一晩をエヴァの家で明かしたのち、朝一番で俺はアーチャーを伴って学園長のところへ向かう。
今回のことはかなり迷惑をかけたので菓子折りもって謝るのが筋だが、疲れ切った体はそんなことを許してくれなかった。爆睡していたので既に朝早い。
ついでに言うと朝一番で向かったのは高畑さんの家だった。気分は初めて朝帰りした子供が親に叱られるのではないかと戦々恐々しているような感じ。
実際に体感したことはないけれども。
それはさておき、スーツに着替えて出勤してまずは学園長のところである。
「このたびはご迷惑をおかけしました」
「ふぉっふぉっふぉっ。なに、このくらいは軽いもんじゃよ」
快活に笑って許してくれる学園長。まぁ、彼にも恩恵があるのだし一概に怒鳴ることもしづらいのかもしれない。
「エヴァも君の軍門に下るということじゃし、今後文句を付けてくる輩も少なくなるじゃろう」
「しかし、その場合は僕が傀儡にされていると言い出す場合があるのでは?」
「もっともな質問じゃが、生憎と結界の中ではエヴァは吸血行為自体ほぼ出来ん。加えて呪いが消失したわけでもなし、外に出てネギ君を手駒にすることは出来んからのぅ。懇切丁寧に説明すれば反対派の声も徐々に収まるじゃろうて」
ふむ。エヴァの呪いは親父の負の遺産でもあるし、卒業と同時に解けるようには書き換えられるはずだ。筋を通すという意味でも俺がやっておくべきだが、現時点では悪手にしかならないか。
海千山千の老獪に政治のことは任せておくとしても、下手な行動は自分の首を絞めるだけだ。──この世界に来る前から、それは十分身に染みているのだがな。
派閥争いも結構だが、仕事をきちんとやってくれよ。
「それでは、僕は仕事に──」
「おっと、待っとくれ、ネギ君。今後こういうことがあっても大丈夫なように、ネギ君の『功績』を作っておきたい」
「……なるほど。して、何をすればいいのですか?」
「話が早くて助かるわい。──東西の仲違いを解消させようと思っておる」
唐突だが、日本には関東魔法協会と関西呪術協会という二つの組織が存在している。
今いる麻帆良を拠点とする関西。京都に本山を構える関西。二つの組織の長は親類だというあたりがまた面倒な話で、近衛木乃香さんもその身内なのだという。
近衛さん自身は魔法のことは知らないが、その魔力量は極東一。ナギすら超えるほどだというのだからその凄まじさがわかる。
彼女が麻帆良にいるのは近衛さんの父親、つまり関西の長である近衛詠春さんが関西を完全に掌握できていないからだという。下手をすれば利用される可能性が非常に高いのだから、彼女の扱いは俺以上に難しい。
そのあたりの事情もあってか中々二つの組織の距離は縮まらなかったのだが、今回学園長はそこに踏み込むという。
「修学旅行の際、折を見てこれを長に届けてほしいんじゃよ」
取り出したのは東から西への親書である。
「……修学旅行に乗じて親書を渡すというのもいかがなものかと思いますが」
「こうでもせんと二つの組織の距離が縮まらんのじゃよ。既成事実さえ作ってしまえば、あとはどうとでもなる」
ついでに言うと魔法先生が現地入りすることにも苦言を呈しているそうだが、今回は魔法先生を引率に連れて行くという。
名目は親書の受け渡しとその補佐である。直前の既成事実を作るという言葉は何処に行った。周囲に隠して親書を渡して、東西の融和を図るのが目的なのだろうに。
まぁ、それはそれで反発する輩も出てくるだろうが。
どちらにしても、多少強引に事を進めなければならないほど二つの組織は敵対関係に近くなっているのか。急いては事を仕損じるというが、今回の場合拙速は巧遅に勝るというべきかね。
「了承しました。関西の長に届ければいいのですね?」
「うむ。婿殿にはこちらから連絡を入れておく。修学旅行の前日に渡しておこうと思ったのじゃが、忘れる前にと思っての」
「直前に渡されてもそれはそれで困る気もしますが」
学園内部に関西との不和を望む一派があれば必ず阻止しようとするのではないか、とも思うのだが、学園長は抜かりないと答えた。
俺、思っただけで口にすら出していないのだが。表情だけで思考を読んだのか?
「関西との関係を改善することは儂らとしても望ましい。関東側の反乱分子はこちらで抑え込むので心配はせずともよい」
「感謝します。最悪アーチャーに守らせようかと思っていました」
実際それが一番安全だしな。問題は親書を持たせておくと霊体化出来なくなるということだが、京都に行くまでの間だ。桜通りの吸血鬼事件が解決した以上、見張りに使うこともあるまい。
ある程度なら俺も気配で気付けるが、アーチャーの感知性能には遠く及ばないのだし。
勢力に入ったエヴァの出番がないというのも味気ない話だが。
「ふぉっふぉっ。頼もしいのう。エヴァに勝ったのも彼の力あってかね?」
「ええ、まぁ。アーチャーがいなければ今頃失血死していました」
まぁ、それはいいんだ。起こり得た可能性ではあるが、負けるとも思っていなかった。アーチャーがいるだけで人生イージーモードになった気分だ。
それはさておき、親書もとい関西についてもう一つ質問をしておかねばならない。
「近衛さんの扱いはどうしましょう?」
「うむ。あちらの過激派が木乃香の身柄を狙ってくることは十分に考えられる。流石に一般人には手を出しはせんじゃろうがの。今は護衛に刹那君を付けているが、彼女一人では手が足りんじゃろうて」
「出来る限り僕も目を離さないようにしておけと」
「そうじゃな。ネギ君なら大丈夫じゃよ──ああ、それと、親側の都合での。木乃香には魔法のことはばらさないよう注意してくれ」
楽観的に笑いながら学園長はそういった。そういう油断や慢心が付け入られる隙になるとわかっているだろうに、この爺さんは……。
もっとも、やることに変わりはない。生徒が誘拐される可能性があるというなら、それを全力で退けるのが教師の役目だ。……いや、実際には警察の役目かもしれないが。
要人警護という意味でいうとアーチャーが適役過ぎて俺の出番がない。無い方が俺は楽が出来ていいのだが、それで今後やっていけるかというとそうでもないだろうし。
結局、自分の地力を上げていかないとアーウェルンクスなんかにも対抗できなくなる。何でもかんでも他人任せにするのはやめろという話だな。
●
挨拶をして学園長室から出た後、ホームルームを終わらせて授業に移る。
エヴァは気怠そうに授業を受けているが、茶々丸と超さん、葉加瀬さんはこの教室にいない。授業は出てほしいものだが、ぶっ壊した手前文句も言いづらい。
それとこれとは話が別、とは思うが、茶々丸もクラスの一員であることに変わりはない訳で。早く復帰できるようサポートする方が正解なのかもしれない。工学に関しては門外漢なのでさっぱりわからないが。
授業もつつがなく終わり、昼休みになる。今日は家に帰ったのが朝で時間もなかったので弁当はない。なので近場のカフェに足を伸ばしたところ、エヴァとばったり遭遇した。
「こんにちは、マクダウェルさん」
「……気持ち悪いから普通に呼べ」
「公私混同はしないタチですから」
そういって購入したサンドイッチを食べ始めると、エヴァは無言で認識阻害の結界を張る。そこまでして普通の口調にしたいのか。
まぁ、こちらとしても猫を被らずに済むのでありがたくはあるのだが。
「エヴァは京都には行けないのか?」
「生憎と、ナギの呪いのせいで学園から出ることも出来んのだ。適当にかけられた呪いだからかは知らんが、構成がバグを起こしている」
「成程」
わかり切っていたが、確認することに意味がある。
というか、ナギはそんな適当な呪いをよく使おうと思ったものだ。やはり知り合いの大半が言うように馬鹿だったのだろう。
それはさておき。
「京都には父さんの別荘があるはずだし、何かしらの情報が得られれば僥倖というところか」
「情報? どこで死んだのかを知りたいのか?」
「……あれ、まだ生きてるって言ってなかったっけ」
クウネル・サンダースことアルビレオ・イマの仮契約カードは今も生きている。この目で確認もしたし、生存は間違いない。
俺が知っている限りでは造物主の依代になっているはずだが、絶対にそうだとは言い切れない。世の中何事も不測の事態というのは起こり得るのだし。
ここまで俺の知っている通りに進んでいるとはいえ、細部で完全に一致しているわけではない。
物語はまだ序盤。バタフライエフェクトが起こり得るのはむしろここからだといえる。
「生き、てる……だと?」
「ええ。根拠は口止めされていて話せませんが、確たる証拠を掴んでいます」
クウネルさんに「キティには内緒でお願いします」というお願いをされたので黙っていることにする。多分単なる嫌がらせかからかっているだけだと思うが、確かエヴァは造物主の依代として調整されたとかいう裏設定だか二次設定だかがあったはずだ。
吸血鬼にした相手だというのは確実である以上、何らかのストッパーや限定条件下でのスイッチが用意されていないとも限らない。
簡潔に言って、造物主相手では乗っ取られる可能性が非常に高い。不死の体に不滅の魂など、相手にするだけ面倒だ。
こうなると「ヒュドラの毒矢」待ったなしだな。
「そうか、……そうか、奴は生きているのか」
こうなるとエヴァのテンションの上がり具合が非常にうざかった。笑いながら人の背中を叩くなというに。
サンドイッチを食べ終え、食後のコーヒーを楽しみつつ落ち着いたエヴァに再度話しかける。
「──それで、一つ訊きたい」
「ん? 京都の別荘以外に私の持つ情報はないぞ」
「そちらではなく、『蒼崎』と呼ばれる人物についてです」
クウネルさんからの情報を聞く限りだと過去に戻った俺だという可能性が高いものの、俺の他に似たような境遇の人間がいないとも限らない。
念には念を。不測の事態に対処するには多くの情報が必要だ。
受け売りだが、「人は得てして自分だけが手に入れたものだと思い込む」ものだ。
俺以外の──俗に言う「転生者」や「憑依者」がいないと、どうして言い切れる。
「『蒼崎』……? いや、聞いたことはないな。そいつがナギにつながる手がかりなのか?」
「別件だよ。ちょっと気になることがあったから、何か知ってるかと思って聞いただけ」
「なるほどな。何時頃の話かは知らんが、大戦期ごろなら情報が幾らか錯綜していてもおかしくはあるまい。どこの町も戦争に夢中で賞金首にかまけているほど暇じゃなかったが、それでもそれなりに有名なら尾ひれがついて噂が流れたものだ」
ふむ。戦争だからこそ情報は重要になるはずだが、機密情報をまことしやかに流して敵の動きを誘導する、なんてことも不可能ではないだろうからな。
信憑性は限りなく低いと考えておくべきか。ナギたちのようにド派手に暴れたわけでもなさそうだから、噂そのものが発生しなかった可能性はある。目立つことを嫌ったのなら尚更そういう風に動いてもおかしくはないだろう。
「そうか……高畑さんにも聞いてみるとしよう」
「そうしろ。どんな奴かは知らんが、ここ十数年ひきこもっている私よりは余程情報通だろうさ」
自虐気味というか、俺への嫌味かそれは。ナギが生きていると知っただけでハイテンションになったくせに。
まぁ、エヴァは知らないということがわかっただけでも前進だ。同じ『紅き翼』に属していた高畑さんなら、クウネルさん同様会ったことがあるかもしれない。
「今は目の前のことに目を向けておくとするよ。俺とていくつものことを並行してできるほど器用じゃない」
エヴァに物凄い微妙な顔された。何故だ。
「……なんだ?」
「……いや、何でもない。そうだな。ジジイに親書を頼まれたんだろう? 精々がんばれ。私は出れんがな」
いざというときの最終兵器として構えていてほしいものだが、出られないのだからまず不可能なんだよなぁ。
仮契約をするかどうかという話も持ち上がったが、今のところは保留である。そんなに急ぐ話でもないからな。アーチャーがいれば局地的な戦力としては十分だろうし。
そろそろ昼休みも終わる。一度職員室に戻って次の授業の準備をしなければならない。
教室に戻るエヴァと途中でわかれ、先のことに思いを馳せた。