Fate/sn×銀英伝クロスを考えてみた   作:白詰草

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55:未来から過去へ

 とさりと軽い音がして、セイバーの小さな体が畳に倒れ、ヤンを慌てさせた。

 

「あっ、セイバーまで……」

 

 ランサーも憔悴して畳に突っ伏し、蒼い髪を掻き毟る。アーチャーの言葉を中継しなさいという、現マスターの命に律儀に従った結果だ。

 

「やっぱ、てめえがキャスターでいいんじゃねえか?

 あの女はアサシンでよ。……山門の野郎は、アーチャーにでもしとくか」

 

 というよりも、この男が人間なのかランサーは疑っている。主に幸運を、敵に不幸をもたらす、黒猫の妖精。その化身ではないだろうか。こいつは敵をペテンにかけて、鼠にして飲み込みそうだ。

 

「はあ、でも私は魔術も魔法も使えませんが」

 

「いや、だからよ、今の世だって、俺にとっては夢の国以上だ。

 おまえの言葉が本当なら、未来は今よりさらに進んだ世なんだろう。

 船が光より早く星空を翔るなんざ、絵空事もいいところだが」

 

 嘆息するクー・フーリンに、はにかんだ笑みが向けられた。

 

「その艦に、あなたの名前が冠されていました。

 私の国だけではなく、敵国の艦にもです。

 千六百年ののちも、あなたは遍く敬われる英雄です」

 

 深紅の目がうろうろと彷徨い、彼は紅潮した頬を掻いた。

 

「お、おう……あー、なんだか照れるもんだな」

 

「ヘラクレスもメドゥーサも、そしてキャスターも、

 神話のみならず、星座や星として学びます。

 ここからでは天に輝く星座ですが、宇宙を行き来する我々にとっては、

 交通の難所だったりしますからね」

 

 これが、ヤンがサーヴァントらの正体にいち早く気づけた理由であった。イリヤ自ら明かした、バーサーカーは除くが。クー・フーリンは船の名に、ギリシャ神話の英雄は、星にまつわる学習の中にある。

 

「なるほど、そういう理由だったわけか」

 

 なお、ランサーの正体を悟ったのは、一に失言、二に赤い槍だったが、それは言わないでおくヤンだった。

 

「ああ、話が前後しました。

 この世界は、私の過去の世界そのものではなさそうです。

 しかし、英雄として私が呼ばれたということは、この歴史の差も、

 千六百年のうちには修正されていくのではないでしょうか。

 だから、ここも核戦争の危機を逃れられるか怪しいものだ。

 あなたの現在のマスターには、そう伝えてあります」

 

「じゃあ、あの女が停戦を受け入れたのは……」

 

「その核戦争の結末をお話したんですよ」

 

 北半球を中心に、人口の九割以上が死滅。続く内乱で、宗教のほとんどが滅ぶ。魔術基盤は失われ、キャスターの魔術をもってしても放射能を防ぐことはできないだろう。

 

 南半球に逃げれば助かるかもしれない。しかし、冬木の聖杯に縛られるサーヴァントは逃れられない。逃げたとしても、シェルターを作り、食料を始めとする物資を整えなくては、人間は生きていけない。

 

「げ……」

 

 ランサーの口から、蛙が潰れたような声が飛び出した。

 

「万が一核戦争が起こったときのために、

 聖杯を解析して、なんとかする方法を見つけませんとねえ」

 

 単に勝っても意味がない。聖杯が十全に機能するのは、聖杯戦争の間だけ。今、ここで調査をしないと次はないのだ。

 

「この子達にも同じことが言えます。

 平和な未来に生きるためには、もっと学ぶべきこと、やるべきことがある」

 

「じゃあよ、聖杯で戦争を防いだらどうだ?」

 

 アーチャーの瞳も声も、どこまでも静かで穏やかだった。

 

「そんなものには意味がないのです。

 世界の多くの国は、人間の平等を謳い、

 一人ひとりの判断を集め、社会を動かしている。

 その仕組みを手に入れるまで、人は多くの血を流してきました。

 幾多の国が滅び、王が斃れ、遥か多くの民の涙と血と命を糧にこの世界は生まれた。

 その犠牲と心と年月が、たったの七人で贖えるとは、私には思えない」

 

 その声は、意識を取り戻しつつあったセイバー主従にも届いた。

 

「古の英雄を七人集めたところで、結局はヨーロッパや中近東の英雄です。

 どうして世界すべてを変えられるでしょうか?」

 

「だが、おまえは未来の者だろうが」

 

 ランサーの反論に、ヤンは苦笑した。

 

「私など、たかだか軍の司令官にすぎませんからね。

 政治家の指示に従うのが仕事で、政治家を選ぶのは市民で、

 その市民を守るのが我々です。しかし、私も市民の一人だ。

 役割の差はあっても、平等の責任を持っている。

 人間として、同じ価値を持っているからです」

 

 見事な金髪に、あの美青年を思い出しながら、ヤンは言葉を続ける。

 

「今さら聖杯に縋ったら、独裁者に支配された過去に逆戻りすることになるでしょう。

 全人類が、聖杯の所持者の判断に左右される世界です。

 聖杯の所持者は、全人類の重みを背負わされる。

 そんな重みを背負える人間はいるかもしれませんが、少なくとも私ではない」

 

「おまえの部下はそう思ってはいないようだがな」

 

 黒髪が力なく振られた。

 

「彼は私を買いかぶっているだけですよ。

 とにかく、この聖杯に私が戦争の回避を願うのも、

 似たようなものではありませんか?」

 

 ヤンの言葉は、セイバーに冷水を浴びせたような効果をもたらした。がばりと跳ね起きた秀麗な面から、一切の血の気が引いていた。

 

「どういう意味だ!」

 

 ヤンは黒髪をかき回した。従者の叫びが士郎を覚醒させたが、アーチャーが続けた言葉が士郎の動きを止めた。

 

「何をもって平和と言うのか。争いはすべて否定されるべきものか。

 学業やスポーツ、商工業などの健全な競争まで含まれるのか。

 私が全部を決めろと言われても無理だし、聖杯が自動的にやってくれるなら、

 間違いがあっても止められないのではないだろうか」

 

 アーチャーが口にしたのは、SFにある人が機械に管理されたディストピア像だ。そういうこともありうるのだろうか。士郎はぞっとした。

 

「聖杯は万能の……」

 

 言い募るセイバーに、アーチャーの眉が八の字になった。

 

「うーん、製作者とその子孫を見るに、過大な期待はかけないほうがいいと思う」

 

「うっ……!」

 

 非常に端的で、説得力のありすぎる指摘に、また気が遠のきかけた士郎とセイバーだ。設置者は、当初の理想を忘れて蟲になった老人、うっかり屋の凛と直情型のイリヤの先祖である。

 

「この儀式自体、一回も完璧に成功していないしねえ。

 いきなり重大事を任せるなんて、それは無茶というものだ。

 昨日まで鍬を握っていた普通の少年に、大将を討ち取れというぐらいには」

 

「俺にはできるぜ」

 

 混ぜっ返すランサーに、ヤンは人の悪い質問をした。

 

「じゃあ、あなたを討ち取った相手はいかがです?」

 

「そうきやがったか。……ああ、たしかに違うな」

 

「とにかく、こいつは四回も失敗している、欠陥の多い代物です。

 設置はしたが、保全や改良をしているかというと、否と言わざるを得ない。

 主たる設置者は、ドイツで閉じ篭っている」

 

「たしかに、そうかもしれませんが……」

 

 セイバーも前回はドイツからやってきた。今回のイリヤと同様に。

 

「一方、マキリは子孫の能力は先細りになり、新たな後継者を育成するでもなかった。

 そして、本日をもって絶えたわけだ。ご協力をありがとうございました、ランサー」

 

「なに、おまえのマスターに比べりゃ、何ほどのことでもねえ」

 

 彼の言葉にヤンは微笑んだ。

 

「あなたの言葉は、凛の一生の誉れですね。

 では私のマスターでもある遠坂の話をしましょう。 

 魔術師としての遠坂は、凛で六代二百年。代替わりが短いでしょう。

 凛の祖父は五十代、父は三十代で亡くなっている」

 

 ヤンは溜息を吐いた。千年続いて、当主が(アハト)と名乗っているアインツベルンも、やはりまともではなさそうだ。

 

「凛の魔術は、とかく金がかかります。

 その資産を築き、家門の術を伝えるので手一杯ではないだろうか。

 祖先の事績を調べ、大聖杯の謎に至り、改善に着手する時間があるかどうか。

 あったら、私を呼ぶようなうっかりはしないと思いますが……」

 

 ヤンは胡坐を組みなおし、腕も組んだ。ランサーとセイバーは返答に困り、顔を見合わせた。肉弾戦に関しては、こんなに向いていないサーヴァントはいない。しかし、未来の知識で聖杯戦争を考え、よりよい方法を模索していた。キャスターよりも頭脳戦に特化したサーヴァントだ。

 

「きっと、聖杯か凛のうっかりによるエラーじゃないかなあ。

 士郎君にも伝えましたが、私は未来の異世界の異星人の幽霊なんですよ。

 下手に手を突っ込んで、世界滅亡が起きたらと思うとぞっとしない。

 これからの世界を築いていくのは、凛や士郎君たちなんだから」

 

 言ってからヤンは苦笑した。

 

「とはいえ、私の知る過去で、この世界の未来かもしれないことを教えたのは、

 ルール違反かな? 実現しないことを祈るよ」

 

「……うん」

 

 士郎はようやく畳から身を起こし、こくりと頷いた。

 

「さて、本日滅びた間桐。

 令呪の開発をしたにも関わらず、戦争への参加意欲は乏しい。

 正直、私は令呪の不正使用を疑っていました。

 最終的な勝者の令呪を乗っ取れるからではないかと。

 御三家の令呪が消えないのは、そのためではないかとね」

 

 苦りきった顔になったのは、アーチャーの策略の一番の被害者だった。

 

「おまえの発想、とことんえげつねえなあ……」

 

「私もそういう戦いをしていたものですから」

 

 さらっと悪どい返事が返ってきて、ランサーは顔を歪めた。ヤンはお構いなしに聖杯戦争史の考証を発表した。

 

「遠坂家の文献が正しいなら、この令呪は第三次から使われ始めたようです。

 しかし、第三次はかなり短期間で終了してしまったと推測します」

 

「なんでさ?」

 

「第三次の実施時期は、八十年ぐらい前だろう。

 太平洋戦争の前夜だよ。外国人は今よりも遥かに目立つ。

 複数の外国人が二週間もうろついたら、なんらかの証言が残るものだ」

 

「複数……あ、マスターとサーヴァントか!」

 

 ヤンは頷いた。黒髪黒目に中肉中背、東洋的な容貌のヤンはともかく、魔術師の多くは外国人、さらにサーヴァントは美男美女となれば目立たないほうがおかしい。

 

「ああ。令呪を準備し、満を持して開催したのにだ。

 早い段階で、戦争の根幹に関わる不具合が発生したのではないだろうか」

 

「戦争の根幹?」

 

 士郎は眉をひそめた。その表情に、ランサーも微かに眉を動かす。

 

「聖杯戦争は、万能の聖杯を作るためだよな。

 だから、マスターやサーヴァントが殺し合いをする。

 御三家のマスターが死んでも関係ない、いや生還してるよな……」

 

 凛の曽祖父と、たぶん間桐臓硯、イリヤの祖父か曽祖父。

 

「なんだろ、いや……」

 

 士郎の脳裏に閃くものがあった。

 

「サーヴァントを呼ぶのが大聖杯。儀式でできるのが小聖杯って、遠坂が言ってた。

 ……器だ。入れ物がなきゃ、魔術は世界に修正されちまう、だから!」

 

「ああ、私もそんなところじゃないかと思ってる。

 五百年も生きていた、いや二百年も待っていた者が、

 積極的に参加しないような不具合の発生ではないか?」

 

 黒い瞳に厳しさが宿った。

 

「いや、間桐だけではない。

 前回は、衛宮切嗣という外来の魔術師に参加させ、

 今回は、まだまだ若いイリヤ君を参加させたアインツベルン。

 そんな大望なら、なぜ当主自ら参加しないんだ?」

 

 そう言って、ヤンは肩越しに振り返った。

 

「ねえ、イリヤ君?」

 

 立っていたのは、小さな手を握り締め、雪の彫像と化したイリヤスフィール・フォン・アインツベルンであった。 

 

 立ち尽くすイリヤの肩に、背後から白い手が置かれた。

 

「お嬢様、かくなるうえは、お話ししたほうがよろしいかと存じます」

 

「セラ!?」

 

 驚愕して振り返る小さな主人に、セラは首を振った。

 

「とても隠しておけるとは思えません」

 

 イリヤは俯いた。同盟者として、アーチャーの知力は身に沁みている。味方ならば頼もしいが、敵に回すと怖ろしい。どちらもこのうえなく。しかし、それはアインツベルンにとって、もっとも秘匿すべきことだった。

 

 セラは膝を折り、イリヤと視線を合わせ、儚いほどに小さな肩を抱いた。

 

「聖杯戦争の時間には限りがあります。

 アーチャー様の追及を逸らすより、聖杯戦争の成就なり、

 解明なりに費やしたほうが、実りとなるでしょう」

 

 サーヴァントが現界するための魔力を補助するのが大聖杯。その稼働期間は概ね二週間。残りの時間は一週間強しかない。

 

「……でも」

 

「ご当主への責は、わたくしが負います。

 しかし、アインツベルンの責は、ご当主が負うべきもの。

 アーチャー様ならば、そうおっしゃることでしょう」

 

 二人の視線が交錯し、一方が大きく瞠られた。

 

「……セラ」

 

 セラの正体は、イリヤの家庭教師として調整されたホムンクルスだ。生まれたのはたったの二年前。そんな彼女が、こんなことを言い出すなんて。

 

「セラさんがそうおっしゃるということは、やはり何かが第三次にあったんだね」

 

 イリヤはこくりと頷くと、一つ深呼吸をして話し始めた。アインツベルンに伝わる、過去の聖杯戦争を――。

 

 聖杯戦争のシステムは、当初から完成していたものではなかった。第一回は、まともにサーヴァントが召喚できず、開催とはいえない。二回目は召喚したサーヴァントが戦おうとしなかった。戦争にはなっていない。

 

 ヤンは脱いだベレーをもみくちゃにし、ついでに髪もかき回し、肩を上下動させて息を吐いた。

 

「ははあ……、もとから見切り発進だったのか。

 イリヤ君の証言で、令呪の導入は第三次ということが確認できたが、

 たしかにマキリ翁は天才だったんだろう」

 

 第二次の反省で開発した令呪システムを、三回目にぶっつけ本番同然で成功させている。

 

「しかし、思ったよりも令呪の歴史は浅かったんだなあ。

 不正使用に至らなかったのはそのせいかな?

 しかし、せっかくこんなにすごい術を導入したのに、

 第四次の間桐の参加ははっきりしないんだね」

 

 イリヤは無言で頷いた。

 

「とはいえ、参加しているなら、候補はたった七分の一だ。

 マスターが明らかなセイバーとランサー、ライダーは除外できる。

 そして、アーチャーは恐らく遠坂時臣のサーヴァントだ」

 

 セイバーの頭も上下動した。

 

「ええ。アーチャーにはマスターが同行していなかった。

 籠城できる拠点を持ち、魔術師として成熟した者でなくば、

 あの男の主になれないでしょう」

 

「となれば残りはキャスターとバーサーカーとアサシン。

 どれも不利とされるクラスだ。

 間桐が参加したとしても、臓硯自身ではなさそうだなあ」

 

 ヤンはまた髪をかき回した。セイバーは眉を寄せ、前回の記憶を告げた。

 

「いいえ、アサシンは違います。アーチャーに討ち取られたというのは茶番でした。

 両者は連携していたのです」

 

「なるほどね。では、バーサーカーが候補かな。

 キャスター主従のやり口は、間桐臓硯ほど犯罪の秘匿に長けた者が、

 子孫に許すものではなさそうだから」

 

 セイバーは俯き、正座の膝を握り締めた。二騎のいずれも苦い戦いの相手だった。

 

「しかし、ますます間桐臓硯自身が選びそうにないよ。

 彼をして、消極姿勢になるような何か。

 それはやはり第三次に起こっているんじゃないのかな、イリヤ君?」

 

 セラとリズ、二人の眼差しがイリヤに注がれた。一人は怜悧な中にも慈愛を込めて、もう一人は、ひたすらな凝視に精一杯の真情を表して。イリヤは長い睫毛を伏せた。

 

「そうなの。アーチャーの言うとおりよ。

 第三回は、聖杯の器が壊されて、聖杯戦争はそこで終わったの」

 

 ランサーは髪を掻き毟った。

 

「解せねえな。サーヴァントは何してやがったんだ?

 三度目の正直ってヤツで、さぞや強い英霊を呼んだんじゃねえのか」

 

「アインツベルンが呼んだのは、『この世全ての悪』」

 

「なにさ、それ?」

 

 歴史や伝承に疎い士郎が怪訝な顔をした。ヤンは脳裏をかき回し、聖杯にもお伺いを立てた。

 

「ええと、ゾロアスター教の神様だそうだ。

 絶対の善神アフラ・マツダーと絶対の悪神アンリマユ」

 

 ヤンは中空に視線を投げ、困ったように眉を下げた。

 

「うーん、今回のメンバーを見ると説得力がないが、

 この聖杯、神様は呼べないんじゃなかったっけ?」

 

 零落した女神であるライダー(メドゥーサ)キャスター(メディア)。前者は星として、天上に輝いている。半神であるランサー(クー・フーリン)ヘラクレス(バーサーカー)。後者も死後に神として星座になった。

 

「……神様じゃなかったの。

 来たのはアンリマユじゃなくて、その形代にされていた、

 名もない人間だったんだって」

 

 三騎士は思わず顔を見合わせた。

 

「なんだか、私以上に戦闘が苦手そうなサーヴァントだなあ」

 

 被保護者が聞けば、『そんな低いレベルで満足しないでください』と言いそうな感想を漏らした者の名は、挙げるまでもないだろう。容赦のない一言で、事実を表現したのはランサーだった。

 

「勢い込んで、欲張った挙句にカスを引いたってわけか」

 

 アインツベルンの一行は揃って俯いた。

 

「でも、そのサーヴァントの魂は、聖杯に取り込まれたの。

 もしかしたら、彼を作っていた概念ごと」

 

「概念? そいつは、悪の象徴としてのものかい?」

 

 無言でイリヤが頷く。

 

「なるほどね。つまり、エネルギーの源に毒が投込まれてしまったわけか」

 

「……それもわからないの。調べていないから」

 

 器が壊され、サーヴァントを失ったアハト翁は、ほうほうのていで日本を逃げ出した。孤高を保ち、戦闘に向かない魔術のアインツベルン。攻められたらひとたまりもない。

 

「そんなの無責任じゃないか!」

 

「ううむ、そうとも言い切れないんだよ、士郎君。

 セラさん、そちらは旧東西ドイツのどちらに当たるんでしょうか?」

 

「東側になりますが、それが何か?」

 

「それでは、日本への渡航はなかなか難しかったでしょうね。

 イリヤ君、君のご両親が婚姻届を出していないのは、そのへんも理由になりそうだ」

 

 紅玉と琥珀がそろって瞬き、異口同音に叫びを上げた。

 

「え、ええっ!?」

 

「第二次は百三十年ぐらい前だ。明治の半ばぐらいだね。

 その後、日本は、いや世界は戦争が相次ぐ時代を迎えたんだ。

 第二次世界大戦が終わっても、東西冷戦と呼ばれる緊張状態が長く続いた」

 

 東西冷戦の終結の大きな象徴が、一九八九年のベルリンの壁崩壊と翌年の東西ドイツの統一。衛宮切嗣が婿入りして、しばらく経った後のことになる。

 

「日本はアメリカに同盟した西側諸国のひとつだ。

 東ドイツへの入国も難しいが、婚姻届の提出は更に難しいと思う。

 第四次の頃には改善されていただろうがね」

 

 しかし、アインツベルンのマスターの衛宮切嗣は、戦闘に特化した魔術使いだと聞く。士郎がそうであるように、魔術の知識に多くを期待できそうにない。

 

「たとえ、切嗣氏が大聖杯を見たところで、どうにかできたとは思えない。

 今までの失敗は、過去から引き継いだ複合的な要因によるものだ。

 これでは、どんな英雄を呼んでもうまくいくはずがないよ」

 

「……あなたはうまくやっているではありませんか」

 

 暗い表情のセイバーに、ヤンは首を振った。

 

「いいや、とんでもない。私の生前はさっぱりうまくいかなかった。

 百五十年も戦争をやっていると、社会全体が歪んでしまってね」

 

 一同は言葉を失った。

 

「今の状況は、主に社会情勢の賜物だ。

 そして、マスターの多くが子どもで密接な関係者だからさ。

 平和な社会で育ち、過去の聖杯戦争をよく知らない。

 私のマスターも最初は威勢がよかったが、サーヴァントが私で

 参加者がこの面々ではね。

 聖杯のために、身内や友人知人を殺すなんて、耐えられるものではないよ」

 

 士郎ははっとした。そうだ。じいさんはどうして魔術師殺しなんて道を選んだんだろう。

 

「当時の御三家の連中に言ってやりたいことは多々あるが、

 凛もイリヤ君も、桜君だって先祖からの恩恵を受けてる。

 それを放棄しないかぎり、負債を精算するのは子孫の義務だから仕方がないかな」

 

 黒い瞳が細められた。

 

「人が生まれる場所や時を選べないように、人生に無限の可能性はないんだと思うよ」

 

 士郎は拳を握り締めた。

 

「努力したって、無駄ってことか?」

 

「いや、そりゃ性別も選べないからさ」

 

「はへ?」

 

 張り詰めた問いをいなされて、士郎は間抜けな声を出した。セイバーの目も丸く形を変えた。

 

「男に子が産めないように、女は性遺伝子による連続性を保てない。

 腕力勝負では男が勝つが、口喧嘩では女に勝てない。

 これは遺伝子レベルの男女差だ」

 

「でも俺、遠坂には腕力でも勝てないと思う……」

 

「あははは……。遠坂は武道家の家系らしいからね……」

 

 ヤンは乾いた笑いを漏らした。

 

「人間にはどうしようもないことの方が、ずっと多いんだ。

 だが、狭い選択肢であっても現在を選び、未来を作っていくことはできる。

 この『聖杯探求』はその手始めだ」

 

「リンが言ってたみたいに?」

 

「ああ、そうだよ、イリヤ君。

 聖杯を調査し、今回の戦争を続行していいかどうかが一つ。

 現状からの改善が必要なら、どうすればいいのかが二つめ。

 キャスターやライダーに協力してもらい、

 第三魔法に近いものが可能かの研究が三つめ」

 

 ヤンはセイバーに視線を移した。

 

「この聖杯戦争には、大小二つの聖杯があるそうだね。我々は大聖杯に招かれる。

 この魔術の本質は、世界の内外を越えて、外の存在のコピーを内側に降ろすんだ」

 

「それがなんだというのです」

 

「大小というのなら、同じ物のサイズ違いを指すんだよ」

 

 場の面々の顔つきが二極化した。怪訝な者と蒼白な者に。

 

「士郎君が見た黒い空。遠坂の望みは、『根源に行くこと』だった。

 研究テーマとは異なるから、凛は重きを置いてはいなかったけどね。

 だが、これこそが小聖杯で行なう魔術の真骨頂なんじゃないか?」


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