スカーレット・ピンパーネルの脚本が遂に仕上がったと聞いて、戦々恐々部室に向かう。もう嫌な予感しかしていない。
部室前の連絡ボードには――「本日部長欠席」の文字。私は思わず小さく呻いた。
部長は、部長にとって満足いく脚本が仕上がった時、そこで燃え尽きてしまったかのように、次の日から暫く学園を休むのだ。数日すればいつも通りなのだが。
つまり、この「本日部長欠席」の文字は、スカーレット・ピンパーネルが部長の満足いく作品になったことを表しているわけである。
部室に踏み入ると、部員達は力尽きたように机に突っ伏したり、この世の絶望でも見たように虚ろな目をしていた。
「アーキン、来たか」
「遅いぞヒーロー」
「パーシー役はお前だ」
「待って下さい先輩方、どうして男の役が私に回ってくるんですか」
ちなみに、パーシーはイギリス貴族にして「スカーレット・ピンパーネル」のリーダー、要は劇の主役である。
正式な配役は部会議で話し合い決まるわけだが、こんな空気では私が問題作の主役を務めることになりかねないではないか。
「やー、これはアーキンにしか任せられないって。なあ?」
「ああ、そうだな」
「似合うと思うぞ」
「それ、絶対厄介を押し付ける気なだけですよね」
皆
余程の内容なのかとため息をつきながら、エレインが視線を何気なく横にやると、一人だけ生き生きとしていた後輩と目があった。彼女は、ずっとこちらを見ていたらしい。目があったことに気づいて、何かに期待するように、目をキラキラさせていた。いや、キラキラというよりギラギラかもしれない。獲物を見る獣の目だ。えっ、怖い。
「エレイン先ぱ――」
「ストークス先輩!」
「スカーレット・ピンパーネルとは、パワードスーツを着て高笑いしながらギロチンアクスを振り回すような話なのか?」
違うと思います。
押し付けられた台本を一通り読んだ私は、乾いた笑いを漏らした。
市民革命でフランスを追われたルイ皇太子殿下は、一度市井に身を隠し、その後名を変え身分も偽り、ブリタニア貴族のパーシー・ブレイクニー准男爵を名乗る。
この時点でちょっと意味がわからない。いくらなんでも無茶苦茶だ。どうして身を隠さなきゃいけない皇太子殿下が突然貴族を名乗れるのやら。もちろんのこと、そんな設定は原作にはなかった。
パーシーは、表の世界・ブリタニア社交界では伊達男を演じ、裏では「スカーレット・ピンパーネル」の首領として、革命軍に捕らえられた罪なき貴族を、鮮やかな手際と大胆な知略で助け出していた。
そんな「スカーレット・ピンパーネル」を撲滅しようと、革命政府はブリタニアに革命政府全権大使ショーヴランを送り込む。
その後、なんやかんやあってパーシーが危機に陥るも、真実の愛と一欠片の勇気が革命政府の企みを打ち砕く。……打ち砕くというか、徹底的な破壊だった。
ラストシーンで、パーシーが革命政府から略奪したナイトメアフレームで、ショーヴランと一騎討ちするあたりは、もうどうかしているとしか思えなかった。
「これ、フランスとは名ばかりのブリタニア帝国で、革命政府がまさしく現ブリタニア政府、『スカーレット・ピンパーネル』はゼロの率いるテロリスト集団ですよね」
「それに気付いてしまったか」
「だってこれ、思いっきりパーシーがゼロって名乗りをあげてるじゃないですか。仮面とマントまでつけて!」
「さてアーキン、マントの規格を測るから準備室へ行こうか」
ストークス先輩の唇が綺麗な弧を描く。彼の端整な顔も相まって、完成された一枚の絵のような笑顔だった。
彼の手は、私の肩に置かれていた。私を見る部員たちの視線が、もう逃げられないよといっていた。
「先輩の男装楽しみです」
「君の狙いはそれか!」
わきわきと手を動かす後輩を避けながら、私はストークス先輩に連れて行かれるのだった。
×
「ただいま」
どっと疲れた身体を、ソファの上に投げ出す。革張り生地に打ち付けた肌が痛かった。
ペット禁止とはなんだったのか。アーサーはルルーシュ氏の妹様に見初められ、ついでにミレイ先輩にも気に入られ、生徒会で飼われることになったらしい。翌日には生徒会室に猫タワーが運び込まれていた。財力を感じる。ちなみに、妹様によって奇しくも『アーサー』と名付けられたそうだ。
そのため、この家に私は一人となった。
ひどく静かで広い空間に、恐ろしくなって窓を開ける。それでもなんだか、心が落ち着かなくて、気持ち悪くなってキッチンに駆け込んだ。
冷蔵庫に耳を当てて、稼動音で頭の中をいっぱいにした。ついでにオーブンのタイマーを目一杯捻る。目盛りが0になりかける度に、またぐるんと捻る。捻って、捻って、それを何度繰り返しただろうか。
チン、となってしまったオーブンに、現実に戻ってきたような心地でハッとする。戻ってくるも何も、自分はずっとここにいたはずなのに。気味が悪いような、釈然としない気分だった。
〈エレイン〉
「何よ、アーサー。……アーサー?!」
いつの間にか、目の前にいたアーサーがにゃあんと鳴く。
〈猫祭りのお知らせだ、エレイン〉
「何それ」
〈近日行われるらしい祭りだ。生徒会の者共が猫に扮するらしい〉
猫耳と猫尻尾をつけたルルーシュ氏を想像する。似合うなあ。鈴のついた首輪つけたいなあ。そのままおうちで飼いたいなあ。おっと、これ以上の妄想はいけない。
思考を戻して、「いやそんなことより」と、気になるところをアーサーに尋ねる。
「どうしてここに」
〈修羅場を見たのでな、報告をせねばならんと思ったのだ〉
「修羅場?」
疑問符を頭上にたくさん並べた私に、アーサーはカレンさんとシャーリーが、ルルーシュ氏のことでひと悶着起こしたことを話す。最終的に、シャーリーの誤解であってカレンさんはルルーシュ氏に何の感情も抱いていない、という風に話はまとまったらしいが。「女と女の戦いは怖いな」とアーサーは尻尾を揺らす。お前も雌だよ、アーサー。
〈あとはあの小僧が、ラッキースケベをかましおった故、手を噛んでおいたぞ。こう、がぶりとな!〉
フフンと、まるで武功をあげたかのように、得意げにゴロゴロ喉を鳴らすアーサーだが、どうも私には八つ当たりとしか思えなかった。
×
週末。部長が台本の件で停学中であるため、本日の部活は活動自由だった。とはいえ、皆顔をだす様子だったので、私も学園に来ては部室に向かう。
部室からは数人の声。聞こえた内容が雑談なところから推測するに、小道具作りでもしているのだろう。
部室に入れば、案の定皆ちくちくペタペタ小道具作成中だった。台本の読み合わせに誰か誘おうかな、なんて私が考えて部員達を見ていると、ストークス先輩と目が合った。
彼は小さく手をこまねく。何か用事があるらしい。私がひょこひょことついていけば、彼は黒い布の塊を渡してきた。これは何だと首をかしげる私に、衣装にレースを縫いつけていた女子部員が口を挟む。
「それ、ストークス先輩が三日間夜なべして縫い上げたマント」
「えっ夜なべ?! 三日も?!」
「思いの外楽しくて…つい」
先輩はそう言うと、照れくさそうに視線を彷徨わせた。彼のお肌は相変わらずつるっつるで、夜更かしの影響は見られない。羨ましい限りである。
制服の上から羽織ってみれば、これまた私にぴったりのサイズだった。採寸したからには、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが。自分専用に仕立てられたということがどこか嬉しい。長い丈は床に触れそうで触れない絶妙な調整具合だ。
周りを少し空けて貰い、その場でくるりと回ってマントを翻し、キュッと靴の音をさせてはポーズを決める。小道具を作る手を止めた部員から、ぱらぱらと拍手が起こった。
「どうだろうか」
「ピッタリです」
先輩は、ふむと頷いた。
「マントの下に着る衣装も、制服と同じくらいの厚さの布地を使う予定だ。肩幅もそれに合わせて作るし、問題なさそうだな」
「あれ、新しく作るんですか。てっきり、いつぞやの軍服を流用するものかと」
「あれは男用だろう。サイズを合わせて仕立て直すより、新しく作ったほうが早い。第一、ゼロは軍服なんて着てないだろ」
「そこ拘っちゃいますか…」
「拘ってるのは専ら部長だがな」
呆れたような先輩の台詞に、確かにと私も頷く。部長はいつもそうだ。あれは、中等部の頃。部長のこだわりでかぼちゃパンツをはかされたことは未だ忘れていない。あの頃から、どこか変な人だった。それよりも濃い変人が上の代にはいたから、部長は浮くことなく、むしろ部に溶け込んでいたけれど。
と、部室に急ぎ駆け込む影があった。いつぞに私に獣の目を向けてきた後輩だ。彼女はひとつのDVDケースをその手に持っていた。
「本国のスカーレット・ピンパーネル舞台公演映像借りてきました!」
ケースを掲げ、彼女は誇らしげに胸を張る。
「おー、噂の。これで本来のスカピンが分かるわけだ」
「今から観るのが怖いんだけど」
「演出メモは用意できてるわよ」
「テレビつけようテレビ」
ガタガタと椅子や机を動かして、皆でテレビの前に集まった。さて、DVD再生画面に切り替えようという時に、偶然流れていたニュースに、ぽつりと誰かが呟きを漏らす。
「あれ、会長?」
一度はDVDの再生画面になったものの、その声にすぐに誰かがリモコンボタンを押してニュース画面に切り替える。
そこには、確かに我らがアッシュフォード学園生徒会会長、ミレイ・アッシュフォードの姿があった。側には生徒会役員であるシャーリーとニーナの姿がある。周りにも、何人もの人がその部屋には詰めており、全員がその場での自由を奪われていることが見てとれた。
ニュースキャスターは、「日本解放戦線」を名乗る旧日本軍関係者が、ホテルジャックを行っていることを告げる。つまり、先ほど映った彼ら彼女らは、人質というわけだ。
暫く皆だんまりで、画面を見ていた。事態は動く気配がなく、画面は現場中継とテロリスト達の犯行声明を行ったり来たりしている。
「DVDは、明日にしましょう」
テレビの一番側でDVDデッキをいじっていた後輩が、そう言ってDVDを取り出す。否を言う人はいなかった。
その日の部活は、その場で終了となった。
部室に残った部員の幾人かは、ニュースの続報を待ちテレビを見守るらしかった。私は、そんな彼らに背を向ける。
「来て早々帰る羽目になるとは思ってなかった…」
「仕方ないですよう、あんなニュースみちゃったら」
へらりと笑って、私の呟きに反応したのは、例の獣の目を向けてくる後輩だ。
「えっと、」
「ふふ。先輩、私の名前覚えてませんよね」
「……ごめん。どうにも私は、記憶力がよくなくて」
「うわ、毎回台本の台詞さくさく覚えちゃう先輩がそんなこと言っても説得力ないですよ。 アリッサです。覚えてください」
「善処するね」
私の記憶力がよくないのは本当だ。いや、正確には忘れっぽいのだが。
文字に起こされたものならばそうそう忘れないのだが、人の顔や名前、思い出といった類のものはよく忘れる。帰ったら日記にアリッサ後輩の名前を書いておこうと思った。
アリッサ、アリッサと私は歩きながら頭の中で繰り返す。そのアリッサ後輩は、私を追いかけながら言った。
「イヤですね、テロ続きで」
頭の中での繰り返しをやめて、私は彼女に言葉を返す。
「そうだね。よくあんなくだらないことする」
くだらない、という表現に彼女は不服そうに眉根を寄せた。
「……エリア11がブリタニアの植民地になって以来、原住民達がブリタニア人に虐げられているのは事実ですから、原住民が蜂起するのも当然のことです」
「虐げられているのは事実でも、武力に訴えるのは愚かだと思うよ。だってそれは、『殴って勝った方が正しい』というのを認めるということだもの。
それって、殴られてもし負けたらどんな道理であろうと相手が正しくなっちゃうってことでしょう? なんか嫌じゃない? まあ、シンプルで分かりやすくはあるけどね」
「武力ではなく他の手段で訴えるべきだった、と?」
「そうだね。ま、ブリタニアにおいて『殴って勝った方が正しい』ってのは、あながち間違いではないのだろうけど」
「ああ。いえてますね」
肩を竦めた私に、アリッサ後輩はこくんと頷いた。私は、くすりと笑って背ろで両手を組む。
「だからこそ、ブリタニアに喧嘩売るなら、その『殴って勝った方が正しい』って主張を真っ向から否定しちゃえばいいのにって思う。ほら、『正しい方が正しいに決まっている』とか言って」
「何かちょっとマヌケですよその発言」
「そうかな」
小首を傾げた私に、アリッサ後輩は苦笑した。
「どちらにせよ、こうして好き勝手言えちゃうのって、私達がどこか他人事だと思っているからなんでしょうね」
「だろうね。愚かであろうとくだらなかろうと、当人達からすれば懸命に良くない現状を打破しようと考えた結果なわけだから。そう思うと、私の発言は失礼極まりなかったなあ」
「自覚あったんですか先輩」
「あるけど、彼らにどんな事情があろうと、『正しい方が正しいに決まっている』でしょう」
そして正しいのは、いつだって勝った方なのだ。
(エレイン・アーキンの日記 9)
猫祭りはいつですかと生徒会長にきいたら、少し驚いた風ではあったけれど、すぐに愛嬌たっぷりな表情で「楽しみにしておいて」とウインクしてくれた。ウインク上手いなあ、会長。生徒会役員皆が猫に扮した写真をとっておいてくれるそうだ。これはもう生徒会長に足を向けて寝られない。さすがは我らがアシュフォード学園生徒会長である。
ちなみに。スカーレット・ピンパーネルの主役は、結局本当に私がやることになってしまった。ほんの数分で終わった部会議が悲しい。全身の採寸も終わってしまった。もう逃げられない。元から逃げる気もなく諦めてはいたのだけれど。
今回私が作成を担当する小道具は、ゼロの仮面になった。ルルーシュ氏もあの模造品を作っていたことを思うと、今からちょっと楽しみである。
そしてそして。ここ暫く部長の姿を見てないなと思っていれば、停学措置を受けたとか何とかで、学園自体に来てなかったらしい。そりゃあ、見ないわけである。
どうして停学なんかになっているかというと、他でもない「スカーレット・ピンパーネル」の台本が原因らしい。台本は部の顧問の先生にも提出されたわけだが、まあその内容があまりにも不味かった。職員会議に出すことすら憚られると、その件は学園長と密に相談され、部長にはやんわりと内容に関する注意がされた。しかし部長は、内容を曲げる気はないと宣言した。それが、どういうわけか国のちょっとしたお偉いさんの耳に入ってしまったらしい。国での学園の立場もあり、学園は部長を停学にした。個の生徒よりも組織をとったこの選択、誰が学園を責められるだろう。むしろ部長が悪い。
そのまま「スカーレット・ピンパーネル」の公演が中止になるかと思えば、そんなことはなく、台本を手直しして公演の運びになるらしい。部長は、常識的範囲に則った内容の台本を、顧問の先生に再提出した。
……私は知っている。顧問の先生に渡した台本と、私達部員に配られた台本の内容が違うことを。