壁に×印をつけるだけの簡単なお仕事   作:おいしいおこめ

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05 過ぎ去りし空を見る

 ユフィ改めユーフェミア皇女殿下の配慮もあり、今日、ここアッシュフォード学園にスザクは転入することになっていた。事務的な手続きは既に終え、ルームメイトたちに紹介されるまでに時間もあり、今から学園内を自由見学、というところでひとつ問題が起こる。

 見学中、事前には教員が一人付き添いできてくれるという話だったのだが、当日になって人員がさけなくなったとのこと。なんでも、昨日学園で少々事件があったらしくその後処理があるらしい。

 

 そう、事件だ。

 スザクの持ち前の人の良さが働いたのか、世間話から話が弾み、教員が口を滑らせて女子生徒の自殺未遂があったという話をきいてしまった。詳しいところまでは、誤魔化されて話は聞かせてもらえなかったものの、その女子生徒の名は分かった。「エレイン・アーキン」というらしい。

 

 死ねなかった女の子。

 それが、エレイン・アーキンに対してスザクが抱いた第一印象だった。

 

(何故だか、全く知らないはずの人間に親近感が湧いた気がしたのは、自分があまりに死に近い場所に身を置き過ぎたせいか、それとも。)

 

 

 

×

 

 

 

 結局、一人での学園内自由見学となったわけだが。下手に歩いて迷ってもいけないので、そう遠くへは行けないだろう。

 早朝の学園は、しんとして静かだ。人がいない時間帯なだけだというのに、まるで自分だけが異世界に迷い込んでしまったような心地がする。

 

 と、何かを引き摺るような、落とすような鈍い物音が近くにあるのに気がついた。人の気配がする。

 ついつい気になって見に行ってしまったのは、案外自分がこの静かな空間で人恋しくなったからなのかもしれない。

 

 そこでは、女子生徒がダンボール箱を抱え、一人で台車にせっせかと積み込んでいた。随分と重そうだ。

 どうして一人でこんなことをしているの、だとか、こんな時間にどうしてここにいるの、なんて疑問は幾つかあったが、それよりも先に言葉が出ていた。

 

 

「あの、それ手伝おうか」

 

 その女子生徒はスザクの言葉に驚いたのか、肩を跳ねさせて「ぴゃい!」と奇声を発した。その拍子に彼女がダンボール箱を落としかけたので、下から支えそのまま受け取る。駄目とも言ってこないので、きっと手伝っても構わないだろう。

 ダンボール箱には、本が詰められていた。これでは確かに、軍で身体を鍛えた自分ならまだしも普通の人には重い荷だったろう。

 まだ驚きが冷めないのかポカンとしている彼女を他所に、スザクは手早くダンボール箱を乗せられるだけ台車に乗せた。残った箱は4箱。両手は埋まるだろうが、一気に運べないことはない。

 スザクがそうしてダンボール箱を抱えた時、女子生徒がぼそりと呟いた言葉をスザクは拾い聞いていた。

 

「キンタローだとかキンピラみたいな力持ちだな…」

 

 およそ彼女の口から出そうもない言葉に、スザクは目をぱちくりさせた。

 金太郎、といえば旧日本では有名だった昔話であり、小さな頃によくよく語り聞かされていた。金平というのはその金太郎の息子、という設定だったか。実在はしなかったはずで、物語では、父親同様剛力な人物として描かれており、旧日本料理であるきんぴらごぼうの語源にもなっていた、と思う。

 

「金太郎…? 君、知ってるの?」

 

 懐かしさをを通り越して、封をして埋めたはずの昔の手紙をを意図せず掘り起こしてしまったような、遠い遠い記憶に触れる出来事に、目眩がする。

 

 その言葉を発したのが、他ならない目の前の女子生徒である。その西洋人形のような碧の瞳と、如何にもブリタニア人といういでたちは、言葉の内容とちぐはぐだった。

 スザクの問いに、女子生徒は興味を芽生えさせたのか、視線を台車上のダンボール箱からスザクへと向けた。

 

「あら、貴方も知ってるんですか? もしかして日本好きさん?」

 

 日本、という響きに心臓が跳ねた。彼女は、イレブンではなくエリア11でもなく日本と言った。ますます、噛み合わない。

 日本好きかという問いにも、答えられない。その問いに答えを出すことは、何も知らなかった無鉄砲な頃の幼い自分にならまだしも、今の自分には難しすぎた。

 

 彼女は、自分の知り合いに日本文化好きがいると説明した。ここでもまた、エリア11ではなく、日本。

 

 先日、自分にクロヴィス皇子殺害の容疑がかかったことで、自分が今それなりに顔の売れた有名人になってしまっていることは自覚している。

 しかし、それにしたってこんな、一歩間違えれば地雷を踏みかねないような煽り文句にも似た言葉を、向けられるようなことになるだろうか。

 彼女とのファーストコンタクト時を思い返してみるが、あの時の彼女の驚きようは単純に声をかけられたことによるものであったと思うし、自分のことを知っているにしては警戒心がなさすぎる。考えすぎかとも思うが、それにしても偶然が過ぎる。

 

 考え込んでいたスザクに、その原因となった女子生徒は申し訳なさそうな顔をした。

 

「んん、良くない話題でしたかね? ごめんなさい、配慮が足らずご気分損ねてしまったようで」

 

 この言葉で、ようやく彼女が本当にスザクの事情を一切さっぱり知らないのだと確信した。良くないことは分かっても、それが何故かは分かっていないようだった。

 

「ううん、大丈夫。気にしないで」

 

 反射的に笑顔を浮かべる。長年で身についたことだった。

 彼女のせいではない、偶然だったのだ。それにしても、スザクのことを知らないことへの違和感は拭いされなかったが、案外こちらが名乗っていないせいかもしれない。

 

 その後は何気ない会話を一言二言交わし、荷も問題なく運びこめた。

 一仕事終えたといった雰囲気で、その場で解散の旨を述べはじめた彼女に、スザクは慌てて今日が転校初日で学内の施設位置が分からないことを伝え、彼女と最初にあった場所まで連れて行って欲しいと告げた。

 

「転校生だったんですか」

 

 彼女は今日一番の驚いた顔を見せた。戻り路で、どこのクラスになったのかを尋ねられたので、学年とクラスを述べれば、彼女も同じクラスだという。幾ら何でも先ほどから凄い偶然だ、スザクが思わず吹き出すと、彼女もつられたように笑った。

 ふ、と彼女は思い出したように自ら名乗る。

 

 

「私はエレイン。エレイン・アーキン」

 

 そう言って、手を差し出した彼女に、スザクは唖然とした。

 

 エレイン・アーキン、死ねなかった女の子。

 

 いくらなんでも、できすぎていた。

 にこにこと目の前で笑う彼女は、どこからどう見ても死にたがりには見えない。

 いや、見て分からないだけなのかもしれない。けれど、彼女が「エレイン・アーキン」であることがスザクには信じられず、目の前の存在がとても奇妙なもののように思えた。

 戸惑い迷うスザクを他所に、彼女――エレインは待っていられないという風にスザクの手をとった。その行動に、また戸惑う。

 どうしよう、なんて頭の中で繰り返してはみたものの、そんな彼女の行動に喜びを感じたのは事実で、自分のとるべき行動というのはとうにでていた。

 

 

「スザク、――枢木スザク。よろしくね」

 

 そうして、その手を握り返す。思いの外ふにふにしていて、そういえば女の子とはこういうものだったなと思った。

 スザクが名乗っても態度の変わらないエレインに、スザクは安堵する。しかし、あまりに警戒がないことには、やはり違和感をおぼえてしまう。世間知らずなのだろうか、その割に日本については博識のような。よほどその「日本好きの知り合い」とやらが筋金入りなのだろうか。

 

 彼女はスザクという名前から、夏生まれということを推測してきた。朱雀が鳥の姿をした神獣だというのは自分も知っていたが、夏を象徴するなんて話は初めて聞いた。彼女の「日本好きの知り合い」とやらは一体何者なのだろう。謎だ。

 

 

 エレインとはじめに会ったところまで戻ってくると、眼鏡をかけたショートカットの女性がいた。どうやら、エレインに本の搬入手伝いを頼んだ司書教諭らしい。

 司書教諭はスザクの顔を見て慌て、エレインからスザクが手伝ったことを聞いてふためいた。先日の事件のことを知っていれば、これが普通の反応だろう。

 しばらくそうしていた司書教諭は、ハッとしてエレインに朝のHRは出席の必要がないことと、カウンセリングを受けられるように手配されていることを伝えた。スザクの前で伝えたのは、まだ混乱が抜けきっていなかったからかもしれない。司書教諭のその言葉を聞きながら、やはり彼女はあの「エレイン・アーキン」本人なのだと思った。

 エレインにアドバイスのようなエールのような言葉を贈った司書教諭は、両目を閉じた。

 ゴミでも目に入ったのか、それともまだ混乱しているのか…これは自分のせいなのだろうか。曖昧な反応で場を濁しつつ、その場を後にした。

 

 スザクはこれから、クラス教員の元まで行く予定だった。エレインの行くカウンセリング室の方向も途中まで同じとあって、一緒に行くことにする。

 

 

 廊下に自分たち二人だけの足音が響くのをききながら、ふと、彼女は昨日の件について訊けばどう答えてくれるだろうかと興味を持った。当事者として語ってくれるだろうか、それとも、話すのを拒むだろうか。

 周りに人がいないのを確認して、しかし転校初日の自分が昨日の騒動を知っているのも変だと思い直し、先ほどの司書教諭の話題から投げかけてみることにする。

 

 

「カウンセリングって?」

 

 エレインが足を止めたので、スザクも立ち止まる。彼女をじっと見つめていると、その瞳に戸惑いがみえた。それも、数秒で観念したらしく諦めた風に告げる。

 

「昨日、ちょっと色々あって二階の窓から空に飛び出しかけたら、自殺未遂だと勘違いされてしまって。それをうけてのことだと思う」

 

 色々、の内容まで聞こうとするのは流石に野暮だろう。そして、思いの外あっさり核心を告げられたことに驚いた。

 勘違いというと、事故か何かだろうか?  それはともかく、なるほど、彼女は自殺を図ったわけではなかったのだ。そうしてやっと、目の前の彼女と「エレイン・アーキン」が繋がった。彼女は、死にたがりとは縁遠い。スザクには、この短時間でそれがよくわかっていた。

 

「それくらいの高さじゃ、余程打ち所悪くなければ死なないのにね」

「怖いことをさらっというー!」

 

 テンポのいい返しに失笑してしまう。彼女は、そんなスザクにむっとしながら言った。

 

「死にたかったんじゃ、なかったんだけれど」

「じゃあ、どうして?」

 

 スザクの問いかけに、数秒の間の後、彼女は答えた。

 

「空が綺麗だったから、飛べるかなって思ったんだよ」

「空?」

「そう、空」

 

 言われ、屋根の下から顔を出し見上げる。

 

「うん。確かに、綺麗だよね」

 

 まだ朝方で白さの際立つ青空だが、これから昼に向かって深い色になっていくのだろう。その色は、何にも代え難い平和だった昔の記憶の中の空と同じ色をしている。

 

「……綺麗だ」

 

 少しだけ、あの頃に戻りたくなった。

 


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