このイシュヴァール殲滅戦に参加するに当たって、いくつか支給された物がある。
まずはこの軍服。軍直属ではない私の為にわざわざあつらえて頂いた、上質のウールを使った一張羅だ。流石は軍事国家アメストリスの軍服、その着心地は生半可な服よりも素晴らしい。加えてその意匠も実に凝っている。私は服飾については全くの素人だが、これほど凝った外見でありながら機能性が損なわれていないのは賞賛すべきだろう。東の方の村がこの羊毛の産地だと教えてもらったが、残念ながらその名前は失念してしまった。
次に拳銃などの武器類だ。とは言え碌な訓練すらしていない素人が拳銃を握ったところで、まともに当てられるわけが無い。構えればふらつき、ひとたび撃てば弾は明後日の方へ消えていく。ここに来た当初も何度か練習をさせてもらったが、結論として私の射撃は「弾の無駄」だと証明されてしまった。作戦行動中も拳銃は携帯こそしているがおよそ使える気がしない。「最後の弾丸は自決用」という言葉があるが、到底私には不可能だ。叶うならその機会が無い事を祈る。
そして最後に、本人が用意する装備を携行する権限である。要は術者本人が効率よく術を行使する為の物だ。鉄血の銘を持つグラン大佐は、陣が刻まれたガントレットを。焔の彼は同じく、陣を描いた手袋を持ち込んでいる。
私が持ち込んだ物は先程の治療に使ったような、何種類もの医療用練成陣をそれぞれ印刷した紙の束。切創から骨折まで幅広く
それともうひとつ用意した物が、この大型の軍用ナイフ二振りである。
私が出来る戦術は自身を強化しその力で敵を打ち払うだけだ。他の錬金術師たちの様に武具を練成したり、あるいは地形ごと吹き飛ばしたりなどは――元よりそのつもりも無いので当然と言えば当然なのだが――出来ない。かと言って丸腰で立ち向かうのは愚の骨頂だ。
銃は使えない。あるのは人体の知識と、無理に仕立てたこの怪力だけだ。となれば自ずと出来る事が限られてくる。
つまり、ただ力に任せた突撃である。
「壁向こうの敵へ奇襲をかけます。皆さんは場の混乱に合わせ援護を頼みます」
治療が済みいざ反撃に移ろうと構える面々に伝える。敵がいるのは教会のような物だったのであろう、屋根が崩落し壁だけが残った大きな建築物の中だ。囲いの中に追い詰めたと言えば聞こえはいいが、その実は堅牢な塀の中から待ち伏せされているに過ぎない。建物と外を隔てるこの大扉付近で熾烈な攻防が繰り広げられていた。
「ですが少佐殿!敵の反撃は依然強固なままで他に入り口もありません!無理な突入はせずに、このまま救援を待った方が……」
盾代わりにしていた大扉はもはや使い物にならないほどに損傷してしまった。そして入り口からは絶え間なく銃弾が吐き出されている。中の敵は元々ここで篭城する事を想定していたのだろうか、よほど溜め込んだ弾薬があると見える。救援を待つのも一つの手だが、それは相手方にも言える。蓄えがある分、敵の方が優勢だ。
そして仮にこちらの援軍が来たとしても攻め込む場所はこの正面入り口からしか無い。四方の壁は高く、窓という窓は頑丈に封じられている。壁を越えようとしたとて登りきったところで撃ち落されるのが目に見えている。ここからの奇襲は入念且つ大掛かりな準備が必要だろう。今の状況から見ても現実的では無い。
だからこそ、やる価値がある。
「私が壁を跳び越え背後に回り込みます。それならば敵の警戒も薄いでしょう」
「――2m以上はあるんですよ!?登れたとしても撃たれて終わりです!危険過ぎます、自殺行為です!」
どうやら彼は誤解をしているらしい。言った内容が上手く伝わっていなかったのだろうか。
「誰も登るとは言っていません。私は、
改めて説明し返事を待たずに、大きく跳び上がった。
背後で驚きの声が聞こえたが知った事ではない。そのまま壁の上に足をかけ、再度全力で跳躍する。
眼下には今も味方へ向け攻撃を続ける敵達の姿が見える。案の定こちらを見上げている者はいない。狙うのは一番奥にいる敵の頭だ。速やかに、こちらに注意が向く前に可能な限り数を減らしたい。
上手く体勢を合わせながらナイフを二振り、目標の敵頭頂部へと突き立てた。
足元から耳を刺すかのような絶叫が上がる。結果から言えば失敗してしまった。
頭部に突き立て即死させるつもりだったが、ナイフの刃は人体で最も硬く厚い骨である頭蓋骨を貫通せず、その丸みに沿って肉を、両耳を削ぎ落としながら鎖骨付近へ深々と刺さったのだ。
赤く、生温い液体が飛び散った。
「ひぃいいい!!?」
「コ、コイツどっから出てきやがった!!?」
叫び声を聞き周囲の敵が一斉にこちらへ振り向いた。
即死させていたなら敵の反応が遅れ、もう1人くらいは倒せたかもしれない。だがそれは叶わずに想定外の早さで発見されてしまった。
急いでナイフを引き抜く。が、血で上手く握れずに右を抜き損ねてしまった。
「死ね!クソ野郎!」
傍らにいた敵がこちらへと銃を構える。とっさに開いた右手で足元の敵を引き起こした。両方の肺と、あわよくば心臓を損傷させた体だ。放っておいても死ぬ体を有効活用し盾にする。
そのまま撃ってくるかと身構えたが、イシュヴァール人の同胞意識はなかなかに高いようだ。
「ひ、卑怯もゲ」
最後まで喋りきる前にナイフを投げつける。なんとか狙った所、敵の喉へと刺さってくれた。筋力を強化して投げた為か首があらぬ方向に曲がり、吹き飛ぶようにして倒れた。当てる自信が無かった訳ではないが、それでも当たってくれた事に安堵してしまう。
そしてそのまま間を置かず反対側へ盾を投げ飛ばす。ちょうどこちらを狙っていた敵2人目掛けて薙ぎ倒すように叩きつけた。大柄な成人男性の体がほぼ水平に飛んできたのだ、避けられるはずもない。壁へ
順調だ。味方はまだ攻め込む機を掴めないのか入り口の外で牽制を続けているが、まだ敵を減らす必要があるのだろうか。どちらにせよこの場で手を止める理由は無い。
さらに敵を打ち倒さんと走りだしたその時だった。
「―――――ッ!!?」
私の右大腿部に強烈な衝撃、そして一瞬後に経験した事の無い激痛が襲いかかって来た。
声が出ない。痛い。熱い。まるで燃える棒を刺し込まれかき混ぜられたかのようとでも言うべきか、想像を絶する激痛が伝わってくる。全身が強張り、走り出そうとした勢いのまま転倒してしまった。
どうやら撃たれたらしい。だがそれしか判らない。どの方向から撃たれたのか、弾は貫通したのか、どれ程の傷なのか、それすらも判らない。
銃とはこれほどまでに痛いのか。砂利と瓦礫の上を転がりながら、私はより激しさを増す痛みに耐えるしかなかった。
命の危険、死の恐怖。今までどこか他人事のように捉えていたそれが、足音を立てながら私へと近づいてくる。治療のためにと
「よくもやりやがったなこの野郎!」
そしてそれは眼前へとやってきた。
銃が向けられる――死の間際には時の流れが遅くなる、という俗説を思い出した。
徐々に顔へと向けられる銃口――実にちっぽけな穴だ。こんな小さな穴を向けられただけでここまで恐怖するのか。
狙いが定まるまであと一秒も無いだろう――まだ死ねない、まだ死にたくない。何か武器は無いか。
ナイフは手を離れた。練成陣は取り落とした。何でもいい、何か、何か無いか。
追い詰められた私には、まるで子供のように瓦礫交じりの砂利を投げつける事しか出来なかった。
文字通り
まだ医院に勤めていた時にいた狩猟好きの同僚が自慢げに話していたのをよく覚えている。
曰く、通常の銃とは違い点ではなく面を意識した銃撃である。
曰く、鳥用と獣用など得物に合わせ撒き散らす弾の号数が変わる。
曰く、号数が小さいほど弾が大きく強力になる。
さて、私の足元には教会と思しき施設の屋根が崩れ落ち粉々になった、無数の砂利がある。たった今それを一掴み、相手の顔面へ投げつけた。
姿勢こそ安定していないが、それでも成人男性を片手で投げられるほどに強化した腕力だ。その私が全力で、力任せに、瓦礫を顔へ投げつけたのだ。
何が起こるかは全く考えられなかった。死にたくない、ただそれだけだった。
次の瞬間、まるで水袋を破裂させたかのような音が響いた。
まだ撃たれていない体、そして響いた謎の音。
恥ずかしながら投げた時は恐怖から目を閉じてしまい、その決定的な場面は見る事が叶わなかった。
恐る恐る目を開けた視界に飛び込んできたのは―――
額を削られ、
右目を潰され、
頬を抉り落とされ、
顔の右半分を赤黒く濡らした敵の姿だった。
筆舌に尽くし難い、まるで獣のような凄まじい絶叫が響く。
顔を押さえつけ痛みにのたうつイシュヴァールの屈強な兵。周りの敵兵もこのただ事ではない叫びで混乱したのか右往左往している。
私が味方を回復させた時も負けず劣らずの断末魔だった。あの時は壁の向こう側、視界が遮られた場での出来事だ。
だが今回は彼らの同胞の声だ。さらに『何が起こったのか』が嫌でも視界に入る。彼らの心を挫くには十分すぎる。
そして。
「今だ!少佐を守れ!」
「GO!GO!GO!」
その好機を逃すアメストリス兵ではない。
こうしてはいられない、味方に守られて何が国家錬金術師か。何が人間兵器か。まだ動かせる左脚を奮い立たせ、散らばっていた治療用練成陣を飛びつくように拾い、傷を
これで動ける。まだ戦える。
武器はいくらでもあるのだから。
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