当たり前のことだが、図書室には数え切れないほどの本がズラリと並んでいる。
それはSFから純文学まで様々なわけで。
背の高い本棚が織りなす図書室内の迷路を縫って歩くように、小さなヒキオはせっせと返却された本を棚に戻していた。
……図書室には私とヒキオ以外誰も居ない。
誰にも見られることがない本棚の密室。
……ゴクリ。
「ヒーキオっ。手伝ってあげるし」
「いらん」
「!?」
「ウチの図書室は少し特殊なんだよ。著者順でも作品名順でもなく、沢山借りられてる順に並べられてるんだ」
「そ、それがなんだし」
「……。おまえ、小説とか興味ないだろ。どれが沢山借りられてるとか分かるか?」
「分かるし!」
「ぬ?」
私はヒキオが大量に運んでいた返却本を二つ取り、それを自分の鼻に近寄せた。
「……変な匂い、コレは沢山借りられてる。……コレは木の匂いがするからあまり借りられてない」
「!?」
「ふふん。あーし、嗅覚には定評があるから」
「まじかよ…」
「ヒキオ、ちょっとこっち来てみ」
「あ?」
とろとろとこちらに来たヒキオをガシっと捕まえ、私は学ランに顔を寄せる。
「な!?」
「……。あんた、昨日カレー食った?」
「…なぜわかる」
「今朝もカレー。…寝かせたね」
「むむ」
「今日の昼はカレーパンか。家カレーからの外カレー。無敵だね」
「おう、無敵だ。……それにしてもすげぇ嗅覚だな」
「へへ。毎朝あんたのパジャマを嗅いでたからね」
「怖いっ!!」
ーーーーーーー
数学の先生による授業が滞りなく進む中、私はノートと教科書でブラインドを作りながら昨日目安箱に届いた手紙を読み直す。
乱雑に引き裂かれたノートの切れ端には似つかわしくない丸い字体がなんとなく不思議な印象を抱かせた。
コロコロと文字が転がってる。
その文面には恋を匂わせる内容。
心なしか、昔の自分を思い出す。
私には目も向けてくれない人に対する告白は、たぶん生きていく内の何よりも怖いものなのだ。
「……」
葉山隼人め……。
高校生の私を弄びやがって…。
なんて、余計なことを思い出していると、授業の終了を告げるチャイムが教室内に鳴り響いた。
「ふぅ、やっと放課後か」
小さく伸びをしながら、私はヒキオの元へと歩み寄る。
かおりは担任に呼ばれたとかでそそくさと教室を出て行ってしまった。
「ヒキオー。部室行くよー」
「…ヒキオって呼ぶな」
そう言いながら、ヒキオは数学のノートに未だ数式を書き込んでいく。
書くのが遅いのか、それとも計算が遅いのか、せっせとシャーペンを動かしながら数字を書き込む姿は私の母性本能をくすぐった。
「…数学、やっぱり苦手なん?」
「やっぱりって何だよ。…まぁ、理解は遅いかもな」
「数学なんて将来役に立たないし、別に気にすんな」
「…慰めてんじゃねぇよ」
.
…
……
………
私は図書室に着くなり机を陣取り、昨日の依頼書を広げる。
依頼書とはもちろん恋文のことだが、今日一日中ソレと睨めっこをしていたが何の解決策も浮かばなかった。
「…まだ持ってたのかよ。そんなん誰かのイタズラだろ」
「あんたは恋心が分かってない」
「む」
「…もしこれがイタズラなら、好きな相手を匿名にするなんてしない。あーしらを悩ませるだけのイタズラなんて誰が得するんだし」
「理に適ってるが、中学生が何も考えずに突発的な行動を起こすなんてよくあることだろ?」
「その突発的な行動こそ、深層心理にあるそいつの本心なんだし」
「むむ」
反論を失ったヒキオがようやく自らも椅子に腰を落とし、その手紙を眺め始める。
ただ、情報が少なすぎるその手紙からは何の意図も読み取ることは出来ない。
「……おまえ、その手紙の持ち主を探してどうするわけ?」
「は?決まってんじゃん。その好きな人と付き合えるようにフォローすんだし」
「…意図を履き違えるなよ。その手紙の内容は”付き合いたい”じゃなくて、”告白がしたい”だ」
「む。そんなの言葉の綾みたいなもんでしょ」
「……」
ヒキオは読んでいた文庫本から視線を上げ、私の目を少しだけ睨むと再度文庫本に視線を移した。
何かを訴えようとしたのだろうか、ただ、この世界の私とヒキオはまだ深く繋がっていない。
だから本心を無闇にさらけ出してくれたりはしないんだ。
ふと、胸の奥で小さなくぼみが出来上がる。
思い出の欠落。
前にも似たようなことがあったような……。
”本気で向き合ってくれて嬉しかったのーーー”
……。
そうだ、結衣の告白は答えを貰うための告白ではなかったんだ。
心と心で向き合うための告白。
伝える事の意味を改めて考えさせられた、そんな告白。
……もし、この手紙の出し主もそう思っているのなら…。
「……。告白しても、フラれるって分かってる…」
「……」
フラれる、それでも告白をするのには意味がある。
……。
「…ヒキオ、フラれるって分かってるのに告白する理由ってなんだと思う?」
目の前にいる小さなヒキオよりも長く生きていながら、未だにその理由が分からない。
いや、分かっているのに分かろうとしていなかった。
それは、高校生の頃に隼人に告白したときも。
隼人が別の誰かに好意を抱いていると分かっていながら、分からないフリをして好きで居続けた。
あえて鈍感で居ることに甘えていたんだ。
「…分からん。想いを吐き出したいとか、決別の機会だとか、そんなんじゃねぇの?」
静かに揺れるカーテンが大きく膨れ上がり、止まっていた図書室の時間は頬を撫でる優しい風に寄って動き出す。
ふと、カーテンの揺れる窓の下に配置された背の低い本棚に、1冊だけ、真新しく分厚い本が詰め込まれていた。
あれ、あの本をどこかで見た覚えが…。
……あぁ、初めてココでヒキオと会ったときに、最上段に埋まっていた本。
ヒキオが一生懸命に取ろうとしていた本だ。
……位置が変わってるってことは、誰かがあの後借りたってこと?
ふと、私はその分厚い本を棚から引き抜きペラペラとページを捲ってみる。
「…ね、ねぇヒキオ!この本ってどんな内容なの?
「あ?……確か、古い恋愛小説だったな…、あまり面白くなかったから途中で読むのを止めた」
「むむ…」
「内容が知りたいならあらすじとあとがきを読んでみろよ」
「あ!そっか!読書感想文の基本を忘れてたし!」
私はなぜか変な衝動に駆られ、その本のあらすじとあとがきをじっくりと読み解く。
恋愛、浮気、失恋、手紙、告白。
書かれているワードが一つ一つ、私の心を覗かれていたかのように捉えた。
……。
「……」
「…?どんな内容だったんだ?」
「え、いや…。まぁ在り来たり恋愛小説だったし」
「へぇ」
ヒキオはさほど興味が無いように自らが読んでいた文庫本に目を落とし直す。
内容は至って簡単だった。
主人公の女の子には好きなクラスメイトが居た。
でも、そのクラスメイトは他の女の子に惹かれている。
想いだけでも伝えたい主人公はそのクラスメイトに近づいてはちょっかいを掛けた。
気付いて貰うために。
次第に、クラスメイトと主人公の距離は縮まっていくが、それは友人としての距離であり、クラスメイトとその想い人の相談仲介役になってしまう。
クラスメイトのことが好きだった。
ただ、クラスメイトのことを想うなら、主人公は身を引いて、彼の幸せを願うべきだと考えた。
それでも、この気持ちだけは伝えたいと。
主人公は想いを手紙に綴り、それをポケットに忍ばせて渡す機会を伺っていたが、結局は渡せず仕舞いに卒業を迎えた。
勇気の無かった自分を戒めるように、彼女はその手紙を破り、屋上に吹く強い風に乗せて捨てるのであった。
ーー好きでした、ありがとう。
……。
とくん、と。
私は心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
あとがきを読み終え、本の最終ページを捲ると、そこには貸し出しカードが挟まっていた。
私は、その貸し出しカードに思わずため息を吐いてしまう。
貸し出し記録はまだ2名の生徒にしか借りられていない。
そのカードに記された2つの名前。
……そっか、あんたはコレを読んであの手紙を出したんだね。
同じ本を読んでいるハズのあいつになら気付いて貰えると思って。
ーー貸し出し記録
比企谷 八幡
折本かおり