放課後の教室に1人、私は席に着いたまま状況を整理してみる。
さきほど、屋上で目が覚めたような感覚を味わってからの状況。
まず一つ、ここが総武高校の近くにある総武中学校であること。
二つ、私を取り巻く環境、そして身体的にも中学生の頃に巻き戻っていること。
三つ、この世界では私とヒキオが同級生であること。
以上3点の事が私の周りで起きた出来事なわけで。
……なんなんだし。
もしかしてあのヘッドホンって本当にタイムリープマシンだったの?
ヒキオが作ったのかなぁ……。
変なもん作んなし!!
天才かよ!!
戸惑いながらも頭を整理させていると、私しか居なかった教室に入室者が現れた。
「あれー?優美子ちゃんまだ居たのー?部活とかやってたっけ?」
「…ちょっと野暮用でね。あんたこそこんな時間にどうしたの?かおり」
折本かおり。
今日1日で粗方のクラスメイトの顔と名前は覚えた。
特にこいつは席が近く、授業中にコソッとメールを打っていた姿が印象的だったから。
郷に入れば郷に従え。
ヒキオの嫁になるならヒキオを愛せ……、これと同意だ。
ぶっちゃけ成人の記憶を持つ私としてはこんなクソガキ共と絡むのは御免被りたいものだが。
「あー、あれだよ。最近クラスで流行ってる告白ドッキリ。それに誘われちゃってさ……」
折本かおりはどこか疲れた表情で机の中から教科書を取り出し鞄に入れ始めた。
「……あの胸糞悪い遊びね」
とりあえず、今日の昼休みにヒキオを嵌めたクソ共はブチのめすとして……。
私は夕日に照らされたかおりの表情を注意深く見つめてみた。
最初の印象こそ屋上のガキ共と同じような人物だろうと勝手付けていたが、2人だけで話せばこいつは違うと直ぐに分かる。
こいつも多分、あのコと同じなんだ。
空気ばかりを気にする。
どこか天然な私の親友。
「私、ああゆう遊びは嫌いだな……」
「……そう」
「あははー…。おかしいよね。嫌いなくせに自分もやってるんだから」
うん。
素直で気持ちの良い少女じゃないか。
こういう可愛らしい娘には少しだけイタズラ心が湧いてしまう。
「…かおりー、そう言えば授業中にめっちゃ携帯いじってなかった?」
「え!?見てたの!?」
「席隣じゃん、バレバレだし。あんためっちゃイイ顔してたよ。男?」
「そ、そんなんじゃないってー!」
「ガキが嘘つくなっての。誰よ?同クラ?」
「が、ガキって優美子ちゃんも同い年じゃん。……そ、その、誰にも言わないって約束できる?」
「あーし、口の硬さと人情の義理堅さには定評があるかんね」
「え、えっとー…、ひ、比企谷と…」
「あんた…、すり潰すよ?」
「え!?」
かおりの口から出た名前に不意を突かれ、私は思わずかおりの胸元を掴み上げてしまった。
おっと、これは失敬。
……さて、どう煮てやるか。
「……で?ヒキ…、比企谷とどんなメールしてたの?」
「こ、怖いよ優美子ちゃん。…別に大した事は…」
「は?ヒキオとのメールが大した事ないってこと?」
「ひ、ヒキオ?…あ、比企谷のことか……」
「……で?どんなメールしてたん?」
「…えっと、授業難しいね、とか。宿題やった?とか…」
……青春かよ…。
なんなんだしそれ。
あーしの思ってたヒキオ(中学生Ver)と違うし。
「…でも、ちょっと意外かも」
「あ?」
「優美子ちゃんって比企谷のこと嫌いだと思ってたから」
「そ、そんなわけ……っ!!」
「……だって、今日の昼休みに比企谷のこと屋上に呼び出してたよね?あれってあの遊びでしょ?」
「…っ。」
そうだ。
失念していた……、訳ではない。
ただ、その事について考えないようにしていたんだ。
今日の昼休み、屋上にヒキオを呼び出したのは紛れもなく私だ。
私じゃない私。
なんてタイミングの悪い時に飛んでしまったのかと運命を恨んでみてもらちがあかない。
「…比企谷ってさ、結構面白い奴だよ。メールしてて思ったんだけどさ、クラスの誰よりも大人びいた考え方してるし。ちょっとだけ物静かだけど……」
「……うん」
あんたに言われなくても分かってる。
あいつに抱きしめられた暖かさはまだ胸に残っているから。
でも、今のあいつに私と過ごした時間は1秒足りとも残っていない。
「……優美子ちゃん?」
「…。明日、あいつに謝る」
「そっか。それがいいかもね。比企谷なら絶対に許してくれるよ」
「……ぐぬぬ。ヒキオは渡さん…」
「え?何か言った?」
「うっせぇバカって言ったんだし!」
「い、言われのない罵倒すぎるよ…。あ、そういえば、比企谷に謝るなら今行けば?」
「は?」
「比企谷、図書室で本読んでるよ?読書部とか言う変な部活に入ってるはずだから」
「ど、読書部?…何それ、本を読む部活なの?」
「んー。よくは知らないけど…。部員は比企谷だけみたい」
あいつ、奉仕部といい読書部といい、変わり種の部活に入部しすぎでしょ。
……でも、ヒキオらしい。
「……図書室なんて行ったことないし」
「それある!私も比企谷が読書部だって知らなかったら行かなかったもん!」
「本なんて読まないし」
「空気が耐えられないよね」
「「あはははー」」
比企谷が読書部だって知らなかったら行かなかったもん……。
比企谷が読書部だから図書室に行ったもん……。
ヒキオに会いに図書室に行ったもん……。
……なんだと…っ!?
「……ぶっ殺す」
「え!?」
.
…
……
………
……………
折本かおりの下校を下駄箱で見送り、私はそのまま図書室のある特別教室棟の1階に足を向ける。
辺りには上履きと廊下の擦れる音が響き渡った。
図書室が近づく。
それと同時に、胸の高鳴りも強くなる。
緊張と不安が混じり合ったなんて平凡染みた感傷に浸りたいわけではない。
ただ会いたいだけ。
自然と早まる足。
たどり着けば目の前に閉ざされる扉を開けるだけなのに、その扉に手を掛けると酷く重たく感じてしまう。
「…っ。…お、お邪魔します!!」
「っ!……?」
ガラガラと、思ったよりも勢いよく開けられた扉が大きな音を立てて開かれた。
迷路のように並ぶ本棚は、まるで音を吸収してくれるように静寂を演出させる。
私の入室に、目を丸くして固まる男の子。
本棚から本を取り出そうとしていた時だったのか、男の子は踏み台に足を掛けてこちらを見つめていた。
「……何の用?」
「え、あ、えっと…。本を、借りに来た…し」
「あぁ、そう」
それだけ言うと、彼は私への興味を失ったように本棚に目を戻した。
どうやら棚の最上段にある本を取ろうとしているらしく、彼は踏み台の上で一生懸命に背伸びをする。
「っ…、あ、危ないし。ほら、あーしが取ってあげるから降りな」
「は?おまえも俺と身長変わらんだろ」
不安定な踏み台はガタガタと震えていた。
それでも背伸びをし続ける彼は、右手を精一杯に伸ばしてようやく目的の本に手が掛かる。
ーーー同時に。
「……。…っ!!?」
ガタンっ!と……。
「ひ、ヒキオ!!」
踏み台が倒れ、その上に乗っていたヒキオももちろん体勢を崩しながら落下しようとした。
スローモーションに変わる世界で、私は咄嗟に彼の落下を受け止めるべく走り出す。
神経を研ぎ澄ませ!!
頭よりも反射で動け!!
助けたいと言う気持ちを力に変えろ!!!
「ヒキオーーーー!!」
落下するヒキオの下にスライディングで滑り込み、全身を使って受け止めようとする。
「…、おっと、よっ。…危ね」
「!?」
ヒキオは猫の如く空中で体勢を戻し、軽やかな身のこなしで着地した。
ズサーーーっ!
と、私のスライディングは止まることなく。
無事に着地したヒキオの足下をすくい上げてしまう。
「あ?…ぅおっ!?」
どてんっ!と、ヒキオの身体は床に転がった。
「「……」」
揃って床に大の字になる2人。
まるでカップルみたいだし。
「…何の恨みが?」
「いやいや。助けたいって気持ちを表現した故の事故だし」
「結果的に怪我をさせられてるんですがね」
「結果ばかりを求めんなし。まずあーしの助けようとした行動を褒めろ」
「……。それはどうも」
ゆっくりと腰を上げ、先に立ち上がったヒキオが不服そうな顔で私を睨みつけながらも手を指し伸ばしてくれる。
……そうゆう所は変わんないんだね。
「…ありがと」
暖かな手に引っ張られた私もようやく立ち上がった。
ふわりと、ヒキオのアホ毛が揺れる。
どこか懐かしく愛おしいその姿を、私は黙って見つめてしまう。
「……なに?」
「……んーん、何でもない」
「あっそ。…ほれ」
「?」
「膝、擦りむいてる。それ貼っとけよ」
渡されたのは無機質でデザインの無い絆創膏。
それはヒキオがいつも常備している物と同じで。
人の心配をする際に目を背ける癖までも変わらない。
「…ふふ、優しいじゃん。ヒキオ」
「…ヒキオっておれのこと?」