定期的には難しいですが、なんとか継続して更新していきます。
少尉達と別れた後、私は単身戦場を駆けていた。言うまでも無く負傷した兵を探す為だ。遠くに響く砲撃の音を聞きながら、他の隊が居るであろう次の作戦区域を目指して走る。だが単独行動をとってまだ十数分と経たない間に、私の心身はその疲労の色を濃くしていった。
目を凝らし、耳を澄まし、負傷した国軍兵を探し、そして我が身の安全を確保し。およそ兵としての訓練を経ていない私にとって、それは精神をえぐり取る様な環境だった。
どれ程走ったのだろうか。心臓は早鐘を打ち、体温は限界まで上昇していた。この地に就いて初めて判った事だが、私の術は長時間の連続使用には向いていないらしい。その原因は生物の活動に密接に関係する生理現象、”発熱”だった。人に限らず動物の運動には――大小の差はあれど――発熱を伴うが、術を使用した運動で発生するこの膨大な熱量が、どうにも解決出来なかった。通常、熱を発散する為には当然何らかの形で冷却しなければならないのだが、強制的に体を動かす事で発生する熱量は発汗程度では到底抑えられるはずも無く、この様に悪質な熱病一歩手前まで体温が上昇するのだ。そして体温が上昇すれば生理現象である発汗が促され、
倒壊し僅かに残った家屋の壁に背を預け座りながら、携帯している水筒の片方を開け中の水を呷る。決して冷たいとは言い難いが、それでもこの場では何物にも勝る甘露となる。口腔に溜めた水をゆっくりと飲み込みながら水筒を覗き込む。残りの水は半分を切っていた。大切に扱わなければ。
もう片方の水筒も開け中身を僅かに首筋へかける。こちらは消毒液のアルコールだ。気化熱を利用し、血管を冷やす。この妙な清涼感が実に心地いい。本来はこちらの方こそを温存しなくてはならないのだが、この苛烈な場所では平熱まで待つ時間すら惜しい。
汗を拭い、呼吸を整えながら辺りを警戒する。戦場の中心から比較的外れた位置にあるとは言え、微塵も気を抜く事が出来ない。いかに外れた場所だろうと戦場には違いない。私は警戒は怠らず、地面に汗を分解する為の練成陣を描く。汗を分解とは言っても水やナトリウム、カリウムや皮脂等の主成分のみで、完全に分解する訳では無い。あくまで急造の応急処置の陣だ。その上に濡れた軍服を広げ手をかざす。僅かに練成反応が生じ、軍服に滲み込んだ汗を排出する。慣れたとは言え、この一連の動作は酷い無駄だ。原因となる発熱を解消できない以上仕方の無い事だが、せめて幾分か時間の短縮は図れないだろうか。この練成陣を描いた紙や布を携帯するか、あるいは服に直接陣を描くのも良いかもしれない。次回の作戦までに試してみるとしよう。
ふと気が付くと、右手が左胸に添えられていた。どうやら無意識に胸元の銀時計を触っていたらしい。この地に来て、いや、戦場に来てからどうにも銀時計を触る事が多くなった。蓋を開け時間を確認する訳でも無く、手にとって眺める訳でも無い。単に手で触れている、ただそれだけ。だが、こうすると落ち着きと安心感を得られるのだ。
この異常とも言える地で、私を私たらしめる唯一の物が、大総統閣下より賜ったこの銀時計だ。これがある限り私は”私”を確立出来る。
乱れていた呼吸、心音が整っていく。
汗も引き、体温も安定してきた。
随分と怠けてしまった。早く仕事に戻らなくては。
上着を羽織り腰を上げ、いざ駆け出そうとしたその時、微かな叫び声が聞こえた。叫び声自体は
それでも私が足を止めたのは――
「衛生兵ー!!」
――”私”を必要としている声だったからだ。この二度目の呼び声で凡その方向は確認出来た。両脚に力を籠めて一気に加速する。
地を駆け、壁を蹴り、塀を飛び越え。回り道している暇は無い。戦場での怪我は死に直結する物が大半であり、兵の損失は隊の損失に、延いては軍の、わが国の敗北に繋がるのだ。それを防ぐ為の第一歩として”私”を待っている現場へ、苦しみに喘ぐ負傷兵へと急ぐのだ。
私を求める者がいる、その事実に確かな高揚を感じてしまう。粘りつく様な、たやすく濯ぐ事は出来ない興奮。この極限の環境下で初めて味わった仄暗い快感。声の許へ急ぎながら、私は耐え難い喜びを確かに感じていた。
現場へは走り出してから数分もしない内に到着した。
壁を背にしている兵が五人。どうやらまだ戦闘中らしく、各々が銃を手にして散発的に壁の向こうへ牽制射撃を行っている。そしてその傍らには仰向けに倒れている兵が一人。
「衛生兵到着しました。状況を!」
「来てくれたか、ありが……ッ!? し、失礼しました!少佐殿!」
肩の階級章を見たのだろう、目の前の中尉が言葉遣いを改め敬礼をした。
平時より少佐相当官の地位を持つ国家錬金術師だ。それはこの環境でも例外ではなく、私も配属された際に一個小隊を任される事となった。だが軍隊経験などまるで無い私が、いきなり現場で采配を揮えるワケが無い。故に私の隊は、直下の部下であるアイザック少尉に全指揮を任せ、隊の名も彼の名義で統一してもらっている。
下手に素人が触れるべきでは無い。
「それよりも負傷した者の容態を。敵の足止めも続けたままで!」
「は、はいッ!!」
患部は
――――左脇腹の上部に銃創一ヵ所
弾は抜けたか
――――貫通はしていない
経過時間は
――――三分と経っていない
意識は
――――しっかりとしている
吐血は
――――まだ無い
見た限りでは、外腹斜筋と前鋸筋の間を破る位置に被弾している。貫通していないという事は筋肉を抜け肋骨で止まったのか、或いは内臓で弾道が変わり止まったのか。前者はともかく後者であれば非常に不味い。この位置の場合、被弾するであろう内臓とは肺だ。もし肺に被弾していたならば、溢れ出る彼自身の血液で肺胞が満たされそのまま溺れてしまう。そうなると筆舌に尽くし難い苦しみの中で死ぬ事になる。しかし、診た所まだ呼吸は比較的安定しており、水音を伴う咳も無い。経過時間が短く判断が難しいが、少なくとも肺にそこまでの大きな損傷は無いようだ。
かと言って前者であったとしても絶対安静の重傷である事に違いは無い。仮に骨で止まっていたとしても、その骨が折れていたなら無事だった内臓を傷つけてしまう恐れもある。
何にせよ、まずは弾丸を摘出してからだ。このまま傷口を治す事は出来るが、弾丸を長時間体内に残していると鉛中毒の原因となる。しかし悠長に
「彼の四肢を押さえてください。……少々荒くなるので」
故に最低限の工程で施術する事にした。
横たわる彼の胴を僅かに持ち上げ、その隙間に携帯している治療用の
続いて手術用手袋を着用し手と患者の傷口周辺を消毒する。そのまま患部付近へ、モルヒネ注射を施す。
さらに持参した手術道具から、もう1つ練成陣を取り出した。
1秒すら惜しいこの場では、彼の体を切り開き、行方不明となった弾丸を探す時間など無い。
ここは彼自身の体で弾丸を追い出してもらおう。
「聞こえますか?今から貴方を治します!いいですか?私が絶対に、貴方を治します!ですから、貴方も頑張ってください!」
気休め程度の声かけ。だが生死に関わる状況では、この”気休め程度”が時に結果を左右する。
「了解です……!お願いします、少佐……!」
堪らず心が高揚してしまう。喜び、感動、焦燥。様々な想いが渦巻く。私は今、この場で、人々に、必要とされているのだ。
この瞬間こそが、私の生涯の彩りとなるのだ。
そして、”必要”に応えてこそ、その彩りはより完璧な色へと近づく。
目の前の彼は確かに弱ってはいる、しかし心は折れていない。これなら耐えてくれるだろう。
返事にうなずき、手にしたスクロールを患部へと押し当てる。練成反応が起こり、効果はすぐに現れた。
絶叫。
彼の体が大きく跳ね、痙攣する。耳を塞ぎたくなる程の悲鳴が、彼の口から飛び出し続ける。
今押し当てた練成陣は、内臓を”作る”式が描かれている。患者自身の内臓を材料にして、損傷した内臓を”作り直している”のだ。
近年の医療では内臓を移植する実験が行われているが、まだ実用的とは言えないのが現状だ。どうにも他人の臓器を移植するには相性が大事、との事らしい。
ならばと私が試したのが、この術である。患者の内臓を使い、患者自身の内臓を作る。無駄が無く、そして無理の少ない手術だ。内臓が飛び出ていたり大きく欠けていたのなら使用は出来ないが、今回必要な物は全て患者の体内に揃っている。
「しょ、少佐殿!本当に大丈夫なのですか!?」
彼の腕を押さえている中尉が、あまりの反応に心配したのか不安げに問いかけてくる。
「問題ありません!……彼を押さえ続けて!」
確かに不安にもなるだろう。治療らしき物を施された部下が目の前で、断末魔を上げながらのた打ち回っているのだから。
だがその事を気にかけている暇は無い。冷静に、患者の健康な内臓をイメージし、施術に努めなくてはなくてはならない。
肺、胃、及びその周辺を”奥”から作り直し、外へと進める。残っている異物を押し出すように、新品の体へと作り直していく。
「……弾丸、摘出しました!」
患部付近の中身をすっかり直し終えた時、銃創から血の塊と共に、変形した弾丸が吐き出された。
すかさず始めに敷いた練成陣を発動させ、体に開いた穴を治療する。
流石に気を失ってしまった様だが、その呼吸は徐々に落ち着きを取り戻している。
患者には無理を強いてしまったが、少なくともこの怪我で死ぬ事は無くなった。
「……終わりました。患者を連れて後方へ下がってください。何人かは私の後へ続いてください」
ここまでは、人々に必要とされる
そしてここからは、国に必要とされる
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