間が空きましたが続きです。
「御母堂殿、これから向かう先に一人の者があなたを待っております。その者の事柄はその場に待っている者にお聞きするが良いと思います。」
その言葉を最後に幻灯館主人は口を瞑った。
その直後、前方の藪がガサリと音を立てる。
兼相とブリュンヒルデは即座に反応し腰の剣に手を掛け臨戦態勢に入った。
「何者!」
ブリュンヒルデが声を上げる。
その声に反応するかの様に一人の男が藪の中から転げる様に姿を現した。
「お、お待ちくだされ。某、鉢屋衆第七班に所属する者にて旦那様に火急の用にて参上仕りました次第。」
男は膝を折り慌てているのか早口に事情を説明する。
兼相とブリュンヒルデも男の顔に見覚えがあった為、警戒を解き幻灯館主人を仰ぎみた。
幻灯館主人は平静を装いながら男に話しかける。
「七班と言う事は飛脚業の者か。何があった?」
そう問いかけられるが男は口を閉じたまま視線をキョロキョロと周りに向けた後幻灯館主人に近づくと声を潜め
「大っぴらには出来ぬ事柄ゆえ皆様には申し訳ありませぬが旦那様お一人に。」
そう言って男は幻灯館主人に近づくと努めて冷静な声色で耳打ちをする。
最初こそ冷静に表情を変えずに話を聞いていた幻灯館主人だったが、話が核心に進むにつれその表情は強張った物に変わっていった。
話を聞き終えると馬車を止めさせ御車台から降りた幻灯館主人は周りに居る者達にゆっくりと視線を向け口を開いた。
「急用が出来た。兼相とヒルデ、源内はこのまま御母堂を例の場所へお連れしてくれ。宗意軒、すまないが君は俺と一緒に来てくれないか。」
そう言い終えると幻灯館主人は森宗意軒を伴い鉢屋衆の一人が連れて来た馬に乗り足早に掛けていった。
あまりの急展開に兼相とブリュンヒルデはポカンとした表情を見せるが、気を引き締め直すと幻灯館主人の指示通りに目的の場所へと再び馬車モドキを出発させた。
その日の夕刻、太陽が山の向こうから僅かに姿を見せている時間帯、空が茜色に染まる頃に一行は目的の場所に到着した。
そこは観音寺城と小谷城の丁度中間地点にある山の中腹。
そこには人々から忘れられた古い廃寺がひっそりと建っていた。
馬車モドキは正門には目もくれずに門前の階段を通り過ぎる。
しばらく行くと脇道がありそれは正門へと続く階段とは違い緩やかな登り道であった。
ちょうど山を半周する様に仕立てられた道は廃寺の裏門へと続く。
馬車モドキから裏門が見えた頃、同時に人影も確認出来た。
朱袴に白い着物の巫女装束を纏った金髪の少女が腕を腰に当て威風堂々のポーズで馬車モドキの到着を待っていた。
その姿を確認した兼相の背に冷たい物が流れる。
その理由は?
それは少女が実に退屈そうに見えたからであった。
恐らくは、いや確実に到着するや退屈晴らしに罵詈雑言を投げかけてくるであろう。
そんな兼相の心配を余所に馬車モドキは無事に廃寺に到着した。
金髪巫女少女、我らがやんちゃ姫雫ちゃんはゆっくりとした足取りで馬車モドキに近づくとドアを二回、コンコンと静かにノックする。
僅かに間があった後ドアが開かれ、まずは源内が降りてくる。
地に足を付けた源内は右手を差し出し小野殿の手助けに入った。
小野殿が源内同用地に足を付けた事を確認すると雫が口を開いた。
「遠路遙々よう御輿くださった。汚い所ではあるが、この奥で御母堂を待って居る者がおります。話はその者から。」
言って小さな体をペコリと折った。
その仕草を見た小野殿は暗くなっていた気持ちが幾分和らいだのか、慈愛に満ちた笑みを浮かべると
「これは丁寧なご挨拶を。ありがとう。」
そう言葉を残し源内を伴い廃寺に入っていった。
廃寺に入ったは良いが何せ此処は初めて訪れる場所、伴って案内役の様に歩く源内にとっても同様だ。
さて、どうした物かと表情には出さず苦悶する源内に光明が現れる。
目の前をトテトテと右へ左へと右往左往する人影が見える。
どうやらトンボを追っているようだ。
両の手に四つ切りにされたスイカを持って。
自分の身長程の黒髪をなびかせて。
源内は意を決し声を掛ける。
「芽衣。」
「ほい。」
呼びかけられ返事を返す。
これはこれで正しいのだろう。
しかし女の子が名前を呼ばれて返事が「ほい」は無いのではなかろうかと源内は思う。
そんな源内の思惑は気にもせず芽衣はトテトテと近寄って来た。
そして……
「たべる?」
食べかけのスイカを差し出して来た。
それも自分、平賀源内の前では無く小野殿の前に。
さみしそうな顔のおまけ付きで。
小野殿は先ほど雫に見せた様な慈愛に満ちた笑みを浮かべると芽衣に言葉をかける。
「妾は今腹一杯じゃ。それはそなたの物、そなたが食すが良い。」
そう言ってお面とポ二テで面積が狭くなった芽衣の頭を優しく撫でた。
頭を撫でられたのが嬉しかったのか、それともスイカを取られなかった事にほっとしたのか芽衣は満面の笑みを浮かべ
「うん!」
と元気よく返事を返した。
話が一段落したことを確信した源内は再び芽衣に声をかける。
「ねえ芽衣。あの方達はどちらに?」
言われた芽衣はスイカをかじりながら首をチョコンと傾げ
「あっち。」
右手人差し指で左前方を指さす。
さされた方角に目をやると垣根に隠れる様に玄関口が見えた。
源内は小野殿を連れ玄関口へと足を進める。
戸口の前にたどり着くとそこで足を止め中の者に聞こえる様に声を上げる。
「源内です。御母堂をお連れ致しました。」
凛とした声が響き終えると僅かな静寂が訪れる。
しばしの後、トントンと板を叩く様な足音が響き寺の中から「どうぞ」と声がかかる。
声を確認した源内は静かに礼儀正しく失礼の無い様に戸口を開けた。
中にはピンと背筋を正し奇麗な姿勢の正座でこちらを迎える女性が一人。
立ち上がれば膝まであるであろう黒髪を背後に垂らし、黒眼がちな瞳を持つ女性。
正座の姿勢からゆっくりと腰を折り一礼すると女性、土御門有脩は口を開く。
「遠路遙々良う御越しくださいました。わたくし土御門有脩と申します。」
言って頭を上げると右足を半歩引き半身の姿勢で右手を挙げ奥へと小野殿を誘う。
小野殿は一度頭を下げ礼を取ると有脩に促され有脩の跡に続き奥へと歩を進める。
小野殿は表情には余り出さないが何が起こっているのかが不明の為、少々不安げだ。
それを知ってか知らずか、まあ有脩にとってはどうでもいい事なのだろうが、前を向いたまま小野殿に声をかける。
「御母堂、ここでそなたを待っていたのは妾では無い。別の者じゃ。」
先ほどのかしこまった言葉とは打って変っていつもの言葉で有脩は語りかけた。
その後は沈黙が支配し一行は奥の座敷に到着する。
有脩は小野殿に上座を勧め自身は下座に着席する。
源内も同様に有脩の隣に位置を取った。
お茶が出され一息ついた所で有脩が話を切り出した。
「まずは小野殿。賢政殿の事、お悔やみ申し上げる。」
小野殿は目を伏せ小さく頭を下げ言葉を受け取る。
「小野殿。ご自身が御産みになったややこが双子であったと言う事はご存じか?」
有脩のこの衝撃発言に小野殿は驚きを顕にする。
それはそうだろう、自分は賢政一人しか産んではいないのだから。
しかし有脩の言葉は続く。
「小野殿がややこを御産みになった年、空には凶星が煌く年だったそうじゃ。そして生まれたややこは災いを呼ぶと言われる双子じゃった。浅井の繁栄のみを願う一部の者達は秘密裏にどちらかの命を奪う事にしたそうじゃ。じゃがな、産婆がそれを不憫に思うたらしくてな、朝倉の筋を頼って若狭の土御門に連絡を取ってきそうじゃ。子を預かって欲しいとな。」
ここで一旦言葉を切ると有脩は後の襖に声をかける。
「入られよ。」
襖がスッと音も無く開き浅黄色の簡素な小袖を纏った少女が現れる。
板張りの廊下に姿勢正しく正座をし深く頭をさげていた。
「頭を上げなさい。」
有脩にそう促され少女はゆっくりと頭を上げる。
美しい黒髪を腰のあたりまで伸ばしたキリリとした表情の美少女。
その少女の顔を見たとたん小野殿は一瞬表情を崩した。
その一瞬を有脩は見逃さずに言葉を挟む。
此処まで来て感動巨編など今までの事が水泡に消えてしまう。
それだけは避けなければならない。
だからこそ口を挟む。
「この者が土御門家で預かっていた者。名は新九郎と言う。」
「は、初めまして母上。新九朗に御座います。」
言って再度頭を下げた。
その表情は唇を噛み締め必死に何かを耐えていた。
小野殿は少女の表情で全てを理解した。
いや、理解してしまった。
そして馬車モドキの中で聞いたあの言葉が蘇る。
浅井賢政は死んでいなければいけない
そう、そうなのだ。
もし賢政が生きている事が世間に知られたならば浅井と六角の間で戦が起こるだろう。
なにせペテンに満ちた三文芝居で六角家を欺いたのだから。
そして六角家と縁のある諸大名達は浅井を罵倒し六角に味方するだろう。
そうなったら浅井は終わりだ。
だからこその嘘。
母娘が再び出会うにはこの方法しかなかった。
しかし小野殿は彼らに感謝こそすれ憎む事はなかった。
なぜなら彼らは自分達とは縁もゆかりも無い者達だからだ。
その者達がお訊ね者になる可能性も恐れず自分達母娘の為に知恵を絞って出来うる最大限の贈り物をしてくれたのだ。
だからこそ小野殿は一つ頭を下げるとこう言った。
「そう、わらわが母じゃ。久しぶりじゃな新九郎。」
そう言うと足早に少女の近くに寄ると力強く抱きしめる。
抱きしめながら有脩、源内の方に視線を向け。
「賢政は失ったが、浅井には、この母には新九郎がおる。これからは賢政の分も新九郎を守って行こうと思う。そなたら、母は感謝の念に堪えぬ。ありがとう。ほんにありがとう。」
その後約一月、浅井母娘と幻灯館メンバーはこの廃寺で過ごし細々とした打ち合わせをした後、近江、小谷城へ向け出立する運びとなった。
出発の朝、廃寺の庭、その片隅に集まる影があった。
その影の正体は雫、源内、有脩の狐三姉妹と鉢屋衆の一人。
現在この三人は鉢屋の者からこの一月に尾張で起こった事の詳細を聞いていた。
「な、なんじゃと! ほんに真なのか?」
「はい。全て真実でございます。」
雫の驚きに鉢屋の者は落ち着いて返す。
「しかしまさか……いや、ある意味必然なのかものう。何せ主様は王なのじゃからな。」
「そうなのですか?」
一人納得の意を示す有脩とどこか他人事の様な態度をする源内。
「うーむ。源内殿、そなたはえらく落ち着いているのう。」
「そうですか?もしそうだとしたらそれは……」
そう言って源内は自身の下腹部辺りを優しく撫でる。
「なっ! 白狐、キサマまさか!」
「おのれ! 白ちゃん、いつの間に!」
源内の行動を見て雫と有脩が喰ってかかる。
源内は言葉にこそ出さなかったが行動はこう言っていた。
子が出来たと。
もはや鉢屋の者などどうでも良い。
今はこの最重要事項の確認が先である。
鬼の様な、いや、獰猛な肉食獣の様な表情の二人に対して源内は臆する事無く朗らかな表情で
「冗談ですよ。」
言ってニッコリと笑顔を浮かべる。
これにカチンと来たのが金と黒の狐姉妹の長女と末妹。
「おにょれブラックストマック。」
「ほんに。ほんにのう、狐と言う物の本質を一番突いておるのはこの腹黒白狐じゃな。」
「二人とも何気に酷いですよ。失礼ですよ。」
「「オノレの冗談の方がエゲツなさすぎるのじゃ!」」
そう言ってニラミ合う三人。
その中で一番最初に緊張を解いたのは驚いた事に我らがやんちゃ姫、雫だった。
「ふーぅ。しかしのう、我が旦那様ながらなんともまあ数奇な運命をたどるものじゃなぁ。」
「どう言う事じゃ子狐。」
「そうですよ。どう言う事です?」
雫の意味不明な言葉に源内と有脩が質問を口にする。
問われた雫としても何と言って良いか解らずしばし逡巡した後
「そうじゃのう。なんと言ったら良いのか……慣れ親しんだ昔話の主人公に感情移入して心配しておったら実は自分が主人公。みたいな。」
雫のあいまいな説明に首をひねる二人だったが、まず最初に源内が口を開く。
「なんとなくは解ります。言いたい事は意味不明ですが。」
「そうじゃのう。話の核心は……理解と言うよりも感じ取れると言った所か。」
そう言った二人の感想に雫は一度頷くと
「いずれ解る。そういずれ。」
そう呟くに留まった。
「そう言えば源内殿。」
「なんですか?」
「お主、えらく平静じゃが何とも思わんのか?」
「思いませんよ。今まで二人だった旦那様が三人になっただけですから。今までの旦那様が無かった事になるのなら慌てもしますが、違うんでしょ?」
そう言って鉢屋の者に視線を向ける。
「はい。旦那様の言い回しを忠実に再現すれば、そう言う配役になったか。との事です。」
それを確認した源内は雫、有脩に視線を向け「ほら」とほほ笑む。
そしてほほ笑んだ後、表情を引き締め
「ですが、今まで以上に気を引き締めねばならないでしょうね。」
「そうじゃな。鉢屋の者よ、警護班にこのように伝えてくれ。主様の身辺警護の段階を一つ上げよと。」
「は。」
源内、有脩の言葉でこの秘密会議はお開きとなった。
読んで頂いてお分かりでしょうが、もう一話続きます。
お付き合いのほどよろしくお願いします。