凛が慎二を引っ立てて、向かったのは衛宮家の道場だった。桜は士郎に任せてある。
板の間の中央にライダーが力なく蹲り、武装したセイバーとランサーが油断なく武器を構えていた。セイバーの剣は姿が隠れたままだが。
腕組みして壁にもたれ掛っていたイリヤは、凛たちの登場に首を上げた。
「あれ、リン。ライダーのマスターは平気?」
「できることはやったわよ。
もう命に別状はないけど、眼を覚ますにはもうちょっとかかるわ」
凛のの言葉に、ライダーは弾かれたように顔を上げ、次いで深々と一礼した。
「あ、ありがとうございます……」
「勘違いしないで。ライダーは赦したわけじゃないわ
あんたの罪は、相応に償ってもらう。でも、まずはランサーに聞きましょうか」
「おう、何をだ?」
「桜のこと。あなたのマスターは、悪いようにはしないと言ってくださったそうね」
ランサーは器用に形のよい眉を上げた。
「まあな。ちょっと待ってろよ」
言うが早いか、ランサーの携帯が鳴り出した。彼は携帯を取ると、二言三言話してから、凛に向かって突き出した。
「ほれ、キャスターからだぜ」
道場に集った全員が驚愕に口を開けた。
「あ、ああ、も、もしもし? ほんとにキャスター?」
『何を驚くことがあるかしら、アーチャーのマスター。
こんなにいい方法があるのに、わざわざ魔術を使う意味があって?』
原初に近い魔術師に言われ、現代の魔術師は愕然とした。魔術師は本来、最先端の学者だったとアーチャーが言っていたが……。
「まさか、あなたが言うなんて思わなかったわ。
ところで、キャスター、桜を悪いようにはしないってどういう意味?」
『私の望みは平穏な暮らしなの。だから住まいは綺麗にしたいのよ。
人を喰らい、人に変じる害虫が、うろついているだなんてまっぴら。
夜道を歩くことに、生きながら喰われるほどの罪などないわ』
凛の顔から血の気が引いた。アーチャーがサーヴァントの犯罪を発見したのは、主に新聞記事からだ。彼が知りえない事件もある。例えば、アーチャーを召喚する三日ほど前に、同報無線から流れていた行方不明者のお知らせであるとか。
「まさか、あの行方不明……」
凛がすぐに思い出せたのは、行方不明者が珍しく若い女性だったからだ。この手の行方不明は、だいたいが高齢者が出かけたまま帰ってこないというものなのである。だが、そのうち広報で言わなくなったから、見つかったとばかり思っていた。
『そう。私が気づいたときには遅かったわ。
我が神は、女と夜と辻を守護する。その意を穢すものに罰を与えなくてはね』
そうではないとキャスターは言う。凛は声を失い、むなしく口を開閉させる。この数年に度々起きた、失踪事件の犯人が判明した。間桐臓硯の五百年の生は、おぞましいかぎりの術で、他者の命を犠牲としていたから可能だったのだ。
「なんてこと……。私は管理者失格だわ。
アーチャーがいい顔しなくても、臓硯は殺すしかない」
凛の言葉に慎二は顔を強張らせたが、無言で頷いた。それは彼の望みでもあったからだ。
『ええ、始末するならば今のうち。アーチャーが眠っている間にね。
彼は魔術を知らぬ者だから、魔術でしか葬れぬ存在を知らないのよ』
「桜がライダーのマスターでも?」
小さな笑い声が聞こえてきた。
『教えのためだけではないわ。私はね、女を辱め、玩ぶものは赦せないの。
女であるというだけで、男の好きにされるなんて、神の加護でも赦さない。
私は、そんな輩はすべて滅ぼしてきたわ。生きている間も、……今もよ』
凛の背筋を冷たい戦慄が駆け上がった。令呪で縛ることができるサーヴァント。フードから覗く顔の下半分でさえ、類い稀な美しさが見て取れるキャスターだ。不心得なマスターが欲望のはけ口にしたとして、なんの不思議があろうか。
彼女は遠い昔の存在だ。厳然たる身分制度がある時代の、非常に高貴な女性。狼藉を働く下賤の者を罰するのは、彼女にとって当然の権利で正義に違いない。罰せられた者は、死を以って償うことになったのだろう。
正義の基準は時代によって異なると、アーチャーも言っていた。人間の平等が生まれたのは、人類史上ではつい最近のことだ。身分の高いものが、低いものから搾取する時代のほうが、ずっとずっと長かった。それは、千六百年先の自分の敵国も同じだったと語っていた。
キャスターが起こした昏倒事件も、彼女にとっては年貢の徴収のようなもので、ゆえに加減を知っているのだとも。彼女を単純な悪とみなさず、交渉を選んだ彼を今さらながらにありがたく思う。だから、キャスターは凛に助力する気になったのだろう。桜に、自分の生前の不幸を重ね合わせたのかもしれない。
『ともかく夜になったらおいでなさいな。妹を連れてね』
「夜まで待って平気なの?」
『ええ、害虫もアーチャーもどちらもね。
それから、ありったけの宝石を持っていらっしゃい。
大掛かりな術になるわよ』
相手は凛の術までお見通しだった。手紙の結びでライダー戦を讃えたのだから、知っているのも当然ではあったが、気分のいいものではない。
「……わかったわ。ありがとう」
ようやっと返答した凛に、含み笑いを残して電話が切れた。
「桜の姉としても、管理者としても、間桐臓硯を許す理由はなくなったわ」
「……ああ」
「あのじじいが死んだ後、諸々の手配はあんたがやりなさい。
それから、ライダーが襲った被害者に、きっちりと賠償すること。
桜への償いは、一生かけてやってもらうわ」
慎二は俯いた。間桐の魔術はこれで断絶する。そう思うと笑いがこみ上げてきた。狂ったように笑い出す少年を、イリヤは気味悪げに見詰めた。
「ねえ、リン。この人、だいじょうぶ?」
「あ、はっははは、ぼ、僕は正気さ、アインツベルンのマスター!
ざまぁみろ、ジジイ! なにが不老不死だ!」
「それが、マキリの望みなの」
「ああ、そうだとも!
五百年生きて、聖杯戦争に二百年も付き合って、
僕たち子孫から憎まれ抜いて、ムシケラとして死ぬんだ!
魔術も何にも残せずにさ! 滑稽だろ!? 笑わずにいられるかよ!」
涙に濡れ、血走ったぎらつく目が、真紅を捕らえた。
「おまえも覚悟しとくんだな!
ジジイが望んでた不老不死。
アインツベルンの第三魔法『魂の物質化』がなったら、おまえもそうなる。
ずっとそのまんまの、永遠に死なない化け物になるんだ。
みんなに疎まれ、恐れられて、永遠に生きるがいいさ!」
ひとしきり絶叫すると、慎二はばたりと床に倒れ、ぜいぜいと喉を鳴らした。
「シンジ!」
手を伸ばしかけたライダーを槍で制止すると、ランサーが呆れたように呟く。
「おっと、動くな。血が足りねえってのに、叫ぶ馬鹿があるかよ。
その程度じゃ死にやしねえ。どうしたよ、小さい嬢ちゃんとセイバー。
この小僧みたいな顔しやがって」
金銀の少女は、少年と顔色を同じくしていた。すなわち蒼白に。セイバーとイリヤは、お互いの正体を知っている。アハト翁は、セイバーの触媒は贋物であったと結論付けていたが。
アインツベルンが、満を持して迎えた第四次聖杯戦争。サーヴァントとして選んだのは、伝承に名高き騎士王アーサー。触媒は、彼に不死を与えた加護の鞘。異母姉によって盗まれ、彼は戦で手傷を負い、死んだとも、妖精郷で長い眠りについているとも言われていた。
失われた第三魔法を追い続けるアインツベルンの娘。鞘と共に、不病不死を失った騎士の王。二人が目の当たりにしたのは、それに限りなく近づいたが故の、悲喜劇であった。
セイバーは力なく膝をついた。
「な、なんという……なんということだ!」
『王は人の心がわからない』
国を守るために、蛮族の拠点になる寒村を乾し上げたことがある。王位を守るため、偽りの姿で迎えた妻は、部下と不貞を働いた。だが、女であることを隠していたのは自分だ。それを公にできない以上、目こぼしし、許そうとしたのに円卓は割れた。そして、投げかけられた言葉だった。不徳をなじる声だと思っていた。
――別の意味があったのかもしれない。
選定の剣により不老となり、聖剣の鞘によって不死と無敵の加護を得た。鞘を失ったから敗北したのだと思っていた。しかし、人心が離れていったのが、十年も少年の姿のまま、あらゆる病とも無縁で、傷つかぬのが一因だとしたら。
勝利のためにはいかなる手段も取り、妻や部下の裏切りさえ一顧だにしない。変わらぬ正しさゆえに、己が子でも裁き、切り捨てようとする、ひたすらに正しい永遠の少年。他人にはそう見えていたのではないのか。
もう戻れないと忠告された、王位を選定する剣を抜くこと。求めたのはそのやり直し。よき王になれる誰かに託すつもりだった。だが、いつか不老の王が周囲との亀裂を招くのだとしたら、国の滅びは止められない?
いや、その年月の差こそが重要では? だが、長く続けば続くほど、マキリのように歪みを生んでいきはしないか? その反動が、あの戦い以上に国を揺るがすことにならないだろうか。
セイバーは俯き、拳を握り締めた。王の選定のありかたそのものが誤っていたのだろうか。自分の願いが叶っても、結局末路は一緒なのか。
そんなはずはない。聖杯は万能の願望機。自分よりも遥かに優れた人間を、選定の剣の前へと運ぶはずだ。
イリヤも無言で青褪めていた。小聖杯として育ち、戦いに赴くことに疑問を持っていなかった。第三魔法を成就させて、アインツベルンの悲願を果たすことにも。だが、その果てにあるのが誰にも愛されず、怨嗟と忌避を向けられ、永遠の孤独に生きることなのか。
凛は髪をかきあげ、苦く溜息を吐いた。魔術師は根源に向かうため、代を重ねるが、その一代を伸ばそうと試みる者も少なくない。挙句、死徒になったりする者も出てくる。魔術師としての大成と、人間としての幸福は、限りなく相容れないものだった。
少女たちの様子に、ランサーは頭を掻き毟った。
「とんだ愁嘆場だな、おい」
そして、力なく床に座り込んだライダーに視線を落とす。
「ついでに聞いとくが、ライダーよ、貴様の望みは何だ」
「……手遅れです。私は、誰にも知られぬように、マスターを守りたかった……」
搾り出すように悲痛な声だった。
「私を助けようとして、姉様たちは神に慈悲を乞うたのに、
私と同じ怪物にされてしまった。
知らずにいてくれればよかったのに! サクラもそう願っていたでしょう!」
波打つ黒髪が、揺らめいて振り返った。
「いいえ、違うわ。ライダーが桜を守って、聖杯を手に入れたとしても、
吸血鬼事件や学校の結界の被害者が何百人も出たら、全然助けになんかならない!
士郎と同じになる。幸せになんかなれないの」
「ゾウケンを殺すのに?」
翡翠の目が細められ、珊瑚の唇が弧を描く。
「あら、勘違いしないでほしいわね。わたしがするのは桜の寄生虫の治療よ」
人間は、人間の法で裁くべきだ。アーチャーはそう繰り返し、マスターの命を奪うのは原則として反対した。
しかし、彼のサーヴァントへの態度は一貫している。まず交渉して停戦を呼びかけ、同盟には利益を与える。だが、敵対者には武力行使も辞さない。人間の枠から外れたサーヴァントは、法の規制と保護を持たなくなるからだ。人間を辞めた外道も同様だろう。
「人間の臓硯が死ぬのと、なんの関係もないでしょう。
あのじじいが蟲なら、死ぬかどうかも怪しいけど。
ああ、慎二、あんたにも協力してもらうわ」
名指しされた慎二は、まだ肩で息をしながら顔を上げ、凛に視線を向けた。
「な、何をだよ」
凛の左手が少年を指差し、光を発する。細い指に黒い靄が集い、弾丸のように慎二に打ち込まれた。
「な、なにするっ!」
痛みはなかった。その瞬間は。しかし、ほんの一呼吸かそこらのうちに、背筋を悪寒が駆け巡り、頭と喉、関節と筋肉の痛みが慎二を襲った。歯の根が合わないほどに震え、自分自身を抱くようにして倒れ込む。本来のガンド撃ちである。物理的な攻撃力は加減したものの、強烈なインフルエンザに似た症状を起こす呪いだ。
「シンジ!?」
ライダーが眼帯の下で目を白黒させた。
「慎二と桜は、体調不良で昨日部活を休んだ。
今日のも休む。心配になった士郎は、明日慎二の家を訪ね、
風邪で倒れた孫たちと、死んでる祖父を見つける。
ライダーは、これから臓硯をどうにかしてちょうだい」
冷然たる口調に、サーヴァントもマスターも反論の言葉が見つからない。
「冬なんだから、そんなに不自然じゃないわよね。
おあつらえ向きに、ここに風邪っぴきもいるし」
「いやいや、嬢ちゃん、あんたが今やったよな……」
突っ込んだランサーだが、凛の謝礼に背筋を凍らされることになる。
「そうだ、ランサーにはお礼を言わないとね。
ライダーの結界を解かせてくださってありがとう。
あれが解けなかったら、全校生徒の三割にガンドを撃ち込まないといけなかったの。
先生には全員。下手したら中学三年生までよ」
凛の言葉にランサーが眉を寄せた。士郎とイリヤは歯痛を堪えるような表情になる。
「……なんでだ?」
「学校閉鎖にするの。人間がいなきゃ、結界に意味がないでしょ。
溶けるよりましだって、アーチャーが言ったの。一人で済んで助かったわ」
「えげつねぇ……」
美少女が笑顔で言っても、まったく救いがない。友とすることができればこれ以上はなく、敵に回すとこのうえなく恐ろしい。アーチャーことヤン・ウェンリーは、敵手にそう評された人物であった。
「じゃあ、ライダー。あんたは慎二を連れて帰ってちょうだい。
爺と慎二がちょっかいを出さないように見張っててもらうわ」
「サクラは……」
「今夜が終わってからよ。さあ、こいつを連れて帰って。
看病して待ってなさい」
ライダーは逡巡した。凛は桜の姉とはいえ、敵対するマスターである。これでは人質に取られるようなものだ。凛は鋭く足を踏み鳴らした。八極拳で鍛えた震脚が鳴らしたのは、バーサーカーにも遜色のない重低音だった。
「さっさとなさい。ちゃんと看病しないと、命に関わる程度にしておいたから。
……桜に二つも葬式の喪主をやらせる気?」
ライダーは蹌踉と立ち上がると、慎二をぞんざいに肩に担ぎ上げ、道場から走り去った。急展開に目を真ん丸にしていたイリヤは、ぽつりと呟いた。
「あ……。さっきの魔術、もう切れちゃってるんだけど……」
「慎二の体面なんて、知るもんですか」
凛は不機嫌な猫のような表情で、ぷいと踵を返すと道場を出て行った。士郎に託した妹のところへ戻るのだろう。
女は怖ろしい。ランサーは永遠の真理を腹の底に収め、床に胡坐をかいた。
「あの野郎、ていよくサボってるだけじゃねえだろうな……」
抗議の眼差しは、ルビーと鉛の色をしていた。
「あー、そういうこと言うのね。アーチャーが夕食に招いてくれたのに。
招待主のアーチャーに戦いを挑んで、具合を悪くさせたのはランサーでしょ。
ケルトの大英雄はレイギ知らずで、えーと、ケツノアナが小さいのね!」
賛同するかのような唸り声が合いの手を入れる。
「お、おい……。俺だって騙されたんだぜ。
あれほどの騎士を従える将が、俺より格下ということがあるものか!」
「そんなのヘリクツよ。
アーチャーはランサーを知ってるけど、ランサーはアーチャーを知らないんでしょ。
古いほど神秘は勝る。だから格上に間違いないわ。なにがケルトのヘラクレスよ。
本物のわたしのバーサーカーとくらべたら、ヘノツッパリにもならないくせに!」
ランサーはたじたじとなった。反論したくとも、イリヤの背後には唸りながら睥睨するバーサーカー。淑女らしからぬ言葉遣いをたしなめる者もいない。
「仕方がねえだろ! こっちは令呪に逆らえぬ身だからな」
きらりとルビーが輝いた。
「ふうん、令呪の命令だったんだ。やっぱりね」
「やっぱりってなんだよ」
「アーチャーがリンにいったのを、わたしにも教えてくれたの。
ランサーはイチゲキヒッサツのゲリラ戦の名手だって」
「ほぅ……」
昨夜の食事の際にも、面白いことを言う奴だと思っていたが、他にも何かあるのか。ランサーは、真名以外は正体不明のアーチャーに興味を惹かれた。
「他にはなんと?」
「アーチャーが会ったときには、自分とセイバー以外を知っていたみたいだったって。
たしかに、バーサーカーとも戦ったよね」
ランサーは渋面になった。自慢の槍でいくら突きかかっても、傷一つ付けられなかった。もちろん、ランサーも奥の手すべてを出し切ってはいないが、引き分けて撤退せよという命を恨めしく思うような強敵だった。
「あなたはとても強い英雄だから、
全力で戦ってればダツラクしたサーヴァントがいただろうって。
だって、マスターをねらってもいいんだもの。
ちがうってことは、テイサツをユウセンしていたんじゃないかって、
そういってたわ」
「薄っ気味悪い奴め……」
ランサーは肺を空にするような溜息をついた。
「でも、もったいない、あなたの力のムダづかいだって。
殺した相手の名前なんて必要ないんだから」
「だよな!」
蒼い頭が上下し、束ねられた長い髪が犬の尾のように動く。イリヤは彼の異称を思い出して、笑いをかみ殺した。
「ねえ、命令を下したのはだあれ?」
「そいつは言えねえな。とんでもないド外道だったが、一度は仕えた主だ」
最初のマスターへの仕打ちは許しがたいが、油断した者を狙うのは当然の戦術でもある。責があるのは、相手を見誤っていたマスターと、彼女から目を離した自分にある。令呪で主替えを強要され、生殺しのような縛りを加えられたことは腹立たしいし、目撃者への指示は、殺して口封じという胸糞の悪いものだ。
しかし、前者はアーチャーのおかげでなかなか楽しめたし、後者は幸い機会がなかった。並行世界とのわずかな差異が、ランサーの悪感情に一定の歯止めとなっていた。前マスターへの立腹は、殺意に移行するには到らなかったのである。
「あら」
イリヤは長い睫毛を瞬いた。
「じゃあ、あなたのマスターは御三家かどうかは教えてくれない?」
ランサーは両手を広げて、肩を竦めた。
「聞くまでもないんじゃねえか?」
すでに割れているではないか。そう思ったランサーだったが、イリヤも伊達に戸籍問題に直面してはいない。
「マトウの家のことは、ぜんぜんわからないもの。
ライダーのマスターたちが知らないような親戚かもしれないでしょ?
養子にいくと、リンの妹みたいにファミリーネームが変わるわ。
サクラも血でいうなら、マキリじゃなくて、トオサカのマスターよ」
思いもかけない角度からの追及は、ランサーを困惑させた。前マスターの正体を明かしてしまえばいいのだが、できないから歯切れが悪い。
「あー……、そりゃねえから、うん。気にするなよ」
煮え切らないランサーに、イリヤは唇を尖らせたが、それ以上の追求は諦めた。となれば善後策だ。アーチャーの教育は、新雪色の少女を色々と染めていたのである。
「じゃあいいけど。いそいで教会に伝えなくちゃ」
ランサーは必死で顔を取り繕ったせいで、反応がやや遅れた。
「……なんでだ?」
「御三家のマスターじゃないなら、令呪は消えちゃうけど、
リタイヤしたら、教会に行かないとあぶないのよ。ホゴしてもらわなきゃ。
令呪がなくなっても、魔術師なのは変わらないわ。
キャスターとか、よくわかんないアサシンが、エサにするかもしれないでしょ?」
イリヤがランサーの前の主を気にしたのは、凛に触発された御三家としての意識だったのである。アーチャーの態度は、彼女の自尊心と競争意識をプラス方向に育てていた。ランサーにとってはとんだ自縄自縛だ。脳裏に魔女の含み笑いが木霊する。
『苦しいところね。前の主を売るか、今の主を売るか……。
好きになさいな。選択によって、困るのはおまえよ』
魔女の予言どおり、彼は大いに困った。前の主はその教会にいるとバラすか。アサシンは、同じ主に仕える同僚だと告白するか。ポケットから携帯電話を取り出して、操作を始めるイリヤにランサーは慌てた。
「ちょっと待て、ちっちゃい嬢ちゃん! 教会には連絡すんな!」
「なぜ?」
妖しい輝きを放つ真紅の魔眼。その背後には死を具現化した鉛色の巨人。ずっと無言のセイバーも、見えざる剣を抜いたようであった。南無三。ランサーは背中に汗を感じながら、きっぱりと言い切った。
「理由は今は言えねえ。だが、厄介な事情がある。
病人を抱え、戦力が欠けている時に手を突っ込むのは下策だぜ。
害虫を退治して、アーチャーが目を覚ましてからだ」
「わかったわ」
小さな銀の頭が頷いた。
「戦力のチクジトウニュウはダメだものね」
そう言うと、軽い足取りで道場を出て行く。バーサーカーがのしのしと後を追った。三騎士のうち二騎は、思わず顔を見合わせた。教えたのは、残る一騎に違いあるまい。
「彼は本当に何者なのか……」
「てめえが言うな」
武器と真名を秘したセイバーにも、突っ込みを入れるランサーだった。
「ちくしょ、俺の望みはさっぱり叶やしねえ。せめて付き合えよ、セイバー」
ランサーは顎をしゃくった。
「おあつらえ向きに、ここは武技の修練をする場所なんだろ。
宝具代わりの得物もあるしよ」
セイバーが士郎に稽古をつけていた竹刀に、なぜか薙刀もある。ランサーは堂々たる騎士の一礼をしてみせた。
「我らは戦いによって名を為し、死して後に戦うために招かれたものだ。
名を伏せた戦士として、我らはただ戦うのみ。
それでいいじゃねえか、セイバーよ」
伝説の光の御子の挑戦に、エメラルドが輝いた。セイバーも凛然と礼を返す。
「なるほど道理だ。だが、私が武器を隠したと、もう言い訳はできぬことになるぞ」
「ぬかせ、セイバー」
やがて、道場からは乾いた音が鳴り響いた。見ることが叶わぬ弓の騎士が、さぞ悔しがったであろう。そんな剣戟が交わされたのであった。
セラにテレビを止められたけど、藤村さんちでちゃっかり見ているイリヤちゃん。雷画氏と一緒に、高齢者の好きな番組や映画を見ることが多い。お気に入りは『