Fate/sn×銀英伝クロスを考えてみた   作:白詰草

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68:対価

 アーチャーの言に、慎二たちの表情が硬くなる。

 

「敵だって!? ふん、おまえらのことじゃないのか!?」

 

 憎まれ口を叩く兄に、桜は真っ青になった。

 

「に、兄さん!」

 

 そんな二人に苦笑すると、アーチャーはソファに腰を下ろした。まずは話し合おうと、態度で示したのである。決して怠け心ではない。多分。

 

「敵ではないさ、少なくともね。

 聖杯戦争成就のために、君たちに協力して欲しいと考えているんだよ」

 

 のんびりとした口調に、慎二は毒気を抜かれた。

 

「きょ、協力?」

 

「凛が言ったとおりに、魔術儀式としての聖杯戦争に戻るんだ。

 だから、君に停戦を申し入れたんだよ。

 アインツベルンのマスターも一応は賛同してくれてる」

 

 慎二は眉を顰めたまま、アーチャーの対面のソファに座った。

 

「それで、この期に及んで協力を願うって?」

 

「むしろ、この機だからだね」

 

 アーチャーは小首を傾げた。慎二と桜に視線を行き来させる。

 

「失礼なことを聞くけど、君も桜君も、子どもはまだいないだろう?」

 

 慎二の細い顎が落ちた。何度か開閉を繰り返し、ようやく声を絞り出す。

 

「な、な、なに、馬鹿なこと……」

 

「真面目な話だよ。凛が直面している問題でもある。

 この聖杯戦争で死ねば、遠坂家に次はないんだ。

 君たちも同じじゃないか?」   

 

 突拍子もない問いは、息を呑ませるような答えを連れていた。間桐臓硯は死んだ。魔術師としての血脈も残せず、知識を伝達することもなく、慎二が望んだとおりに。 

 

「開催周期の六十年は、後継ぎを設けるための時間でもあったと思うんだよ。

 イレギュラーの今回は、御三家のマスターは皆若い。

 ここで死んだら、アインツベルン以外は家系が断絶してしまう」

 

「信じられないね。

 アインツベルンが独り勝ちするなら、余計に間桐や遠坂と組むとは思えない」

 

 不信感を露わにする藍色の瞳に、黒い瞳は穏やかさを失わない。

 

「そのアインツベルンだが、今回確実に目的を果たせるとは限らないよ。

 なにしろ、今まで一回も成功していない儀式なんだから。

 だが、次回は確実に不利になる」

 

「不利?」

 

 アーチャーは頷いた。

 

「御三家の枠のおかげで、これまでは外来の参加者は四組。

 御三家はことさら協力せずとも、その存在で相手の戦力を分散化させていたんだ。

 それが一極集中することになる。敵が六倍だ。まず勝てないよ」

 

 慎二は言葉に詰まった。まさに、今の自分たちと同じではないか。これは未来予想の姿を借りた降伏勧告だった。

 

「う……」

 

「だが、未来の心配をするには、今を生き延びなくてはね。

 我々は君の敵ではないが、君と我々の敵となる者が存在する可能性が極めて高い」

 

 ライダーがはっと顔を上げた。

 

「まさか、それがサクラの父上の仇ですか?」

 

「ライダー?」

 

 円らな瞳を零れそうなほど見開く桜に、ライダーは口を押えた。

 

「……すみません。サクラたちが眠っている間に、『センパイ』が教えてくれました」

 

「なるほど、士郎君らしいね。 

 ところでライダー、新都の吸血鬼事件、あの犯人はあなたですか?」

 

「あ、はい。……あっ!」

 

 実にさりげない問い掛けに、反射的に頷いてしまい、ライダーは再び口を押えて蒼くなった。アーチャーは苦笑して手を振る。

 

「ああ、いや、ちょっとした答え合わせに必要でしてね。

 そして深山町のガス漏れ事件は……」

 

 剣呑に目を細めたのはキャスターである。

 

「あれは私よ。けれど貴方、止めれば不問にすると言ったではないの。

 今さら蒸し返す気?」

 

 アーチャーは両手を上げて首を振った。

 

「いやいや、私が話題にしたいのは、あなたがたが犯人でない犯行です。

 もう一件、深山町の一家殺人があっただろう?

 親子三人を、刀か槍で殺害しているという事件だ」

 

「ああ、あれね。それがなんだよ」

 

 これが平和な国の子の、当たり前の反応というものだ。もう何度目だろうか。繰り返すのも嫌になるが、アーチャーは、その殺害方法の異様さを説明した。

 

「片刃の刀、両刃の槍。切り傷だけではどちらか分からないだろう?

 それがわかるというのは、刺し傷なんだ。

 包丁よりもずっと傷が深いから、刀槍と表現されたんだよ」

 

 慎二と桜の喉が鳴った。

 

「三人を複数の武器を使いわけて、ほぼ同時に滅多刺しして殺す。

 どうすれば、そんなことが可能だろうか?」

 

 たとえ両手に違う武器を握っていても、一人は残る。

 

「むろん、加害者が複数なら可能だよ。

 だが、この日本で、そんな殺し方ができる人間を集める方が難しいと思うのさ」

 

 凛は己のサーヴァントの言葉を補足した。

 

「ええ。不動産屋からの情報だけど、

 被害者の家族は、ごく普通の評判のいい人達だったそうよ。

 殺されるような恨みを買うようには思えないって」

 

 サラリーマンの夫、兼業主婦の妻、もうすぐ小学校卒業だった長男。生き残った長女は中学一年生。

 

「言峰が指名手配になって、ひょっとしたらって言ってきたのよ。

 でも、わたしもあいつだとは思わないわ。

 三人をほぼ同時に殺すのは不可能じゃない。あいつ、元代行者だからね。

 でも、何種類もの武器は使わないでしょうね」

 

 言峰綺礼は、身長二メートル弱、体重も百キロ弱。凛の八極拳の師でもある。あの男の実力なら、武器を持ち出すまでもない。

 

「だが、第四次アーチャーならばできる。逆に言うと、彼にしかできない。

 教会から救助された子たちは、彼の贄だったのではないだろうか」

 

 キャスターが魔力を搾取したように、ライダーが吸血をしたように。

 

「……それは」

 

「だから、孤立勢力を作ってはいい的になってしまう。

 ライダーは宝具にもよるが、一番の武器は機動力だ。

 戦い方の性質上、主従の間の距離が問題になる」

 

 宝具にライダーが騎乗したら、マスターらはどうするのか。

 

「四次ライダーの宝具は、戦車だったそうだ。

 彼のマスターは、ライダーと一緒に御者台に座ったという。

 ライダー、あなたの宝具は、三人乗りが可能ですか?」

 

 ヤンの問いに、ライダーは唇を開いた。

 

「鞍に跨るのと、乗りこなすのは別です。

 乗馬の名手でないかぎり難しいと思います」

 

 慎二と桜は顔を見合わせた。乗馬の経験なんてない。

 

「それに、私が死んだら宝具のペガサスも消えます。

 マスターたちが、落ちてしまったら……」

 

 凛は溜め息を吐いた。

 

「一応、念のために聞くけど、慎二に桜、空中浮遊の魔術、使える?」

 

 兄が代表して答えた。

 

「できるか、馬鹿!」

 

「じゃ、重力制御は? 落ちるスピードを減らして……」

 

「それも無理だよ!」

 

 妹も頷く。

 

「……というより、遠坂先輩はそんな魔術ができるんですか?」

 

「空中浮遊は準備しないと無理だけど、まあ重力制御ぐらいなら」

 

 あっさりした答えに逆に凄みを感じる。

 

「凄いなあ、魔術でもそれはできるんだね」

 

「ちょっと待てよ。魔術でもって、どういう意味だよ?」

 

 黒髪のサーヴァントの変てこりんな相槌に、慎二はすかさず突っ込んだ。

 

「じゃあ、いい機会だから自己紹介を。

 私はヤン・ウェンリー。今から千六百年ほど未来の人間なんだ」

 

「はぁぁ!?」

 

 慎二にとって、アーチャーは謎だらけのサーヴァントだった。東洋系の容貌で、光の矢を撃ち、原子爆弾の原理を知っている。本人が明かした理由は、信じがたいものであった。遥か未来の英雄。

 

「もっとも、この世界は私の世界と違う歴史を辿りそうだから、

 異世界の異星人というのが正しいかな」

 

「い、異星人って……」

 

「あと三百年ほどで、人類は宇宙進出を開始するんだ。

 千六百年後には、地球から一万一千光年離れたところまで、

 人類領域は広がる。私はそこの出身だ」

 

 慎二と桜とライダーの顔面に、計七つのOの字が並んだ。

 

「う、嘘だろ!?」

 

「君がそう思うならそれでもいいよ。証明する手立てはないからね。

 ところでライダー、やはりあなたの宝具は天馬ペガサスでしたか。

 現代でいうなら、戦闘ヘリ対スティンガーミサイルみたいなものか。

 ……正面からの対峙は、上策とは言えないなあ」

 

 ヘリの場合は先に相手を捕捉し、撃たれる前に撃破するが、それには飛び道具が必要だ。

 

「そういう宝具はお持ちですか?

 あなたの場合は、見るだけで有効な気もしますが」

 

「サクラが元気になったので、確かにできなくはありません。

 ですが、私の視界に捉えるには、あまり遠くなると……」

 

 相手が判別できる距離まで近づかないと、魔眼の効果は薄い。残念ながら、彼女は千里眼の持ち主というわけではなかった。

 

「欠点だらけじゃないか……」

 

 歯噛みをする慎二に、ヤンは首を振った。

 

「いや、黄金のアーチャーがそれだけ規格外だということだよ。

 それに、野放図に石化してしまうよりはよほどいいじゃないか。

 特に、接近戦を得意とするサーヴァントには脅威だよ」

 

「それ、この状況で意味あるのか!?

 おまえたちを石にしても、僕らも巻き添えだろ!」

 

 だから交渉のテーブルについたのだが。

 

「でも、石化が効かない相手となるとどうでしょうか。

 無数の宝具を持っていると聞くと、

 やはりペルセウスを連想しますからね」

 

「その場合は、あの仔の力を開放して、体当たりします」

 

 淡々と語るライダーに、慎二は顔を覆った。

 

「おい……、ますます後ろに乗れやしないじゃないか」

 

「……あ、そうなりますね」

 

 ライダーは、怜悧な美貌に似合わず天然だった。彼女も自衛のために戦ったが、それは魔物に変じてからのこと。家族の愛を一身に受けた末娘として、乳母日傘(おんばひがさ)で育った身である。マスターを組み込んだ集団戦には、まるっきりの素人だった。

 

 ランサーが後頭部を掻きながら、舌打ちをした。

 

「チッ、調子が狂うぜ。

 ギリギリの戦いができる相手が、こんなに少ねえとは思わなかった」

 

 肉弾戦においては、ライダーはランサーの敵ではなく、逆に遠距離戦は殺るか石にされるかの早い者勝ちだ。技の応酬もへったくれもない。

 

「少ないけれど、そのぶん強敵でしょう。

 慎二君、そして桜君。君たちだけでは、四次アーチャーには勝てない。

 言峰綺礼がいるだろうからね。

 しかし、我々に協力してくれれば、負けはしないと思う。

 間桐には、キャスターという庇護者も手に入る」

 

 再び、二人の目が丸くなった。眼帯のせいで、ライダーは不明だが。

 

「私の望みは、この世に残ることなのよ。

 ひとまず身を寄せるには、ここはそう悪くないわ。少々、埃っぽいけれど」

 

 菫の瞳が、藍色と灰紫を捕らえた。

 

「巻き毛の坊やに、ライダーのマスター。

 蟲を始末したのは私と、我が下僕のランサーよ。

 あなたがたも私に対価をお寄越しなさいな」

 

「な、なにをだよ」

 

「私たちが勝って生き残るために」

 

 桜貝の指先が、二人を指さした。

 

「この家の魔術を。令呪のシステムをね」

 

*****

 

 いかに強大であっても、サーヴァントはサーヴァント。令呪の制約を受けているであろう。そうでなければ、あの数の生贄では維持できまい。

 

 キャスターはそう言うと、右の袖を捲った。

 

「これは、私が見様見真似でこしらえた擬似令呪。

 このエーテル体だから、こんな無茶ができるのだけれど」

 

「つまり、そのアーチャーも擬似令呪で制圧ができると?」

 

 ヤンの問いに、キャスターは首を振った。

 

「擬似令呪ではおそらくは無理よ。でも、本来の令呪があるはずだわ」 

 

「でも、たぶん、綺礼が持ってる」

 

 凛ははっとした。

 

「やっぱり、あいつがお父様を殺したんだわ!」

 

 桜の顔色も変わった。

 

「……えっ!?」

 

「お父様は根源に行くつもりだった。綺礼に令呪を渡すはずがないわ。

 もしも黄金のアーチャーが殺したなら、きっと滅多刺しだった。

 この刻印だって、無事では済まなかったはずなのよ!」

 

 凛は制服の左袖を捲り上げ、刻印に魔力を流す。五代が紡ぎ、織り上げた生きる魔導書が、細い腕を青白く飾る。

 

「でも、刻印は無事。傷ひとつない。傷つけないように即死させたからだわ……。

 でなきゃ、魔術師は死なない。この刻印が守ってくれる」

 

 ランサーが忌々しげに吐き捨てた。

 

「あの野郎ならできるぜ。俺が証人だ」

 

「……わたしとは関係が……」

 

 養女に出されたのは、自分がいらない子だから。そう思っていた桜に、穏やかな声が掛けられた。

 

「あるんだよ、桜君。養子縁組は解消することができるんだ。

 君の本当のご両親が健在だったならば、今の君は遠坂桜だったかもしれない」

 

「……え」

 

「むしろ、聖杯戦争の一時的な避難だったのかと思うんだ。

 この間桐家からの参加者ははっきりしていない。

 でも、慎二君の祖父と父は健在だった。

 お父さんが亡くなったら、魔術師のいなくなる遠坂家より、

 まだ安全に見えたのではないだろうか」

 

 その言葉に、桜は眦が裂けんばかりに目を瞠った。

 

「だって、わたしがいらないからじゃ……」

 

「君と凛は一学年違いだね。

 凛が二月生まれなら、君は三月生まれ。違うかい?」

 

「そうですけど……遠坂先輩に聞いたんですか」

 

「まあ、そうとも言えるかな。

 イリヤ君がやってきた翌朝、君と二歳違いになったと考えていたんだよ」

 

 凛は呆気にとられた。

 

「よく覚えてたわね、そんなこと」

 

 ヤンは懐かしげに微笑んだ。

 

「私が預っていた子は、私より誕生日が十日早かった。

 その時だけ、十四歳違いになったんだ。君たち姉妹と逆にね」

 

 一学年違いで二歳下、冬生まれなら桜と名付けないだろう。消去法で三月生まれだ。

 

「冬生まれの凛は水にちなみ、春生まれの桜君は木にちなむ。

 陰陽五行に基づいてるのかな? 姉妹らしい、いい名前だと思ってね」

 

 凛と桜は顔を見合わせた。

 

「全然、共通点がないと思ってたわ……」

 

「遠坂先輩は格好いいのに、わたしは普通だなあって思ってました」

 

「そう? 桜って可愛いくていいじゃない。

 わたしの名前、字を説明するのがちょっと困るのよね」

 

 陰陽五行説は、ヤンのルーツ、中国から伝わったものだ。北は冬、色は黒、五行は水。東は春、色は青、五行は木。

 

 ちなみに、南は夏で赤で火、西は秋で白で金、中央が土用で黄色で土となる。青春や白秋も、これから生まれた言葉だ。

 

 平安貴族の流れを組む遠坂時臣には、当然の知識だったと思われる。ヤンは、顔を疑問符だらけにしている面々にそう説明した。

 

「十年前の二月、凛は七歳、君は五歳。小さな子の二歳の差は、本当に大きいんだ。

 まだまだ物心つかない君を、少しでも安全な方に。

 お父さんはそう考えたのではないかと、私は思うんだよ」

 

 ヤンは、間桐兄妹に微笑みかけた。

 

「これだって証明しようもないことかもしれないが、

 そういう考えもできると、心に留めておいてほしい。

 その可能性を潰したのが、言峰綺礼なのかもしれない。

 彼を確保し、過去を明らかにし、罪があるなら償わせる」

 

 桜はおずおずと頷いた。

 

「でも、これはあくまで前回の精算だ。

 今回の聖杯戦争の邪魔者は、黄金のアーチャーのみ。

 彼を排除し、聖杯を調査し、使用に耐えるか確かめなくてはならない。

 ということで、キャスター。専門家から続きをお願いします」

 

「では、話を戻しましょうか。その黄金のアーチャーが何者かはわからない。

 でも、真名がなんであれ、サーヴァントはマスターに令呪を握られた存在」

 

 サーヴァントが手強いなら、使役者を狙う。聖杯戦争の定石の一つだ。

 

「マスターからアーチャーの令呪を奪う方法もあるけれど、

 その主従が行動を共にしている時に、マスターに迫るのは難しそうね。

 強いマスターのようだし」

 

 凛は渋い顔で頷いた。

 

「ええ。あいつは代行者だったから、霊体に攻撃する武器がある。

 わたしのアーチャーじゃ無理よ。つまり、今回のマスターたちじゃ無理ってこと」

 

「私の幻影も、宝具の矢の雨ではどうしようもないわ」

 

 必殺の槍一本は欺けても、数撃ちゃ当たるには弱い。

 

「理想としては、令呪に遠隔から干渉できると一番いいのだけれど。

 この術を編んだ者なら、それぐらいは考えたはずだもの。

 それが無理でも、所持者を探知できないかしら」

 

 凛は頷いた。

 

「逆はできるものね。桜の令呪の気配を消して、本にも移せたんだから」

 

 翡翠が藍を睨みつけ、鞄から本を取り出した。今は白紙となったが、ライダーの令呪が記されていた本だ。

 

「これだって、とんでもない術よ。

 他者に移植はできるけど、相手にも魔術回路が必要なの。

 この本に、魔術回路があるとでもいうわけ?」

 

 凛の詰問に、キャスターは心底嫌そうな顔をした。

 

「……あるかもしれなくてよ。その材料が、蟲だったら……」

 

「い、嫌ぁ! やめてよキャスター!」

 

 凛は悲鳴を上げて本を取り落とした。慎二の膝の上に。

 

「うわっ、こっちに寄越すなよ!」

 

 慎二は本を払い落とし、部屋の隅へと蹴りやった。

彼の態度に凛は鼻を鳴らした。

 

「今さら何よ。後生大事に懐に抱えてたくせに」

 

 真っ青になった慎二は、せわしなくズボンの膝を払いながら反論した。

 

「本の材料なんて考えたこともなかったさ!

 ……でも、あのジジイならやりかねない……」

 

 桜がすっくと立ち上がった。客間から出て行く。

 

「さ、桜……?」

 

 凛と慎二の呼びかけにも、小さな背は答えなかった。赤い外套の偉丈夫が、気遣わしげな視線を送った。

 

「大丈夫なのかね、君たちの妹は……」  

 

 あまり大丈夫ではなかった。戻ってきた桜は、マスクにゴム手袋、右手に火バサミ、左手に三重にしたゴミ袋の完全武装だった。マスクの上から覗く目が、完全に座っている。無言のまま、火バサミで床に落ちた本を挟むと、ゴミ袋に突っ込んだ。

 

「キャスターさん、これ、研究しますか?」

 

「え、いいえ、結構よ」

 

 異様な迫力に、さしもの王女メディアも首を横にしか触れなかった。

 

「じゃ、ゴミに出しちゃってもいいですよね?

 ちょうど明日が収集日ですから」

 

 言いながら、一緒に持ってきていた殺虫剤を吹き込み、漂白剤も注いで袋の口をきつく縛りあげる。

 

「……うん、これでよし」

 

 やり遂げた顔になった妹に、かろうじて兄のみが反論できた。

 

「いや、よしじゃないよ! ゴキブリじゃないんだからさ……」

 

「……ゴキブリが死ぬ方法で、殺せない虫なんていません。

 それにいいんです。明日になれば燃えるんですから。

 あ、兄さんも遠坂先輩も、手を洗ってきてください。

 あと、ここ、今から掃除しますから」

 

「そ、掃除って、そんな場合じゃないだろ!」

 

「そ、う、じ、しますから!」

 

 円らな瞳が吊り上がり、姉妹の相似が明らかとなった。しかし、普段が大人しいぶん、迫力は姉の倍だ。桜の剣幕に、凛は妥協案を持ち出した。

 

「じゃあ、わたしも手伝うわ。慎二も手伝いなさいよ。

 みんなでやって、さっさと終わらせましょ?」

 

「そうだね、その方が早そうだ」

 

 桜君を説得するよりも。ヤンの心話に、凛も心中で同意を返す。まったくだわ。

 

「サクラ、私も手伝います」

 

 兄妹のやりとりにおろおろしていたライダーが、救われたような表情で立ち上がった。

 

「私たちまで?」

 

 不服そうなキャスターに、凛は必勝の言葉を持ち出した。

 

「現代の掃除方法を学ぶチャンスじゃないの。これも花嫁修業よ」

 

「やりましょう」

 

 マスターがそう決めた以上、哀れな下僕たちは従うほかなかった。


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