魔法使い不在の物語
昔、お姫様よりも魔法使いになりたいという女がいた。
確かに魔法は使えたし、王子様に出会えた女の子はいたが、魔法使いはかわいそうに殺人鬼に殺されてしまった。
これは別にお伽噺でもなんでもない。
どこにでもある、そう、たとえば地方都市の片隅で起こりそうな、そういうありがちな話だった。
そこだけを覚えていた。
私はふと吊革につかまる自身の指をみて、それがいつもよりも骨ばり、まるでテレビか何かで見たような均整がとれた指であることに気づいた。
爪は美しくつやをおびて並び、指先から根元まで太さの変わらない、とても美しい指が異様に不気味に感じだのだ。そのまま腕をたどれば、まるで無駄なところなどない、かよわさを演出するような二の腕があった。それこそ女であるはずのなら求めていたには違いないが、そんなことは問題ではない。
気持ちが悪いのだ。
吊革から手を離してじっくりと観察すれば指紋もちがうような気がするし、透けて見えるミミズのように這い回る血管には身に覚えがない。まるで死体の腕をそのままくっつけたかのようだ。
この気色の悪さはどこまで続くのかと二の腕をさすってみて、それから鎖骨と首と、そして顔に触る。肌触りさえいつもとは違う。肌の下の骨の位置も違う気がする。
言いようのない気色の悪さが、いよいよ吐き気と恐怖にかわる。どうしようもない嫌な予感が肺まで満たし、急に人目が気になった。私は今どうみえている? 突然背後に聞こえる女子生徒の笑い声や後ろのサラリーマンの呼吸が大きく聞こえる。
目だけをギョロギョロと動かせば、電車の窓はいつの間にか人のまばらなホームに入ろうとしていた。ホームの端にお手洗いのマークを見つければ、顔を上げないようにして電車から抜け出す。
一心不乱にはいった駅の洗面所が、誰もいないことにホッとして、ようやく視線をあげる。
それから血の気がひいていく。
腰まで届く長い髪を奇妙に結い上げた女が、そこにはいた。
奇妙なその女はペタペタと馬鹿みたいに体中を触る。無論、私がする動作と全く同じにだ。掻きむしったところで腕は痛いし、鏡に映る腕も赤い筋ができるだけだ。
鏡から視線をそらし、抱えていたバッグをあたりにぶちまける。数学IIの教科書に、手垢のついた英単語帳。ハンカチ、リップ、手鏡に、櫛、ポーチ、手帳、財布。そしてやっと内ポケットに学生証をみつけて動きを止める。それがディスプレイなどではなく鏡であり、つまりはそれが私だった。
「私なのか?」
これが見知らぬ、ただの女なら大混乱だったが、生憎とこころあたりが、正確に言えばその髪型と名前にはにはあった。そしてその結末も知っている。
名前は「辻彩」。
魔法使いで、低血圧で、信念があり、そして殺される女だった。
シンデレラに出てくる魔法使いになりたい。そう言った彼女に対する感動をしっかりと覚えていた。ついでに、あの露骨なブスの書き方と言いようには男性作者特有の偏見かとも思ったことも。
「辻彩、シンデレラ、 」
その女は今、鏡の中にいる。
私と同じ動きをするばかりで、一体何がしたかったのか、それとも死んでしまったのかもわからない。不幸にもその女はいまだ高校生で、そして何より、学生証には見覚えのある町名があった。
物語が始まる前に、魔法使いを殺してしまった愚かな元読者は、どうしたいかもわからず流されるままにもう一度電車に乗ることにする。行先は杜王町。
殺人鬼と悪霊の棲む街だ。