素直になろうとすればするほど罪悪感が湧いてくる。
そんな気持ちとは裏腹に、抑えられない感情はあいつに向かって伸び続けた。
いつからだろう。
会ったとき?
飲んだとき?
出かけたとき?
……。
いつから好きになったのかなんて分からない。
でも、一つだけ分かることがある。
結衣や雪ノ下さんの方がヒキオに近い場所に居るということ。
きっと、ヒキオは私の前では笑ってくれない。
………
この数週間、私はヒキオに会っていない。
晴れない気持ちで大学に向かい講義を受ける。
こんなに1日って長かったっけ?
なんで会えないんだろう……。
って考えながら、その答えはすぐに見つかる。
私は会っちゃいけない。
もう傷付きたくない。
失いたくない。
今頃何をやっているのだろうか。
しっかりご飯は食べてるの?
またコーヒーにガムシロップを沢山入れてない?
面と向かって口に出せたあの頃が懐かしい。
大切な人を失う。
それってこんなに怖いことだったのか。
………
講義終わりの帰り道。
少し肌寒くなった風を感じつつ、私は小さな喫茶店を見つけた。
時間は沢山ある。
やることもなく暇を潰すためにその喫茶店へ入った。
狭い店内には分煙の様子はなく、私はカウンター席に座りアイスティを頼む。
おもむろに、最近ではめっきり吸っていなかった煙草を取り出し火を付けた。
ジリジリと、煙草から出る煙が店内に蔓延する。
「少し煙たいのだけど、あなたは人の迷惑を考えられないのかしら?」
「あーしがどこで煙草を吸おうと勝手っしょ」
「まったく、少しも変わらないはね。悪い意味で」
「あ?」
長い黒髪。
綺麗な顔立ち。
座り方はどこかのお嬢様のように。
彼女は不敵に微笑んだ。
「…雪ノ下、雪乃…」
「久しぶり。三浦優美子さん」
最悪だ。
もっとも会いたくない人物との遭遇に、私は落ち着かせた胸の鼓動が強く動き出す。
「はぁ、最悪」
「あら、それはこちらのセリフだわ」
「……」
「……昔の威勢の良さはどうしたの?」
「…つっかかんなし」
「ふふ、傷心中の乙女のようね。もしかして誰かさんに振られたのかしら?」
「っ!?……。誰かさんって誰だし。あーしを振る男なんて……」
「……。この前、由比ヶ浜さんと遊んだの」
「……それがなんだし」
「いえ。そのときに、あなたと彼が仲良くしてると聞いて、少し不思議だったわ」
「……悪いかよ」
雪ノ下さんと目が合わせられない。
とても悪いことをしてしまったような気がして。
ふつふつと湧く背徳感に私は居ずらさを感じる。
「……少しだけ、悔しいわ」
「……は?」
「失言ね。忘れてちょうだい」
「……」
「彼の歪んだ優しさが、私にとってはとても眩しくて、羨ましくて……。そんな彼が好きだった」
「は、はぁ?なんの話だし……」
「こちらの話よ。あなたは違うの?彼と、比企谷くんとずっと一緒に居たいと思わないのかしら?」
逃がさないと言わんばかりに見つめられた雪ノ下さんの瞳はどこか優しく微笑んでいるかのように、私の心は彼女の言葉から離れられない。
思わない。
思わないわけがない。
ずっと一緒に居たい。
私が、誰よりもあいつの横に居たいと思ってる。
でも……。
「……、あいつが望むのはあんたらでしょ。あーしは別に、あいつと……、居たいなんて……」
あいつを否定したときに、涙が込み上げてきてしまう。
止められないから止めようとしない。
壊れたように溢れ出した涙はカウンターに一粒、二粒と落ちていき、私は声を我慢することも出来ずにその場に俯いてしまった。
「……ほら。あなたも彼と同じで天邪鬼じゃない」
「ぅ、うるせぇし……。ぅぅ。…別にあーしは!!」
「私たちに遠慮をすることはないわ」
「……っ!」
確信を突かれたかのように。
私は何も言えなくなってしまう。
「あなた、優しいのね。比企谷くんにも見習わせたいわ」
「……は、は?さっきあんた、あいつのこと優しいって……」
「あら、私は客観的な意見を言ったまでよ?こんなに美人で頭も良い私を振るなんて、彼はきっと鬼か悪魔の生まれ変わりなのよ」
「……あんたも、ふ、振られたの?」
「……さぁね。昔のことは忘れたわ」
「……」
「顔を上げなさい。涙を拭きなさい。……あなたの本心を彼に届けなさい。それで私達と対等よ」
「ふ、ふん!別に泣いてねーし!てゆうか、あんたこそあーしとヒキオが結婚してから泣いても遅いんだからね!」
「……け、結婚する気なの?」
「それくらい好きなんだし!!」
私は涙を拭いて立ち上がる。
震える脚を強引に動かした。
店内に背を向けて歩み出す。
あいつに伝えなきゃならないことがあるんだ。
「……お金、私が払うのかしら」
………
見慣れた玄関。
ドアノブに手を掛けてみると気がつく手汗。
緊張しているのだろうか、私はいつもよりも重たい扉を強気に開ける。
「よ、よ!久しぶり」
「んー?あぁ、よう」
「普通かよ!!」
ヒキオはリビングのソファーに寝転がり小説を読んでいた。
だらしない姿にほっとする。
「またあんたはそんな格好で…。風邪引いてもしらないからね」
「む。前にも言ったが、それは風邪を引いてから聞こうか」
「……あっそ」
眠たそうな瞼に隠れた瞳が私を捉えた。
小説を机に置き、ヒキオはゆっくりと起き上がる。
「……。なにか、あったのか?」
「なんで、……。あんたはなんでもお見通しなんだし」
「なんでもじゃない」
そうやって呟くような小さな声も好き。
「手、繋いで」
「……ん」
暖かい手も好き。
「髪、跳ねてるし」
「寝転がってたから」
柔らかそうな髪も。
「……」
「……」
居心地の良い空気も。
「ギュって……、して」
「……。はぁ、今日だけだからな」
暖かい優しさも。
全部、好き。
以外と男らしい腕に包まれながら、私は止まらない涙と本心を呟いた。
「あんたのこと、好き」
「……」
「誰のところにも行かないで」
「……」
「ずっと、……。一緒に居て」
「……」
長い長い沈黙。
時計の針は進み続けるのに、どうして私は止まっているのだろう。
答えは返ってこない。
ヒキオの腕に落ちる涙がシミになり、そして乾く。
今まで通りに戻ったように。
私達の関係も、あの出会った頃の前に戻ってしまうかもしれない。
そう考えるだけで、私は堪え用のない胸の痛みに襲われる。
「……。俺はだらしないし、身勝手だし、あんまり行動的な人間じゃねえ」
「……知ってる」
「あんまり人と関わるのも得意じゃない」
「……」
「……だけど…」
抱き締める力が強くなる。
ヒキオの胸から音が聞こえた。
「おまえと居るのは嫌いじゃない。……だから、一緒に居てくれよ。俺の側に、ずっと」
甘い甘い、とろけるようなコーヒー。
ほんの少しの苦味も感じない甘さ。
体中に充満し、私は力が抜けてヒキオに保たれ掛かった。
「……もっと強く抱けし」
「……か、顔が近いっての」
「もう…、いいでしょ?」
私はゆっくりと顔を近づかせる。
唇に感じる暖かな柔らかさ。
目を開けると真っ赤になったヒキオの顔が。
そんな姿が可愛らしくって、悪戯にもう一度唇を奪う。
「ぅっ!?……お、おまえなぁ」
「へへ、もう一度しよ?今度はヒキオからして」
「ぇへ!?ちょ、…む、無理…」
「……ん」
軽く目を閉じて待ってみる。
数秒後に、熱の持った唇がゆっくりと重なった。
「えへへ、まぁ合格じゃね?明日っから1日1回はキスすること!」
「ふ、ふざけんな!そんなバカップルみたいな……」
「バカップルっしょ?あーし、あんたのこと超好きだもん。あんたは?」
「ぬ……。まぁ、嫌いじゃないってことで」
「ちゃんと言えし!あーしのこと好き?」
「……はぁ。好きだよ。超が付くくらいな」
ヒキオはわざとらしく顔を背けて頬をかく。
照れてる証拠だ。
ヒキオのことならなんだって分かる。
好きだから、愛してるから。
隣で笑いながら、私はヒキオの手を握った。
頼りなく細い身体も、今ではこんなに愛おしい。
私が守ってやらなくちゃ。
そんなことを思ってみたり。
「はぁ、せいぜい俺の堕落生活に愛想を尽かさないことだな」
「あり得ないし!」
「どうだか」
「ずっとあーしがあんたの世話をしてやるんだから!」
最終話です。
どうもでした。
後日談もそのうち書きます。
更新ペースは遅くなりますけど、今後ともよろしくです。