居合わせた者たちと、電話の向こう側のキャスターが一斉に息を呑んだ。今回の聖杯戦争でも起こっていることだ。キャスターによるランサーの奪取。やや変則的だが、ライダーの代理使役もあった。前回に起こっていてもなんの不思議もない。
「ほかにもおかしなことがある。
さっき、第一次から第三次までの状況をイリヤ君が教えてくれたが、
ろくな戦闘がないように思えるんだよ。
どこに、サーヴァントの影響で擬似的な不死を得たマスターが登場するんだ?」
「あ!」
「凛はそれを知っている。イリヤ君は知っていたかい?」
イリヤは首を横に振った。
「そんなの、聞いたことない」
「さて、今回はそういうマスターがいる。
バーサーカーから受けた傷が、跡形もなく治った士郎君だ」
士郎の視界に、色調を異にする赤と緑の瞳が一斉に飛び込んできた。
「彼の手当をした私が断言するが、あれは間違いなく致命傷だよ。
そういう怪我が治癒したのでなければ、不死とは言えない。
しかし、なぜそれがわかったのか。こちらも答えは二つかな?」
ランサーが口を開いた。
「殺るか、殺られたからだ。確実に急所を捉えてな」
「ご名答です。
同じサーヴァントのマスターが、
同じ治癒能力を持っていると考えたほうが無理がない。
同じサーヴァントを呼ぶことは可能だからだ」
呆然とする士郎の前で、凛とイリヤが同一の単語を口にした。
「触媒……!」
「それが士郎君と『彼』に、不死に近い再生能力を与えたのではないか。
ただし、サーヴァントが現界している期間だけね」
士郎も凛に倣うかのように、右の肩を握り締めた。弓道部から足が遠ざかった原因の怪我。治るまでに一か月、痕が薄くなるには三か月以上かかった。でも、炎に巻かれたはずの十年前の痕跡はない。
「じゃ、じゃあ……」
「凛にそれを語った者こそが、士郎君たちの父と戦ったと考えられる。
まあ、最初からおかしいと言えばおかしかった。
すぐに敗退した者が、どうして衛宮切嗣の行為を語れるんだ?」
第四次聖杯戦争参加者の遺児たちの瞳が、零れんばかりに瞠られた。セイバーが歯の間から声を絞り出した。
「……そうだ。ランサー主従には語れない。ライダーたちも知らないはず……」
「マスターは自分に似たサーヴァントを召喚する。
そういうことではないのかと私は疑っているわけだ」
「アーチャー……あんた、何を言ってるか判ってんの!?」
顔を磁器の白さにした凛の問いに、アーチャーは静かに答えた。
「私も教会にいたんだよ。君の後見人が、衛宮切嗣を語るのを見ていた」
押し殺しきれない、歪んだ歓喜に満ちた表情だった。
「あんなに詳しく語れるということが答えだ」
マスターの一人を斃すため、ホテルを爆破し、彼の婚約者を攫い、騙まし討ち同然に殺したと。
「それをどうやって知ったんだ? 語れそうな者はこの世にいないのに」
「あっ……」
「一方で、教会が呼びかけたキャスターの討伐。
子どもを攫い、止める家人を皆殺しにしたのが、
キャスター主従だとどうして断言できるんだ」
「し、しかし、彼奴らは、私の目の前で、子どもを魔物の生贄に……!」
「違うよ、セイバー。それは犯行の結果であって、犯行そのものではない。
子どもを攫うのと、家人を殺すのは同じことではないんだ」
士郎は唾を飲み込んでから、セイバーに告げた。
「そうだ、アーチャーの言うとおりだ。
子どもを誘拐すんなら、学校の帰りなんかを狙えばいい。
普通なら親は迎えにこないから、親を殺さなくても誘拐はできるんだ」
アーチャーは頷いた。
「それは家に押し入ったときに発生する犯罪のかたちだ。
しかし、大人が殺され、子どもがさらわれていては発見が遅れるよ。
警察に通報され、報道されるまでに、またタイムラグが発生する。
教会からの通達はあまりに早い。まるで犯行を目撃したかのようだ」
セイバーは息を飲んだ。アインツベルンの森での残虐な血の供犠。それを目の当たりにしていた彼女は、教会からの伝達を疑いはしなかった。
「それには、今回のキャスターのような探査能力が必要だ。
だが、肝心のキャスターがその犯人だと言う。
では誰がそれを見た?」
黒い瞳の焦点が、時空を超えた場所へと結ばれる。
「いや、見ただけではいけない。伝えなくては意味がない。
そう考えると、可能なものがただ一騎だけ存在する」
アーチャーは、自分にとっても苦い単語を口にした。
「――
気配遮断スキルを持つ彼らなら、見ているだけなら気づかれない。
マスターと感覚共有することだってできる。
情報を握る教会に、アサシンのマスターは潜んでいた。
これが最も辻褄の合う推論だ」
衝撃を受ける緑の瞳のふたり。
「そ、そんな……綺礼が……」
「馬鹿な! ならばなぜ、あの凶行を止めなかったというのか!」
呻くようなセイバーに、アーチャーはそっけないほどの口調で答えた。
「教会にとっては、遠坂時臣を勝たせる出来レースだからさ」
凛は思わず彼に掴みかかった。その手は空を切らず、温かな手に受け止められた。
「凛、凛。君にとってショックなのはよくわかる。
しかし、遠坂の望みを考えた時にわかったんだ」
「何がよ!」
どこまでも深い黒い瞳が、凛を通して遠坂の願いに向けられていた。
「君の父の望みが根源への到達ならば、教会にとって最もありがたいんだ。
神の権威を穢す、不老不死の復活なんてとんでもないことだ。
だって、この世界には吸血鬼やゾンビが存在して、
聖堂教会は彼らを狩っているんだろう?」
「あ……」
神の名において、人外を狩る代行者。まさに言峰綺礼の前歴である。息子が危険な任務に就くことに反対しなかったことからして、彼の父璃正の信仰も同様だったのではないか。
「その点、時臣氏の願いは、世界の外へ片道切符で行くようなものだ。
第三魔法復活を願うアインツベルン、不老不死が願いだったマキリ。
この両者が勝者になったら困るんだよ」
ランサーが鼻を鳴らした。
「はん、御三家以外だって、強いサーヴァントがいたんだろうが」
アーチャーは首を振った。
「いいえ、この二家は聖杯の器と令呪を抑えている。
単に勝つのは可能でも、魔術儀式の勝者となるのは難しい」
ランサーの携帯から、得心したような呟きが漏れてきた。
『なるほどね。遠坂はいずれも持たぬ魔道の若輩。
教会が味方しても勝つのは容易ではないでしょうけれど、
失敗しても懐は痛まない』
「恐らくは」
アーチャーの手の中で、凛の拳が解け、指先が冷たくなっていく。項垂れるマスターを、彼は沈痛な面持ちで見つめた。
「言っただろう、戦いは数と情報に左右されると。
その点では、君の父は正攻法に徹している」
「……連続殺人犯を見逃しても!?」
「勝つために必要ならと考えたんじゃないかな。あまり賢いやり方ではないね。
一番信じてはいけない相手を、同盟者にしたのを含めて」
アーチャーが誰を疑っているかは、もはや明白だった。漆黒の瞳が、凛からランサーへと向きを変える。
「そこでランサー、あなたに伺いたい。
なぜ、あなたの前のマスターの保護を教会に伝達しなかったのか」
「……てめえ、実は性格極悪だろ」
ランサーの切り返しに、アーチャーことヤン・ウェンリーはうっすらと微笑んだ。
「善人が、金と引き替えに人を殺す職業に就くと思いますか?」
彼の故郷であり、戦場でもあった、宇宙空間そのものの温度の笑いであった。
ランサーは失態を悟った。彼が踏んだのは、とんでもない化け物の尻尾だった。一千万人を呑みこむ漆黒の龍。それがこの男の本性だ。
「私は人を疑い、策に嵌めて殺すのが仕事だった。だから疑うわけですよ。
我々が教会にいたときに、あなたが墓地に現れた理由を。
あなたのような好漢を、心に蕁麻疹ができそうな野郎が従えていた理由をね」
「くっそ……わかってやがるくせに」
「現段階では、あくまで私の憶測ですよ。
でも、それが的中していたら、この子たちの命も危うい。
……あなたの本当の主のように」
ランサーの目が見開かれ、険しく細められた。
「貴様……!」
殴りかからんばかりの形相に、凛は制止の声を上げた。
「待ってランサー。アーチャー、どういうこと?」
「彼女とキャスターの間に、ランサーの主であった人間がいるということだよ」
「彼女!? 彼女って、じゃあ、時計塔の斡旋した……」
「そうだ。ランサーが召喚に応じた理由から考えるに、
彼を全力で戦わせることができるマスターは彼女しかいない。
男性の方では無理だ」
二対の瞳が石と化し、呆然と黒髪のサーヴァントを見つめた。これは魔術でも千里眼でもない。わずかな情報の欠片を、丹念につぎはぎした結果だ。
「戦いには
戦いは、人間の感情のぶつけ合いだから当然だがね。
ポイントは、ランサーほどの戦士に諜報をやらせたこと。
さて、四次で似た戦い方をしたサーヴァントがいなかっただろうか?」
金沙の髪の少女騎士も、聖緑を零れんばかりに見開いた。
「まさか、そんな!」
「そして二人のマスターに対しても、似たようなことをしたのではないだろうか」
「なんだと!?」
ランサーがアーチャーに詰め寄る。士郎は震える口を開いた。
「ふたり、ふたりって……」
「第四次アーチャーのマスター、遠坂時臣。
第五次ランサーのマスター、バゼット・フラガ・マクレミッツ。
両者のサーヴァントを強奪したのは同一人物だということさ」
場が静まり返った。
「ほかにもある。サーヴァントの願いについてだ。
人生のやりなおしを求めるもよし、受肉して生きるもよしと、彼はそう言った。
前者の願いはともかく、後者が出てきたのはなぜだろう」
その場に居合わせなかったセイバーは、はっとなって口を開いた。
「それは四次ライダーの望みだったはず……」
「ではセイバー、それを知りえる者は?」
「……私とアイリスフィール、ライダーの主従、そしてアーチャーと……」
凛とした声が少しずつ張りを失い、最後は囁くような小声になった。
「あの男のマスター。アサシンが潜んでいたなら、そのマスターも聞いていた……?」
「彼がライダーの望みを知っていたのなら、
アーチャーと同盟していたか、アサシンの主ということになり、
先ほどの推論と矛盾しなくなる」
「し、しかし、単なる偶然かも知れないでしょう」
「そうかもしれないが、人間は往々にして身近なものを例にするんだ。
だとしたら厄介だよ。前回のアーチャーならば、深山町の一家殺人が可能だからね」
「よもや、あのアーチャーがいると!?」
「そう思ったほうがいいだろう。
隠しているようで、隠しきれていない。
君や私のマスターに自慢でもしたいんだろう」
「じ、自慢ってなんなのさ!?」
「君たちの父は亡くなり、自分は生きている。
君たちは何も知らず、不幸の元凶を再演しようとしていると。
ま、これは私の言いがかりだ。確たる証拠は何もない」
アーチャーの視線が刃と化し、蒼い前髪を断ち切る鋭さで一閃した。ランサーはそっぽを向いて右手を挙げた。
「ひとつ、証言はあるぜ。おまえに言わせりゃ幽霊の言葉だがな。
俺を呼んだ女をやったのは、おまえが疑っている男だ」
「そいつはどうも。
あなたの二番目の主は、言峰神父ということで間違いないですか?」
ランサーはアーチャーに向き直り、無言で頷いた。
「では、今後の課題は第八の勢力の排除になります。
となれば、一番危険なのはキャスター、あなたがただ」
『なんですって!?』
「サーヴァントの所在がはっきり知れているからです。
危険ですよ。寺の住人をことごとく殺すかもしれない。
可能ならアサシンも連れて、間桐家に移ってください。
ライダーはあなたに恩があるし、桜君たちの保護者も必要です」
『マスターと離れろと言うのね』
察しのよい相手にヤンは頷いた。もっとも、電話の向こうのキャスターには見えないだろうが。
「ええ、あなたがサーヴァントとして籠城するから、敵が攻めてくるわけです。
人間を装って、街中で暮らせばおいそれと手は出せない。
いざというときは、我々と相補的に戦えばいいでしょう」
『けれど、大聖杯はあの山のどこかにあるのよ』
「脱落者がいない以上、まだ意味がありません。
小聖杯の器は、イリヤ君が握っている。
使う時に、こちらの陣地になっていればいいんですから」
必要な場所を、必要な時だけ使う。ヤンが生前構想していた
『……わかったわ』
「そして、ここからが士郎君とセイバーの正念場だ。
イリヤ君もね。因縁の相手として狙われる可能性が高い」
名を挙げられた面々は一斉に頷いたが、イリヤが心配そうな表情になる。
「ねえ、リンとアーチャーは?」
セイバー主従は顔を見合わせ、イリヤと同様に眉を寄せた。頭脳は最高、しかし戦士としては最底辺。宝具は強力だが、本人にとっても両刃の刃。襲われたらひとたまりもないだろう。
アーチャーはゆっくりを瞬きをして微笑んだ。いつもの温かみのある表情に、凛は詰めていた息を吐いた。
「心配してくれてありがとう。ここは家族同士で乗り切ろうと思うのさ。
我々は間桐主従と組むよ」