「私の血、ですか?」
凛の申し出に、ライダーはほっそりとした首を傾げた。そんな小さな動きにも、さやさやと音を立て、流れるアメジストの滝。
凛も、衛宮士郎も、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンも一様に見惚れた。ランサーとセイバーも例外ではなかった。
無骨な眼帯に隠されてなお、溜め息が出るような佳人なのだ。そして、アーチャーが嘆くのも無理はない。邪眼を持たず、古代ギリシャの衣装を着ていてくれたら、さらに美しかったことだろうに……。
「ええ、桜が助かったのは、半分はキャスターのおかげなの。
それには対価が必要で、アインツベルンに準備してもらうのが一番いい。
ライダーには申し訳ないんだけど、その材料として提供して欲しいのよ」
それが、ライダーことメドゥーサの血を原料にした、医神アスクレピオスの死者蘇生の薬の再現だ。
凛の言葉にライダーは口元に手をやった。
「それはかまいません。私のマスターを助けてくださったのですから。
ですが……」
眼帯の上に覗いた柳眉が寄せられた。
「私が首を傷つけると、宝具が出てきてしまうのではないかと」
「ほ、宝具!? ま、まさか、ペガサス?
ペガサスが出てきちゃうの?」
「はい、そうです」
コクリと頷くライダーを前に、マスターとサーヴァントたちは顔を引き攣らせた。
「ちょ、ちょっと、待ってくれ。
ってことはさ、宝具出すために、首を切っちまうのか……?」
「はい」
再び頷く貝紫。聞かなくてもいいことを聞いた赤毛の少年に、緑と赤の非難の視線が降り注ぐ。
「もう、シロウったら! デリカシーがないんだから!」
イリヤに教育的指導をされて、士郎は頭を下げた。
「う、その、ゴメンなライダー。ヘンなこと聞いちまって」
「いいえ、お気になさらないでください」
本当に、そんなの聞きたくなかったし、知りたくもなかった。これほどの美女が、白鳥のような首を掻っ切って、血潮とともに天馬を出すだなんて、あんまりにも酸鼻な光景すぎる。
というよりも、宝具を出す対価としては過大ではなかろうか。セイバーやランサーは言うに及ばす、薔薇の騎士召喚に令呪を費消するアーチャーも、光線銃は簡単に取り出せる。
間桐慎二が、はずれ呼ばわりするのもゆえのないことではなかったのだ。宝具に強さを依存するのが騎乗兵のクラス。彼女の場合、宝具を出せば出すほど、勝ち抜くほどにダメージが蓄積されていかないか。
だが、マスターが慎二では、魔力の回復が追いつかないだろう。人を襲いつつ、抜本的な魔力の蓄積のために、結界を仕掛けたのはその欠陥のせいだ。
力不足のマスターが、強力なサーヴァントを使役する悪い見本だった。士郎も決して他人事ではない。何とかなっているのは、凛とイリヤのおかげ。二人の少女と士郎を結びつけてくれた、アーチャーさまさまだ。
正義の味方が戦隊を組むのって、ちゃんと理由があったんだなあ。大勢で怪人一匹をやっつけるのが卑怯な気がして、戦隊派ではなかった士郎だが、自分が当事者だと納得せざるを得ない。
しかし、今の問題はそこではなく。
「じゃあさ、セイバーかランサーに頼んだらどうだろ? なあ、遠坂」
凛は難しい顔で首を振った。
「単に血を出すだけじゃ駄目よ。
アーチャーが彼女と戦った時、血は出たけどすぐに掻き消えたわ。
サーヴァントという殻から出た魔力は、すぐに世界に修正されるから」
「あ! アーチャーの首もそうだったもんな……」
士郎も難しい顔になり、セイバーはこっそりと目を逸らした。
「ところで、遠坂は宝石に魔力をどうやって籠めているんだ?」
「ああ、注射器で血を抜いて、それでね」
……こっちも大差なかった。穂群原一のミス・パーフェクトが、夜な夜な自己採血してるのか。それもかなり怖いじゃないか。漂白された顔の士郎に、凛は言った。
「仕方ないでしょ。魔術には対価がいるのよ。だから、士郎のは掟破りなのよ」
「……じいさんからそんなの教わらなかったぞ」
「それはキリツグのタイマンよ」
炎と雪の美少女たちにやり込められて、士郎は反論を諦めた。
「じゃ、じゃあ、遠坂みたいに注射器でやれば……」
「それも無理よ。言ったでしょ?
サーヴァントは神秘のない物では傷をつけられないって」
士郎は赤毛を掻きむしった。
「うがー! どうすりゃいいのさ!?」
「なあ坊主」
士郎の百面相を見物していたランサーが、ひょいと手を上げた。
「おまえ、色んなガラクタを魔術で作ってただろ。
チューシャキってのは作れねえか?」
「あ!」
魔術師の師匠と弟子は、口々に声を上げた。
「そうだわ、その手があるじゃない!」
「たしかに、注射器ならがらんどうでもいいもんな!」
針には刃の要素があるし、これならいけそうな気もする。しかし……。
「それにしてもなあ、投影魔術で注射器かあ……」
実用的すぎて、まったく浪漫がない。魔術って幻想じゃなかったのか。ぼやく士郎に、魔術を日常に使用していたランサーは頓着しなかった。
「いいじゃねえか。ただし、うんと修行しろよ。
おまえが作ったガラクタ、俺が持ったら壊れたからな」
神秘は時によって蓄積され、より高い神秘に打ち消される。紀元一世紀のクー・フーリンよりも、さらに数百年昔のメドゥーサに通用する注射器。それは幻想に幻想を重ね、固く結んで創り上げるほかはない。
「ものすっごく大変そうだぞ……」
「だがその価値はある。刃を作るよりずっと尊いと思うがな」
冴えない顔になった士郎に、ランサーは莞爾と笑いかけた。
「アーチャーが言うには、この世界から病が減ったのはそいつのおかげなんだろ。
最もよき魔術は、人を癒やすものなんだぜ」
それはまもなく昇る、曙光のごとき笑みであった。