窓の外から差し込む夕焼けの光を浴びながら、青年は彼の記憶にない一室のベッドの上で目を覚ました。目の前に見える小瓶がたくさん入った棚や自分がいるベッドと同じものが幾つもあることから、病室にあたる部屋だということを理解した。近くの壁には彼の愛用しているコートがかかっており、ベッド脇の棚の上には彼がいつもはめていた銀の指輪とブレスレットが置かれていた。
「…………ここは……ウッ!?」
突然の鈍痛に青年はうめき声を上げて腹部を押さえる。彼が視線をそこに向けると大きな痣ができており、そこからズキズキと痛みが溢れていた。
「これは……あの時の傷か……」
鈍痛は5分ほどで次第に引いていった。全身から感じる疲労に抗いながら、青年はゆっくりベッドから起き上がった。その後自分のものであるアクセサリーを身につけたところで、部屋に1つしかない扉が開かれた。
「……おや、もう目覚めていましたか。ミス・タバサ、どうやらちょうどいいタイミングだったようですぞ」
部屋に入ってきたのは毛髪が寂しい中年の男性と青い髪の少女だった。青年の目には女性と少女の学生服の上にマントを羽織ったような格好や男性の着ている紺色のローブ、そして少女と男性が手にしている長いスタッフがやけに印象的に映った。
「……貴様ら、何者だ?」
「私はコルベール、この学院の教師として勤務している。平民君、君に幾つか聞きたいことがあるんだけど構わないかな……」
コルベールと名乗った男性が青年に話しかける。「平民」という聞きなれない単語が若干ひっかかったものの、青年はコルベールと名乗った教師の言葉に答える。
「……いいだろう。だが、コルベールとやら。生憎俺は今自分が置かれている状況がさっぱりわからん。まずはこちらの質問に答えてもらう。貴様の質問はその後だ」
「もちろん、そのつもりだよ……ただ君の態度、褒められたものではないね。私はさほど気にしないが、他の貴族に対してもその口調だといらぬ反感を買うことになりますよ?」
その後、青年とコルベールは部屋にあったテーブルに向かい合って座り、30分近くに渡って対話を行った。対話といっても青年がコルベールに対して質問を延々と続けていたのだが、ともかく彼は会話の中で現在自分がおかれている状況を知ることとなった。
1つ――青年は彼の元々いた「地球」とは違う「ハルケギニア」と呼ばれる魔法を使うことができる「メイジ」と呼ばれる人々が貴族として政治の実権を握る世界にいること。
2つ――彼らが今話している場所は「トリステイン魔法学院」といい、ハルケギニアにある国家の1つ「トリステイン王国」の首都トリスタニアから馬で二時間ほど離れた場所にある若いメイジが魔法を学ぶ全寮制の学校であるということ。
3つ――2日前の深夜、青年は突如現れた大木の傍で衰弱しきった状態で倒れているところを、同席している青い髪の少女――つまりタバサに発見され、この医務室に運ばれ治療されたということ。そして、医師から――今日辺りに目覚めるかもしれない――という診断を聞いたコルベールが学院長の命で青年の素性を聞くためにこの部屋を訪れ、その際にタバサが同伴を願い出たので先ほど2人でこの部屋を訪れたということ。
「……なるほど。お前が俺を助けてくれたわけか……タバサだったか? お前には借りができたようだな……」
「……気にしなくていい。たまたま居合わせただけだから……」
自分の現状を理解した青年は、コルベールの隣に座っているタバサと名乗った少女に声をかけた。青年と視線を合わせながら、彼女はいつもの無表情のまま透き通るような声でそう返した。青年は「そうか」と一言呟き、再びコルベールと向きあった。
「とりあえずの状況は飲み込めた。待たせたな……コルベール。次はお前が俺に質問をする番だ」
「う~ん、私の助言は聞き入れてもらえないか……まぁ、いい。では、君に2つ質問をさせてもらいましょう。1つ目は、先ほども言いましたが『君の素性』についてです。どこからやってきて、どういった経緯であの場所で倒れていたのか。その説明をお願いしたい。さっきの君の質問を鑑みると、随分遠くから来たみたいだけど……」
コルベールの質問に青年はしばしの沈黙ののちに口を開いた。
「まぁ、間違ってはいない……俺は『駆紋戒斗』……ここに来るまでは沢芽市という街でダンスチームのリーダーをやっていた」
「ふむ、珍しい名前だね。その「ダンスチーム」というのは、言葉的に踊りを生業にする芸人のようなものかな?」
「そんなところだ。で、ここに来た理由だが……俺にもさっぱりわからん。貴様のさっきの話を聞く限り、どうやら俺は前に居た場所とはまったく違う……はっきり言えば別世界と呼んで差し支えない場所に来てしまったようだ」
「別の世界?」
駆紋戒斗と名乗った青年の言葉に、コルベールの表情が呆けたものに変わる。
「あぁ……俺のいた『地球』という星には『ハルケギニア』と呼ばれる大陸は存在しない。貴族という身分制度も当の昔に廃れていたし、そもそも魔法や魔法使いなどというものは御伽噺の中の存在だった」
「こことは別の世界ねぇ……申し訳ないけど、突拍子がなさすぎて信じられないな……そうだ!」
コルベールは何かを思い出したかのように肩からかけていたカバンから、何かを机の上に置いた。それは戒斗がいつも所持していた財布、音楽プレイヤー、スマートフォンだった。
「悪いとは思ったが、君をここに運んだときに一応所持品をチェックさせてもらっていたんだよ。今この国では『土くれのフーケ』という盗賊の被害が相次いでいて、君がそのフーケの可能性もゼロではなかったからね」
「なるほど。で、これで何をしろと?」
「これらの道具……この紙や硬貨が入ったものは財布ということはわかるが、他のものはこの学院の教師が誰も知らないものだった。きっと君たちがいた場所で使われていた道具なんだろう? これらを使って君が別の世界から来たという証明ができるのではないかな?」
「そういうことか。なら、少し待っていろ……」
そういうと戒斗はコルベールとタバサにはただの金属製の板にしか見えないスマートフォンを手に取り、電源を入れると画面を触り操作する。すると数秒後に医務室内に軽快な音楽が流れ出した。突然の出来事にコルベールだけではなく、タバサも驚いた様子だった。
「これは本来遠方の人間と話すための機械だが、今はその相手がいないから試しようがない。だがこいつは通信機能が使えなくても、こんな風に音楽や過去に撮影した映像を流すこともできる。画面を見てみろ……」
戒斗は画面をコルベールとタバサのほうに向ける。そこには戒斗を中心に似たような格好をした若者たちが広場に設けられた灰色のステージの上で音楽に合わせて流麗に踊っている映像が映し出されていた。
「おぉッ!? こ、これはすごいッ!!」
コルベールは喜びと驚きが入り混じった表情で、身を乗り出しながらその映像を食い入るように見つめていた。タバサも表情は変わらないものの画面をマジマジと見つめている。
映像に映っている観客の衣服やステージの建材、画面に映る文字はいずれもハルケギニアには存在しないものだった。何より戒斗は知らなかったのだが、ハルケギニアには動く絵――つまり動画を『魔法』を使わず映し出すという技術は存在しなかった。
「お、おほん……と、取り乱してすまない。うとりあえずは君のいうことを信じるしかないようだね…
「わかってもらえてなによりだ」
そういいながら戒斗は机の上のものを自分のコートにしまう。
「……コルベール、俺の所持品はこれだけだったか?」
「ん? あぁ、それだけだよ。なくなっているものでもあるかい?」
「いや……なんでもない。で、2つ目の質問とはなんだ?」
「あぁ、2つめの質問は君の今後だよ。噂の土くれなら王宮に引き渡す、ただの行き倒れなら治療して帰す予定だったのだが、まさか別世界からやってきた人間だとは思わなかったのでね……」
「これから、か……」
コルベールの言葉を受けた戒斗は椅子の背もたれに背を預け、天井を見つめながら一言呟いた。
「……故郷に未練があるのはわかるが、生憎私には君を助ける術がない。何しろ別の世界の存在など今知ったばかりだからね……」
「気にするな。それよりもこうなってしまった以上は当分の寝床と資金の確保が先決だ……コルベール、この近くに人が多く集まる街はないか?」
「人が多く集まる場所か……この国の首都『トリスタニア』はここから馬で二時間ほどの距離だが、何をするつもりだい?」
「ここは学校だったな? なら、部外者の俺があまり長居するのは貴様らとしても都合が悪いだろう。どんな世界でも人が多い場所ほど金と情報が集まることに変わりない。その『トリスタニア』という街なら資金や宿屋に加えて俺の居た場所に帰る手がかりとなる情報が掴めるかもしれん」
「いや、それはわかるが君はこの国の通貨を持っていないだろう? 宿代や食事代はどうするつもりだい?」
「大通りでさっきの動画のように踊って、物好きなやつから見物料を巻き上げる……あるいはその辺の料理屋で働くか……とにかくやりようはいくらでもある。だが、今からその街に行こうにも、今日はもう日が暮れるようだな。治療をしてもらった上でこんなことを頼むのもどうかと思うが、今晩だけ寝床を提供してくれないか? 今は手持ちがないからどうにもならんが、街で金を稼いだら必ず返しに戻る……」
「わ、わかった。それではこの部屋のベッドを使えるように私が取り計らっておこう。……しかし、なんというか……ずいぶんと冷静なんだね、君は……」
戒斗の様子と言動にコルベールは少なからず驚いていた。先ほどから2人の会話をそばで聞いていたタバサもそれは同じである。いきなり別世界で目覚める――当事者ではない彼らにさえも、もしそんな自分がそんな状況になればパニックになることは理解できた。しかし、目の前のこの戒斗はこれからのプランを淡々と組み立てているのである。
「驚いてはいる。だが、それで何かが変わるわけではあるまい。俺は自分の選んだ道を進む。ただそれだけだ……」
そういうと、戒斗は椅子から立ち上がる。
「さて、話は終わりだ。コルベール、ここの使用許可の件頼んだぞ」
「それはいいけど、どこに行くきだい?」
「俺が倒れていた場所にあった木を見ておきたい。もしかしたら、俺がここにやってきたことと関係あるかもしれないからな」
「あぁ、あの木かい。君に関係あるかと思ってこの学院の教師が調べたけど、大きいだけで特になんの変哲もない木だったそうだよ」
「意味があるかないかは俺が判断することだ」
そういいながらドアに向かってスタスタと歩く戒斗だったが、不意に後ろに引っ張られたように感じた。後ろを振り返ると、タバサが彼のコートの裾をその小さな手で掴んでいた。
「なんだ?」
「あなたはその場所を知らない……私が案内する……」
************
「ついた」
10分後、戒斗とタバサの2人は例の木の根元に到着していた。すでに学院の教師たちは引き上げており、辺りには2人以外には誰もいなかった。
「……やはり、この木だったか……」
木を見上げながら、戒斗はぽつりと呟いた。
「知っているの?」
「あぁ……この木は俺が居た街で昔『ご神木』と呼ばれていたものだ。もっとも、俺が子供だった頃に伐採されてしまったがな……」
夕暮れ前の静けさの中、生い茂った葉が奏でるざわめきと戒斗の声が辺りに静かに響く。「ご神木」と呼んだ大木に手を当てながら、戒斗は先ほど医務室で見せたような目で目の前の大木を見上げていた。
「……この木……あなたがここに来たことと関係があるの?」
「わからん。たとえそうだったとしても、今の俺にはどうすることもできん」
「そう……元居た世界が恋しい?」
「……さっきは地球に戻る手段を探すと言ったが、正直なところ未練などない……ただ、少し昔を思い出していただけだ」
「そう……」
戒斗の答えを聞いたタバサは、少しの沈黙の後に再度口を開いた。
「……あなたに聞きたいことがある」
「……用件はなんだ?」
その言葉を聞いたタバサは、『レビテーション』のルーンを唱えた。すると彼女のマントの内側から幾つかの道具が戒斗の目の前に浮かび上がった。
「……これは……」
それはタバサが戒斗を見つけた夜に、彼女が自分の懐にしまったものだった。ナイフのような部品のついた巨大なバックルに『バナナとマンゴーの果実』、そして『薔薇の花』のような装飾が表面に象られた錠前がゆっくりと戒斗の手に収まる。
「あのままだと教師に調べられそうだったから……今からする話と関係がある」
「……いいだろう。話してみろ」
これまで通りか細く小さい、しかしこれまでと違い意志を持った力強い声でタバサはそう切り出した。それを感じ取った戒斗も頷いた。
「ここ数日、私は同じ夢を見ている……その夢にはあなたが持っているものと似たようなバックルをつけた騎士が出てきた。広い平野に無数の怪物を引き連れて、反対側にいる同じような集団と戦争を始める直前だった……」
「……こいつをベルトと言ったということは嘘ではないようだな。怪物とは人型で虫のような甲殻に覆われた連中か?」
「そう……その夢の騎士は私を知っているかのように私に話かけた。その時の声は……たしかにあなたの声だった……あなたは何者……」
タバサは昨日の夢の内容を思い返す。あの騎士が自分にかけた――待っていろ。すぐに終わる――という言葉を聞いたときに、夢の中の彼女の心にはある感情が湧き上がっていた。それは騎士に対する『安心感』、そして今から始まろうとしている戦いに対する『不安』と『悲しみ』であった。
あの感情がなければ、ただの奇妙な夢として忘れてしまっていただろう。しかし、あのときに自分が感じた感情をはっきりと思い出してしまったタバサには、目の前にあの時の騎士であろう青年がいるというこの状況を『運命』だと感じていた。
何故自分と青年が出会ったか、何故あんな夢を見たのかはわからない。だが、自分と彼との出会いによって、自分の今置かれている現状に大きな変化が起こる――そう感じたタバサは、その変化の鍵となるであろう目の前の青年を見定めようとしていた。彼女が命を賭して果たそうとしている『目的』のために、利用できるかどうか……あるいは障害となりうるのか……
「……それを知って、お前はどうする? お前が果たそうとしている目的を達成するための力として利用するつもりか?」
戒斗の突然の発言にタバサは驚いた。彼女が命を賭けて果たそうとしている『目的』……それは彼女の実家の執事以外の人間には打ち明けたことはなかったし、たった一人の親友にも悟られたこともなかった。だが、目の前の異世界から来たという青年は出会って数時間で自分が抱えているものの片鱗を感じ取ったのである。
「コルベールと話をしている間に感じたお前の視線が気になっただけだ……お前のいう通り、俺の過去は『ただの芸人』と呼べるようなものではない……元居た世界で、俺はある目的を成すために戦い、より強い『力』を求めていた。俺の周りにいた人間もそんなやつらばかりだった……」
タバサの目じっと見つめたまま戒斗は言葉を続ける。
「お前の目の奥に宿す強い意志はあの時の俺に似ている、だから気づいただけの話だ。タバサ、お前は今何かと戦い、強さを求めている……そして、その目的のために俺を利用できないかと考えている……」
そう言いながら、戒斗はタバサの元にゆっくり歩いていく。そしてタバサの目の前で立ち止まった。
「お前が何のために戦っているのかは知らん。だが、お前とコルベールには借りがある。お前が俺の力を欲するというなら、『目的』次第では力を貸してやってもいい……だが忘れるな。どんな世界、どんな状況、どんなときにでも……最後に頼れるのは自分自身の強さだ」
自分の胸を拳で軽く叩きながら、戒斗はタバサにそう言った。
「お前の夢の話……それが本当なら俺たちの間には何かの縁があるのかもしれない。だが、俺とお前は出会ったばかりだ。だから、お前は俺が利用するに値するかを見定めろ。俺もお前が力を貸すに値するかを見定める……俺が何者かを語るのはそれからだ」
「…………わかった」
戒斗の言葉にタバサは頷いた。
「それでいい……日が暮れるな。そろそろ学院に戻るぞ」
「……最後にひとつだけ聞かせて欲しい」
大木に背を向け、来たときと同じように学園へと歩き出そうとした戒斗をタバサが呼び止める。
「あなたはある目的のために戦っていたと言った……その『目的』は果たすことができた?」
タバサの言葉に、戒斗は数秒の沈黙の後に答えた。
「……果たすことは叶わなかった。だがその代わり、俺と同じ理想を俺と別のやり方で成そうとした男が、望んだ『未来』を勝ち取った……」
「……そう……ありがとう……」
会話を終えた2人は学園への帰路へとつく。そんな2人の背を、月明かりに照らされた大木は優しく見守っていた。
第2話へ続く
2月4日 13時
戒斗の他人への呼び方などの細部修正
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序盤の地の文の戒斗の呼び方がバラバラだったので修正しました