図書室には受付を担当する先生の姿すら見えず、そこの空間にヒキオがただ1人で独占していた。
奉仕部が集まっていたような陽だまりの空間には程遠く、どこか語り手の居ない物語のようなもの静けさが少し悲しい。
擦りむいた膝に絆創膏を貼り終えて顔を上げると、懐疑的な目を向けるヒキオと目が合った。
「…本、借りに来たんだろ?」
「そ、そうだけど…」
ヒキオの座るテーブル席に対面して座った私に彼は話し掛けてくる。
どこか棘のあるような言い方が悲しかったりするわけで……。
「…」
「お、おすすめの本とかある?」
「ない」
「あんたが好きな本とか…」
「ない」
「……、お、面白い本とか…」
「……」
何度目の静寂だろう。
ヒキオの側にいて居心地が悪いと感じるのは初めてかもしれない。
すると、ヒキオは読んでいた本を閉じ、溜息を一つ吐くと私に向かって口を開けた。
「…はぁ。また罰ゲームか何かか?」
「ちがっ…!」
「何でもいいけど早く済ましてくれ。俺は何をすればいい?またお前に振られればいいのか?」
「……っ!…そ、そのことなんだけど…」
「?」
私は思わずその場から立ち上がってしまう。
机に手を置き、思い切り頭を下げる。
ゴンっ!
と、小さな音を鳴らしながら、私は頭を机に擦り付けた。
「!?」
「さっきはごめん!許せし!!」
「……は?」
「…あまり詳しくは言えないけど、あーしにも深い事情があったの。だから許して!!」
「……。別に、謝ってほしいわけじゃねーよ」
「!…ゆ、許してくれるの?」
私が頭を上げると、ヒキオは既に本を開いてそれに目を落としていた。
まるで興味はありませんと言わんばかりに。
「許すとか、許さないとか…。それ以前に何とも思ってない」
「……っ」
「クラスでの地位を守るために下を蹴落とすのは社会でもあることだ。その生存競争に負けた俺が悪い。…だからおまえに謝られる筋合いはない」
ツーンとした態度。
プイッとそっぽを向きながら、彼は私から目を逸らす。
じょ、饒舌だ……。
小さいヒキオは……、饒舌だ!!
「……耳が少し赤い。本を読む振りをして目を逸らす。理論で身を守ろうとする。あーしの知ってるあんたと瓜二つだね」
「は?」
「……あーしはあんたの全てを知ってるんだかんね」
「……怖ぇよ」
私はヒキオから本を取り上げた。
幼い彼はまだまだ小さく、頭のアホ毛も猫背の姿もやっぱり子供で。
そのくせ口だけは達者になっている生意気な奴。
普段と同じように。
私が彼にされているように。
私は優しくヒキオの頭を撫でてやる。
「1人で居ようとするなし。直ぐにあんたの周りには暖かい本物で囲まれるんだから」
「な、何を…」
読書部はヒキオが作った唯一の居場所だ。
本物の関係を作るための居場所。
「あーし、読書部に入るわ」
.
…
……
………
……………
翌日、私は入部届けを職員室へ出しに行った。
顧問の教員は居なかったため、そいつのデスクにそれを置いておく。
ごちゃごちゃとしたデスクの上で、それがゴミだと間違われないようにメモを貼り付けておくと、私の姿を見つけた担任の先生が声を掛けてきた。
「三浦さん?どうしたの?何か用?」
「んー、ちょっとコレを出しに来た」
「入部届け?…へぇ、どこに入部するの?」
「読書部」
「読書部……。あぁ、陽乃ちゃんが作った部よね。彼女が卒業して廃部になったと思ってたけど…、まだあったのね」
「うん。そこにあーし入るから。せんせー、部費ちょうだい」
「そ、そんな簡単にあげれるものじゃないのよ?」
そう言うと、先生は私の入部届けを顧問の代わりに受理してくれると言い、部活動関連の書類が保管されている棚にそれを持っていく。
しかし、棚の前で何かを探す素振りを見せると、先生は苦笑いを浮かべながら戻ってきた。
「三浦さん、残念なお知らせがあります」
「ん?」
「読書部は……」
「?」
「来月、廃部になります」
「!?」
ーーーーー。
たったったったと。
職員室を飛び出した私は昼休み中の校内を激走する。
教室に戻り、彼の姿を探すも見つからない。
図書室へ向かうも、扉には鍵が掛けられており開いてはいなかった。
ど、どこだし!?
当てもなくあいつを探して走るのはあの日以来か。
ヒキオに謝りたくて、脚が腫れるほど走り回ったあの日。
見つけた時には思わず涙溢れてしまった事を昨日のことのように思い出す。
「あのバカはどこ行ったしー!!」
廊下に響き渡る私の怒号。
「ゆ、優美子ちゃん?どうしたの?」
「か、かおり…。ヒキオはどこだし!?」
「え、えぇ。…あ、そういえば前に、体育館裏の駐輪場で昼は食べてるって言ってたような…」
「!?さんきゅ!愛してるし!!」
「……ぇぇ〜」
ーーーー。
「はぁはぁはぁ……」
「…。なに、どうしたのおまえ」
木陰の光が程よく当たるその場所で、食べ終えたお弁当を横に置き、本を枕に横になる彼の姿。
「はぁはぁ…、く、食い終わって、直ぐに…はぁはぁ、寝たら……、ダメだし…」
「へ?あ、あぁ、牛になっちゃうな」
「って、そんなことを言いに来たんじゃない!!」
「!?」
「廃部!廃部だし!廃部廃部!廃部ーー!!」
「は、廃部?…どこの部がだよ?」
「読書部に決まってんでしょ!」
「そんなわけあるか」
「そんなわけあるし!」
呆気カランと私の話を聞き流そうとするヒキオの頭を一度叩き、私は先ほど先生に言われた事を伝える。
「読書部は部員の定員割れにより来月をもって廃部!……最低でも3人の部員を擁さなければ廃部は決定って言われたし!」
「…まじか…。まぁ、潮時かもな」
「し、潮時って…。あんた、それでいいの?」
「良いも何も、廃部になっちまうなら仕方なかろう」
「仕方なかろくないし!……あそこは、あんたがこれから1人じゃなくなるために必要な場所なの!」
「……なんだよそれ」
ヒキオは必死になる私を不思議そうに見つめた。
ようやく私の話に取り合う気になったのか、横にしていた身体を起こす。
これ、必死ポイントに加点だかんね!!
「まぁ、静かに本を読む場所が無くなるのは困るな」
「!」
「…最低3人。あと2人か……。まぁ、名前だけでも借りれれば部は存続できるだろ」
「あと1人だし」
「あ?」
「あんたとあーし。部員は2名だからあと1人でしょ」
木漏れ日に戯れるヒキオの前髪が暖かな風にさらわれた。
大きく見開かれた目と、可愛らしいおデコ。
柔らかそうなほっぺはもちもちで、今度機会があればつねらせてもらおう。
「……本当に入ったのか」
小さく呟かれた言葉を私はあえて聞こえない振りをした。
「ほら、探しに行くよ。…あと1人、読書部にちゃんと顔を出してくれる物好きな奴を」