Fate/sn×銀英伝クロスを考えてみた   作:白詰草

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52:宝玉の円環

 車を出すというイリヤの申し出に、凛は条件をつけて頭を下げた。

 

「ありがとう。でも、もうちょっと目立たない車を借りてきてくれない?」

 

 施術の予定は午前二時。凛の魔術のベストタイムにあわせて行うつもりだ。そんな深夜にリムジンが走っていたら、やはり注意を引くだろう。

 

「ええと、白い四角い車がいいのかな?」

 

「イリヤねえ、どこでそんなの覚えてくるの? 

 でも、確かにそういうのがいいわね。

 みんなが乗れる大きい車にしてくれる?」

 

 一緒に行くと言い張る士郎には、断ろうとして考え直した。大丈夫だとは思うが、万が一キャスターが手出ししたら、対抗できるのはセイバーしかいない。

 

 そして、時計塔と言峰協会に催促の連絡をした。前者はしどろもどろで、後者は留守番電話のメッセージが虚しく響くのみ。

 

「あの腐れ神父、居留守使ってんのかしら。

 ふん、そっちがその気なら、こっちだってやってやるわよ」

 

 なにをやるかと言えば、上への告げ口である。聖堂教会の日本支部の電話番号だって、番号案内が即座に教えてくれる。凛が告げたのは、簡単な一言だった。

 

「すみません、冬木の遠坂と、ドイツのアインツベルンです。

 そちらから派遣されている言峰神父、ぜんぜん働いてくれないんですけど。

 ちょっと、上から注意していただけません? 

 でなければ、ちゃんとした人に替えて下さい。

 市民の安全もかかってるんですからね」

 

 それほど効果は期待できないが、打てる釘は打っておかないといけない。日本屈指の霊地を治める遠坂と、第三魔法を追う千年の大家アインツベルンの名を、無視することはできないだろう。

 

「冬木教会の運営もちゃんとしているのかしら……。

 わたしの両親のお墓も、あそこにあるんです。

 そちらの教会は、どこの役所が担当してるんですか?」

 

 と、プレッシャーをかけることも忘れない。凛はひとりごちた。

 

「この前の戦争は、凄い状態だったみたいなのに、なんとか隠し切れてる。

 でも、今回は……」

 

 第四次聖杯戦争は、マスターもサーヴァントも化け物揃いだったという。こちらはセイバーの言だが、海棲生物に似た魔獣を召喚するキャスターは、完全に常軌を逸していたそうだ。秘匿もなにもあったものではなく、大勢の子どもを攫い、魔獣の餌にした。

 

 真名はジル・ド・レェ。童話『青髭』のモデルとなった、堕ちたる英雄の成れの果て。最終的には、三騎士と騎兵のマスターらが連携し、討伐にあたる。決戦は未遠川の中洲。そそりたつ塔のような巨大な魔獣が召喚された。

 

 一般人にも少なからず目撃者が出たはずだ。だが、郷土史にそんなオカルトじみた記述はないとアーチャーは言う。ほぼ同時期に起こった、未遠川流域の化学工場薬品漏れ事故がそれだろう。数十人の中毒者は出たが、いずれも軽症というものだ。薬品には幻覚作用があり、魔物を見た者もいたとあった。

 

「やれやれ、随分おかしな中毒だね。そんな薬品、日本で製造できるのかい?」

 

 と、アーチャーは黒髪をかき回したものだが。つまり、言峰綺礼の父、璃正神父は、監視役兼隠蔽工作係を完璧に務めていたわけだ。

 

「まったく、それに比べると息子のヤツは……」

 

 ぶつぶつと不平を呟く凛に、穏やかな声がかけられた。

 

『……凛、その先代と彼は、いつ代替わりをしたのかな』

 

「アーチャー! だ、大丈夫!? ……あ」

 

 思わず振り向いたが、そこに黒髪の青年はいなかった。非常に明瞭な心話の欠点である。実際の声と同じように聞こえるのだ。 

 

『いや、さっぱりだめだ。長いこと起きているのは無理そうだよ』

 

「そう……」

 

『ところで、言峰神父の父上は?』

 

「亡くなってる。……たしか、お父様の葬儀の時は、あいつが聖句を唱えたわ。

 でも、はっきりと覚えてないけど、かなりのおじいちゃんだったような……」

 

『そうだね……。

 人三倍ぐらい頭脳明晰で、意気軒昂でも、急に亡くなる老人はいるからね。

 だが、璃正神父の死去した時期はいつなのか。

 聖杯戦争と重なるようなら、重大な意味を持っているかもしれない』

 

「え……?」

 

『聖杯戦争がもたらした、もう一人の死者、

 もう一人の孤児ということにはならないか?』

 

 凛は目を見開いた。親の死が子どもに与える多大な影響は、嫌というほど実感している。それが綺礼にも当てはまるのだとしたら……?

 

「考えてもみなかったわ。そういえば、すぐに敗退したって言ってたけど、

 どのサーヴァントのマスターだったのかしら……?」

 

 確定しているのは、剣士と槍兵、騎乗兵のマスターだ。最後の一人を除いて故人。疑問符つきだが、弓兵のマスターは凛の父時臣だと思われる。こちらも故人。キャスターのマスターは不明だが、話のように無茶な使役をしたら、恐らく生きてはいまい。 

 

 残りは二枠。狂戦士(バーサーカー)暗殺者(アサシン)

 

『ああ、そうさ。言峰神父は、どちらのマスターだったのか。

 それを、プロフェッサー・ヴェルヴェットに聞いてほしいんだよ』

 

「綺礼とセイバーじゃなくて?」

 

『口ではなんとでも言えるからね。第三者の証言が欲しい。

 それに、セイバーと切嗣氏は別行動のうえ、ろくに会話もしていない。

 彼の情報は彼女に、彼女の情報は彼に届いていないということだ。

 ライダー主従だけが、行動と情報を共にしていた。だから聞きたいんだ』

 

「今さら、前回のことを聞いてもねえ……」

 

 考えることがどんどん増えていくのに、凛は難色を示した。

 

『いや、今回も重要かも知れない。人は成功体験を繰り返すものだからね』

 

「成功、体験?」

 

 ヤンは胸中に抱いた疑念には触れず、目下の困りごとを口にした。

 

『第四次から生還したというだけで、大したものじゃないか。

 参加者ならば、父の見事な対応を見ていたはずだ。

 それを思い出して、きちんと監督役の任を果たしてもらわなきゃ』

 

 凛の額に青筋が立った。

 

「まったく、そうよね!」

 

『ごめん、そろそろ……ところで凛、シェーンコップから聞いたよ。

 私は魔術はまったくわからないが、君の選択を支持する』

 

「アーチャー、……わたし……」

 

 言いさして、拳を握り締める。

 

『……凛。私は不確かな聖杯のために戦うことには反対したよ。

 しかし矛盾するようだが、戦いを選択すべき時もあると思う。

 完璧(パーフェクト)最善(ベスト)も手にするのは至難の業だが、

 よく考えて最適(ベター)を選んでほしい。

 とにかく、いまは桜君の寄生虫退治を一番に考えるといい。健闘を祈るよ』

 

 なんの健闘なのか。問い返そうとして、口を噤、む。この髪も目も腹の中も黒いサーヴァントは、凛の目論見なんてお見通しなのかもしれない。

 

「うん。わたしも回復のためにちょっと寝るわ」

 

 衛宮家の離れを貸してもらい、凛は布団に横になった。今夜のために、魔力補給の宝石を三つも飲み込んで。そして、胸元をそっと押さえる。

 

「お父様とご先祖様、力を貸して」

 

 

 ――『彼』に新しい家族ができた。亜麻色の髪と大地の色の瞳をした、繊細な美少年だった。まだまだ小さく、細っこく、引っ張っているスーツケースの方が大きく見えた。重さは余裕で少年を上回ることだろう。初めてできた、ただいまを言う相手。父と一緒に船で暮らしていた『彼』は、これまで地上に家を持ったことはなかった。

 

 それからは、戦いに行くたびに帰ることばかり考えていた。亜麻色の髪の美少年は戦災孤児で、『彼』が面倒を見ることになったのだから。実際、面倒を見てくれていたのは、少年のほうだったけれど。

 

 あの子を独りにしなくて済むように。せめて、保護者としての期間が終了するまでは。人の欲には限りがない。いつしか、自分が生き延びることではなく、あの子を戦場に出したくないと思うようになった。

 

 三個艦隊を二万隻で各個撃破した、かの天才との対戦。迫り来る敵艦隊は、紡錘形の矢。自ら陣形を開いて通し、右後背に食らいつく。敵も、『彼』の指揮する艦隊の背を追う。星の海に出現する、互いの尾を噛みあう蛇(ウロボロス)。消耗戦を嫌った相手に合わせて退却し、送られてきたのは『再戦の時まで壮健なれ』

 

 そんなものにかかずらっている暇はなかった。一人でも、自軍の生存者を助けなければ。そして『彼』は知る。士官学校の最初の友人を永遠に喪ったことを。

 

 だから探した。これ以上の戦火を止める方法を。虚空に君臨する白銀の女王。彼女を射止めて、講和を結ぶことはできないだろうか――。

 

*****

 

 日付が変わった一時間半後、凛たちは柳洞寺の山門の前に降り立った。満月(アルテミス)は西に傾き、白い面をほのかに赤らめていた。彼女が愛した狩人(オリオン)は、猟犬(シリウス)とともに天球を渡り、一足先に(ねぐら)へと帰るのか。

 

 凛は妹を背負った士郎に頷くと、柳洞寺の階段を登り始めた。先導するのは剣と槍の騎士。背後には白い騎士。鉛色の狂戦士は、主人を左腕に抱き上げて、殿(しんがり)を勤める。赤い騎士は、山門から鷹の目を凝らして一行を見つめていた。

 

 セイバーが彼に鋭い視線を向ける。彼は秀でた額に手をやり、目頭を揉んだ。

 

「今キャスターから連絡を受けた。ここでやるようにとのことだが……」

 

 頭痛を堪えるような表情と口調だった。

 

「また顔ぶれが増えているな。まったく、なんだね、君たちは。

 戦いもせず、いったい何をするつもりかね」

 

「それには同感だが、貴様に問われる筋合いはない」

 

「これは失敬。だが、その少女は……?」

 

 銀灰色の目を眇め、門番はさりげなさを装って問いかけた。

 

「無辜の民を巻き込むのに反対したのは、管理者であったはずだが」

 

「その管理者が判断し、キャスターの招きで来たんだからいいでしょ。

 ねえ、キャスターのサーヴァントのサーヴァントさん」

 

 ずばりと切り込まれた言葉に、彼は溜息を吐き、深紅に鋼の視線を突き刺した。遠坂へ出向中の同僚は、右手を忙しなく振った。

 

「誤解すんなよ。俺のせいじゃねえぞ。アーチャーの野郎の宝具のせいだ」

 

 なにしろ、今もその一部が顕現している。当の白い騎士は深い響きの声で、マスターのマスターに問い返した。

 

「さて、閣下のマスター。何を始めるつもりかな?」

 

「じゃ、士郎、桜を下ろして」

 

「あ、ああって、ここに!?」

 

「相手がそう言うなら、仕方がないでしょう」

 

 山門の床に、少女の体が横たえられた。凛は妹の真っ直ぐな髪をそっと撫でた。

 

「ちょっと冷たいけど、我慢してね、桜。すぐに済ませるから。

 ではキャスター、お願いしたいんだけれど」

 

 山門の奥に蟠った闇が、黒いフードに紫のローブの女性に姿を変えた。

 

「口上は後ほどにさせてもらうわ。私、蟲は大嫌いなのよ」

 

 黒絹に包まれた細い指が、桜の体に触れた。

 

「……よくもまあ、こんな醜い術を考えたものだこと」

 

 吐き捨てると、彼女はフードを脱ぎ捨てた。蒼銀の清流に縁取られたかのような、清艶な美貌が露わになる。地に落とされたフードは、ふわりと広がって桜の姿を隠した。わずかに覗くのは、手の甲のみ。士郎はキャスターに詰め寄ろうとした。

 

「な、なにすんのさ!?」

 

 菫色の瞳が士郎を見上げた。

 

「女ならば、男に見られたくないものだからよ」

 

 反論を許さぬ声であり、表情であった。そしてキャスターは、稲妻のように折れまがった短剣を抜き放った。

 

破戒せる全ての符(ルールブレイカー)!」

 

 振り下ろされたのは、桜の手の甲。十二分に手加減をされて、浅い傷を刻んだのみだったが、黒絹に覆われた体が大きく痙攣した。見えるのはそれだけ。しかし、士郎が動揺するには充分すぎた。

 

「ちょっ……、なにすんだよ! やめてくれ! 桜っ!」

 

 主の命に、セイバーが一歩を踏み出そうとする。白と群青が迅速に動いた。士郎を斧の騎士が、セイバーを槍の騎士が羽交い絞めにする。赤い騎士には、鉛の巨人が顔を向ける。

 

「静かになさいな、坊や。これは序の口よ」

 

 キャスターは流麗な動作で屈みこむと、フードを拾い上げた。ぐったりとした桜の周りの地面は、かすかに白煙を上げていたが、ほかに目立つ異状はない。

 

 なにも知らない士郎は、大きく息を吐いた。魔術師の少女たちは、逆に息を飲み込んだ。あの布は悲鳴さえ飲み込み、駆除した蟲を焼き滅ぼしたのだろう。桜にはまったく影響を与えずに。

 

「さあ、小物は取り除いたわ。

 後は、管理者のお手並みを拝見といきましょう。

 私を門下とする気なら、一門の主に相応しい力を見せてちょうだい」

 

 凛は無言で頷くと、うなじの後ろに手を回し、ペンダントの留め金を外した。  

キャスターを背後に庇ったアサシンが、ごくわずかに鉄灰色を揺らがせた。

 

 それは、ようやく宝石店から退院してきた遠坂家の家宝。親指と人差指で作った円ほどもあるルビーのペンダントだ。最上質の鳩の血色で、カットは見事なトリリアント。宝石の枠も鎖も重厚な細工の白金。若い女性というよりも、王侯貴族の装身具というにふさわしい。

 

 しかし、このペンダントの真の価値は、歴代の遠坂の当主が、二百年近くに渡って蓄積してきた魔力にある。

 

「じゃあ、ランサー、あなたにお願いしたいのは……、

 その槍で、確実に臓硯の心臓を貫いて」

 

 士郎は愕然と凛を見詰め、ランサーはむっつりと舌打ちし、セイバーから離れた。

 

「いいのか? そいつの心臓だけに中るわけじゃねえぞ」

 

 キャスターの魔術により、桜の魔力を横取りして隠蔽していたものが消え失せた。ゆえに、少女の中の異質な魔力は、クー・フーリンの目には明らかだった。

 

 豊かな胸の谷間のやや左寄り、筋肉と骨のさらに奥。眠る少女の心臓の内側にそれがいる。才能豊かな赤い少女に、それがわからぬはずがなかろうに。

 

 ランサーの仄めかしにも、凛は動揺しなかった。   

 

「ええ、そんな無茶言わないわ。ベニスの商人じゃあるまいし」

 

「仕方ねえな。寝てる娘を刺すなんざ、我が槍の穢れだが……」

 

 言いながらも、彼の手にする深紅の槍は、魔力を収奪しながら脈動する。

 

 衛宮士郎(エミヤシロウ)は、凍結したようにその輝きを見ていた。絶対の死を告げる、禍々しくも美しい輝き。

 

「――その心臓、貰い受ける。刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)!」

 

 ランサーの手を飛び立った赤い槍は、ありえぬ極短の弧を描いて、石床の上の少女の胸に突き立ち絶息させた。絶叫しかけた士郎の口を白い籠手が塞ぎ、低い声が囁く。

 

「まあ、待て。あの人の教え子なら、勝算のない戦いは絶対にしないさ」 

 

 そんなことなど聞けるものか。士郎は、鋼の腕の檻から、遮二無二脱出しようともがいた。セイバーは拳を握って俯いた。もはや、この剣でできることはない。必要なのは、失われた鞘の方だった。

 

 ランサーが槍を抜き取る。一瞬で心臓を貫いたので、存外に出血は少ない。抜かれた槍の穂先に、白っぽいものが蠢いていた。凛は一瞬だけ凄まじい視線を送ったが、桜の傍らにしゃがみ込んだ。

 

 妹の顔は、安らかに眠っているように見えた。

 

「ごめんね、桜。あんたを殺したのはわたしよ。この罪は一生忘れないわ」

 

 だが、秘密として墓場まで持っていこう。魔術は秘匿、それがルール。この蘇生の魔術も。家宝に蓄積された魔力を、最大限の術として構築すべく、左腕の刻印が煌々と輝きを放つ。心臓にナイフを突き刺すような痛みに耐えながら、遠坂家六代目の魔術師は、槍に貫かれた心臓の治癒を行なった。

 

 ゲイボルグはただの槍ではない。付けた傷は癒えぬという魔槍だ。魔力と桜の心臓を対価に、そっくり新しい臓器に置き換える大魔術が必要だった。立春は過ぎたとはいえ、厳寒期の深更、気温は氷点に近い。しかし凛の頬は紅潮し、額には汗が滲み、頬の曲線を伝って地へと落ちる。

 

 衛宮士郎は、その光景もただただ凝視していた。蒼い槍兵の槍は心臓を穿ち、それを癒したのは赤の少女。時、場所、人を変えて、宝玉が繋ぐ縁だ。

 

 宝玉は、『彼』の命の恩人の証拠。いまここにあるということは、衛宮士郎は槍兵によって死ななかった。凛が引き金となることもなかった。彼と彼女は、かわりに間桐桜を殺したのだ。

 

 そして、蘇らせた。『彼』が招かれたのも道理、ここに円鎖は帰結する。この世界の衛宮士郎に届かなかった手、差し伸べる必要のなかった手だった。

 

 しかし、間桐桜には届いた手。それは桜が最も欲していたものだ。幾多の世界のどこかで、守護者として殺した妹分が――。

 

 『彼』は、鷹の目を伏せた。この視力をもってしても届かず、鍛え上げ、強化した腕でも救えなかった相手でもあった。

 

 顔色を取り戻した桜が、豊かな胸をゆっくりと上下動させ、健やかな寝息を立てはじめる。琥珀と銀灰が凝視する中で。体全体で深呼吸をした凛に差し出されたのは、黒に包まれた繊手だった。凛は無意識にその手をとった。手を握られたキャスターは、ふっと笑みを浮かべた。

 

「お見事ね。今の世の魔術もそう捨てたものではないわ」

 

「おだてても、何にも出ないわよ。これは、六代ぶんの大盤振る舞い。

 あと五代は無理ね。さあ、桜を家に帰さなきゃ」

 

 スカートの裾とニーハイソックスの埃を払い、士郎を手招く凛に、響きのよい声が掛かった。

 

「待ちたまえ、忘れ物だ」

 

 赤い騎士が、ルビーのペンダントを差し出していた。

 

「もう、空っぽなんだけど……」

 

「そうかね? これは大層美しい。君にしか似合わぬだろうよ」

 

 士郎とランサーが同時に顔を顰めた。

 

「っかーっ、この気障野郎」

 

 赤毛が頷き、白い兜はそれに首を振った。

 

「おやおや、坊や、褒め言葉を喜ばん女性はいないぞ。門番殿を見習うべきだ」

 

「や、無理。聞いてるだけで痒くなる!」

 

 赤と白の騎士らは青い連中を鼻で嗤った。紅白筋肉ダルマに士郎はカチンと来たが、口を開くまえに銀の短髪が振られる。

 

「寺の参道に、こんな値打ち物が落ちていたら大騒ぎになる。

 もっとも、すぐに持ち主は明らかになると思うがね。

 それは君たちとしても望ましくはなかろう」

 

「う……ありがとう」

 

 褐色の手から、白い手に渡る赤い宝玉。互いを包む赤と黒。なんとなく似た外見の二人だと士郎は思った。

 

「ケッ、お二人さんよー、こんな状況で世界を作ってんじゃねえよ。

 こいつをどうすりゃいい!?」

 

 ランサーが柄の悪い口調で、ドスの効いた声を上げた。ゲイボルグの切っ先に貫かれ、なおも蠢く蟲。

 

「なんてしぶとい……」

 

「嫌だわ、気持ちの悪いこと」

 

 呻く凛に、キャスターは心底嫌そうに眉をひそめた。艶やかな唇を開き、呪文を唱えようとする。蟲に小さな手が伸ばされた。槍の穂先から、ひょいと蟲を外してしまう。

 

「お、おい、イリヤ!?」

 

 真紅の瞳が摘み上げた蟲へに向けられた。

 

【可哀想なゾォルケン。待ちすぎて、変わってしまったのね】

 

 普段の舌足らずなイリヤの発音ではなかった。もっと落ち着いた、流麗な響きの声。

 

【まるでエオスの恋人のよう。彼は蝉になり、貴方は蟲になった。

 でも、彼は悪をなさず、貴方は悪をなした。

 貴方が求めた世界の平和は、苦しむ弱者を救うためだったのに。

 この少女や、貴方の孫のような人々を】

 

 冒し難い威厳に満ちた眼差し。蟲は身じろぎし、耳障りな鳴き声を立てた。いや、それは声だった。

 

【ユ……ス……ティーツィ……ア?】

 

【それを忘れてしまったのなら、もうお眠りなさい。

 今ならば、今だけは、私が悼んであげることができる】

 

 それは、蟲、いや間桐臓硯が、二百年前に失ったもの。冬木の霊脈に融けた冬の聖女に他ならなかった。蟲の動きが止まった。

 

【さようなら】

 

 白い手が強く握り締められた。それが間桐臓硯の最期であった。五百年の果てに何も遺せず、子孫には憎まれ、生あるものには悼まれぬ死。それでも、彼が奪った命には到底足りぬであろうが。

 

「イ、イリヤ……」

 

 士郎は恐る恐る声を掛けた。銀の睫毛が瞬き、きょとんと見上げる。

 

「なあに、シロウ?」

 

「や、その、大丈夫か? そ、その……」

 

 口ごもる義弟に、イリヤは手を開いて見せた。

 

「これのこと?」

 

 士郎は思わず目をつぶってしまったが、凛の驚きの声に慌てて瞼をこじ開けた。

 

「あ、あれ?」

 

 小さな掌にあったのは、潰れた蟲ではなく、小さな金属片だった。

 

「あとでね、シロウ。ここは寒いんだもん」

 

「そうよ。桜を一度、間桐の家に帰すから、今は時間がない」

 

 朝になったら、士郎が迎えに行くのが筋書きだ。

 

「そうね。それでは改めて、お礼を言わせていただくわ。

 ありがとう、キャスターとランサー。じゃあ、失礼します」

 

 深々と一礼し、階段を降り始めた凛に、キャスターの声が掛かった。

 

「私の宝具は、魔術の契約を断つものよ。

 当然、サーヴァントの契約も含まれているわ」

 

「じゃあ、ライダーは……」

 

「今ははぐれサーヴァントということね。急いだ方がよくてよ」

 

 単独行動ができるライダーが、令呪の枷を外されるのは危険だ。メドゥーサは、悪行により名を為した反英雄に近い存在である。何をするかわかったものではない。

 

「お、ついに戦いか? 俺も混ぜろや」

 

「あんた、まだついてくる気!? それは最後の手段よ。

 メドゥーサも重要なファクターだって、アーチャーが言ってるの。

 いい? 勝手に戦ったり、殺したりしちゃ駄目だから」

 

 うきうきとするランサーに凛は釘を刺し、主と同僚の眼差しは、白々と霜が降りるようなものだった。

 

「嫌だわ、この野蛮人」

 

「それには私も賛同するな。君の任は遠坂主従の護衛だったはずだろう。

 管理者の方針に従いたまえ」

 

「俺だって、好きでやってんじゃねえよ!」

 

「ほう。私も少々退屈してきたところでな。言ってくれれば、いつでも代わるぞ」

 

「それこそ願い下げだぜ」

 

 そう吐き捨てて、青い騎士は背を向け、遠坂凛らの一行を追う黒紫の魔女は山門の内側に姿を消す。残された赤い騎士は、腕組みをし、山門へと凭れかかった。そのまま門に背を擦らせるように力なく座り込み、自嘲の笑いを漏らす。

 

「はっ、ははは、……なんてことだ。ここは、間違いなく俺の世界ではない」

  

 ここの衛宮士郎は、一人で全てを救う美しい夢を見ていない。かわりに目に映し、手を取り合うのは、救うべき者ではなく仲間たち。飛び越えられぬバーにひたすらに挑むより、円陣を組み、同じ目標に手を伸ばす。正義の味方でもなく、ただ一人の味方でもない。多くを味方にし、互いに支えあい、一人を救う。

 

 衛宮士郎は、遠坂凛の、間桐桜の、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの味方だった。彼女たちも同じことが言えるだろう。

 

「彼か。そうだな、彼しかいない」

 

 新兵と敗残兵の寄せ集めを、短期間に精鋭の軍となさしめ、幾度の戦場を越えて不敗であった、黒髪の魔術師。彼の率いた軍は、激戦の連戦を重ねても、驚異的な生存率を誇った。その信頼が、困難な状況下においても、最高水準の士気を保ち続け、凄まじい戦果を叩き出すことになるのだ。

 

 それほどの功績を上げたのに、彼は人間の有限性を知り抜いていた。人は、歴史の川を流れる木の葉のようなものだと。だから、大人は子どもを育て、守る責任がある。上官が部下を育てるのも同じ。それが伝わったからこそ、家族や部下は彼を支えた。彼が死した後までも。

 

 彼が希求した平和が当たり前にあるここで、戦いに訴えるなど何事か。ヤン・ウェンリーはそう思ったに違いない。彼が停戦して調査という戦略を立て、智謀を凝らして戦術の限りを尽くしたら、対抗できる者など皇帝ラインハルトしかいないではないか。

 

 そこまで考えて、銀灰色の目が虚ろになり、彼は目元を覆った。

 

「……駄目だ。誰一人として、あちらとうまくやれるマスターがいないぞ」

 

 いやいや、現実逃避をするな。彼は銀髪をかき回すと、ぶるぶると頭を振った。守護者に至ってしまった自分の元を断ちたい。それが望みだった。しかし、どこをどう考えてもここは違う。自分がキャスターの門番をやっているのも、ヤン・ウェンリーが、遠坂凛のサーヴァントになっているのも。

 

「なんでさ……。なんで遠坂があの人を呼んでいるのさ……」

 

 聖杯戦争というものの、要は魔術師同士の小競り合い、おままごとだ。それに三ツ星シェフを呼んだようなもの。材料も器具もなく、どうして料理が作れるだろうか。

 

 本来のヤン・ウェンリーは三百万人の軍勢を率い、一戦で数百万人を屠る人間なのだ。サーヴァントとなって、個人的には強化されたが、総力としては著しく弱体化している。『戦闘』では、非力なサーヴァントでしかないだろうが、それでもなお、『戦争』では、このうえなく怖ろしい存在だった。

 

 知らないということは幸いだ。知っていると、エーテル製の胃袋がキリキリしてくる。

 

「どう考えても、アレ以上の強敵だぞ……」

 

 彼は、肺を空にするような溜息を吐いた。キャスターによる召喚は、ここから離れられない代わりに、強力な加護と魔力を与えてくれた。たとえバーサーカーが攻めてきても、相手が単騎なら退ける自信はある。しかし、ヤン・ウェンリーは何をやるかわかったものではない。

 

「いや、やらせなければいいのか。

 敵にするから怖ろしいのであって、味方にできればこれ以上の相手はいない……」

 

 これでは衛宮士郎と一緒だ。忌々しいが仕方がない。それに興味も出てきた。ヤン・ウェンリーの教えを受けるというのは、大変なことではないだろうか。今度は笑いがこみ上げてくる。 

 

「これは面白くなってきた」

 

 明らかに違う、だから殺しても意味がない。いや、生きて苦労をしたほうがいい。ヤン・ウェンリーの『娘』に振り回されろ。そうすれば、こんな馬鹿にはならないだろう。

 

「ならば、俺がやるべきなのは……」

 

 もうひとつの未練を晴らすこと。今、ここなら手を伸ばすこともできよう。自分が救えなかった、地獄に落ちても忘れられぬ、懐かしく美しい面影に……。


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