ある錬金術師の話   作:U-G

3 / 7
転機

 目が覚めた時、研究記録を書き終えた日から三日も経っていた。

 電話も繋がらず、何時になっても出勤しない私を心配して尋ねて来た同僚が、紙だらけの自室で昏倒しているのを発見してくれたらしい。そのまま私は病院(職場)に搬送され、急いで医者(上司)が診たところ、極度の疲労と軽度の栄養失調と診断された。『医者の不養生』とはよく聞く笑い話ではあるが、実際に当事者になるとこれほど笑えない話も無いだろう。病室で目覚めたまさにその時、腕には点滴で栄養剤が注がれ、口には呼吸器。下半身からはカテーテルが尿瓶へと繋がっていたのだ。状況を把握するのにたっぷり五分は必要だった。そして把握した後に叫びそうになったが、体力の低下からなのか震えた掠れ声が出ただけで終わった。あと数年で三十路になろうかという成人男性が、悲惨極まりない姿で横たわっていた。

 『死ぬほど恥ずかしい思い』とはああいう事を指すに違いない。己の無力さを痛感しながら亡き父と母に精一杯の謝罪をするしかなかった。今思い出しても頭を抱えたくなる。

 怒りに満ちた笑顔の上司が状況説明してくれたのは、更に十五分ほど経過してからだった。

 

「おはようスティール君、実に清々しい朝だ。君もそう思わないかね?」

 

 来室した上司、ザーランド氏が目覚めた私へ最初にかけた言葉だ――その時の時刻は午後三時過ぎ、そして彼の側頭部には青筋が走っていた事を付け加えておく――。

 

「ああ、楽にしたまえ。現在君の体力は極限まで低下しているのだよ。言いたい事は山の様にあるが、まずは尋ねようじゃないか。……何をしていたのかね?」

 

 何があったと訊かなかった辺り、やはり大方の事情は把握していたのだろう。人間、気弱になると見えない物が見えると言うがどうやら本当の事のようだ。私が説明していた間、彼の背後から黒い炎の様な謎の揺らめきが見えた気がしたが絶対に気のせいだ。そうに決まっている。

 喉の調子を確かめる様にゆっくりと自身がこうなってしまった経緯を――国家錬金術師云々は省いて――説明した。その間、彼はじっと黙って耳を傾けていたが、私が話し終えた途端に大きなため息をついた。

 

「……少しは普段の職場を観察してはどうかね?君は己を取り巻く環境が読めない人間ではないだろう?」

 

 遅すぎた忠告。錬金術治療を止めろと、そう言っている。

 実の所、錬金術を使用した私の治療法は一部の同僚からは好く思われていなかった。向こう側から見れば、自分達が時には何日もかけて築く”完治”という評判を、私の治療法はほんの一瞬で得てしまうのだ。故に患者は私の方へと診察を要求する、それが彼等は気に入らないのだ。要するに単なる嫉妬、やっかみでしかない。これをくだらない等と思ってしまうのは、私が”持っている”側だからなのだろうか。たとえそうであったとしても私にとって彼等の言葉は”くだらない”の一言に尽きる。使える物は全て使い、患者を治療する。たとえそれがどれほど小さな怪我や病気であったとしても、放って置いても治る物だとしてもだ。患者(かれら)が頼ってきた以上、医者(われわれ)はその思いに応える義務がある。

 

「お言葉ですが、私の理想と彼らの理想は違うようなので」

「……ふむ。なるほど、なるほど」

 

 ザーランド氏は顎に手をやり何度も頷く。だがそれは私の返答に対してではなく、何か別の物を見て頷いているように感じた。

 

「スティール君、君は退院したらそのまま自宅療養だ」

 

 唐突な言葉に思考が止まった。別段長引くような症状でもない、それなのに復帰ではなく自宅療養の診断。これはつまり、暗に自宅で謹慎していろと言っているのだ。すぐに”何故”という疑問が湧いて出たが、その疑問が口を飛び出す前に答えが返ってきた。

 

「君の理想と技術は立派だが、この医院では些か先進的過ぎるのだよ。……君は皆にとって不和の元凶となりかねんのだ」

 

 反論を許さない強い口調。顔が熱くなり血が上るのを感じた。

 なぜ私なのだ、なぜ醜い嫉妬に歪む奴等ではないのだ、私は間違っているのか。

 そもそも、この力を認めてくれたのは、貴方ではなかったのか。

 気持ちの悪い感情が湧き上がってくる。

 

「無論、君が優秀な医者だというのは私が一番理解している。しかしだね、ここではそう思わない者が多いのだよ。君の周りや、私の周りにもね」

 

 このままでは君は潰されてしまうよ。彼はそう言い残し部屋を出ていった。

 一人部屋に残され、私は困惑した。ただ、ほんの少し熱が冷めたおかげで先程の言葉を反芻する余裕が生まれた。今まで好くしてくれた方の言葉だ、裏にどのような思惑があるかは判らないが、少なくとも私の事を案じてくれたのだろうと信じる。それでも入院中は、やり場のない感情が頭の中を廻った。

 

 その数日後無事に退院した私は、”診断”に従い自分の家で時間を過ごす事を決めた。大方、氏よりも更に上の者が下した決定だろう。だが大人しく療養するつもりは毛頭無かった。たかが一病院内のしがらみだ。そんな物に振り回され周りの目に怯えていては、目の前の患者を治すなど到底叶わないではないか。新しい技術を模索して何が悪い。停滞しているだけでは未来など訪れる筈も無いのだ。

 ザーランド医師から言い渡された診断は無期限の自宅療養。ならば、その無期限とやらを有効に活用してやろうではないか。

 

 まず手始めに体力不足の改善を目指した。これは研究中も感じていた事だが、今まで机に噛り付いていただけのデスクワーカーが、いきなり自分の筋肉どうこうしたところで体が追いつく筈も無い。その結果があの入院だ。体力を向上させ、術に耐えられる体に作り変える。延いては効果を底上げするのにも役立つだろう。いくら筋力を強化すると言っても無い所から持ってくる訳ではない。錬金術の基礎は等価交換、元の力を上げるのに越したことは無い。

 昼間は鍛錬、夜は研究という奇妙な療養生活が続いた。今思えばそれまでの私はかなり不健康な生活を送っており、食事は一日に軽く一食か二食、固形物を口にしない日が続く時もあった。これではいけない。鍛錬をするには当然それらを根本的に見直す必要がある。

 知り合いの栄養士に相談し、理想的な食生活を指導してもらう。当時の食事を話すと凄まじい剣幕で怒られてしまい、もちろん食事回数は一日最低三食となった。そして外科医としての知識を総動員し鍛錬を繰り返す。初めは夜毎に訪れる筋肉痛に悩まされ、夜間の研究どころか家事もままならない日々が続いた。しかし一ヶ月経つと研究を再開出来るようになり、三ヶ月が経ち体重が増え始め、半年が経過した頃には私の体は見違えるようになっていた。急造の肉体ではあるが、これならある程度は耐えられるだろう。ちなみに鍛錬は今も継続して行っている。

 研究の方も順調だった。安定、安全といった細かい課題点を一つずつ潰していき、入院前と比べるとかなり実用性が見えてきたのだ。走る、跳ぶ、投げる、持ち上げるといった人間の基礎的な運動で目覚しい効果を上げ、またそれらの持続力も大幅に向上する事が出来た。

 

 その後、私はあの医院を辞める事にした。目標へ向けて自分を追い込む為でもあるが、あの場所に価値を見出せなくなったのが何よりの決定打になった。国家資格を取得して凱旋したとしよう。だが市井の錬金術を使うだけで嫉妬されるような場所だ、その敵意は更に顕著な物になるに違いない。それに復帰したとて元の立場にそのまま戻るとは考えにくい。十中八九、閑職に追いやられるだろう。出世に意欲的だったわけではないが、使える権限は多いに越した事はない。

 ザーランド氏に退職の意を告げた時、諦めに似た表情をされたのが印象的だった。唯一の心残りを挙げるのであれば、目をかけてくれた恩に何一つ礼が出来なかった事だ。

 

「そうか……。やはり、去るのかね……」

「はい。今まで有難うございました」

 

 氏の執務室には様々な医学書や解剖図鑑、中には専門以外の本もある。何冊かは私も貸してもらった物もあり大変勉強になったのを覚えている。幾度も訪ねた部屋だが、改めて目に焼き付けるようにしっかりと見据えた。心境が変わるとこんなにも見え方が変わってくるのだろうか。

 

「思えば、君には辛い立場を強いてばかりだったな。誠に申し訳ない」

 

 深々と頭を下げられしまい慌ててそれを制止する。これは私が自分の意思で下した決断だ、頭を下げてもらう事など何一つ無い。こちらも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

「今後どうするか、もし悩んだらいつでも来なさい。信頼出来る医院を紹介しよう」

 

 本当に何から何まで世話をかけて下さり有難い事この上ない。可能ならこの人の下で働き続けたかったが、今となっては叶わぬ夢だ。

 再度御礼を述べ、もう一度部屋を見渡して退室した。

 これで後に引けなくなった。無論後退するつもりなど無い、覚悟してただ只管に前進するのみだ。

 

 私はその足で中央(セントラル)行きの列車へと乗り込んだ。目指すは国軍中央司令部、試験会場だ。




次回やっと国家試験を受けたお話。

原作との食い違いや誤字等があれば、ご指摘願います

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。