あれから数日。アナとは、きちんと納得し合えるような話はできていない。けれど、アナと口をきかなかったのは最初の三日間だけで、三日過ぎればいつもの調子のアナだった。たまに、お互いに距離を探り合うような、ぎくしゃくした感じはあれど、多分きっと誤差範囲。そのうちなくなる、と思いたい。
昼食を一緒に食べようと誘われたのは、そんな時だった。普段は、特に約束もしないのに、その日は朝一でそんな誘いをしてきた。もちろん、私を昼食に誘う物好きなどアナくらいしかいないので、その誘いを快くうけたのだが、アナは、何か考えている風だった。
午前の授業が終了したと同時に、アナが私の方をみて笑った。手には昼食のはいっているらしき袋を掲げている。彼女は機嫌がいいみたいだ。私もそれを見て、ほっとしてサンドイッチのはいったランチボックスを広げる。窓際のこの席は、吹き込む風が心地いい。
「エレイン。ランチにもう一人誘おうと思ってるんだけど、いい?」
駆け足気味で私のいる場所まで来たアナは、椅子には座らずそんなことを訊く。
「ん、いいけど」
彼女はぼっちな私と違って友人が星の数ほどいるので、こういうことも珍しくない。私が一緒ときいて、断る輩も多いようだけれど。……何故なのか。
と、今回は断られなかったらしい。アナは、鮮やかなワインレッドのストレートヘアの美少女を捕まえてきていた。美少女が戸惑い気味なところをみるに、アナに半ば無理やり引きずってこられたとか、アナのゴリ押しの勧誘を断るに断れなかったといったところか。
しかしこの美少女、羨ましいことに顔のみならずスタイルもやたらといい。ただひょろいというわけではなく、運動してそうな感じなのも加点対象、私の目指すわがままパーフェクトぼでぃに近い。私は、彼女のウエストをみつつ、何気なく自分の脇腹をそっと掴んだ。……掴まなければ、こんな悲しい現実知らなくて済んだのに。
「あ、あの、どうかしましたか?」
おどおどとか細い声で声をかけてくる美少女。発声はダメだな、もっとお腹から声を出さないと。今は敢えて声を出していないようにも感じたけれど。
「お気になさらず。この世界の現実が如何に残酷であるかを感じていたまでで」
そう言いながら、私は儚げに微笑んだ。気分は悲劇のヒロインである。悲劇にしては悲しみの種がちっぽけすぎるけど。
しかし、この美少女。クラス、メイト…だと思うのだが、彼女の顔に覚えはなかった。アナに視線で説明を求めると、やれやれとした顔をしつつも取り持ってくれた。
「変な奴でしょ。この子はエレイン・アーキン。急に噛み付くような悪い子ではないから安心して、カレン。
エレイン、こちらはカレン。カレン・シュタットフェルトよ。ほら、ずっと休んでたクラスメイト、いたでしょ」
カレン・シュタットフェルト。そういえば、確かにそんな人物はいた。シュタットフェルト家の御令嬢さんだとか、なんとか。出欠確認で、名簿に名前はあるのに、名を呼ぶのをとばされていた人だ。
病弱で自宅療養中ときいていたが……病弱? 目の前の彼女をみていて、少し引っかかった。
まあ、他人が見た印象だけでは、当事者の実際の苦しみなど分かるはずもないので、きっと、本人しか知らない苦しみを今まで味わってきたんだろう。
「最近学校に来ているようだから、この機会に仲良くなりたいと思って。身体はもういいの? あ、座って座って」
アナはカレンさんの座る椅子を引くという心配りを見せた。私にもそのいたわりと優しさを一割でいいから向けてくれないだろうか。
「最近は…少し、調子がいいから」
「それはよかった! 学園は、どう?」
「……まだ、よく分からない、です」
「私ができることなら力になるわよー、何でも聞いちゃってー! …っと、時間も限られていることだから、少し行儀は悪いけれど食べながら話しましょ」
アナはうきうきとした調子で椅子に座り、パンの袋を開けた。それにならうように、カレンさんは、手のひらほどの小さな長円の箱のようなものを取り出した。どうやらそれが彼女のランチボックスらしい。その小さなスペースに、焼いた卵や不思議な形をしたウインナー、サラダが綺麗に盛り付けられている。
珍しいなと見つめていると、それに気づいたカレンさんは少し考えた後、まだ使っていないフォークでひょいとウインナーを刺し、こちらに手向けた。
「どうぞ」
「えっ? えっと、いただきます」
成り行きで受け取ってしまった、片手のこれはどうすべきか。
「……ちなみに、これは?」
「タコさんウインナー」
「タコ…?」
いわれてみれば、確かにそんな形にも見え、いやいや、でもこれ、足が6本じゃないか。変わった調理法だなと思いながら、そのタコさんウインナーとやらをフォークから摘み外して口に放り込む。味は普通にウインナーだった。
「ありがとう、カレンさん」
フォークを返し、ついでにサンドイッチを差し出す。これは海老とアボカドと玉ねぎのやつだ。
「よかったらどうぞ。アレルギーでなければいいのだけれど」
「ありがとうございます」
サンドイッチは、はにかんで受け取っていただけた。……口に合うといいのだが。
そのやりとりをみたアナが、パンを食べるのを止め、じっと私の手元のランチボックスを見始める。
「……海老はもうないから、ハムかヨーグルトか」
「ハム!」
アナは嬉々としてハムサンドを掻っ攫っていった。さよなら私のハムサンド。
不意に、カレンさんは、目線をランチボックスからハムサンドを頬張るアナへと変える。
「……少し、人について聞きたいです」
アナはサンドイッチを急ぎ飲み込んで、真面目な顔になった。
「誰について、かしら」
「ルルーシュ・ランペルージについて」
真剣な目でそう言ったカレンさんの言葉に、その出てきた名前に、私はガツンと後頭部を殴られたような気分になった。
今、彼女はルルーシュ・ランペルージ氏について知りたいと言った。一体、どういうことだ? 一体、どういう……
頭がくらくらする。混乱する私を他所に、話は進む。
「ルルーシュ。ルルーシュ・ランペルージ、ね。皇暦2000年12月5日生まれのA型、身長は178cm。ここのクラスに所属してるわ。
生徒会の副会長…ってのは、カレンも生徒会所属してるし、知ってるわよね」
ルルーシュ氏と、同じ生徒会。彼女も所属していたのかと、私よりもよほど近い場所にいるじゃないかと、あまりの衝撃の事実に気を失いそうになる。
「頭脳明晰、成績優秀おまけに顔もいいとあってモテるイケメンさん。と、いっても、実は授業中居眠りしてることあったり、流されやすかったり、意外と真面目じゃなかったりして、とっつきやすいところもあるわよ。うまく立ち回ってるって印象ね。
あとは…そうねえ、寮暮らしで、妹さんがいるらしいとか、その辺?」
「……そう」
カレンさんは、それだけ言って、何か考える風に黙ってしまった。
アナはそれをみて、「もしかして」と至極軽い調子で言い出した。
「あの話、本当だったの?」
「『あの話』?」
カレンさんは、それが何だか分からないという顔をして、アナと私の顔を見比べた。私だってわからない。一体何の話だか。そもそも、今が何の話だか。私の頭の中では、ただ、わからない、わからないとだけ繰り返し響いている。どうしようもない不協和音で、ガリガリと処理落ちの音さえしてきそうだ。
「噂にきいた話なんだけど。カレンがルルーシュとキスしてたって」
「キっ…は、はは、まさか」
さっきから何言ってるんだろうアナ、もう、全部全部意味わかんないや。
まあ、こんな冗談みたいな話、カレンさんはさくっとばさっと切り捨ててくれるだろう。
そんな風に考えて、私はカレンさんの方を見る。しかし、そこにあったカレンさんの表情は、私の想像していたものとはかけ離れたものだった。
彼女は、恥ずかしさや耐え難さみたいなものと戦うような、そんな表情をしていた。頬は紅潮していて、戸惑いも大きいようで。それは側から見れば、まるで恋する乙女のようだった。
「あれはあっちが突然勝手にっ――あ」
失言した、とでもいうような顔。それだけで、私にとっては十分すぎた。
真っ赤な顔をさらに濃く赤くして、違うの違うの誤解なのと必死にまくしたてる彼女。対する私は、今顔が真っ青なこと間違いない。
すっと血の気が引くのがわかった。心が冷えていく。つられて、手足の先から、冷たくなっていくような感覚がした。
息がとまりそうで、苦しい。
酷く、寒い。
「そういえば今日はいい天気だよね。なんだかこの青空みてると空も飛べる気がするわ」
――何を、言っているんだろうか、私は。
青い青い空をみながら、窓枠を掴み、縁に右足をかける。
――何を、やっているんだろうか、私は。
「何やってんの! エレイン!」
アナの叫ぶ声が聞こえた。
――本当に、私は何をやっているんだろう。
後ろが騒がしい。誰かが悲鳴をあげた。なんて耳障りなのか。うるさい。
それも、どこか別世界の声言葉のようで。なんだかふわふわとしていて、落ち着かなくて。
――ああ、空が綺麗だ。
「やめないか!」
私を現実の世界に引き戻したのは、教員の鋭い声だった。
「…………あ」
あ、れ?
目下に広がる、見慣れたようでどこかいつもより近い景色に足が竦む。
次の瞬間、自分は尻餅をついていて、そこで自分がクラスメイト数人に後ろから掴まれる形で、引き戻されたのだと理解した。
急速に理性が戻ってきては、事態を把握し、嫌な汗をかく。
覚えのある顔の教員が、むすっとこちらをみていた。名は、何といったろう。泣きそうな顔したアナと、心配そうにしたカレンさんも見える。少し離れたところに、ルルーシュ・ランペルージ氏とその友人であるリヴァルの姿を発見した。
ああ、ああ。どうしてこんなことに。
いや、間違いなく私が引き起こしてしまったのだけれど。
「……さて」
教員がじろっとこちらを睨んだ。思わず身を縮ませる。
「ち、違うんです。大丈夫です、大丈夫ですからっ」
「いいから来なさい」
廊下に集った野次馬達を、教員はどいたどいたと蹴散らし退けていく。私はそんな教員に、ただ引き摺られるようにして着いていっていた。
×
「さて」
「はい」
連れてこられた先は、生徒指導室だった。
「まあ。……あー、なんだ。座れ」
教員が座るのに倣い、私も向き合う形で椅子に座る。教員は、ぽりぽりと頬をかいて溜息をついた。
「何か、悩み事か。先生も知恵を貸すから話してみろ。…や、話しづらい事なら、友達でも、家族でもいい。
とにかく、まず、誰かを頼れ。な?」
ぽんと両肩に置かれた手に力がこもる。
何て親身になって私のことを考えてくれている人なんだ。私はこの教員の名前すら思い出せないというのに。少し苦手な感じがするから、数学か国史の授業の先生だろうか。あの辺りの授業はいつもきいてて眠くなる。
「ありがとうございます。でも、本当に何でもないことで。空があんまりにも青かったので、飛べるかなって。ちょっとどうかしちゃってました」
物凄く奇妙なものを見るような顔をされてしまった。
いやだって、馬鹿正直に、今日知り合った病弱美少女が、今自分の想いを寄せている人に興味を持っているようで、それどころかその想い人からキスされたときいて、混乱と動揺から現実逃避してしまったが故の行動だなんて、恥ずかしすぎて言うに言えないではないか。
しかし、私のこの回答は教員の心配を深めるだけだったらしい。仕方ないので、適当に嘘でごまかすことにする。
「……飼い猫が、最近足を怪我したんですけれど、三日前から姿が見えなくて。ずっと不安で。
小さな頃から、ずっと一緒だった家族の一匹、ううん、一人だったのに…。もし、このままいなくなってしまったらどうしよう、死んじゃってたらどうしようって。そのことばかり気にしていたら、もう、怖くて、いてもたってもいられなくて…私…」
そう言って表情を崩して、わざとらしすぎない程度に嗚咽を漏らす。
自殺を図る理由としては、一般的にみれば少々しょっぱい理由ではあるが、下手に重いものや他人が関わってくるとなると話が面倒だし、これくらいの方が、思春期の少年少女特有の、情緒不安定故の向こう見ずな行動『らしさ』があっていいだろう。
……実際、このところルルーシュ・ランペルージ氏に関すること全てに情緒不安定になっているし、窓から飛び出しそうになったのも向こう見ずの行動だったのだが。
この自分を持て余し律せない現状は、私が子供故なのだろうか、それとも恋とはそういうものなのだろうか。どちらにせよ、理性だとか全部すっ飛ばしてくるのだけは勘弁してほしい。
ちなみに、飼い猫が最近足を怪我したことと、三日前から姿を見ていないのは本当だ。しかし、それについて心配はしていない。奴がそう簡単に野垂れ死ぬとは思えないし、奴は姿を消す前に、数日留守にすると言ったのだ。
留守にするということは、奴にとって帰る場所は私の家であり、奴にも帰る気があるということ。なら、何も心配することはない。いつものように、ふらっと帰ってくるだろう。猫とはそういうものだ。
奴は、私に猫扱いされるのは嫌がっているようだが、実際猫なのだからそれが相応だと思う。
教員は、ぽんぽんと優しく背中を撫でてくれた。なぐさめ、というやつらしい。
今日はもう帰るようにとの指示を受け、おとなしく帰らせてもらうことにする。部活についてきけば、教員の方から私の欠席の話を通しておいてくれるとのことだ。部活より、授業の方を気にしろとお小言ももらってしまった。そのお小言の内容で、私はようやくその教員が、国史の担当であったことを思い出した。
(ブリタニア帝国歴史学教員の職員日誌より抜粋)
12:40分頃発生のエレイン・アーキン自殺未遂騒動について。
側にいた生徒によると、突然今日は天気がいいだとか、空も飛べそうだなどと言い出して窓から身を乗り出したらしい。
アーキンに事情をきくと、飼い猫が最近怪我をし、かつ、帰ってこないのが心配だったという。それが何故飛び降りることと関係するのだろうか。いや、空を飛ぶという点では、そうして探しに行きたかったのかもしれない。
彼女は、私からすれば、いつも授業では眠そうにしているか、何を考えているのか分からない顔をしている生徒である。その生徒が、ああして表情を崩し、すすり泣く姿は衝撃的で、少々事態を客観的にみることが難しくなってしまった。
再発の可能性については、彼女の気分次第なところがあるので、彼女のメンタルケアや周囲の人間の配慮は必要だろう。そのあたりの対応の仕方について、具体的な内容は専門の教員に任せるのがいいのではないかというのが私の考えだ。職員会議の時にでも提案することにする。
彼女の保護者には、13:30頃連絡をいれたが留守だった。