ザ・スタンド
「アヤ、なんでそんなところにいるのよ」
そんなことは私が聞きたい。
慌てているのか、物忘れなのか、それとも思い出せないだけなのか。とにかく、どうしても今後の"殺される流れ"を思い出せずもやもやとしていた。わかっていることから順々につぶそうとは思うのだが、なにぶん駅までの場所までもわからない今のお粗末な状態では、日常生活に慣れることで精一杯だった。
「……ちょっと考え事」
「物憂げに窓の外なんて……って、おっと年下狙い?」
「いや、彼独特な髪形をしているよねっと思って。そういう意味じゃないよ」
「ま、そうだよね」
無論そういう意味ではない、進捗確認だ。
どういうわけか未だアンジェロ岩のない街で「ツジアヤ」は女子高生をしていた。それは自身が死なない、苦しい死に方をしなくていい兆候だとも思えたが、同時に嫌な前兆だとも感じていた。
「辻彩」という女は死ぬ、そうでなければ話は進まないのだ。
だが、それでも話は進んでしまったら?
殺人鬼はそこで死ぬのか?
それとも、やはり死ぬのか? 考えても終わりのない考えが頭を占め、一日に何度となく行われる現状確認と、町中の散策へと駆り立てていた。
「ほんと、そういう意味じゃないんだから」
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週に一回、都合の合うときなら週に3回以上はサンジェルマンのテラスでコーヒーを飲んでいた。確かあの殺人鬼はランチにサンドウィッチかクロワッサンか、会社の昼休みに食べていたはずだ。そこがサンジェルマンか否かも思い出せない。それでもこのカフェは「名所」で人通りも多い。駅前で毎朝顔もわからない殺人鬼を探すよりはましなように思えたのだ。
すぐそこの雑貨屋で買ったやたらとざらざらとした感触のノートに、通りがかる住人達を書き留めていく。特徴的な耳殻、その体には不恰好すぎるストライプの入ったスーツ、不必要に整えられたひげ、高い鷲のような鼻。デジカメも、使い捨てカメラも高校生の財政事情では使えず、すらすらと書き留めるだけだ。
まだ寒い春から苦行のように続けていた作業だが、すでに自身を痛めつけるロードワークから何かのライフワークになっていた。眼と手を動かしながら、宛てもないことを考えていた。
「君はひょっとして画家何かを志望しているのか?」
顔をあげればすでに3回ノートに登場している男、緑色のぎざぎざとしたヘアバンドに、細い体、節ばった長い指を持つ男がそこにはいた。
「だとしたら考え直したほうがいい。これでは売れないだろう」
腕を組み、顎に手を当てたさも批評家のようなその態度にイラつくが、そんな様子を知ってかしらずか男の尋問は続く。
「私は画家じゃないです、そのうちエステティシャンになるんじゃないですかね?」
「なるほど、だから人の姿かたちが気になったと?」
あなたのお姉ちゃんを殺した奴に、殺されなければなるかもねと強烈な皮肉を心のうちに続ける。
「だとしたら、美容を扱う人間として雑すぎだ。人の特徴ばかりで何も描いていない。ただのメモだ」
鋭い。
この失礼な態度をとる登場人物にいら立ちを隠せない。この男の言うとおりだったからだ。この街に来たばかりの私は登場人物を目の前にしてきちんとその人だと判別できるのか不安だった。なにぶん、過去の記憶はデフォルメ化された絵柄で、目の前にいるその人はただの人間だ。殺人鬼を目の前にしてその男が殺人鬼である事を判断できるか、助力を求めるにしろ肝心の相手が登場人物であることを見逃す可能性があったのだ。
だがこの男に関してはその心配が無用に終わりそうだ。何しろその鼻も背格好も歩き方も、まさに、そうそのままに想像していたものと一緒だったのだ。
「人の夢にケチつけないでくれません?」
「そうだな。だが、あまりに君に似合っていない感じでね」
初対面の、そして登場人物がいう悪びれないセリフが琴線に触れ、言い返してみる。
「だったら何が似合いそうなんです?」
「……どこにでもいる、平凡な女性」
回答になっていない回答なのに、まるで心底真面目に答えているその姿に飽きれる。
失礼だ。この男、20歳の社会人という立場でありながら初対面の女に、黙っていればいいものを失礼な言葉を吐いている。これが漫画家というものなのか。いや、違うか。
「喧嘩なら買いますよ。岸辺さん」
そういって向かいの席を勧める。
「おや、読者か?」
「ええ、ただの読者です」
ただし、ジョジョの奇妙な冒険の。
こうして、空条承太郎が噴水で亀と戯れる叔父に出会う一方で、私は漫画家に出会っていた。
物語は幕を開ける。