アーサー王伝説のすべてを網羅している人間は、恐らくいない。それほどに、バリエーションに富んだ話なのである。しかし、実は女だったという異説は、アーチャーは聞いたこともない。ということは、ばれないように男装をしていたはずで、こんな豪奢なドレスに、髪を美しく結い上げた姿ではなかっただろう。
「君がどの時代のどこの国の英雄なのか、私にはさっぱり分からなかった。
でも、君自身が探すなら、すぐに見つかると思ったんだよ」
服装は中世末期だが、様々な言動からは十字軍以前のヨーロッパ辺境の人間だと思われた。キリスト教への信仰が薄いこと、食事が雑だと言ったこと。だから、彼女が騎士で一国の君主だというのが、大きな疑問だったのである。その時代は、まだ女子相続は行なわれなかったからだ。
もっとも、他にやらなければならないことが多すぎて、アーチャーもセイバーの素性を探るのは止めてしまった。ランサーやライダー、アサシンの格好を目の当たりにし、
ギリシャの大英雄ヘラクレスはバーサーカー。せめて、セイバーぐらいは美しい夢でいてほしかったということもある。
アーチャーは溜息を吐きながら立ち上がると、困りきった顔で腕組みをした。
「まさか、セイバーの正体がアーサー王だったとはね……。
たしかにそれじゃあ、この世界がセイバーの世界の未来かどうか、
判断ができないよなあ……」
金銀赤銅の頭が一斉に頷いた。
「うん、そうなんだ。でも、セイバーはまだ生きてるって言うんだ。
だから、鞘を持って帰れるなら、まだ方法があるかも知れないと思ってさ。
世界との契約なんて、ちょっと怪しすぎるっていうか……」
「そうよ。ほんとうに世界が助けてくれるなら、
なぜセイバーのケガを治してくれないの?」
剣の主従は目と口で丸を作り、バーサーカーのマスターに向き直った。
「ほんとうのやりなおしは、そういうことだと思うの。
わたしはシロウを殺しちゃうところだった。
シロウのケガを、セイバーのサヤが治してくれたから、
こうやってやりなおすことができたんだわ」
白銀の頭が深々と下げられる。
「だから、セイバーもありがとう。アーチャーもね。
ねえ、セイバー、おねがいを取り消せないの?
サヤがあれば、やりなおしができない?」
「……わかりません。世界から誘いを受けるしか、道はないと思っていた……」
項垂れる従者の背を、士郎は労わるように叩いた。
「や、無理もないと思う。
セイバーは大怪我してるんだし、そこにうまいこと言われたら信じちまうよ」
青年ふたりは顔を見合わせた。
「また、ややこしいことになってきやがったな……」
猛者との全力の戦いを望んで召喚されたランサーは、国を救いたいと願うセイバーに首を傾げるところがあったのだ。孤軍奮戦して守った故国は、この世のどこにもない。復活を願うには時が進みすぎている。
しかし、セイバーは違うのだという。彼女の願いは、彼女本体の現在、すなわち過去にある。
「こりゃ、アーチャーの言っていたタイムなんたらってやつか?」
「ええ、そんな気もします。でも、確証のとりようもありません。
当面はできることからやりましょう」
あっさりと話題を転換したアーチャーに、色とりどりの視線が集中する。
「大まかに課題は三点。
一点目は、聖杯の調査の準備を進める。
みんなの願いに、折りあいが付けられないかを含めてね。
二点目は、第八の陣営への警戒だ。
最後が、士郎君の体内にあるかもしれない鞘。こいつをどうにかできないか。
とりあえず、上げた順から始めようと思う」
ヤンは溜め息をついて髪をかきまわした。
「士郎君、借りてきてもらった本をちょっと貸してもらえるかい」
「ああ、いいぞ。冬木の地形図と断層の本だよな。
ところで、どうして断層の本がいるのさ?」
「私は魔術を知らないから、霊脈とは何ぞやと思ってね。
この街の霊地は、柳洞寺に遠坂、間桐の両家と言峰教会だったっけ」
士郎は曖昧に頷いた。
「ああ、そうなんだってな」
「みんな高台にあるだろう。
水は高きから低きに至るが、低きから高きに至るのが断層による地形の隆起だ」
「う、ううん?」
「つまり、屈指の霊地というのは活断層の巣ではないのかということさ。
安易に大聖杯をどうにかすると、横取りしていたエネルギーが元に戻る恐れがある」
ヨーロッパ西北部の出身者達が首を傾げる中で、琥珀だけが深刻な色に染まった。
「じゃ、じゃあ、活断層にエネルギーが戻るってことか!?」
「どうしたの、シロウ。カツダンソウってなに?」
ヤンと士郎の恐れを共有できるものは、この場ではバーサーカーのみだっただろう。ドイツ、イギリス、アイルランドは、世界で最も安定した陸地だ。
「……地面の下の、地震が起きる場所のことだ。冬木に地震が!?」
アーチャーが頷いた。
「今回の聖杯戦争のいかんによっては、その恐れもある。
だから、キャスターに調べてもらおうということだよ。
そのためにも、大聖杯の位置を割り出さないといけない」
士郎は唾を呑み込むと、無言で母屋へと駈け出した。
「そんなもんで判るのか?」
疑わしそうなランサーに、アーチャーは首を傾げた。
「闇雲に冬木中を探すよりはましなはずです。
断層が霊脈ならば、最も隆起し、等高線が密で複雑な場所が怪しい。
柳洞寺のある円蔵山で、断層と重なるところにあるのではないかと」
居残った面々の瞳に疑問符が浮かんだ。
「根拠のないことではありません。寺の名にある『洞』。
日本の洞窟は、だいたい石灰岩が侵食されてできるんです。
石灰岩があるのは、もともと海の底だったところだ。
これも地震と表裏一体の自然現象なんですよ」
アーチャーは黒髪をかき回すと溜息を吐いた。
「この推測が当たらないことを祈るが」
しかしヤン・ウェンリーの予測は、悲観的なものほど的中するのである。駆け戻ってきた士郎が差し出した本を参考に、転がっていた黒板に白で等高線の略図を描き、次に断層を赤で書き入れる。
「うわぁ……」
ヤンは呻いた。円蔵山を真っ二つに切り裂く赤い筋。その片端は、特に等高線が密な場所を指していた。
「ねえ、アーチャー。これ、あたっちゃったってこと?」
「うん……。そういうことだ。こりゃまずいなあ。
みんな、こっちの本を見てくれないか」
開いたページには、冬木の地図。複数の断層が綾なすように表示されていた。
「こいつがダンソウってやつか。へぇ、町中に張り巡らされてるじゃねえか」
地震のない国に生きたランサーの指摘に悪気はない。だが、冬木在住者は真っ青になった。
「なんだ、これ!? 霊脈ってこのことなのか!?」
イリヤは首を左右に振った。
「よくわからないわ。この星が生む魔力の流れのことだから」
イリヤは魔術師としての教育は受けているが、学校で学ぶ科学知識には疎い。
「じゃあ、そいつは後で凛に聞こう。だが、辻褄が合うんだよなあ。
二百年前の日本は、ヨーロッパから見れば世界の果てだ。
なのにわざわざここを選んだのは、こういう理由かもしれない」
五つのプレートの交点に生まれた、玉を追う龍の形をした島。安定陸塊の上にあるヨーロッパ北西部に比べ、大地が生むエネルギーはずっと大きい。
「まいったなあ」
アーチャーは思い切り髪をかき回した。
「私は、聖杯以外にキャスターの望みを叶える方法を提示し、
彼女に残留してもらうつもりだったんだ。
で、次回までに大聖杯を改良してもらおうかと思っていた。
今回については、第八のサーヴァントがいるなら、
セイバーとキャスターを除いても犠牲の帳尻は合う」
あっさりと言ってのけたアーチャーに、ランサーは鼻を鳴らした。
「そうは言うがな、おまえが残りを斃して回る気か?」
「前回の黄金のアーチャーは、私と違って大変強いサーヴァントです。
猛者と戦いたいというあなたの願いも叶うでしょうが、
それでもこちらの不利は否めません。
マスターたちを守り、セイバーとキャスターを温存するならなおさらです。
結果的に共倒れになるんじゃないかと思います。
我々は基本的に歩兵ですが、彼は戦車隊を擁している」
それは土蔵の寒さが増すような予想であった。
「そいつがいなけりゃどうする気だ?」
ヤンは目を瞬いてから、右手の指を折り始めた。
「聖杯以外に願いを持つものには、それを提供します。
聖杯は目的達成の手段だが、代替方法があるものもある。
キャスターのようにね」
愛する人と現世で添い遂げるため、魔力の源としてキャスターは聖杯を欲した。優秀なマスターが霊脈つきで見つかれば、無理して戦う必要などないのだ。
「そのうえで、なるべく納得ずくで聖杯の贄になってもらうつもりでした。
キャスターは聖杯以外でも望みが叶う。私も同じです。
桜君を助けたいというライダーの望みは既に叶えた。
バーサーカーの望みは不明ですが、イリヤ君の意志には逆らわないでしょう」
折られた指は四本。
「ランサーの願いは、バーサーカーと戦えば叶うと思いますがね。
もっとも、あなたとアサシンは、キャスターが手綱を握っている」
ランサーは舌打ちするしかなかった。
「これで六。イリヤ君とセイバーの願いを叶えるというのも、
あながち不可能ではないでしょう。
願いが共存できなくとも、キャスターらにご協力をいただき、
不老長寿に近い薬を作ってもらえば、アインツベルンに実利はありました」
「ありましたって、なんでさ?」
士郎の問いに、アーチャーは肩を竦めた。
「セイバーの願いの実現が難しくなったからだよ。
正直、これでは無理だと思うんだ」
「私を騙したのか!?」
柳眉を逆立てたセイバーに、彼は曖昧に首を振った。
「あの時は君の状況がよくわからなかったからね」
「う……」
穏和な口調で刺された釘に、セイバーは二の句が継げなくなった。
「こうして聞いてみると、千五百年以上の歴史の書き換えが必要ではないかと思う。
となると、できそうな術者が故人しかいないんだ」
「こ、故人!? 故人とはどういう……」
「根源を目指そうとしていた遠坂時臣。できるというなら彼しかいない」
ヤンは土蔵の天井に指を向けた。指しているのは、その遥か上だったが。
「根源は、この世の法則を塗り替える『魔法』を得られる場所だという。
いわゆる神の座、
ビッグバンの一瞬前ではないんだろうか。
そこに到達するには、サーヴァント七騎すべてが燃料に必要なんだろう?」
黒曜石が紅玉に向けられ、小さな銀の頭がこっくりと頷いた。
「根源に到達した魔術師は、魔法を探そうとしているんだ。
もういなくなったサーヴァントの願いを優先してくれると思うかい?
なにより、君は彼のサーヴァントではなかった」
そう、前回のマスターは衛宮切嗣だ。セイバーと三回しか口をきかず、接触を頑なに避けていた男。願いの代行をしてくれるかと、自問するのも愚かだった。
「そして今回のマスターは士郎君。
侮るようで申し訳ないが、聖杯戦争を知らなかったレベルでは、
ちょっと無理だと思うんだよね」
セイバーの視線を受けて、士郎は両肩の前に両手を上げた。
「や、確かに俺、遠坂の言うとおりへっぽこだしなあ……。絶対に無理だぞ……」
「そして、凛の研究テーマは父とは違う。第二魔法並行世界の運用。
イリヤ君のは第三魔法、魂の物質化の復活」
アーチャーは無造作にセイバーのそばへ足を踏み出した。彼女の剣の間合いの中に。
「君の願いを叶えるには、前回に遠坂時臣のサーヴァントとして召喚され、
彼を勝利させ、君の願いを叶えてもらえるほどに感謝されなくてはならなかった」
エメラルドが揺らぐ。それはもはや覆せぬこと。
「今回は遅すぎる。あるいは早すぎた」
「は、早すぎた……?」
「本来の周期の聖杯戦争であれば、参加者は凛の子どもか孫だっただろう。
そのマスターが君を召喚し、宿願を叶えようとするならね」
これもまた仮定の話だった。第六次までに、アーチャーの世界のように核戦争が起こったら不可能になる。
セイバーは、認めざるを得なかった。六騎の犠牲で届くのは、世界の内側だけ。刹那の間さえも自由にならないのに、どうして千年以上を変えられるだろうか。時の流れに支配された世界の内側では叶えられぬ願いだ。世界の壁を越えて、根源に至るほかはない。
アーチャーは口には出さぬ。しかし、セイバーに残された選択肢は、今のところ一つしかなかった。ただ一騎で、残る七騎をことごとく斃す。それは不可能と同義だ。
俯いて拳を握るセイバーに、穏やかな声が掛けられる。
「私は魔術なんて知らないから、キャスターにも聞いてみよう。
他にも方法があるかもしれないからね。
しかし、たぶんだけれど、聖杯では君を救うことはできないと私も思うよ」
アーチャーの口ぶりに、ランサーが目を瞬いた。
「私も、ってか?」
ヤン・ウェンリーはセイバーと衛宮姉弟に微笑みかけた。いかにも滋味を感じさせる表情で。
「気がついたんだろう? 世界とやらの詐術に。
だから、セイバーの触媒を捜しているんだろう?」
「……そいつが俺の身体の中にあるのかも知れないんだけど……」
ヤンは黒髪をかきまわした。
「うーん、そいつはなんとかなるかもしれないよ?」
昨今の震災で被害に遭われた方にとって、この作品で不快となられましたら、誠に申し訳ないことです。しかし、軍人に可能な聖杯戦争へのアプローチの描写ですので、ご理解いただけると幸いです。