Fate/sn×銀英伝クロスを考えてみた   作:白詰草

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50:紅き瞳が映すもの

 士郎は、桜の現状をイリヤから聞かされて、実の姉より落ち込んだ。一年ほど前、部活で怪我をしたのがきっかけで、家事の手伝いに来てくれるようになった桜。とはいえ、資産家の間桐には家政婦がちゃんといて、お嬢様育ちの桜は何もできなかった。おにぎりを握るとボロボロに、卵を焼くと黒焦げになった。でも士郎にとって、久々に誰かに作ってもらう食事だった。上手下手を超えておいしかった。

 

 慎二とのいざこざは、よくある兄妹げんかだと疑わなかった。慎二は斜に構えたところのある威張り屋だし、桜は桜で大人しすぎるから、ついついエスカレートしてしまうのだろうと。士郎も慎二に意見したり、時には口論からちょっとした殴り合いにも発展したが、そのうち収まるだろうと楽観していた。

 

「……俺、なんにも気がつかなかった」

 

 毎日のように手伝いにきてくれるのは、逃避だったのかもしれない。

 

「しかたがないわ、シロウ。魔術は秘匿するって、そういうことだもの。

 わるいことをして、ばれるようだと魔術協会が狩りにくるの」

 

「……ばれないようにしてる奴を、じいさんが殺していたんだな」

 

「うん、きっと、そういうこと」

 

 イリヤの言葉に、士郎は膝を抱え込んだ。

 

「魔術師殺しなんて聞いて、俺、びっくりしたんだ。

 でも、こういう奴がいるんなら、仕方がないのかもしれないとも思う。

 だけどさ、本当に見えない相手には手が出せないんだ。

 前の聖杯戦争の時だって、ひどいことやってたかもしれないのにさ。

 ……なあ、イリヤ。魔術ってなんだろうな……」

 

 切嗣が子供だった士郎に見せてくれた『魔法』は、まさに夢のようだった。養父の目指した綺麗な夢を目指すには、夢のような魔術で果たしたいと願った。しかし、夢は美しいものばかりではなかった。悪夢そのものの現実として、ずっと妹分を苦しめていた。

 

 士郎は、初めて魔術に疑問を抱いた。神秘は秘匿すべしという言葉を、頭から鵜呑みにしていた。

 

 しかし世間では、善行は明らかにし、隠すのは悪行である。じゃあ、魔術は? 自問しても答えは出ない。士郎のへっぽこ魔術では、善も悪も大したことはできないからだ。高みにある間桐臓硯の魔術は、隠すべき悪となるほどのことができた。

 

 赤毛が力なく振られた。それを全部の魔術に当てはめるのも、やはり極論だろうか。物事には複数の側面があり、すべてを肯定することも、否定することもできない。最も明らかな辺を、法を物差しで測るのだと、理性と感情に穏やかに働きかけたアーチャーの影響かもしれない。

 

 ルビーの瞳に、悲しいほど優しい微笑みが宿った。

 

「わたしに、ううん、わたしたちにとってはすべてよ、シロウ」

 

「……わたしたち?」

 

「アインツベルンのものは、そうやって生まれて育つの。

 魔術で生まれ、魔法に至るために生きる。

 でも、わからなくなってきちゃった。

 もし第三魔法を復活させて、成功したとして、

 魔法使いになった人は幸せなのかしら」

 

 小さな手が、胸の前で組み合わされた。

 

「不老不死は人間の夢。とてもすばらしいことのはずよね。

 一度は手に入れたのに、魔法は途絶え、魔法使いもいなくなっちゃた。

 ずっと不思議だったの。……こういうことだったのかもしれないよね」

 

 人は生まれ、育ち、老いを迎えてこの世から去る。それを覆そうとした者は、古今東西の神話や伝説にいくらでもいるが、成功したものは皆無だ。イエス・キリストは復活を果たしたが、父たる神の天上に召された。再びの生で、家族や弟子に囲まれて暮らすことは叶っていない。

 

「わたしたちは千年も魔法を追っている。

 マキリゾウケンは、その半分を生きてる。

 蟲になって、家族に嫌われて。だからなのかな……」

 

 ホムンクルスが生まれたのは。知識や感情を植え付けることも、成長や寿命も創造者の思うがまま。切嗣の血を引くイリヤが、唯一の例外だろう。しかし、母の胎内にいるうちから、様々に調整を施され、早まった聖杯戦争に対応するため、さらに手を加えられている。

 

「なにがさ、イリヤ?」

 

 イリヤは首を振った。

 

「ううん、なんでもない。アーチャーが起きたら相談してみる。あれ、リンは?」

 

 返答したのはセラだった。

 

「遠坂様でしたら、宝石店に出かけられました」

 

 宝石店という単語に、士郎は眩暈を起こしかけた。

 

「ま、まさか、ン百万の宝石を準備すんのか!?」

 

「いいえ、とっておきを取りに行くとおっしゃいました。

 念のためリズを同行させましたが、一度ご自宅にお戻りになるそうです」

 

「ってことは……」

 

 道場から乾いた音が聞こえてくる。

 

「ランサーとセイバーが手合わせしてるみたい」

 

「うー、遠坂め。ランサーを押し付けてったぞ……。

 じゃあ、アーチャーはどうしてるんだろ」

 

「部下の方は、遠坂様の警護をなさっているようですが……」

 

「わたしにはわかるわ。アーチャーもここにいる。……チャンスね」

 

 イリヤは真紅の瞳をきらめかせた。

 

「今のうちにやっちゃいましょ」

 

「何をさ?」

 

 琥珀がきょとんと見開かれる。

 

「うーんと、リャクダツアイ?」

 

「お嬢様!」

 

「はぁっ!?」

 

 叱咤と疑問の声が飛び交う中、イリヤは家庭教師を可愛らしく見上げた。

 

「というよりは、フセイユウシなのかしら?」

 

 セラの怜悧な面に、ゆっくりと理解の色が現れる。

 

「では……」

 

「ねえ、セラも手伝って」

 

「よろしいのですか?」

 

「夜までどころか、このままじゃ消えちゃう」

 

 聖杯の少女の言葉だ。セラは表情を引き締めた。士郎に聞き取れないよう、イリヤはドイツ語で囁く。

 

【そうなると困るの。だって彼、ヘラクレスに匹敵する魂の容量がありそう。

 わたしは動けなくなるかもしれない】

 

 彼が消滅したら、その魂はイリヤが回収する。今回のサーヴァントは、ヘラクレスにメドゥーサ、クー・フーリンと神話級の粒ぞろいだ。ヤン・ウェンリーという真名以外は不明のアーチャーだが、その格は彼らに劣らない。

 

 それを士郎に告げることはせず、口にしたのは当面の問題である。

 

「それでも、やっぱり明日までは動けないと思うわ」

 

「ですが……」

 

 セラは逡巡した。アーチャーが、間桐臓硯の排除に賛成するかどうか。彼は魔術を知らず、歴史の流れを愛する。魔術の秘奥にいまだ遠く、人の営みのまま代を重ねた遠坂だから、呼ぶことができたサーヴァントともいえるのだ。人を辞めた外道とは相容れなさそうだが、だからこそ、凛が手を汚すのを厭わないか。

 

【彼らの手は汚させないわ。これは私がやるべきことだから】

 

 ふとイリヤの瞳に紗がかかり、やや舌足らずな話し方ではなく、流麗な声が流れた。

 

【……マキリは生き過ぎた。正義と平和を望んだ天才が変わり果ててしまった。

 せめて、私の手で眠らせてあげましょう】

 

 セラは、深々と頭を下げた。

 

【貴方様のお心のままに】

 

 ホムンクルスの祖、冬の聖女ユスティーツィア。イリヤに継がれた欠片が、垂れた慈悲であったかもしれぬ。 

 

 そのアーチャーは、慎二のために敷いていた布団を横取りして、ちゃっかりと寝ていた。霊体化してだが。イリヤは魔力を流し込んで強引に実体化させ、その唇を啄ばむと、セラにも同じことをした。士郎は、目と口をOの字にして見ていることしかできなかった。

 

「な、な、な、なにやっ」

 

 絶叫しそうになった士郎の口、というか顔を大きな手が塞ぐ。バーサーカーは、イリヤの忠実な僕であった。

 

「かんたんなパスをつないだだけよ。……セラ、だいじょうぶ?」

 

 イリヤの師であるセラは、優れた魔術師である。弟子には及ばないものの、魔力量も一流以上といっていい。そんな彼女が堪らずに膝をつき、白い額に冷や汗を滲ませた。頬からも赤みが失せ、紙の白さになっている。

 

「……な、なんとか。やはり、この方は尋常な英霊ではありません……」

 

「ちょっとだけ我慢してね。じゃ、行くよ、バーサーカー」

 

 顔を塞がれて、じたばたしている士郎も否やもなく、道場へと連行された。こちらも目を真ん丸にしたランサーの前で、セイバーと士郎にも、イリヤの口付けが贈られた。

 

「んー、やっぱりつながりが悪いのね。二人ともヘッポコなんだから。

 やっちゃえ、バーサーカー!」

 

 巨大な手が、夕日色と金沙の後頭部に添えられ、拝むように合わされた。その持ち主達の顔面を内側にして。ランサーが気の毒そうに目を逸らした。

 

「惨劇を見たぜ……」

 

「……お、俺、初めてだったのに……」

 

 床にうずくまる士郎の背を、傍らにしゃがんだランサーが労わるように叩いた。

 

「おお……そうか。まあ気にすんな。ガキとサーヴァントは数にゃ入らねえよ。

 次の時に、気張りゃあいいじゃねぇか、な?」

 

「むー、失礼ね。わたしガキなんかじゃないわ。レディなんだから」

 

「へえへえ、レディねぇ。だったらもうちょいと言葉遣いをだな……」

 

「そういう問題じゃないだろ! イリヤも、その、セイバーだってさ……」

 

 唇を押さえ、真っ赤になったセイバーは、凛とした女騎士ではなく、可憐な少女に見えた。

 

「い、いえ、大丈夫です」

 

「っかーーっ! アホらしい。接吻ごときで照れてんじゃねえよ。

 魔力の供給ってんなら、坊主がセイバーといっ……」

 

 『坊主』のきょうだいのルビーレーザーが突き刺さり、ランサーは口を噤んだ。天井に余裕がある道場だから、バーサーカーも直立不動で待機しているが、斧剣を握った手に不穏な力が篭っている。

 

「そんなことより魔力はどう、セイバー?」 

 

 士郎のファーストキスは、そんなこと扱いされてしまった。ますます萎れる主とは対照的に、セイバーは姿勢を正し、一礼をした。

 

「感謝をします、アインツベルンのマスター。

 ラインがきちんとつながったようです」

 

 魔術師の体液には魔力が含まれる。最も豊富なのは、生命の源となるものだが、唾液や涙にも含まれてはいる。膨大な魔力を誇るイリヤであれば、士郎とセイバーの架け橋になるに充分だった。そして、彼らが知ることのない縁によっても、この結びつきに大きな意味があった。

 

 第四次聖杯戦争で、セイバーの鞘を抱いていた男女。男は士郎の養父であり、女はセイバーと行動を共にした聖杯の姫君。今は亡き二人の娘が聖杯の器として、過去と今の鞘の主に贈る、許しと祝福のキスでもあったから。

 

 しかし、士郎はそれどころではない。くらくらするほどの脱力感が襲う。

 

「ううぅ、これが魔力の供給ってことか。キツイんだな……。

 ああ、そろそろ昼飯か。……どうしよう」

 

 戦いの最大ポイントは補給である。聖杯戦争はもっとも難しい輸送を度外視できるが、マスターの魔力という生産力の差がもろに現れる。そして、魔力は生命力。食うことと寝ることをどうするか。

 

 士郎も早速、アーチャーの言葉を思い知ることになった。心細い冷蔵庫の中身と、それ以上に不安な後方戦力。凛とリズは不在、士郎とセラは魔力供給に四苦八苦。家事をする手が足りない。士郎には、二騎士とイリヤ主従に、食事の支度を任せる度胸はなかった。

 

「なあ、俺たちは出前でいいか?

 遠坂の計画に乗るなら、部活にいかなきゃならないし」

 

 こくこくと頷く金沙の髪の傍らで、蒼い髪の青年が遠い目になった。

 

「おまえら、もっと真面目にやれよ」

 

「ランサーも食うだろ? 嫌いなものはあるか?」

 

「セイバーのマスターに感謝する。犬と……バカ辛い物以外にしてくれ」 

 

 ランサーは速やかに前言を翻した。昨晩の夕食は、彼の想像を突き抜けた美味だった。

 

「い、犬なんて食わないぞ!」

 

 ガーネットが、胡散臭げに琥珀を睨んだ。

 

「じゃあ、ホットドッグって何なんだ」

 

「ソーセージ入りのパンだよ。……念のため言っとくけど、豚肉だぞ」

 

「それじゃどうして、犬って言うんだよ?」

 

「え、あ……さあ?」

 

 アーチャーが起きていたら、教えてくれたかもしれないが。

****

 

 そろそろ米が食いたい士郎は、定食屋に出前を頼んだ。一応凛に電話したら、リズと道中で済ませてくるとのことだ。

 

「あいつの宿題も調べとかないとね」

 

 深山町の一家殺人のことだ。

 

「教会への要求期限は明日までなんだけど、そろそろ何か言ってくるかも。

 でも気をつけて。あいつ、信用ならないから。

 イリヤたちには言ってもいいけど、ランサーには伏せといてちょうだい」

 

 凛からの伝言を半分みんなに伝え、士郎は急いでカツ丼をかき込み、セイバーを伴って学校へ。なにやら難しい顔になったイリヤは、土蔵へと向かった。ランサーは、ぽっかりと暇になった。

 

 一応、桜の見張りを仰せつかっているが、部屋の外でという但し書きがつく。貴族のメイドが、嫁入り前の娘の寝室に、略奪愛上等の古代人を入れるはずがなかった。追い出されたランサーは、隣の部屋の襖の前で胡坐をかいて独語した。

 

「なさぬ仲の男所帯に、娘一人放り込んで今さらだがな……」

 

 敷きっ放しの布団から、静かな声が上がる。

 

「……見て見ぬふり、知らんぷりも大事なことですよ」

 

「おまえ……」

 

 なんとか実体化したアーチャーだった。彼はうっすらと微笑んだ。

 

「明るみに出ず、証拠のない事実は存在しないのと同じことです」

 

「いいのか?」

 

「魔術は秘匿するのでしょう? それが招いた事態だ」

 

「意外だな。お前は法にやたらとうるさいそうだが」

 

 黒い瞳が大儀そうに閉じられた。

 

「法は守る者の盾であり、破る者には剣となる。

 だから私は、この子たちには法を守らせたい。

 この国は、戦争を放棄した稀有な法を持っている。

 自国の法に基づいて、敵国の人間を大勢殺す必要はない。……私のように」

 

 武勲で名を馳せた存在であろうに、彼はそれを誇りに思っていない。ランサーには理解しがたい感覚だが。

 

「なるほど」

 

「だが、法とは人間の為にあるものです」

 

「人間のたぁ……」

 

 一瞬開けられた目が、厳しい光を放つ。 

 

「蟲には適用されない。人命と寄生虫では、比べるまでもないことだ」

 

 そう言うと、姿が揺らいで消えた。

 

「あ、おい!」

 

 ランサーは伸ばした指を所在なげに動かした。

 

「気配はあるか。消滅してはいまいが、これほど消耗する宝具だったとはな……」

 

 それでもアーチャーはランサーの挑戦を受けて立った。セイバーとバーサーカーを擁しているのにだ。姿も言動も軟弱だが、彼の心はたしかに武人のものだった。

 

「せっかく、戦さのし甲斐がある相手なんだが」

 

 魔女にとっつかまって、一番の不満がそれだ。マスターを厳重に守っているあの女は、アーチャーの主従には手を出すなと厳命した。そして、本拠地の立ち入りは門番に阻まれる。暗殺者らしからぬ赤い騎士に再戦を挑んだが、鼻で嗤われた。

 

『甚だ不本意だが、私と君は同僚ということになる。

 光の御子は、仲間に槍を向ける男だったのかね?』

 

 では何をしろというのだ。二人並んでお茶を挽くのか。先日偵察したときは、面白い戦い方をする男だと思ったが、同僚として付き合えるかは別問題である。

 

 ランサーは、強者との戦いを願って召喚された。聖杯に願いはないが、サーヴァントとしての楽しみには貪欲である。じゃあ、その条件でアーチャーらに張り付くのはどうだと願い出て、遠坂邸に押しかけた次第だ。

 

 結果としては悪くない。セイバーと手合わせもできたし、昼食もこれまた美味だった。バーサーカーに手合わせを願うのは無理そうだが。

 

「話をすれば面白いしよ。だが……」

 

 アーチャーの一番の武器は、将としての統率力、師としての教育力だ。最初にまみえた時は、マスターとの二人連れだった。教会の墓地で仲裁に入ったときは、セイバーとバーサーカー陣営を連れてはいたが、いかにも寄り合い所帯といった様子だった。

 

 それがどうだ。わずか四日で、少年少女のマスターは見違えるように成長し、互いを守りあうまでになっている。キャスターを仲間につけ、ライダーを行動不能に追い込んだ。

 

 敵の敵は味方とばかりに、キャスターはランサーを毟り取り、目まぐるしく勢力図が変わっていく。もう一方の綱を握るのはキャスター。しかし、魔女はアーチャーと敵対する気はないらしい。

 

『あのアーチャーは、聖杯戦争には過ぎたるサーヴァントだわ。

 彼の戦いは、この狭い地に収まるようなものではないの』

 

 魔女は溜息を吐いたようだった。

 

『あんな姿をしていても、本当はとても怖ろしい男よ。

 私の願いのためにも、敵に回したくないわ。

 あの宝具を見るまでは、おまえのように奪おうと思っていたのだけれど……』

 

 百戦錬磨の軍人は、王女だったキャスターが是非とも欲しい人材だった。たとえ宝具が大したことはなくとも、あの頭脳だけでお釣りがくる。そう思っていたのだが、彼は強力な宝具を持っていた。しかし、秘匿性は皆無だわ、広い場所が必要だわ、展開時間は短いわと、三拍子揃って山寺の籠城戦に向いていない。今までに搾取した魔力で養うには、燃費も悪すぎる。

 

『だから、遠坂のマスターに生きていてもらわないと困るのよ。

 もちろん、バーサーカーとセイバーのマスターにもね』

 

 どうやら、魔女には色々と欲しい物があるらしい。この三者を失うと、それがご破算になってしまうのだという。どんな手を使ったのか知らないが、よほどに急所を抉られたとみえる。

 

「戦さもない、豊かでいい時代だ。

 食い物はうまい、衣は色鮮やかに柔らかく暖かく、

 寝床は雲を褥にするがごとしってか。

 もっとも生きていくには、なかなかややこしそうだがな」

 

 神秘は古いほど勝るというが、これと引き換えになるのなら喜んでくれてやる。だが、今さら言っても詮無きことだ。時の流れは覆らない。無理に堰き止めようとしたのが、ライダーを擁する間桐の現状であろう。セイバーとイリヤは衝撃を受けていたようだが。

 

「しかし、アーチャーもだが、セイバーは何者だ?」

 

 真名を秘し、セイバーとしての象徴の剣もかたくなに秘す女騎士。

 

「何者っていやあ、アサシンもだが」

 

 真紅の外套に黒白の双剣。褐色の肌に、銀灰の髪と瞳の、いずこの者とも知れぬ英霊。あのすかした皮肉屋と、二人で門番をするのは遠慮したい。

 

 ……もしそうなら、『カイジン青タイツと赤マント』と評する者が出たかもしれない。彼らが知らないのは幸いと言えよう。

 

「……わけがわからん」

 

 ランサーは勢いよく首を振った。彼は聡明な戦士だが、細かいことをごちゃごちゃ考えるのは得意ではなかった。暇をもてあますのも苦手だ。クー・フーリンは行動の人なのである。

 

「嬢ちゃんを迎えにでも行くか」

 

 その旨をセラに告げ、玄関へ向かう。靴を突っかけているところに、土蔵からイリヤの金切り声が聞こえてきた。すわ、異変か!? ランサーは嬉々として突っ走った。

 

「なにこれ……」

 

「なんだ、なんだ!? ……なんにも起こってないじゃねえか」

 

 イリヤが立ち尽くしていたのは、土蔵に雑然と転がるガラクタの前だった。

 

「鼠でも出たのかよ」

 

 イリヤは無言で首を振り、なにかの部品を拾い上げた。

 

「これ見て、ランサー」

 

「はぁ? ただの鉄屑じゃ……ねえな」

 

 手渡されたものは、ランサーの掌で砕け散った。なんの痕跡も残さずに。高さと色調の異なる赤い視線が交錯する。

 

「こいつは、魔力そのもので出来てる」

 

「ええ、シロウの魔力を感じる。でもこんなのおかしいわ」

 

 魔術は世界の法則を欺くものだ。長く誤魔化してはおけない。この点でも令呪は破格のものであるが、魔術師の魔術回路を間借りして、世界の修正を潜り抜けている。凛の宝石魔術も同様。魔力を長持ちさせるには、世界から隠す包み紙が必要だ。魔術は秘匿せよとはその意味でもある。

 

 しかし、このガラクタは、魔力だけで出来ている。ランサーに触れて壊れたのは、神秘に勝るサーヴァントの魔力に干渉されたからだ。だが、イリヤが持ったぐらいでは平気だった。どういうことなのか。

 

「こんなもん、いつ作ったんだ。坊主が出かけてから、小一時間は経ってるが」

 

 小さな銀の頭が、左右に振られた。

 

「そんなヨユウがあったら、シロウはお昼ごはんを作ってたわ。

 今朝はおねぼうさんだったし、すぐにリンとランサーが来て、マキリに行って……。

 昨日もそう。朝からおとなりに行って、キリツグのお墓におまいりしたの。

 ブカツに行って、ランサーとご飯を食べて……」

 

 昨日今日のことではないし、一昨日も似たようなものだ。

 

「そういう嬢ちゃんはなにをやってたんだよ」

 

「ヤサガシ。わたし、シロウとは血がつながってないけどきょうだいなの。

 キリツグの遺言を探してたのよ」

 

 探していたのはセイバーの触媒もだが、ランサーには伏せる。 

 

「あるかどうかわからないけれど、遺言が見つかったら、

 ニンチが楽にできるって、アーチャーもタイガのおじいさまも言ったから」 

 

「……嬢ちゃんも、苦労してんだなぁ」

 

 それはランサーにとっても痛い内容だった。知らなかったとはいえ、息子をこの手で殺してしまった。オイディプスの悲劇の逆である。

 

「キリツグが、わたしのことを捨てたんだって思ってたの。

 頭にきて、シロウを殺しちゃうところだった。

 でも、アーチャーとリンが止めてくれたの。

 色々なことを教えてくれて、ほかのことも調べてごらんって」

 

「なるほどな。それでか」

 

 非力なアーチャーと遠坂凛が、この同盟のリーダーになった理由が腑に落ちる。少年にとっては命の恩人、少女にとってはきょうだい殺しを止めてくれた相手だからだろう。

 

「キリツグのことだけじゃないのよ。聖杯戦争のことも。

 今までうまくいかなかったのは、なにかわけがあるから、

 きちんと調べないとあぶないって」

 

「だから、キャスターを引き入れたってわけだな」

 

 銀の髪が頷く。

 

「サーヴァントが現界できる間に調べて、よりよい方法を見つけたほうがいいって。 

 この街は、十年前に大火災がおこったの。この前の聖杯戦争と同じ時よ。

 五百人以上も死んじゃった。

 シロウのほんとうの家族も、……わたしのお母さまも、きっと」

 

 豪勇のクー・フーリンにも息を呑ませる事実であった。

  

「リンとサクラのお父さまも亡くなってる。でも、そんなのおかしい。

 魔術師のあとつぎは一人。六十年ごとに殺しあったら、御三家が絶えちゃう。

 何か、忘れてしまったこと、伝わっていないことがあるんじゃないか。

 アーチャーはそうもいってたわ」

 

「つまり嬢ちゃんは、親父がそのことも遺言に書いたかもしれないと思ったわけだ」

 

 イリヤはしかつめらしい顔になった。

 

「それはどうかしら……。わたしのこと、シロウにも言ってなかったのよ。

 言えないことを書けるかな? キリツグ、そういうとこダメダメだから」

 

「ダメダメってな、娘が言うかぁ?」

 

 呆れ顔のランサーに、イリヤはがらくたを示した。

 

「シロウのシュギョウも教え方が悪かったから、ヘッポコなのよ。

 ……なのに、こんなのはみすごしちゃうし。

 リンにも言って、しっかり教えてもらわなきゃ。

 ばれたらフウインシテイにされちゃう」

 

 世界の修正に左右されない、魔力でできた物品。無から有を生み出す奇蹟と同義だ。

 

「とはいえ、これは役立たずのがらくただ。

 この中でやってる分にゃ、単なる道楽で済むが……」

 

 少女の細い指の先を眺めていた深紅の瞳が、ふと細められた。がらくたの種類はさまざまだ。機械の部品のようなもの、あるいは金属の器。そして包丁が一本。

 

「なあ、嬢ちゃん、その刃もか?」

 

 小さな頭がこっくりと頷き、それを拾い上げる。

 

「これは特によくできてるわ。ちゃんと切れそうなぐらい」

 

 ランサーは眉間に皺を寄せて腕組みした。

 

「……今の魔術は詳しく知らんが、こいつはとびきりの変り種だろうな。

 しかし……いや、こいつも後回しだな。嬢ちゃんの探し物から片付けようぜ」

 

 大きな瞳をさらに見開いて首を傾げる少女に、ランサーは笑いかけた。彼は、娘には恵まれなかった。

 

「一飯、いや二飯の恩は返す。俺の太っ腹なところを見せてやるよ」

 

 庭で拾った小石に、探索のルーンを刻み、イリヤの髪を巻きつける。

 

「さて、出てくりゃいいが……」

 

 小石は踊るように跳ね回り、土蔵の中を巡る。しかし、外へ飛び出していった。

 

「やっぱり土蔵にはないのかしら」

 

 眉を寄せるイリヤに、ランサーは再び腕組みして頭を垂れた。

 

「嬢ちゃんの血に連なる者の魔力に反応するんだが……」

 

「ランサーはすごかったのね!」

 

「それゆえ、今の世では探せぬ物も多いんだがな……。

 ほれ、機械で文字を書いたり、姿や声さえも残しておけるだろう」

 

「ああ、こういうのね」

 

 イリヤは携帯を取り出すと、画像を呼び出す。弓道着の士郎に寄り添うイリヤとセイバーが写っていた。別の画像は、昨日の学生風の服装のアーチャーと一緒だ。半ば透けた赤い騎士、紫の髪を靡かせるライダーの姿もあった。

 

「なんだ、こりゃ?」

 

「アーチャーが試してわかったの。サーヴァントも写るのよ。

 そうだわ、ランサー。わたしとバーサーカーも撮って!」

 

「おいおい……あいつは何やってんだ。というより何者だよ……」

 

 ルーンの小石も、はかばかしい反応を返さない。イリヤの指示でカメラを操作しながら、溜息を吐くランサーだった。

 

「しかしな、嬢ちゃん。どうやっても、バーサーカーの顔が切れちまうんだが……」

 

 新たな機器を、アインツベルン陣営が導入するのも近いかも知れない。


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