士郎は、桜の現状をイリヤから聞かされて、実の姉より落ち込んだ。一年ほど前、部活で怪我をしたのがきっかけで、家事の手伝いに来てくれるようになった桜。とはいえ、資産家の間桐には家政婦がちゃんといて、お嬢様育ちの桜は何もできなかった。おにぎりを握るとボロボロに、卵を焼くと黒焦げになった。でも士郎にとって、久々に誰かに作ってもらう食事だった。上手下手を超えておいしかった。
慎二とのいざこざは、よくある兄妹げんかだと疑わなかった。慎二は斜に構えたところのある威張り屋だし、桜は桜で大人しすぎるから、ついついエスカレートしてしまうのだろうと。士郎も慎二に意見したり、時には口論からちょっとした殴り合いにも発展したが、そのうち収まるだろうと楽観していた。
「……俺、なんにも気がつかなかった」
毎日のように手伝いにきてくれるのは、逃避だったのかもしれない。
「しかたがないわ、シロウ。魔術は秘匿するって、そういうことだもの。
わるいことをして、ばれるようだと魔術協会が狩りにくるの」
「……ばれないようにしてる奴を、じいさんが殺していたんだな」
「うん、きっと、そういうこと」
イリヤの言葉に、士郎は膝を抱え込んだ。
「魔術師殺しなんて聞いて、俺、びっくりしたんだ。
でも、こういう奴がいるんなら、仕方がないのかもしれないとも思う。
だけどさ、本当に見えない相手には手が出せないんだ。
前の聖杯戦争の時だって、ひどいことやってたかもしれないのにさ。
……なあ、イリヤ。魔術ってなんだろうな……」
切嗣が子供だった士郎に見せてくれた『魔法』は、まさに夢のようだった。養父の目指した綺麗な夢を目指すには、夢のような魔術で果たしたいと願った。しかし、夢は美しいものばかりではなかった。悪夢そのものの現実として、ずっと妹分を苦しめていた。
士郎は、初めて魔術に疑問を抱いた。神秘は秘匿すべしという言葉を、頭から鵜呑みにしていた。
しかし世間では、善行は明らかにし、隠すのは悪行である。じゃあ、魔術は? 自問しても答えは出ない。士郎のへっぽこ魔術では、善も悪も大したことはできないからだ。高みにある間桐臓硯の魔術は、隠すべき悪となるほどのことができた。
赤毛が力なく振られた。それを全部の魔術に当てはめるのも、やはり極論だろうか。物事には複数の側面があり、すべてを肯定することも、否定することもできない。最も明らかな辺を、法を物差しで測るのだと、理性と感情に穏やかに働きかけたアーチャーの影響かもしれない。
ルビーの瞳に、悲しいほど優しい微笑みが宿った。
「わたしに、ううん、わたしたちにとってはすべてよ、シロウ」
「……わたしたち?」
「アインツベルンのものは、そうやって生まれて育つの。
魔術で生まれ、魔法に至るために生きる。
でも、わからなくなってきちゃった。
もし第三魔法を復活させて、成功したとして、
魔法使いになった人は幸せなのかしら」
小さな手が、胸の前で組み合わされた。
「不老不死は人間の夢。とてもすばらしいことのはずよね。
一度は手に入れたのに、魔法は途絶え、魔法使いもいなくなっちゃた。
ずっと不思議だったの。……こういうことだったのかもしれないよね」
人は生まれ、育ち、老いを迎えてこの世から去る。それを覆そうとした者は、古今東西の神話や伝説にいくらでもいるが、成功したものは皆無だ。イエス・キリストは復活を果たしたが、父たる神の天上に召された。再びの生で、家族や弟子に囲まれて暮らすことは叶っていない。
「わたしたちは千年も魔法を追っている。
マキリゾウケンは、その半分を生きてる。
蟲になって、家族に嫌われて。だからなのかな……」
ホムンクルスが生まれたのは。知識や感情を植え付けることも、成長や寿命も創造者の思うがまま。切嗣の血を引くイリヤが、唯一の例外だろう。しかし、母の胎内にいるうちから、様々に調整を施され、早まった聖杯戦争に対応するため、さらに手を加えられている。
「なにがさ、イリヤ?」
イリヤは首を振った。
「ううん、なんでもない。アーチャーが起きたら相談してみる。あれ、リンは?」
返答したのはセラだった。
「遠坂様でしたら、宝石店に出かけられました」
宝石店という単語に、士郎は眩暈を起こしかけた。
「ま、まさか、ン百万の宝石を準備すんのか!?」
「いいえ、とっておきを取りに行くとおっしゃいました。
念のためリズを同行させましたが、一度ご自宅にお戻りになるそうです」
「ってことは……」
道場から乾いた音が聞こえてくる。
「ランサーとセイバーが手合わせしてるみたい」
「うー、遠坂め。ランサーを押し付けてったぞ……。
じゃあ、アーチャーはどうしてるんだろ」
「部下の方は、遠坂様の警護をなさっているようですが……」
「わたしにはわかるわ。アーチャーもここにいる。……チャンスね」
イリヤは真紅の瞳をきらめかせた。
「今のうちにやっちゃいましょ」
「何をさ?」
琥珀がきょとんと見開かれる。
「うーんと、リャクダツアイ?」
「お嬢様!」
「はぁっ!?」
叱咤と疑問の声が飛び交う中、イリヤは家庭教師を可愛らしく見上げた。
「というよりは、フセイユウシなのかしら?」
セラの怜悧な面に、ゆっくりと理解の色が現れる。
「では……」
「ねえ、セラも手伝って」
「よろしいのですか?」
「夜までどころか、このままじゃ消えちゃう」
聖杯の少女の言葉だ。セラは表情を引き締めた。士郎に聞き取れないよう、イリヤはドイツ語で囁く。
【そうなると困るの。だって彼、ヘラクレスに匹敵する魂の容量がありそう。
わたしは動けなくなるかもしれない】
彼が消滅したら、その魂はイリヤが回収する。今回のサーヴァントは、ヘラクレスにメドゥーサ、クー・フーリンと神話級の粒ぞろいだ。ヤン・ウェンリーという真名以外は不明のアーチャーだが、その格は彼らに劣らない。
それを士郎に告げることはせず、口にしたのは当面の問題である。
「それでも、やっぱり明日までは動けないと思うわ」
「ですが……」
セラは逡巡した。アーチャーが、間桐臓硯の排除に賛成するかどうか。彼は魔術を知らず、歴史の流れを愛する。魔術の秘奥にいまだ遠く、人の営みのまま代を重ねた遠坂だから、呼ぶことができたサーヴァントともいえるのだ。人を辞めた外道とは相容れなさそうだが、だからこそ、凛が手を汚すのを厭わないか。
【彼らの手は汚させないわ。これは私がやるべきことだから】
ふとイリヤの瞳に紗がかかり、やや舌足らずな話し方ではなく、流麗な声が流れた。
【……マキリは生き過ぎた。正義と平和を望んだ天才が変わり果ててしまった。
せめて、私の手で眠らせてあげましょう】
セラは、深々と頭を下げた。
【貴方様のお心のままに】
ホムンクルスの祖、冬の聖女ユスティーツィア。イリヤに継がれた欠片が、垂れた慈悲であったかもしれぬ。
そのアーチャーは、慎二のために敷いていた布団を横取りして、ちゃっかりと寝ていた。霊体化してだが。イリヤは魔力を流し込んで強引に実体化させ、その唇を啄ばむと、セラにも同じことをした。士郎は、目と口をOの字にして見ていることしかできなかった。
「な、な、な、なにやっ」
絶叫しそうになった士郎の口、というか顔を大きな手が塞ぐ。バーサーカーは、イリヤの忠実な僕であった。
「かんたんなパスをつないだだけよ。……セラ、だいじょうぶ?」
イリヤの師であるセラは、優れた魔術師である。弟子には及ばないものの、魔力量も一流以上といっていい。そんな彼女が堪らずに膝をつき、白い額に冷や汗を滲ませた。頬からも赤みが失せ、紙の白さになっている。
「……な、なんとか。やはり、この方は尋常な英霊ではありません……」
「ちょっとだけ我慢してね。じゃ、行くよ、バーサーカー」
顔を塞がれて、じたばたしている士郎も否やもなく、道場へと連行された。こちらも目を真ん丸にしたランサーの前で、セイバーと士郎にも、イリヤの口付けが贈られた。
「んー、やっぱりつながりが悪いのね。二人ともヘッポコなんだから。
やっちゃえ、バーサーカー!」
巨大な手が、夕日色と金沙の後頭部に添えられ、拝むように合わされた。その持ち主達の顔面を内側にして。ランサーが気の毒そうに目を逸らした。
「惨劇を見たぜ……」
「……お、俺、初めてだったのに……」
床にうずくまる士郎の背を、傍らにしゃがんだランサーが労わるように叩いた。
「おお……そうか。まあ気にすんな。ガキとサーヴァントは数にゃ入らねえよ。
次の時に、気張りゃあいいじゃねぇか、な?」
「むー、失礼ね。わたしガキなんかじゃないわ。レディなんだから」
「へえへえ、レディねぇ。だったらもうちょいと言葉遣いをだな……」
「そういう問題じゃないだろ! イリヤも、その、セイバーだってさ……」
唇を押さえ、真っ赤になったセイバーは、凛とした女騎士ではなく、可憐な少女に見えた。
「い、いえ、大丈夫です」
「っかーーっ! アホらしい。接吻ごときで照れてんじゃねえよ。
魔力の供給ってんなら、坊主がセイバーといっ……」
『坊主』のきょうだいのルビーレーザーが突き刺さり、ランサーは口を噤んだ。天井に余裕がある道場だから、バーサーカーも直立不動で待機しているが、斧剣を握った手に不穏な力が篭っている。
「そんなことより魔力はどう、セイバー?」
士郎のファーストキスは、そんなこと扱いされてしまった。ますます萎れる主とは対照的に、セイバーは姿勢を正し、一礼をした。
「感謝をします、アインツベルンのマスター。
ラインがきちんとつながったようです」
魔術師の体液には魔力が含まれる。最も豊富なのは、生命の源となるものだが、唾液や涙にも含まれてはいる。膨大な魔力を誇るイリヤであれば、士郎とセイバーの架け橋になるに充分だった。そして、彼らが知ることのない縁によっても、この結びつきに大きな意味があった。
第四次聖杯戦争で、セイバーの鞘を抱いていた男女。男は士郎の養父であり、女はセイバーと行動を共にした聖杯の姫君。今は亡き二人の娘が聖杯の器として、過去と今の鞘の主に贈る、許しと祝福のキスでもあったから。
しかし、士郎はそれどころではない。くらくらするほどの脱力感が襲う。
「ううぅ、これが魔力の供給ってことか。キツイんだな……。
ああ、そろそろ昼飯か。……どうしよう」
戦いの最大ポイントは補給である。聖杯戦争はもっとも難しい輸送を度外視できるが、マスターの魔力という生産力の差がもろに現れる。そして、魔力は生命力。食うことと寝ることをどうするか。
士郎も早速、アーチャーの言葉を思い知ることになった。心細い冷蔵庫の中身と、それ以上に不安な後方戦力。凛とリズは不在、士郎とセラは魔力供給に四苦八苦。家事をする手が足りない。士郎には、二騎士とイリヤ主従に、食事の支度を任せる度胸はなかった。
「なあ、俺たちは出前でいいか?
遠坂の計画に乗るなら、部活にいかなきゃならないし」
こくこくと頷く金沙の髪の傍らで、蒼い髪の青年が遠い目になった。
「おまえら、もっと真面目にやれよ」
「ランサーも食うだろ? 嫌いなものはあるか?」
「セイバーのマスターに感謝する。犬と……バカ辛い物以外にしてくれ」
ランサーは速やかに前言を翻した。昨晩の夕食は、彼の想像を突き抜けた美味だった。
「い、犬なんて食わないぞ!」
ガーネットが、胡散臭げに琥珀を睨んだ。
「じゃあ、ホットドッグって何なんだ」
「ソーセージ入りのパンだよ。……念のため言っとくけど、豚肉だぞ」
「それじゃどうして、犬って言うんだよ?」
「え、あ……さあ?」
アーチャーが起きていたら、教えてくれたかもしれないが。
****
そろそろ米が食いたい士郎は、定食屋に出前を頼んだ。一応凛に電話したら、リズと道中で済ませてくるとのことだ。
「あいつの宿題も調べとかないとね」
深山町の一家殺人のことだ。
「教会への要求期限は明日までなんだけど、そろそろ何か言ってくるかも。
でも気をつけて。あいつ、信用ならないから。
イリヤたちには言ってもいいけど、ランサーには伏せといてちょうだい」
凛からの伝言を半分みんなに伝え、士郎は急いでカツ丼をかき込み、セイバーを伴って学校へ。なにやら難しい顔になったイリヤは、土蔵へと向かった。ランサーは、ぽっかりと暇になった。
一応、桜の見張りを仰せつかっているが、部屋の外でという但し書きがつく。貴族のメイドが、嫁入り前の娘の寝室に、略奪愛上等の古代人を入れるはずがなかった。追い出されたランサーは、隣の部屋の襖の前で胡坐をかいて独語した。
「なさぬ仲の男所帯に、娘一人放り込んで今さらだがな……」
敷きっ放しの布団から、静かな声が上がる。
「……見て見ぬふり、知らんぷりも大事なことですよ」
「おまえ……」
なんとか実体化したアーチャーだった。彼はうっすらと微笑んだ。
「明るみに出ず、証拠のない事実は存在しないのと同じことです」
「いいのか?」
「魔術は秘匿するのでしょう? それが招いた事態だ」
「意外だな。お前は法にやたらとうるさいそうだが」
黒い瞳が大儀そうに閉じられた。
「法は守る者の盾であり、破る者には剣となる。
だから私は、この子たちには法を守らせたい。
この国は、戦争を放棄した稀有な法を持っている。
自国の法に基づいて、敵国の人間を大勢殺す必要はない。……私のように」
武勲で名を馳せた存在であろうに、彼はそれを誇りに思っていない。ランサーには理解しがたい感覚だが。
「なるほど」
「だが、法とは人間の為にあるものです」
「人間のたぁ……」
一瞬開けられた目が、厳しい光を放つ。
「蟲には適用されない。人命と寄生虫では、比べるまでもないことだ」
そう言うと、姿が揺らいで消えた。
「あ、おい!」
ランサーは伸ばした指を所在なげに動かした。
「気配はあるか。消滅してはいまいが、これほど消耗する宝具だったとはな……」
それでもアーチャーはランサーの挑戦を受けて立った。セイバーとバーサーカーを擁しているのにだ。姿も言動も軟弱だが、彼の心はたしかに武人のものだった。
「せっかく、戦さのし甲斐がある相手なんだが」
魔女にとっつかまって、一番の不満がそれだ。マスターを厳重に守っているあの女は、アーチャーの主従には手を出すなと厳命した。そして、本拠地の立ち入りは門番に阻まれる。暗殺者らしからぬ赤い騎士に再戦を挑んだが、鼻で嗤われた。
『甚だ不本意だが、私と君は同僚ということになる。
光の御子は、仲間に槍を向ける男だったのかね?』
では何をしろというのだ。二人並んでお茶を挽くのか。先日偵察したときは、面白い戦い方をする男だと思ったが、同僚として付き合えるかは別問題である。
ランサーは、強者との戦いを願って召喚された。聖杯に願いはないが、サーヴァントとしての楽しみには貪欲である。じゃあ、その条件でアーチャーらに張り付くのはどうだと願い出て、遠坂邸に押しかけた次第だ。
結果としては悪くない。セイバーと手合わせもできたし、昼食もこれまた美味だった。バーサーカーに手合わせを願うのは無理そうだが。
「話をすれば面白いしよ。だが……」
アーチャーの一番の武器は、将としての統率力、師としての教育力だ。最初にまみえた時は、マスターとの二人連れだった。教会の墓地で仲裁に入ったときは、セイバーとバーサーカー陣営を連れてはいたが、いかにも寄り合い所帯といった様子だった。
それがどうだ。わずか四日で、少年少女のマスターは見違えるように成長し、互いを守りあうまでになっている。キャスターを仲間につけ、ライダーを行動不能に追い込んだ。
敵の敵は味方とばかりに、キャスターはランサーを毟り取り、目まぐるしく勢力図が変わっていく。もう一方の綱を握るのはキャスター。しかし、魔女はアーチャーと敵対する気はないらしい。
『あのアーチャーは、聖杯戦争には過ぎたるサーヴァントだわ。
彼の戦いは、この狭い地に収まるようなものではないの』
魔女は溜息を吐いたようだった。
『あんな姿をしていても、本当はとても怖ろしい男よ。
私の願いのためにも、敵に回したくないわ。
あの宝具を見るまでは、おまえのように奪おうと思っていたのだけれど……』
百戦錬磨の軍人は、王女だったキャスターが是非とも欲しい人材だった。たとえ宝具が大したことはなくとも、あの頭脳だけでお釣りがくる。そう思っていたのだが、彼は強力な宝具を持っていた。しかし、秘匿性は皆無だわ、広い場所が必要だわ、展開時間は短いわと、三拍子揃って山寺の籠城戦に向いていない。今までに搾取した魔力で養うには、燃費も悪すぎる。
『だから、遠坂のマスターに生きていてもらわないと困るのよ。
もちろん、バーサーカーとセイバーのマスターにもね』
どうやら、魔女には色々と欲しい物があるらしい。この三者を失うと、それがご破算になってしまうのだという。どんな手を使ったのか知らないが、よほどに急所を抉られたとみえる。
「戦さもない、豊かでいい時代だ。
食い物はうまい、衣は色鮮やかに柔らかく暖かく、
寝床は雲を褥にするがごとしってか。
もっとも生きていくには、なかなかややこしそうだがな」
神秘は古いほど勝るというが、これと引き換えになるのなら喜んでくれてやる。だが、今さら言っても詮無きことだ。時の流れは覆らない。無理に堰き止めようとしたのが、ライダーを擁する間桐の現状であろう。セイバーとイリヤは衝撃を受けていたようだが。
「しかし、アーチャーもだが、セイバーは何者だ?」
真名を秘し、セイバーとしての象徴の剣もかたくなに秘す女騎士。
「何者っていやあ、アサシンもだが」
真紅の外套に黒白の双剣。褐色の肌に、銀灰の髪と瞳の、いずこの者とも知れぬ英霊。あのすかした皮肉屋と、二人で門番をするのは遠慮したい。
……もしそうなら、『カイジン青タイツと赤マント』と評する者が出たかもしれない。彼らが知らないのは幸いと言えよう。
「……わけがわからん」
ランサーは勢いよく首を振った。彼は聡明な戦士だが、細かいことをごちゃごちゃ考えるのは得意ではなかった。暇をもてあますのも苦手だ。クー・フーリンは行動の人なのである。
「嬢ちゃんを迎えにでも行くか」
その旨をセラに告げ、玄関へ向かう。靴を突っかけているところに、土蔵からイリヤの金切り声が聞こえてきた。すわ、異変か!? ランサーは嬉々として突っ走った。
「なにこれ……」
「なんだ、なんだ!? ……なんにも起こってないじゃねえか」
イリヤが立ち尽くしていたのは、土蔵に雑然と転がるガラクタの前だった。
「鼠でも出たのかよ」
イリヤは無言で首を振り、なにかの部品を拾い上げた。
「これ見て、ランサー」
「はぁ? ただの鉄屑じゃ……ねえな」
手渡されたものは、ランサーの掌で砕け散った。なんの痕跡も残さずに。高さと色調の異なる赤い視線が交錯する。
「こいつは、魔力そのもので出来てる」
「ええ、シロウの魔力を感じる。でもこんなのおかしいわ」
魔術は世界の法則を欺くものだ。長く誤魔化してはおけない。この点でも令呪は破格のものであるが、魔術師の魔術回路を間借りして、世界の修正を潜り抜けている。凛の宝石魔術も同様。魔力を長持ちさせるには、世界から隠す包み紙が必要だ。魔術は秘匿せよとはその意味でもある。
しかし、このガラクタは、魔力だけで出来ている。ランサーに触れて壊れたのは、神秘に勝るサーヴァントの魔力に干渉されたからだ。だが、イリヤが持ったぐらいでは平気だった。どういうことなのか。
「こんなもん、いつ作ったんだ。坊主が出かけてから、小一時間は経ってるが」
小さな銀の頭が、左右に振られた。
「そんなヨユウがあったら、シロウはお昼ごはんを作ってたわ。
今朝はおねぼうさんだったし、すぐにリンとランサーが来て、マキリに行って……。
昨日もそう。朝からおとなりに行って、キリツグのお墓におまいりしたの。
ブカツに行って、ランサーとご飯を食べて……」
昨日今日のことではないし、一昨日も似たようなものだ。
「そういう嬢ちゃんはなにをやってたんだよ」
「ヤサガシ。わたし、シロウとは血がつながってないけどきょうだいなの。
キリツグの遺言を探してたのよ」
探していたのはセイバーの触媒もだが、ランサーには伏せる。
「あるかどうかわからないけれど、遺言が見つかったら、
ニンチが楽にできるって、アーチャーもタイガのおじいさまも言ったから」
「……嬢ちゃんも、苦労してんだなぁ」
それはランサーにとっても痛い内容だった。知らなかったとはいえ、息子をこの手で殺してしまった。オイディプスの悲劇の逆である。
「キリツグが、わたしのことを捨てたんだって思ってたの。
頭にきて、シロウを殺しちゃうところだった。
でも、アーチャーとリンが止めてくれたの。
色々なことを教えてくれて、ほかのことも調べてごらんって」
「なるほどな。それでか」
非力なアーチャーと遠坂凛が、この同盟のリーダーになった理由が腑に落ちる。少年にとっては命の恩人、少女にとってはきょうだい殺しを止めてくれた相手だからだろう。
「キリツグのことだけじゃないのよ。聖杯戦争のことも。
今までうまくいかなかったのは、なにかわけがあるから、
きちんと調べないとあぶないって」
「だから、キャスターを引き入れたってわけだな」
銀の髪が頷く。
「サーヴァントが現界できる間に調べて、よりよい方法を見つけたほうがいいって。
この街は、十年前に大火災がおこったの。この前の聖杯戦争と同じ時よ。
五百人以上も死んじゃった。
シロウのほんとうの家族も、……わたしのお母さまも、きっと」
豪勇のクー・フーリンにも息を呑ませる事実であった。
「リンとサクラのお父さまも亡くなってる。でも、そんなのおかしい。
魔術師のあとつぎは一人。六十年ごとに殺しあったら、御三家が絶えちゃう。
何か、忘れてしまったこと、伝わっていないことがあるんじゃないか。
アーチャーはそうもいってたわ」
「つまり嬢ちゃんは、親父がそのことも遺言に書いたかもしれないと思ったわけだ」
イリヤはしかつめらしい顔になった。
「それはどうかしら……。わたしのこと、シロウにも言ってなかったのよ。
言えないことを書けるかな? キリツグ、そういうとこダメダメだから」
「ダメダメってな、娘が言うかぁ?」
呆れ顔のランサーに、イリヤはがらくたを示した。
「シロウのシュギョウも教え方が悪かったから、ヘッポコなのよ。
……なのに、こんなのはみすごしちゃうし。
リンにも言って、しっかり教えてもらわなきゃ。
ばれたらフウインシテイにされちゃう」
世界の修正に左右されない、魔力でできた物品。無から有を生み出す奇蹟と同義だ。
「とはいえ、これは役立たずのがらくただ。
この中でやってる分にゃ、単なる道楽で済むが……」
少女の細い指の先を眺めていた深紅の瞳が、ふと細められた。がらくたの種類はさまざまだ。機械の部品のようなもの、あるいは金属の器。そして包丁が一本。
「なあ、嬢ちゃん、その刃もか?」
小さな頭がこっくりと頷き、それを拾い上げる。
「これは特によくできてるわ。ちゃんと切れそうなぐらい」
ランサーは眉間に皺を寄せて腕組みした。
「……今の魔術は詳しく知らんが、こいつはとびきりの変り種だろうな。
しかし……いや、こいつも後回しだな。嬢ちゃんの探し物から片付けようぜ」
大きな瞳をさらに見開いて首を傾げる少女に、ランサーは笑いかけた。彼は、娘には恵まれなかった。
「一飯、いや二飯の恩は返す。俺の太っ腹なところを見せてやるよ」
庭で拾った小石に、探索のルーンを刻み、イリヤの髪を巻きつける。
「さて、出てくりゃいいが……」
小石は踊るように跳ね回り、土蔵の中を巡る。しかし、外へ飛び出していった。
「やっぱり土蔵にはないのかしら」
眉を寄せるイリヤに、ランサーは再び腕組みして頭を垂れた。
「嬢ちゃんの血に連なる者の魔力に反応するんだが……」
「ランサーはすごかったのね!」
「それゆえ、今の世では探せぬ物も多いんだがな……。
ほれ、機械で文字を書いたり、姿や声さえも残しておけるだろう」
「ああ、こういうのね」
イリヤは携帯を取り出すと、画像を呼び出す。弓道着の士郎に寄り添うイリヤとセイバーが写っていた。別の画像は、昨日の学生風の服装のアーチャーと一緒だ。半ば透けた赤い騎士、紫の髪を靡かせるライダーの姿もあった。
「なんだ、こりゃ?」
「アーチャーが試してわかったの。サーヴァントも写るのよ。
そうだわ、ランサー。わたしとバーサーカーも撮って!」
「おいおい……あいつは何やってんだ。というより何者だよ……」
ルーンの小石も、はかばかしい反応を返さない。イリヤの指示でカメラを操作しながら、溜息を吐くランサーだった。
「しかしな、嬢ちゃん。どうやっても、バーサーカーの顔が切れちまうんだが……」
新たな機器を、アインツベルン陣営が導入するのも近いかも知れない。