三度目のミト   作:アルポリス

13 / 14
約一年ぶりでも可笑しなミトを見てやるよ、という方はどうぞ。


ミトとお宅訪問及び、とあるゾルディック家兄弟の話

 とある少年の朝は早い。季節の関係もあってまだ日が昇らない内に寝床から起床した少年がまず取る行動は着替えを済ませ、既に二週間前から愛用している重り付きのベストを羽織ることである。このベスト既に初日から比べれば二倍の重量が施されていた。

 次にこれまた初日に比べれば格段の重さを加えられた重り付きのスリッパを履いて洗面台に向かう。そこで身なりを整えた後はログハウスに作られた庭で日課となる朝の体操と薪割りをする。

 

 それら朝の作業が終わった頃に少年の兄が庭にやって来る。これもここ二週間変わらない光景だ。

 少年とその兄は一定の空間を開けて向きあうと徐に一礼して武道の構えを取った。そこから朝食の時間まで軽く手合わせをすれば朝の日課は終了である。

 

 

 少年の母親が栄養を考え丹精込めて作り出された朝食を食べ終えると、二時間の長い休憩を挟んで今度は午前中の日課が始まる。

 何時ものように足首に重りを付けてブーツを履くと母親の先導の元山岳地帯のランニングが開始された。

 

 初日は五時間以上掛った末に帰りはバスに乗った道のりを二週間目の今では二時間で辿り着き、尚且つ休憩を挟まずにそのまま折り返して元来た道を走れるようになった。

 そこから数えて一週間目を過ぎると今度は帰りの道で下半身を只管動かしながら上半身だけで母親の拳を避け、反撃を試みるという作業が加わる。当然、疲労は倍以上となったが、それでも少年は必死に喰らいついていく。これが目下午前中の日課である。

 

 太陽が頂上に登り始めた頃に少年と母親が戻って来るのが当たり前になってきた頃。

 それでも疲労困憊の少年はそこから一時間の休憩を挟み、母親特製の昼食を取る。

 その後お馴染みになりつつある長めの休憩を挟むと午後の日課を始めるのだ。そしてそれこそが一日の集大成とも言える地獄の開幕である。

 

 国土たる広大な森を使ったデスマッチ、少年の母親が本気で息子を追い詰める半ば試合のような手合わせは一歩間違えれば大怪我や死に繋がるほど凄まじい。

 高速で太い枝を飛び越えながら獲物となった息子に対して母親は鋭い牙を突き立てるかの如く攻め込む。少年はそれに全力で対応しながら隙を突いて反撃を試みなければならない。最初の一週間は己が持つ小さいながらも立派なプライドをズタズタに引き裂かれるぐらい歯が立たず、何度も悔しさに枕を濡らしてきたことか。

 それでも懸命に喰らいつこうと踠いてきた少年は二週間目に突入してやっと母親の動きを目で捉えることに成功していた。残念ながら未だ反撃の一手は届かないながらも少年は着実に成長の一途を辿っていく。

 

 こうして夕食の時間まで本番さながらのデスマッチが続くと午後の日課は終わりを告げて後に待つのは極限の疲労のみ。

 パドキアでは珍しい湯に浸かる習慣から風呂で疲労を僅かに軽減させ、夕食を取り終えれば一日の日課は全て終了、次の日のために泥のように眠るのだ。

 

 これがとある少年の一カ月に及ぶ魔改造工程である。

 

 以降重りは三週間目で六百キロ、最後の週は一トン以上の重りを装着して工程は進んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宣言から一カ月、ゴンをそれはもう色々な意味で可愛がったミトこと私は見た目が変わらなくとも内から溢れそうな気迫を纏った息子に満足感を覚えていた。

 隣ではゴンを見て私と同じように満足げで頷くポックル、そんなフリークス家を呆れた表情で見つめる守衛さんの姿があった。

 

 当人のゴンは試しの門の前で仁王立ちの構えを取りつつ私の合図を待ち続けている。

 

「やりなさい、ゴン。あなたのお友達が待っているわ」

 

 多分と心の中で付け加えてそう告げれば、一つ頷いたゴンが門に両手を合わせる。

 

「くっ……うおぉぉぉぉ」

 

 気合いを吐き出す様な雄叫びと共にゴンが力を腕に込めた。直後、重いものを引きずる独特の重低音が奏でられながら三の扉が見事開かれ、そのままゾルディック家敷地に突入していく。

 

「お見事です」

 

 拍手をしながら感想を述べる守衛さんの声を背後にポックルが難なく三の扉を開いて同じく突入、最後に残った私も扉の前に立つ。

 

 そこで守衛さんから声を掛けられた。

 

「お気をつけください。如何にあなた方が並みのハンターでなくともこの先はそれ以上の化け物が大勢おります。もしもの時はお子様方の為にも必ず撤退してください。無駄に命を散らす必要はなく、また決して恥ずべきことではありませんよ」

 

 その善意の忠告に答えを返さず、扉に手を会わせて力を込めた。

 

 先ほどよりも大きく響き渡る重低音にそれを余すことなく見届けているはずの守衛さんが僅かに声を漏らした。

 

「…………七の扉がこうもあっさりと開かれるとは」

 

 簡単に開かれた扉は再び閉められていく。

 

 私は敷地内に入ってすぐに振り返り、閉められていく扉の先に立つ茫然自失とした守衛さんに極めて好戦的な笑みを浮かべた。

 

 これが守衛さんの告げた忠告に対する私の答えだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 踏み込んだゾルディック敷地内は森を切り開いたような場所であった。歩き出そうとする私達は森の陰からいきなり現れた巨大な犬のようなものを目の当たりにする。その犬は私達から数メートル離れた場所に座り込むと後は黙ってこちらを真っ直ぐ見つめてきた。

 

「あの犬……野生の欠片も無いね」

 

 犬を見て呟いたゴンの感想に否を唱える者はいなかった。私達は普段くじら島で多くの野生動物を目にしているからこそ、あの犬の異常性を即座に理解してしまう。そして思うのだ、あれはもう生き物とは呼べないと。

 

「人さまの飼い犬だから強くは言えないけれど私達からは考えられない所業よね」

「まぁ、動物に好かれるゴンや獣人の盟友がいる母さんにしてみればそうかもしれないな。オレは家族に危害を加えられない限り気にしないけど」

 

 実にポックルらしい意見である。巨大な犬は私達が移動を開始しても視線で追うだけで飛びかかる様な動作は一向に見せてこない。野生を殺してまで躾られているのにも関わらず襲ってこないのが逆に不気味さを際立たせている。

 

「あれ、多分だけど守衛さんが言っていたフェイクの扉から侵入した奴に対してだけ襲うよう命令された番犬だと思うぜ。だからあいつはオレらを襲ってこない」

 

 静の動きを得意とするポックルの戦闘スタイルはどちらかと言えば真っ向勝負より相手に察知されず不意や弱点を突くのを得意としている。故にそれらの必須となる観察眼を養ってきた。そんなポックルの意見だからこそ私やゴンは素直に受け入れられる。

 

「二人とも気を引き締めて進むわよ」

 

 番犬が何もしてこなければ何時までもここに立ち往生する必要は無い。極端な話ここは私達にとって敵地と言っても良いだろう。

 如何なる時でも対応できるように発破を掛ければ気を引き締めた息子達の空気が伝わる。それを肌で感じながら私達は歩き出した。

 

 切り開かれた道を只管歩き続けること数十分、未だ敵意を持った相手とは相対していないが、どうやらそれもここまでのようだ。

 

 私達から見て数十メートル離れた先に人影が一つ、警戒しながらも近づいて行けばそれがゴンと同い年くらいの少女だと気づく。

 

 距離にして数メートル、これ以上進むとなれば少女が持つステッキの様な獲物の間合いになりそうなので立ち止まる。

 

「賢明な判断です、それ以上進めば容赦なく攻撃を繰り出していたでしょう。警告します、ここは私有地につき即座にお帰りください」

 

 少女は表情を一切変えず淀みなく告げると終わりとばかりに沈黙した。それでは困る私としては彼女の期待する答えは返せないだろう。

 

「それでは困るのよ、執務室に電話した通り私はそちらのイルミ氏が手にするはずだったハンターカードを持ってきているの、それを本人に渡すのが依頼だから帰れない…お分かり?」

「例えそうであっても執務室が入庭を許可していなければ私が通すことはありません」

 

 この雰囲気だと堂々巡りを繰り返しそうだ。それならばアプローチを変えてみるのも一興かもしれない。

 

 そう思い立った私は後ろに控えるゴンを引き寄せ肩に手を乗せると言葉を紡ぐ。

 

「なら、キルア君の容体を教えてくれないかしら。この子、私の息子なのだけどキルア君の友達なのよ」

 

 そう告げた瞬間、少女の表情が僅かに動くもすぐに戻して口を開いた。

 

「一使用人が、それも侵入者に対して主の現状を告げるなど考えられません」

「オレ、本当にキルアと友達になったんだよ。その友達が今苦しんでいないか知ることも出来ないの?」

「全てに許可が必要なの、だから答えは出来かねる、よ」

「なら許可はどうやって下りるの?」

 

 ゴンの問いかけに少女は即座に許可された前例が無いと返してきた。

 それでは侵入するしかないではないか。そう内心で反論していると実際ゴンもそう結論付けて言葉にした。すると少女も肯定する発言を述べた。

 いや、使用人が肯定しては駄目だろうと今度こそ突っ込もうとしたらポックルに先を越されてしまった……残念。

 

「とにかくこれ以上の問答は必要ありません。私の立つこの場所に一歩でも近づけば実力で排除します」

 

 少女の立つ地面を指差してそう宣告した少女は獲物であるステッキを強く握りしめて私達を見据える。少女の態度から実力で押通る以外の選択肢は無いようだ。

 

 私は頬に手を添えて深くため息を吐き出した。

 

「どうしたら良いのかしら……一般人の常識を持ち合わせた私としては実力行使で突破するのは避けたいところなんだけど」

「母さんからそんな言葉が吐き出されるとは思わなかった。オレは今こそ常識という言葉を辞書で調べたくなったぜ」

 

 ポックルは今日も私にだけ通常運転のようで嬉しいやら悲しいやら。

 

 それでも母親としてこれだけは言いたい。

 

「酷いわ、三児の母親として一般常識は必須よ。子供に示しが付かないじゃない。家宅侵入は犯罪よ?」

「でも、キルアの家は皆暗殺者だよ? どっちが犯罪として凄いの?」

「あら、ゴン。良いこと言うじゃない。それもそうね、暗殺者の敷地で軽度犯罪の心配をするなんて馬鹿らしいわよね」

「一般人はそもそも暗殺者の家に行こうなんてしない」

「さっきから煩いわよ、ポックル。私に辛辣な言葉を吐くよりもまず、背後のことを気にしなさい」

「……まぁ、大丈夫だろうけど、了解」

 

 この場所に立った時から物陰に隠れてこちらを窺っている相手はポックルに任せるとして、こちらも動くとする。流石に私が相手にするには実力不足が否めないのでここは同年代の相手に任せよう。

 

 それにしてもゴンがちゃんと視線に気づいているようで安心する。魔改造は着実に成果を上げているようだ。

 

 けれど、ゴン。視線が気になってわざと別の方向に視線を持っていくのは分かりやすすぎよ。

 

 下手したら相手にばれているのを知られる可能性が高い行為は命取りになる。まだまだ発展途上、要改善といったところだろう。

 

 修行の成果と称して相手をするようゴンに告げれば一も二も無く頷いて少女の立つ方向に歩き出す。

 それに伴い少女も俄かに戦闘態勢を取り始めた。

 

「さて、フリークス家会議は終了。結果は見ての通りよ、御嬢さん。敢えて犯罪には目を瞑って押し通らせてもらうわ。言っておくけど様子見なんて悠長なことは言わない方が良いわよ」

 

 予備動作を逃がした極限の構えから少女の獲物が勢いよく振りかぶられる。しかし、ゴンはそれに余裕で反応をして見せると左腕だけでガード、そこで生まれた一瞬の隙を逃さず着実に少女の懐まで飛び込むと右掌打を無防備な腹に打ち付けた。

 リーチが長いからこそ懐に飛び込めば隙も生じやすいのもあるが、彼女はそれにしても反動が大きすぎる。彼女はきっと今まで敵からあのリーチを抜いて飛びこまれたことが無いのだろう。

 

 抉るような一撃は見た目からも華奢な少女の体を軽く飛ばせる威力だが、剛の動きを有するものは相手に次の行動を捉えさせやすい。故に一度自身の間合いに持っていった場合、余程の事が無い限り着実に止めを刺すまで突き離してはならないのだ。

 

 それをゴンにも教えているのだが、忠実に再現している。

 

 間合いに飛び込んだ瞬間ゴンの右足は少女が振りかぶった動作の軸となる右足を捉え踏みぬいていた。

 これにより力の反動で逃がせず少女は仰向けに倒れ込んでいく。それでも流石ゾルディックの上級使用人と言ったところか、踏みぬかれた右足を犠牲にしつつも軸にして無理な体勢からとは思えない左足の一撃をゴンの脇腹に放つ。

 

 両者僅かに苦悶の表情を浮かべたもののゴンは体制を崩すほどでもなく、逆に少女の右足は無理な体制で負傷。どちらが優勢かは火を見るよりも明らかだ。

 

 足の負傷で動きは格段に悪くなるだろう、それを理解しているからこそゴンは敢えて踏みぬいた右足を高らかに上げ、返す動作でかかと落としを繰り出した。

 少女はここに来て邪魔になる獲物を咄嗟に手放して両手でクロスを作り、衝撃をきっちり抑え込むも仰向けという体制は行動が制限されることから次の一手に対して死活問題に繋がる。

 逆にゴンはクロスさせた相手の腕をバネにして右足を軸に飛びあがると華麗にバク転を決めて地面に降り立ち、右足の負傷で上手く立ち上がれない少女の顔を拳で強かに打ち抜いた。

 

「家の息子はそんな軟な育て方をしていない……って、失神したら聞こえないわね」

 

 少女の顔でも容赦ない一撃を加えた末の息子に魔改造を施しすぎたかと若干の焦りを覚えた。が、可愛い笑みを浮かべながら私の元に戻って来るゴンの姿を見てその焦りもすぐに吹っ飛んだ。

 

「お母さん!! 勝ったよ!!」

「良くやったわ、ゴン。ちゃんと剛の動きを理解していたわよ。今ならキルア君と互角に戦えるんじゃないかしら?」

「ホント!?」

「ええ、少なくともハンター試験の時のキルア君なら良い勝負が出来ると思うわ。でも、この一カ月ゴンが修行したようにキルア君も怪我が治って同じように修行をしているかもしれないから一概には言えないけれど…………そこのところ詳しく教えて欲しいのですが、キルア君の身内さん?」

 

 使用人が戦闘不能になったことで俄かに殺気だった一つの気配とそれに追随するかのような小さな気配。

 最初に私達を監視していたのは小さいほうの気配だが、ゴンと使用人の戦いに乗じて現れたのが殺気だった方の気配だ。その気配の隠し方や二人の戦いに上手く気配を溶け込ませて移動してくる技量からこれは身内だと予想しての発言だが正解のようである。

 

 顔を包帯で覆い尽くし目の部分にスコープを装着したゴシック調のドレスを着た女性と―――これで小柄な男だったら神経を疑う。

 その横に立つゴンより僅かに幼いジャポン特有の着物を着こなす少女―――これで男の子だったら両親の趣味に大いなる賛同と称賛を与えたい―――が草陰から優雅な仕草でこちらに歩み寄ってきた。

 

 間合いを測ったような距離で止まるドレスの女性が口を開く。

 

「始めまして侵入者さん。私はイルやキルの母親のキキョウですわ。こちらは息子のカルトですのよ。可愛らしいでしょう?」

 

 甲高い声で女性だと知れて内心ホッとしながら男の子の可愛らしさに私は賛同する。

 

「ええ、とっても可愛らしい坊やですわ。ジャポンの服装をここまで着こなすのはやはり血筋なのかしら?」

 

 女性―――キキョウさんのスコープの視点が機械音と共に器用に動いて私に向けられる。

 

「あら、分かるのね」

「あなたの名前がジャポン特有の発音をしているもので」

「侵入者のくせして博識でいらっしゃる」

「褒め言葉として受け取っておきます」

 

 下手な挑発には乗らないと笑みを浮かべて答えれば軽い舌打ちが返された。

 

「幼いくせに……生意気ね」

「ふふ、そう見えてしまうのは理解しています。折角自己紹介してくださったのですから次は私の家族を紹介しますね」

 

 言って警戒を解かないゴンの肩を抱き寄せるとキキョウと同じように自己紹介する。

 

「私の名はミト・フリークス、この子は息子のゴンです、可愛いらしいでしょう?」

「こんにちは!」

 

 ちゃんと挨拶できたゴンを撫でているとキキョウさんはゴンにスコープを合わせ数秒眺めて鼻で笑った。

 

「そうかしら、どう見ても野生の猿にしか見えないわ」

 

 自分の息子を貶されて怒らない母親はほとんどいないだろう。その例にもれず私もそうだが子供の悪口に関する沸点は他の母親より低い気と自覚している。

 

「あら、そのスコープの度が合っていないのかもしれませんね。新調することをお勧めします。もっとも元々の視力が駄目なら仕方が無いでしょうけど。見た目だけで判断すると痛い目を見るかもしれませんよ?」

 

 断言すると彼女の口が僅かに開き、何か言葉を発しようとしているが伺える。ところが、それは音にならず残念ながらどんな言葉を発したのか理解できなかった。

 

 数秒、スコープをさ迷わせ、彼女は徐に口を開いた。

 

「母親のあなたは特に下等な猿に見えるわ」

 

 その言葉を向けられてさっきよりもカチンと来た私は不敵に笑う。

 

「偶然とは言え何故だろうか、貴様に言われると反吐が出る」

 

 口調がガラっと変わったからか、それとも明らかに殺気を彼女だけに向けたからか、目に見えて絶句したキキョウさんの代わりに今まで黙っていたカルト君がボソリと呟いた。

 

「侵入者が一人足りない」

 

 その言葉を待っていたとばかりに私は先ほどの好戦的な笑みを消して柔らかな笑みを浮かべ丁寧な口調を心がけ、殺気を抑える。

 

「あなた方の後ろで控えているのが次男のポックルです。下手に動かないことをお勧めしますよ。なんせ私達は野生の猿なのでしょう? 野生は怒らすと怖いらしいですから」

 

 ポックルは彼女達が現れた時点で限りなく気配を薄めて背後に回っていた。

 

 私の指示によるもの。あの時点で何かあれば対象の『背後』に回れという意味を込めていたのだ。

 

 二人は即座に反転するもポックルはすぐに動けるよう闘気を高めている。彼女らがあの力を会得しているなら理解出来るだろう、今ポックルの体からは銀色の靄が発現していた。

 仮に会得してなくてもポックルの醸しだす雰囲気に飲まれた二人は私の言葉通り以降の動作を止めるのに十分だったようだ。

 

「さて、私達のお話を聞いていただきましょうか?」

 

 強制的に……という言葉は告げなくとも二人は理解していることだろう。

 息子を馬鹿にされた怒りも含め人質を取るという力ずくを選んでも目的は果たすつもりだ。

 

 

 私達は侵入者というれっきとした犯罪者なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゾルディック家本邸の地下に造られた暗殺者訓練用拷問部屋、その室内で自らの意思の元鎖で繋がれたキルアは青筋を浮かべて憤っていた。

 室内ではキルアの息遣いと呑気に寝息や時折、意味不明な寝言を吐き出す音が響き渡っている。

 

 キルアを怒らせる元凶、黒髪の酷く肥えた青年がどう見ても拷問道具と思わしき突起物を装着した椅子に座って眠りこけていた。

 

「……何で実の兄貴に拷問部屋で放置プレイ状態にされないといけないんだよ」

 

 怒りを込めながら低く呟いたキルアは今に至るまでの経緯を思い出す。

 

 

 最終試験の折、珍しく無表情の兄がそれでも焦っていると分かるくらい挙動不審で自分を担ぎ上げると言うも言わさず―――痛みでそれどころでは無かったが―――会場を後にして、待たせていたゾルディック専用飛行船に乗り込み、三日掛るところを二日で懐かしくも無い我が家に帰ってきた。

 

 その我が家では自分の怪我で使用人たちの心配する声やこれまた心配から……だと思いたい母親のヒステリックな絶叫が響き渡る中治療を施され、そこまで重症では無かったのか一週間の自室監禁で完治するとその後、自分から反省の意味を込めて拷問部屋に囚われた。

 

 その監視を買って出たのが目の前で未だ眠りについている二番目の兄だったのは刺した自分を恨んでのことだろうという予想から当然だと思っていた。

 

 ところが……。

 

「最初の一週間だけ痛めつけて後は放置って……何のために監視を望んだんだよ!!」

 

 つい怒りから繋がれた鎖を全て引きちぎったのも気にせず、しっかりとした足取りで兄の元まで行くと舵を漕ぐ頭を思いっきり叩いた。

 

「痛ってぇぇぇぇ!!」

 

 叩いた張本人であるキルアがその頭の固さからカッコ悪く悲鳴が吐き出されてようやく元凶の瞳が開かれた。

 

「あん? オレの犬神湾子ちゃんは? 育成ゲーBeautifulanimalの湾子ちゃんが何時の間にか生意気な弟になった……泣いて良いよな?」

「泣きたいのはオレの方だ、馬鹿野郎!! この石頭豚!! 寝ぼけてないで早く拷問を再開しやがれ!!」

「え、起き抜けに凄いこと言われたんですけど……お前そんなに拷問好きなの? お兄ちゃんとしては弟の隠された性癖なんて知りたくなかった。ぶっちゃけ最初の一週間だってホントは面倒くさかったんだからな」

 

 けど一応体裁として拷問しなければ母さんが出張って来るだろう、という言葉は残念ながら激昂するキルアの耳には届かなかったようである。

 

 そんな怒り狂う弟に対して肥えた男はキリっと表情を引き締め低い声色で呟く。

 

「弟がマゾなんて誰得だよ、湾子ちゃんだったら良かったのに」

「ふざけんな!! 殺すぞ!?」

「お前こそ、ふざけるなよ、オレが死ぬ時は湾子ちゃんの膝の上と決めている!!」

「さっきから誰だよ、湾子ちゃんって!? まさか恋人!? お前みたいな豚に出来るわけねぇだろうが!!」

「え、そこ聞いちゃう? そうか、キルもお年頃なんだな。よし、教えてやろう、犬神湾子ちゃんって言うのは犬耳の幼馴染でバストが88でヒップが――」

「オレの嫌味の方に反応しろ!! それと弟に二次元を勧めるな!!」

 

 乱されに乱されまくった息を整えながらキルアは内心でとある事実に思い当たる。

 

 両親や祖父母は別にすると兄弟の中でイルミやカルトとは何となく会話してきた記憶があるものの、二番目の兄である―――ミルキとは生まれてこの方会話らしい会話をした記憶が無い事実に今更思い至ったのだ。

 

 キルアが自我を持ち始めた頃から暗殺者としての訓練が始まったのもあるが、それでも視界に入ったミルキから話しかけられた覚えが無い。それ以上にキルアを含めた家族と仲良くしているところを見たことは一度も無かった。

 犯罪一家だからこそ敵の多い外より内を重んじるのは何処も一緒だろう。例を漏らさず暗殺者を生業とするゾルディック家も外に敵を作れば作るほどそれに比例して歪な愛情を家族に向けてくる。

 その最たる例が愛情過多気味の母親なのだが、その母親からもミルキは何処か余所余所しい態度を取られているのをキルアは少ない家族との記憶から掘り起こした。

 

――そういや、家族との食事にも現れたことないし、それを親父達は何も言わないから、それが当り前だと思っていたけど……まさか。

 

「おい、ブタ君……あんた、家族から愛されていないのか?」

 

 その疑問にミルキは最初表情薄くキルアを見つめるも、すぐに肥えた口の端を上げてにやりと笑みを浮かべて口を開いた。

 

「なんだ、お前今まで気づいていなかったのか? てっきり親父達から聞かされていたもんだと思ったが、なるほど身体能力は羨ましいほど凄いくせに他者の感情には疎いんだな」

 

 それはもうあっさりと肯定が返された。

 

「まじでか……」

「この家で暮らしていれば否応なしに理解出来たはずなんだぜ? なんせ、今は使用人からも疎まれる身分だからな。言っておくが、カルトなんか自我が芽生えてすぐにオレを能なし扱いだ」

 

 知らなかった、とキルアは力なく呟きながら内心で首を傾げた。

 

 別に目の前の兄を特別好いているわけではないし、むしろ興味が無いと言った方が正しい。けれど何故だろうか、先ほどから胸の辺りが僅かながら痛むのをキルアは感じていた。

 その痛みは怪我などで出来るはずの痛みとも違う、キルアにとって未知にも感じる痛みだった。

 

 ふと、それが何なのか頭を回転させようとするとそれに呼応して額から全身に掛けて甘い痺れのようなものが走った。

 

――違う、この痛みをずっと前から感じていたはずだ。何時から感じていた?

 

 

 分からない、分からない、少し前にも同じような痛みを感じたはずなのに分からない、分からない、理解出来ない、理解できない―――リカイスルナ、ソレハ、ヒツヨウノナイカンジョウ―――

 

 

「キル、落ち着け」

 

 グルグルと混ざり合い黒く塗りつぶされていくはずだった意識がキルアの額に触れた何かによって遠ざけられていく。

 

「たくっ、兄貴も酷なことしやがる。無理に念の重ね掛けなんかしたらそれこそ完全な人形になっちまうじゃねぇか」

 

 虚ろな瞳が定まっていくと目の前の兄の人差し指が己の額に当てられていた。それのおかげか思考が少しずつ正常にも戻ってきて触れられた面積からじんわりと温かみを感じる。

 

「オレに気づかれたのが運の尽きってな。悪いが、二度目の方は弾かせて貰うぜ。追尾しようものなら、それこそオレも重い腰を上げる……どんなに生意気でも唯一オレを家族と言う枠組みから切り離さなかった弟だしな」

 

 違う、と声を掛けたかったが瞳からは訳も無く涙が溢れ、口を開けば嗚咽を漏らしてしまうから頑なに唇を噛みしめた。

 その仕草にミルキは苦笑を浮かべると理解しているとばかりに一つ頷いた。

 

「お前がオレに興味が無かっただけなのも理解しているさ。けどよ、それでも良かったんだ。その事実がオレには嬉しかった。だからオレはこの家に帰る理由の一つぐらいにはお前とあいつを含めていたんだぜ?」

 

 ミルキは苦笑から一転自嘲気味な笑みを浮かべた。

 

「ゾルディック家歴代最高峰の才能を持ち合わせ、家族から一心に期待されてきたお前なんてオレに言わせるとこの家の闇を一身に受け止める一種の生贄だ。本人の意思なんてお構いなしで、半ば洗脳を施されてきたお前がオレは哀れで仕方が無かった。そこでオレは半ば見捨てられた立場を利用してお前を陰ながら見定めてきたんだ」

 

 もっともあいつの方は今のオレではどうすることも出来ない立場に置かれちまっているが、とそこまで述べてミルキはふと考える。

 

 もしも、あの身長でよく八つ当たりしてくる、それでも憎めない生涯の親友やその家族達との出会いがなければ……きっと自分は弟の才能を羨み、そして嫉み続けそこに至る弟の心情や身の上など一切測らず、ただ辛く当たり散らかしていただろう。

 同時に両親の愛情を一心に受けたくて己の弱さに見向きもせず虚勢だけで繕う酷く傲慢な人間になっていたはずだ。

 

 あいつと称した唯一の妹――ミルキは少なくともそう思っている、決して二次元的意味での好みではない――に関しては今の自分のように箸にも掛けていなかっただろう。否、生存さえ知らなかったで終わっていたかもしれない。

 

「お前がもし己の立場に疑問を抱き、嫌気がさしてこの家から縁を切りたいと、逃げ出したいと思った時は少なからず助力ぐらいはしてやろうってな。それがオレの『弟』に行える唯一の兄らしい……兄のオレらしい行動だったんだ」

 

 抑え込むことしか考えていないあの兄貴には出来ないことだろう? と最後に付け加えると急に真面目な表情になってキルアの額を弾いた。

 

 次の瞬間、キルアの脳裏に堰き止められていたはずのそれが土石流のように流れ込んでくる。

 それによって今の今まで唯の記憶でしか無かったハンター試験の情景が色づき始めそこに感情が備われていく。それに乗じてキルアの瞳から再び涙が溢れだした。

 

「オレ…オレ…」

「無理に喋るな、今まで抑えられた感情が溢れだして涙腺が馬鹿になってんだよ。たくっ、兄貴も何でわざわざ『哀』を抑え込んだんだ?」

 

 嗚咽を漏らす弟の頭を撫でながら考え込むミルキはやがて落ち着きを見せてきた当人によって真相を語られた。

 

「オレ、ハンター試験で友達が出来たんだ。でも、イル兄に見つかって……碌な別れもしないで帰らされたんだけど……何も言わずに帰ったから、あいつ怒ってるかもしれなくて……き、嫌われたらオレ、悲しくて……それで多分イル兄が……」

「なるほど、そんな脆弱な感情は必要ないから抑え込んだってわけだ。兄貴らしいと言えば兄貴らしい行動だが、腑に落ちねぇな、下手すりゃ精神を壊しちまう可能性があるのにそこまでする必要あるもんかねぇ?」

 

 そこまで呟いてふと兄の陰湿でいて周到な性格を改めて照らし合わせながら考える。

 

「………けどまあ、そう考えると施したのは感情抑制だけじゃない可能性もあるな」

「そうかも。この家に帰って来てからハンター試験の記憶が何処か他人事みたいに感じてたんだよな。今思えばそれも可笑しくてさ」

「それだな、兄貴の本命はその記憶抑制だぜ。きっと最後に感じた『哀』の感情を媒介にして芋づる式に抑制していったんだ。そんでそれの弊害で多分過去の悲しみも抑制と言う名の侵食がなされていったわけだな」

「オレが暗殺をしたくないって思っていた気持ちは悲しみだったんだな」

 

 ポツリと呟かれた言葉は最高の皮肉である。

 

 歴代最高の才能を持ち合わせておきながらその才能を否定する感情を芽生えさせた弟はこの家の中にいる誰にも受け入れられない感情をこれからも抱いて過ごしていかなければならないのだ。

 

 ミルキは正しく憐憫の情を弟に対して抱いた。そしてこの時、キルアもまた二番目の兄に対して憐れみを抱きつつ同時に気付けなかった、気付こうとしなかった自分が、やはり普通とかけ離れているように思えて酷く『哀』しかった。

 

 そんなキルアの心情に気付いてか、はたまた一つの話に区切りがついたからか、ミルキは弟の友達について食いついてきた。

 これが一番上の兄や母親だったならば聞いても来ない話題を振られてキルアは興奮気味に語り出す。

 ハンター試験の内容を語りながら話題の本命に当たる友達とその母親や兄の話に差し掛かった頃に何気なくキルアは兄の顔を垣間見て怪訝な表情を浮かべた。

 どう見ても焦点の合っていない視線をあさっての方向に向けて乾いた笑みを口から吐き出していたのだ。

「何だよ、兄貴が求めた癖に全然聞いて無いし!!」

「うん……ああ……血って怖いな……まさかキルアも…かよ……え、そうなると兄貴もあの人とダチだったりして……いや、それは無いだろう……まぁ、別に交友関係に口出しするつもりは無いけどよぉ……何か考えられねぇ……」

「おい、聞いてんのか!!」

「おっと、悪い、少しばかり現実逃避してたわ」

「何だよ、なんか気に障る様な事でも言ったか?」

「ここに来て弟のデレ発言を聞けるとは思わなかったな」

「なっ、何処にそんな要素があったんだよ!! オレがブタ君なんかにデレるわけないだろ、勘違いすんな!!」

 

 顔を赤く染めて怒鳴り散らすキルアに別の意味で乾いた笑みを浮かべたミルキは一言、弟のツンデレは誰得だよ、と発言して殴られた。理不尽でもないが、暗殺者の一撃は洒落にならないので気を付けろと付け加えたら、また殴られた。これは理不尽である。

 

 

 そんな二人の兄弟らしいやり取りが行われていた頃、キルアやミルキの祖父に当たる人物―――ゼノ・ゾルディックは突如浮上したある報告を孫に告げるため拷問部屋の前まで来ていた。

 

 扉越しから聞こえる音に傍と首を傾げる。

 

「はて、拷問部屋のはずだが」

 

 禍々しい部屋に酷く似つかわしくない笑い声や怒声が響くのを耳に捉え、更に首を傾げた。

 

「中にいるのはキルとあ奴だけのはずだが、お互い認識を持っていたか?」

 

 そう呟いて、確認のため中に踏みこもうと足を動かせば先ほどまで賑やかだった声はぴたりと止み、代わりに鞭の振るう音と温かみの無い怒声が響き渡っていた。

 

「フシュウ~、てめぇ、何抜け出してやがんだ!! さっさと鎖に繋がれろ!!」

 

 その不快な声に気のせいだったと思い至りながら、己が予想した通り唯で繋がれているはずタマでは無かったという事実、そこから導き出される孫の非凡さに内心喜びを感じている孫馬鹿は中に踏み込んで―――――目を疑った。

 

 眼前に広がるのはキルアを四つん這いにさせて鞭を振るうミルキの姿である。

 

 ゼノは咄嗟に疑問を浮上させた。兄弟同士のSMは誰得になるのか、と。

 

 しかして、咄嗟の思考が似ていることから、流石は血縁者である。

 

 嫌な意味でハッスルしている頭は良いが馬鹿である次男の所業を止めると持ってきた今最も優先される報告を告げた。

 

「先ほど侵入者がキキョウとカルトを人質に取った」

 

 驚愕するキルアはもちろん、普段関わりを極端に絶っているミルキも驚きを見せた。

 

「侵入者の特徴は女子一人に男子が二人。キキョウならまだしもあのカルトが手出し出来ないことから中々の手だれだろうよ」

「ウソだろ、オレが生まれてから初めてだよな、直接手を出されたの。誰がそんな無謀なことやったんだ?」

 

 キルアの言にゼノは一つ頷くと使用人から齎された情報を告げた。

 

「侵入者の素性は自ら使用人に語っていたようだ。フリークス家と名乗っておったそうだぞ」

 

 拷問部屋は一旦沈黙に包まれ、次の瞬間には兄弟が発した言葉にならない悲鳴が木霊した。

 

 

 それは正しく血の繋がりを彷彿とさせる声の共鳴だった。

 




 書いてて思う、ミルキ氏の変わりよう……怖っ。

 次回も気長にお待ちください。

 誤字報告ありがとうございました。

 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。