Fate/sn×銀英伝クロスを考えてみた   作:白詰草

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12章 幾度の戦場を越えて
77:再起


 部屋から移動する手間を惜しみ、サーヴァントの男性陣が家具を脇に寄せ、女性陣はふらふらになったマスターらを横たえた。我に返った桜が、水と薬を準備する。

 

「先輩に姉さん、イリヤちゃん。お薬、飲めそうですか?」

 

 一同は無言のまま、身じろぎもしなかった。覚えのある症状に、アーチャーは頬を掻いた。

 

「ああ、そんなに心配しなくていいよ、桜君。

 ひどい乗り物酔いみたいなものだ。ま、ちょっと待つしかないね」

 

 キャスターが柳眉を逆立て腕を組む。

 

「ちょっと、今はそんな場合ではないのではないかしらね。

 この瞬間に、転移してきたらどうするの!」

 

 かといって、彼女は転移で綻びた結界の制御に手一杯だ。

 

「ランサーにアサシン、なんとかしなさい!」

 

 魔女の下僕ふたりは、とばっちりに困り顔になった。

 

「そうは言うけどな、チョウヤク酔いになんてものに効くルーンはねえぞ」

 

「私も治癒魔術は苦手でな。師にも匙を投げられたものだ」

 

「この役立たず!」

 

 なかなかひどい言い草だが、キャスターも相当に焦っている。そうと察したエミヤは、宥め役に回った。

 

「落ち着きたまえ、マスター。

 我々が費消する魔力は君に依存している。

 この連戦で一番負担が大きいのは君だ。

 彼が待っても大丈夫だと言うのなら、従ったほうが賢明だぞ。

 そら、もう五分は過ぎた」

 

 彼の言葉に、鞘を使おうとしていたセイバーは動きを止めた。士郎にも負担を強いることになる。逆効果だ。

 

「ええ、今は彼らはここには来ないでしょう」

 

 アーチャーは、一同に説明を始めた。

 

「私は、彼らが転移して襲撃する可能性は低いと見ます。

 言峰主従は予想以上に非凡な戦術家でした。

 あそこはこちらの戦力が多くとも、全員が全力を出せる場所ではない」

 

 そして溜息をつくと、ずれたベレーの位置を直した。

 

「正直、あれは誤算でした。

 今回の調査は、大聖杯の場所を確定するだけの予定でした。

 皆さんを危険な目に遭わせて申し訳ない」

 

 そこで頭を下げたはいいが、今度はベレーが床に落ちた。アーチャーは恐縮しながら拾い上げ、付いてもいない埃を払いながら続けた。

 

「大聖杯の汚染が、あれほど深刻だとは思っていなかった。

 『この世全ての悪』は弱いサーヴァントだったと聞いていたのですが」

 

 サーヴァントの時は弱くて役立たずで、斃れてから大聖杯を汚染するとは本末転倒だ。アーチャーがそう慨嘆すると、専門家からの指摘が飛んだ。

 

「逆ではないの? 聖杯の分を超えて、悪神を呼ぼうとしたから、

 聖杯は悪の概念をサーヴァントの殻に押し込めた。

 その結果、生贄の人間分の力しか持てなかった。

 死してその殻が外れ、概念としての力を取り戻した。

 こんなところではないかしらね」

 

「耳の痛い話だなあ……」

 

 現実にもよくある話だった。死者が思想と結びつき、象徴となる。ヤン・ウェンリーが、衛宮切嗣が、養子たちに影響を与えているように。

 

 ランサーが伸びをしながら言った。 

 

「ま、しょうがねえんじゃねえか。

 御三家の嬢ちゃんたちと坊主も知らなかったんだろ?」

 

 慎二は項垂れた。凛とイリヤは横になったまま、悪い顔色が一層冴えなくなった。

 

「だが、言峰綺礼は知っていたのではないでしょうか。

 あの場所の性質を。だから彼らは、令呪を引き替えにしても攻めに来た」

 

 ランサーとセイバー、キャスターは頷いた。なお、バーサーカーは速やかに霊体化している。イリヤの魔力の浪費防止のためだ。

 

「だが、ここは違う。全員で掛かることができる。

 あの汚水もないし、ライダーの目は人間にとっては致命的です」

 

 純白の天馬に騎乗する、煌く髪の魔眼の美女。あまりにも有名なライダーの素性を、逆手に取った牽制である。討ちとれるなら最上、それが無理でも布石として無駄にしない。アーチャーの策の柔軟性に、慎二は舌を巻く思いだった。

 

「……だから、奴らはおまえたちが留守でもこっちに来なかったのか」

 

「今の彼らは、別行動を取ったら負ける。

 いくら言峰神父が強くとも、サーヴァントには敵わない。

 彼が死んだら、英雄王は新たなマスターが必要になる。

 それには私たちを斃し、令呪が残る御三家の誰かと契約するしかないんだ」

 

 御三家のマスターは、凛と桜とイリヤだ。慎二は再び唸った。

 

「なるほどね。自殺行為だよ。親の仇に絶対命令権を握らせるなんてさ」

 

 アーチャーの推理のあらましは、士郎から聞いている。言峰主従は、遠坂時臣とアイリスフィール・フォン・アインツベルンを殺害した疑いが濃厚だ。少女たちのサーヴァントを斃しても、新たな契約を結んだ瞬間に自害を命じられるだろう。

 

「そういうことだよ。

 今ここに乱入しても、彼らにとっては先程よりも不利だ。 

 セイバーとランサーには、彼らも知る切り札がまだある」

 

 名指しされた二騎士は顔を見合わせ、セイバーが代表して口を開いた。

 

「我々の手の内は知られてしまっているのに?」

 

「そのとおりだ。腹が立つがな」

 

 ランサーも渋々頷いた。しかし、アーチャーの意見は違う。

 

「私なら、知っているからこそ慎重になりますがね。

 あなたがたを両方を相手にするのは、あそこだから可能だった。  

 連戦したのは、そういう理由かもしれない。決め付けるのは危険ですが」

 

 ヤンはベレーをかぶり直した。

 

「とにかく、彼らにとっても絶好のチャンスだったんです。

 機を逃した以上、四つ目の令呪を使うのは無意味ですよ。

 あといくつあるのかわかりませんが、貴重で有限な資源なんですから」

 

 この説明で、サーヴァントたちと慎二の肩から力が抜けた。床に転がった凛と士郎、イリヤの耳に入っていたかは定かではない。桜が甲斐甲斐しく薬を飲ませ、クッションの枕をあてがい、毛布を掛けている。ちょっとした野戦病院だ。ベッドで休ませてやりたいが、襲撃の警戒中では不可能だった。

 

「……ただ、我々も同様なのが辛いところですが」

 

 桜がコップを片付けに行ったのを見計らい、アーチャーは溜め息混じりに付け加えた。それを合図に、次に向けての作戦会議が始まった。

 

「令呪が第三次から導入されたなら、二十一マイナスnが教会の保管数。

 そして、英雄王自身の令呪が一個以上。なお、第四次での使用数は不明。

 今日の攻防で使われたのは、敵が二つないしは三つ」

 

 こちらがわは、セイバーとキャスター、バーサーカーで計三つ。アーチャーとランサーが一つ、ライダーが二つ、既に使っている。残りは十四画。だが、使えるのはそのまた半分だ。

 

「ともあれ、誰一人欠けずに帰還できたし、相手の能力も見ることができました。

 大聖杯の実態がよろしくないこともね。

 さて、慎二君、君は何かを見つけたようだね。いい情報かい?」

 

 味方の令呪の数を増やせるとか、敵の令呪の制御を乗っ取れるとか。開発者の間桐として、このぐらいの特権は持っていてもおかしくない。そう言うヤンに、慎二は渋い顔で首を振った。

 

「そんなうまい方法があるなら、前も今度もジジイが参加したと思うね。

 今回はみんなガキだけど、この前のマスターだって、

 若いか余所者ばっかりじゃないか」

 

 余所者はともかく、若いという言葉にヤンは引っかかりを覚えた。

 

「じゃあ、前回、間桐家からも誰かが参加したのかな?」

 

 打てば響くような反応に、慎二は臓硯の戸籍謄本を差し出した。

 

「ああ、そうさ。

 爺が死んで、弁護士に遺産相続の手続きをしてもらってたら、

 怪しい奴が見つかったんだ」

 

 アーチャーは、差し出された戸籍を流し見した。書類上、臓硯には未婚の次男がいることになっている。

 

「間桐、カリヤ、と読むのかな? 君にとっては叔父さんだね」

 

「といっても、僕は顔も見たことがない。

 僕の知ってるかぎりだけど、電話や手紙も寄越したことがないんだ」

 

 慎二は、眉を寄せて腕組みをした。

 

「いくらなんでもおかしいだろ?」

 

「……カリヤくん?」

 

 床に転がり、蒼白な顔のままの凛がポツリと呟いた。

 

「なんだよ、遠坂。知ってるのか?」

 

「なまえ、だったのね。苗字じゃなかったんだ」

 

「凛?」

 

 慎二とアーチャーは顔を見合わせ、凛に視線を転じた。

 

「お母様がそう呼んでたの。小さい頃からのお友達だって……」

 

 慎二は戸籍を凝視した。そして、凛に視線を移し、ここからは見えない台所に顔を向ける。コップの片付けにしては、ずいぶん時間がかかっている。きっと夜食でも作っているのだろう。サーヴァントたちのために。

 

「遠坂と桜のお袋さんが……?」

 

 士郎の記憶に引っ掛かるものがあった。首を振り、吐き気を堪えながら口を開く。

 

「うー……。雷画じいが、美人だったって言ってたぞ。

 すらっとして、遠坂に似てたって。あ、遠坂のほうが美人だとも言ってたけど」

 

 凛の蒼白い頬に、うっすらと朱が差す。慎二は髪をかき混ぜると、ソファに乱暴に腰を落とした。

 

「……衛宮。僕はおまえの、そういう天然なあざとさが嫌いなんだよ。

 桜といちゃこらしてんなら、ちょっとは節操を持て!」

 

 士郎は慌てて起き上がった。

 

「なっ、違うぞ!? 桜は俺の家の手伝いに……」

 

「そんなんで毎日行くもんか! この鈍感野郎め。爆発しろ。そしてもげてしまえ」

 

「まあまあ、慎二君、落ち着いて」

 

 おかんむりの慎二をアーチャーが宥め、士郎のほうはきょとんとしている。もう一人のエミヤはいたたまれない気持ちになった。魔術への劣等感で歪んでいなければ、間桐慎二は癖があるけどいい奴だった。諫言をしてくれる同性の友人とは、なんと貴重な存在だったのだろう。

 

「だけど、盲点だった。当然考えるべきだったんだ。

 僕らが同年代であるように、僕らの親も同年代だってことをね。

 叔父と遠坂の母親が幼馴染でも、なんの不思議もない。

 立派に参加の動機になるじゃないか……」

 

 怪訝な顔の凛と士郎に、慎二は指を突きつけた。

 

「遠坂が母親より美人ってことは、父親の遺伝だろ。

 ハンサムで金持ちの遠坂家の当主と、家から出奔した間桐の次男坊。

 普通は絶対に前者を選ぶんだよ!」

 

 キャスターが感心したように頷いた。

 

「よくわかっているじゃない、巻き毛の坊や。

 私も神に操られなければ、そうしていたでしょうにね」

 

「でも、お母様はふ、二股を掛けるとか、そういう人じゃないわ!」

 

「ですがリン、自分の意志に関係なく、相手に想われることもままあります」

 

 そう言ったのは、ライダーだった。

 

「愛であれ、憎しみであれ。でも、それだけとは思えません」

 

 キャスターの母方の従妹で、臓硯の訃報に駆けつけたというのがライダーの設定である。今は、黒いセーターにパンツ、メタルフレームの眼鏡という飾り気のない格好だ。眼鏡はキャスターのお手製で、石化の魔眼を封じ込める。

 

 おかげで灰水晶の瞳を見ることができる。それにしても、実に美しい女性だ。海神の寵を受け、戦女神に嫉妬されるのも無理もない。そんなメドゥーサならではの言葉だった。

 

「シンジの叔父なら、この家の魔術を知っていたのではありませんか?

 だから出奔した。そこに、愛した女性の娘が引き取られた。

 黙って見ていることができるでしょうか?」

 

 慎二は鼻を鳴らした。

 

「最初から逃げなきゃ済んだ話だけどな」

 

「ひ、否定はできませんが……」

 

「だけど、逃げる気になっただけでも立派かもしれないけどね。

 親父も、僕も、桜もジジイに飼い慣らされちまってた。

 この叔父も、結局、ジジイから逃げきれなかったんだろう」

 

 慎二はもう一枚の書類を差し出した。これもまた、士郎が最近見たばかりのものだ。

 

「あれ、これ、戸籍の附票だよな?」

 

 士郎の反応に、慎二は眉を上げた。

 

「よく知ってるじゃないか」

 

「じいさんの戸籍を調べてて、これも雷画じいに見せてもらったんだ。

 でもなんで線が引いてあるんだ? しょ、職権消除? へ?」

 

「その住所にいないって届出があると、

 役所が調べて住民登録を消されちゃうんだってさ。

 要するに、失踪中ってこと」

 

 士郎と凛は顔を見合わせた。

 

「それが十年ちょっと前。これで辻褄と人数が合う」

 

 慎二の指が附票を弾いた。そのまま指を折る。

 

「遠坂の父親がアーチャー。衛宮たちの父親がセイバー。神父はアサシン。

 ランサーとライダーが時計塔からの参加者で、

 キャスターのマスターは、冬木の連続児童誘拐殺人犯。

 残るのはバーサーカー。……そいつが間桐からの参加者だ」

 

「ちょ、ちょっと、今はそんな場合じゃ……」

 

 反論しかけた凛を、慎二は制して続けた。

 

「いいから聞けよ。

 そのバーサーカーが、セイバーのマスターの奥さんを攫ったんだろ?

 どうして、アーチャーのマスターに協力するんだよ。

 元恋敵かもしれない相手だぞ」

 

「あっ!」

 

 凛とセイバーは同時に声を上げた。サーヴァントという『点』しか見ていないと気づかない。しかし、サーヴァントの背後にはマスターがいる。今回の面々と同じく。

 

 遠坂と間桐、冬木にある二つの魔導の家。双方に同年代の魔術師が生まれ、性を同じくし、同じ女性と異なる関わりを持つ。夫と幼馴染。一方は恋の勝者。他方はその立場をよしとしたのだろうか。

 

 慎二なら、よしとはできない。

 

「敵対するかどうかは別として、協力しようとは思わないね。

 この家に戻って聖杯戦争に参加するってことは、

 聖杯を手に入れようとしたからだろう」

 

 間桐の魔術を知る慎二の言葉には、重いものが篭められていた。

 

「聖杯が欲しいんなら、あのアーチャーと組んでも、

 絶対に自分の物にはならない。

 六騎がかりでも倒せなかった奴じゃないか」

 

 その言葉にランサーは嘆息した。

 

「そりゃ、俺たちも全力が出せなかったからな。

 それを含めて、連中が一枚上手だったってことだが」

 

 強大な宝具を所持し、追加の令呪という反則まで使える。五次の面々が結集してなお、引き分けに持ち込むのが精一杯。調査部隊は一人を除いて悄然とした。だが、残る一人は、あっさりと言い放った。

 

「つまり、普通でない方法を使えば、その限りではないということでもある。

 組んだ上でのマスター殺しだ」

 

 ヤンの疑いは、先ほどの一戦でほぼ証明された。言峰綺礼は、遠坂時臣の死に関与していると断定してよかろう。

 

「まともならできないけどな」

 

 元恋敵――相手の眼中になくとも――は、愛した女の夫で、義理の姪の父だった。彼を殺して、聖杯を手に入れても、人の心は決して手に入らない。そこまで考えて、慎二は自嘲の笑みを漏らした。

 

「でも、僕には人のことは言えないよ。

 聖杯戦争に首を突っ込めば、まともじゃなくなる。

 それこそ、どんな望みでも叶うってのが謳い文句だ。

 ジジイのいない、遠坂の親父のいない世界にだってできるんじゃないか?

 間桐雁夜夫妻と、娘たちのいる世界にも」

 

「そうかもしれないね」

 

 人の心の働きには、計り知れないものがある。ヤン・ウェンリーは知っていた。

 

 ある女性は、痴情の縺れで、二百万人以上の帰還兵を道連れに恒星に飛び込もうとした。

 

 ある青年は、姉を奪われた怒りで古い王朝を滅ぼし、友を失った悲しみを戦いで癒すかのように、二つの国を滅ぼして、宇宙を統一した。

 

 従ったほうが楽なのに、名君が率いる圧倒的な大軍と戦うことを選んだ者たちもいる。

 

「聖杯を入手すれば、あるいは叶うのかもしれない」

 

 士郎は思わず叫んだ。

 

「でも、自分のいいように世界を変えるなんて、世界を滅ぼすのと一緒だ!

 自分の思いどおりにならない人は、いらないってことじゃないか!」

 

「馬鹿だな、衛宮。それができれば、ケンカや戦争なんか起こらないね」

 

 ばっさりと切り捨てられて、士郎は一瞬カッとなり、次にハッとした。それこそが、じいさんの願いだった。誰をも切り捨てぬ正義の味方。すべてを救って、みんなを幸せにする。未だ人が辿りつかぬ、遥けき理想。

 

「神様にだって不可能なことだぜ」

 

 光神の息子と海神の孫娘たちは、一斉に頭を上下動させた。群青、貝紫に青銀。空と海を映した、人ならぬ色彩は、彼らが神の系譜に連なるからかもしれない。彼らは神の血を受け、その生においても神々と深く関わっている。

 

 どうにか結界の修復が終わったキャスターは、長い睫毛を伏せて愚痴をこぼした。

 

「死してなお、『神』のとばっちりを受けるだなんて、まったく嫌になるわ。

 聖杯が降臨したとして、あれをどうにかしなければ、

 きっと役には立たないでしょうね」

 

 イリヤが青褪めた。

 

「願いがかなわないの!?」

 

「どう叶うかが問題なのよ、アインツベルンのマスター。

 人の分を超えた願いを神が聞き入れると、破滅の元でしかないわ。

 ミダス王は黄金を欲し、触れるものを黄金にする指を得た」

 

 キャスターもまた、優れた語り部であった。妙なる声が、歌うように神代の物語――彼女にとっての史実――を紡ぐ。

 

「触れるものはみな黄金になるのよ。家族も民も、水や食べ物までも。

 王は無数の黄金に囲まれて、孤独の中で飢えて死んだわ」

 

 棒を呑んだように硬直したイリヤに、彼女は存外に優しい口調で語りかけた。 

 

「聖杯が、単なる魔力の坩堝なら、思うとおりになるかもしれないわね。

 でも、大聖杯の汚染は、悪神が巣食っているようなもの。

 無色の力ならいかようにもできても、神への願いとなればそうはいかない。

 神が叶える願いは一つだけなのよ」

 

「そ、それは、聖杯だって同じことでしょ?」

 

 イリヤの反論に、魔女は首を振り、小さな銀の頭を撫でた。二人の髪の色が似ているため、歳の離れた姉妹にも見える。 

 

「いいえ、全然違うわ。触れるものを黄金にするという願いには、

 人や食事は黄金にしない、という願いは含まれないのよ。

 不老不死を欲したら、死なず老いない石になるかもしれないでしょう」

 

 キャスターの意見にアーチャーはこくりと首を傾げ、理系の学生のようなことを言った。

 

「不滅というなら、原子に分解されるんじゃないですかね。

 質量保存の法則的に」

 

 悲鳴の大合唱が聞き慣れた声で奏でられ、驚いた桜は再び台所から駆け戻った。

 

「今度はどうしたんですかっ!?」

 

 義妹の問いに、慎二は震える指を問題発言の主に向けた。

 

「こ、こいつ、地味な顔して超えぐいぞ!」

 

 アーチャーはちょっと傷ついた顔をした。

 

「私の顔は関係ないだろう……。えぐいのは聖杯戦争そのものだろうに」

 

「それを汚染したのが『この世すべての悪』じゃないか?

 ジジイがそれを知ってたなら、参加しなかったのも納得できるんだよ」

 

 慎二の推理に、アーチャーは髪をかき回した。

 

「なるほど、たしかに筋が通っているよ。

 それにしても、『この世すべての悪』なんて、

 そんな都合のいいものはないんだけどね。

 ゾロアスター教の最高神、アフラ・マツダはインドでは悪神のアスラ。

 アンリマユが従える悪魔ダエーワは、やっぱりインドの善神デーヴァ」

 

 高校生たちは呆気に取られた。

 

「私は、正義の対義語は、悪ではないと思うんだ。

 強いて言うなら、逆方向の正義だと思っている。

 ペルシアでは、確かにアンリマユは悪神だ。

 でも、ちょっと東西にずれれば、神として信仰を集めている」

 

 インド発祥の神デーヴァが、ペルシアでは悪魔のダエーワになる。そして、さらに西に行くと再び神になる。デウスの語源でもあるのだ。

 

「インドとペルシアが、いかにユーラシア大陸で覇を競い合ったかということだがね。

 ペルシアの脅威に晒されていた欧州の人には、強大な敵の敵として崇拝されたのさ。

 実に逆説的だが、ペルシアがあるかぎり直接侵攻は受けないからね」

 

 呆気に取られるのも無理はない。まるで世界史の授業だ。それも、かなり面白い内容の。 

 

「だから私には、絶対的な悪だとは思えなかったんだ。

 しかし、キャスターの説を聞くと、なるほどとも思う。

 思想や信仰を根絶やしにするのは不可能に近い。

 ゾロアスター教そのものは薄れても、別の宗教に吸収されて……」

 

 言いかけて、ヤンは顎に手を当てた。――別の宗教。あるではないか。アスラもデーヴァも吸収して、等しく信仰の対象とした宗教が。日本で最も広く信仰されている仏教だ。あの洞窟の真上にも、その拠点の一つが鎮座している。『この世すべての悪』が、大聖杯内に留まっているのは、それが理由かもしれない。

 

「……サーヴァントを召喚し、維持するのは大聖杯でしたね。

 そちらを何とか出来ないものでしょうか。

 英雄王に、魔力が行かないようにするとか」

 

 キャスターが首を横に振る。

 

「あれは魔力で飽和寸前。いつ暴走してもおかしくないわ。

 英雄王への供給路を切れば、その分魔力の飽和も早くなってしまう」

 

 灰水晶の瞳が瞬いた。薔薇色の唇が開く。

 

「……では、更に大元から供給を減らすのはどうでしょうか。

 地脈から魔力を吸い上げられないように、大聖杯の手前で邪魔をする」

 

 一同はギリシャ神話きっての美女の顔を、まじまじと凝視した。

 

「私が学校に張った結界は、中の人間を融解させ、魂を回収する宝具でした」

 

 桜が息を呑み、義兄と従者に視線を往復させた。

 

「そ、そんな結界を学校に……」

 

 ライダーは立ち上がると、優美な長身を二つに折った。

 

「サクラ、そして皆さん、申し訳ありませんでした。

 でも、シンジもシンジなりに戦おうとしたのです」

 

「……悪かったよ。遠坂たちのせいで、不発に終わっちまったけど、

 先に武器を突きつけたのは僕らだからな」

 

 慎二も歯切れ悪く謝罪をし、癖毛の頭を下げた。

 

「ああ、だがもう済んだことだ。今さらそれがどうしたってんだよ」

 

 ライダーとヤンの一戦の間接的な被害者は、実はランサーである。双方が壊した校舎の修理を、言峰綺礼に命じられたからだ。それは口に出さず、彼は疑問を口にした。

  

「あれは地脈の力を吸い上げて発動し、その地を枯れさせるのですが、

 人がいないところで使っても、地脈に与える影響は同じです」

 

「使えそうじゃねえか!」

 

 膝を打つランサーに、黒髪の魔術師たちは首を捻った。

 

「でもあの結界、発動までに結構時間がかかったわよね」

 

「だから我々も邪魔することができたんだが、聖杯戦争の残り時間では……」

 

 ライダーは、仮の主をちらりと見た。

 

「あの、それはシンジの魔力が足りなかったせいです。

 仕掛ける範囲も広すぎましたし……」

 

 だから吸血鬼事件を起こすことにもなったのだが。

 

「その、重ね重ね、すみません……」

 

 萎れる美女に桜は首を振った。

 

「ううん、兄さんとライダーだけのせいじゃない。

 お爺様の命令だったけど、わたしの呼びかけに、ライダーは応えてくれたでしょう。

 わたしもちゃんと責任を取らなくちゃいけなかったのに」

 

 今までマスターであることに目を背けていた桜も、足を踏み出したのである。

 

「ごめんね、ライダー。兄さんも。それから先輩と、……姉さんも。

 ほんとうにごめんなさい」

 

 際限なく謝罪合戦に突入してしまいそうな雰囲気に、ヤンは咳払いをしてみた。

 

「まあ、それは当事者同士で、後で気が済むまでやればいいよ。

 じゃあ、本題を進めようか」

 

「あ、す、すみません。話が途中でした。

 サクラが私の主となってくれましたから、魔力は充分足りています。

 結界の大きさを調節すれば、もっと時間も短縮できます」

 

 ライダーの宝具『他者封印・鮮血神殿』は、人体を融解させ、魂を回収するという危険な宝具だ。しかも、ひどく霊脈を痛めつける。その欠点を逆用できないかという提案だった。

 

「……なるほど、霊脈のうち無人の場所を狙う、ね」

 

 アーチャーはベレーをかぶり直した。

 

「これは妙手かもしれない」

 

 そういって席を立ったアーチャーは、一冊の本を手に戻ってきた。

凛の荷物に加えてもらった、図書館から又借りした本だった。

ページを開き、挟んであった紙を凛に差し出す。

 

「ところで凛、霊脈とやらとこれは一致するのかい?」

 

 アーモンド形の瞳が大きさを増す。

 

「えっ……。う、嘘!? なによ、これ!? あんた、魔術なんて知らないって……」

 

 それが雄弁な回答であった。

 

「こいつは、冬木の地図に断層図を書き込んだものだよ。

 ほら、冬木の霊地は、高台に集まっているだろう?

 水の流れとは逆にね。下から上に上がるものというと、

 ほかには地殻変動ぐらいしか思いつかなくって」

 

 凛の口がぽかりと開いた。

 

「士郎君は霊脈をよく知らないし、イリヤ君は地学を学んでいないそうだ。

 でも、君は両方の知識があるからね。……どうだい?」

 

「う、うう……」

 

 凛は眉間に皺を寄せ、アーチャー手製の地図とにらめっこをした。

ぶつぶつと呟きを漏らす。

 

「ええと、ここが私の家でしょ。こっちがこの家で、これが教会……。

 や、やだ、大体合ってるかも……。っていうか、こっちのほうが詳しいような……」

 

「ならよかった。これで手間が省ける」

 

 アーチャーの指が、円蔵山を横切る赤い線をなぞった。

 

「主にはこのライン。まあ、山の近辺はあの主従も警戒していると思う。

 だから、これに繋がるラインを探したい」

 

 赤線を離れた指が、山の周辺で円を描く。

 

「この範囲内の断層で、あの洞窟と同じ石灰岩質の土壌で、

 かつ人家のない所が有望なんだが」

 

 冬木在住の魔術師(自称を含む)らの目と口は開きっぱなしになった。

 

「……地図を読むのが給料のうちって、本当だったんだな」

 

 感心する士郎に、アーチャーはばつが悪そうな笑みをこぼし、黒髪をかき回した。

 

「いや、ごめん。あれは全部が本当じゃないんだ。地図じゃなくて星域図だから」

 

 慎二はたまらず叫んだ。

 

「そういう問題じゃないよ! なんだよ、もう。

 門外漢に、科学的に丸裸にされちまうなんて、

 神秘は秘匿するって何だったんだ!?」

 

「しかしね、慎二君。

 科学や医学は魔術から派生していったものだろう?

 科学で魔術を解明するのも、不可能ではないと思うんだよ。

 形は違えど、世界の謎に人間が挑戦しているんだから。

 それに所詮は人間、考えることにそんなに差はないものさ」

 

 そんなことを、このサーヴァントに言われて誰が頷けようか。

 

「……絶対に嘘だ」

 

「嘘じゃないよ。人の個人差は大きいが、人間の集団の差は小さい。

 そして、個人では集団に勝てないんだ。

 君たちマスターが打破すべきは、英雄王ではなくそのマスターだ。

 慎二君を含めて、力を結集することが鍵だと思う」

 

 この言葉を皮切りに、高校生と元高校生は、冬木の地形という宿題を解くことになった。いかに聖杯の加護があっても、地元民の土地勘には敵わないということで。疲労困憊した士郎と凛とイリヤ、今後の要となる桜に休息をとらせ、忌引中の間桐慎二とアサシンがその作業にあたった。

 

 この組み合わせは、ライダーの護衛役として、アサシンこと衛宮士郎が最適だからである。数キロを見渡す鷹の目と、その目に映す範囲を射程とする弓術。盾の宝具を持つ英雄王に決定打とはならないが、逃げるための時間は稼げる。

 

「騎馬というのは、兵力の高速移動のためのものだ。

 それを活かすには、弓矢なり、槍なりがないと。

 アサシンにはそれがある。

 いまの言峰主従が最も警戒しているのは、恐らく君だ。

 英雄王と酷似した宝具を持っているアサシンなんて、私なら一番おっかないね」

 

 そう説明されて、エミヤは心中で唸ったものだ。

 

「……なんか、うまく乗せられたような気がするな」

 

 慎二は本をめくりながら、癖のある髪をかきあげた。

 

「アーチャーもちゃっかり霊体化しちまったし」

 

 しかも、桜が用意した夜食をしっかりと味わってからだ。他の面々に比べると、かなり控えめな量ではあったが。

 

「それは仕方がなかろうよ。彼は非常に魔力を喰うサーヴァントだ」

 

「確かにね。ついでに遠坂の財産も食い潰してる」

 

 アーチャーの召喚に際して、凛は財産の半分を注ぎ込んでいる。そして英雄王との交戦にあたって、アーチャーは宝具を準備していた。つまりは凛の魔力である。これ以上令呪を費消できないので、他の方法で魔力を調達した。

 

 十年物の宝石の五個目は、アーチャーの口に突っ込まれることになった。

 

「あんたがつべこべ言うから、ダイヤを選んだんだからね。

 二番目に高いのよ。もっと感謝しなさい!」 

 

 腰に手をあて、顎をそびやかす黒髪の美少女に対し、黒髪の青年は礼は言わなかった。宝石が変な所に入ったようで、激しく咳き込んでいたからだ。気の毒な話である。

 

 彼の生前を知るエミヤにしてみれば、冷や汗ものの一幕であった。ヤン・ウェンリーは遥か未来の英雄で、今は無名というか架空の存在に近い。早すぎる晩年を迎えても、威厳など欠片も所持しない青年だったが、サーヴァントになって若返り、さらに頼りなげな容貌になっている。一国の元帥閣下に対して、凛はずいぶんと手荒く接しているが、世が世なら即座に銃殺される狼藉だ。

 

「もっとも財産といえば、うちもまずいことになってるけどな」

 

 失踪中の叔父、間桐雁夜は生きてはいまい。慎二はそう確信していた。『祖父』間桐臓硯の戸籍を取ったところ、彼の生涯に三人の臓硯が存在する。彼の祖父、彼の父、彼自身として。家系調査を念入りに行なえば、さらに多くの臓硯が見つかるに違いない。

 

 戸籍上では当主が死んで、跡取りが名前も継いだことになっている。臓硯が五百年もの生を生きてきたということは、慎二も知っていた。だが、それを可能にしたのは、肉体を蟲の群体に置換するという魔術だった。それだけでも充分におぞましいが、蟲の材料は他人の肉体。

 

 真実を知った慎二は、彼らが天寿を全うしたのか疑わしくなってきた。蟲の群体なら、容貌も変えられるのではないか。行方不明の叔父なんて、入れ替わりにうってつけだ。だから臓硯が放置していたのかとも思われる。

 

 父 鶴野の病状も回復の兆しがなく、遺産の処理はさっぱり進まない。この叔父がいてくれれば、どれほど心強かったことだろう。

 

「でもきっと、爺に乗せられちまったんだろうな。僕みたいにさ」

 

 彼にとって一番の敵は、甥の初戦の相手の父だったことだろう。彼が愛する女を妻とし、彼女との間に生まれた娘を間桐に与えた。自分が切望しても得られぬものを、妬む相手が尊ばぬことほど腹が立つことはない。――慎二のように。

 

 もしも臓硯が五百年も生きていた人妖でなかったら、叔父も穏当でありながら必勝の方法を取っただろう。実家には近づかず、臓硯の寿命を待つことだ。それが不可能だからこその絶望であり、無謀ではなかったか。

 

叔父は、魔術師として慎二の父よりマシだったのだろうが、狂戦士はもっとも魔力を浪費するクラスだ。慎二の推理を聞いたセイバーが、ぽつりぽつりと語ってくれたところによると、四次バーサーカーの真名は、湖の騎士ランスロット。セイバーの部下だったそうだ。セイバーの素性が、慎二を仰天させた。

 

「は!? じゃ、まさか、この子ってアーサー王か!?」

 

 無作法に突きつけられた指に、セイバーはたじたじとなった。

 

「う……。……はい」

 

 口篭りながら返された肯定に、慎二の細い顎が落ちた。

 

「……む、無理がありすぎるよ! そりゃ、王妃も不倫する……いやちょっと待て」

 

 項垂れる金髪に続いて、藍色の髪も同じ角度になった。

 

「自分と似たサーヴァントを召喚する、か。嫌なシステムだな、おい……」

 

 マスターとサーヴァントの共通項が、夫ある女性を欲した点なのか。心底に沈めた願望が、サーヴァントとして顕現したのかもしれない。『夫』よりも強くあれ、凌駕せよと。アーチャーの剣の矢をものともせず、セイバーを武技で圧したバーサーカー。

 

「でも、結局はセイバーが勝ち残ったんだよな。

 ――バーサーカーの魔力切れで。こりゃ、絶対に死んでるよ」

 

 十年前のこの時期、慎二は海外に遊学中だった。

 

「衛宮、こいつは桜には言うなよ。

 遠坂が知ってたってことは、桜も叔父に会ってると思う。

 覚えているかわからないけどな。

 でも、叔父のほうは、あいつのお袋が誰か知らないはずはないんだよ」

 

 桜の存在も、彼の戦いの動機になりうる。

 

「やりようによっちゃ、遠坂の親父とも共闘できたんだろうけど」

 

「……イリヤの母を攫ったのが、その共闘だと?」

 

 慎二は肩を竦めてみせた。

 

「いや、僕は違うと思うね。

 もしも共闘するなら、前回のアーチャーとバーサーカーは、

 ものすごく相性のいいコンビになるんじゃないか?

 あのセイバーでも、きっと敵わないよ」

 

「確かにな。その厄介さはわかるぞ。

 私の魔術は担い手の技量ごと、剣を複写するものだ」

 

「凄いじゃないか!」

 

 色を失った赤毛が振られた。

 

「いや、模造品である以上、どうしても格は落ちる。

 担い手の技量も、私の身体能力と魔術で再現できる範囲内だ。

 ランサーの槍の贋作を私が振るっても、本物には勝てんということさ。

 それをカバーするための種類と数というわけだ」

 

「おまえって、変なところが器用貧乏だよなー。

 頑固で融通の効かない性格のくせに」

 

 かつての友人の的確すぎる人物評に聞こえぬふりをして、エミヤは続けた。 

 

「宝具の原典を用意できる者と、それを己の宝具の如く使いこなせる者か。

 同時にかかられたら、確かに前回のセイバーでは負けただろうな」

 

 衛宮切嗣とは、三回しか会話がなかったどころか、共闘もしていないというセイバー。この世界の衛宮士郎とは、語り、学び合い、家族のように触れ合っている。英雄王を前にして、士郎は令呪を使って、彼女に鞘を返した。

 

「今回は勝てるって?」

 

 秀でた褐色の額に皺が寄った。

 

「サーヴァントの能力が、マスターに左右されるのは、

 アーチャーやライダーだけの問題ではないということだ」

 

 衛宮士郎のへっぽこぶりは、一朝一夕に改善できない。セイバーに鞘を返して、不死に近い再生能力も失った。彼女の奮闘は素晴らしかったが、なけなしの魔力も空っけつだろう。

 

「いま我々に必要なのは時間だ。

 味方の魔力を蓄積し、敵の魔力を削ぐという点で、

 ライダーの結界宝具は理にかなう」




一口メモ:
ペルシアとインドの攻防は、田中芳樹先生のもう一つの代表作『アルスラーン戦記』の舞台のモデルです。『アフラ・マツダー』と『アスラ』は、『戦士の中の戦士』と『猛虎将軍』の対比を考えていただければ分かりやすいでしょう。

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