アーチャー、ヤン・ウェンリーが召喚に応じた理由は二つ。一つは、人類史上極めて珍しい、平和で豊かな時代を見ること。もう一つは、聖杯戦争に召喚された伝説の英雄に会うこと。話ができれば最高である。
「なのになあ……。ランサーはうん、ちょっと、その、あれだし」
「あんたもいい加減しつこいわね。そんなにあの武装が気に入らないわけ?」
「ランサーは紀元一世紀の人間だよ。イエス・キリストと同時代人だ。
アイルランドの気候や植生から考えて、リネンの服に、
羊毛や毛皮のマントを纏っているだろう。そして、革鎧で武装してる。
で、伝説によるなら、百の金のブローチで身を飾ってたんだ。
そっちで出てきてほしかったんだよ」
凛はその姿を想像した。
「なんか、随分雅やかな格好じゃない」
たしかにあれだけの美形なら、そちらだって似合いそうだけれど。
「そうだよ。彼はアルスター王の甥。
母は王の妹で、父は光の神ルー。貴種中の貴種さ。
光の御子って呼ばれたのは、生まれもさることながら、非常に美男子だったんだ。
少年の頃は、美少女と見まがうようなね。
おまけに原初のルーンの使い手で、当時有数の文化人だよ。恐らくは」
「えっ……」
それは、世間では貴公子と言わないか。
「うそ、それにしちゃずいぶんガラが悪いわ。
夜の街でティッシュとか配ってそうな口調だったじゃない」
マスターの具体的な描写に、黒い頭が項垂れた。
「マスターのイメージによって、『座』からのコピー像に差でも出るのかな……」
「何が言いたいのよ?」
「私は未来の存在だから、当然君は私を知らない。
そのせいか、若返った以外はだいたい生前どおりだと思う」
「ランサーは違うってわけね」
項垂れたままの頭が、さらに下がった。
「うん。なんというか、勇猛で、かつ気さくで、
皆に慕われるような戦士だったというのを、
デフォルメしたような感じなんだよなあ」
「じゃあ、あんたみたいな夢見がちなマスターが召喚すれば、
そういう姿だったのかもしれないわね」
「タイムトリップした幽霊なんて、元からファンタジーなんだから、
夢ぐらい見させてくれたっていいじゃないか!」
「アーチャーは、どんなのが理想だったのよ」
黒い瞳が虚空を見つめ、ややあってからヤン・ウェンリー版ランサー クー・フーリンがすらすらと語られた。いつもは眠そうな目に、星の輝きを浮かべながら。
「服装はさっき言ったように白いリネンのローブと毛皮のマント。
ケルトの女性は、裁縫上手が美女の条件だったから、凝った刺繍入りで。
彼の奥さんは、大変な美人だったそうだから、当然できると思うんだ。
そして、ルーン文字やケルト文様の金のブローチは外せないなあ。
アイルランド系の美男子ならば、白皙に黒髪碧眼が望ましい。
で、勇猛かつ頭脳は明晰なんだ。
そして身分にも関わらず騎士団に入り、皆に慕われる勇者。
美と智と勇に人望をも兼ね備えた存在なんだよ」
凛は開いた口が塞がらなかった。夢見がちではなく、夢見過ぎだ。
「あ、あんた……それは理想が高すぎよ! いくらなんでも盛りすぎだわ。
それで理想と違うなんて言われても、ランサーだってかわいそうよ!」
「やぁ、だってそういう伝説なんだから、理想の丈をぶつけてもいいだろう?
人の想像が英雄を形作るんだし、やればいけると思うんだよ。
この聖杯戦争って、そういうシステムじゃないのかい?」
「え、システムって、何が言いたいわけ?」
「理想の英雄を召喚するために、触媒を探して、
事績を調べ、最良のイメージで召喚するんじゃないのかい?」
そういうのってありなのだろうか。しかし、人の信仰が作り上げた英雄は、実在架空に関わらず、英霊の座に存在するという。英霊の定義を思い起こした凛は、口元に手をやって首を捻る。
「ってことは、ありと言えばありなのかしら。
でも、サーヴァントは英霊の一部をコピーしたものだから、
座の本体とは確かに違うのかもね。最盛期の肉体になるんだし」
「槍兵というのは、なり手が限られるクラスだと思う。
欧州や中近東の槍の名手は、案外少ないんだ。
時代が下がると、馬上槍の試合が主流になって、ライダーになってしまう」
「でも、槍の名手がいなくなるわけじゃないでしょ?」
「宝具の問題だよ。槍でなく、愛馬や馬術のほうが有名になるわけだ。
この聖杯戦争には神様は呼べない。欧州の神の武器には槍が多いんだがね。
日本なら、蜻蛉切の本多忠勝なんかがいるのに」
「ああ、そういう見方があるのね。で、それとランサーとどういう関係があるのよ」
「それに加えて、敏捷性に富んだ白兵戦の名手なんて条件を付されている。
これは該当者を絞り、御三家が対策を取りやすくするためじゃないかな。
外来者に三騎士を取られた時のために。だから三騎士ってのが罠だと思うわけだ」
「じゃあ、ランサーのマスターは、外来の参加者?」
アーチャーは頷いた。
「だと思うよ。しかしランサーは、実はセイバーより有利なクラスだ。
最速であり、白兵戦の名手で、対魔力はセイバーに次いで高い。
ランサーの敏捷性なら、魔術師がちんたら魔術を行使する間に、一突きで殺せる。
普通なら剣よりもリーチが長いしね」
剣道三倍段というのは、素手が剣に対してではなく、槍に剣が対する場合のものだ。
武器の長さを、技量で補うのは非常に難しい。最強なのは飛び道具で、日本では武士といえば弓だった。海道一の弓取りなどと言うように。
「セイバーの剣が見えていれば、あの一戦で負けていた。
様子見もあって、手加減していたんだろう」
断言するアーチャーに、凛は首を傾げた。
「私には互角に見えたけど」
「凛、こいつは算数の問題だ。
身長百五十センチ半ばの彼女が、一メートル弱の剣を握る。
相手は、二メートルの槍を持つ、百八十センチ後半の男性。
さて、攻撃範囲が広いのはどっちかな?」
「あっ……」
「そして、素早さでは彼に分がある。まともに当たれば大変な強敵だった。
ゲッシュとバーサーカーのお陰さ。これが戦術より戦略ってわけだよ」
淡々とした戦況の分析に、否応なく思い知らされる。彼も戦いに生きた人間だったのだと。
「じゃあ、ランサーはなんで一人で偵察していたのかしらね?」
「さあ、なんでかはわからないがね。
ランサーは安定した戦力を発揮できるが、対象者が限られるのが最大の弱みだ。
もっとも真名を秘さなくてはならないんだよ。
例えばギリシャ神話のアキウレスも、ランサーとなりうる英雄だからね。
そのためにもマスターが同行し、カバーする必要がある。
最速という条件ひとつで、マスターを狙いやすくする仕掛けもできるのさ」
凛は、従者の言に上腕をさすった。暖房が効いているのに寒気がする。
身許が割れると、誓約を持つケルトの大英雄は、奸智に優る奴にひどい目に遭わされるのだ。生前と同じく。なんて、気の毒……。幸運の低さも納得だ。
「それも見せ札だとあんたが言う理由ね」
「もっとも、最速による一撃必殺を最大限に運用すればいいだけさ。
本来は、不利と言えないほど彼は強い。
槍兵の対象者の中では、最高クラスの英雄だと思う。
おまけに彼は騎士の一員だ。仕えることへの抵抗も少ないだろう。
それだけの人選をして、二千年前の人間の触媒を入手する。大変なことだよ」
「あなたのお父さんの形見の壺みたいな金額になるでしょうね」
四百年前の壺が、今は数百万。彼の時代だと億単位。二千年前のクー・フーリンの物ならば、その価格になっても不思議はない。
「そういう物の準備は自腹だよね? 金なりコネなりが必要だよ。
ぶらりと入った骨董品屋で、即座に見つかるものじゃない」
「言えてるわね。しかも、今回は急な開催だったのよ。
きっと、時計塔からの参加者がマスターでしょうね」
「早く連絡がつけばいいんだけどなあ。
停戦に応じてくれるかどうか、そいつが問題だがね」
ヤンと凛は同時に溜息をついた。気さくな好漢のランサーが、あんなに嫌がっているマスターだ。停戦に賛同する可能性は高くなさそうである。
「ともあれ、伝説によれば、彼はキャスターや
ライダーとしても適性がありそうなんだ。
でも、彼のマスターは、クー・フーリンを槍兵として召喚すべく
儀式を行ったのだろう」
原初の十八のルーンの使い手だが、戦車での戦いも有名なのだ。愛馬は、灰色のマッハと漆黒のセイングレイド。アーチャーはそう補足した。
「へえ、さすがにアーチャーの時代まで語られるだけのことはあるわね」
「しかし一番有名なのは、必ず心臓を貫くという雷の槍だ。
彼を呼べるというなら、私だってランサーのクラスで呼ぶよ。
理想の限りを込めて、あの恥ずかしい呪文だって頑張って唱えるさ」
「あんた、言ってはならない事を言ったわね」
サーヴァントを召喚するという高揚感の中では麻痺していたが、その対象に指摘されると赤面ものだった。呪文一つにも、戦争開始から二百年の時代差があるわけだ。当時は貴人への挨拶に、麗々しい口上を述べていたから、ご先祖にとっては正しかった。
しかし、現代人の凛、そして未来人のヤンの感覚からすると……。
「将来的には君の子どもに発生する問題だけどなあ。
あと六十年後なら、四、五十代のおじさん、おばさんが唱えるんだが」
「うっ……」
由々しき問題だ。それまでには何とかしようと凛は決意した。
「彼のマスターは、相当に戦い慣れている人物で、優れた魔術師だろう。
だが、大いに苦労をして召喚したのに、
彼または彼女の理想なりイメージが、ああだったのかと思うと……」
言葉を切って目を逸らす。凛にも彼の落胆が理解できてきた。なんともしょっぱい気分だ。
「たぶん、ちゃんと触媒を使って、召喚したのよね。
わたしがあんたを呼んだのとは違って」
「……触媒なしでセイバーを狙ってたって、それも随分と無謀だね。
準備の段階、戦略レベルで既に負けてるじゃないか」
「悪かったわよ!
でも、準備したら準備したで、ランサーがあれでしょう……」
もしかして、彼のマスターは残念な人間なのではないか。漠然と思う弓の主従であった。