迎えが到着して、一行は黒塗りのリムジンに乗り込んだ。凛はセラに頼み、先に遠坂邸に寄って、セイバーの服を取りに行くことにした。アーチャーが、せっせと集めたり、書いたりした資料と地図も、一緒に紙袋に詰め込む。結構な重さだ。
「念のため、君も宿泊できる用意をして行ったほうがいい。
制服や教科書もね。明日は学校に行って、結界の様子を見てみよう」
「じゃあ、あんたもお父様の服、適当に選んで持ってきてよ。
『柳井くん』として行動できるようにしたほうがいいかもしれない」
「おや、君には戦略家としての素質があるようだ。
紅茶とブランデーも持って行っていいかい?」
「好きにしなさい。あと、車まで荷物持ちして」
「はいはい」
せっかく、車があるのだから使わない手はない。腕力が十倍になっても、人間が運べる体積はそうは変わるものではない。手の長さの分だけしか抱え込めない。
それは荷物もマスターも同じだ。アーチャーことヤン・ウェンリーは、サーヴァントの能力を過信する気にはなれなかった。
極論するなら、英雄とは多大な功績を上げながら、若くして非業の死に斃れた者だ。いわば幸福な人生の失敗者である。その原因の多くは、人間関係にある。
ヤンだって他人の事は言えない。暢気に平和な余生を送るには、あまりに人を殺し過ぎた。そんな人間の幽霊の、そのまたコピーを呼んだところで、幸福をもたらすことはないのではないか。
でも、せめて不幸を呼ばないようにしたい。生前の千六百年後だけで充分だ。凛の父、遠坂時臣のクローゼットをかき回しながら、置いてきてしまった人々に思いを馳せる。
「着道楽で、きっと美男子だったんだろうなあ。凛と桜君のお父さんだし」
先日借りた、シャツと紺のカーディガン、グレーのパンツ。まずはこんなものでいいだろう。
「やはり、彼の代までには何らかの取り決めがあったのかも知れないな。
姉妹がべつの家にいたら、将来的にはその子や孫が殺し合うことになる。
だが、術式のアインツベルン、令呪のマキリ、霊脈を管理する遠坂。
……遠坂だけが、聖杯戦争という『儀式』の根幹に関わっていない。
もしかしてそういうことか」
黒い瞳が虚空を見据えて呟く。
「やれやれ、こいつは厄介だな。なんとかして、間桐も引き入れなくては。
そして、キャスターが私の分析像に近い人物であることを祈るしかない」
階下から、マスターの澄んだ声が聞こえる。今行くと返事をし、ヤンは主なき部屋にぺこりと頭を下げた。
「あんなに可愛いお嬢さんだ。さぞやお心残りでしょう。
私の力の及ぶ限り、あと11日間はなんとかします」
そして今度は敬礼を。そして、ヤン・ウェンリーはアーチャーとして、主の下に急いだ。
*****
そんなこんなで衛宮邸についた士郎は、車のトランクから取り出された遠坂主従の大荷物に目を丸くした。
「まさかそれ、全部セイバーの服じゃないよな?」
「違うわよ。セイバーに合いそうな大きさの服は四着くらいよ。
あとは作戦会議の資料と、それが長引いた時の宿泊用品。
そして、学校の支度。わたしだってねえ、そんなに学校を休めないわ」
「す、すまん。今日はほんとに助かった。
あとさ、アーチャーのケガ、大丈夫か」
「サーヴァントは頭や首、心臓の霊核を破壊されないかぎり、消滅しないわ。
マスターの魔力にもよるけど、一旦霊体化して実体化すれば、
大抵のダメージはリセットされる。魔力が足りないと難しいけどね」
士郎は思わず詰めていた息を吐いた。アーチャーは士郎に対して、最も温厚に接する相手だ。同性の気安さもあり、好感を持つのは当然であった。
「そっか、よかった。でもサーヴァントも血が出るんだな」
「魔力の喪失を示すためにね、そうなっているらしいの。
でも、衛宮くん、セイバーはそれを癒す霊体化ができないのよ。
おまけに魔力不足。それはあなたからの供給がないからよ。
あなたみたいなへっぽこが、セイバーを使役したら、
そんなにピンシャンしていられないわ」
さすがに士郎もむっとして、師匠に反論する。
「アーチャーが魔力をバカ喰いするって言った割に、遠坂は平気そうじゃないか」
しかし、あかいあくまは、弟子の抗議を一蹴した。
「あのねえ、わたしは遠坂の六代目よ。
魔術回路はメインが四十、サブはそれぞれ三十」
士郎は目と口でOの字を描くしかしかなかった。回路数は彼のざっと四倍。魔力に至っては百倍以上の開きがある。
「だから、あいつを養っていけるのよ。
とりあえず、今夜はスイッチをつくることから始めましょ。
作戦会議の後で。だから、これ持って行って」
突きつけられた紙袋は、弓道部一の腕前で、正義の味方となるべく鍛錬していた士郎でも、ずっしりとくる重さだった。これをその細腕で、小揺るぎさせずに持ち上げるとは。遠坂凛恐るべし。
「でも先に夕飯にしよう。今日は藤ねえと桜も来ないって言うんだ。
遠坂が来る前に、チキンカレーを作っといたんだ。
あとはサラダぐらいしかないけど」
なんてマメなやつ。凛は半眼になった。昨晩殺されかけ、ほとんど徹夜で善後策を話し合い、姉貴分と妹分の襲来をかわし、土蔵の血痕を落として、セイバーと稽古する間の仕事だ。おまけに言うことがふるっていた。
「それに、手抜きしてカレールー使ったんだけどさ。
アーチャーはカレー食べられるかな?」
「まったく、カレールーが手抜きですって?
もうね、正義の味方よりコックになったらどう?
その方が明らかに人を喜ばせるわよ」
凛の傍らに、アーチャーが実体化した。アイボリーのスカーフは、もう真紅に彩られていない。
「私もマスターの意見に一票。それからカレーはよろこんでご馳走になるよ」
「わたしもいただくわ。じゃあ、ちゃっちゃと食べて、作戦会議としましょう。
その後で、衛宮くんの処置ね」
降りてきたセイバーには、凛の服の入った袋を渡す。深山商店街で凛が代理で購入した下着と一緒に。コンビニに下着が一式売っているなんて驚いた。別件で立ち寄ったのだが、棚の一角に並んでいて、これ幸いと購入したのだ。スポーツ用のフリーサイズの物だが充分だろう。また破いても惜しくはないし。
「リンに、重ねて感謝を」
「セイバー、先に着替えてきてよ。また、いつ藤村先生が来るか……。
私はイリヤの関係で誤魔化せるけど、あなたの服装はちょっとね」
そのほかの荷物は、士郎とアーチャーで手分けをして運ぶ。あかいあくまの弟子と従者は、なんとなく顔を見合わせて、とぼとぼと歩く。
「俺さ、遠坂に憧れてたんだよ……。
美人だし、スタイルいいし、文武両道で優雅なお嬢様って感じで……」
「うんうん」
「まさかすごい魔術師で、性格がああだなんて……」
「人間だれしも表と裏があるものさ。
君だって、藤村先生と他の先生と同じように接したりしないだろう?」
「そりゃそうだけどさあ」
「逆に考えてごらんよ。
取り繕うべき他者ではなく、自分の本音を言える相手と認めてもらったと」
琥珀の目がじっと中空を見つめたが、がっくりと肩を落とした。
「うう、真実を知るって辛いもんなんだな」
漆黒の目が優しく細められ、次に静かな力を込めて士郎を見つめた。
「そうだよ、士郎君。君にとっては切嗣氏を知ることがそうなるかもしれない。
イリヤ君の存在さえ、君に伝わっていなかったぐらいだ。
どうするかい? それでも君は求めるのか」
士郎は息をのんで頷いた。
「そうか。では君に頼みがある。これは今は君にしかできないことなんだ」
「わかった。俺は何をやればいいんだ?」
「まず、衛宮切嗣氏の生まれてから亡くなるまでの戸籍を取って欲しい。
君が遺産相続した時に、使用したもののコピーでもかまわない」
琥珀の目が固まった。
「へ?」
「それを元に、切嗣氏の家系調査を簡単にしたいんだ。
彼が魔術師だということは、親も魔術師ということだろう。
切嗣氏が聖杯を欲するに至った理由に、大きく関与するのではないか。
私はそう思うんだよ」
「な、なんでさ。なんで俺にしかできないんだ」
「戸籍は、直系の人間や養子でないと取れない。
そうでない人間は、資格を持つ人に頼まないといけないんだ。
そんな時間もないからね」
「あ、そうなんだ。
じいさんが死んだ時は、藤ねえの祖父ちゃんが色々やってくれたから……」
「それが後見人の役割だからね。ではまず、その方に訊いてみてごらん。
それを元に、切嗣氏の父母、祖父母を探ってみよう。
あるいは凛の言う魔術の学校に、なんらかの記録があるかもしれない。
士郎君、歴史は暗記じゃないんだ。過去から現在、未来はつながっている。
自分に関わる過去の人々を探す、これも立派な歴史学なんだよ」
「俺、考えたこともなかった。じいさんも死んじまって、
実の親の事もよく覚えてないし……」
ヤンはわずかに目を伏せた。六、七歳で大災害から生還したということは、□□士郎を取り巻いていた世界の消滅に他ならない。
闇に昇った新たな太陽が、衛宮切嗣だ。七歳から十二歳まで、反抗期を迎える前の少年時代。太陽の光にだけ目を向けているうちに、衛宮切嗣は亡くなった。背後にあるかも知れない、夜の闇を少年が知らぬうちに、再び世界は消失した。
だが、太陽の残光が士郎を照らし、彼はそれをひたむきに追っている。いや、それだけしか知らない。あたりまえだ。衛宮切嗣が闇を見せていないのだから。
十代の少年が魔術師殺しとして名を馳せ、可愛い娘よりも聖杯戦争での勝利を選んだ理由を。その聖杯戦争で、美しい妻を亡くし、娘との交流を断たれたことも。彼の軌跡の断片を綴ってみると不審だらけだ。
この子は、それを疑問に思わず、真実を探そうという心の余裕さえないのだ。二度も世界を消失し、その度に精神がリセットされてしまったのではないか。衛宮士郎の精神年齢は、おそらく外見よりもずっと幼い。正義の味方を無条件に信じている、その年頃の子どもと同じなのではないのだろうか。
だが、それを指摘しても意味がない。士郎が自身を見つめ、どうするかを考えるのは、彼の自由で権利である。本人が好きな生き方をするのを、周囲がとやかく言うべきではない。
公序良俗に反しない限りだが。心の迷宮を彷徨い、出口を探すのは士郎にしかできないことだ。ヤンにできるのは、松明の灯し方や通路を探すコツを教えることぐらいだ。それだって、幽霊の高望みかもしれないが。
「ほんとうに大変だったね、士郎君。
だが、君の戸籍には実のご両親の名前がきっと載っている」
「えっ! なんだって、本当なのか!?」
「この国の住民登録システムは非常に洗練されている。
被災地から救助された、六、七歳の『士郎くん』の身許はすぐにわかる。
その上できちんと養子縁組の手続きをしたはずだ。
赤の他人の未成年を養子にするなら、家庭裁判所の許可が必要なんだよ。
そちらの戸籍も調べれば、君の実の親族が見つかるかもしれない。
特に母方の親戚全員が、被災地に住んでいたとは考えにくい。
君は独りじゃないかもしれないんだ」
「お、俺に親戚がいるかもしれないって、そういうことなのか、アーチャー……」
思ってもみない言葉だった。黒髪の青年は頷くと、視線を虚空に投じた。自らの苦い体験を語りだす。
「これは私の反省からなんだ。
父の事故の処理には、亡くなった母は関係ないから、戸籍を調べなかった。
私は天涯孤独になったのだとばかり思ってた」
「うん」
「ところが、私が軍で功績を上げたら、母方の叔父だという人が出て来てね。
正直に言って、愉快な気分じゃなかったよ。
父の船の遭難事故は、かなり大きく報道された。
本当に私の将来に期待をしていたのなら、その時点で名乗り出たと思わないか?」
「それはひどいよな。あ、ゴメン、アーチャーの親戚なのに……」
「いいさ。私も二十一になったばかりだったし、何を今さらとしか思えなかった。
だからその後に連絡も取らずにいた。
それから八年後に、やっぱり功績を過剰に報道されたんだよ。
しかし、その時には彼は顔を出さなかった」
「それって……」
士郎は息を詰めた。では、アーチャーの二十八、九歳ぐらいの頃のことだ。その叔父というなら、まだ六十代ぐらいだろう。普通なら亡くなっているとは思わない。乗り込んできたイリヤと一緒だった。
「母の旧姓だけで、彼の消息を探すのは無理だった。だが、後悔しているんだ」
「俺の親戚も同じだって言うのか?」
琥珀の瞳に影が落ちかけるのを見て、ヤンは首を振る。
「いや、君の場合は名前しか覚えていない状況で救助されて、
すぐに養子に行ったんだろう。
君の親戚が探しているのは、□□士郎。君は衛宮士郎だ。
親戚がなかなか見つけられなかった可能性があると思う」
少年の瞳が大きく見開かれた。
「そんなことがあるのか!?」
ヤンは瞬きすると、十年前の市民課職員の話を自分なりに要約して伝えた。
「探す方法はあるよ。
でも、一気に五百人もの死者が出て、役所だって大混乱している。
一年分に匹敵する仕事が発生してるわけだからね。
戸籍だって、作っているのは役所の人なんだ。
とても大変だったそうだ。不眠不休で頑張り、遺体の確認に協力し、
あちこちの市町村に火葬の受け入れをお願いしたと教えてくれた」
「俺、知らなかった。あの災害で、そんなことになってたのか」
黒い頭がそっと頷いた。
「ああ、そうなると警察や消防の協力を優先しなくてはならない。
どうしても、個人は後回しにされるが、誰にも責めることはできないよね」
赤い髪も無言で上下に揺れた。
「君の親戚の有無は、調査をしないとわからない。
しかし、それなりに時間がかかるんだ。
相手にも同じことが言えるんだよ。
士郎君を見つけた時には、切嗣氏と仲良く暮らしていて、
君には名乗り出ずにいたのかも知れない」
「あ、そか、そういうこともあるかもしれないんだ。
じゃあ、なんでじいさんは調べなかったんだろう」
「いや、調べなかったのかもわからない、というのが正解だ。
調査結果が不幸なものだったから、君には伏せておいたのかもしれない」
士郎は、アーチャーの黒い瞳をまじまじと見詰めた。現在の状況から、複数の仮定を立ち上げ、もつれた糸を解きほぐそうとする。彼の言うとおりだった。歴史は暗記なんかじゃない。
「君には知るべきことが沢山ある。
切嗣氏のことやイリヤ君のこともだが、君自身のことを知るべきなんだ。
聖杯戦争よりもずっと大事なことだ。そのためには無事に生き残らないとね。
イリヤ君のためにもだ。切嗣氏のことを話してあげなくちゃ」
「……ああ、俺も昔のじいさんのこと、知りたいよ」
「そうだろ。だからよく調べ、考えてからでないと、戦うべきじゃないんだ。
戦いは事前の準備、戦略で九割九分は勝敗が決する。
戦いの方法、戦術で不利をひっくりかえすなんて、百回のうち一回くらいだよ」
銀河帝国の諸将が聞けば、『おまえが言うな!』の大合唱が起こっただろうが、この千六百年前には誰もいない。……たぶん。
「敵を知り、己を知れば、百戦危うからずってヤツか」
「そうそう。セイバーの魔力不足。こいつが君たちの当面の問題」
「うぐ」
たちまち入る的確な切り返しに、変な声が出てくる士郎だ。師匠の従者は、穏やかで賢いが、決して優しいだけではない。
「で、それを解決しないと、彼女はガス欠で消滅する。
あと十日あまりを生き延びるためには、セイバーの協力が不可欠だ」
そして、さきほどの仲裁にも意味があったのか。
「うん、そうだよな。さっきはセイバーを止めてくれてサンキュ、な」
訥々とした謝礼に、不器用なウィンクが返された。
「いや、無粋なのは申し訳なかったよ。私だってもっと拝見していたかった。
だが軍人と言うのは貧乏性で、常に補給を気にしてしまうのさ」
士郎は夕日色の頭を乱雑に掻き毟った。
「やっぱし、セイバーの魔力はなんとかしなくちゃな……」
「スイッチの作成とやらは、随分痛そうだが、なんとか頑張ってくれ。
生きていてこそ、いいことに巡り合えるんだからね。
絶体絶命のピンチが縁で、私は妻と知り合ったようなものだ。
だから、まずは食事だね」