悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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044 夜は未だ明けず

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 即座の判断。否応無しに発射される弾丸が、漆黒の闇夜の中を突き進む。開戦の合図とも取れるその発砲音は、ウェイバーたちの耳にも確りと届いていた。

 ちらり、とマナは一メートル程先を走る男の背中を見る。

 最初の発砲音を皮切りに、轟くような銃声と重い砲撃音が市街地の中心部から聞こえてきている。

 それはつまり、敵対勢力同士が衝突したということだ。

 戦場と化しているであろう場所は現在三人が向かっている方角。ロアナプラの東港へと続く市街地だ。事前に共有された情報とは位置が異なるが、ロベルタと米軍がカチ合ったという可能性もゼロではない。

 

 そんなマナの一抹の不安を感じ取ったのか、ウェイバーは前を向いたまま、静かに告げた。

 

「こりゃレヴィだな」

 

 ややげんなりとした雰囲気が男の背中から伝わってきた。

 レヴィと言うと、サンカン・パレス・ホテルで会った刺青女ガンマンのことだったか。走る速度は緩めず、マナはレヴィの顔をぼんやりと思い出す。

 

「どうしてわかるのですか?」

 

 マナの半歩後ろを走っていたルナが、不思議そうに尋ねた。

 その質問に、ウェイバーは当然のように答える。

 

「あの銃声の中にカトラスが混じってる。……おいおい、BARまで聞こえてんぞ。ちったァ大人しくしてられねえのかうちの娘っ子どもは」

 

 はァ、と大きく溜息を吐き出して、ウェイバーは暗い路地を進んでいく。

 銃声から身元を割り出すというとんでもない男の耳に、マナは驚愕するほか無い。どれだけの銃声を聞き続ければ、そんな芸当を可能にしてしまうのか。恐らく目の前を走る男は、自身が思う以上に過酷で凄惨な戦場を渡り歩いてきたのだ。数十、或いは数百かもしれない。身のこなし一つ取ってみても、ウェイバーには隙と呼べるものが存在しない。ある程度の実力を持っていると自負のある双子ですら、ウェイバーの底を推し量ることが出来ないでいた。

 

 マナとルナは知り得ない。

 レヴィとバラライカが衝突した事実に、内心でウェイバーが悲鳴を上げていることを。

 

「どうするおつもりですか」

 

 マナのその問い掛けに、ウェイバーは数秒間沈黙して。

 

「……やむを得ん。ルートを一部変更する」

 

 流石に看過できない事態であったのか、ウェイバーはやたらと重い溜息を吐き出した後にそう告げた。

 多少のルート変更に、マナとルナに異論はない。元より土地勘のない場所だ。加えてこの暗闇の中、ウェイバーの道案内が無ければ港まで辿り着けるかも怪しい状況である。

 

「マナ、ルナ。この先の戦闘次第で、二人の道案内が交代になる可能性がある」

 

 その言葉に、二人は無言で頷いた。

 先にある戦場は、ウェイバーで無ければ対処出来ないものである可能性が高いということなのだろう。レヴィという女ガンマンの実力が如何ほどかは知らないが、少なくとも個人で応戦できるような銃声の数ではない。

 

 マナとルナは知り得ない。

 単純に乱戦と化した戦場で、レヴィに道案内を擦り付けようと悪知恵を働かせている男が目の前にいるということを。そしてそのままの流れであわよくばフェードアウトまで狙っていることを。

 

 そして微妙に食い違う思考を巡らせる三人は、ついに爆心地となった戦場へと躍り出た。

 

 

 

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 その男の姿を視界に捉えて、真っ先に心中を支配したのは歓喜という感情だった。

 待っていた。今、この瞬間。全ての柵から解放され、ただ一時の快楽のためだけに銃を抜ける、この瞬間を。

 そしてそれは恐らく、その男も同じだったのだろう。

 「アンチェイン」などと呼ばれても、黄金夜会という組織に名を置く以上は短絡的な行動など取れるはずもない。男はきっと、待っていたのだ。この十年間、全ての始まりであるあの夜の狂宴の続きを。

 

 大通りに音もなく現れた男を両の眼でしっかりと捉えて、火傷顔(フライフェイス)は口の端を吊り上げる。

 一見無防備にも見えるその立ち姿。しかし両手に握られた銀のリボルバーが、男が既に臨戦態勢であることを物語っていた。

 彼のジャケットのボタンは既に外され、くるくるとリボルバーを回して周囲を一瞥。そして、ばっちりと視線が交錯した。

 

「そう逸るなよ、バラライカ」

「古傷が疼くのよ、ウェイバー。あの夜に貰った、四発の銀の弾丸のね」

 

 バラライカにはもう、レヴィやグレイのことなど一切頭には無かった。彼女たちは謂わば前菜。主食には程遠い、時間稼ぎの品でしかない。

 そしてそんな扱いだからこそ、辛くもレヴィたちは生き存えていた。遊撃隊(ヴィソトニキ)が本気になって行動を起こせば、たかだか四人のパーティなど物量戦で押し潰して終わりである。

 

「レヴィ」

 

 ウェイバーは背後に立つ女ガンマンに向かって、振り返ることなく言葉を放つ。

 

「お前はこの二人を連れて港へ向かえ。ロックともう話はついている。そこでガルシアと合流できる筈だ」

 

 それだけを告げると、話は終わりだと言わんばかりにリボルバーを握り直し、やや腰を落とす。

 本気でバラライカとやり合う気だということは、言うまでもなく理解出来た。そしてその戦場に、自身の居場所がないということも。レヴィは奥歯を噛み締めて、一度だけコンクリートの外壁に拳を叩き付けた。

 

「……おいそこのメイドども、付いて来な」

 

 酷く声が低かったのは、感情を押し殺したからに他ならない。

 自身はまだ正面からホテル・モスクワと事を構えられるほど強くない。その事実を受け止めるには、湧き上がる怒りを押さえ込むしかなかった。

 

 レヴィの言葉を受け、マナとルナはファビオラと合流。お互いの無事を数秒の間喜び、レヴィを先頭にして暗闇の中を走り出す。

 

 そして残ったのは。

 

「……オイ、お前らも向こう組だぞ」

「やぁねオジサン。だって私はおじさんの事務所に住んでいるのよ。となれば当然こっち側じゃない」

「我が友の窮地なれば、そこに馳せ参じるのは同志の務め」

 

 銀髪の少女と同じく銀の髪の美丈夫が、ウェイバーの隣に立っていた。

 それぞれがBARとモーゼルを手に、準備万端といった風にバラライカへと視線を向けている。

 

「……レヴィみたいに聞き分けがよくなるには、もう少し時間がかかりそうだな」

「レディはいつだって我儘なものよ、おじさん」

 

 片目でにこやかにウインクしてみせたグレイは、夜風に銀髪を靡かせながらBARを持ち上げる。

 そんな動作を横目で見て、これはもう何を言っても無駄だと察したのだろう。ウェイバーはこの日何十度目かの大きな溜息を吐いて、グレイへと指示を出した。

 

「遠慮は無しだ。グレイ、ぶっ放せ」

 

 次の瞬間、しばし停止していた戦場が、一気に活性化する。

 銃弾の嵐が、大通りのど真ん中で吹き荒れた。

 

 

 

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 ロックはバックミラー越しに迫るロベルタを視界の端に捉えつつ、全力でアクセルを踏んだ。

 狭い路地裏を抜けそこそこ幅のある通りに出たため時速八十キロは出ているが、それでもあの女中を引き離せない。後部座席に座るヨアンが威嚇射撃を継続して行ってはいるが、威嚇にすらなっていないようである。

 

「クソッタレ、あの女サイボーグか何かか? ふくらはぎ撃ち抜いてやったってのにピンピンしてやがる」

「撃ち抜いた……? ロベルタを?」

 

 ヨアンが吐き捨てた言葉の中に俄かには信じ難い事実が紛れ込んでいて、思わずロックは声に出していた。ロックの記憶の中で、あのロベルタに明確な手傷を負わせたのはホテル・モスクワとウェイバーだけである。個人戦力に絞ればウェイバー以外に存在しない。ロベルタとはそれほどまでに強く、また恐ろしい女だ。

 

「ああ、まぁトチ狂ってたのもあるが、俺は膝をブチ抜くつもりだったぜ。だが奴は反射的に身を捩って急所を避けやがったのさ、つくづくA級以上は化物揃いだよ全く」

 

 事も無げに宣うヨアンに、ロックは得体の知れない恐ろしさを感じていた。現状敵には成りえない筈だが、もしそうなった時の事を考えると、冷や汗が止まらない。

 未だ気を失ったままのガルシアの頭をくしゃくしゃと撫でながら、ヨアンはロベルタから前方へと視線を戻す。

 

「目的地まではあとどのくらいだ?」

「このまま飛ばせば十分もかからない。それまでにロベルタをどうにかしないと」

「そりゃ殺すってことか?」

「いや、さっきも言ったように彼女はガルシア君の探し人なんだ。殺す事はできない」

 

 正気に戻すことが出来れば一番いいのだが、今の彼女は復讐に燃える殺戮機械に成り下がっている。

 せめて彼女に拮抗出来るだけの戦力、もしくは手札が揃えばいいのだが。

 

(ロベルタと拮抗出来る戦力、真っ先に思い浮かぶのは……)

 

 ロックの脳内にまず最初に浮かんだのは、グレーのジャケットを着た日本人。レヴィが持つ二挺拳銃という二つ名の前の持ち主であり、底の知れない怪物。

 だが彼がこの場に現れることはない。そう確信していた。

 理由はたった一つ。数時間前の一本の電話である。

 

 ガルシアを連れて港まで来い。簡潔にそう言い切ったウェイバーは、ロック自身の行動まで予想していることだろう。だからこそ、こうして今自身がロベルタとガルシアをある意味セットで港まで運んでいることも想定済みのはずだ。

 だとすれば、わざわざその道中で横槍を入れるような真似はしない。

 加えて、彼にはホテル・モスクワと米軍を引き付けるという役割がある。どのような手口で両者を相手取るのかまでは分からないが、あの男のことだ。きっと思いもしない方法でやってのけてしまうだろう。

 

(ウェイバーさんが助太刀にきてくれることは期待できない。ただ何の保険もかけていないというのも考え難い。だとすれば……)

 

 そこまでロックが考えたところで、助手席に放り投げてあった携帯電話が鳴った。

 反射的に手に取ったそれを耳に押し当てると、飛び込んできたのは聞き慣れた女ガンマンの声だった。

 

『ヘイ、ロック。そっちの首尾はどうだ?』

「レヴィ!」

 

 思わず声が出てしまうほど、今この状況でのレヴィの登場は有難いものだった。ロベルタと拮抗できる戦力として、彼女ならばとの思い故である。

 

「ロベルタの居場所は突き止めた。今ガルシア君と一緒にラグーン商会のドックに向かってるッ」

『オーライ、ボスの言ってた通りだな。ロック、アタシたちはもうドックに到着してる。さっさとあの婦長様を連れてきな』

 

 レヴィの話し声の奥からは、ファビオラと双子のメイドがガルシアを心配するような声が聞こえてくる。

 

 算段は整った。つまりはそういうことなのだろう。

 レヴィがロベルタのストッパーとして港にやって来ることも。ファビオラとガルシア、そして双子のメイドというラブレス家の関係者が全員欠けることなく一ヶ所に集うことも。

 きっとあの男は、全て読み切っていたに違いない。

 

「本当に敵わないな、あの人にはッ!」

 

 終話ボタンを押して電話を助手席に放り投げたロックは、強引にアクセルを踏み込んだ。

 

「いいねェロック! あのサイボーグと少しだが距離が取れた!」

「このくらいの距離じゃ気休めにもなりやしない! 一秒でも早く湾岸沿いに出ないと!」

 

 夜のロアナプラを、青いセダンが疾走する。

 大通りを走り始めて五分程、直に海が見えてくるはずだ。そうなればラグーン商会の所有するドックは目と鼻の先、一連の争乱の、終着点が見えてくる。

 

 しかし。

 そんな幕の引き方を、件の猟犬が認める筈がなかった。

 

 短距離選手のようなストライドで、ロベルタが少しずつロックの運転するセダンに迫る。

 このままでは車がドックに到着するよりも、僅かにロベルタが追いつく方が早い。そうなってしまっては、その場での戦いは避けられない。今この場に居る戦闘員はヨアンのみ。ロックが出張ったところで赤黒い肉袋にされるのは目に見えている。

 どうする。そう考えていた矢先、突然ヨアンが後部座席のドアを開けた。

 

「ヨアンさん!?」

「このままじゃ追いつかれる。それは本意じゃねェんだろう?」

 

 ガルシアの髪の毛を一度だけクシャリと撫でて、青年は不敵に笑う。

 

「元はといえば俺がしっかり足止めしとかなかったのが悪い。つうことで、時間稼ぎはしてやるよ。無料でな」

 

 一度だけロベルタへと視線を投げて、ヨアンは軽い調子で続けた。

 

「大丈夫、殺しゃしねェよ。少し遊んだらそっちに送ってやる。そのまま俺も街を離れさせてもらうさ」

「…………、」

「ったく。俺の追いかけてる獲物は見つからねェし、A級首は見逃さなきゃいけねェし。帰ったらクラリスにどやされるな」

 

 トンッと、事も無げに。

 ヨアンは時速八十キロで走行するセダンから飛び降りた。

 体勢を崩すことなく着地したヨアンの手には、既に愛銃が握られている。

 

 そんなヨアンを視界に収めながらも、ロベルタは速度を緩める気配を見せない。歯牙にもかけない。そう言わんばかりの態度だ。

 

「……ハッ、舐められたもんだな」

 

 接近する猟犬を前に、ヨアンは口元をほんの少しだけ緩めた。

 

「悪党の首に輪っかを掛けられねェストレス、ちっとは発散させてもらうぜ」

 

 デザートイーグル50AEを構える。

 引鉄を引く。

 発砲音と鈍い衝突音が、ロックの耳にやけに大きく響いた。

 

 

 

 77

 

 

 

 戦線はウェイバーを中心に、徐々に縮小を見せていた。

 物量差で押潰す場合の定石と言えば定石だ。獲物をぐるりと取り囲みながら、少しずつその円を狭めていく。逃げ場を封じ、反撃させる暇を奪い、戦う手立てが途絶えるのを待つ。バラライカ率いる遊撃隊が選んだのは、そんな戦法――――――――ではない。

 

 そんな教科書にでも乗っているような戦法が、あの男に通じる筈が無い。

 

 これは一方的な狩りに非ず。

 生と死の境で行われる本物の戦争だ。

 

 戦線が縮小し始めているのは、(ひとえ)にウェイバーの行動故である。

 

「的を絞らせないつもりか、……他に何を狙っている」

 

 ウェイバーとその他二人は、打ち合わせでもしていたのか揃って狭い路地へと入り込んでいく。

 通常であれば道幅の狭い路地裏など挟撃の格好の餌食だが、生憎とこの街全ての地図が頭に入っているらしいウェイバーであればその限りではない。

 敢えて挟撃のし易いポイントへ誘導し、フレンドリーファイアを誘っている節まである。

 

「大尉殿、目標は依然として北上。別動班を東側より向かわせていますが、このままだと殺傷地域より離脱される可能性があります」

「無駄な懸念だな軍曹。あの男が我々に背中を見せて逃げるとでもいうのか」

 

 状況だけを見れば膠着した中で、バラライカは実に愉しそうに目を細めた。

 

「又と無い機会だ。滾らない筈がない。そうだろう? ウェイバー」

 

 

 

 

 

「――――そこは左だ、建物屋上からの狙撃に注意しろ」

 

 暗闇を走りながら、やや前方を走るグレイへと指示を出す。

 開戦の合図となったBARの一斉掃射の後、ロットンとグレイを従えた状態で来た道を引き返すように路地裏へと飛び込んだ。既に周囲一帯の交差路には遊撃隊の各分隊が配置されていることだろう。しかしそれを抜きにしても、あんなだだっ広い通りでドンパチ構える程俺は阿呆ではない。 

 あんな360度見渡す限り遊撃隊しかいない戦場で、たった三人で太刀打ちできるわけがないのだ。

 

「私は正面切ってのダンスパーティでもよかったのよ?」

 

 こんな事を宣う娘っ子は無視して、俺の背後を走るロットンへと視線を向ける。

 

「……ヒュー、……ヒュー……」

「お前壊滅的に体力無いな」

「いや、これは、鎖帷子が、重くて、だな」

「本末転倒じゃねーか」

 

 サングラスに指を添えながら格好良く決めようとしても無理がある。言っては何だが背中が隙だらけだ。

 何の気休めにもならないが、ロットンの後方へ向けて何発か発砲。この音で居場所が割れるかもしれないが、そもそもバラライカが敷いた包囲網をそう易々と突破できるはずがないのだ。考えるだけ無駄だと切り捨て、更に二発発砲。丁度全弾撃ち切ったところで、素早く弾丸を込め直す。

 

「よし」

 

 やはり弾がしっかり補填されると安心感が違う。

 

「流石ねおじさん。私、最初の発砲まで気が付かなかったわ」

「ん?」

「フッ、クールだな」

「は?」

 

 何やら得心したと頷く二人の様子に、俺は疑問符を浮かべざるを得なかった。

 やたらと上機嫌なグレイにそのあたり聞きたいが、事態が事態だけに自重する。話し込んで蜂の巣にされるのは御免だ。

 

「このまま北に向かえばいいの?」

 

 月明かりも届き難い路地裏を駆けながら、グレイが口を開いた。

 

「ああ、俺の仕事はホテル・モスクワと米軍を接触させないこと。米軍に関しちゃ張に一任してるからな、あとはこっちの問題だ」

 

 こっちの問題。そう、後はこの場をなんとかして切り抜けるだけだ。張からの連絡が来れば、この一連の騒動は終結する。その時間までホテル・モスクワを引き付けること、それさえ出来れば全て丸く収まる筈だ。

 

「ま、そう簡単には行かないだろうがな」

 

 なんと言ってもこの戦力差だ。こっちは自分を含めてたったの三人。対してバラライカは一個師団クラスの戦力を引っ張り出し、この街の至る所に配置している。

 幸いにして周囲には入り組んだ路地が広がっているため遮蔽物には困らないが、いつまでも同じ地点に留まっていればあっという間に挟み撃ちに合う。そうならないために移動し続け、的を絞らせないよう細心の注意を払う。

 毛ほどの油断も出来ない。一瞬の隙が命取りとなることを、この街で散々思い知らされたのだ。

 

 ポケットに仕舞い込んだ携帯電話は、未だ鳴らず。

 

「……おじさん。後ろから足音が近付いてくるわ。数は四、五人というところかしら」

「バラライカの奴、囲い込みを止めて直接獲りにきやがったか」

「……どうする、つもりだ……?」

 

 軽い調子で会話を行う俺とグレイとは対照的に、苦悶の表情を隠しきれていないロットンが問い掛ける。

 何が切欠となったかは定かでないが、こうして直接戦闘を仕掛けてくるようであれば応戦する他ない。統制された軍人らが陣形を作って向かってくる以上、逃げ果せることなど不可能と言っていい。

 ちらりと、暗闇に溶け込んだ周囲を観察する。

 左右はコンクリートの外壁。前後には二十メートル程の直線が伸びており、追う側からすればさぞや目標を捉え易いことだろう。月明かりの届きにくい場所を選んで移動しているというのにこうもぴったりと背後に付かれてしまっているということは、暗視ゴーグルでも使用しているのかもしれない。

 

「……しょうがねェなァ」

 

 一言そう呟いて、リボルバーを握る両手に力を込める。

 直線に伸びた一本道が有利に働くのは、何も遊撃隊だけではない。

 射撃センスが致命的な俺であっても、真っ直ぐ撃つだけなら造作もないこと。そう腹を括ってくるりと半回転、足音の聞こえる方角へ銃口を向ける。

 

(……まぁ、当たるわけもないんだろうけど)

 

 一般的な身体能力の枠を出ない俺とは違い、バラライカ率いる遊撃隊はデルタも真っ青な人間の集まりである。そんな人間たちに、俺の放った弾が当たるとも思えないが。

 

「時間稼ぎくらいにはなるか」

 

 言って、発砲。

 一瞬にして放たれた左右合わせて四発の弾丸が、それぞれあらぬ方向へと飛んでいく。

 

 おかしいな、一応正面を狙って撃ったつもりだったんだが。どうして左右に綺麗に散らばっていくのか。

 俺が思い描いていたものとは大分違う軌道を描いて、弾丸はコンクリート壁へと着弾。音からして壁に穴でも開いただろうか。それにしてはやけに軽い音のような気もしたが、暗闇のせいで着弾地点までは見えない。

 

 そんな事を考えていたら、数瞬遅れて甲高い破砕音が耳に届いた。音の出処は俺の正面。

 銃を構えたまま、俺は内心で首を捻っていた。こちらが発砲すれば即座に応戦してくると踏んでいたが、その気配は感じられない。

 数秒の間沈黙が流れ、ようやく口を開いたのはグレイだった。

 

「おじさん、どこまで(・・・・)視えてるの?」

「ん、全く」

「視る必要などないということか」

 

 何やら感嘆の声を漏らす二人に、俺は更に疑問符を浮かべた。

 なんだ、何か盛大に食い違っているような気がしないでもないぞ。

 

「そういえば以前にも似たような事をしたと聞いたことがある。その時は確かコンテナの溝を利用したんだったか。絶技だな」

「何言ってる。こんなもの、技の内にも入りゃしねェよ」

 

 まともに狙ってすらいない発砲が、技な筈がないだろう。

 

「そうよお兄さん。おじさんの本気はこんなもんじゃないもの。その気になれば弾丸撃ち(ビリヤード)だって朝飯前よ」

 

 得意げに語るグレイには言いたいことが山程あるが、一先ずそれは置いておくことにしよう。

 前方の様子が気になるところだが、やはり俺の視力では真っ暗な闇が広がるのみ。

 

「先を急ぎましょうおじさん。追ってきてる四人が新しい武装を整える前に少しでも距離を離さなくちゃ」

「いや、どちらかと言えば付かず離れずの方がいいんじゃないか。離れすぎると標的を変更される恐れがある」

「それは杞憂よお兄さん。あのロシア人たちはおじさんと踊ることしか考えていないわ。目の前に極上の獲物(りょうり)があるのに、手を出さない筈はないでしょう?」

 

 確信めいた口調でそう告げるグレイに、ロットンもややあって。

 

「……それもそうだ」

 

 要領を得ないままの俺を置いて走り出す二人の後に慌てて着いていく。会話の内容から察するに、後ろから迫ってきていた追手の足止めには成功したらしい。適当に放った俺の弾でも、少しは役に立ったのだろうか。

 

 狭い路地をジグザグに進みながら、ちらりと腕に巻かれた腕時計に視線を落とす。

 真夜中と言っていい時間帯も、そろそろ終わりを告げようとしている。あと数時間もすれば、水平線の向こうから陽が昇るだろう。

 その頃にはきっと、全てが終わっている。

 

 その時、果たして何人が立っていられるか。

 

 

 

 

 

 遠ざかる足音を耳にしながら、四人は声を失っていた。

 皆一様に構えていた武器に視線を落とし、信じられないものを目の当たりにしたように目を見開いている。

 

「……彼は、暗視ゴーグルを装着していたか?」

 

 やっとのことで絞り出されたのは、そんな疑問だった。

 

「いえ。標的は二挺のリボルバーのみです。ゴーグルを装着していたのは、我々だけです」

「……そうか。いや、彼なら当然と言ったところか」

 

 この四人編成の長であるサハロフは、手に握るライフルだった(・・・)ものを地面に放り投げた。銃身に弾丸を撃ち込まれては、もう使い物にならない。

 他の三人が所持していた銃も、似たような有様だった。皆一様に、スクラップにされている。

 暗視ゴーグルを装着していたため、ウェイバーが振り返ったことは分かっていた。気がつけば発砲されていたことには驚いたが、十分に対処可能な範囲だった。

 

 発射された四発の弾丸全てが、別々の方向から飛来することが無ければ。

 

「跳弾なんてレベルじゃないなアレは。弾丸に意思が宿っているかのようだ」

 

 今思えば、彼は走りながらも周囲の遮蔽物をしきりに確認していたようだった。あれは跳弾させるための条件が揃う場所を探していたのだ。正面から撃ち合えばいくらウェイバーと言えども限界がある。ならば搦手を使うまで。周囲全てを把握しているからこそできるその絶技に、サハロフは苦笑するしか無かった。

 

「追いますか軍曹。武器の補充は完了しています」

「当然だ。大尉殿もそれを望んでいる。我々に後退の二文字はない」

 

 素早く隊列を組み直し、先を行くウェイバーたちを追う。

 各所に配置された班からの無線で、大凡の場所は把握している。

 

「……直に夜も明ける」

 

 近付く刻限を意識して、遊撃隊は再び行動を開始した。

 

 

 

 78

 

 

 

 既にラグーン商会のドックに到着していたレヴィたちがその車を視界に収めたのは、真黒な空がやや明るみを帯び始めた頃だった。

 

「ッ!! あの車は!!」

 

 いの一番にドックから駆け出したファビオラにつられて、マナとルナも外へと駆け出す。

 その三人を無言で見つめていたレヴィも、やがて外へと踏み出した。

 

 乱暴に停車したセダンからロックが降りてくる。

 その表情は、どこか満足げなものだった。

 

「セニョールロック! 若様は、若様はご無事ですか!?」

「今は気を失ってるけど命に別状はない。五体満足だよ」

 

 後部座席で横たわるガルシアをマナと二人で運び出し、ドックの二階へと連れて行く。

 

 周囲には、どこか弛緩した空気が流れていた。

 

「ロック」

 

 そんな空気を裂く、冷たい一声。

 

「あのクソメイドは、きっちり引っ張ってきたんだろうな」

「ああ」

 

 レヴィの問いに、ロックは。

 

「彼は立派に餌の役目を勤めてくれた。これで、王手(チェックメイト)だ」

 

 漂ってくる血の臭いが、嫌でも彼女の存在を想起させる。

 

「よくやったロック。こっからは、アタシの仕事だ」

 

 ホルスタからソードカトラスを引き抜き、視線を正面からやって来る血濡れの女に固定する。

 猟犬は犬歯を剥き出しにして、焦点の合っていない両の眼をこれでもかと開いてみせた。

 

「若様、若様。ああ、そこにおられるのですね。今、私が」

「何ブツブツ言ってやがる。今のテメエじゃ、あのガキには会えねェな」

「……邪魔を、」

「なあそうだろ。物事はシンプルが一番、欲しいモンがあンなら、」

 

 二人の視線が交錯したのは、たったの一瞬。コンマ一秒の事。

 だがそれだけで、両者は本能の部分で理解した。

 目の前に立ち塞がるニンゲンは、己にとっての障害であると。

 

「――――するなッ!!!」

「力づくで奪ってみろよッ!!!」

 

 銃声が轟く。

 放たれた弾丸が、両者の間で縦横無尽に駆け巡る。

 

 そんな戦場の片隅。

 廃コンテナの影で、とある男は無表情ながらに頭を抱えていた。

 

(出る場所間違えた……)

 

 最悪の追手を引き連れて、渦中の男ウェイバーが奇しくも爆心地へ到達した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回ロベ公編ラストです。

以下要点。
・おっさん×幼女×厨二×忠犬×猟犬×遊撃隊×その他不安要素

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