「随分増えたなあ。……いつまで書くのかしら」
ずらりと縦横に並ぶ壁の印を見ては、この行為がすっかり日課になってしまったことをしみじみ感じながら、私は壁を愛おしげに撫でた。
なぜ書くのかは相変わらず謎であったが、この儀式のような行為が永遠に続けばいいと思った。
ちなみにアーサーは、学園に着くなり、ルルーシュ・ランペルージ氏をみるべく探索してくる、と、ぶらりと何処かへ行ってしまった。……顔を知ってるんだろうか。
さて、ひと段落して教室に向かおうというところで、すれ違った司書教諭に呼び止められる。
「アーキンさん、本の搬入のお手伝いお願いしてもいいかしら」
手元の時計の時間を確認するが、朝のHRまでまだ余裕がある。この司書教諭には、演劇部の脚本探しに度々お世話になっているし、ここで恩を売っておくのも悪くないだろう。恩を返す、の間違いかもしれないが。
作業を始めて数分、司書教諭は突然大きな声をあげた。どうしたのかと聞けば、この本の配達時に渡された書類に、必要なサインがされていなかったのだという。問い合わせてくるので、この作業は暫く私1人に任せるとのこと。離れる背を見送りながら、戻ってくるのが遅くならないといいなと思った。
せっせかと本の入ったダンボールを台車に乗せては図書室へ運びこむ。本とは、紙の束とはいえ結構重量あるもので、さすがに三往復ほどする頃には腕も疲れてきた。二の腕を揉みながら、肘を曲げたり伸ばしたりする。明日、筋肉痛になるかもしれない。
ついつい怠けたくなるところを、気合いを入れて、ぐっとダンボール箱を抱えた。
「あの、それ手伝おうか」
「ぴゃい!」
突然の第三者の登場に驚いて、抱えていたダンボール箱を落としかける。それを、声の主は素早く下から支えて、そのまま受け取った。
私の奇声を肯定ととったらしい彼は、この作業を手伝うつもりのようだった。
突然声を掛けてきた彼は、いかにも爽やかな好青年といった風貌をしていた。どこかで見たことのあるような顔だが、はっきりとは分からない。制服からして学園の生徒のようだし、顔だけ見たことのある別のクラスの男子かもしれない。
彼は本の詰まったダンボール箱を軽々持ち上げ、台車に乗せていく。そのあまりの手際の良さに呆気にとられていると、彼は乗せ終わったことを告げ、ついでに残った数箱のダンボールは自分が抱えていく風に言った。数箱…4箱は、数箱と言っていいのだろうか。
「キンタローだとかキンピラみたいな力持ちだな…」
その常識離れしたあまりの力持ちっぷりに、思わずつぶやいたのは、演劇部で数月前にやった演目の登場人物だ。
日本文化オタクの部長が、ジョウルリという日本独自の人形劇に影響されて、ほぼ部長一人の独断でやることになったあの演目は、実のところはっきりいって不評だった。主人公がべらぼうに強く、ばったばったと敵を倒すというシナリオが、どうにも、普段ラブロマンスやドラマチックな感動ものばかりみてきた観客には受け入れられなかったらしい。私は吹っ飛んでいく熊役が割と楽しかったので、好きだったのだが。
と、そんな私のつぶやきに、目の前の彼は思わぬ反応をした。
「金太郎…? 君、知ってるの?」
「あら、貴方も知ってるんですか? もしかして日本好きさん?」
私が「実は知り合いに、日本文化大好きな人がいるんですよ」と部長のことを紹介し笑うと、彼は複雑そうな顔をした。喜んでいるような、それでいて喜べないというような、なんとも微妙な顔だった。
「んん、良くない話題でしたかね? ごめんなさい、配慮が足らずご気分損ねてしまったようで」
「ううん、大丈夫。気にしないで」
ぱっと表面上、笑顔に戻った彼だったが、どこか無理しているように思った。それを指摘するのも悪い気がして、話題をずらす。
「鍛えてるんですか?」
「まあね」
会話終了。なんてこったい、もうちょっと何かなかったの私!
そうして話題を出そうとうんうん考えているうちに、図書室に到着した。
アナならきっと、悩むことなく話題提供し和気藹々と会話できたのだろうなあと思いながら、運んできたダンボールを積み上げる。ちょうど目線くらいの高さだ。
彼はその上に、とんとんと持っていたダンボールを乗せていく。ダンボールの塔は、私の背を頭一つ分ほど越えた。
「助かりました。ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
爽やかな笑顔でさらりと言ってのけた彼は、きっと「どういたしまして」を言い慣れている人間なんだろうと、何故だか思った。
「それでは。私は先生にこの荷が全て運べたことをご報告しなければなりませんのでここで」
解散のつもりでそう告げた私に、彼は、慌てて引き止める言葉を投げた。何でも、今日が彼の転校初日らしく、学内が把握しきれていないので最初の場所まで一緒に戻りたいのだと。
「転校生だったんですか」
転校初日から慈善事業に勤しむ彼のお人好しさに驚いた。
きけば、同じ年、かつクラスも同じではないか。何という偶然だろう、お互い笑ってしまった。
「私はエレイン。エレイン・アーキンです」
そう名乗り手を差し出すと、彼は目を見開いて、戸惑う素振りを見せたので、少し強引ながらもこちらから手をとる。彼は困ったように眉を寄せながらもまんざらでもないようで、笑って手を握り返してくれた。
ああ、複雑さという点では似たような笑顔にしたって、こっちの笑顔の方が彼には似合う。
「スザク、――枢木スザク。よろしくね」
スザク。
その名前をきいて、脳を電流が駆け抜けたような感覚がした。そう、これは閃き。そして、一つの予感。
「もしかして、スザク君って夏生まれ?」
ついつい、きいてしまった。案の定、彼は目をまるくしてきょとんと小首をかしげた。本当に物理的に傾げるその様は、どこか可愛らしくてちょっと悔しい。
「どうしてわかったの」
ふふ、あっていたらしい。となれば、きっとそうなのだろう。
予感が的中した心地よさを味わい噛み締めながら、私は昔々に部長からいやというほど語られた内容を掘り返していた。
そう、何を隠そうあの日本オタクの部長からの入れ知恵…入れ知恵? 違った。受け売り、というやつだ。
彼の名前、スザク。確か、日本や中華連邦の『ゴギョーシェス』とかいう考え方に、幾らか神獣がいたのだが、そのなかに『スザク』もいたはずだ。鳥、だったか。
「朱雀という鳥は、夏を象徴することもあると、きいたことがあるよ」
「へえ」
詳しいねと彼はしきりに感心した風に頷いた。自分が褒められているというより、部長の手柄を奪ったようで、少し後ろめたかった。
ふむ、しかし。このスザク氏。今までの話を通して考えると、日本には割と詳しいようなのに、そのことに関しては複雑な感情を持っているようだ。そして、この名前。
もしや、彼に名前をつけた人物が、日本文化の熱狂的なファンだったとか? でも、その人とは仲が悪くて、故に、日本文化と聞くとその人を思い出して嫌な気持ちになるとか! 名付け、親族…父親? …なんて、的外れもいいところであろう推測か。
妄想が過ぎていけないなとコツンと自分の頭を小突いた。
元の場所まで戻ってきたところ、丁度司書教諭も戻ったところだったらしい。スザク君を見て、妙に慌てているので説明する。
「彼が手伝ってくれまして」
それをきいた司書教諭が目を白黒させて「あばばば」なんて言っているが、一体どうしたというんだろうか。
スザク君は甘いマスクな爽やかイケメンだし、イケメンオーラにあてられたのかもしれない。きっとそうだ。スザク君、おそろしい子!
どこか心ここに在らずだった司書教諭は、少しの間の後、はっとした風に私の方へ向いた。
「アーキンさん、今日は朝のHR参加不要ですよ」
どうして司書教諭からそんな連絡が、と首をかしげれば、ここに私がいるときいたクラス教員から伝言、連絡をたのまれたらしい。
「午前のうちは、カウンセリング室でカウンセリングを受けられるように手配されているそうですよ」
それ『受けられる』というより、『受けろ』というやつですよね、なんて口走りそうになるのをおさえながら頷く。
「分かりました」
「暫くは、周りもあなたも落ち着かないでしょう。どうすべきか、なんて難しいことは今は休憩して、ただ気楽に、ほんの少し肩の力を抜けばいいと、私は思います」
司書教諭はそう言って、眼鏡の奥で両目をギュッと閉じた。
……もしかしてこれ、ウインクのつもりなんだろうか。スザク君が反応に困っているではないか。この司書教諭、たまに狂ったように発揮されるお茶目も程々にしてほしい。これ、去年の学園祭で突然蔵書1000冊ドミノをゲリラ企画した以来じゃないだろうか。
とはいえ、そんな彼女の気持ちこもった優しいアドバイスには感謝の意を告げる。もう手伝うこともないとのことで、その場を後にし、カウンセリング室のある西棟へと向かうことにした。スザク君も、クラス教員を今から訪ねるそうなので、途中まで一緒だ。
廊下を二人並んで歩く。ぐるりとあたりを見渡し、周りに人気がないのを確認したらしいスザク君が私へ疑問を投げた。
「カウンセリングって?」
それきいちゃうのかスザク君!
あまりに遠慮のない踏み込みに、後ずさりしたくなるところを、その双眸が許してくれない。逃げることを諦めて、私は答える。
「昨日、ちょっと色々あって二階の窓から空に飛び出しかけたら、自殺未遂だと勘違いされてしまって。それをうけてのことだと思う」
パニックに陥ったあのときの私のことを思うと、確かに精神安定を図るためにカウンセリングという手法をとるのは悪くない。が、しかし、既に昨日のアナとの通話であのときの気持ちはまるく私の中で収まって落ち着いている。今更掘り起こしたり、一から説明するのも億劫だ。
「それくらいの高さじゃ、余程打ち所悪くなければ死なないのにね」
「怖いことをさらっというー!」
あと、気にするところはそこではないと思う。
確かに、実際そうかもしれないけれども。それだって、打ち所が悪ければ死ぬのだ。
「死にたかったんじゃ、なかったんだけれど」
「じゃあ、どうして?」
スザク君の問いかけに、黙る。しかし、数秒もあれば、答える言葉は用意できた。
「空が綺麗だったから、飛べるかなって思ったんだよ」
いわゆる現実逃避、どこまでも遠い空に夢をみたのだ。
(エレイン・アーキンの日記 5)
今日、スザク君と知り合った。苗字はクルルガー…だったか、ちょっと自信がない。
爽やか系の甘いマスクなイケメンさん、あれは年上のお姉さんにモテるに違いない。
転校してきたばかり、同じクラスだなんてラブコメでも始まりそうな設定だけれど、私はルルーシュ・ランペルージ氏を見つめるのに忙しいのであった。完。
男友達は初めてで、というか、友達というのがアナを含めて二人目で、なんというか、嬉しいことだなと思う。あれ、これ文章に起こしてみたら悲しいことのように思えてきたぞ? 多分気にしたら負けってやつだ。
一応、中等部からの持ち上がりなのもあって顔なじみの教員はそれなりにいるし、先輩達には割と可愛がってもらっていたのだ。仲の良かった先輩達は、ほとんど残っていないけれど。部長がいるからセーフだ、セーフ。
何故私に友達が少ないのかは永遠の謎としておこう。
友達から親友に昇格すれば、スザク君の「日本」に対する反応について知ることになるのかもしれない。昇格…そもそも、友達って昇進制なんだろうか。アナにきいたら、憐れむような目で肩を叩かれた。なぜだ。