「ちっ!!」
「ふっ!!」
振り抜いた拳は、相手の刀と交錯し、衝撃波となって頬を撫でる。
返す形で振るわれた刃を、左拳でかち上げるようにして弾くと、距離を詰める。
「ふふふ、楽しいですね。 貴方もそう思いませんか?」
「全然楽しくないさー」
放たれた拳と蹴撃は、後方に飛ぶようにして回避される。
ビルに着地された瞬間、お返しとばかりに剄を全身に流して、
外力系衝剄の変化、針剄。
外力系衝剄の変化、剛昇弾。
放たれた剄の槍は、迎撃により放たれた剄弾により相殺された。
楽しい、そうセヴァドスは素直に感じた。
グレンダンを出て、老生二期という極上の相手と戦うことができたセヴァドスだが、故郷と違いここは学園都市。
こうして戦いを楽しめる相手というのは、現時点でレイフォンを除けば皆無と言っていい。
だが、目の前にいる武芸者は違う。
明らかにその技は洗練されていた。
「そうですか? 私には楽しそうに見えますよ」
「それは、アンタを斬って、グレンダンへの土産にできるからさーっ!!」
内力系活剄の変化、旋剄。
ビルに着地をしたセヴァドスの一瞬の動きの硬直を狙って放たれた刃は、セヴァドスの頬を掠めた。
今のは避けるのが一瞬でも遅れていれば、首半分は切り裂かれていただろう。
命を取り合う緊迫した一瞬に、セヴァドスは思わず笑みを零した。
「っなるほど。 ああ、そう言えば、まだお名前をお伺いしていなかったですね」
「ハイア・サリンバン・ライア。 アンタを斬る男の名前さー」
武芸者———ハイアの年齢は、セヴァドス達とそう変わらないだろう。
だが、その動きはまさに達人級、振るわれる刀技は天剣授受者達に迫るほどのものであった。
「いいですねっ!! では私にぜひ貴方の名前を覚えさせてください」
もっともっと楽しみたい———セヴァドスは自分自身の欲求を満たすために、ハイアへ迫る。
外力系衝剄の変化。裂空牙。
振り抜かれた右足の刃は、屋上の給水タンクを両断するが、そこにハイアの姿はない。
研ぎ澄まされた感覚が、首筋に落ちた水滴に反応し、セヴァドスは両手を交差すると
「しゃっ!」
頭上に飛んでいたハイアの振り下ろされた刃が、手甲にぶつかり火花を散らせる。
ハイアの一撃を防ぎ切ったセヴァドスは、一瞬の間も置かずに右足を蹴り上げるが、既にそこには誰もいない。
セヴァドスの反撃に、素早く反応したハイアは大きく距離を取る。
先程まで息をつく暇もない高速戦闘後との間に起きた小さな静寂。
笑みを浮かべるセヴァドスと同様に、人を子馬鹿にした様子の笑みを浮かべるハイアは、構えをとくと刀の峰を担ぐように肩に乗せる。
「良い反応さー、流石次期天剣授受者様さー」
「いえいえ、ハイアくんこそ、その刀の腕前はまさに達人級。 久しぶりに味わいますよ、死の恐怖というものを」
「嘘をつくさー、なら何で笑っているのさ?」
「え? 普通、笑いませんか? こう、生きてるって感じがして」
一瞬でも反応が遅れてしまえば致命傷を負ってしまうだろう高速戦闘にすら、何でもないように笑みを浮かべるセヴァドスに、ハイアは眼を細めて小さく息を吐く。
「ああーなるほどさー。 これが戦闘狂ってやつさー」
「そうですか? 少なくとも武芸者という生き物は、戦いという業に酔って生きる人種ですよ。 私が知っている人は皆そうです」
セヴァドスの兄であるサヴァリスを筆頭に、残る天剣授受者、そんな彼らを超越した女王陛下ですら力という業から離れることをできないでいる。
それが武芸者というものなのだ、とセヴァドスはそう思っている。
目の前にいるハイアも、先程から好戦的な笑みを浮かべていた。
「そういうのは化け物っていうのさっ!!」
「はい、よく言われます」
そう言って仕掛けるのは、サイハーデンの刀であり、待ち受けるのはルッケンスの拳。
何度目の衝突に変化をつけてきたのはハイアであった。
振り下ろした刃は、セヴァドスの拳に弾かれると、そのまま流れるように連撃を放つ。
その動きにすら反応したセヴァドスだったが、次の一手は読めなかった。
右頭部に衝撃が襲うと、セヴァドスはそのまま体を縦に一回転させて、衝撃を緩和させる。
しかし、その動きに反応した、いや正確には読んでいたのだろうか? 既に次の刃を振るっていたハイアの姿がセヴァドスの視界に映った。
だが、そこは戦闘狂と言われるセヴァドスである。
異常なまでの危険感知能力と驚異の反射により、前髪を数本犠牲にするだけでその攻勢をやり過ごした。
今度はセヴァドスが距離を取ったことに対し、ハイアは自信に満ちた表情で見下ろすように口を開く。
「獣如きには読めない剣さー」
「……ああ、本当に愉しくなってきました」
途中、セヴァドスの頭部を襲ったのは、ハイアの蹴りだろう。
通常ならどのような状況でも反応するセヴァドスだったが、先の攻防では完全に意識を刀へと向けて———いや向けられてしまっていた。
あの時、完全にセヴァドスの思考の上をハイアは上回っていたことになる。
そのことが、セヴァドスは本当に愉しくて、嬉しかった。
興奮の余り、身体から余剰な剄が溢れてしまったが、セヴァドスの足は既に動き出していた。
一瞬で、ハイアとの距離を潰したセヴァドスの剛腕が唸りを上げる。
当たれば終わりの一撃必倒の拳を、ハイアは少し下がり気味に避けていく。
「ぐっ!! なんて強引な奴っ!!」
「うん、うん、うん!! 良い反応ですよ」
完全に前へ出ることができなくなったハイアは、一瞬の隙を突くためにセヴァドスの攻勢を耐える。
同時に前へと前へと進み続けるセヴァドスの足元は、一歩ごとにコンクリートの地面を砕き、拳は、連打に———そして拳とともに余剰な剄が衝剄となって、周囲の建物の壁を削り取っていく。
「どうしました? こんな機会はめったにないのですから楽しみましょうよ」
「調子に乗るなよ、化け物がッ!」
セヴァドスの右拳に合わせるように、ハイアは死地である懐へと歩みを進めた。
振り抜かれる刃に、迎撃するように振り下ろされた左拳。
同時に放たれた両者の一撃は、小さなアクシデントにより、勝敗を決することとなる。
ビルの老朽化、そのせいで崩壊した足場にセヴァドスの右足を取られ、バランスが崩れた。
切り裂かれた左腕からは、真っ赤な血が噴き出した。
「俺っちは、リュホウと数十の戦場を駆け抜けてきたさー。 獣如きに止められるはずがないさー」
手首からひじ先まで切り裂かれて血だらけになるセヴァドスに、ハイアは勝利の笑みを浮かべた。
「さて、廃貴族も称号も頂くとするさー」
もうすぐ決着がつくと確信して。
・ ・ ・ ・ ・
セヴァドスがハイアと戦い始める数時間前のこと。
ツェルニから遠く離れた移動都市、グレンダンの墓地の一角で一組の男女が顔を会わせていた。
「グレアド・ルッケンス殿」
「エアリフォス卿か」
片や女王陛下の側近中の側近であり、若くして天剣という地位まで辿り着いた女傑カナリス。
片や天剣授受者を二度も輩出し、現天剣授受者サヴァリスの父であり、ルッケンスの当主である男グレアド。
互いに面識はあったが、親しい仲などではなく、言葉も交わしたことはない。
そんな彼らが、他に誰もいない場所で向き合っていた。
「見事の殺剄だが、私のような無能には心臓に悪い」
「無能……ご冗談を、グレンダンの三大武門を纏め上げる当主ともあろうお方が言うべきことではありません」
カナリスの言う通り、目の前にいるグレアドは今は老いたとはいえ、かつては天剣候補とまで謂われた男である。
彼が天剣になれなかった理由、それは天剣を扱うまでの圧倒的な剄がなかっただけであり、その武芸の腕は初代ルッケンスにも届くのではないかとも言われている。
だが、当の本人には皮肉しか聞こえなかったようで、現天剣授受者であるカナリスに向ける視線は決して良い感情とは言えなかった。
「ふん、天剣を得た貴女に言われてもどうも思わん。 有能な武芸者とは力のある者、卿や息子のサヴァリスのような者だ」
事実、剄量とは時にはそれだけで勝敗を決することになる。
剄の少なかったグレアドは、人一倍武芸に打ち込んだが、結果として天剣を得ることはなかったが、奇しくも、グレアドの子であるサヴァリスが、父とは違い、膨大な剄に恵まれた。
それほどまでに剄量とは、一流の武芸者になればなるほど大きな差になってしまうということだった。
「そう思えば、ゴルネオは可愛そうなものよ、兄と比べ続けられるあやつを見ていると昔を思い出す。 才能というものへの妬みを、な」
貴君にはわからんだろうがな———そう言ってその場から立ち去ろうとするグレアドを、カナリスは引き留めるような形で本題を切り出した。
「今日は、当主殿にお伺いしたいことがあり、こうして参りました」
「ふむ、先に言っておくが、サヴァリスの起こした問題に関与するつもりはない。 アレもいい歳だ、もう少し落ち着きというものを持って貰いたいものだ」
グレアドの言う通り、カナリスもそろそろいい歳なのだから落ち着きを持って貰いたいというのは、同意見であったが、今は戦闘狂の話をしに来たわけではない。
「私がお伺いしたいこと、それは貴方の奥方であったルマリア殿のことです」
ルマリア・ルッケンス。
サヴァリス達の母であり、グレアドの伴侶であった彼女は、このグレンダンの多くの人々や武芸者から慕われ、憧れの存在であった。
圧倒的なまでの剄量に、恵まれた身体を操るセンスを持つルマリアは天剣を与えられるはずであったが、グレアドと結婚したことにより、第一線から退いてしまったが、それでもその力に陰りが見えることはなかった。
昔、カナリスも幼い頃に、ルマリアが天剣授受者であるカルヴァーンと互角の戦いを繰り広げられたのを今でも鮮明に思い出せる。
そんな彼女の話題だからか、先程まで険しい表情しか浮かべていなかったグレアドの表情が緩んだのをカナリスは見逃さなかった。
「……ルマリアか、懐かしくもあり、愛しくもあり、悲しくもある、我が妻の名だな。 あやつはとうの昔に亡くなっているが、卿は彼女の何が知りたい?」
「彼女の死、そして貴方の息子のセヴァドスのことです」
だが、グレアドの表情が緩んだのは一瞬のこと。
次にグレアドの表情に浮かんだのは、無という感情であった。
カナリスは、先程からグレアドと話をしていて気づいたことがある。
先程からグレアドは明らかにもう一人の息子のことを避けていた。
「ルマリア殿は、セヴァドスの生まれた時に亡くなったと聞いています。 その後、家族のみで密葬をしたそうですね?」
「ああ、妻の頼みもあってな」
「王家から盛大な式を挙げるように言われてたとしても?」
「妻は恥ずかしがり屋でな、死した姿としても他人には見せるつもりはなかったようだ」
セヴァドスの話題が出てからは、サヴァリスの時のような呆れも、ゴルネオに感じた哀れみ、ルマリアに向けた愛情などの感情も覗かせない。
ただその話題に触れないように避ける拒絶だけであった。
しかし、カナリスはこれで話を終わらせるつもりはなかった。
今日の行動は既にアルシェイラからの許可を頂いている。
断片的な事実も、ティグリス達から聞いているが、それでもカナリスは知りたかった。
自分を慕ってくれる弟分の正体を見極めるために。
「そうですか、ではその時彼女が抱えていた問題もご存知でしたか?」
「さあ、十数年も前のことだ。 曖昧な記憶しか持っていないな」
「彼女の最後の望みのことは覚えていたのにですか?」
「何が言いたい? 王家の命に背いたことがそんなに気に入らないのか?」
「そうですね、確かに王家に仕えるリヴァネスの者として思うことはないとは言えませんが、今私が知りたいことは、あの日に起こったことですよ」
偽ることは許さない。
力の籠るカナリスの視線にすら、グレアドは動じることはなかった。
「何を根拠にそのような妄言を吐くのだ?」
「このグレンダンには全てを見通す眼が存在するのをお忘れですか?」
「ふん、くだらん」
カナリスが半ば脅すような形で剄をぶつけてみても、グレアドの口が開くことはない。
恐らく女王陛下であるアルシェイラが命令しても、彼はその口を閉ざしてしまうのではないか?
それは天剣授受者のカナリスには絶対にできないことであった。
「用を思い出した。 この辺で失礼する」
話は終わりだと、グレアドは今度こそこの場を後にしようと歩みを進める。
その足を止める術を、今のカナリスには持ち合わせていない。
サヴァリスから聞くしかないのか、そう考えたカナリスの視線の先でグレアドが歩みを止めた。
「エアリフォス卿、貴女は一つ勘違いをしている」
そう言って振り返ったグレアドの眼を見て、カナリスは小さく息を呑む。
「私の息子は、サヴァリスとゴルネオの二人だけだ。 決してあのような化け物が———俺と彼女の子供であるはずがない」
・ ・ ・ ・ ・
「動かない方がいいさー、腕とは言え、深く切り裂いたから血が足らないはずさー」
勝敗をついた。
目の前のセヴァドスは片膝をつき、左手からは少なくない出血をしている。
顔を俯いて表情はわからなかったが、それでも戦闘を再開することはできないだろう。
強かった。 それがハイアの間違いようのない感想である。
最も天剣に近い男と言われ、将来を期待された天才。
そんなセヴァドスに、ハイアは勝った。
これほどまでに感激できることはないだろう。
残るレイフォンには、天剣を得るということで勝つことができ、死んでしまった義父へと弔いになるだろうと、ハイアは感傷に浸っていた。
「では失礼するさー、俺っちは忙しい」
後は、先に逃げたミュンファ達と合流し、廃貴族を乗せてグレンダンに向かえばいい。
その場から立ち去ろうとするハイアだったが、セヴァドスの口から洩れた音に歩みを止める。
「何か言ったさー?」
「ふふふ……」
「……何を笑ってる? 気でも触れたさー?」
自分の血を見て錯乱しているのだろうと、ハイアが呆れ————
「あはっ」
————背筋に氷でも突き刺さたような悪寒を感じた。
「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!! …………楽しいな、本当に愉しい。 ねぇ、ハイアくん?」
出血した左腕を抑えながら、立ち上がったセヴァドスの顔は確認できない。
その姿に、ハイアの心臓の音が段々と五月蠅くなっていく気がした。
「脳髄を突き刺すような激痛に、飢えを感じるほどの喉の渇き、壊れたように脈打つ心臓、頭の毛先から足の爪先まで巡る高揚感。 ああ、戦いはこうでないと」
狂ったように笑い声を上げるセヴァドスの右手が、出血している左腕を撫でるように触る———瞬間、青白い光がハイアの眼を刺激する。
一瞬、視界を奪われたハイアが、再びセヴァドスに目を向けた時、
「なっ!! 馬鹿なその怪我を一瞬でっ!!」
まるで早送りをしているみたいに、傷口が再生していくその姿は、人間のそれではない。
————化け物。 その事実に、いつの間にか、ハイアの足はソレから距離を取ろうとしていた。
「戦いましょう、お互い、血の一滴まで搾り取るような戦いを」
顔を上げたセヴァドスの瞳は、血のような真っ赤に染まり、絵画のような激情と花のような華やかさを秘めた『笑み』を浮かべた。
ハイアは、このとき漸くある勘違いに気が付いた。
本当の化け物を目覚ましてしまったことを。