「わたしもちゃんと魔術の勉強をしてればよかった……」
ファンシーショップの店先で、イリヤがぽつりと呟いた。
「金ピカみたいに、アーチャーを受肉できたかもしれないのに……」
真剣な眼差しに、士郎は背筋が寒くなった。
「イリヤ、それはやめといたほうがいいと思うぞ……」
「あら、どうして?」
「だ、だってさ。イリヤに将来好きな人が出来て、結婚するとき困らないか?
アーチャーを連れて一緒に住めないだろ?」
きょとんとした大きな赤い瞳が、士郎を見上げる。
「連れていくって、わたしの家に住むのに?」
士郎は目を瞬いた。そういえば、じいさんもそうだったっけ。
「余計に旦那さんが大変になると思うけどな……」
イリヤが首を傾げた。
「んー、イリヤの好きなテレビで説明するとさ。
サザエさんに、すごく頭のいい兄さんがいるようなものだろ?
兄さんとサザエさんは、とっても仲がいいんだ。
代わりに、優しいフネさんも、ムードメーカーのカツオくんや
ワカメちゃんもいない」
「ナミヘーさんは、アハトお爺様?」
「そうそう。イリヤのじいちゃんは、波平さんみたいに気さくな人か?」
イリヤは眉を寄せ、首を振った。
「ううん」
「磯野さんちがこうだったら、マスオさん、大変だと思わないか?」
イリヤは頷くしかなかったが、すぐに閃いた。
「じゃあ、タマならいいんじゃない?」
「タマぁ?」
イリヤが手に取ったのは、くたりとした素材のぬいぐるみだった。やる気のなさそうな顔をした白猫だ。
「これにアーチャーのタマシイを移しちゃうの」
「そんなことできるのか?
それもちょっとどうかと思うけどなぁ……」
士郎の常識論に、しろいこあくまは澄まし顔で囁いた。
「ずっとじゃないわ。勉強して、もっといいやりかたを考えるもの。
リンの魔力の節約にもなるよ」
士郎は考え込み、とぼけた顔の猫を凝視した。
「……緊急避難としてはありかも。遠坂ボロボロだしなあ……」
ふと視線を転じると、色違いのぬいぐるみが並んでいる。三毛に茶トラ、そして黒。
「だったらこっちのほうがいいんじゃないか? そっくりだ」
持ち上げられた黒猫に、イリヤとお供のセイバーは吹き出した。
「シロウ、サイコーよ!」
「ええ、本当に似ています。よくぞ見つけましたね」
「……イリヤお嬢様。不穏なことをおっしゃらないように。
衛宮士郎とセイバーも、失礼なことを言うんじゃない」
苦りきった顔で注意するのは、執事服がぴたりと決まったアサシンである。 褐色の肌の偉丈夫は、パステルカラーの店内で浮いていること夥しい。執事と名乗ったからには、イリヤの我がままに振り回されるのは必然だった。
「拉致監禁と大差なかろう。彼の部下が、赤いカスケードを作りかねん」
「カスケードって何さ。カスタードとは違うのか?」
「――貴様、ちゃんと勉強しておけ。
分からない言葉に生返事して、冬のテムズ川に蹴り落される羽目になっても
知らんぞ」
「……それ、おまえの体験か?」
アサシンは無言で目を逸らし、セイバーが助け舟を出した。
「シ、シロウ、カスケードは水の流れる階段のことです。
そうそう、カスタードといえば、あの大判焼きは実に美味でしたが」
「お、おう、サンキュ。大判焼きは帰りに買おうな」
セイバーが拳を握りしめたのは、マスターの感謝と大判焼きとどちらに反応したのだろうか。
イリヤは執事服の裾を引っ張った。
「ねえ、どうして水が赤いの?」
「水ではないからだよ」
はぐらかすような答えに、衛宮姉弟の眉が寄る。
「階段に赤い水が流れるってこと?」
「でも水じゃないんだろ」
今度はセイバーが視線を逸らした。
「……彼の宝具ならば、容易いでしょうね。
恐らくは、ランサー相手に出したあれです」
士郎とイリヤは棒立ちになった。
アーチャーの宝具の一つは、千人以上もいる騎士たちの集団だった。赤薔薇の紋章の白い鎧に、金剛石の斧を携えた、一騎当千の猛者たちだ。
ものすごく、よく切れそうだった。――人体が。それが、階段を流れる赤い水の正体なのだろう。
「わかったな。滅多なことは言わないように」
紅白と金が小刻みに上下動し、白はそのまましょんぼり頭を垂れた。
「うう、アーチャーはやめとくね。じゃ、シロウはどれがいい?」
「俺もか!? それはやめてくれ」
「じゃ、こっちならいい?」
差し出された柴犬のぬいぐるみに、セイバーの表情が解ける。
「何と愛らしい……。イリヤスフィール様はセンスがいいですね」
士郎は座り込みたくなった。
「だからセイバー、そういう問題じゃないんだ。俺の魂の危機だ」
そんな寸劇にエミヤは額を押さえた。
「……まったく、付き合っていられんよ」
小さな義姉は、艶然と微笑んだ。
「大きいシロウのも選んであげるから、すねないの。
ねえ、これはどう?」
イリヤが抱き上げたのは、妙に鋭い目つきの、実物より大きいシャム猫だった。セイバーは力強く頷いた。
「完璧です」
「でしょ? ねえ、セイバーはどれが好き?」
「え、では、あの獅子が……」
時を超え、母から娘に受け継がれる、騎士王との休日。微笑ましいが、ついて行けない大小の衛宮士郎だった。
第82話でエミヤがぶら下げていた、ファンシーショップの袋の正体です。