壁に×印をつけるだけの簡単なお仕事   作:おいしいおこめ

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抱えっぱなしになっていた設定を、どう明かしたものか悩みに悩んだのですが、結局いい案は浮かばず、このようなかたちになってしまったのでした。考えなしに書きはじめたばっかりに…!


16 紫水晶

 部長の遺品は、ぐるぐるビン底眼鏡ひとつ。彼の身の回りのものは、どういうわけか、まるでこうなることが分かっていたかのように粗方処分されていたらしい。尤も、彼が死ぬ前に処分したのか、彼が死んだから何者かに処分されたのかは分からないのだが。

 辛うじて彼の遺品と呼べなくもない、血に濡れた制服は、見つからない部長の遺体の代わりに、彼の墓とされている場所に埋められている。その制服を私が目にしたことはないが、顧問の先生の談では、散弾でボロボロになっていて、とても見れたものではなかったそうな。「ちゃんと赤い血だった」と涙ぐみつつ語る先生は、部長を青い血の流れる人外生物か何かだとでも思っていたんだろうか。その気持ちはわからでもない。

 それはいいのだが、何故そのぐるぐるビン底眼鏡が、顧問の先生の手にあるのだろう。その眼鏡を、部員集まる演劇部の部室に持ってきた先生は、部員の誰かがそれを引き取るようにと言ったのだった。

 

 詳しい話は言葉濁され聞けなかったが、部長はいわゆる名家の出身で、貴族のおぼっちゃまという存在だったらしい。ただ、その変人性と親イレブン派な性質から、本国での生活が肌に合わず、家出同然に、ここエリア11のアシュフォード学園へと転がり込んだのだとか。

 実家では爪弾きにされていたようで、遺品の受け取りも拒否されたというわけらしい。なるほど、道理でお墓がこちらにあるわけだ。それで遺品も、こちらに回ってきたと。

 そうはいっても、実家に縁を切られていた、というわけではなかったそうだから、やっぱりよく分からない。部長のお家事情は、複雑怪奇そうである。

 

 兎も角も、そうして部長のぐるぐるビン底眼鏡は、部員たちの間で貧乏くじを押し付け合うようにあっちへこっちへ回されることになったのである。誰だ、あのレースのリボンを巻いたのは。

 

「これじゃ、きりがないわ!」

「なら、副部長が受け取ってくださいよ」

「嫌よ!」

 

 きっぱり全面拒否した副部長は、手にしていたビン底眼鏡をストークス先輩へと押し付けた。

 

「いや、渡されても困るんだが。……部室に飾るのでは駄目なのか?」

「駄目です」

 

 今度は、顧問の先生からのお言葉。理由は「部室に置いていると、部長の幽霊が化けて出そうだから」だった。先生……それはさすがに……。いや、部長なら確かに出そう、出そうですけれど。

 ストークス先輩は少しの間逡巡して、私の手を取ると、そっと手の平の上にそれを置いた。「プレゼントだ」って、ちょっと照れくさそうな顔をするのはやめてもらえますか先輩。紳士的な動作を装ってはいますけれど、厄介なものを押し付けたい本音が隠せていませんよ?

 私は苦笑してビン底眼鏡を見やる。分厚いガラスは意外と重量があり、私の手の平に重みを伝えている。長時間掛ければ耳の付け根が痛くなりそうなものだが、部長は平気だったのだろうか。

 

 さて、何故逃げるのかね、アリッサ後輩。

 

 

 

 

 結果からいうと、私がアリッサ後輩にビン底眼鏡を押し付けることは叶わなかった。

 アリッサ後輩は、部長がいつかに話した日本のニンジャもかくやという素早さで部室から逃げ出し、他の部員達も一抜け二抜けでいなくなってしまったのだ。必然と、私の手元に残ったのは貧乏くじ、もといビン底眼鏡である。よろしく頼むと私の背をぽすぽす叩く顧問の先生に、私はがっくりと肩を落とした。

 部員達が受け取りたくない気持ちも分かる。これを見てしまえば、嫌でも部長のことを思い出してしまうからだ。無碍にも扱いづらいだろうし。

 皆、なんだかんだで部長のことを慕っていたから、この眼鏡を見る度に悲しくなってしまいそうだ。現に私は今、とても悲しい気持ちになっている。つらい。

 その日の私は、しょんぼり気分で帰宅することとなったのだった。

 

 

 帰宅した私を出迎えたのは、開いた封筒、そして、兄を名乗る誰かからの手紙だった。机の上に置いたままになっていたらしい。ただでさえ沈んだ気持ちがドン底行きだ。

 最悪な気分で、その手紙をゴミ箱に投げ入れようとして――できなかった。怒りも湧いてこない。疲れが勝っていた。

 私は棚を漁って、新しい便箋と封筒を取り出す。返事をしたためることにしたのだ。さて、相手は兄ではないから、いつもの定型文はいらない。――書きだしの言葉は何にしようか。

 

 感傷に浸りながら、綴る言葉には表さず、私は手紙を書き上げる。無知な少女の仮面をかぶり、明るさを装った。

 なんと他人行儀な手紙だろうか。弱音の一つもない。悩みなど知らない、気楽な少女がそこにいる。羨ましい。

 ペンを手放し、ソファに身を投げる。鼻奥がつんとするけれど、涙の出る気配はなく、それが余計に苦しい。溜息ばかりが、私の口から漏れていく。

 重い頭を少し持ち上げて、机に手を伸ばす。手に取った部長の眼鏡のつるを指先でなぞった私は、それを何気なしに掛けてみた。

 部長はこの眼鏡越しに、何を見ていたのだろう。部長には、この世界がどう見えていただろう。

 

「――あれ?」

 

 その眼鏡には、度が入っていなかった。

 ……何のために掛けてたんだ、あの人。

 

 

 

 ×

 

 

 

 エリア11の各地では、暴動が起きているという。ネットでは、その暴動を起こしている最大勢力である黒の騎士団が、近々東京疎開へ突入するのではないかという推測が飛び交っていたか。テレビの放送局が次々と黒の騎士団に占領されている今、情報入手はネット頼りだ。

 まだ生きている放送局は、朝から晩まで新宿ゲットーの治安悪化を話題に挙げ、危険だから市民は外に出るなと伝えている。授業も全て休講となってしまった。こんな様子では、気が滅入ってしまう。

 多分、賢い人はとっくに本国へ帰った頃だろう。こんな場所にいては、戦火に巻き込まれてしまう。

 そう、大きな争いが、今起ころうとしていた。

 

 戦前のピリピリした空気に、前世を思い出しては、うっかり殺伐とした気持ちになってしまう。感情を削ぎ落として、ただ等しく正しく在ろうとした、あの日々を。

 ――果たして、正しいことは良いことだったのだろうか。

 ふと、そんなことを考える。誰かの嘆きも、訴えも、耳にいれることはなく、理想のために己の正しいと思った道を常に選択してきた。

 それで、誰が幸せになれただろう。

 

 自然と、息が詰まった。

 過ぎ去った過去の話、取り戻しようもないことだ。分かっていた、分かっていたことだったのに。涙がこみ上げるのは、どうしてだろう。自責の念を抱いたところで、何にもならないと分かっているのに。ただ、苦しい。

 ああ、感情が煩わしいと、王である私は、そう思っていた。

 

 ――違う、私は『アーサー』じゃない。

 前世を否定するように、私は目の前のプレーンドーナツに齧り付く。アイシング前だったが、気にしない、気にしない。しかし、まあ、甘いものって偉大だ。自然と頬が緩む。

 もぐもぐと咀嚼しながら、アールグレイの紅茶を淹れる。香りのよさに、気分まで良くなってきた。我ながらチョロいものである。

 

 ご機嫌で紅茶を飲みながら、ソファに腰を落とす。

 寮暮らしならば、部屋から出ることを許されないか、体育館に集められるかしていただろう。

 その点、自宅暮らしは悠々自適である。学園地区に自宅があることを、喜んでおくべきだろう。だからといって、未だ黒の騎士団の影響の少ない学園地区をほっつき歩くのは褒められたことではないのだろうが。

 私は今の所、毎日学園に行っては、例の壁に印をつけることを続けている。学園が黒の騎士団に占領でもされない限り、この習慣を続けるのに支障は出ないはずだ。

 

 

 ……そんなことを考えていたのが悪かったのだろうか。

 テレビの全てのチャンネルで、黒の騎士団の紋章が表示されるようになった頃。アシュフォード学園が、黒の騎士団に占領されたと、学園寮にいるアナから連絡が届いた。学園に近付くな、とも。

 

 数日ほど前に、爆発音を聞いて嫌な予感はしていたのだ。音源は、二つほど離れた地区からだったようなのだが。結構遠くまで聞こえるものだなと、変なところに驚いている場合じゃなかった。もっと危機感を持つべきだった。後悔したって遅いけど!

 建物の倒壊音が、あまり分からなかったからと、私は呑気してしまっていた。地響きは届いていたのだから、そちらでもっと焦れと、過去の自分に言いたい。

 いやでも、学園地区に干渉するとは思わなかったというのも確かなのだ。距離的には、主要施設に近いとはいえ、ブリタニアの政治的拠点とは、あまり関わりの深くない場所なはずなのに。謎である。

 

 

「……まあ、行くしかないわよね」

 

 忠告してくれたアナには悪いが、学園が黒の騎士団に占領されていようと、いなかろうと、私は壁に印をつける所存である。

 制服の上から黒いコートを羽織った私は、自宅を出る。日の落ちる時間帯も相まってか、街は見事にひとけがない。嫌な空気だ。変に身を潜めても怪しいだけだろうと、私は目立たないようにだけ気をつけつつ、堂々歩いて学園の側までやってきた。

 さて、どうやって学園の敷地に入ろうか。学園寮に入っていれば、この手間もなかっただろうに。正門にも、裏門にも、見張りがいる様子だ。演劇部の部室にあるであろう、ゼロの衣装が手元にあれば、変装して楽々侵入出来たのかもしれない。……さすがに声でバレるか。

 

 そこに現れ、堂々と裏門の前に立つのは、黒の騎士団とは違う身格好をした女性だ。髪色からして、ブリタニア人ではなかろうか。えっ、大丈夫なの?

 案の定、見張りに止められ、彼女は何処かへ連れられていく。……あれ、追い出されるんじゃないんだ。入れるんだ。

 なるほど、学園内部に入るだけが目的なら、見つかってしまっても問題は無いわけだ。いや、私は見つかると印が付けられなくなるという問題があるけれど。

 

 ついでに、というべきか。彼女を連れていくために、裏門の見張りが減っている。風向きが変わった。これは侵入のチャンスだ。

 どこかで聞こえる諍いの声。残る見張りが、そちらに視線を向かせているうちに、私は学園に侵入を果たした。

 

 目的の壁までは、まだ距離がある。はやる気持ちをおさえつつ、茂みの中を腰をかがめて走る。金属がぶつかり合う音がして、心臓が跳ねた。空に飛ぶのは、ナイトメアフレーム。

 

 恐怖に身体が竦みそうになる。あれは生身で相対したいものではない。幸い、こちらに近付く気配はなく、あのナイトメアフレームは学園の校舎の方へと向かっているようだが。

 何気なく視線を外して、私は気付く。生徒会室のある辺りの部屋に、明かりがついている。

 ルルーシュ氏はどうしているだろう、彼もあの場にいるのだろうか。ふつふつと湧いてくる、嫌な予感からは目を逸らし、蓋をした。

 

 

 無事、目的の壁へと到着した私は、いつものように壁にバツ印をつける。壁一面を埋める印は圧巻で、自分でやっておきながら、その執念みたいなものがちょっぴり怖かった。そのくせ、ルルーシュ氏の頼みだと思うと、この印が愛おしく思えてくるのだから正気の沙汰ではない。恋は人を狂わせるとは、本当のことだったのか。

 どこからきたものか分からない震えに、ぶるりと身体を一度震わせる。自覚のないうちに、息が上がっていた。ゆっくりと息を吐き出して、深く息を吸いこむ。冷たい空気が、私の肺を満たしていく。

 

 あの時と、少しだけ似ている。あの長い緑髪を見たのも、あのゴーグルを見たのも、この壁を前にしていた。それをいうならば、ルルーシュ氏と初めて顔を向かいあわせて話したときのことも、加えなければならないか。

 強い予感が、私にその訪れを告げている。いや、既にそこにいるのだ。ただ、恋に盲目になって、見えるものにさえ瞼を閉じてしまっている私には見えないだけで。

 輪郭が歪む。心臓が早鐘を打つ。手足の震えが止まらない。だが、私は彼に会わなければならない。

 ――彼? 誰に?

 

 目を開いた。

 そこに立っていたのは、一人の少年だ。プラチナブロンドの髪を地面に届きそうなほどまでにのばした彼には、どこか現世離れした雰囲気がある。私の思考は止まった。

 

 

「わたし、あなたのことを知ってる」

「やあ、久しぶりだね、※※※※※」

 

 言葉は右から左へと通り過ぎていく。その意味を理解することもできない。その瞳の色に、私は釘付けになっている。

 柔らかい笑みを浮かべた彼は、幼い声と似合わない、まるで大人が幼子にでも語りかけるような調子で告げた。

 

「そして初めまして、エレイン・アーキン」

 

 

 ×

 

 

 ――昔々、一人の女の子がいました。女の子は一人でしたが、独りではありませんでした。お父さんとお母さんとお兄さんがいたのです。

 お父さんは愛情深い人で、娘と息子のことを大切におもっていました。お母さんは強かな人で、家族の皆を引っ張っていました。お兄さんは明るい人で、いつでも家族に優しい陽だまりのような気持ちをくれました。

 そんな三人に囲まれて、女の子は幸せに過ごしていたのです。

 しかし、その幸せな生活は、あっという間に終わりを迎えます。女の子の両親が死んでしまったのです。

 

 女の子とお兄さんは、別々の人に引き取られることになりました。女の子を引き取ったのは、若くして軍を退役した男性です。彼は片足が悪く、日常生活の中で他人の手を借りることを必要としていました。

 男性は、よく怒る人でした。女の子に手をあげることもありました。女の子は彼の怒鳴り声が苦手でした。

 彼は女の子を家族として扱う気がないようでした。体のいい召使いが精々といったところで、奴隷といっても差し支えのない扱いを女の子は受けていました。

 不満や抵抗は、男性への恐怖に押し殺されてしまいました。彼女はただ理不尽に耐え、従順でいることを選びました。苦しみから逃避するために、彼女の心は感じることをやめました。

 

 

 

 

「そうして人の心が分からなくなった君を、その男は気味悪がって売り飛ばすことにした。それが身を滅ぼすとも知らずに」

 

 朗々と、彼の語るその物語を、私は自身が体験したこととして知っていた。人魚姫にもシンデレラにもなれなかった女の子。英雄にも、騎士にもなれない、非力な少女。それが私、エレイン・アーキンだった。

 

 その男は死んだと、私は知っている。彼は私の目の前で殺された。

 彼の名すら思い出せないのは、それが私の忘れてしまいたい記憶だったからか、それとも、私の記憶に残るほど、彼の存在は私にとって重要ではなかったからか。

 

 ――あれは、始まりでしかなかったから。

 あれほど開き難かった私の記憶の引き出しは、あっさりと開いた。いつかの頭痛が嘘のようだ。

 開けられて、思い出して、理解して、腑に落ちた。――そうか、私は。

 

 あの頃から何も変わっていない。今も、あのアメジストに囚われたままでいる。


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