ルッケンスの三男坊   作:康頼

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第三十五話

 「やっと……休める」

 

 交通都市ヨルテムの宿の一室で、リーリンは力尽きたようにベッドの上に倒れ込んだ。

 疲れていることもあり、頬に当たるシーツの肌触りはとても柔らかく、何とも言えない弾力が眠気を増幅させるが、明日の用意などができていなかった。

 ベッドからの誘惑から逃れるように体を起こしたリーリンは、ベッドの脇にあるサイドテーブルにバス停で貰った放浪バスの行路図と時刻表を取り出して、明かりの下で開く。

 

 「やっと半分ってところかな?」

 

 グレンダンからツェルニに向けての旅の中間地点であるヨルテムに辿り着くことができたことに思わず溜息をつく。

 初めて都市外に出てわかったことだが、この世界はとても広い。

 故郷から出ていくともう戻ってこれないと錯覚しそうになってしまうほどに。

 その事実がリーリンには重く、同時にもう少しでレイフォンに会えるという事実が嬉しい。

 

 だが、同時にサヴァリスとの二人旅はまだ折り返し地点という事実から目を反らしたくなる。

 サヴァリスとの旅、それを言葉にするならば、波乱に満ちた旅路と言えるだろう。

 共に街へ繰り出せば、何故か犯罪組織と対峙することとなり、何度も組織に属する武芸者達から命を狙われたことや、その都市に所属する武芸者に喧嘩を売って乱闘騒ぎを起こして酷く怒られたり、とごく普通の一般人であるリーリンからしてみれば命が幾つあっても足りないほどである。

 そんな状況下でも、サヴァリスはリーリンに傷一つつけることなく守り切っているのは流石は天剣授受者と感謝したくなるが、元々の原因がサヴァリスの方にあることを考えるとその有り難みも薄れてくる。

 だが、サヴァリスという凄腕の武芸者が隣にいることは、リーリンの危険な旅の負担を和らげていることには間違いではない。

 

 そんなところはセヴァに似てるかな?

 自由奔放で、悪気のない行動は、友人のセヴァドスによく似ており、時々話が通じなくなるところは瓜二つである。

 流石は兄弟だ、とリーリンが納得していると、扉からノックの音が聞こえた。

 

 「どなたでしょうか?」

 「僕ですよ、リーリンさん」

 

 夜遅くリーリンの部屋に訪ねてきたのは、先程までリーリンの頭を悩ませていた張本人であるサヴァリスだった。

 時計の針を見てみると、眠るには早い時間かもしれないが、それでもサヴァリスがこんな時間に訪ねてきたことは一度もない。

 何か緊急のようかもしれない。

 不用心かも知れないが、それなりに信頼していたサヴァリスの来訪に、リーリンは部屋の入り口まで足を運ぶと、そのまま扉を開く。

 

 「どうかしましたか?」

 「いえ、寝るには早いので少し話でもしようと思ってね」

 

 扉の前に立っていたサヴァリスは、リーリンに白い袋を手渡す。

 その中には飲み物や食べ物などが入っており、リーリンは扉の鍵を開けてサヴァリスを招き入れた。

 

 「珍しいですね、普段は酒場やバーなどに行かれているようでしたけど」

 「うん、実は出禁を喰らってしまってね、話し相手を探していたところなんだ」

 

 何でもないように語って、ソファの上に座るサヴァリスに、リーリンは溜息をつくことしかできない。

 呼吸をするかの如く、問題を起こし続けるサヴァリスに矯正の余地はないだろう。

 ならば、リーリンは友人であるセヴァドスがこんな風にならないように祈るのみである。

 

 「しかし、ヨルテムだったね。 ここはとても豊かなところだね」

 「はい、そうですね。 都市の端から端まで設備が整っていて、街灯なども至るところに設置されて治安も良さそうですね」

 

 都市を見回る武芸者達もグレンダンほどではないが、今までの渡ってきた都市の中でも優れているとサヴァリスは言っていた。

 リーリンも、ヨルテムの街を見て廻り、この都市の豊かさに微かな嫉妬を覚えていた。

 こんなところに住んでいたら、レイフォンもあのようなことにはならなかったのではないか、と。

 

 「グレンダンとは違い、食料も溢れかえっているから飢える心配はなさそうだね」

 「そう、ですね……」

 

 人間というものは、生きていくためには食べ物が必要である。

 そういう意味では、リーリン達もまた幸運に恵まれていた。

 サヴァリスは、名家の生まれからして食べることには困ったことはないだろうし、リーリンもレイフォンが身を削ってまで稼いでくれたお陰で飢えることはなかった。

 それでも、以前食料難に陥った際には、数多くの孤児達が餓えで亡くなっていることをリーリンは知っていた。

 事実、リーリンの孤児院でも餓死はいなかったが、多額のお金がいることで病院に行けなかった孤児の友人が病死したこともあり、貧困が人を殺すということは痛いほど理解できた。

 

 「けど、武芸者としてはやっぱりグレンダンが一番いいかな」

 

 そんなリーリンの考えとは違い、サヴァリスの考えはまるで逆のことを考えていた。

 

 「どうしてですか?」

 「ん? だって汚染獣とも頻繁に戦うことができるし、そのおかげで残っている武芸者達の質も高い。 その中でも天剣授受者や女王様という最高の存在もいるんだ。 あれ以上の環境はないとは僕は思うね」

 

 実際、リンテンスさんもグレンダンに行き着いてしまったしね、というサヴァリスの言った通り、グレンダンには故郷を捨ててまでこの地に移住してきた者も存在する。

 天剣授受者で言うならば、最強の天剣と名高いリンテンスやカウンティアとリヴァースのコンビもそうであった。

 彼ら以外にも他都市の武芸の流派をグレンダンで開く者達もいることから、サヴァリスの言っていることは強ち間違いでもなかった。

 ならば、レイフォンはどうだったのだろうか?

 

 「だから、思うんだよ。 レイフォンにとってツェルニの生活は楽しくないんじゃないかってね」

 「それは……レイフォンも武芸者、だからですか?」

 

 レイフォン・アルセイフ。

 リーリンと同じ孤児院で育ち、共に苦楽を共にした親友でもあり、兄であり弟でもある。

 同時に、リーリンの想い人でもある彼は、グレンダン屈指の武芸者である天剣授受者の一人であった。

 サヴァリスが認めるほどの才を持ったレイフォンは、間違いなく武芸の天才であり、紛れもない武芸者であった。

 

 「そうだね。 正確に言うとレイフォンは武芸者以外になれない、ってことさ」

 「それは……それは決めつけなんじゃないですか?! 人には努力次第では何でもなれると……」

 「なれないよ。 少なくとも天剣授受者になるほどの人間には、武芸者にしかなれない」

 

 サヴァリスの言葉は、何処か確信めいた台詞に、リーリンは言葉を発することができなかった。

 リンテンス達はまだいい。

 彼らは故郷を捨てたとはいえ、グレンダンという居場所にたどり着くことができたのだから。

 

 セヴァドスは問題ないだろう。

 セヴァドスはただの留学であり、何れグレンダンに帰ってくることになる。

 

 ならば、レイフォンはどうなるのか?

 レイフォンの故郷はグレンダンであり、同時に追放されたため、帰ってくることができない。

 だからこそ、レイフォンは新たな場所で、新たなことをするためにツェルニへと飛び立ったのだ。

 そこで、何も見つけることができなかったら、居場所も作ることができなかったら、レイフォンはどうなるのだろうか?

 リーリンの脳裏に最悪の結末が思い浮かぶ。

 言葉を失い、顔を青白くさせたリーリンに、サヴァリスは尋ねる。

 

 「リーリンさんは、レイフォンにどうなってほしいんですか?」

 

 サヴァリスからの問に、リーリンは一瞬呼吸が止まった気がした。

 レイフォンの望みではなく、リーリンの願い。

 それはレイフォンにあんな思いまでした武芸の道に戻ってほしいのか?

 それとも、新たな可能性を信じて道を切り開いてほしいのか?

 

 少なくともリーリンがレイフォンに望むことはただ一つであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 レイフォンは、ただその場で置物のように座っているだけでしかなかった。

 それとは対照的に、目の前で雄弁な口調で語るのはセヴァドスである。

 

 「以上で私からの話は終了とさせていただきます。 何か質問のある方は?」

 

 この場に集まった20人の中心で、セヴァドスは気負うことなく、怯むことなく、平常心で冷静な口調で周囲を見渡す。

 その姿を見て、誰もがこの年に入学した一年生だとは誰も思わないだろう。

 

 「うむ……確かにそうなれば、いいと思うのだが、本当に上手くいくのか?」

 「上手くいくのか、ではありません。 上手くいかせることこその戦略であり、戦術です。 そして大切なのは迷いを捨てることです。 少しでも判断を誤れば、それこそ戦略が崩れてくることになるでしょう」

 

 指揮は今まで取ったことはない、と言っていたセヴァドスの言葉は、最初は皆半信半疑で聞いていたが、現実味があり、戦略性のある手法に、誰もが話に引き込まれていた。 

 

 「しかし、全体指揮もそうだが前線指揮はどうするのですか? 各小隊長に任せるのか?」

 「いや、この合宿を機に最適な人材を見極めるつもりだ。 実際、小隊を指揮するのと、今回の部隊を運用するのでは適正がまるで違ってくる」

 「まあ、ニーナみたいなイノシシが、指揮官になって、ひたすら突っ込んでいっても困るわな」

 「ぐふっ……い、言うじゃないか、シャーニッド」

 

 楽しげに笑うシャーニッドに、何処か吹っ切れたようなニーナ。

 彼らが思い悩む問題の解決に、セヴァドスの一手があったらしいということに後から聞かされた。

 同じ小隊の仲間でなかったセヴァドスが解決していた時、レイフォンはそのことにすら気づいてなかった。

 

 「実際、ニーナは少し熱くなる傾向にあるからな。 引っ掛ければ、簡単に釣れる」

 「シ、シン先輩まで」

 

 ニーナは、ハイア率いるサリンバン教導傭兵団によって、連れ去られようとしていたのを、助けたのもセヴァドスであった。

 レイフォンがもし、あの夜にハイアを倒すことができていれば、ニーナにそのような負担をかけることもなかった。

 

 「とりあえず、そこは矯正していくしかありませんね。 とりあえず、医者からは練習許可も貰ってきましたから、明日からビシバシいきますよ」

 「望むところだっ!!」

 「そういうところを修正すべきなのだがな……」

 「兄さんも、ビシバシいかせてもらいますよ。 武芸長になったんです、並の武芸者でも負けないように鍛えて差し上げますよ」

 「……本番前だ。 頼むから空気読んでくれよ」

 「ウィンスの奴はどうする?」

 「今回の都市対抗戦はツェルニの命運がかかっている。 奴個人のプライド等に構っている暇はない」

 

 ツェルニの武芸者達が段々と一つになっていく。

 その中心には、セヴァドスがいて、レイフォンは遠くでそれを見ているだけしかできなかった。

 入学式の日、レイフォンはカリアンに呼び出されて、強引とも言える手段で武芸科へと編入した。

 都市対抗戦に勝つために、レイフォンの力が必要だと。

 だが、今のツェルニにレイフォンの力は必要なのだろうか?

 セヴァドス・ルッケンスという本当の天才の前に、武芸者としての自分に疑問を持つレイフォン・アルセイフが勝てるものなどあるのだろうか?

 

 「フォンフォン」

 「え?」

 

 突然、聞こえたフェリの言葉に、レイフォンは目覚めるように重い瞼を開いた。

 目の前で椅子に座っているフェリに視線を向けると、相変わらずの無表情で口を開く。

 

 「会議は終わりましたよ」

 「あっ」

 

 会議室にはシャーニッドやニーナ、ゴルネオ達の姿は見えなくなっており、フェリとレイフォンの二人だけが残っていた。

 レイフォンが一言も言葉を発することなく、会議は終わってしまった。

 

 「調子が悪いなら病院に行ったほうがいいですよ」

 「いえ、大丈夫です」

 

 こちらを気遣ってくるフェリに、レイフォンは心配かけないように笑ってみせた。

 だが、表情は強張り、上手く笑うことのできないレイフォンに、フェリは身を乗り出した。

 

 「フォンフォン?」

 「ほら、セヴァみたいに戦略を考えてたんですけど、その何も浮かばなくて……必死に考えたんですけど、やっぱりそういうのは得意じゃなくて、頭だけ痛くなってきました」

 

 そんなフェリから逃れるようにレイフォンは後ろへ一歩下がった。

 レイフォンは、今自分が考えていることを誰にも知られたくなかった。

 それはとても醜い感情だと知っていたからだ。

 昔、数多くの武芸者達がレイフォン本人に向けていた感情。

 

 「寝たらきっと治ると思います。 だからフェリ先輩、おやすみなさい」

 

 逃げるようにして部屋を後にしたレイフォンは、自分に充てられた大部屋に向かって歩き出す。

 右腰の剣帯に刺さった錬金鋼は、レイフォンには重い十字架のように思えた。

 


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