「どういうことさ」
士郎は眉を顰めると、アーチャーに問いかけた。この青年は、自分なら、学校ではなく駅に結界を仕掛けると言った。軍人と思しき服装だから、戦闘に関しては士郎よりも詳しいだろう。
そんな士郎の予想どおり、いや、それ以上の推論が返ってきた。
「凛の存在を知らず、他の手段を考えられないのなら前者。
凛のことを知っているのに、あえてやっているのなら後者だ。
前者なら早々に尻尾を出すし、後者ならジュコクに干渉を続ければ、
早晩なんらかの形で接触してくるんじゃないかな」
「お、おう……。そしたらどうするんだ?」
アーチャーは髪を掻き回した。
「やり口が傍迷惑すぎるし、あんまり同盟に値する陣営とは思えないな。
早めに決着をつけたいところだね」
ルビーの瞳が瞬き、新雪の髪がさらりと音を立てて傾げられた。
「あら、どうして」
「三日後は伝説の英雄との会食なんだ。戦いを忘れて会話をしてみたいんだ」
凛は、思わず彼の襟元に掴みかかった。
「ねえ、あんた、言うに事欠いてそっち優先なの!?
もうちょっと真面目にやんなさいよ!」
がくがくと揺さぶられながら、アーチャーは呑気に言った。
「いやあ、それが私の元々の目的なんだし、いいじゃないか。
死んだあとまで目の色変えて、戦う意欲はないよ。
生前、散々やったんだ。もう勘弁してほしいなあ」
やる気のない台詞に、士郎は疑念を露わにした。この線の細い容貌の青年に何歳か、いや二、三十歳を取らせたところで、到底英雄らしくなるとは思えない。
「やったって、戦いを?」
「それも、多勢に無勢の絶望的な負け戦をね」
「そっか、軍人っていってたよな、アンタ。でも、ものすごくえらい人なんだろ?」
士郎も、こういうミリタリー系の服装には多少の知識はある。襟元のはたぶん階級章だ。一本線の中央に大きな五稜星。軍の階級章には一定のルールがある。星は相当な高官の証拠だ。
「まあ、小さな国の軍だったからね。人口はこの国の四十分の一ぐらいさ」
最終的な所属国の人口は嘘ではない。それ以前は、人口百三十億人の国家の軍のナンバー3であったが。なお、ヤン・ウェンリーが率いた軍の兵員数は、エル・ファシル国民とは別に二百万人以上である。
否定せぬ口ぶりに、士郎は重ねて聞いた。
「じゃあ、大将とかなのか」
「いや、元帥だが、名ばっかりさ」
想像を上回る答えが返され、現代人はぽかんとするしかなかった。セイバーは、彼らとアーチャーを交互に見るしかできない。聖杯で知識を得ても、じゃあ完璧に理解できるかというとそうでもない。生前に、概念のないことを理解するのは難しいものだ。
アーチャーは、気のない素振りで手を振った。
「有能な年長者がみんな戦死してしまってね。元々は繰り上げ人事の産物だ。
私も一回ぐらい戦略面で優位に立って、
数に任せた勝利ってのを味わってみたかったよ、ほんと」
「では、これがそうだと?」
「いいや、違うよ、セイバー。
もっと夢だったのが、戦わずに平和的な交渉を行うことだ。
士郎君とイリヤスフィール君、そして私のマスター。これで七分の三。
うち、御三家の三分の二が停戦の申し入れをすれば、監視役も拒めないと思う。
できればあと一人、賛同者を募って、停戦及び調査に移行したいなあ」
「では、聖杯はどうなるのですか!」
「うん、調査をすればね、それを手に入れて使う価値があるかだとか、
みんなが妥協できる案だとか、なにか方法が見つかるんじゃないかと。
ここにはマスターが三人、サーヴァントは三騎。
聖杯を欲しているのはそれぞれ一人ずつ。
そのへんはね、やりくりがつくんじゃないかなあ」
イリヤの眉が吊りあがった。
「冗談じゃないわ!」
「なんで怒ってんのさ、イリヤ」
「最終的にわたしとセイバーに組めと言ってるの!
あなた、どちらかに殺されてもいいって、そういうこと!?」
士郎は愕然とアーチャーを見つめた。自らを担保にした交渉。生前養父が言っていた。十のために一を切り捨てていたと。だが、その一に自分を据えてテーブルに乗せる。このおとなしげな青年の姿のサーヴァントは、切嗣よりも苛烈な存在なのかもしれなかった。
「そんなのやめてくれよ!」
「わたしだって許さないわよ。令呪を使ってでもね!」
「いやその、先走らないでくれ。あくまで調査結果次第だよ。
事と次第によっては使用不可な物かもしれないしね。
そのためには、専門家の知識が欲しい。柳洞寺にいるらしきキャスター。
彼または彼女をこちらに引き込みたいんだ」
「討ち入るのですか、アーチャー」
凛が見てとれるセイバーの能力は、アーチャーよりも余程に高い。へっぽこマスターのせいで不備が発生し、本来の能力を発揮できないようだが、それでもなお驚異的な対魔力だ。凛の目には金剛石のようにも見える。この神秘が薄れた現代、最高峰の魔術師であっても、彼女に傷をつけることはできないだろう。キャスターには、絶対的なアドバンテージとなる。
「いやあ、私たちに必要なのはキャスターの頭脳であって、首級じゃないんだ。
まずは交渉してみようとは思う。これも明日、ああもう今日か、もっと後にしよう。
より重要な問題から片付けるべきだ。士郎君」
「へ?」
「士郎君は一人暮らしのようだが、このセイバーを同居させて大丈夫なのか。
彼女、霊体化ができないって言っていたんだが……」
アーチャーの言葉に、凛は碧がかった蒼い瞳を瞬いた。
「そう言えばそうだったわね。でも、さっきは衛宮くんが重体だったじゃない?
今はどうかしら、セイバー」
金砂の上で、蒼い蝶が右往左往する。
「いえ、やはりできないようです」
黒髪の主従は顔を見合わせた。
「では、あと二週間前後、彼女を住まわせて誤魔化しとおせるかな?」
とんでもないことを言われて、士郎は目を剥いた。
「え、ま、待ってくれよ! セイバーが同居するって!?」
「やっぱり……。ハプニング召喚っぽかったもんね」
凛はイリヤスフィールを軽く睨んだ。
「衛宮くんは聖杯戦争のこと何にも知らないみたいだし、
不備が出るのも無理ないかもね。
まったく、余計なことしてくれちゃって」
「だ、だって……」
イリヤフィールは首を竦めた。
「でも、もう後戻りもできないしね。なんとかするしかないわよ。
ちょうどいいわ、衛宮くん。ついでにサーヴァントの説明をしとく」
凛は簡単にサーヴァントについて説明した。サーヴァントとは、偉業によって精霊の域に昇華した英雄の魂の分霊を、『座』から呼び出したもの。通常の使い魔とは一戦を画す最上級のゴーストライナー。その本来の姿は霊体。
あの巨体のバーサーカーが姿を消したのは、その状態に戻ったからだ。霊体であるサーヴァントは、通常の武器で傷つけることはできない。
「本来、とても人間の魔術師が敵う相手じゃないわ。……本来は」
凛は、胡坐をかいて、暢気に欠伸している黒髪の従者を睨みながら言った。衛宮士郎のセイバーの凛とした佇まいに比べると、なんとも緊張感に乏しい。
「マスターの体に浮かぶ令呪が、サーヴァントに対する三回だけの絶対命令権。
うまく使えば、魔法の一歩手前のことまで可能になる。
たとえば、離れたところからサーヴァントを一瞬にして転移させるとかね」
「じゃあ、霊体化しろって言えば……」
手の甲の赤い痣を凝視する士郎だった。口調に78パーセントぐらいの本気が込められている。長い睫毛を半ば伏せた凛は、容赦なく問題点を指摘してやった。
「実体化できなくなったらどうするのよ」
「そうなのか?」
「可能性はあるんだから、そんな使い方は駄目に決まってるわ。
今度は実体化しろなんて命じていたら、幾つあっても足りないでしょう。
サーヴァントはサーヴァントでしか倒せない。
わたしのアーチャーだって、この場のどの人間よりもずっと強いのよ」
士郎は、また欠伸をした青年に疑いの目を向けた。
「その気持ちはよくわかるが、これは本当だよ。
しかし、話を元に戻そう。
セイバーと二週間同居して大丈夫かい?」
セイバーは、士郎がこれまでに見たこともないほどの美少女だ。さっきの巨人の姿が見えなくなったのは、本来の状態を取ったということがわかった。だが、彼女にはそれが出来ないというのだ。士郎の顔から一気に血の気が引いた。
「そんな、困るよ!
うちには後見人のとこから、姉貴分がしょっちゅうメシをたかりに来るんだ。
部活の後輩の子も、料理の手伝いとかに来てくれるし。
そこに、いきなりこんな可愛い子がいたら……」
マスターからの正直な賞賛に、セイバーの白い頬が微かに赤らんだ。アーチャーも腕組みをして、彼女の美を誉めたたえる。
「しかも、黄金の髪にエメラルドの瞳、白銀の甲冑に蒼いドレス。実にお美しい。
伝承の女騎士とは、かくあってほしいという理想そのものだよ。
ただ残念なことに、現代日本で一般家庭を訪問する姿ではないんだよなあ」
そうなのだ。最後に付け加えられた言葉が、最大の問題である。
「しかし、私は騎士としてマスターを守らねばなりません。
アサシンのサーヴァントは、同じ部屋に潜まれてもわからぬほどの技量の持ち主。
私は、シロウの傍を離れるつもりはない」
「でもねえ、セイバー。
あなたがそのままの姿で、うまい言い訳もなく同居なんかしてごらんなさい。
二週間後の衛宮くんは、命は無事でも、社会的には死んだも同然よ」
「まあ、そうだろうね。世間の目ってのは厳しいからなあ」
黒髪の主従はそろって頷き、夕日色の髪の主は、座卓に突っ伏してしまった。遠坂凛の言うとおりだ。どんな罵声を浴びせられるか、あらぬ噂が立つか。
――衛宮士郎は、コスプレさせた金髪美少女を囲っている。
別の意味で人生が終了してしまう。とても正義の味方にはなれないんじゃないか!?
いや、士郎だってそんな噂のある人間を、正義の味方だなんて思えない。
むしろ人間のクズじゃないか!
「だ、駄目、駄目だ! 頼む、セイバー、せめて普通の服に着替えてくれ。
ああ、でもどうしようって……、もうこんな時間じゃないか!」
居間の時計を見上げると、すでに午前二時を回っていた。あと三時間ちょっとで、早起きの後輩が来てしまう。その一時間後、教師としてはレッドゾーンの時間には後見人の娘が。間桐桜と藤村大河。士郎にとっては妹分と姉貴分。口下手な士郎の言い訳なんて、即刻ばれて、……修羅場がやってくる!
二週間後の社会的な死よりも、すぐそこに迫っている危機だ。なにやら馴染みのある声で、幻聴が聞こえてきて、ぶるぶると夕日色の頭を振る。
そして、衛宮士郎は真剣に己が生命を危ぶんだ。ゆえに最も頼りになりそうな者に縋ることにした。
「――た、助けてください、遠坂さん。
弟子入りでも上納金でも払うから、
そちらのアーチャーさんのお知恵を貸してください。
お願いします!」
これが伝説の日本の風習、土下座なんだ。アーチャーはまた黒髪をかき回した。長めでやや癖のある髪が、すっかり暴風の中でマラソンをした状態だ。
「そのね、士郎君。顔を上げてくれ。私より適任者がいる。
君のごきょうだいにお願いしなさい」
「は?」
士郎は呆気にとられた。