壁に×印をつけるだけの簡単なお仕事   作:おいしいおこめ

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10 黒の騎士団

「私は用事があるからここで」

「あら。お疲れ様です、エレイン先輩」

「お疲れ様」

 

 アリッサ後輩に別れを告げて、私は目的地へと向かう。日課にしてお馴染みとなった、壁にばつ印を書くだけの簡単なお仕事をするのだ。

 

 壁を傷つけ、今日の分の印をつける。たくさん並んだ印に、意図せず笑い声が漏れた。この壁の印の数は、ルルーシュ・ランペルージ氏と初めて話した日から経った日数だ。そう考えると、壁の印ひとつひとつが愛おしく思えた。

 

 ふと、誰かに見られている気がして後ろを振り返る。特徴的な緑髪が揺れるのを見て――

 ぶつん、と意識が途切れた。

 

 

 

×

 

 

 

 目を開けたそこには見慣れた扉があって、私はどうやら自宅前で立ち尽くしていたらしかった。いつの間に帰宅したのか、その道のりの記憶がないことを不思議に思いながら解錠する。

 荷物をソファに投げ出して、リビングのテレビをつけた。途端、聞こえだす人の声。

 

 ああ、静かすぎる家ではテレビをつければよかったんだ。

 

 オーブンのタイマーを必死に回していた自分が馬鹿みたいで、私は小さく声を上げて笑う。

 

 テレビは、未だ例のテロリスト立てこもりのニュースを報道していた。依然として、生徒会長達も人質のままらしい。

 すぐに軍が突入して人質救出なりテロリストの捕縛なりするものかと思っていたが、どうやら「何か」あるらしかった。それが人だか物だかまでは分からないが、下手に突入できない理由なのだろう。

 

 事態を甘く見ていた自分を呪う。思わずテレビを掴み、ガタガタと揺らした。

 彼らが安全に解放されるかどうか。それが私には気掛かりで仕方がなかった。テロリスト達の声明が発表されてからは、既に三時間が経過しており、人質の中にも死者が出始めていた。

 

「お願い…お願いします…」

 

 それは、誰に願ったものだったのか。気付けば、私はそう口にしていた。

 生徒会長達がこのまま解放されなかったら、害されたらと思うだけで心の内が荒れ狂う。

 

「このままじゃあ」

 

 ひく、と喉の奥が震えた。

 そう、このままでは――

 

「猫祭りが! 私の猫祭りが! 写真が!!」

 

 ――無事では済まない!!

 

 私は、己の欲に忠実だった。それは当事者達の状況を何ら鑑みない、己の都合だけの、なんとも身勝手な言葉だった。

 その時の私は、彼らの無事を、他でもない、己のために祈っていたのだ。

 

「……我ながら、酷いわね」

 

 願うだけ、祈るだけ、思うだけ。「エレイン・アーキン」に出来ることというのは、とても少ない。

 

 もしも自分が英雄(アーサー)騎士(ランスロット)などであれば、あそこに乗り込み、囚われの姫でも何でも助け出せたのだろう。

 しかし生憎、今の(エレイン)はごくごく普通の女子学生だった。

 

 滓が澱んでいくように、気持ちが沈んでいく。テレビを消してしまおうと、私はリモコンを手にした。

 

 

《「あの子は何も悪いことはしていないのに!」》

 

 突然聞こえた切なる叫びに、私は目を瞬かせる。声の主はテレビだった。

 

 電源ボタンの上にあった指を退けて、リモコンは手放し画面を注視する。その人は、シャーリーの父親だった。

 マスコミにしても、政府にしても、人質の身内からのこういったコメントを報道して、テロリストへの批判をより高めたいのかもしれない。

 

「『悪いことはしていない』かぁ」

 

 本当に、そうだろうか。

 現状を享受しているブリタニア人すべてが、彼らにとってみれば悪なのではないか。故に彼らは、「ブリタニア人である」ということを理由に、人質となったのではないか。

 

「……うわ、ないわ。ないない」

 

 私は首を横に振って、すぐにその考えを打ち消した。

 「アーサー」の記憶にでも引き摺られたのだろう。私は彼ではないのに。

 

 

 テレビは付けたまま、夕食の用意を始める。夕食という割には、今日はまるで朝食のような手抜きっぷりになりそうだったが。

 

 オーブンのタイマーを捻り、半分に切り分けたベーグルを置く。片側にチーズを置くのも忘れない。ベーグルが焼けるのを待ちながら、熱したフライパンにベーコンを乗せた。

 はじけるような小気味いい音がして食欲を誘う匂いが広がった。頬がゆるむのを自覚しながら、そこに卵を落とす。スクランブルにすることも考えたが、止めて半熟の目玉焼きにした。ベーコンエッグの完成だ。

 ベーグルの焼け具合もちょうど良さげになったところで、洗ったレタスを千切りそこに乗せていると、目を離していたテレビからホワイトノイズな音が聞こえだす。

 

「放送事故?」

 

 何も映さないノイズ画面に目を向けた私は、頭と一緒にフライパンを傾けて、レタスの上にベーコンエッグを乗せる。

 ケチャップとマヨネーズをとりに冷蔵庫まで行き、テレビの前まで戻ってきた頃には、ノイズ画面はなくなっており、しかしニュースが再開されたという様子ではなく、画面にはでかでかと話題のテロリスト・ゼロが映っていた。どうやら、放送事故は続行中らしい。

 

 マヨネーズとケチャップの格子に胡椒を振り、ベーグルで挟み込む。完成したベーグルサンドを両手でしっかりと持って、私はテレビの前のソファに移動した。

 

 

 さて、画面に映るゼロはというと、民衆に演説でもするかのように言葉を紡ぐ。ゼロの話によると、ホテルにとらわれていた人質達は全員救出されたということだった。私の猫祭りは守られたらしい。おお神よ!

 

 ところでこの放送事故は、テロリストの声明を編集もなしに生中継で垂れ流していることになるんじゃなかろうか。そもそも、どうしてゼロが出てきたのやら。

 分からず、私は首をかしげる。

 

 他の局のニュースを観れば状況も分かるだろうか。リモコンを探せば床にあった。ところで、私の両手はベーグルサンドで埋まっているのだが。

 考えたのはほんの数瞬。ものぐさにも私は、足でボタンを押すことにした。この時間にニュースをしているのは…とチャンネルを回せば、その局では現場が中継されているようで。ついでにいえば、何故だかホテルが湖に水没していた。

 一体何故。画面から目を離しているうちに何があったというのか。

 

「いや本当どうして!? えっ、本当に人質無事なの!?」

 

 戦々恐々と画面を注視すれば、湖の上に幾らか小舟の影のようなものがあることに気付く。人質達はそこにいるのだろう。

 ホッと息をついてから、またボタンを足で押してはチャンネルを変えるのだが、他の局のニュース番組ではこの件に特に関係のなさそうな報道内容だった。

 確認もしたところで最初の局に戻すと、未だゼロの演説、もとい放送事故は続いていた。

 

《「人々よ、我らを畏れ求めるがいい」》

 

 ばさりとマントを広げ、ゼロが言う。

 内側の生地色といい、質といい、演劇用に仕上げられた例のマントを思い出す。いや、元はというとゼロのマントが発祥ではあるのだけれど。ストークス先輩の仕事っぷりには惚れ惚れする。

 

《「我らの名は、黒の騎士団」》

《「我々黒の騎士団は、武器を持たない全ての味方である!」》

 

「そんな殊勝な人、というか集団だったのか」

 

 そんな言葉が思わず口を突いていた。

 ゼロの背後には、彼の仲間と思われる者達が控えている。一端の騎士団を名乗るだけはあるということだろうか、揃いの制服までもあるようだった。ご丁寧に、目元を隠す仮面もつけて。

 

「そう、黒の騎士団ねぇ」

 

 私は目を細める。眉間には、否応なしに皺が寄った。

 

 守るものあってこその騎士、それがなければただの暴力集団だと思うのだけれど、彼らは何を守っているのだろうか。

 参考までに、自分の知っている騎士のことを思い出してみたのだが、奴の場合、国や主君を守ると言いながら実際は他人の――要するに(アーサー)の――妻を守るとか宣誓してくれちゃっていた。ランスロットあいつ許さん。主君の預かり知らぬところで何してんだよ。

 要するに彼は愛を守った訳だ、どこかの誰かが国の為愚直に戦っていた頃に。まあ、戦いに明け暮れる夫より、愛を囁いてくれる騎士の方が女性には魅力的だったんだろうな。あれ、目から汗が。いらないところでダメージを負ってしまった。

 

 ……話を戻そう。

 彼らは正義の執行者のように自らのことを言うが、彼らの言い分からすれば、この集団は断じて“正義の味方”などではなく、“弱者の味方”だろう。

 

 今のブリタニア帝国、もといブリタニア皇帝は“力こそ正義”を掲げているからして、この国においての弱者は暴力によって蹂躙されている。

 勝てば官軍、勝った方が正義な世の中に、物申したいというのはよく分かる。あまりに横暴な今のやり方を、歓迎している者というのは、数でいえばきっと少数だろうから。

 

「なまじ理解の得られることをしているだけあって、彼らがテロリストだったのは惜しいなあ」

 

 これで世論が動いたとして、世界が変わったとする。その時、世界を変えたのはテロリスト達となるわけだから、どういう形であれ、結局は“力”を肯定することになる。多少形は変わっても、その本質は変わらない。

 

「いや、それとも、彼らは自らをテロリストではないとでも言うのだろうか」

 

 革命が成功した暁には、確かにテロリストの称号は消えるだろう。革命家の称号でも代わりに授けられて。そうして新政府でも立てれば、そちらがもう正義だ。

 

「まあ、今更ではあるのだろうけれど」

 

 革命は、武力をもって行われる。それは、今も昔も変わらない。

 引き金は、引かれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(エレイン・アーキンの日記 10)

忘れないうちに。後輩の名を記しておこう。アリッサ。

 

猫祭りは、多少延期したものの、会長の強い意向で中止だけは避けられたらしい。さすがは我らがアシュフォード学園生徒会長、今後もついていきます。

 

ちなみに。例のゼロ達の声明を受けて、部長は「スカーレット・ピンパーネル」を「黒の騎士団」と名称を挿し変えることを決めた。スカーレット・ピンパーネルとは一体。

 


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