Fate/sn×銀英伝クロスを考えてみた   作:白詰草

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86:絆の数

 地に降り立った黄金の舟は、三人の乗客を降ろした。洞窟に入ろうとした言峰の背に、快活な声が掛けられた。

 

「よう、元マスター。神父を辞めて、人攫いになったのか?

 随分と落ちぶれたもんだな」

 

 無言で振り向く言峰主従に、群青の槍兵は獰猛な笑みを浮かべた。

 

「待ってたぜ。なあ、セイバーの主従よ」

 

 ランサーの声に応えるように、蒼銀の少女騎士と、学生服の少年が姿を現した。

 

「ランサー、訂正を。

 落ちぶれたわけではなく、卑怯者が使い古しの手を使っただけでしょう」

 

 ランサーの形のよい鼻梁に皺が寄る。

 

「そういや、初っ端っからそうだったな。いいや、十年前からか」

 

「とにかく、イリヤを返せ!」

 

 士郎は眼差しを険しくして、更に一歩進み出た。

 

「もう逃げられないぞ」

 

 虚を突かれていた言峰だったが、士郎の言葉に喜色を浮かべる。

 

「ふ、待ち伏せとはな。義妹を囮にしたわけか。

 たしかにおまえは衛宮切嗣の息子だ」

 

 言峰の言い草を、士郎は一蹴した。

 

「人のせいにするな。

 おまえらがこんなことしなきゃ、寒いだけの遠足だったさ!」

 

 手足が二本ずつなのと同じく、目や耳が一対ずつしかないのが言峰たちの弱点だった。彼らは士郎の家の周囲を見張っていた。士郎とセイバーのみならず、隣家の教諭も出勤したので、何の不審も抱かなかったのだ。

 

 今日は、穂群原高校の入試で、在校生は休みだった。凛が、一月の終わりに渡した学校だよりに、きちんと書いてあるように。言峰がそのプリントに、きちんと目を通していたら負ける勝負だった。

 

 だが、凛はあえて賭けに出た。深山の一家殺人が起きたのは、ちょうどその頃ではなかったか。ランサーのマスターの失踪も同時期だ。興味の薄いことには大雑把な言峰が、一大事の前の些事をどう扱うか。被後見人として、凛は熟知していたのだ。

 

 凛の指示で、士郎とセイバーは登校したふりをして、ここで待ちかまえていた。

 

「イリヤを危ない目に遭わせるぐらいなら、無駄足になってくれればよかった」

 

***

 

 アーチャーに作戦を明かされた時、士郎は猛反対した。

しかし、アーチャーは譲らなかった。

 

『事が起こってからでは遅いよ。

 あらかじめ対策を練っておくべきだ。

 無駄になるならそれに越したことはないが、

 必要になった時に危険を減らせる』

 

 士郎の反論を封じたのは、エミヤが漏らした述懐であった。

 

『そうだ。おまえの、いや、俺の力では、奴らに勝てなかった』

 

 磨耗したという彼の記憶の中で、どんな色彩を放った光景であっただろうか。士郎より低くなり、感情を抑える術を身につけた声に、隠しようのない悔恨が滲んでいた。

 

『俺と同じことをやっても、おまえも同じ轍を踏むだけだ。

 違う結果を望むならば、俺とおまえの違いを生かすしかあるまい』

 

『違いって、なんなのさ!?』

 

 問い詰めた士郎に、未来形がシニカルに笑んだ。

 

『いや、むしろ、おまえと英雄王の差だな。

 全ての財を手に入れようと、手に入らぬものがおまえにはある』

 

 見開いた琥珀に、鋼が細められた。

 

『人の心だ。少なくとも、おまえはセイバーに嫌われてはいない』

 

 そうして、士郎とセイバー、自分とイリヤにメイドたちの綿密な行動テーブルを作りあげ、そのとおりに行動してみせた。相手を煽り、狙うなら今日この時になるように。

 

 無視される可能性は否定できなかった。だが、先じて行なっていた、言峰の犯罪の暴露と、英雄王によるライダー襲撃。この二件が、別の事件と連鎖的に結びつき、警察の捜査を促すことになった。

 

 警察には、魔術師には決してできないことができる。交通機関の検問、商業施設への張り込みに、運送会社などの捜査などである。この平和で自由な日本で、彼らの行動を制限するには、それしかなかった。

 

 食料や物資を削るのも、目的のひとつではあった。だが、自分が逼塞している傍らで、五次陣営が日々を謳歌しているのを見せつけられては、楽しかろうはずがない。

 

 聖杯戦争の期間が過ぎれば、士郎や凛たちを一掃するのは容易い。だが、聖杯の顕現には、少なくとも六騎のサーヴァントの命が必要である。言峰主従は、相反する二つの命題のどちらに重きを置くのか。

 

 士郎たちの行動は、天秤の片方に心理的な錘を乗せていくものだった。ここまでの賭けには一応勝ったが、士郎にはとても喜べなかった。

 

「でも、手を出さないことだってできたじゃないか!

 おまえらはイリヤを攫った。

 イリヤの母さんを攫った黒幕も、おまえらだったんだろ!?

 二人して、遠坂の父さんも殺したのか!?」

 

「なにを根拠に……」

 

 歪んだ笑いを浮かべた言峰に構わず、セイバーが硬質な印象の唇を開いた。緑柱石の瞳に、複雑な色を浮かべて。

 

「シロウ、そう決めつけたものではありません。

 私と同じく、主を守れなかったのでしょう。

 その男が言うには、王とは無謬の存在だそうです。

 たしかに一面の真実です。王が過てば国は滅び、王は王でなくなる。 

 ……私のように」

 

 ギルガメッシュは微かに瞠目した。国が滅びんとしていることを嘆き、足掻いていた、あの少女ではないのか?

 

「王として生を全うした者が、

 おのれの失敗を認められぬのも無理からぬことでしょう」

 

「なんだと!」

 

 白皙に朱を昇らせた英雄王に、騎士王は穏やかな微笑を送った。

 

「私はずっと、過ちを受け入れることができなかった。

 だが、王ではなく、サーヴァントとなり、シロウたちのお陰で認められたのです。

 おのれの失敗と罪を。

 イリヤスフィールは、私の謝罪を受け入れてくれました。

 リンの度量も、彼女に劣るものではないと思います」

 

 セイバーがギルガメッシュに初めて向けた笑顔には、好意ではなく、憐みが籠っていた。

 

「英雄王よ、亡き主のご息女に謝罪し、裁定を仰ぐとよろしい。

 我々はもはや王ではない。

 いまの過ちは、生前の威光で取り繕えはしないのです」

 

 名画家が描いたような金の眉が吊り上がった。背後から浮かび上がった宝剣を抜き放つ。

 

「小娘を奪われた貴様が減らず口か! よかろう、思い知らせてやる」

 

 煌めく白刃が、倒れ伏したイリヤの細首へと振り下ろされた。

 

「イリヤーーッ!!」

 

 しかし、届かない。士郎の絶叫も、――英雄王の刃も。

士郎の声が、もう一つの名を呼んだから。

 

「――遥か遠き理想郷(アヴァロン)

 

 其は絶対の防御。真名開放と同時に光の微粒子となって展開し、使い手を妖精郷へと匿う。どんな武器も、魔術も、魔法とて届かず、その身を害することは能わぬ。

 

 エミヤに黒白の剣を示された士郎は、作戦会議の後で考え込んだ。未来の自分の可能性は、この剣で勝てない相手にも、次の手を生むつなぎになるかもしれないと言った。でも、次の手を出す前にやられてしまう可能性のほうが高くないだろうか。悔しいけれどあの金ピカは強い。

 

「どうせなら、もっと確実性の高い方法のほうがいいよなあ……」

 

 士郎は気づいていなかったが、これはきっと黒髪の怠け者の影響だろう。

 

 『努力をしたってだめなものはだめ』という、やる気のなさそうな言葉の裏側には、『戦場で努力をしない者などいない。努力が必ず結果を生むなら、みな生きて帰ることができる』という意味があった。

 

 彼がいたのは、実らない努力には死が待つ世界。努力する時間があるのは、平和だからこそだと羨ましげに言っていた。

 

「――投影開始」

 

 手の中に黒白の刃が現れる。さっきよりはましだが、まだまだなっていない。

 

「これじゃ駄目だ。でも、今の俺に、あいつの奥の手は使えない。

 もし固有結界が使えたって、呪文唱える間は持ちこたえなきゃならないんだよな。

 あの剣の弾幕相手に。……無理だぞ」

 

 令呪を使って、詠唱時間をフォローしてくれたのはキャスターだし、彼女に令呪を使うタイミングを指示したのはアーチャーだ。彼らぬきで、同じことをへっぽこな士郎にやれと言うに等しかった。

 

「それになぁ、固有結界は優位っぽかったけど、

 金ピカの宝具って、要はコレクションを射ってるだけだよな。

 どの剣も凄かったけど、もっとすごいコレクションがあったりして……」

 

 どうやら悲観主義も伝染していたようである。洞窟では、剣に混じって鎖らしき物が顔を覗かせていた。セイバーの聖剣を超える宝具すらあるかも知れない。

 

 ではどうする? 魔術師らしく、あるところから持ってくればいい。勝てる手段はあるのだから。セイバーの聖剣の鞘、遥か遠き理想郷が。

 

 十年余りも士郎と共に在った、衛宮切嗣の形見。士郎の体内に溶け込み、ずっと士郎を見守っていてくれた。

 

 その想いを、じいさんの娘に返すのだ。じいさんが士郎にくれた愛情の代わりに。だって、たった一人の妹なんだから。

 

 ――家族なんだから。

 

 創造の理念を鑑定し、基本となる骨子を想定し、

構成された材質を複製し、 制作に及ぶ技術を模倣し、

成長に至る経験に共感し、 蓄積された年月を再現し、

あらゆる工程を凌駕し尽くし――――

 

 ここに、幻想を結び鞘と成す――――!

 

 試行錯誤を経て、曙光の中で投影の鞘は形をなした。無駄な手間になることを望みながら、粒子化させてイリヤに託したのだ。世界の修正に影響されない、士郎の投影魔術が可能にした奇蹟であった。

 

「なに!?」

 

 ギルガメッシュと言峰の驚きは、何に向けられたものか。刹那に、複数の動きが交錯した。色合いの異なる青が、黄金と黒衣へ迫る。短剣が空を裂き、真紅の槍が弾き飛ばす。

 

「坊主っ、下がってろ!」

 

 ランサーやセイバーではなく、士郎を狙った投擲だった。足を止め、手を緩めて、防がざるを得ない。

 

「で、でも!」

 

「馬鹿野郎、おまえが死んだら、セイバーも道連れだ」

 

 再び短剣が飛来し、槍が閃く。

 

「そうなりゃ、みんな死ぬ」

 

「わ、わかった」

 

 士郎はじりじりと後ろに下がり、ランサーとセイバーが射線を塞ぐ。ギルガメッシュも剣を飛ばし始め、にわかには近づけなくなった。言峰は洞窟の入口へと後退し、指示を出す。

 

「セイバーの宝具はどうなっている」

 

「ふん……」

 

 ギルガメッシュは、うつ伏せたままのイリヤを、軽く足で突いた。 

 

「今は触れる。魔力切れか」

 

 先ほどは、姿が見えていたのに剣が届かず、触れた感触もなかった。

 

「ならばこちらに連れて来い。まだ早いが仕方がない」

 

 二騎士の後ろで、士郎は歯噛みをした。十年も共に過ごしたとはいえ、やはりアーサー王の鞘は桁外れの宝具だった。真名開放を行うと、どうしても長持ちしない。

 

「構わん。中身はこれから注いでやる」

 

 剣の矢で足止めした面々を嘲笑いながら、ギルガメッシュは優雅に長身を屈めた。

 

「やめろ!」 

 

 士郎の絶叫に構わず、ギルガメッシュは少女に手を伸ばした。その黄金の篭手を、鉛色の腕が阻む。

 

「なに……!?」

 

 腹に響く咆哮と共に、零距離から拳が振るわれた。形容しがたい音がした。頭部を潰される寸前、英雄王も宝剣を応射したのだ。だが、全く通用せずに弾かれた。英雄王ともあろうものが、狂戦士の殴打を、自らの腕で防御することしかできなかった。

 

「ぐぅっ!」

 

 バーサーカーことヘラクレスの腕力は、天球を支えられるほどのものだ。黄金の篭手は紙のごとくひしゃげ、右腕も同じ運命を辿った。そして、痩身が宙に吹っ飛ばされる。

 

「バーサーカーだと!?」

 

 驚きの声を上げたのは、言峰のみだった。ギルガメッシュは地面に叩きつけられ、苦痛に顔を歪めていた。サーヴァントにとって、腕の一本や二本は致命傷ではない。魔力さえあれば再生する。しかし、連戦のせいか傷の治りが遅い。

 

 攻撃が途切れた貴重な一瞬。天上から純白と紫の彗星が急降下し、バーサーカーが抱き上げたイリヤを受け取った。イリヤと入れ替わりに、同乗者が黒髪を靡かせ、身軽に地へと降り立つ。

 

「やぁっと会えたわね。とりあえず、これでも食らいなさい!」

 

 開口一番に、遠坂凛は残る宝石をギルガメッシュ主従へと叩きつけた。

 

Neun(九番),Acht(八番),Sieben(七番)――――!

 Stil,sciest(全財投入),Beschiesen(敵影、 一片、)

 ErscieSsung――!(一塵も残さず……)」 

 

 煌めく万華鏡のように魔術が炸裂した。立ち上った炎が凍結し、氷は雷撃を発して砕け散り、風刃に変じて襲いかかった。サーヴァントをも殺しうる、凛のとっておきだ。

 

 その援護は、プラスにもマイナスにも働いた。止めを刺そうとした青い騎士たちが、顔をひきつらせて飛び退る。

 

「あっぶねえ!」

 

「リン、無茶です!」

 

 ランサーにとっては致死だが、セイバーがキャンセルしてしまっては元も子もない。

 

「ほんのご挨拶よ! ちっ、やっぱり効いてないか」

 

 全属性融合による魔術の嵐を、刃の編隊が突破する。しかし、凛の一撃は、バーサーカーが体勢を立て直す時間を稼いだ。最後に起こった爆風が、迫ってきた鎖を弾いて彼を守る。言峰の短剣を吹き散らし、四次主従の合流も阻んだのだから、儲けのほうが若干大きいか。

 

 守られたバーサーカーは、凛を守るように剣の群れへと立ちはだかった。低く唸り声を上げて、斧剣を一閃。襲い来る宝剣、名剣を叩き伏せた。

 

「馬鹿な……、貴様は斃したはずだ……」

 

「貴様に答える義理はない!」

 

 答えたのはセイバーだ。剣の矢を掻い潜り、英雄王に肉薄する。

 

「ち!」

 

 ひしゃげた篭手を振り落とした右腕は、再生が終わっていない。剣士と切り結べる状況ではなかった。更に後退し、矢の密度を上げる。だが、バーサーカーの前で、藁屑のように散らされた。

 

 衛宮家の攻防では、彼は実力の全てを発揮できなかった。門から玄関までの空間は、バーサーカーが自在に動くにはいかにも狭い。イリヤの策もあったが、彼が本能でマスターを巻き込むことを避けた結果でもある。さっきの鬱憤を晴らすかのように、鉛色の颶風となって荒れ狂う。

 

「謀りおったか。ならば、今度こそ仕留めてやろう!」

 

 ギルガメッシュは、再び真っ向から剣のシャワーを浴びせかけた。バーサーカーは縦横に剣を揮ったが、防御網を掻い潜った一本が、彼の首を半ばまで切断した。血が吹きあがり、大きく開いた傷で首が傾ぐ。

 

「うっ……」

 

 凄惨な光景に凛は口を押さえた。剣と槍の騎士さえ歯を食いしばる。しかし、真に戦慄したのは一瞬の後だった。絶命したはずの巨人がひょいと手を上げ、首の位置を直す。瞬く間に傷が消え、目に光が戻る。そして、なにごともなかったかのように剣戟を再開した。

 

「おいおいおい……」

 

 バーサーカーの背後で奮戦していたランサーは、思わずぼやいた。

 

「殺しても死なないなんざ、反則が過ぎるだろ」

 

 それは居合わせた皆が等しく抱いた感想である。さすがと言うべきか、対峙していた英雄王が真っ先に立ち直った。

 

「それが貴様の宝具か……。よかろう、死ぬまで殺してやる。天の鎖よ!」

 

 英雄王の背から、黒光りする鎖が飛び出した。咄嗟に凛は叫んだ。

 

「バーサーカー、避けて!」

 

 あれは神の眷属に対する絶対の枷だ。ウェイバー・ベルベットのライダーが、敗北するきっかけとなったもの。

 

 だが、凛の警告は一瞬遅かった。巨人の四肢に、首に絡みついて締め上げる。バーサーカーは抵抗しようとした。だが、いかに彼の武勇でも、手足を封じられてはどうしようもない。頸部を締め上げられ、咆哮が細り、立ち消えになる。とどめとばかりに、無数の剣が浮かぶ。

 

「バーサーカー!」

 

 ペガサスの鞍上で、イリヤが悲鳴を上げた。バーサーカーの宝具『十二の試練』は、十一回もの蘇生魔術の重ねがけだ。蘇生するごとに、絶命させた武器への耐性も獲得する鉄壁の防御である。

 

 だが、数多の宝具を所持するギルガメッシュには、十二回殺すのは容易いことだ。

先ほどの襲撃で、約半数の命が奪われている。令呪ももう後がない。

 

 イリヤは叫んだ。

 

「お願い、誰か、バーサーカーを助けて!」

 

 バーサーカーへの命令ではなく、仲間への願いを。

 

「承知!」

 

 イリヤの願いに、銀風が鈴の音を伴って吹き抜けた。

 

「はぁっ!」

 

 抜かれた聖剣が鎖をぶつ切りにし、降り注ぐ剣の矢を弾き飛ばす。

 

「よっしゃ!」

 

 小躍りしたのはランサーだった。彼も神の血を引くため、鎖と相性が悪いと凛に釘を刺されていた。仕方なく後詰めに回っていたのである。

 

「これで俺も槍の揮い甲斐があるってもんだ。

 ――突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)!」

 

 無数の真紅の稲妻が、剣の雨を迎撃する。宝剣、名剣といえど、面の防御力は盾に劣る。雷のいくつかは、剣の間をすり抜け、英雄王へと到達した。

 

「ぐっ!」

 

 篭手を失った腕を切り裂き、鎧の肩当てに大きな陥没が生まれた。右頬に傷が口を開け、血が流れる。ランサーが舌打ちした。

 

「チッ、外されたか」

 

「おのれ、おのれ! よくも天の鎖を……」

 

「友の名を冠するなら、大事にしまっておくんだな」

 

 ランサーの口調には、少なからぬ同情が篭っていた。

 

「あんな腐れ外道に、よく我慢ができるぜ。

 ま、令呪があるから仕方がねえが、こんな誇りのない真似に使うとは、

 貴様の友は嘆くだろうよ」 

 

「黙れ!」

 

「よっと!」

 

 打ち込まれた剣の群れを、ランサーは身軽に避けた。もう受ける必要がなくなったということだ。庇うべき少年少女らは、広場の隅に避難を終了していた。ライダーと合流した士郎は、天馬の鞍上からイリヤを抱き下ろす。

 

「無事でよかった。イリヤ……」

 

「うん、シロウのおかげよ。でも、こういうお芝居はイヤね。

 本当だったら笑えないって、リズの言うとおりだったわ」

 

 最初に気絶したのは本当だが、士郎が投影した鞘の効果で、イリヤはすぐに意識を取り戻した。狸寝入りをしながら、恐怖と戦い、じっとチャンスを待っていた。

 

***

 襲撃に先駆けて、イリヤは令呪を使っていた。

 

『バーサーカー、わたしが次に名前を呼んだら、霊体化するのよ』

 

 予測が外れたら、貴重な令呪が無駄になるかもしれない。だが、イリヤはアーチャーを信じた。彼の助言によって、バーサーカーの宝具が絶対のものではないと気付かされたのだ。

 

 イリヤが彼に告げたバーサーカーの宝具は『十二の試練』は、蘇生魔術の重ねがけという規格外のものだ。しかも、半神であるヘラクレスを殺せるのは、最高級の神秘を持つ宝具のみ。更には蘇生するごとに、殺された武器に耐性が付くというおまけ付きだ。

 

 サーヴァントが所持する宝具は、通常は多くて三つ程度。たとえ三つ持っていても、全部が最高ということはまずない。バーサーカー以外のサーヴァント全員と戦っても、十二に届かないだろう。想定上は、バーサーカーを殺しきることはできないはずだ。

 

 しかし、アーチャーの意見はイリヤとは異なっていた。

 

『まずいなあ。英雄王の宝具を見たろう。バーサーカーとの相性は最悪だよ』

 

『でもバーサーカーは、ギリシャ神話のヘラクレスなのよ』

 

『それなんだが、ギルガメッシュ王と比べるとまず年代で負けているよ。

 ギリシャ神話は、紀元前千五百年代には成立していたと考えられている。

 一方、ギルガメッシュ叙事詩は、紀元前二千六百年頃のものとされている。

 もっと古いとの説もあるが、少なくともヘラクレスより千年は先輩だ』

 

 年月を経るほどに神秘は勝るという原則からすると、この時点で不利だ。

 

『次に本人たちの神性だ。ヘラクレスはゼウスの息子だ。

 彼の母はペルセウスの娘。要するにゼウスにとっては孫娘だね、

 父系ではゼウスの子、母系ではひ孫ってことだ』

 

 ペルセウスの母ダナエは、ゼウスが見初めたほどの美女だったし、ペルセウスの妻は、神話に名高いアンドロメダだ。娘のアルクメネが美人なのは必然だろう。当然、ゼウスも目をつけたわけだ。実の孫娘に。

 

「……よく考えなくても、ゼウスって最低ね」

 

『いやもう、まったく、下半身に節操のない神様だよね。

 つまり、ヘラクレスに流れる血は八分の五がゼウスのものだ。

 三分の二が神のギルガメッシュはそれを上回る。

 算数だとちょっとの差なんだけれど、パイの分配だと大違いだろう?』

 

『……むー』

 

 イリヤは唸った。エミヤのケーキを後者の率で分けたら、セイバーとタイガが血で血を洗う抗争を起こしそうだ。

 

『そんな相手が、あれだけの数の宝具を持っているんだ。

 最強の矛と最強の盾、どっちが勝つんだという諺があるが、

 人類の戦史上、防具が武器を凌駕したことはない』

 

 アキレスの踵、ジークフリートの背中。どんな防具を持とうとも、一つでも弱点があるなら人は人を殺せる。セイバーの不死の加護の鞘とて、諍いをした義姉に盗まれ、カムランの丘で敗北することになったではないか。

 

『どうすればいいの!?』

 

『まず確認したいんだが、バーサーカーは死んでも、十一回は復活するんだね?』

 

『うん』

 

『では、蘇生にかかる時間はどのくらいなんだろう』

 

『すぐよ。一分か二分くらいだと思うわ』

 

『そいつは困ったなあ。人、いや君を殺すには、ほんの一瞬で充分なんだよ』

 

 蘇生するといっても、イリヤが無防備になる時間はできる。

そこでイリヤが殺されてしまえば、バーサーカーの蘇生能力は意味をなさなくなる。

 

『大丈夫よ。器を手に入れるまでは、わたしを殺せないんだもの』

 

『なるほど、普通の参加者ならそうかもしれない。

 だが、連中は器のありかを知ってる』

 

『もう、アーチャーのいじわる! どうすればいいの!?』

 

『とりあえず、死んだふりをしたらどうだろう』

 

「え?」

 

 アーチャーの奇想天外な発想に、イリヤは呆気に取られてしまった。

 

『奴さんたちは、バーサーカーの宝具を知る機会はないんだろう?

 君たちはランサー以外と戦ってないし、

 ランサーは小手調べで撤退したと聞いたよ』

 

『ランサーったら負け惜しみね。全然勝ち目がなかったんだから』

 

『いやあ、そりゃ私だって逃げるよ。

 なかなか殺せないうえ、生き返るなんて反則だ。

 ま、これは幽霊の戦争だから、今さらかも知れないがね。

 それでも命は一つってのが常識だろうに』

 

 その常識、もしくは先入観を利用するのだとアーチゃーは言った。

 

『死んだふりをして、蘇生のタイミングをずらし、

 反撃のチャンスを待つ。

 彼らも、空の器を手に入れて終わるつもりはないだろう。

 中身だって欲しいに決まっている。

 せっかく中身が入った器を、壊すことはしないと思う』

 

 イリヤはぞくりとした。アーチャーは、バーサーカーの死によって、器としてのイリヤの価値が高まると言っているのだ。

 

『バーサーカーが死んだら、残りは六騎。

 前回はお母さんが誘拐された時点で、三騎が脱落している。

 早い段階で君が死んでしまっても、

 器として機能するのか、判断材料にならないんだよ。

 だから、なるべく生かして攫おうとするだろう。

 嫌な言い方だが、殺すのはいつでもできるからね。

 それに、士郎君たちへの人質にもなる』

 

 無言のイリヤに、アーチャーは言葉を続けた。

 

『そんなことがないのが一番いいが、襲撃に備えは必要だ。

 その上で、イリヤ君は冷静になること。

 バーサーカーの致命傷を数えて、死んだふりをさせ、

 反撃のタイミングを計らねばならない。

 難しいし危険だが、そのためには準備や協力を惜しまないよ』

 

***

 それがここに結実した。抱き合う士郎とイリヤに、馬上のライダーが眼帯の下で目を細めた。

 

「……きょうだいとはよいものですね。姉様たちを思い出します」

 

 天馬が小さくいなないた。ここまで流れてきた剣を、はためく翼の風が逸らす。

 

「ふふ、そうですね。可愛い私の仔。

 リンはサクラの姉で、シロウは兄貴分でしたね」

 

 そこでライダーは首を傾げた。

 

「では、シロウの義理の妹は、

 サクラにとってはどうなるのでしょうか……?」

 

 再び天馬がいななく。

 

「みんなで帰ってから、サクラに聞いてみましょうか」 

 

 この夜を越えて、平穏な日常の中へ帰りたい。自分に叶えられなかった願いを、サクラとサクラが愛する者たちへ。メドゥーサの願いには、地母神の慈愛が込められていた。

 


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