学園祭の片付けも終え、帰宅し、ポストを覗くと、久々に兄からの手紙が届いていた。
封を切り、手紙の一文目を視界にいれた瞬間、覚える違和感。――…これは、これを書いた人物は、兄ではない。
読み進めていくうちに、予感が確信に変わる。これは、兄の言葉ではない。これは誰だ? 兄を名乗る、この人は、誰?
ぽろりと零れ落ちた涙の大粒に、漠然と、兄は死んだのだなあと思った。
夕食には、兄の好んだスクランブルエッグを作って、そうして今更私は、それが目玉焼きをうまく焼けなかった頃の私への気遣いだと思い知る。
多分あの人は、私に負い目を持っていた。あの人のために、私が犠牲になったことを知っていた。知らないふりをしていればよかったのに。私が犠牲になったのは成り行きで、兄への献身ではなかったのに。
兄に与えられたものが嬉しくて、兄のしてくれたことが嬉しくて、それがこんなにも悲しい。
×
「彼」は私に似ていた。「彼」は独りだった。そのことを嘆き悲しみ、寂しがっていた。寂しがっているのに、誰にも寄り添わせなかった。
――私も独りになれば、貴方は少しでも気が晴れる?
だって、なんだか悲しくて。そのままには、放っておけなくて。
「彼」の気持ちは誰にも分かりはしないかもしれないけど、みんな寂しくなっちゃえば、相対的に寂しい人は居なくなるよねなんて、そんな不幸の量産をするみたいな考え方で、私は孤独を選んだ。――そうして私は、「彼」になったのだ。
目が覚めると、枕が濡れていた。涎だろうかと首を傾げながら、洗濯機に枕カバーを投入する。
テレビをつけて、今日のニュースを見ながらトーストを齧る。そういえば、例の行政特区が成立するのは今日だったか。
飲み込めないパンをセイロンティーで流し込み、制服に着替えた私は家を出た。
今日も今日とて壁に印をつけていると、酷い顔をしたアーサーがやってくる。私の脚に摺り寄る彼は一端の猫のようだ。いや、実際猫なのだが。
「どうしたの、そんなに死にそうな顔をして」
まるでいつかの私みたいだ。らしくないと思いながら、しゃがみ込んで彼をわしゃわしゃと撫でる。心地よさそうに目を細める彼は、けれどもいつものように喉を鳴らすことも興奮状態に陥ることもなく、沈んだままの調子だった。
〈すまない……〉
「本当にどうしちゃったの」
〈俺がお前を孤独にしてしまった〉
「私がぼっちなのは今更じゃない?」
胸を占める寂しさ、時折覚える孤独感。一体幾年、私がそれを感じてきたと思っているのか。
〈だが、ひと気のない場所で猫に話しかける奴は相当寂しいぞ〉
「なるほど私は、アーサーと話さなければいいのか」
返ってきたのは沈黙。やっぱり、このアーサーは変だ。私が彼と話さなければ、彼の話し相手はいなくなってしまうのに。今度は、アーサーがぼっち街道をいくことになってしまうではないか。
「そこは却下しなさいよ。馬鹿ね、話すのをやめたりなんてしないわよ」
〈……お人好しめ〉
そう言いながらも、手首にじゃれ付く彼を私は撫でてやる。しなやかな背は撫で心地が良い。
「それでどうして、今更そんなことを気にしたの?」
〈夢見が悪かったのだ。嫌な予感がする〉
「……こんなに良いお天気なのに」
まさか、血の雨でも降るのだろうか。
今日は部の活動日でないにも関わらず、演劇部の部室には部長がいた。彼のトレードマークでもある、グルグル模様の瓶底眼鏡をズラして手元の本を見ている。製本の甘いそれは、二十年近く前の演劇部の台本のようで、物語はアーサー王の伝説を下敷きにしているようだった。
「その話だけは、絶対にやりたくないです」
ちょっとした黒歴史集である。部長も、劇の題材にするつもりでそれを読んでいたわけではないらしく、私の言葉に苦笑して頷いた。
なんでも、部長の知るアーサー王伝説と、その内容が違うらしい。部長の知る伝説の中では、円卓の騎士にしてアーサーとその異父姉モルゴースの間に出来た子・モードレッドが謀叛を起こしたことにより、アーサーの治めるブリテンは瓦解し、滅びるのだとか。えっ、姉上との間に子供、えっ。姉弟で? えっ。いや、そもそも、姉の名がおかしい。私の知る彼女の名はアンナだ。
己がアーサーだった頃、確かに姉に溺愛されていた自覚はあるが、その愛は男女の間にあるような類のものではなく、あくまで姉弟愛だったように思われる。思いたい。彼女の夫は大変な愛妻家で、自分が目の敵にされていたことは憶えているのだが。その辺りの話が、伝わるうちに歪曲したのだろうか。
「その台本はどうなっているんです?」
部長に示された部分には、ランスロットとの争いの間に真の反逆者が現れ、アーサーがそれと戦ううちに、ブリテンに外敵が侵攻。アーサーの死と共にブリテンが滅亡したことが記されていた。姉との間に子が出来たくだりは部長の話と一致している。そこは違っていてほしかった。
「……私の知るアーサー王伝説では、その反逆者はティンタジェル公ゴーロイスの血縁の者でした。ゴーロイスは、ブリテン島最西端のコーンウォール地方を治めていた者です。アーサー王の父ウーサーに、妃イグレーヌを寝取られた人でもあります」
そうして産まれてきたのがアーサーだ。……妃を寝取られ、うっ頭が。
「アーサーが王になった経緯をご存じですか。マーリンの予言により、王に成る者として産まれてきたアーサーは、『この剣を引き抜く者はブリタニアの正当なる王として生まれた者である』と記された選定の剣を抜いた出来事を切っ掛けに、自身がブリタニアの王であることを主張し始めることになります」
生き急ぎ過ぎたような気もするし、調子に乗りすぎていたようにも思う。だが、あの頃は万事が上手く運んでいたのだ。順調だった。……順調すぎた。何者かが裏で糸を引いていることを、疑いたくなるくらいには。
案の定というか何というか、台本ではその選定の剣をエクスカリバーとする勘違いがかまされていたが、エクスカリバーは湖の乙女から授けられた聖剣であって、選定の剣とは別のものである。選定の剣はすぐに折れたし、マーリンには上手いことはぐらかされたが、あれはマーリンが仕込んだものだったんじゃないかと思う。
「外敵は、なんてことはない、当時ブリタニアに侵攻してきた異民族ですね。タイミングが悪く、といったところでしょうか。ブリタニアの土地こそ蹂躙は免れましたが、王を喪い、国として成立しなくなったのでしょう」
そう述べながら、私は台本をぺらぺらと流し読む。私の知るアーサーの経歴と台本は、大きな流れこそ違わないものの、幾らか異なる点があるらしかった。あっ、愛人いたのばれてる。いや、あれは不可抗力だったから、うん。現代人の視点からしてみれば、「お前よくもランスロット責められたな」みたいな話ではあるのだが。あの時代の妻の不義と騎士の裏切りは、王が愛人作るのとはわけが違うのである。
マーリンの関わるくだりも違うような気がするのだが、あの性別不明な食えない狸みたいな魔術師のことは私自身よく憶えていないこともあって、それを確かめることは叶わなかった。アーサーに尋ねれば分かるだろうか。
部長の知るアーサー王伝説は、幾パターンかあるらしく、ものによってはアーサーが女性という設定になっていた。どこから出てきたんだそんな話。
×
行政特区日本の式典は、ジェノサイド・パーティだったらしい。
――えっ、何これは。本当に何。ドッキリ?
報道される内容に、頭がついてこない。あの式典会場やその周辺には、行政特区を肯定する、多くの日本人が集まったはずだった。その行政特区を提案したはずのユーフェミア皇女殿下によって出された、日本人虐殺命令。被害人数は、一万人を超えるという。
……現実感が酷く死んでいる。実感が湧かないのだ。突拍子もなさすぎる。誰がこんなシナリオを書いた?
ブリタニア側には利がない。日本人にも慕われていた『ユーフェミア皇女』のイメージ像を打ち壊し、その駒を使い潰してまで、会場の日本人を虐殺し、ブリタニアとの軋轢を大きくする理由が分からない。酷い話だが、執政者の観点からすると、日本人を管理するだけならば、行政特区日本で程々に彼らの自尊心を満たし、国としての独立心を起こさせず、支配者であるブリタニアへの不満を解消してしまったほうが余程飼いやすいというものだ。
あのお花畑みたいな皇女殿下の本性が獣であり、この虐殺が彼女個人の虐殺欲からくる独断だという可能性はある。むしろ報道側は、その可能性を一番高いとして、いや、それで確定として、報道している。……それを私は、鵜呑みにはできなかった。何かがおかしい気がしてならない。
何者かの陰謀というには杜撰で、ただ、むごいだけの出来事。
カップを持つ手が震える。中の紅茶は冷めていた。
一万人の被害者の中には、部長の名があった。
彼はブリタニア人ながら式典会場の近くにいて、銃撃に巻き込まれたらしい。あの日、彼は私と共に部室を出たから、その後式典会場に向かったというわけか。殺しても死ななそうな人なので、そのうちひょっこり戻ってきそうで、どうしても彼が亡くなったとは信じられなかった。その癖部長なら、日本好きの性質が引っ張って、日本人を庇い死ぬなんて真似もやりそうだから困る。
……暫く、外には出たくない。
×
頭が痛い。重い身体を引き摺るようにして、私は学園へと足を運ぶ。壁の印を、数日付け忘れてしまった。違う、忘れてなんていなかった。けれども、家から出たくなくて、私は印をつけることをさぼった。
……酷い、裏切りだと思う。ルルーシュ氏の頼みを、私は果たさなかった。
誤魔化すように、つけられなかった数日分もあわせて壁に印を刻む。多分、彼は私が彼の頼みをきいていようと、きいていなかろうと、大して心を動かすこともないのだろう。彼にとっては、どうでもいいことなのだろう。
それでも、私が、自分のことを許せなかった。この誤魔化しに、自身の醜さを感じて仕方ない。胸を占めるのは後悔で、彼に不義理を働いてしまったような気持ちになる。救えない。もう遅い。
こんな気持ちになるくらいなら、さぼらなきゃよかったのに。自分の馬鹿さ加減に泣いてしまいそうだ。
こんな苦い泥みたいな気持ちは、二度と味わいたくない。
ここ数日の間に、様々なことがあったらしい。ネットのニュースサイトによると、式典会場に突撃した黒の騎士団が、例の騒ぎを鎮圧したということだった。……マッチポンプの可能性が見えてきた。
ゼロは民衆を前にして、ブリタニアからの独立を宣言。日本の復活ではなく、合衆国日本の設立を発表した。黒の騎士団はその勢いで、一般民衆を吸収しつつ、トウキョウ租界を襲撃。情報が錯綜しているのか、テレビでははっきりとしたことは言われていなかったが、ブリタニア側の戦況はあまりよくないようだ。
命の惜しい人間ならば、とっくにエリア11を発っている頃か。学園には、思っていたよりも生徒が残っていて、少し驚いた。残る生徒の中には、アナの姿もあった。久しぶりね、と声を掛けられる。
「どうしたの、ぼーっとしちゃって」
「いや、別に」
何かしらの原因がある、というわけでもないのだが。色々なことがありすぎて、少々、心が疲れてしまった。
「癒しが欲しい」
「残念でしたー。あんたの麗しの王子様は、ここ暫く学園に来てません」
同じ時期から、カレンさんも姿を見せていないらしい。彼女の場合、体調不良の線もあったが、時期が時期だと、アナはルルーシュ氏がシャーリーから彼女へ乗り換えたという説を推していた。エレインってば出遅れたわね、とも言われた。怒ってもいいだろうか。私は、二人とも普通に避難したという説を推したい。多分、外れているけれど。
「世の中って、ままならないわ……」
「思い通りになるものの方が少ないわよ」
だからこそ人は、現実を前にして、理想に敗れるしかないのだ。……理想を実現できるのは、よほどの人でなしだけらしい。
(エレイン・アーキンの日記 13)
兄を名乗る誰かさんとの文通は、相変わらずに続いている。
兄が本当に兄本人であればよく知っている筈の、私の好きな物の話から、趣味や学校の話をした。「知っていると思うけれど」と前置きして、それらのことを書く。
「もちろん知っているが、そうなのか」という反応を返すこの人は、兄を騙っていることを隠す気があるのだろうか。
毎々話題に律儀に返してくるあたりも、兄らしさとはかけ離れている。兄の手紙はいつだって、近況報告のような内容で、私との受け答えは少ないのに。この人は私の手紙に対して、何とも律儀に返信していた。
ふと、出来心と興味から、「お兄ちゃんそんな口調だったっけ、いつも『にゃん』って文末につける癖はどうしたの」と尋ねたら、次の手紙から文末に『にゃん』がついていた。……どうしようこの人面白いぞ。
全てが全て、杜撰な騙りというわけでもないのだ。封筒や紙、ペンのインクは同じものを使って、筆跡は兄のものを真似られている。むしろ、その面ではやけに手が凝っているといえるだろう。それでどうしてこうなるのか。
この、用意周到なのに、肝心なところでどこかその人のよさに失敗してしまうとでもいおうか。任務に忠実なマシンになりきれない、人間臭さのようなものがある。単純に大雑把な性格なだけかもしれないが。
少なくとも、兄を騙るその人が、その役割に向いていないことは確かだった。
今更な話ではありますが、エレインちゃんにギアスはかかっていません。
(今日のアーサー王物語 2)
寝取られ王は、そもそも寝取られた妃イグレーヌから産まれてきたのでした。かなしいなあ。
アーサーの母親を、湖の乙女とする説もあるそうな。
エレインちゃんの知るアーサーの経歴は『マビノギオン』『ブリタニア王列史』寄り、捏造含む。そうは言っても、マロリー版の要素も結構入っているちゃんぽん麺。
台本もとい神聖ブリタニアで広く知られているのはマロリー版。
部長の知識は、原典ではなく、アーサー王伝説を下敷きにした様々な創作物が大元。