織田信奈の野望〜ぬらりひょんと狐の嫁入り〜   作:海野入鹿

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場所を観音寺城に移して。
そして、彼女の登場です。


第三話

 その日の朝、観音寺城で起きた小さな怪異譚は日が暮れる頃には観音寺城と言う場所を恐怖で包んでいた。

 だが例外と言う物はどこにでもある物でこの城の中にもこの例に即す者がいた。

 その者の名は浅井賢政。

 キリリとした整った目鼻立ちにつややかな黒髪。

 まるで宝塚や歌劇団の男役の様に見える。

 しかし本来は柔和な表情を浮かべる心優しき一人の少女。

 今、彼女は一人観音寺城の外へ出ていた。

 普段ならば決してそんな事は出来ないのだが、今日は少々違っていた。

 今、観音寺城は怪異の噂で持ち切りであり、本来ならば、今彼女が居る場所にも警備の兵の目が光っているのだが、先の騒動の影響で今はそちらに警備が集中している為手薄になっていた。

 彼女が目指す場所、それは薬泉と呼ばれる泉の反対側、そこには清水がわき出した小さな沢である。

 足早に、極力足音をさせない様に急いで沢へと向かう。

 泉にたどり着いた賢政は一度大きく深呼吸をし何かを決意する様にギュッと目をつむった後袴の帯に手を掛ける。

 するりと帯が解かれ袴を脱ぐ。

 それを近くの枝に丁寧に畳んだ後掛けると、着物の帯を解きにかかる。

 着物も袴同様するりと脱ぐと同じように枝に掛ける。

 今彼女が身につけている物は下半身を覆う褌と胸に異様なまでに硬く締め付けられているサラシのみであった。

 結び目を解きゆっくりと悩ましげな吐息を漏らしながらサラシをほどいて行く。

 汗で濡れた白い布が解かれて行くたび、彼女の年相応の瑞々しい肌が解放されていった。

 後少しで全てのサラシが解かれると言うタイミングで賢政はそっと左腕で胸を隠すように抑え残ったサラシを引き抜く。

 

「ふぅ。いくら護身の為とはいえ、これだけ強く捲かねばならぬとは……我ながら忌々しい乳だ。」

 

 同い年の少女たちよりも幾分大きく育った自身の乳房をむにむにと揉みながら賢政は諦めの様な独白を溜息と共に吐き出した。

 その後ゆっくりと膝を折ると持ってきた手ぬぐいを沢の水にさらし硬く絞った後自分の体を拭いて行く。

 首筋から脇へ、もう一度手ぬぐいを絞りなおし胸から腹へと。

 育った乳房を持ち上げ奇麗に拭き取ると水際に腰掛け足を沢の清水に晒す。

 ひんやりとした感触が全身を覆う。

 ほっと日頃の緊張が緩むとこのまま逃げ出してしまいたい、そんな感情が賢政の全身を支配して行く。

 九割九分、その感情が賢政を支配しようとしていた時、僅かに残った感情が賢政にある人物の影を見せる。

 

「ち、父上……。」

 

 その瞬間、両の眼から涙があふれて来た。

 両の手で顔を覆いながら自身の中に渦を巻いていた物が口から吐き出されて行く。

 小さな声、嗚咽と共に吐き出される呪詛の様な誰にも届かない声。

 誰にも届かない、誰にも言ってはいけない、誰にも知られてはいけない、自分の中に確かに存在する猿夜叉丸と言う少女の声。

 逃げ出したいと言う猿夜叉丸と浅井という家を守れと言う賢政の声、どちらの声も彼女の声でありどちらの願いも彼女の物だった。

 一度堰を切った言葉は止める事が出来ず涙と共にあふれ出る。

 

「助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、……」

 

 その小さな呟きだけが静寂の森に吸い込まれていった。

 誰も居ないと知っていた。

 助けなど来ないと解っていた。

 救いなんてないと……誰も私を救ってなどくれないと。

 

「夜の散歩はして見るもんだな。天女の水浴びなぞ一生かかっても見られないだろうからな。」

 

 背後から声が聞こえた。

 それも男の声。

 賢政はとっさに身を翻し木の根元に置いた護身刀に手を掛けようとした。

 後少しで手が届くそう思った瞬間、体が固まってしまった。

 その理由は?

 それは恐怖。

 静寂が包む森の中、その漆黒の世界に映る人影らしきものと深紅に輝く一つの光。

 この世の者では無い何かが自分をさらいに来たのだろうか?

 その考えに至った時、賢政は心が軽くなるのを感じた。

 もう苦しまなくてもいいんだ、と。

 だが、現実は違っていた、全く別の方角に。

 

「なんじゃお前様。一人で出て行ったかと思えばのぞきかや? そんなに見たければわらわの入浴を見れば良かろうに。」

 

 影の様な男の背後から金色の物体が這い上がって来て男に語りかけている。

 

「ん、お前を覗くのか? しかし雫さんや、お前ぺったんこだろ。」

 

「なにを言う。あと五年もすればバインバインのダイナマイトバデーじゃぞ。」

 

「五年か。」

 

「五年じゃ。」

 

「そうなると、おれは三十路に突入だ。」

 

「よいではないかお前様よ。三十路男がJCの嫁を貰えるのじゃぞ。」

 

「そうだなー。しかし現状は三十路前の男の嫁は幼稚園児だからな。」

 

 雫の実年齢は幼稚園児では無いのだが、見た目はどこからどう見ても幼稚園児なのだった。

 

「そこはそれじゃよお前様よ。で、のぞきは楽しかったかや?」

 

 いやらしい笑みを浮かべながら雫が問う。

 自分が優位に立った事がよほど嬉しいのだろう。

 だが、相手はあの男、そうは問屋が卸さない。

 

「雫さんや、覗きとは失敬な物言いだな。いいか、これは遭遇と言う物だ。」

 

「遭遇、じゃと。」

 

 訝しげに表情を歪めながら雫が問いかける。

 

「そうだ。昔話にあるだろう。天女との接近遭遇時、天女は必ず沐浴中だ。」

 

「なるほど。それならばしかたなかろう。この話をお姉さまや白ちゃんとすり合わせるとしようかのぅ。」

 

 その言葉を聞くか否や男は雫の襟首を掴みグワングワン振りながら

 

「お前、あの二人に話したら俺がどうなるか知ってて言ってんのか!」

 

「とうぜんじゃ。」

 

 睨みあう二人。

 そしてどちらかとも無く

 

 

「「あっはっはっはっ」」

 

 

 笑いだした。

 

「しかし久しぶりじゃのう。お前様と二人きりでのこのようなやり取りは。」

 

「そうだな。だが二人じゃ無いだろ。ほら。」

 

 男は親指であらぬ方向を指差す。

 雫は指を追う様に視線を向け、そして

 

「なんじゃ、バインバインがまだおるぞ。それもまる出しじゃ! お前様、眼福じゃぞ! そしてお主は早よう服ぐらい着ぬか。」

 

 雫の言葉に賢政は正気に戻ったのか両腕で胸元を隠し背を向ける様な姿勢を取りながら

 

「き、貴様ら何者だ! 何が目的なんだ!」

 

 毅然とした態度を取る賢政。

 その表情、雰囲気からは少女猿夜叉丸の影は無く浅井賢政だった。

 その打って変わってしまった賢政の表情を見た影の男は

 

「ふうん。」

 

 と誰に聞こえるでも無い声を漏らすだけだった。

 しかしその声色はどこか不愉快さが漏れていた。

 

「なぜ黙っている! お前達は何者だ!」

 

 賢政の叱責は続いている。

 だが、影の男は沈黙を守る。

 まるでさっきの馬鹿な会話が無かったかのように。

 賢政と影の男との睨み合い、どれほどの時がたっただろうか、いや、それはほんの一瞬の事だっただろう。

 だが、一瞬の出来事であっても賢政には長い時間に感じた。

 清水で清めたはずの肌からは油汗が吹き出しその豊かな胸の谷間にはうっすらと汗が溜まる。

 何か行動をしなければ気がおかしくなる。

 そう感じた賢政が行動を起こそうとしたその時、頭上で音がした。

 賢政と雫の視線が上方、賢政の背後の木の上に注がれる。

 そこには

 

「まったく、どこへ行ったかと思えば~。賢政さま~お迎えにあがりましたよ~。」

 

 呑気な声で話しかけて来る少女忍び、伊賀崎道順がいた。

 

「ど、道順。お前、なんでここに?」

 

「なんでって? 探しに来たんじゃないですか~。心配しましたよ~、賢政さま。」

 

 言ってニコリと笑顔を浮かべる。

 緊張感など全く感じさせずに。

 

「賢政様もそう硬くならないでくださいねー。その人達からは殺気のさの字も感じませんから~。」

 

「本当なの、道順。」

 

「ええ。わたしが保障しますよ。ね、旅の人。」

 

 ニコニコと笑顔を浮かべ道順は場の空気を緩める事に成功した。

 しかし雫だけは表情がすぐれない。

 道順の何かが雫の感に障ったようだった。

 

「こりゃ、たんぽぽ! お主は礼儀と言う物をしらんのか! “まずは高い所から失礼します” じゃろうが!」

 

 どうやら一言挨拶が無かったのが気に入らないらしい。

 だが、これは仕方が無いことである。

 今の道順にとっての優先事項は賢政の保護であり、目の前の二人とは初見と言う事になっているからだ。

 普通、保護対象に近づく不審人物に挨拶はしない。

 それでも道順は出来た娘である。

 こんな状況でもちゃんと順応する芸達者。

 

「そうですね~。これは失礼しました~。はじめまして旅の御方。」

 

「うむ。」

 

 納得いったようである。

 そんな二人の馬鹿なやり取りを無視するかの様に影の男は賢政に近寄っていった。

 

「君の状況を見るに、こんな所で沐浴をしていると言う事は性別を隠しての生活、と言う事だろうね。」

 

 影の男は冷静に分析するかの様に言葉を紡ぐ。

 自身の今の状況を言い当てられた賢政はより強く両腕で自身を抱いた。

 今の自分の状況を言い当てられて恐怖したのだ。

 だが、影の男の仕草は演技であり、賢政の現在は全て事前に道順によってもたらされていた。

 しかし一筋縄ではいかないのがこの男。

 いらん事言いでは日ノ本一の男。

 

「君は今、耐え忍んでいるのだろうな。刃の下に心あり。いや、違うな。心を刃に抑えさせ、か。」

 

「き、貴様は何を言っている。」

 

 賢政は混乱する。

 こんな場所で、こんな状況で、目の前の男はなぜこうも平然と普通に会話を続けられるのだろうか。

 なぜこうも自分に関わろうとするのだろうか。

 男はそっと賢政に手を伸ばす。

 いままで貞操を奪われる事に苦しんでいた賢政にとってこれは恐怖でしか無かった。

 しかし男の手は賢政の女性らしい瑞々しい裸体では無く小さな形の良い頭部、頭の上に置かれた。

 ゆっくりと愛しむ様にゆっくりと賢政の頭を撫で、男は口を開いた。

 

「俺はね賢政殿、女の子の心には刃では無くあとを遺してほしいと思うんだよ。」

 

 そう言って影の男は腰に掛けていた小さな瓢箪をはずし蓋を取ると小さなそれに中身を注いだ。

 後ろにいた雫や、木の上の道順は気がつかなかったが瓢箪の中身は酒だった。

 それも諸白(もろはく)と呼ばれる澄んだ酒。

 その諸白にチョンと小指の先を浸した。

 その後は一瞬の出来事だった。

 影の男はその諸白で清めた小指の先で軽くトンと言った感じで賢政の心臓を左胸を突いた。

 

「えっ?」

 

 賢政は驚きの声を上げた。

 

「これは呪(しゅ)だ。」

 

「しゅ?」

 

「そう、俺は今、君の中の君に呪をかけた。決して失われない様に。」

 

 この時賢政は初めて男の顔を見た。

 目鼻立ちは整いかなりの美形の内に入る。

 だがその表情は優しげでありながら、どこか悲しげだった。

 まるで、そうまるで浅井賢政と言う少女の今後を見透かしているかのようだった。

 しかし、賢政は胸がトクンと跳ねるのを感じていた。

 自身を偽り、自分の性別を偽り続けて来たが為、一度も感じた事の無い感情だった。

 自身の感情に混乱する内、男は賢政から距離を取っていた。

 代わりに金色の少女、雫が近寄って来て賢政に話しかける。

 

「沈んだ表情じゃのう。次に出会う時は嘘偽りない笑顔のお主と会いたいものじゃな。」

 

 その言葉を最後に二つの影は賢政の前から去っていった。

 しばしの間気が抜けた様にその場にうずくまっていた賢政だがようやく何か思いついたかの様に素早く着物を着つけると足早に観音寺城へ向け歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 何事も無く観音寺城へ戻る事が出来、城外に出た事も知られなかったのか誰にも咎められる事はなかった。

 夜着に着替え布団の中で仰向きに寝転がった賢政は先ほどの男について考えていた。

 初めて男に肌を触られた。

 それは賢政が想像していた汚されると言う感触とは違っていた。

 撫でられた頭が暖かい。

 一瞬だったが触れられた左の乳房がトクントクンと小さく弾みむず痒い。

 そして暖かさを感じるあの謎かけの様な言葉。

 

「一体誰だったのあの人。それに心にあとを付けるって……。」

 

 そう言って天井に文字を書く様に右手を伸ばし空中に幾つもの文字を浮かばせる。

 

「後、痕、あとってなに? 後? 違う。じゃあ傷痕? それじゃあ刃の方がましか。あとの付く言葉……あとの意味……なにかの……あ、と。」

 

 ここで賢政の脳裏に閃きがあった。

 

「あと、何かのあと。遺跡。残されたあと。跡(あと)。心の跡。ちがう、心の上に跡……心の上に? それって…………恋?」

 

 そう思い当たった瞬間両目から涙があふれ出す。

 とめど無く、尽きる事無く。

 あの人は何て残酷で、優しい人なんだろう。

 何でもっと早く現われてくれなかったのだろう。

 何故あの人は自分の父や兄では無いのだろう。

 留めることなく忘れていた感情が賢政の内から湧きあがる。

 ああ、そうか、これが呪だ。あの人がかけたもう一人の自分、猿夜叉丸にかけた呪なのだ。

 

「助けて、助けて、助けて、………………助けて、お兄ちゃん。」

 

 いつの間にか初めて出会った男を兄と呼び幼子の様に繰り返し小さなつぶやきを賢政は漏らしていた。

 その日、賢政は夢を見た。

 久しぶりの安らげる夢だった。

 ただ、ただあの男の膝に抱かれ、頭を撫でられるだけ。

 そんな夢だった。

 

 




あとを残したあの男。
彼は彼女を救えるのか、それとも。

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