どこで手に入れたのか、グレーのセーターにジーンズ姿のランサーが仁王立ちしていた。アーチャーは一向に構わず頭を下げた。
「あ、こんばんは。随分早いお越しで」
「この野郎……」
様子をうかがっていたのだが、聞き捨てならない内容に姿を現わさざるを得なかった。戦士のセイバーにも気付かせぬようにしていたのに、この呑気者のせいで……。調子が狂って仕方がない。
「ですが、あなたの令名は私の時代まで届いていますよ。
私の国の第三艦隊の旗艦の名がそうでした」
「てめえはケルトの者には見えねえが」
「混血国家なものでしてね。色々な神話の英雄の名を使っていたんですよ」
他の面々が目を白黒させている内に、近付いてくる黒塗りのリムジン。
「え、えーとイリヤ君、バスに乗るんじゃなかったのかい?」
「セラが調べたら、帰りのバス9時になくなっちゃうの。
だからよ。ねえ、ランサーも乗って下さらない?
お店の場所、ご存知ないでしょ」
これを脅迫という。この少女が連れているのは、正真正銘のヘラクレスだ。知名度で圧倒的であり、その偉業は彼を星座にした。ヤンの世界でも、恐れ多くてヘラクレスという船名は付けないほどだ。
「まあまあ、大丈夫ですよ。この車内ではバーサーカーを出すわけにはいきませんし」
セイバーの剣も振るえない。ランサーの槍も。可能そうなのはアーチャーの宝具だ。イリヤなりの考えだが、なかなか辛辣でえげつない。明らかに外部教師の影響だ。
「ちくしょう、また教会と同じじゃねぇか!」
「でも、ご馳走は本当ですよ」
「くっそ……」
ランサーは発達した犬歯を剥き出しにして渋面を作ったが、乗らないわけにはいかなかった。このメンバーで、ランサーが夕食の誘いを断れるのは、バーサーカーしかいないだろうが、物言えぬ巨人が招待することはない。夕食をすっぽかした瞬間に、ステータス下降が発生し、強者と全力の戦闘を楽しむどころではなくなってしまう。
リムジンの広い車内も、これだけの人数が乗り込むと圧迫感がある。まして、精悍な美丈夫が険相を作っているとなるとなおさらだ。
「ああ、一応自己紹介しておきましょう。
私はヤン・ウェンリーと申します。ご存知だとは思えませんが」
平然と真名をばらすアーチャーに、凛を含んだ驚愕の視線が集中する。
「これで公平でしょう。私も、憧れの英雄にお会いできて光栄です。
短い間になるかもしれませんが、まあよろしく」
毒気を抜かれたランサーが、溜息交じりに腕と足を組んだ。嫌味なほどに長い脚で、対面に座っていたアーチャーの膝を軽く蹴る。
「あいた!」
「あいたじゃねえよ。おい、アーチャーのマスターよ。
こいつは何を考えてやがる!」
翡翠の銛がガーネットに撃ち込まれた。
「それがわかれば苦労はしないわよ! あなたが聞いたらいいじゃない!」
真っ赤なあくまの咆哮だった。ランサーは首を竦め、アーチャーの襟元を掴んで引き寄せると、ぼそぼそと呟いた。
「……おい、てめえのマスターに、なんで俺が怒られなきゃならねえんだよ」
「いやまあ、ちょっとね。お気になさらず。
私のマスターは、調べ物のせいで、気が立っているだけですよ」
「真名をバラしたのはいいのかよ?」
「言ったところでわからないでしょう。だったら隠しても意味がありませんしね」
聖杯からの知識には、該当者はいない。そもそも、東洋人は召喚できないはずだった。ランサーが首を捻る間にも、リムジンは夜の街を滑らかに走行し、新都へと進む。目的地はショッピングモールのビュッフェレストランだ。ホテルの駐車場にリムジンを預け、道路を横断する。
士郎と美女たちの一行に、青年二人が加わり、男女比は三対五(バーサーカーを除く)。多少は目立たなくなるかと思いきや、とんでもない話だった。
セーターにジーンズのありふれた服装も、長身痩躯に白皙の美青年が着ると逆に容貌を引き立てる。隣にいる青年は一見目立たないが、よく見るとなかなか整った、知的で温和な顔立ちだ。身長は士郎とランサーの中間だが、平均よりは高く、上品な服装で良家の子息に見える。
同性がいればいたで、肩身が狭い!? これは誤算だった……。どうか、知り合いに出合いませんように!
士郎は何者かに祈り、エレベーターへ向かう。最上階までの沈黙。夜を登っていく光景に、イリヤは目を真ん丸にして見入った。
「すごーい、どんどん高くなってくわ!」
ガーネットとエメラルドも同様だった。
「こりゃすげえ。絶景だな」
「まさしく……」
黒曜石はにこにこと見守っている。士郎は不審に思った。かなり近い時代の英雄だと思ったけれど、エレベーターがある時代に、一千万人を殺した英雄なんているんだろうか。第二次世界大戦にはエレベーターはある。だが、民間人に被害を出さないなんてことが可能かどうか。思案する士郎だが、足は自然に動き、レストランの前に。
「ここだぞ」
予約者である凛が、係員にそれを告げ、一行は席へと案内される。週末の夕食時で、店内は賑わっていた。他の客は、それぞれ食事と会話に集中し、この派手な面々に注意を向けるものはいない。
「じゃあ、みんなが揃ったところで、ここ、二時間食べ放題よ。
たくさん食べてね。あと、お酒を飲むなら別に頼むけれど、
柳井さんとランサーさんはどうします? あと、運転手さんはダメよ」
見事に猫を着こみ、非のうちどころのない笑顔の凛に、全員が及び腰になった。
「じゃあ、僕と彼はお願いします。ビール生二つで」
凛の猫かぶりには慣れているアーチャーがおずおずと手を挙げた。手慣れた注文内容が、士郎の眉間に皺を与えたが。
「わたくしたちは結構です」
セイバーの視線が凛と士郎を行き来するが、外見でアウト。
「ドリンクが来る間に、好きな物を取ってきてください。
おかわりは自由だけど、残すのはだめだから」
凛の注意に、真剣な表情でうなずく剣と槍の騎士。さきほどから嗅覚を刺激する香りが立ち込めている。その発生源の前に立った彼らの前に現れたのは――。
「な、なんと、美しい……。
あ、アヴァロン……アヴァロンがここにある……!」
「すげえ……! テイル・ナ・ノーグの食い物も、きっとここまでじゃねえぞ!」
色とりどりの食べ物だった。そんなに高価な店ではないが、彼らにとっては山海の美味。それが、調理法の粋を凝らして並んでいる。生に、煮る焼く揚げる蒸す、そして冷やす。生前ではありえぬ食卓である。
「な、なあ、ほんとにこれ食っちまっていいのかよ」
「いいんですよ、お腹一杯どうぞ」
弓の騎士は微笑んでそう答えた。
「お、おまえ……。いい奴だったんだな……」
犬を食わされるのかと覚悟していたランサーには、予想外の饗応だった。
「いやあ、私はあなたがたとの会話が楽しみで来たようなものです。
そんなひどいことしませんよ。脅かしてすみませんでしたね」
「なるほど、おまえも俺と同じ口だな」
料理を端から皿に載せるランサーとセイバーの隣で、アーチャーはフィッシュフライとポテトを皿に載せた。次にスペイン風オムレツと、アイリッシュシチュー。好みというのは死後も変わらないようだ。
「ええ、そうなりますかね。まだ話していない相手もいますが、
あなたと話せるなら、最期になるのもそう悪くはないなと」
そう言って席に戻ったアーチャーを、ランサーは追った。
「覚悟はしてるってわけか」
「まあそりゃそうですよ。私は軍人ですが、身一つで戦ったことなんてありませんし」
「だろうな」
コートを脱いだアーチャーは、シャツとカーディガン姿だったが、ランサーに比べていかにも筋肉が薄い。
「それに聖杯戦争は、システム的にあなたの望む戦いは不可能でしょうしねえ」
「なんだと!?」
立ち上がりかけたランサーに、ヤンはジョッキを掲げた。
「まあ、まずは乾杯しましょう。ここは共通の友に敬意を表して」
人類の友、酒のことである。ランサーは腰を落とし、しぶしぶジョッキを掲げた。
「仕方ねえ。乾杯だ」
ジョッキの触れあう音。他の面々は、目を皿のようにしてアーチャーとランサーを見ていた。二人の青年が、ジョッキを傾ける。
「うめぇな、こりゃ! 飲んだことのない酒だが」
「あ、まだビールはなかったかな。ワインの方がいいですか?」
「そいつは前に飲んでるからな」
「あなたが飲んでいた物とは、随分違うと思いますよ。
水で割らないし、味も付けないので、別物に近いでしょう」
「お、そうなのか? じゃあ、どうせなら色々飲み比べてみるか」
普通の飲ん兵衛の会話だった。時々物騒な内容が混じるが、周囲のほどよい喧騒に隠れて、目を向けるものはいない。
「それもいいですね。どうせ飲み放題ですから」
士郎はアーチャーのマスターに向き直り、ぼそぼそと呟いた。
「なあ、遠坂。サーヴァントって酔うのか?」
微かにトラウマを刺激されつつ、答えたのはセイバーだ。
「一応酔います」
「そうみたいよ。紅茶にブランデー入れると喜ぶし」
ランサーは皿の料理にも手を伸ばし、美味に感嘆した。
「すげえな。いい時代だよな、今は」
「ですよね。何が悲しくて、幽霊を召喚し、魔術師同士が命を賭けるんでしょうね」
「そりゃあれだ、命を賭けるなんて言っても、自分が死ぬとは思わねえんだろ。
魔術師ってのは、基本的に死ににくいからな」
十八のルーンの使い手で、腹を裂かれてなお奮戦したクー・フーリンだけに、大変な説得力があった。
「ははあ……なるほどねえ」
「今度は俺の問いに答えてもらおうか。さっきの俺の望む戦いは不可能ってやつをだ」
アーチャーは、ジョッキを乾して首を傾げた。
「ああ、それね。
純粋に技量の勝負をするなら、槍の名手同士で戦う必要がありませんか?
でも、ランサーは一人しか呼べないでしょう」
「ん? ……お、おおぉ!?」
その叫びに、店員が寄ってきた。すかさず、アーチャーが赤ワインとウィスキーソーダを頼む。非常にシンプルな指摘に、ランサーが髪をかきむしりながら、ぶつぶつと呟いた。
「いやいや、待てよ。
ほかの二騎士に、騎兵、狂戦士、魔術師に暗殺者、そいつらは!」
「剣と槍のリーチ差を考えて下さいよ。接近戦では槍の方が圧倒的に有利です。
あなたに匹敵するなんて、途轍もない剣の技量が必要でしょう」
フォークの手を止め、眼差しを厳しくしたセイバーを小さく手で制すると、アーチャーは続けた。
「そういうサーヴァントを、運よく召喚できるか。
こちらのセイバーがたまたまそうですけどね。それは運にすぎませんよ。
無理なら宝具合戦になって、結局技量とは無縁になると思いますが」
ウェイトレスが近付いて飲み物を置いた。彼女が遠ざかるまでの間を繋ぐため、ランサーは反論に開こうとした口で赤ワインを呷り、予想外の味に渋い顔になった。
「なんだこりゃ? 確かに別物だな。で、てめえはどうなんだ、弓兵」
黒い目が、恨めしげにランサーを一瞥した。矢避けの加護持つ英雄が、それを言うのはずるい。
「飛び道具では、あなたの相手にならないでしょうに。
懐に入るまでに、敵を斃さなくちゃいけないのに、あなたに矢は通用しない。
あなたが一方的に有利でしょう。互角の勝負になりえませんよ」
当てこすりに押し黙るランサーをよそに、ヤンはフィッシュフライをウィスキーソーダで流し込んだ。さすが、一流シェフを輩出する日系イースタンのルーツだ。衣はサクサク、具はホクホクでとても美味しい。これが大量生産なのだから恐れ入る。満足の息を吐くと、深紅の瞳に促されて、残るクラスを挙げていく。
「騎乗兵は宝具によりますが、機動力勝負の相手だ。
あなただって、戦車の戦いをしてたでしょう。
相手の白兵戦に付き合いましたか?」
「いいや。そういやそうだったぜ」
ランサーは頬杖をつき、溜息も吐いた。彼の御者も馬も、王と称されたほどの傑物で、槍一つで立ち塞がる敵などいなかった。
「俺も、騎乗兵相手には宝具を使うな」
「そして、相手も宝具が豊富だ。技量より宝具の競い合いでしょう。
狂戦士は言わずもがなです。もともと弱い英霊を強化するクラスだ。
普通ならあなたには敵わない。
イリヤ君のバーサーカーが破格なのは、これまた運です。
こういうのは、一般論で考えないといけませんよ」
ランサーの秀でた額に、渓谷と青い川が生まれた。
「じゃあ一般論ついでに、残りも言ってみろ」
「はあ、では」
ヤンは黒髪をかきまわしてから続けた。弱いとされるクラスは魔術師と暗殺者。ともに、槍兵の射程に入れば敗北だから、当初から白兵戦は選択しない。
魔術師は陣地作成を活用し、篭城戦を行う。阻止すれば槍兵が圧倒的に優位。しかし、阻止できなければ、ランサーの対魔力を超える攻撃ができる魔術師には、ワンサイドゲームを決められる。
暗殺者はマスターを狙うためのクラス。彼らはいかに隙を狙うかに尽きる。他の陣営が対決しているさなかに、介入するのが最適解だ。サーヴァントとの正面対決はアサシンにとって失敗。一方、成功したときは武器を交える必要はない。マスターの死亡により、ランサーは消滅の瀬戸際に立たされるからだ。
ランサーはむっつりとワインを口に運んだ。とんでもなく渋い酒だった。アーチャーのマスター以外の全員は、英霊による戦術解説を聞いて呆気に取られた。
「ま、これは私なりの解釈ですし、宝具も英霊の実力のうちというのも事実ですよね。
でも、あなたの宝具はいささか反則じゃありませんか?
伝承の限りですけれど」
「おいこら、バーサーカーもセイバーも相当なもんだぜ」
「そりゃ仕方がありませんよ。
アインツベルンは、なりふり構わず勝ちに来てるんですからね。
主催者の一人として、ありとあらゆる抜け道を駆使してるでしょう。
そんな家が前回と今回で選んだ英雄ですよ」
「ほう、セイバーがか」
ランサーは、金沙の髪にエメラルドの瞳をした、小柄な美少女に目をやった。その瞳は油断なくランサーを凝視し、緊張感を失っていない。フォークの手も止まっていなかったが。
「……なんかの間違いじゃねえのか。
女戦士ってのは、そんなに小柄じゃなれねえよ」
「あなたの槍と、剣で互角の戦いができるのに?
彼女はあなたより三十センチは背が低く、剣だって槍の半分もありませんよ」
令呪の縛りで本気が出せないとは言えないランサーは、また赤ワインを啜った。その味で、ごく自然に渋面を作ることができた。
「あれは、てめえが邪魔したせいじゃねえか!」
「でも、最大の戦力を準備するのは、戦いとして間違いではない。違いますか?」
青年らの談話に、残る者は耳をそばだてていた。ランサーは高い鼻を鳴らした。
「そいつは言えてる。
だが、おまえの言い分では、間違いがあるみたいじゃねえか」
「ええ、魔術儀式としては失敗でしょう」
黒と赤の視線がかちあう。
「違いねえ。こんな奴が来ちまうとはな」
「あなただって、それでも承知で楽しみに来たんでしょう。
大いに誤算がおありでしょうがね。私もですよ」
ランサーは渋くて強いワインを呷った。ようやく飲み干せたが、悪酔いしてきそうだ。
「この酒はもういらね。渋くて不味いぜ」
「甘いほうがお好みですか? この辺がそうですよ」
アーチャーは、メニューを指し示した。
「おまえ、詳しいな……」
「あとは、郷に入ればに則って、日本酒なんかどうですか」
「適当に頼んどいてくれや。俺もオカワリってやつをしてくるわ」
ランサーはいつの間にか、皿の上を空にしていた。セイバーを除く面々は、慌てて料理を口に運び始める。
「まだ時間は大丈夫かい?」
「え、ええ平気よ」
アーチャーはカシスソーダと、日本酒の二合瓶とぐい呑みを二つ頼んだ。凛は怪訝な表情になった。
「あんた、日本酒飲めるの?」
「私はこっちの友人はえり好みしないよ。紅茶には合わないけどね」
千六百年後にも日本酒があるということに、感動していいのだろうか。五十年一万光年の逃亡でも友情が絶えなかったということだから、酒飲みとはすごいものだ……。
そう思っていたら、ランサーが戻ってくるまでの間に、酒にまつわる歴史論が開陳された。面白くもあり、少々おっかないものもあり、セラが咳払いして止めるような内容も含まれていたが。
「歴史のお話としては興味深いものがありますが、
食事の話題としてはいかがなものでしょうか」
色とりどりの頭が一斉に頷き、黒髪の青年は苦笑した。
「ああ、こりゃ失礼。
ワインとビールは古くからありますが、当時の品種や技術では、
さっきの赤ワインほど強い酒にならないと思います。
このカクテルなら、ランサーも好きじゃないかと思うんですよ」
「で、カシスソーダって……」
「外見と味が一番近いんじゃないかと思うんだ。
ワインは貴重品だから、昔は水で割り、蜂蜜などで調味していたんだよ」
甘い酒は洋の東西を問わず、古来より珍重されている。
「この味なら、ランサーも好きじゃないかと思うんだ」
「あんた、本気でランサーをもてなす気だったのね……」
「彼は尊敬すべき救国の英雄だよ。だから、第三艦隊の旗艦の名になったんだ。
あれはスマートで美しい艦だった。名は体を表すんだねえ」
「誉めてもらったのになんだが……だった?」
皿に料理を満載にして戻ってきたランサーが、口の端を引き攣らせた。
「あの、まあ、そういうことです……」
ランサーはぴしゃりと目元を覆った。
「おいおい、人の名前付けといて、そりゃねえだろ……」
「はあ、私たちも好きで負けたわけじゃないんで、勘弁して下さいよ」
ランサーは皿を置くと、音を立てて座り込んだ。
「じゃあ、おまえは本来はライダーってことか」
「多分。あるいはキャスター扱いされるかも知れないですが」
「それでそんなに弱いわけか」
魔力と幸運以外、軒並み最低水準。ステータスはキャスターに近い。
「さっきも言いましたが、攻撃は艦の武器がやるものです。
私自身が射撃したり、爆弾を投げるわけではありません」
ランサーは、美しい青い髪をかき回した。
「おい、俺にも都合があるんだ。戦ってもらうぞ」
「ええと、それ方法に指定があります?」
「なんだと?」
アーチャーは、運ばれて来たカシスソーダとぐい呑みをランサーの前に置いた。
「あなたと肉弾戦は絶対に無理ですよ」
「は、ランサーと肉弾戦ができる弓兵なんざいるはずねえ。
構わねえぜ、宝具を出しな」
黒い眉が寄せられた。
「では、ランサー主従は停戦に不参加ということでいいですか?
私はキャスターと会談して、停戦に合意を貰いました。
現時点で過半数の合意は得られてます。
私を斃しても、過半数は四のままですが、それでも?」
ランサーは舌打ちした。危惧したとおりだ。あの女狐は、三家同盟に付いたということだ。アーチャーが持ちだした過半数ルールによるなら、七騎ならば四対三で過半数だが、六騎だと四対二となる。遊軍しているランサーが、取りまとめるのは不可能と言っていい。
「それはそれだ。てめぇは俺と話して願いを叶えたんだろうが。
なら、次は俺の願いに協力する番じゃねえか。そいつが公平ってもんだろ」
「うーん、こいつは一本取られましたね。
でも、とりあえず、時間まで飲みましょうよ。さ、どうぞ」
ランサーのぐい呑みに透明な液体が注がれる。続いて、自分のものにも注ぎ、ヤンは穏やかに微笑んだ。
「この国の酒です。その皿にのっている、ピラフと同じ米が材料ですよ」
偽名のとおりの柳に風といった塩梅で、アーチャーは酒杯を乾した。眉間に縦皺を寄せたランサーも続く。
「不思議な味だな。甘くて辛い。こいつも好みじゃねえな」
「ああ、やはりビールぐらいの度数がいいのかな。
紫の方はビールと同じくらいですよ。そいつは甘口です」
ランサーは口をつけ、表情を緩めた。
「こりゃ、すげえ美酒だ」
「お口にあったなら幸いですね」
ランサーがカシスソーダを飲む間に、アーチャーは日本酒の杯を重ねながら、ランサーの武勇伝に、頷き顔を輝かせて感嘆している。双方の酒盃が空になり、次なるは琥珀色の液体。
「これは新しい種類の酒です。
お隣のスコットランド発祥のウィスキー。語源はウィスケ・ベサ」
「ほう、命の水か」
二人が手にしたのはロックウィスキー。ヤンが注意しようと口を開きかけた時に、勢いよく呷ったランサーが咳き込む。そして白皙を紅潮させた。
「なんだ、こりゃ! 水の姿をした火か!?」
「あ……すみません。今言おうと思ってたんですが、強いですよ、それ」
「先に言っとけよ!」
ヤンは軽く頭を下げて、謝意を示した。別に酔い潰すつもりではないが、クー・フーリンが生きたのは、強い酒のない時代だったことをつい失念してしまう。
「それにしても不思議だなあ。毒は効かないのに、酒には酔う。
考えてみれば、酒は洋の東西を問わずに神への捧げ物で、
我々は、神よりも下っ端とはいえ概念の産物。当然といえば当然かな……」
傾げられる黒髪に、掻き毟られる蒼い髪。
「すっとぼけた顔で、小難しいこと考える奴だな……おまえはよ」
ヤンは、ランサーの前にドリンクメニューを押しやった。
「あの、当時はどんな酒を飲んでたんです?」
「こんなもん見せられても、さっぱりわからん。上からおまえが説明しろよ」
「じゃあ……」
男性サーヴァント二人が、和気藹々と酒談義をする中で、酒屋でバイトしている士郎は気がついた。このアーチャー、すごい酒豪だ。手を止めることなく、ちゃんぽんで飲んでるのに顔色が全く変わっていない。
「そういえば士郎君、君のバイト先はお酒屋さんだったよね。
カクテルは知ってるかい? 私はちょっとしか知らないんだよ」
「あ、ああ、俺もあんま詳しくないけど……」
アーチャーに水を向けられて、士郎も会話に加わる。話題は酒から料理に移り、その頃には凛やアインツベルンのメイドという作る側、イリヤとセイバーという食べる側にも輪が広がった。
「へぇ、遠坂は中華が得意なんだ。じゃあ今度教えてくれよ。
なんか、コレじゃないって物になっちまうんだよなあ」
「あら、シロウのもおいしかったわよ。あれはあれでユニークな味だったわ。
カニとシイタケとタケノコ? のオムレツ」
「ええ、チャーハンもおいしかった。しっとりしていて」
賞賛の声に、逆に士郎は赤くなった。中華料理の理想形からは程遠いからだ。
「聖杯戦争が終わってからね。
でも士郎、あなたの家のガスコンロじゃ、その人数分作るのは難しいわよ。
火力が命なんだから」
「遠坂んちはどうなのさ」
凛は左手を軽く持ち上げた。
「ず、ずるいぞ」
「あんたね、火力の増加は基礎の基礎よ。これじゃ先が思いやられるわ」
ランサーは腕を組んで椅子に凭れかかった。嘆息しながら首を振る。
「嬢ちゃんはサーヴァントが、セイバーはマスターがへっぽこなわけか。
ままならねえな。いっそ逆なら、俺も存分にセイバーと手合わせできたのによ」
セイバーの金色の両眉が上がった。白銀の少女も頷く。
「ランサーよ、マスターを愚弄すると許しません」
「そうよ、ランサー。ひどいこと言わないで。
アーチャーをシロウが使役したら、ミイラになっちゃうもの」
「こいつが?」
イリヤの使役するバーサーカーのように、力に満ちているわけでもなく、至って普通の青年である。黒い目がきょとんとランサーを見返す。
「はあ。自分じゃわかりませんが。
ところで、今日の一戦が終わったら、手伝っていただきたいことがあります。
ライダーのマスターと交渉する為に、あなたの同席をお願いしたいんです」
ランサーは器用に右の眉を上げた。
「は、おまえが俺に勝つってか?」
「いえ、私の生死に関わらずですよ。
こいつは、アーチャーのマスターとしてではなく、管理者としての依頼です。凛」
従者の声に、凛は我に返った。まさか、戦いを了承するだなんて思ってもみなかったのに。
「え、ええ。ライダー主従は、新都では吸血事件を起こし、
学校には悪質な結界を張っているわ。
魔術は秘匿し、一般人を巻き込まないという原則から外れてる。
アーチャーとわたしが制裁を加えて、マスターの反応を待っているところよ。
このまま悔い改めないなら討伐する。
もし、事件を起こしている彼女を見つけたら、ぶっちめてやってほしいの」
「事件を起こしてない時はどうすんだ、管理者の嬢ちゃん」
翡翠色のアーモンドアイが、長身のランサーを魅力的な角度で見上げた。
「それはあなた次第よ、ランサー。
でもあなた、偵察している時に実体化する?」
「なるほど、悪事の前触れだな。だが、なぜ俺に頼む?」
「約束してくれるなら、ライダーの真名を教えるけど」
凛の交渉に、ランサーは粋に肩を竦める。
「考えたな。あんたはいい女だが、悪い女にもなりそうだぜ。
魔女ってのはそういうもんだが。いいぜ、約束するから言ってみな」
「これはアーチャーの推測よ。でもキャスターのヒントつき。
確率は高いと思うわ。ライダーの真名は多分メドゥーサ」
「ほう、そうきたか……」
ランサーは体重を椅子の背に預け、足を組み直した。
「天馬の乗り手だな」
「ええ。宝具を出されると、我々の通常の攻撃が届かないんですよ。
私たちの宝具や魔術は、彼女が悪さをしている街中での使用には適していない。
ですが、おそらくあなたなら」
つくづく厄介な相手だとランサーは内心で舌打ちした。このヤンと名乗った男は、ランサーの宝具を知っている。名前だけではなく、その性質まで。聖杯に問いかけても正体不明。何者だ?
ランサーは鼻を鳴らすと、目の前の美酒と美食を味わうことにした。アーチャーは幸せそうに酒盃を重ね、ときおり料理をつまんでいる。士郎は、テーブルの下で両拳を握ると、黒髪のサーヴァントに問い掛けた。
「なあ、アーチャー、ホントに戦う気なのか?」
「まあ仕方がないね。それが我々の役割なんだし。
今回は加勢はいらないよ。次があるとはちょっと思えないが……」
見開かれる色とりどりの宝石たち。
「なんだい、みんな。そんな顔することはないだろう」
「だって、だって、あんた……」
戦闘に関するステータスは底辺を這ってるし、宝具のランクと威力も低い。そんな凛に、アーチャーは微笑んだ。
「大丈夫、私も簡単には負けないよ。ただ、マスターにお願いがある。
宝具の使用を、令呪で命じてほしい。これはいいですよね、ランサー」
口が満杯のランサーは、右手を挙げて賛意を示した。
「じゃあ、食事が終わったら場所を移しましょうか。
さて、あと十分はあるから、みんなデザートでも食べたらどうだい?
私にもブランデーを一杯」