懸命に捲る小さなヒキオは生意気で博識でどこか抜けてて。
それなのに、甘いコーヒーを傾ける姿なんかは大きなヒキオと変わらない。
……タイムトラベル?パラレルワールド?
そんなの関係ない。
私は全ての世界で全てのヒキオを愛している。
例え、私が居るべき世界で無かろうと、ヒキオは誰にも渡さない。
渡したくない。
「私だって、比企谷のことが好き。…諦めたくなんかないよ」
だからって、ヒキオの周りで悲しむ誰かを見て見ぬ振りは出来ないから。
結衣みたいに綺麗な涙を流して欲しいから。
雪ノ下さんみたいに姿勢良くフられたことを誇ってもらいたいから。
私は涙を流して俯く彼女の背中を押してやる。
「本当に好きなら後先考えずに突っ走りな。
好きって気持ちも、嬉しいって気持ちも…、もっと大切にしてやれし」
穏やかに流れていた時間が終わる。
涙を流す彼女の瞳はとても綺麗で。
何かを決意したかのようなその顔は、私が見てきたかおりの表情で1番美しかった。
敵に塩を送る?
違うし。
みんな、ヒキオにフられちゃえばいいんだ。
どうせフられたって、ヒキオなら幸せにしてくれるから。
「私、比企谷に全部伝えてくる」
「…うん、ダメ元で行ってきな」
「ふん!優美子ちゃんこそ後で泣いたって知らないんだからね」
ふわりと立ち上がる彼女の瞳に涙はもう無い。
一歩を踏み出す彼女の背中を見つめながら、私は目を閉じる。
……ほんと、変な過去に飛ばすなし。
ヒキオ、帰ったら私が満足するまで頭を撫でてよね……。
ふわりと。
身体から重さが消えていく。
一瞬の目眩と同時に、私は意識を手放した。
ーーーーーー☆
「ーーーぃ」
ん、眠い…。
瞼がいつもより重く感じる。
「ーーい」
遠くから、優しい声が聞こえてくる。
まだ、寝かせろし…。
「ーーおい」
優しく暖かい。
あーしの好きな……。
「おい!」
「!?」
声が耳から伝わり脳を揺らした。
思わず身体を跳ね起こした私は、何が何だか分からずに周囲をキョロキョロとしてしまう。
「……おまえ、大丈夫か?」
「へ?ひ、ヒキオ?」
「あ?」
「大きいヒキオ!?」
「…まじで頭大丈夫か?」
まごう事なき大きいヒキオが私の目前で呆れている。
どうやらソファーに寝転がってる私を上から覗いている形のようだ。
「あ、あーし、どうして…」
「どうしてって、飛べしーーって言いながら、滑ってズッコケて床に頭をぶつけて…、おまえそのまま寝ちまうからよ」
「ね、寝てた!?あーしが!?」
「お前以外に誰が居るんだよ…。はぁ、あんまり心配させんな…」
「むー。じゃあ、あれは夢……?」
ヒキオは不思議そうに私を見つめながら、いつものように優しい手つき頭を撫でてくれた。
気持ちの良いその手に、私は思わずまた眠ってしまいそうになる。
「おまえ、うなされてたぞ?」
「うなされてた?」
「あぁ。アホ毛がぁ〜、とか。本がぁ〜、とか」
「むむ。解せぬ…」
私は頭を撫でてもらいながら考える。
あの後、かおりはヒキオに告白したのだろうか。
結果はどうだったのか?
読書部はどうなったのか…。
なんて、今更その結末を知る由もない。
だってあれは、すべて夢だったのだから。
「ん〜〜!ヒキオー!もっと頭撫でろし!」
「もう終わり。夕飯の買い物行かなきゃ」
「え!もうそんな時間!?」
この幸せな世界はいつまでも。
私とヒキオを出会わせてくれた世界はずっと光り続ける。
ふと、テーブルの上に置いてあったヒキオのスマホが短く震えた。
おそらくLINEを受信したのだろう。
ーー折本ーー
あの本読んだ?
ちょーウケるっしょ!
またオススメ貸してあげるね!
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